先日、心から楽しみにしていたミュージカル「BILLIY ELLIOT」の日本版を見に行って、それはそれは幸せな時間でした。

 

そのことはまた別の機会に思いのたけを記録しますが、その前に。

 

舞台を見に行く前に元となっている映画、過去一度WOWOWの放送で見ただけの「リトルダンサー」を再び。そして関連作品としてマシュー・ボーンの「Matthew Bourne's Swan Lake」を見てみました。すると、初見ではまったく気づかなかった「リトルダンサー」には、主人公ビリーの育った家庭的背景とともに、『LGBT』という考えも物語の一部を構成している事が見えてきました。今回は、それに気づいてびっくりしたお話です。

 

 

先にこのミュージカルの舞台化の背景をざっと説明しますと…。

 

もとは2000年のイギリス映画「リトルダンサー」(原題“BILLIY ELLIOT”)で、様々な賞を受賞した作品。それをもとにエルトン・ジョンの呼びかけで映画版の脚本家が脚本作詞を担当し、音楽をエルトン・ジョンが手掛けてミュージカル化されたもの。イギリスでは2005年の初演から今に至るまでロングランを続けているそうです。主役の少年ビリー役は歌やバレエやタップやアクロバット等の技術に加え、肉体的にも12歳前後の変声期を迎えていないことが大きな要素となります。大人の役と違い身体の成長とともに演じられる期間も限られているビリー役卒業生はイギリス本国だけでも20名を超えて、ビリーさながらに現在トップダンサーとして活躍する人もいるという、なんとも夢と現実が交差する世界がそこにはあります。

 

 

作品のあらましは。

 

1980年代イギリス。サッチャー政権のもと、採算の取れなくなってきた炭鉱の閉鎖という政策とそれに反対する炭鉱労働者。職を失い疲弊していく街の人々。時代の変化による当時の社会問題が根底にあります。そして、階級社会であるイギリスの歴史的背景もまたその一つ。

そんな中、イギリス中心地ロンドンとは遠く遠く離れたイギリス北部、田舎の炭鉱町の少年が、家族や周囲の偏見や反対を受けながらも一途にバレエを志し、徐々に周囲の理解と応援を受けて夢を掴むというストーリー。

 

でありながら、単に心温まる話という訳ではないのが、イギリス映画ならではなのか。彼の地元の炭鉱はいずれ閉鎖され皆失業するであろうし、その点に光は見えないのです。

 

 

そして今回気づいた『LGBT』という観念に関して。

 

それに関する部分だけ抜き書きします。

親友のマイケルは自宅でこっそりとお姉ちゃんやお母さんの服を着たりお化粧をしたりするような子。それを知ったビリーは、「バレエをやっても自分はオカマじゃないからね。」と一瞬戸惑いながらも変わらず親友であり続けます。ロンドンのバレエ学校へと旅立つ時、寂しげに見送るマイケルの頬にビリーはそっとキスをして別れます。

 

数年後、主役のダンサーとなったビリーの舞台の招待席に座っているマイケル。化粧をし、隣の席には恋人の男性。その舞台でビリーが踊っているのが白鳥。

 

これねぇ。まったくバレエ作品やコンテンポラリーダンスの知識がないと映画のこのラストシーン、『ふ~~ん、めでたいな。良かったねニコニコニコニコ』で終わるんです。

 

ところがこれ。劇中で演じている作品がマシュー・ボーンの「Swan Lake」で、演じているのは主役のスワンであり、更に大人ビリーを演じているのが初演のスワンであるアダム・クーパーであると知って見ると、まったく違う景色が広がっているのです。

 

 

ここでマシュー・ボーンの「Swan Lake」について。

 

皆さんご存知のチャイコフスキーのバレエ作品「白鳥の湖」。それを大胆に新解釈して作った作品がこれ。男性の白鳥がV字のフォーメーションでポーズをとっている画を一度は皆さん何かで見たことがあると思います。

ひたすら日々の公務を真面目にこなすある国の皇太子。母の愛には恵まれず、好きになった女の子には裏切られ、自己否定で心を蝕まれ、ある日湖に身を投げて死のうとする。その時現れたのが逞しく力強いが美しい男性演じる白鳥。とても魅力的なその白鳥との交わりのなか、生きる希望を見出し自殺を思いとどまる。 といっても最終的にはその皇太子、心の病に打ち勝てず死んでしまう悲劇作品ではありますが。

 

この白鳥と皇太子が心を通わせて踊るシーンがとても美しく、また官能的でもあるのです。それがいろんな解釈を生むようで、自己否定をしながら生きてきた皇太子が自分の理想の存在として思い描き、人生に光を見出す瞬間を描いているようでもあり、また、男性同士の同性愛を物語っているようでもあり、と。

 

それを踏まえて映画「リトルダンサー」のラストシーンを見ると、別の一面が鮮やかに浮かび上がってくるわけです。マシュー・ボーンのスワンを演じることがゲイであるマイケルへの友情の贈り物なのだ、と。ただ微笑ましい思春期の男の子のその後じゃなかったのね…。

 

マイケルは、ミュージカル版では思春期の男の子の可愛らしさとして物語の華となっています。そして大人ビリーが登場してビリーと踊る夢の場面は、この舞台一番の美しい場面です。しかし映画版では、いろんな意味が内包されたシーンであることを知ったのは、このミュージカルを見に行く数日前のことでした。

アメリカやヨーロッパはゲイを公表している有名人(この舞台版の発起人でもあるエルトン・ジョンが代表的)も多く、理解も深い印象。バレエという題材を用いても、社会問題だとかLGBTだとか華やかさを感じさせないのは、これがイギリス映画だからなのかしら。

 

そんなことを考えていた、この数週間なのでした。