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身近な奇跡がいつも気づかせてくれる
(今回はスピリチュアル回?になると思います)
こんにちは!生チョコぽん酢です。
この仕事をしていると、とっても不思議な体験・奇跡的な体験をすることが多々あります。
この1週間だけでも複数の出来事があり、その1つを書かせてもらいますね。
■偶然には意味があると思う
先日、とある搬送依頼を受けました。
自宅から病院への入院のご依頼だったわけですが、患者氏名や住所を聞き、相方と二人で少し首をかしげます。
小学生の頃によく遊んでいた同級生と同姓同名だからです。
住所も多分同じ。
あ、言った事あったか分かりませんが相方も地元が同じなのです。
まさかなと思いつつ自宅に行ってみると、布団に横たわる友達がいました。
依頼者のお母さんに私と相方から「私達のこと覚えていますか」って言ったらキョトンとしています。
名前を伝えたら、お母さんはハッと思い出し、目から涙が溢れてきて、とても喜んでくれました。
そして「息子、こんなんなっちゃって」と、涙を流しながら息子さんを抱きしめます。
小学生の頃はこの友人と、毎日のように遊んでいましたが、
私は小学校高学年からグレてしまい交友関係がガラッと変わってしまったのと、
相方の方は家族で海外に移住してしまっていたので、
それ以降は関りがなくなり成人してからどうしていたのか全然知らなくて、
搬送前に色々お話を聞かせて頂くことができまして、まぁ皆、色々なものを背負っていたのだなと。
ちなみに、私の事務所は地元にはありません。
お母さんも数ある事業所の中から何となくピンときた事業所を選んで電話しただけです。
本当に、ただの偶然。
たまたま電話した先が私だったという奇跡。
でもやっぱり、偶然は必然なのでしょうね。
この時もそうでしたが、奇跡なんて存在しないのだと思います。
私達の顔をみると友人もニコッて笑顔になり、ほとんどしゃべる事ができなかったのですが、
自分の意思みたいな活力が生まれてきたおかげで、搬送自体はスムーズに終わりました。
搬送中も搬送後も、お母さんと昔話が弾みます、話題が尽きることはありませんでした。
友人が元気だった頃の思い出を共有できる数少ない人間と、たまたま巡りあい、
あんなことがあったよね、こんなことがあったよねって、
息子さんとお母さんと私達の共通の昔話を和気あいあいと話せたことで、
今まで張りつめていた緊張が解けてしまったみたいで、お母さんが別れ際に大泣きしちゃって。
お母さんは今まで誰にも打ち明けられず一人で全部背負っていたみたいです。
息子はこんななっちゃったのに、この子達(我々)はあんなに元気で、みたいな気持ちも少なからずあるでしょう。
私も相方も涙を流すタイプの人間ではないのですが、お母さんのやりきれない感情だけは、雪崩のように私の心に入り込んできました。
人はこうやって痛みを分かち合うことができるのでしょうね。
しばらくしたら落ち着かれて、別れ際に「生チョコ君に会えて元気もらえた。本当によかった。またお願いします」って言ってくれました。
多分治る見込みは少なく、今後自立した生活に戻ることも難しいのかもしれませんが、
「次回は無しで。自分で帰れるくらいに回復してください。回復したらみんなでお祝いしましょう」って言って帰ってきました。
亡くなった同級生のご両親の時もそうだし、会社でお世話になってた外注さんの時もそうです、
なんなら同業者が亡くなった時も似たような事がありましたね、搬送に関連する偶然の巡りあいって結構あるのですよ。
一応言っておきますが、ブログで紹介しているのはほんの一部なのです。
それでも過去に記事にしたものでパッと思い浮かぶだけでも、本当にたくさんの偶然がありますね。
でも友達を搬送したのは今回が初めてだったので、相方と二人で色々考えさせられました。
■今回の件で気づかせてもらえた事
健康が一番ですけど、病気やその他の災難は自然災害みたいなものです。
自分の過去の行いに起因するものではないし、自分の思考で引き寄せているものでもない。
そのうえで、
どうやら自分に乗り越えられない災難は訪れないようになっている
ように思える節があるのですね。
ですから、健康だから偉いとか、病気や事故や事件にあう人は自業自得だとか、運が悪いとか、そういう事ではありません。
大した災難もなく健康で平和に生活出来ている人は、災難に耐えることが出来ない弱い人間という見方もできるくらいなのです。
だからこそ困っている人を皆で支えてあげなければいけません。
自分に降り注ぐ災難を肩代わりしてくれている、くらいに思わなきゃ駄目なのです。
強い人は打ちのめされ、弱い人はつけあがる
これが人間を個として見た時の基本的な構造だと思いますから、
人は本来、皆で手を取り合ってやっと真ん中(幸せ)になれるものなのではないでしょうか。
しかし個人主義の極まった現在です。
精神論の世界ですら誤った自分軸という名の自分勝手が浸透しているし、
一般社会では弱いものを蹴落として這い上がるようなピラミッド構造が末期になってきていて、
椅子取りゲームのような、まるで罰ゲームのような世界になっていますよね。
我々はこの世界で、どう他人と向き合い、どう助け合いができるのか
どうやって皆が「生まれて来てよかった」って思える世界にできるのか
明らかに幸せと逆行する世界を見ながら、深く考えさせられるのでした。
そして、きっと皆さんも、生きてきた中でたくさんの奇跡を体験していると思うのですよ。
奇跡は存在してなくて、偶然は必然であることを考えると、
こうした身近で起こる奇跡には、大切なメッセージが隠されているのかもしれません。
私もこれからは偶然にたいして、もっともっと注意深く向き合おうと思うのでした。
おわり
追伸:
昨日、裏記事側で投稿したもう1つの奇跡的な体験のすぐ後に、本記事で投稿した事があったという背景がありました。
↓私がアメブロ外で書いている裏記事の一覧(随時更新中)
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