中杉弘の人間の探求

中杉弘の人間の探求

思想・哲学・歴史・宗教の宝庫!読めば読むほど面白い!鋭い切り口で一刀両断。中杉ワールドへようこそ。

469 ※我々は、九界の中に生きているのです。、もっというと、九界の正体を明らかにしたところに仏界があるのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 15


 「名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと」(続き)

名字の位、及び言辞に於いて、楽説(ぎょうせつ)を極め尽くすことができません。

人間は、自分が諸法を歩んでいると思っているのです。それがある日突然にして、諸法即実相に変わるのです。全てわかってしまうのです。その変わり方は、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)と言うのです。

「ハッ、わかっぞ!」ということです。それが本当の悟りです。悟ったからといって、九界がなくなるわけではありません。我々は、九界の中に生きているのです。もっというと、九界の正体を明らかにしたところに仏界があるのです。

  「風の空中に於いて 一切障碍(しょうげ)無きが如くならん」

風の空中に於いて、一切のさまたげは無いようなものです。
  「如来の滅後に於いて 仏の所説の経の」
 如来の滅後に於いて、仏の所説の経の
  「因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん」
 因縁及び次第を知って、義に随って実の如く説くのです。
  「日月の光明の 能く諸の幽冥(ゆみょう)を除くが如く」
 太陽の光でもよく見えるのですが、月の光でも見えてくるようになるのです。

日月の光とは、仏の智慧を表しているのです。暗がりとは、凡夫のことを表しています。凡夫は、真っ暗闇の中で蠢いているのです。そこに月の光がちょっとでも差すと、「この世界は、このような世界だったのか」とわかってくるのです。

もちろん、太陽の日差しで照らされると、「今まで真っ暗闇の世界だと思ったら、このような世界だったのか、わかったぞ!」と思うのです。凡夫の我々が欲望を追い求めて蠢いているのは、暗闇の中で蠢いているようなものなのです。

「何のためにこのようなことをやっているのか、次に何が起きてくるのか、全くわかりません。仏様から見ると、「この次は、こうなるな」と、全てわかってしまうのです。

  「斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」
 斯(こ)の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し
  「無量の菩薩をして 畢竟(ひつきょう)して一乗に住せしめん」
 無量の菩薩が、結局、一乗の法に変わるのです。
  「是の故に智有らん者 此の功徳の利を聞いて」
 是の故に智有らん者は、此の功徳の利を聞いて
  「我が滅度の後に於いて 応に斯(こ)の経を受持すべし」
 我が滅度の後に於いて、応に斯(こ)の経を受持したのです。
  「是の人仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん」

是の人仏道に於いて、信心が決定しているので、疑いが有ることは無いのです。

私の言うことを信じて、法華経を最高の法と信じて、わからなければ勉強していくのです。「わかったぞ」と貴方が言うのは、信仰ではありません。仏様の説いている智慧は、量ることができないくらい大きいのです。凡夫が自分の頭で考えても理解はできません。だから、信仰していくのです。すると、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)になってしまうのです。

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと(続き)

風の空中に於いて 一切障碍(しょうげ)無きが如くならん

如来の滅後に於いて 仏の所説の経の

因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん

日月の光明の 能く諸の幽冥(ゆみょう)を除くが如く
斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し

無量の菩薩をして 畢竟(ひつきょう)して一乗に住せしめん

是の故に智有らん者 此の功徳の利を聞いて

我が滅度の後に於いて 応に斯(こ)の経を受持すべし

是の人仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん

 

※次回の講義は、『妙法蓮華経嘱累品第二十二』です。ご期待ください!

 

 

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468 ※我々が生まれるところは、仏国土です。何故、仏国土というのかというと、仏様がいらっしゃるからです。仏様がいらっしゃるところが仏国土です。法華経を固く信受している人は、無智悪国の国土には生まれません。戦争や、飢餓のあるところには生まれません。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 14


  「又我が今日 教化せる諸の菩薩を見るなり」
 又我が今日、教化している諸の菩薩を見るのです。菩薩には仲間がいるのです。
  「能く是の経を持たん者は 我及び分身」
 能く是の経を持たん者は、我及び分身
  「滅度の多宝仏をして 一切皆歓喜せしめ」
 滅度の多宝仏をして、一切皆歓喜せしめ

  「十方現在の仏 並びに過去未来」
 十方現在の仏、並びに過去、現在、未来
  「亦は見亦は供養し 亦は歓喜することを得せしめん」
  亦は見亦は供養し、仏は歓喜するのです。

それは、そうです。我々が生まれるところは、仏国土です。何故、仏国土というのかというと、仏様がいらっしゃるからです。仏様がいらっしゃるところが仏国土です。法華経を固く信受している人は、無智悪国の国土には生まれません。戦争や、飢餓のあるところには生まれません。

台風が来ても、仏国土になってしまうのです。台風が来ても、地震が来ても、そこに仏様がいらっしゃるのです。すると、仏様のいる国土は仏国土になってしまうのです。仏様が出現すると、大地が六種に振動するのです。ということは、仏様も地震を起こすのです。
  「諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法」
 諸仏道場に坐して、得たまえる所の秘密の法は、
  「能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし」
 能く是の経を持たん者は、久しからずして亦当に得べし

如来が隠している秘密の法が、その人のものになってしまうのです。
  「能く是の経を持たん者は 諸法の義」
 能く是の経を持たん者は、諸法の義
  「名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと」

名字及び言辞に於いて、楽説(ぎょうせつ)を極め尽くすことが無きこと

天台大師の「名字の位」とは、凡夫の位ということです。何故かというと、「すべての衆生は、仏である」と言っても名ばかりです。「貴方も仏になれますよ」と言われて、それを聞いた「私の位は何ですか?」と聞くと、「名字の位」というのです。

何故かというと、「仏になる」と言っても、まだなっていません。「貴方は仏になれますよ」と言うのですから、「貴方の仏教上の位は何ですか?」というと、それを「名字の位」というのです。

それから、仏道修行が進むと、菩薩界の位置まで登ってきます。菩薩界の位まで進んでも、まだ凡夫です。仏ではありません。名字の位のままで、菩薩界まで登っていくのです。「私はまだ凡夫かしら」と思っているのです。菩薩界と仏界の間は、ちくまで隔てられていて違いがあります。

それがダーンとひっくり返り、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)になるのです。「私はまだ名字の位だから、私の仏界なんて名ばかりでたいしたことはないわよ」と思っていても、ある瞬間において、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)で悟りを得るのです。「妙覚」が、「仏の位」です。

凡夫から一転して仏になってしまうのです。そのことを「九界即仏界」と言います。九界とは、菩薩界までです。九界は即仏界になってしまうのです。

九界即仏界は、今まで凡夫だと思っていた自分が、仏界を得てしまうのです。それを仏界即九界というのです。九界に生きていてよいのです。九界が我々の修行の道場です。怒ったり、お腹が空いてガツガツと食べたり、いろんなことをやっていますが、その正体がわかってくると、「これが私の修行の道場だ」と思えてくるのです。

九界に生きているということが、修行です。それは、妙法を保っている場合です。だんだんと花が咲いてきて、一転して九界即仏界です。九界と仏界は、同じです。

九界即仏界、生死即涅槃です。生死は九界までです。衆生は、アップ、アップして「苦しいよ」と言っているのです。それが即仏界に変わり、生死即仏界、煩悩即菩提です。煩悩は悩みです。悩みは九界までです。生きているということは、悩みだらけです。これがある日、突然にして菩提を得るのです。そのような原理です。(15に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

又我が今日 教化せる諸の菩薩を見るなり
能く是の経を持たん者は 我及び分身

滅度の多宝仏をして 一切皆歓喜せしめ

十方現在の仏 並びに過去未来

亦は見亦は供養し 亦は歓喜することを得せしめん

諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法
能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし

能く是の経を持たん者は 諸法の義
名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと

 

 

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p67a ※ずっと続くということから、「三世変わらざるを性となす」という言葉がでてくるのです。三世は変わりません。我々は、無量劫という長い間、生きているのです。生きたり、死んだりしているのです。生死は、変わりません。

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 13


  「仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以っての故に」
 仏の滅度の後に、能く是の経を持たんを以ての故に
  「諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう」
 諸仏皆歓喜して、無量の神力を現じたもう

皆が神力を現じているのです。これも、自分にしか見えないことです。他の人にも見えるわけではありません。全ての人々が折伏を行じている場合は、神通力を発揮しているのです。それを見て「あれが仏の力だな」と、見えるようになるのです。
  「是の経を嘱累(ぞくるい)せんが故に 受持の者を讃美(さんみ)すること」
 是の経を嘱累せんが故に、受持する者を讃美すること
  「無量劫の中に於いてすとも 猶故(なお)尽くすこと能わじ」
 無量劫の中に於いてすとも、猶故尽くすこと能わじ

ここでは、法華経を信じて行じる皆さま方の功徳が書かれています。無量劫という長い長い時間です。一生や二生ではありません。

一劫は、ヒンドゥー教では、43億2000万年と言われています。一つの宇宙が誕生して、消滅するまでの期間です。それが、無量×43億2000万年です。どうしようもならないくらい長い時です。この長い時間の中において、法華経を信じて行じていく人の功徳は、尽きることはありません。ずっと続くのです。

ずっと続くということから、「三世変わらざるを性となす」という言葉がでてくるのです。三世は変わりません。我々は、無量劫という長い間、生きているのです。生きたり、死んだりしているのです。生死は、変わりません。

無量劫の間、バカはバカ、利口は利口、キチガイはキチガイ、悪人は悪人です。悪人の過去を見ても悪人です。その前の過去を見ても悪人です。そのまた前の過去を見ても悪人です。だから、「三世は変わらない」と言われているのです。

反対に功徳を受ける人の、三世は変わりません。何故、貴方は今世で法華経を保つことができたのでしょうか? それは、過去にも法華経を保っていたからです。だから、今世で法華経を聞いて、法華経を信じることができたのです。それは、過去に因縁があったからです。

無量劫ですから、生命は続いているのです。過去も法華経を信じて、現在も法華経を信じて、未来もまた法華経を信じるのです。それで、仏様に出会うことができるのです。

 「是の人の功徳は 無辺にして窮(きわま)りあること無けん」

 是の人の功徳は、無辺にして窮(きわま)りあることがありません。

 無辺とは、時ではなくて広がりです。この人は、どこに行っても仏に守られて、仏法を信じて、仏様の教えを説いていくのです。「窮(きわま)りあること無けん」と言っているのですから、これ以上の功徳はありません。
  「十方虚空の 辺際(へんざい)を得べからざるが如し」
 十方虚空の、辺際(へんざい)を得べからざるが如し

「ここからここまでが、虚空ですよ」と言ったら、虚空ではありません。虚空というのは、どこまででも続いていくのです。

「虚空はここまでです。ここから外へ出たら虚空ではありません」、ということは言えません。虚空だから、どこまででも行ってしまうのです。

「ここまでしか功徳はありませんよ」と言ったら、虚空ではありません。どこまででも功徳は広がってしまうのです。時間的にもどこまででも功徳を受けてしまうのです。永遠ということです。どこまででも功徳が続く、無限大の虚空の中にいるのです。
  能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に我を見」
 能く是の経を持たん者は、則ち為れ已に仏様は私を見て
  「亦多宝仏 及び諸の分身者を見」

 亦多宝仏も、及び諸の仏の分身者を見るのです。

だから、また仏国土に生まれてしまうのです。法華経を保っている人にとって日本は、仏国土です。(14に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以っての故に
諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう

是の経を嘱累(ぞくるい)せんが故に 受持の者を讃美(さんみ)すること

無量劫の中に於いてすとも 猶故(なお)尽くすこと能わじ
十方虚空の 辺際(へんざい)を得べからざるが如し
能く是の経を持たん者は 則ち為れ已に我を見
亦多宝仏 及び諸の分身者を見

 

 

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033001_b ※石田 梅岩(いしだ ばいがん、貞享2年9月15日(1685年10月12日) - 延享元年9月24日(1744年10月29日))は江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。

 

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 12


 「所以は何。」
 
所以はどうしてでしょうか?
 「当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。」
 当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。

山河、荒野、僧坊のあるところ、あらゆるところは道場です。みんな道場ですから、貴方のいる周りは、全て道場です。貴方が仕事をしているのも、法華経の修行をしていることと同じことです。

これが石田梅岩の説です。坊さんが、お経を読むことだけが、修行ではありません。法華経を見てごらんなさい。貴方方の全ての仕事、朝起きて寝るまでの動作は、仏事をなしているのです。坊さんにならなくても、仏道修行はできるのです。これが石田梅岩の思想です。

「石田梅岩の説法が聞きたい」と言って、門前市を成して、番屋に大勢の人が集まったのです。
 「諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般(はつ)涅槃したもう。」
 諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般涅槃したもう。

全ての仕事は仏道修行です。皆がいる所とは、娑婆世界です。娑婆世界の全てが道場ですから、ここにおいて諸仏が涅槃するのです。「仏は娑婆世界にいつもいる」ということです。
 「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  「諸仏救世者(くせしゃ) 大神通に住して」
 諸仏、世の中を救う者、大神通に住して
  「衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう」
 衆生を悦ばしめんが為の故に、無量の神力を現じたもう
  「舌相梵天に至り 身より無数の光を放って」
 舌相梵天に至り、身より無数の光を放って
  「仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう」
 仏道を求むる者の為に、此の希有の事を現じたもう
  「諸仏謦欬(きょうがい)の声(みこえ) 及び弾指の声(みこえ)」
 諸仏の「謦欬(きょうがい)の声」とは、「折伏の声」ということです。折伏の声を聞くと、相手は衝撃を受けるのです。「お前、間違っているぞ」という「弾指の声」を衆生は聞くのです。
  「周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず」
 周く十方の国に聞えて、大地は皆六種に動ず

貴方が本当に折伏を現じていると、大地は六種に振動しているのです。

現実に大地が六種に振動しているわけではありません。仏眼をもって見ると、大地が振動しているのです。

仏眼をもって見ないとわかりません。それもだんだんと修行していくと、わかってくるのです。そのようなことを言っているのです。

僕が創価学会に入会した頃、小岩支部で体験したのです。ある信者が生活に困っていることを質問すると、副支部長が「貴方の悩みを解決するためには、折伏をしなさい」と言ったのです。

副支部長には真心があったのです。すると、副支部長の眉間から、光が出たのです。僕には、光が見えたのです。「これが眉間白毫の光だ」と思ったのです。それは、皆に見えたわけではありません。僕には見えたのです。僕には、「これが仏様の働きだ」と見えたのです。(13に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

所以は何ん、

当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。
諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
諸仏救世者 大神通に住して
衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう

舌相梵天に至り 身より無数の光を放って
仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう

諸仏謦・の声 及び弾指の声
周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず

 

 

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224 ※法華経を説く人は、功徳を積んでいるのです。如来の全ての神通力が自分に備わってしまうのです。

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 11


 「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示(せんじ)顕説(けんぜつ)す。」
 要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示(せんじ)顕説(けんぜつ)す。

これは、大事なところです。仏様は、「法華経の中にある神通力を皆さんに与えます」と言われているのです。仏様は神通力を与えてくれたのですが、法華経を読まなければ何の功徳もありません。一回読んだ人と、百回読んだ人の差は、歴然です。

仏様は、如来の全ての力をこの経で説いています。貴方は、その扉を開けようとして、一心に修行しなさい。すると、どんどんお宝がでてくるのです。

自分がわからなくてもよいのです。法華経を説くと力がでてくるのです。これを現実的に言うと「折伏」といいます。「貴方、法華経を信じなさい」と言って、「僕はいいですよ」と言われたら、「でも、信じたほうがいいですよ」と、折伏をしていくのです。

法華経を説く人は、功徳を積んでいるのです。如来の全ての神通力が自分に備わってしまうのです。

Y子のような罵詈雑言で正理会の幹部を陥れようとしていると、とんでもないことになるのです。提婆達多もお釈迦様を陥れようとして、「これが釈尊の犯した女だ。この女のお腹にいるのは、釈尊の子供だ!」と言ったのです。

信者が「お釈迦様は、そんなことをするのか?」と言うと、女が「私は釈迦に犯されたのよ」と、ウソを言ったのです。女の腹には布を巻いていたのです。提婆達多は、お釈迦様に対して九横の大難を仕掛けたのです。

その結果、提婆達多の立っていた大地が裂けて地獄へ堕ちてしまったのです。恐ろしいことです。僕は悪口を言われるようなことをやっていません。法華経を信じる人は、悪いことをしません。ウソはつかない、真面目に修行をするのです。その僕に向かって、ウソの悪口を言っていたら地獄へ逝ってしまいます。

ダーーーーンと地獄へ堕ちて、恐ろしいことになるのです。「私が悪かったです。ごめんなさい。助けてください、中杉先生」と言っても、その人は地獄へ堕ちていくのです。誰も止められません。

法華経を広めている人は、「私に逆らったら、そうなるのよ」と確信することです。確信して強く言うと、必ずそうなるのです。「貴方、そんなことを言っていいの?」と言ってあげればよいのです。
 「是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読、誦し、解説、書写し、説の如く修行すべし。」
 是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読誦し、解説、書写し、説の如く修行すべし。
 「所在の国土に、若しは受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すること有らん。」

所在の国土に、若しは受持、読誦、解説、書写し、説の如く修行すること有らん。

「若しは経巻所住の処、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣(びゃくえ)の舎(いえ)にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野(さんごくこうや)にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし。」
 若しは経巻所住の処、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。

仏様の塔を建てなさい。自分の家の中の仏壇でもよいのです。それは、自分の家に塔を建てたことになるのです。(12に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示(せんじ)顕説(けんぜつ)す。
是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読誦し、解説、書写し、説の如く修行すべし。

所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。

若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。

 

 

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467 ※十方世界ー四方(東西南北)・四隅(東南・東北・西南・西北)と上下。 全世界という意味。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 10


 「所散の諸物、十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。」

所散の諸物、十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。

雲が集まるが如くにして、宝が集ってくるのです。

「変じて宝帳(ほうちょう)と成って、徧(あまね)く此の間の諸仏の上に覆う。」
 変じて垂れ幕を垂らして美しく飾りつけた調度と成って、徧(あまね)く此の間の諸仏の上に覆う。
 「時に十方世界通達無碍(むげ)にして一仏土の如し。」
 時に十方世界通達無碍(むげ)にして一仏土の如し。

これは、本当です。皆さんが法華経を修行していくと、体も健康になり、お金にも困らず、運もよくなるのです。人生の中で、どこにもぶつかるところはありません。これを融通無碍といいます。そのために法華経の信仰をしているのです。人生の明かりを求めて、しかも永遠に続いていく明かりを求めていくのです。

自分の正体がわかるために、法華経の修行をしていくのです。そこに龍神様が来ないわけがありません。あらゆる諸仏が法華経を広める人を護り、尊敬してくれて、仏さまと同じように供養されるので、何も困らなくなるのです。

自分が法を広めていない間は、困難を感じるのです。法を広めても、「この人を立派にしよう」と思う場合は、困難に遭うのです。それは、苦行ではありません。

人生は、困難に遭う場合もあります。具体的には「人間関係がうまくいかない、思い通りにいかない、お金がない」という場合があります。法華経を信じて、そのようなことが起こるならば、その人が未熟だからです。

「お前はもっと修行しなさい」という意味で、仏様から苦しい立場を与えられるのです。それを乗り越えると、苦しみは永遠になくなるのです。人生は、その戦いの連続です。自分が成仏して仏になっていくのに、「お金がない」「生活保護を受けている」などと言ったら、苦難を脱していません。

法華経の信仰をすると必ず恵まれてくるのです。仏様の像は、金でできています。人間が造ったものですが、仏様はお宝様に恵まれてくるようになるのです。仏様は、金、銀、瑠璃、珊瑚などの宝石に囲まれているのです。法華経を広めている人も、恵まれてくるようになるのです。

何も困らなくなるのですが、「お前は法華経を信じているけれども、まだまだ未熟だ」という場合は、困難に遭うのです。「困難に遭う」ということは、やがて困難を乗り越えて、人生に勝利するために仏様が与えてくださる慈悲なのです。

ちょっと困難に遭ったからと言って、法華経を離してはいけません。よくなったから信仰を続けるのではありません。悪くなったから信仰を続けるのです。それは貴方が未熟だから、困難に遭うのです。「お前には、このような修行が必要だ」ということで、仏様から与えられた修行です。そう思えばよいのです。

よくなっても功徳であり、悪くなっても功徳です。法華経の行者が、悪くなるはずがありません。まだ、貴方の境涯が何も変わっていない場合は、信心が未熟だからです。「まだ人間性の悪い面がたくさんあるから、それを直すために修行しなさい」、という意味で困難な目に遭うこともあります。
 「爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、」
 爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、

上行菩薩は、偉いお坊様です。御本尊にも書かれています。上行菩薩菩薩が、代表するということです。
 「諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。」

諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。

諸仏の神通力は、どんなことでもできるのです。天も地も仏のものです。
 「若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累(ぞくるい)の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶(なお)尽くすこと能(あた)わじ。」
 若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累(ぞくるい)の為の故に、此の経の功徳を説いても、猶(なお)仏様の神通力は、尽くしきれません。(11に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

所散の諸物、十方より来ること、譬えば雲の集まるが如し。

変じて宝帳(ほうちょう)と成って、徧(あまね)く此の間の諸仏の上に覆う。

時に十方世界通達無碍(むげ)にして一仏土の如し。
爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、

諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。

若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累(ぞくるい)の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶(なお)尽くすこと能(あた)わじ。

 

 

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08 ※正理会に降臨された龍神様の前に鳥居が到着したのが、令和3年9月7日です。9月8日鳥居を龍神様の前に御安置いたしました。すると、不思議なことが起こったのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 9


 「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、」
 彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、

 「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。」
 南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。
 お釈迦様を誉め称たのです。「南無」というのは、「帰命する」という意味です。「南無釈迦牟尼仏」とは、「釈迦牟尼仏に帰命します」という意味です。

「全身を投げ打って、釈迦牟尼仏に帰命します」ということと同じことです。「南無阿弥陀仏」というのは、阿弥陀仏に帰命することになってしまうのです。それだと、地獄へ連れていかれてしまうのです。
 「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず。」
 種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散じたのです。

あらゆる宝をもって、「南無釈迦牟尼仏」と唱えて、音楽を奏でて、お香を焚いて、ドラを「ドンチャン」と鳴らして、諸々の身を飾るもの、珍しい宝を供養したのです。

これは、難しいところです。法然にしても、親鸞にしても、法華経がわからなかったのは、無理もありません。

最初に、「南無阿弥陀仏」と教わってしまうと、法華経はわかりません。法華経は、教菩薩法です。菩薩を救う法が、妙法蓮華経です。貴方がわからないのは、無理もありません。妙法蓮華経を頭で理解して、解釈しようと思っても無理なのです。頭で考えても、妙法蓮華経は、わかりません。

法然は、法華経がわからないから、阿弥陀経を見つけたのです。阿弥陀経には、よいことがたくさん書いてあります。菩薩になった善男善女は、法華経で救われます。その下の三悪道、四悪道に蠢いている人間は、法華経に縁がありません。なぜかというと、原罪を背負っているからです。悪人だから、三悪道、四悪道から出ることはできません。

法然は、自分で修行をしても三悪道を出ることはできません。だから、「阿弥陀仏に救いを求めればよいのだ。阿弥陀様は悪人を救うために、この世に現れて、悪人を救うのだ。法華経は、教菩薩法だから、菩薩を救う法です。お前たちは、無理、無理。お前たちは、阿弥陀経にすがりなさい」と言ったのです。

民衆は、「これならば、おらにも信じられる」と言ったのです。「法華経のような難しい教えはわからない。俺はやっぱり女が好きだ。肉も食いたい。そんな俺でも救われるのか?」と聞くと、念仏の坊さんは「肉を食べようが、悪いことをすればするほど、阿弥陀様は慈悲をもって、お前たちを極楽へ連れて逝ってくれるのだ」と言ったのです。

阿弥陀経の教えは簡単です。阿弥陀仏を信じれば、極楽へ逝くことができるのです。百姓は、学問がなくても、阿弥陀経はわかるのです。日本は、念仏王国です。

 

法華経とは、永遠の生命を求めためのものです。筋道を明らかにしているのが、妙法蓮華経という経典です。法華経を説く人には、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等などの怪物が集ってきます。怪物でも、仏法を求めているのです。

これらは、法華経を守護する諸天善神です。特に龍神様の力が一番強いのです。迦楼羅、緊那羅などは、孫悟空と沙悟浄のような妖怪です。龍神は天まで登るのです。天が一番大きくて、その次に龍がでてくるのです。雨を降らすのも、嵐を起こすのも、地震を起こすのも、龍神様の働きによります。

龍神様と心が通じ合っていると、自然界に不思議な現象が起きてくるのです。事実、コロナウイルスも減少したのです。

正理会に降臨された龍神様の前に鳥居が到着したのが、令和3年9月7日です。9月8日、鳥居を龍神様の前に御安置いたしました。すると、不思議なことが起こったのです。

■2021年8月26日

【国内感染】新型コロナ 2万4976人感染 52人死亡(26日20時)

※26日は、これまでに全国で2万4976人の感染が発表されています。

■2021年9月7日

全国の新規感染が2カ月ぶりの300人以下

東京は77人で、8月24日以来、2週間ぶりに100人を下回った。

■2021年9月8日

全国の新規感染513人

東京では新たに170人の感染が確認された。

2万5千人近く感染者がいたのですが、鳥居をご安置してからの、感染者は300人以下です。

龍は、鳥居がないと単なる動物です。龍を神様としてお祀りすると、法華経を修行する者を守る守護神になるのです。これは皆さんも覚えておいたほうがよいのです。それを知っていたから、琉球王家の宮殿の柱には、龍の彫刻があります。王様が座る玉座にも龍の彫刻があるのです。

中国の王様も衣服に龍神を描き、椅子にも龍を彫っています。天地を支配する龍神様により、法華経の行者は守られているのです。(10に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向って、是の如き言を作さく、

南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と。

種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず。

 

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50 ※法華経は、教菩薩法、仏所護念です。菩薩が学ぶ法ですから、レベルが高いのです。「もう一歩、先の教えがあるのではないか」と思っている人に説く教えです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 8

 

 「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声(こうしょう)に唱えて言わく、」(続き)

人間が知恵を使って堤防を造り、防波堤を造っても、自然界のほうが強いのです。人間が小手先で建てたものは、自然界の力で簡単に破壊することができるのです。それが、「大地が六種に振動する」ということです。

「お前のいるところは、仏国土ではないぞ」と仏様は言われているのです。地震が来て、大雨がきて、雷が「バリバリバリ」と落ちてくるのです。我々は、恐ろしい場所にいるのです。それが中心ですから、「天の龍神様、守り給え。南無妙法蓮華経」と祈るのです。

法華経が何かをしてくれるわけではありません。法華経の中にいる天、龍などが働いて、法華経を一心に修行している人を守るのです。「地震よ、なくなれ」と言うのではありません。地震はなくなりません。「私はいつも、地震に遭わないところにいます」と思えばよいのです。これでよいのです。

飛行機に乗ったら、「私は落ちない飛行機に乗っています」と思えばよいのです。飛行機は、落ちるものです。飛んでいるものは、落ちるのです。浮かんでいる船は、沈むのです。そのような覚悟が人間には必要です。
 「此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国有り、娑婆と名く。」
 此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国が有ります。娑婆と名く。

この地球は、娑婆世界です。
 「是の中に仏有(いま)す。」

娑婆世界の中にも仏が有(いま)す。

「釈迦牟尼と名けたてまつる。」
 それを釈迦牟尼と名けたてまつる。
 「今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたもう。」
 今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたもう。

これは、前回でも講義しました。仏所護念とは、「仏に護られる」という意味ではありません。仏は法を護るのです。「何の法を護るのか?」というと、「妙法蓮華経」という法を護るのです。

「妙法蓮華経とは、何ですか?」というと、教菩薩法です。菩薩を救う法です。それを心得て法華経を学ばないといけません。わけのわからない人が、法華経を説いてもわかりません。

一生懸命、「悟りを得たい」と思って仏道修行をして、菩薩道を行じて菩薩になってもまだわかりません。「もう一歩、わかりたい」という人に説く教えが、妙法蓮華経です。

西も東もわからない、仏教のぶの字もわからない、酔いどれ親父に説く教えではありません。そんなことをすれば、かえって地獄へ追いやってしまいます。

法華経は、教菩薩法、仏所護念です。菩薩が学ぶ法ですから、レベルが高いのです。「もう一歩、先の教えがあるのではないか」と思っている人に説く教えです。

「何を説くのか?」というと、教菩薩法です。菩薩を救うために説く法です。それを仏所護念といいます。仏が護っている、仏しか知らない法です。菩薩の上にある法を、求めて登ってくる人に対して、説くから教菩薩法、仏所護念と言うのです。
 「汝等(なんだち)当に、深心に随喜すべし、亦当に、釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。」
 汝等(なんだち)当に、心の深いところから喜びなさい。亦当に、釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。

それを説いてくださるお釈迦様は、本物の仏です。これは、菩薩にとっては、大喜びです。モヤモヤしていてよくわからないところで、「こうだよ」と仏様に教えられて、パッとわかるのです。

仏様に「それは、妙法蓮華経だよ」と言われて、「そうだったのですか」と、一発でわかるのです。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界にいる連中に教菩薩法という菩薩を救う法を説いても、全くわかりません。この連中は、ご飯を食べていく方法、一杯お酒を飲む方法を教えてあげればよいのです。そのようなことが、わからないのです。法華経には、そのように書いてあるのです。(9に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

即時に諸天、虚空の中に於いて、高声(こうしょう)に唱えて言わく、(続き)

此の無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて国有り、娑婆と名く。

是の中に仏有(いま)す。

釈迦牟尼と名けたてまつる。
今諸の菩薩摩訶薩の為に、大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたもう。
汝等(なんだち)当に、深心に随喜すべし、亦当に、釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。

 

 

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277 ※正理会にも龍神様が降臨されたのです。龍神の力は強いのです。天の次にくるのが龍神です。昔の人は、龍が走るから雨が降り、龍が暴れるから稲妻が光るのです。大地が龍によって振動すると考えていたのです。龍神が暴れて、神通力を起こすのです。

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 7

 

 「釈迦牟尼仏、及び宝樹下の諸仏、神力を現じたもう時、百千歳を満(みた)す。」
 
釈迦牟尼仏、及び宝樹下の諸仏神力を現じたもう時百千歳を満す。

「どのくらいの年齢か?」というと、百に千を掛けます。
 「然して後に還って舌相(ぜっそう)を摂(おさ)めて一時に謦欬(きょうがい)し倶共(とも)に弾指(だんし)したもう。」
 然して後に還って舌相を摂めて、一時に咳をして倶共に指をパチンと鳴らしたのです。
 「是の二つの音声、遍く十方の諸仏世界に至って、地皆六種に震動す。」
 是の二つの音声、遍く十方の諸仏世界に至って、地皆六種に震動す。
 釈尊の説法はすごいものです。「コホン」と咳をして、指を「パチン」と鳴らすと、地が六種に振動するのです。
 「其の中の衆生、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以っての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の、師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在(ましま)して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し圍繞(いにょう)したてまつるを見る。」
 其の中の衆生、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以っての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の、師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在(ましま)して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し、囲んでお釈迦様をたてまつるを見たのです。

今、龍神を求める人が非常に増えています。日本人は危機に陥ると、龍神様を求めるのです。日本列島も龍の形をしています。龍神信仰が盛んになってきたのです。

正理会にも龍神様が降臨されたのです。龍神の力は強いのです。天の次にくるのが龍神です。昔の人は、龍が走るから雨が降り、龍が暴れるから稲妻が光り、大地が龍によって振動すると考えていたのです。龍神が暴れて、神通力を起こすのです。
 「既に是れを見已(おわ)って、皆大に歓喜して未曾有なることを得(う)。」
 既に是れを見已(おわ)って、皆大に歓喜して未曾有なることを得るのです。
 「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声(こうしょう)に唱えて言わく、」
 即時に諸天、虚空の中に於いて、高声(こうしょう)に唱えて言わく、
 諸天が龍のように「ガラガラガラピッシャン」と降りてくるのです。これは、本当のことです。

天変地変と、大地が六種に振動するというのは、セットです。大地が六種に振動するのは地震です。天から大雨が降るのも自然の配慮です。これは、非常に大事なところです。

我々は自然の中に生きているのです。我々がいて自然があるのではありません。そうでしょう。我々のために大地があるわけではありません。大地というものは、常に動いているのです。雨が降り、風が吹くのが自然界の働きです。自然界の中に我々は生かされているのです。この認識は、非常に大事です。

ということは、地震が来たり、津波が来て死んでしまうことは、覚悟しなければいけません。人間は自然界の中に生まれさせていただいているのです。人間の都合のいいように、「自然界はこうなれ」というのは間違っているのです。

万が一、自然界の中で死んでも、それが当たり前です。ちょうど、地球の平和な時代に生まれてきているのですから、我々は幸福です。僕は、一回も大地震で被災したことはありませんが、地震に遭う人は何回も遭うのです。

S君は、新潟地震の時にビルがグネッと曲がって自分の上に落ちてきそうになったのです。「もうこれで最期だ」と思って、地面に寝たのです。するとビルは反対の方向へ大きく曲がったのです。それで命拾いをしたのです。

その後は、神戸に行って、阪神淡路大震災を経験したのです。S君が行くところ、行くところで、災害に遭うのです。S君は、災難続きです。谷川岳を登ると落ちてしまい、背骨を折ったのです。

僕は災害には全く遭いません。法華経を信じて行じている人と、信じていない人の違いがあるのです。災害に遭う人にとって、国土は地獄です。

我々は自然界の中に生まれたのです。死ぬときがきたら、死ねばよいのです。そう慌てることはありません。また、生まれてくるのですから、そのような覚悟を人間は持たなければいけません。(8に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

釈迦牟尼仏、及び宝樹下の諸仏、神力を現じたもう時、百千歳を満(みた)す。

然して後に還って舌相(ぜっそう)を摂(おさ)めて一時に謦欬(きょうがい)し倶共(とも)に弾指(だんし)したもう。

是の二つの音声、遍く十方の諸仏世界に至って、地皆六種に震動す。

其の中の衆生、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以っての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の、師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在(ましま)して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し圍繞(いにょう)したてまつるを見る。
既に是れを見已(おわ)って、皆大に歓喜して未曾有なることを得(う)。
即時に諸天、虚空の中に於いて、高声(こうしょう)に唱えて言わく、

 

 

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461 ※得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 6

 

「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」(続き)

弟子が「お釈迦様、宇宙はどうなっているのでしょうか?」と質問すると、お釈迦様は「宇宙も同じだよ。宇宙は、成住壊空です」と教えられたのです。

空から生まれた人間は、生老病死という人生があり、最期はまた空に帰るのです。この場合は、空を無と言ってもよいのです。それが最初にできた仏教の法則です。

最初の仏様は、「わが身は地水火風空だ」と悟ったのです。お釈迦様は「妙法蓮華経」を説き、その後に出てきた竜樹が「空(くう)」を説き、天台大師が「中(ちゅう)」を説いたのです。仏様は、「妙法」の正体を明らかにしようとして、努力してきたのです。

仏教には、経、論、釈があります。経とは、お釈迦様が説かれた経典です。経典をわかりやすく論じたのが論師です。天台大師は、論師です。論でも、まだまだ難しいからやさしく説いた人を釈師といいます。

まず、仏教の教典を見た時に、「これはお釈迦様が説いた経典なのか、或いは論師が説いたものなのか、或いは釈師が説いたものか?」ということを見極めていかなければいけません。

「お坊さんが経典を説法しているのは、論です。それが難しいから、もっとやさしく説いた教えが釈です。それを釈師といいます。

まず、仏教を勉強しようとする者は、「経なのか、論なのか、釈なのか」と言うことを知らなければいけません。それを知らないと、「仏教とは何を説いたものか?」ということが、全くわかりません。

そのように言うと、お釈迦様が説かれた生老病死の教えは、どんどん進化をしているのです。生老病死は、どんどん変化をしていくのですが、仮空中の三諦につながっていくのです。

私は私、貴方は貴方の命が伝わっているのです。その奥にあるものは空です。それをどんどん理解していくと、「自分の存在は、空なのだ」と理解して、般若心経を説いているのです。

般若心経は、「色即是空 空即是色」です。般若心経は、空を説いた教えです。すると、「生老病死が伝わっている、実体はあるのか?」という論争になってくるのです。その実体は空です。貴方は「自分がある」と思っているけれども、私と思っているものは、全て空です。

あと100年経つと、今生きている人は、誰もいなくなってしまうのです。それは、空だからです。今、感じてやっていることは、何かというと空です。私も貴方も実体ではありません。100年経ったら、何もかもなくなってしまうのです。

生命とは、そういうものです。「何かあるのではないか?」と思って、それぞれの論を立てていくのです。我々は、永遠の生命を得たいのです。「生老病死で最期は自分がなくなってしまうのは嫌だ。私は、永遠の生命を得たい」と思うのです。

永遠の生命を理解するためには、妙法を学ばなければわかりません。「妙法とは、何でしょうか?」と聞いて、「妙法とは、こうだよ」と教わるのです。妙と法は、同じものです。最初は生老病死と説いて、それが空になり、天台大師の一念三千論の中がわかり、妙法蓮華経に戻り、それを追求した法が南無妙法蓮華経です。(7に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。(続き)

空から生まれた人間は、生老病死という人生があり、最期はまた空に帰るのです。この場合は、空を無と言ってもよいのです。それが最初にできた仏教の法則です。

 

 

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