「ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレートコメット・オブ・1812」

1/8(火)13:30の公演を、東京芸術劇場で見て参りました。

良かったですよー。

 

 

ブロードウェイミュージカルの日本初演のこの作品。

一昨年のトニー賞授賞式をWOWOWの生中継で見ていた時に、とても印象に残っていた作品。

ジョシュ・グローバンの素晴らしい歌声と帝政ロシア時代、貴族文化と場末な盛り場の混とんとした熱狂に度肝を抜かれたのでした。

いつか生で見られる日が来たら良いな…と思っていたら、日本でも上演されると聞いた時は躍り上がって喜びました。ジョシュ・グローバンで聞いたあの歌が井上芳雄さんで聞けるとあらば、なおさら。

 

さて。

トルストイの『戦争と平和』、この長い長い長~い原作の70ページを切り取ってミュージカルにしたというこの作品。歌詞は原作を強くリスペクトし、原文に忠実に作られているのだそうです。

 

(もしこれを読んでいる方で、これから観劇の予定の方がいらしたら、この先は読まない方がいいかもしれません。)

 

主人公は井上さん演じるピエールかと思いきや、物語の全体は生田絵梨花さん演じるナターシャのメロドラマで成り立っています。“ニッチな変人、若い年寄り”と評されるピエールとは直接関係ない周辺の出来事で物語は構成されおり、ピエールはずーっと近所のレストランでちょいとお酒でも飲みながら本を読んだりしているのね。

 

ナターシャはフィアンセのアンドレイと離れ離れにさせられている間に、アブナイ色男アナトールに迫られ、初めは拒絶するもその強引な色気に駆け落ちを決意します。出会って3日なのに千年思いあっていたような気分だそうで…伯爵令嬢って暇なのね。しかしアナトールとは悪い男で実は外国に奥さんがいる知れて、ナターシャはどちらの男も失う、というのが話の流れ。大げさな起承転結の無い、淡泊な物語。

 

ステージはアリーナでのコンサート会場の作りをコンパクトにしたような、田の字に巡る花道とその前に半円に突き出した花道で成り立っており、田の字の中のアリーナ席はレストランのテーブル席やカウンターの作り。客席に張り出した半円の中がオケピとピエールが時々座って作業する席。

舞台セットは一番奥の扉と階段のみ。この作品は2012年にわずか87席の会場で始まったそうです。生みの親であるデイブ・マロイ氏はクルーズ船のバンドのピアニストで、2010年に立ち寄ったモスクワのレストランで、この作品はこのような雰囲気の中で上演されるべきと感じたそう。だからなんですね。レストランのお客さんの中で演じられているようで、レストランの客として見ている感覚。セットが無いのはそういった由来があったからなのでしょう。

でもシンプルな舞台と淡泊な物語を補って余りある、ピエール歌う主題曲の美しさと、圧巻のパワフルパフォーマンスと、衣装コスチュームの煌びやかさなんですねぇ。

物語中盤で歌われる主題曲「Dust and Ashes」

愛の無い結婚生活に絶望しているピエールが「恋に落ちるまで人は眠っている 今死んだら自分は眠ったまま死ぬことになる だが準備はできている 今すぐ目覚めてもいい」と独白する曲が美しくてね。まず中心にこの曲があって、話の全体が肉付けされていったのかな?なんて思ったり。

そして台詞もすべて全編が歌で構成されているこの作品。

最後の最後でピエールが普通にしゃべる台詞があります。

全ての2時間ちかい全てのメロディーがこの最後の一文のためにあったのか!!終演後に友とお茶しながら喋っている中でそれに気づいてゾワッとしました。そしてピエールの恋を空から包み込むような巨大な美しい彗星。

 

もっと深く理解するにはもう一度くらい見たいのですが…。

 

本当に素敵な作品でした。

東京芸術劇場は初めて入ったのですが、ホールの壁がレンガ造りで、それがまた作品の世界観に見事にマッチして、効果倍増。

それから、初めて見た生田絵梨花さん。盲目的に恋した男が妻子持ちで騙されたと知った途端気絶しちゃうような「ザ・ヒロイン!」がこんなにも嫌味なく似合ってしまうって、ある意味貴重よね。透明感のある綺麗な歌声も素敵でした。

 

今またトニー賞授賞式のビデオを見て、買ったCDを聞いて楽しんでます。

 

この舞台、チケット発売初日で全席完売でしたね。

それに敗れた私は貸し切り公演の情報にアンテナを張って生協のチケットでお席ゲットしました。なのになのに、貸し切り公演の日だったからなのか、2階に空席が結構あったぞ。もったいない。なんてことだ。

ちなみに私は2階席で見たのですが、例の田の字の通路の演者の動きが綺麗に見渡せて、とても良い席でした。たった1回の観劇だったら、2階席は良いですよ。

10月9日に室蘭で催される日本舞踊の仲間の会を応援するために、遅めの夏休みを兼ねてその前後に初めての北海道を旅して参りました。函館1泊から室蘭で2泊で踊りの会を手伝い、最終日の行先は未定。帰路の航空便は夕方という3泊4日の旅。

 

10月7日、出発のその日は東京で朝降っていた雨も昼前には止み曇天の羽田空港。雨雲を追いかけるように北へ。

午後2時過ぎ到着時の函館は雨でした。リムジンバスでとりあえず市内のホテルへ向かい3時に到着。

 

先の長い旅ですから、初日に函館ならではの海産物を買って自宅や実家に送ってしまおうと、ホテル近くの自由市場へ。観光名所の函館朝市より地元の人向けのこじんまりとした市場ですが、少しお安いとのこと。しかもこの自由市場は夕方5時で閉まり、翌日曜日はやっていないんですもの。

 

というわけで、ホテルに荷物を置いてそそくさと歩いて市場へ。

さっそく商店の売り子のおばさまに捕まる。500円のホタテの乾きものを若干強引に勧められる。素人が一人で来るものではないか…なんか怖い。

 

しかしどこを見ても鮮魚の一つ一つが大きいこと!そして目についたのが、売っているイクラの容器にすべて「新物」というシールが貼っているんですね。考えれば分かるのですが、認識したことがなかった。鮭が遡上してくるこの時期に取り出すイクラは今が新物の季節なんだそうです。新鮮な新物イクラを食べた感想は後程。結局自分用には銀鱈の味噌漬け、実家の母には根ホッケとハラスとイクラを購入。その場で母に送りました。自分用のは帰宅した時に到着するように。帰宅後、その銀鱈の味噌漬けを焼いて食べました。もの凄ーーく脂が乗っていて美味しいことと言ったら!!感激の美味でした。お値段も東京で買ったら一切れ700円くらいはしそうな大きさのものが、400円程度で。ま、送料も含めると変わらないのかもしれませんが、この脂の乗った新鮮さは何物にも代えがたいのであります。

この銀鱈の味噌漬けは、自由市場内、有限会社米塚商店さん。ほんと、美味しかったです。ネットで注文もできるので、また購入しよっと。

 

さて。自由市場での買い物を終え、午後4時過ぎホテル近くのお寿司屋さん「函館大門福寿し」さんへ。カニやらイクラやらがどかんと乗った海鮮丼を食べるより、握り寿司で少しずつ色んな種類が食べたかったんですな。

清潔感のある素敵な店内で、女性一人でも居心地のよい空間です。

 

若い大将に初北海道で函館に来たこと、滅多に来れないであろうことを説明した上で「函館を満喫するには何を注文したら良い?」と質問。寿司懐石を薦めて下さいました。

「イクラは今朝さばきたてですよ」とのこと。旬のお味はサラッとしているんですねぇ、イクラって。あと、ミル貝は柔らかくて甘くてシャクシャクとした歯触りで初めての感触。エビも美味でしたぁ。

こちらはウニの柳川鍋。たっぷりのゴボウのささがきにウニが絡んだ温かいお鍋です。

先客で一人いらした男性とお店の方とお喋りしながらいただいていると、若大将が「旅の思い出にどうぞ」と懐石のメニューには入っていないニシンの握りを一貫、そっと出してくださいました~~~。ウホッ。なんて粋な計らい。

こちらも脂が乗って本当に美味しかった。

福寿しさん、とても素敵な思い出になりました。ご馳走様でした!!

 

食事を終えて夕方5時。

雨もやんだ外はまだ明るく、夜も長い。

ということで、あまり興味がなくて行くつもりがなかった函館山の夜景を見に行くことに。

 

函館山のふもとからケーブルカーで山頂まで行きます。

しかしながら、そのケーブルカーにたどり着くまでの坂道がまぁぁ厳しいこと!

連休初日の土曜の夜、さらに中国も連休と聞いたような…とにかく人が多い多い。5分置きに出るケーブルカーに乗るまでに30分待ちといった状況でした。そして周囲から聞こえるお喋りの声、8割方外国語。

それでも雨上がりの函館の夜景はとっても綺麗でした。

写真からは左に見切れた湾内では、イカ釣り船と思しき船の明かりがうごめいて、少し幻想的でした。

 

さて。

函館山を下りたところでまだ夜7時過ぎだったので、古い教会や洋館が立ち並ぶ元町で夜の散歩をしてみることにしました。ちょうど山を下りた辺りが元町なんですね。

雨に濡れた石畳が夜の街灯にわずかに反射し、緩やかな坂道に浮かび上がる古い教会。人通りも少なく、異世界に迷い込んだような気分でした。

この元町教会とは、その始まりが江戸時代の安政時代にさかのぼるほど、日本の中でも歴史のある教会なんだそうです。

さらに歩いて人気のないレンガ倉庫をぶらり。

翌日も朝から元町を散策して知ったことなのですが、函館はペリー来航により下田横浜と並んで最初に開港された港町ということで、明治時代から西洋文化が街に溶け込んだ「ハイカラ

文化」が生まれたそうです。

明治大正期の古い洋館や、外国人墓地、レンガ倉庫。どこか、素朴な横浜とでもいうような風情の町という印象でした。

 

散々歩いて疲れたところで、夜も遅くまでやっている素敵なカフェでブレイク。

一人旅初日を堪能したのでありました。

翌日は、朝から再び元町へ…。

 

続く。

 

前述のいくらの新物シールだよ。

 

ニヤリまたもや随分と日が経ってしまいましたが、9/2の昼公演を見た感想なぞ。

 

 

もともと1回しか見に行く予定はなかったのですが、どうしても別のキャストでもう一度は見たい、と、居ても立っても居られず。前回見たビリーは前田君だったので、別のビリーで行ける日を選択(歌穂さん藤岡君は固定で、ビリーは前田君以外、マイケルは誰でも可という条件で選びました)。結果、↑のお写真の配役の回でございましたよ。

 

前回は1階席の3列目という夢のようなお席でした。

今回は上手端の方ながら2階席の1列目、という全体が綺麗に見渡せるお席。

ドリームバレエのシーンやビリーのお部屋がよく見えるというお話を小耳にはさみ、わくわくと着席。遠くてもオペラグラスは使わない主義なので、細かな表情は読み取れませんが。

 

今回のビリーは未来和樹くん。15歳。一番お兄ちゃんビリー。

まずは和樹ビリーの印象箇条書き。

  • 文系男子
  • スラッと長い手足
  • 踊る喜びが白い歯を覗かせたまぶしい笑顔に集約!
  • electricityでの丁寧な感情の表現
  • 筋力や瞬発力なんて今からいくらでも鍛えられるよ!

文系男子というのは、和樹君自身の身体的な面と、表現の国語的な面と両方の意味で。

身体面では、バレエの動きがとても柔らかくて、柔軟性があって手足も長いのでポーズの一つ一つがとても美しいのね。でも、柔らかいんだけど瞬発力は無い。勝手な想像だけど、幼いころから文系男子でダンスやスポーツや運動には縁がなかった子なのだろうな…と。ピアノの上からの側宙で降りるのも回避してましたね。これはね、前回見たのが前田君だったから余計に違いを感じたのかも。

優劣はありません。バレエに出会う前のビリーが、バレエ以外のスポーツに親しんでいたか、自分の体を積極的に動かすのはバレエが初めてだったか、想像する物語が変わってくるだけで。身体能力なんて、大人になっていく過程でいくらでも伸ばせるし。物語的にもバレエスクールに合格しちゃえばこっちのモンだしニヤリ

 

「angry dance」以外のダンスで、いつも白い歯がまぶしい笑顔で踊っているのが本っ当に印象的。ウィルキンソン先生と、バレエと出会って初めて感じた、自己を表現できる喜びに満ちているというような…。

 

「 electricity」では国語的にビリーの心情を丁寧に解釈して、観客に分かりやすく伝えようとしているのかなと思える点。直観的じゃなくて、きちんと脳内で整理されたもの。そこはやっぱり一番お兄ちゃんビリーなだけあるのかな、と。喋る声も歌声もとっても綺麗。癒されるビリー照れでした。

 

ドリームバレエは2階席で見ると綺麗という話を聞き楽しみにしていました。

前回みた1階特等席では、オールダービリーの優しい笑顔に涙したわけですが、今回はうわさにたがわぬ舞台全体の美しさにうっとり。足元をせせらぎのように流れ落ちてゆくスモーク。川面に無数の宝石が輝くような幻想的な空間で、二人のビリーが踊っていました。美しかったですラブ

 

ウィルキンソン先生の島田歌穂さんは、前回初めて見たときより、ヤサグレグラサン具合がマイルドに。最初からちょっと優しい人っぽい爆  笑あは。

吉田父ちゃんと藤岡トニーと根岸おばあちゃん。特に吉田父ちゃん藤岡トニーが合わさると、男くささ3割増しかと。この組み合わせじゃビリーがお母ちゃんが恋しくなるのも無理はない汗汗と、どなたかがツイッターで呟いていました。大いに大いに頷けるのでありますあせるあせる個人的にはまったく怖さのない益岡父ちゃん、おばあちゃんながら華のある久野おばあちゃんが好みでした。

 

マイケルは古賀瑠くん。こりゃまたちょっとあざといくらいにニヤリしゃべりが可愛らしい。このマイケルは、2階席からじゃ何も語れぬぞ。近くで見たかった。前回見たのは城野立樹くんでして、私彼のマイケルが大好きになりました。ビリーもそうだけど、それぞれに、それぞれのビリーなりマイケルがあるんですねー。どの子もそれぞれに素晴らしいグッド!グッド!もちろんデビーも。

 

今回のフィナーレはもっさりと踊るトニー藤岡をニヤニヤしながら堪能ニヤリフッフ…。前回は席が前過ぎてどこにいるかわからなかった。

 

我が家の前の畑の生えているハナミズキ。

今朝気づいたのですが、葉の一部が赤く色づき始めています。ビリーに明け暮れた夏が終わり、季節は秋ですね。

そして、公演の2/3を消化したところで私の生ビリーの予定はこれにておしまいです。名残惜しいですなぁ。

 

今回は、この作品が映画からミュージカル化される制作過程や、日本版上演までの舞台裏をDVD特典映像やテレビ特番で見ることができ、とても興味深いものがありました。それを見るにつけ、ゼロから創造し育むミュージカルとは、イギリスやアメリカにおいては歴史の中で培われた文化なのだな、と。日本のミュージカルとは、寂しいが真似事でしかないのだな、との感想も得ました。

これに関しては同じようなことをビリーの訳詞をされている高橋亜子さんがツイッターで呟かれていて、とても興味深いお話をされています。また、日本のミュージカルについても熱い思いを語られています。

 

インターネット、各種SNSが盛んになって、昔ならなかなか知ることのできなかった情報をいとも簡単に聞かせてもらえる今。制作のホリプロの堀社長による日本初演にあたっての熱い思いや、訳詞の高橋亜子さんによる詞の裏に込められた解釈など。多くの作品への理解を深める情報に出会えたことも印象的でした。

 

こんな総括的なこと書いてると、まるでもう終わりみたいだけど、まだ公演はありますからね。キャストの皆さんは、最後の最後まで見るものを楽しませてくれるでしょうビックリマークそして、私にとっては人生で1、2を争うくらい大切な思い出となるであろう観劇体験をありがとう。

この後私は、観劇した方々のツイッター情報で楽しんおります~ウインク虹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミュージカル、ビリーエリオット。

 

ミュージカルをはじめ、舞台作品はそんなに頻繁ではないものの、年に何作品かは見ます。でもこの先の一生、おそらく死ぬ瞬間まで心に残り続けるであろうと思える作品には、そう簡単に出会えるわけではありません。

今回、赤坂アクトシアターでの良席にも恵まれたこの「ビリーエリオット」というミュージカルから受けた衝撃と感動は、私は一生忘れないと思う。真面目にそう思います。

 

 

ビリーは前田晴翔くん。ポスタービジュアルにもなっているように、とても綺麗な子ですね。繊細で神経質な風情。「angry dance」で、行き場のない憤りをダンスで表す場面では息をのみ、言葉を失いました。

マイケルは城野立樹くん。ビリーの前田くんとは同じくらいの身長。この役は、自然な可笑しみのある子が選ばれる役なのでしょうが、彼の場合は飄々とした雰囲気とクラスに一人は存在する面白い子、といったような愛嬌があります。将来映像の世界で味のある脇役として活躍してほしいような…。橋爪功さんや火野正平さんに通じるような空気をもっているようです。

この時点で他を見ていないから他のキャストと比較はできないけど、この二人は同級生の『ナイスコンビ!』感がとってもよく出ていて、非常に微笑ましかったです。そして見終わった後で前田くん本人のツイッターで知ったのですが、この二人『親友』を自認する大の仲良しなんだそうで。その二人が本番の舞台で初共演するという、本人たちにも記念の回だったとのこと。だからかなぁ、最後にロンドンに旅立つビリーを一人見送る場面は思い入れたっぷりでジーンとしました。良いものが見れました。

 

お父さんは益岡徹さん。私が見た映画版と、映像作品としても残っているエリオット・ハンナくん出演のロンドン公演での恐ろしく怖いお父さん達と比較すると、一番優しそうなお父さんです。ミュージカルは初挑戦だったんですね。カーテンコールでのチュチュ姿が最高です。

 

ウィルキンソン先生は島田歌穂さん。トニーは藤岡正明くん。私がこの日の公演を選んだのはこの二人が出演する回だからです。歌穂さんのウィルキンソン先生は、もう100%バッチリ。バレエダンサーとして一流になれず、田舎の才能の無い子供達を公民館のような場所でタバコをふかしながら教えるそのやさぐれた姿。自分の夢を託すビリーと本気で口論もして、また通じ合っていく様。もうね、思い描いた通りのウィルキンソン先生がそこに生きてましたよ。

トニーの藤岡くんはね、こりゃまた労働者役で。おそらく海外の労働者層の役に日本一はまるミュージカル俳優だと思うわ。そして彼は何といっても私が見た前述の映画版舞台映像版でのトニー役の俳優さん達のビジュアルの流れを汲んでいるんですな。藤岡くん、トニーになるべくしてなったと思います。

 

一番心に残ったのは、見る前には予想もしていなかった意外な部分でした。

ロイヤルバレエスクールのオーディションに行けなくなり、傷心のビリーが夢の中でダンサーとして成長した自分と踊る、おなじみ「dream ballet」のシーン。この場面のオールダービリーが終始微笑みながら、時にビリーを優しく見つめながら踊っているんです~~笑い泣き笑い泣き笑い泣き 私、それを見た瞬間涙が溢れましたねぇ…。べつに無表情で踊ったって、切なく美しい場面なんですがね。あの微笑みは、今は傷心のビリーに対して、諦めないでバレエに向き合っていればどんな形であれ幸せでいられるよ、と語りかけているようで。なんだか堪らなかったです。

 

書き始めたらキリがないです。

夢を追う子供達の成長が、物語と現実が見事にリンクする奇跡のミュージカルです。

もう1回、違うキャストで行くことにしちゃいました。

そしてそして今、かつて1回テレビで見ただけの映画版「リトルダンサー」を、Blu-rayを購入して再び見ているところ。

映画と舞台で双方で描き切れなかった部分を補完するように楽しんでします。特典映像が素晴らしくて、場面解説の他、ミュージカル化に向けてのドキュメンタリーや、ロンドン初演キャストの家族を含めたドキュメンタリーなど、今回の舞台ファンとしても非常に楽しめます。

 

というわけで、今の私はビリーエリオット月間が続いています。

 

 

 

先日、心から楽しみにしていたミュージカル「BILLIY ELLIOT」の日本版を見に行って、それはそれは幸せな時間でした。

 

そのことはまた別の機会に思いのたけを記録しますが、その前に。

 

舞台を見に行く前に元となっている映画、過去一度WOWOWの放送で見ただけの「リトルダンサー」を再び。そして関連作品としてマシュー・ボーンの「Matthew Bourne's Swan Lake」を見てみました。すると、初見ではまったく気づかなかった「リトルダンサー」には、主人公ビリーの育った家庭的背景とともに、『LGBT』という考えも物語の一部を構成している事が見えてきました。今回は、それに気づいてびっくりしたお話です。

 

 

先にこのミュージカルの舞台化の背景をざっと説明しますと…。

 

もとは2000年のイギリス映画「リトルダンサー」(原題“BILLIY ELLIOT”)で、様々な賞を受賞した作品。それをもとにエルトン・ジョンの呼びかけで映画版の脚本家が脚本作詞を担当し、音楽をエルトン・ジョンが手掛けてミュージカル化されたもの。イギリスでは2005年の初演から今に至るまでロングランを続けているそうです。主役の少年ビリー役は歌やバレエやタップやアクロバット等の技術に加え、肉体的にも12歳前後の変声期を迎えていないことが大きな要素となります。大人の役と違い身体の成長とともに演じられる期間も限られているビリー役卒業生はイギリス本国だけでも20名を超えて、ビリーさながらに現在トップダンサーとして活躍する人もいるという、なんとも夢と現実が交差する世界がそこにはあります。

 

 

作品のあらましは。

 

1980年代イギリス。サッチャー政権のもと、採算の取れなくなってきた炭鉱の閉鎖という政策とそれに反対する炭鉱労働者。職を失い疲弊していく街の人々。時代の変化による当時の社会問題が根底にあります。そして、階級社会であるイギリスの歴史的背景もまたその一つ。

そんな中、イギリス中心地ロンドンとは遠く遠く離れたイギリス北部、田舎の炭鉱町の少年が、家族や周囲の偏見や反対を受けながらも一途にバレエを志し、徐々に周囲の理解と応援を受けて夢を掴むというストーリー。

 

でありながら、単に心温まる話という訳ではないのが、イギリス映画ならではなのか。彼の地元の炭鉱はいずれ閉鎖され皆失業するであろうし、その点に光は見えないのです。

 

 

そして今回気づいた『LGBT』という観念に関して。

 

それに関する部分だけ抜き書きします。

親友のマイケルは自宅でこっそりとお姉ちゃんやお母さんの服を着たりお化粧をしたりするような子。それを知ったビリーは、「バレエをやっても自分はオカマじゃないからね。」と一瞬戸惑いながらも変わらず親友であり続けます。ロンドンのバレエ学校へと旅立つ時、寂しげに見送るマイケルの頬にビリーはそっとキスをして別れます。

 

数年後、主役のダンサーとなったビリーの舞台の招待席に座っているマイケル。化粧をし、隣の席には恋人の男性。その舞台でビリーが踊っているのが白鳥。

 

これねぇ。まったくバレエ作品やコンテンポラリーダンスの知識がないと映画のこのラストシーン、『ふ~~ん、めでたいな。良かったねニコニコニコニコ』で終わるんです。

 

ところがこれ。劇中で演じている作品がマシュー・ボーンの「Swan Lake」で、演じているのは主役のスワンであり、更に大人ビリーを演じているのが初演のスワンであるアダム・クーパーであると知って見ると、まったく違う景色が広がっているのです。

 

 

ここでマシュー・ボーンの「Swan Lake」について。

 

皆さんご存知のチャイコフスキーのバレエ作品「白鳥の湖」。それを大胆に新解釈して作った作品がこれ。男性の白鳥がV字のフォーメーションでポーズをとっている画を一度は皆さん何かで見たことがあると思います。

ひたすら日々の公務を真面目にこなすある国の皇太子。母の愛には恵まれず、好きになった女の子には裏切られ、自己否定で心を蝕まれ、ある日湖に身を投げて死のうとする。その時現れたのが逞しく力強いが美しい男性演じる白鳥。とても魅力的なその白鳥との交わりのなか、生きる希望を見出し自殺を思いとどまる。 といっても最終的にはその皇太子、心の病に打ち勝てず死んでしまう悲劇作品ではありますが。

 

この白鳥と皇太子が心を通わせて踊るシーンがとても美しく、また官能的でもあるのです。それがいろんな解釈を生むようで、自己否定をしながら生きてきた皇太子が自分の理想の存在として思い描き、人生に光を見出す瞬間を描いているようでもあり、また、男性同士の同性愛を物語っているようでもあり、と。

 

それを踏まえて映画「リトルダンサー」のラストシーンを見ると、別の一面が鮮やかに浮かび上がってくるわけです。マシュー・ボーンのスワンを演じることがゲイであるマイケルへの友情の贈り物なのだ、と。ただ微笑ましい思春期の男の子のその後じゃなかったのね…。

 

マイケルは、ミュージカル版では思春期の男の子の可愛らしさとして物語の華となっています。そして大人ビリーが登場してビリーと踊る夢の場面は、この舞台一番の美しい場面です。しかし映画版では、いろんな意味が内包されたシーンであることを知ったのは、このミュージカルを見に行く数日前のことでした。

アメリカやヨーロッパはゲイを公表している有名人(この舞台版の発起人でもあるエルトン・ジョンが代表的)も多く、理解も深い印象。バレエという題材を用いても、社会問題だとかLGBTだとか華やかさを感じさせないのは、これがイギリス映画だからなのかしら。

 

そんなことを考えていた、この数週間なのでした。