こんばんは!生チョコぽん酢です。
昨日の記事にたくさんのコメントを頂き、本当にありがとうございます。
今日は日曜日なので投稿しない予定でしたが、昨日のパンツの押し売り記事があまりにも盛り上がっていたので、その続きを投稿させてもらいます。
マスクは不思議と、あまりにもデリケートな問題になっていますので、色々な批判覚悟の上で書いていますが、別に喧嘩がしたいわけじゃないですからねw
むしろ私はこんな記事を読んでくださっている読者様が大好きです。
私の考えはこうですよーっていう記事ですが、コメントは全て読ませて頂きまして、肯定的な意見が多い一方で否定的な意見もありました。
当然ですね。
その否定的な意見については全て返信するのは難しいのですが、一部「ん、ちょっと勘違いがあるかも」と思うようなものもあったので、もしまだ引き続き私のブログを読んで頂けるモチベーションがある方は、今一度記事を読み返してみてください(いつも以上に乱文記事なので恐縮なのですが)。
あと誤解しないで欲しいのは、私は普段はマスクしていません。
やっぱり人々の表情が見える社会の方がいいですよね。
だから早くコロナ禍前のように戻って欲しいなって思っていて書いています。
でも一方で、マスクは元々日本文化に根付いているものであって、一部の動きは極端だなーと思えてしまうし、マスクを着けさせない動きというのは、マスクを強制する動きととても似ているので注意が必要ということ。
そしてたかだかマスク1つに期待を寄せ過ぎて、強制する動きは絶対に間違いであり、本来は配慮から根付いた文化が虐待になってしまっている現状への悲しみがあります。
あとコメントの1つに、航空機内でのマスク問答でフライトを中止させてしまったことに対して「何故書いたのか意味がわからない」というのがあったので、これに対してだけお答えしておきます。
文字数的に触れられなかったので。
前提として、私はフライト中止案件を全て知っているわけではありませんからね;
その上で主観を述べると、私の知っている話はまだ若い人が航空機内で「科学的根拠は?科学的根拠はあるんですか?」と客室乗務員にまくし立てているシーンです。
(別に個人を否定したいわけじゃないのですよ)
だから多分読者様がおっしゃる「病気でつけられない人」では無かったのではないかと思います。
私の仕事でも病気でマスクを着けられない人は大勢います。
認知症の人、精神疾患の人、気切の人、色々です。
なので当然といえば当然ですが、コロナ禍からずーーーーっと、基本的に乗車時にマスクについてお願いしたことはありません。
だって無理ですから。
問題はそこではないのです。
日本ではお客様を神様のように崇め奉る文化がありますが、あれはおもてなしの心であって、言い方は悪いですが所詮はリップサービスです。
これは事業主目線でのお話になりますが、まずお店1つ1つにはそれぞれオーナーのコンセプトがあるんですね。
こういう店にしたい、こういうサービスにしたい、こういう形で社会に貢献したい、等です。
そしてそれを実現する為に私財をはたいてリスクを背負います。
その上で、旅客の仕事というのは命を預かる仕事ですから、安全面を包括的に見て決めたルールが存在します。
全責任は事業主が負わなければいけないから。
そのルールにそぐわない反乱分子(めんどくさい客)は乗せないのは当たり前です。
確かに航空会社のやり方には未接種者として思うところはありますよ。
それに非合理的なものも私は嫌いだからこのブログでもたくさん記事にしてきました。
一方で事業主にとって今回のコロナ禍はポーズが大切だった一面もありました。
最低限の対策を講じているというポーズをしなければ、昨日の記事でも書いた通り社会的な制裁が待っているからです。
特に旅客機なんて言ったら、事の発端となった豪華客船のように公開処刑を食らう可能性といつも隣り合わせ。
公共性の高いサービスになればなるほどに、いろんな意見をひっくるめて全体を見なければいけなかったりします。
つまりコロナを本当に怖がっている大多数派の意見を無下にすることなんてできません。
だからそう短絡的な問題ではなく、面倒な客を乗せないのは「差別だ!」ではなく区別です。
で次に、病気でマスクがつけられない人についてです。
私はそのケースを知らなかったのですが、病気などでマスクがつけられない人がいたせいでフライトが止まってしまったのがあると聞いて、気の毒だなぁと思いました。
でも一方で、あの時期なわけですから事前に「マスクがつけられない私でも乗れますか?」と一言聞いておくのが大人対応なんじゃないかなとも思うんですよね。
全容は知りませんよ。
全容は知りませんが、事前に許可を取っていたのに現場で追い返されたのなら航空会社側の問題ですし、何の許可を取らずに乗り込んでごねていたのなら、それは大人げないと私は思います。
つまり、利用する側は本来神様でもなんでもなくて、お客側は利用させて頂いている、提供側は利用して頂いている、本来はお互いにフェアな関係ということであって、安全上のルールに従わない人は利用しないで欲しいというのは当然かなと、思ったから書いた感じですね。
変な言い方に聞こえるかもしれませんが、利用する我々は役員でも何でもないので、意見することは出来ても運営方針を変える権限はないのです。
そしてその責任も負えません。
だから現実的には嫌なら利用しなければいい、に集約してしまうのです。
結局、現代人は自分が主人公になりすぎているかもしれません。
Aさんの視点ではAさんが主人公の人生であって、私はただの登場人物です。
一方の私から見た視点では、Aさんは登場人物の1人でしかありません。
こんな感じで、世の中の人全員が主人公の人生を生きており、1人ひとりが掛け替えのない尊い存在なのです。
他人はNPCではなく、相手も自分と同じ主人公。
皆主人公。
だからこそ、お互いに尊敬が必要だし配慮が必要です。
例えばAさんが集合住宅に住んでいたとして、Aさんは昼型、上の階の人は夜型だったとします。
お互いに自分が正しい、当たり前だ、自分こそが主人公だと思っていたら、騒音問題でトラブルが絶えなくなります。
本来人間同士っていうのは、互いに配慮できなければ一緒に生活など出来ないのです。
こういう話をすると、今の時代だと「全体主義者め!お前もディープなんちゃらの刺客か!」とか言われてしまいそうですが、人間自体が社会的な生き物であって集団生活であって、個で生きることの意味が全然違うと思うんですよ。
私の言う自分軸とか個の時代っていうのは、個人個人が好き勝手に振舞っていいわけではなくて(それは今までの時代)、一人ひとりがきちんと自立した大人(個)にならなければいけないということ。
皆が大人になれば、必ず調和が訪れるから。
そもそも日本人という民族は、互いに配慮し合いながらここまで発展してこれたのですからね。
だから日本のサービスは世界一だったのです。
日本の衰退や今の混乱は、こうした部分が欠落し始めたから起こっているのだと思います。
大東亜戦争の頃と全く同じでしょうね。
唯一の強みが無くなっている感じです。
今回思ったのが、たかが私の小さなブログ1つでもこれだけ混乱があるわけだから、世の中全体で見ると、私の思っている以上に大変なことになっているのでしょう。
よく考えたらワクチンだってそうですよね、自分の信じているものの片鱗でも否定されたら嫌な気持になりますもの。
それをお互いに配慮し合い分かり合い、混乱が収まるまでには、まだまだ相当な時間がかかるのでしょう。
だから私も懲りずにブログで自分の声を出していこうと思います。
どちらの世界でも生きていかなければいけませんが、私は前者の方がいいです。
そしてこれからも変わらずコメントしてくださると嬉しいです!
おわり
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