中杉弘の人間の探求

中杉弘の人間の探求

思想・哲学・歴史・宗教の宝庫!読めば読むほど面白い!鋭い切り口で一刀両断。中杉ワールドへようこそ。

『人類の宝 法華経を語る』無量義経三品収録+全11巻が完成しました!
全巻揃えると、法華経の世界観に変わり、大功徳を受けて、末代まで子孫が守られます。

人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経五品収録 第十一巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価8,000円(税別)
image777
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経五品収録 第十巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価8,000円(税別)
image1
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経三品収録 第九巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価8,000円(税別)
image771

















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経三品収録 第八巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
61NUAdVkY6L._SY522_


















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経三品収録 第七巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価8,000円(税別)
image1
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経三品収録 第六巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
image11
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経化城喩品第七 第五巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
image03
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経三品収録 第四巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
image02















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経譬喩品第三 第三巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
image3
















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経方便品第二 第二巻
法華経以外に仏教はありません!
※全巻揃えると、末代までの家宝となります。

キンドル版・単行本 定価10,000円(税別)
image2















人類の宝 法華経を語る 妙法蓮華経序品第一 第一巻
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価5,000円(税別)
image11
















人類の宝 法華経を語る 無量義経三品収録
法華経以外に仏教はありません!
キンドル版・単行本 定価5,000円(税別)
image101
※いよいよ、法華経講義が始まります!
無量義経は、前座のようなものです。
これから、有難い法華経講義が始まります。
「始まり~始まり~」という合図です。
2500年前のお釈迦様の悟りを、全巻講義した貴重品です。
全巻揃えると、末代までの家宝となります。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 9

511
※皋諦(こうたい)は、十羅刹女の中の一人です。天上界と人間界を自由に往来する鬼神で、手に持っているのは焼香です。 本地仏は文殊菩薩です。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 9

 「此の法師を犯さん者は 当に是(かく)の如き殃(つみ)を獲(う)べし」
  此の法師を犯さん者は、当に是の如き災いを獲べし
 「諸の羅刹女、此の偈を説き已って、仏に白して言さく、」
 諸の羅刹女は、此の偈を説き已って、仏に白して言さく、
 「世尊、我等亦当に、身(み)自(みずか)ら是の経を受持し、読誦し、修行せん者を擁護して安穏なることを得、諸の衰患(すいげん)を離れ、衆の毒薬を消せしむべし。」
 世尊、我等亦当に身自ら是の経を受持し、読誦し、修行せん者を擁護して、安穏なることを得、諸の衰えてわずわうことを離れ、衆の毒薬を消すのです。
 「仏、諸の羅刹女に告げたまわく、」
 仏、諸の羅刹女に告げたまわく、
 「善い哉善い哉、汝等(なんだち)但(ただ)能(よ)く、法華の名(みな)を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。」
 善い哉善い哉、汝等但能く、法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。
貴方方の中に法華経を説く人がいるならば、その人を守ってあげるだけでも、信じることのできない大福運を得るのです。
 「何に況んや具足して受持し、経巻に、華香、瓔珞、抹香(まっこう)、塗香、焼香、幡蓋、妓楽を供養し、種々の燈(ともしび)、蘇燈(そとう)、油燈(ゆとう)、諸の香油燈(こうゆとう)、蘇摩那華油燈(そまなけゆとう)、瞻蔔華油燈(せんぼくけゆとう)、婆師迦華油燈(ばしかけゆとう)、優鉢羅華油燈(うばつらけゆとう)を燃(とも)し、是の如き等(とう)の百千種をもって供養せん者を擁護せんをや。」
 何に況んや、鎧を着て、法華経を受持して、経巻に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、幡蓋、妓楽を供養し、種々の燈、蘇燈、油燈、諸の香油燈、蘇摩那華油燈、瞻蔔華油燈、婆師迦華油燈、優鉢羅華油燈を燃し、是の如き等の百千種をもって供養せん者を擁護するのです。
法華経を受持して、油を供えて、お香を焚いて、「安爾(あに)曼爾(まに)・・・」と呪文を唱えるのです。その功徳は、量り知れません。
 「皋諦(こうたい)、汝等(なんだち)及び眷属、応当(まさ)に是の如き法師を擁護すべし。」
 皋諦は、汝等及び眷属応当に是の如き法師を擁護するのです。
皋諦(こうたい)は、十羅刹女の中の一人です。天上界と人間界を自由に往来する鬼神で、手に持っているのは焼香です。 本地仏は文殊菩薩です。
 「此の陀羅尼品を説きたもう時、六万八千人、無生法忍を得たり。」
此の陀羅尼品を説きたもう時、六万八千人は無生法忍を得るのです。
この時に供養した人は、一切のものは不生不滅であることを悟り、無生法忍を得て、陀羅尼品を説いたときには、幸せになることができたのです。


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
此の法師を犯さん者は 当に是(かく)の如き殃(つみ)を獲(う)べし
諸の羅刹女、此の偈を説き已って、仏に白して言さく、
世尊、我等亦当に、身(み)自(みずか)ら是の経を受持し、読誦し、修行せん者を擁護して安穏なることを得、諸の衰患(すいげん)を離れ、衆の毒薬を消せしむべし。
仏、諸の羅刹女に告げたまわく、
善い哉善い哉、汝等(なんだち)但(ただ)能(よ)く、法華の名(みな)を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。
何に況んや具足して受持し、経巻に、華香、瓔珞、抹香(まっこう)、塗香、焼香、幡蓋、妓楽を供養し、種々の燈(ともしび)、蘇燈(そとう)、油燈(ゆとう)、諸の香油燈(こうゆとう)、蘇摩那華油燈(そまなけゆとう)、瞻蔔華油燈(せんぼくけゆとう)、婆師迦華油燈(ばしかけゆとう)、優鉢羅華油燈(うばつらけゆとう)を燃(とも)し、是の如き等(とう)の百千種をもって供養せん者を擁護せんをや。
皋諦(こうたい)、汝等(なんだち)及び眷属、応当(まさ)に是の如き法師を擁護すべし。」
此の陀羅尼品を説きたもう時、六万八千人、無生法忍を得たり。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 8

510
※阿梨樹とは、インド等の熱帯産の植物です。この枝が地に堕ちる時は、必ず七つに裂けるといわれており、ここから「頭が七つに割れる」と、譬えられています。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 8

 「寧(むし)ろ我が頭の上(うえ)に上(のぼ)るとも、法師を悩すこと莫(なか)れ。」
 寧(むし)ろ我が頭の上(うえ)に上(のぼ)るとも、法師を悩すことはありません。
 「若しは夜叉、若しは羅刹、若しは餓鬼、若しは富単那(ふたんな)、若しは吉蔗(きつしゃ)、若しは眦陀羅(びだら)、若しは犍駄(けんだ)、若しは烏摩勒伽(うまろきゃ)、若しは阿跋摩羅(あばつまら)、若しは夜叉吉蔗(やしゃきつしゃ)、若しは人吉蔗(にんきつしゃ)、若しは熱病(ねつびょう)せしむること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、乃至七日、若しは常に熱病せしめん。」
若しは夜叉、若しは羅刹、若しは餓鬼、若しは富単那(ふたんな)、若しは吉蔗(きつしゃ)、若しは眦陀羅(びだら)、若しは犍駄(けんだ)、若しは烏摩勒伽(うまろきゃ)、若しは阿跋摩羅(あばつまら)、若しは夜叉吉蔗(やしゃきつしゃ)、若しは人吉蔗(にんきつしゃ)などの妖怪がでてきて、若しは熱病(ねつびょう)になり、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、乃至七日、若しは常に熱病になってしまうのです。
 「若しは男形(なんぎょう)、若しは女形(にょぎょう)、若しは童男形(どうなんぎょう)、若しは童女形(どうにょぎょう)、乃至夢中(むちゅう)にも亦復悩すこと莫れ。」
若しは男形、若しは女形、若しは童男形、若しは童女形、乃至夢の中にも亦復悩すことはありません。
 傍に出てくる童男、童女は妖怪です。その妖怪が夢の中にも出てきても、法師を害することはできません害する。
 「即ち仏前に於いて、偈を説いて言さく、」
  即ち仏前に於いて偈を説いて言さく、
  「若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば」
  若し私が呪文を唱えているのに、説法者を悩乱するならば、
  「頭破(こうべわ)れて七分に作(な)ること 阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん」
  頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くになるのです。
 阿梨樹とは、インド等の熱帯産の植物です。この枝が地に堕ちる時は、必ず七つに裂けるといわれており、ここから「頭が七つに割れる」と、譬えられています。
これが、頭破作七分(ずはさしちぶん)の原型です。法華経の行者を害する者は、悩乱して頭が七つに割れて狂ってしまうのです。
  「父母を殺しぬる罪の如く 亦油を圧(お)す殃(つみ)」
  父母を殺した罪の如く、亦油を圧縮して鼓に流すと壊れてしまいます。
  「斗秤(としょう)もって人を欺誑(ごおう)し 調達が破僧罪(はそうざい)の如く」
  量りをもって人をたぶらかし、調達が破僧罪の如くです。
破僧罪(はそうざい)とは、五逆罪の一つです。仏教に於けるサンガを破り、別の教団を作る罪のことです。
Y子がやっていることがこれです。「中杉は世界一の大ウソつきだ」と言っているのです。何故、そのようなことを言うのでしょうか。僕はウソなどついたことはありません。Y子は、ウソをついて、僕を貶めているのです。それは、五逆罪の罪の一つで、大変重い罪になるのです。
仏様は、「破僧罪(はそうざい)は、頭破作七分(ずはさしちぶん)になる」と言われているのです。頭破作七分(ずはさしちぶん)とは、頭が七つに割れてしまうことです。
それが大石寺の御本尊には、「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」、と書かれています。供養する者は、福過十号の功徳を受けて、謗ずる者は頭破作七分(ずはさしちぶん)になってしまうのです。
法華経で言われていることは、全て真実です。「日蓮を殺せ!」と言って、軍勢で押しかけてきた、東条景信は、落馬して死んだのです。それは、仏罰です。
昔の馬は小さかったのですが、落馬すると、死にいたるのです。法華経の行者を貶めることをやっていると、大変なことになるのです。お釈迦様の悪口をさんざん言った提婆達多は、生きながら地獄の穴に落ちたのです。悪人のパターンは、だいたい決まっているのです。
お釈迦様が説法をしようとするときに提婆達多は、「この女の腹を見ろ。この女のお腹の中には、釈尊の子供がいるのだ!」と、ウソを言ったのです。すると、お釈迦様の説法を聞いていた人が疑いを持ってしまいます。提婆達多は、地面が割れて吸い込まれて、地獄へ逝ってしまったのです。法華経の行者を誹謗する罪は、恐ろしいのです。法華経の信者は、黙って見ていればよいのです。(9に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
寧(むし)ろ我が頭の上(うえ)に上(のぼ)るとも、法師を悩すこと莫(なか)れ。
若しは夜叉、若しは羅刹、若しは餓鬼、若しは富単那(ふたんな)、若しは吉蔗(きつしゃ)、若しは眦陀羅(びだら)、若しは犍駄(けんだ)、若しは烏摩勒伽(うまろきゃ)、若しは阿跋摩羅(あばつまら)、若しは夜叉吉蔗(やしゃきつしゃ)、若しは人吉蔗(にんきつしゃ)、若しは熱病(ねつびょう)せしむること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、乃至七日、若しは常に熱病せしめん。
若しは男形(なんぎょう)、若しは女形(にょぎょう)、若しは童男形(どうなんぎょう)、若しは童女形(どうにょぎょう)、乃至夢中(むちゅう)にも亦復悩すこと莫れ。
即ち仏前に於いて、偈を説いて言さく、
若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば
頭破(こうべわ)れて七分に作(な)ること 阿梨樹(ありじゅ)の枝の如くならん
父母を殺しぬる罪の如く 亦油を圧(お)す殃(つみ)
斗秤(としょう)もって人を欺誑(ごおう)し 調達が破僧罪(はそうざい)の如く

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 7

509
※鬼子母神と十羅刹女

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 7

 「即ち呪を説いて曰さく、」
 即ち呪を説いて曰さく、
 「阿伽禰(あきゃね)、伽禰(きゃね)、瞿利(くり)、乾陀利(けんだり)、旃陀利(せんだり)、摩蹬耆(まとうぎ)、常求利(じょうぐり)、浮楼莎柅(ふろしゃに)、頞底(あつち)」
阿伽禰(あきゃね)、伽禰(きゃね)、瞿利(くり)、乾陀利(けんだり)、旃陀利(せんだり)、摩蹬耆(まとうぎ)、常求利(じょうぐり)、浮楼莎柅(ふろしゃに)、頞底(あつち)
「世尊、是の陀羅尼神呪は、四十二億の諸仏の所説なり。」
世尊、是の陀羅尼神呪は、四十二億の諸仏の所説です。
「若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ是の諸仏を侵毀(しんき)し已(おわ)れるなり。」
若し此の法師を害すること有らん者は、則ち為れ是の諸仏を害することになるのです。
 「爾の時に羅刹女等あり、一を藍婆(らんば)と名づけ、二を眦藍婆(びらんば)と名づけ、三を曲歯(こくし)と名づけ、四(し)を華歯(けし)と名づけ、五を黒歯(こくし)と名づけ、六を多髪(たほつ)と名づけ、七(しち)を無厭足(むえんぞく)と名づけ、八を持瓔珞(じようらく)と名づけ、九(く)を皋諦(こうたい)と名づけ、十を奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)と名づく。」
 爾の時に羅刹女等あり、一を藍婆(らんば)と名づけ、二を眦藍婆(びらんば)と名づけ、三を曲歯(こくし)と名づけ、四(し)を華歯(けし)と名づけ、五を黒歯(こくし)と名づけ、六を多髪(たほつ)と名づけ、七(しち)を無厭足(むえんぞく)と名づけ、八を持瓔珞(じようらく)と名づけ、九(く)を皋諦(こうたい)と名づけ、十を奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)と名づく。
 「是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子、及び眷属と倶に仏所に詣(もう)でて、同声に仏に白して言さく、」
 是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子及び眷属と倶に仏所に詣で、同声に仏に白して言さく、
十羅刹女(じゅうらせつにょ)は、仏教の天部における、十人の女性の鬼神です。鬼子母神と共に法華経を守護する諸天善神です。
 「世尊、我等亦、法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患(すいげん)を除(のぞ)かんと欲す。」
 世尊、我等亦法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰えてわずらうことを除きます。
 「若し、法師の短(たん)を伺い求むる者有りとも、便を得ざらせめん。」
 若し法師の短を伺い求むる者ありとも、悪鬼からの便を届かなくさせます。
 「即ち仏前に於いて、呪(しゅ)を説いて曰さく、」
 即ち仏前に於いて呪を説いて曰さく、
 「伊提履(いでび)、伊提泯(いでびん)、伊提履(いでび)、阿提履(あでび)、伊提履(いでび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、兜醯(とけ)、兜醯(とけ)。」
 伊提履(いでび)、伊提泯(いでびん)、伊提履(いでび)、阿提履(あでび)、伊提履(いでび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、兜醯(とけ)、兜醯(とけ)。
 呪文には意味はありません。法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰えてわずらうことを十羅刹女が取り除いてくれるのです。(8に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
即ち呪を説いて曰さく、
阿伽禰(あきゃね)、伽禰(きゃね)、瞿利(くり)、乾陀利(けんだり)、旃陀利(せんだり)、摩蹬耆(まとうぎ)、常求利(じょうぐり)、浮楼莎柅(ふろしゃに)、頞底(あつち)
世尊、是の陀羅尼神呪は、四十二億の諸仏の所説なり。
若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ是の諸仏を侵毀(しんき)し已(おわ)れるなり。
爾の時に羅刹女等あり、一を藍婆(らんば)と名づけ、二を眦藍婆(びらんば)と名づけ、三を曲歯(こくし)と名づけ、四(し)を華歯(けし)と名づけ、五を黒歯(こくし)と名づけ、六を多髪(たほつ)と名づけ、七(しち)を無厭足(むえんぞく)と名づけ、八を持瓔珞(じようらく)と名づけ、九(く)を皋諦(こうたい)と名づけ、十を奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)と名づく。
是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子、及び眷属と倶に仏所に詣(もう)でて、同声に仏に白して言さく、
世尊、我等亦、法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患(すいげん)を除(のぞ)かんと欲す。
若し、法師の短(たん)を伺い求むる者有りとも、便を得ざらせめん。
即ち仏前に於いて、呪(しゅ)を説いて曰さく、
伊提履(いでび)、伊提泯(いでびん)、伊提履(いでび)、阿提履(あでび)、伊提履(いでび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、泥履(でび)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、楼醯(ろけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、多醯(たけ)、兜醯(とけ)、兜醯(とけ)。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 6

77
※日蓮大聖人様は、陀羅尼をこのように解釈されています。天台大師の本地は、薬王菩薩です。だから、法華経がわかるのです。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 6

 「世尊、我亦陀羅尼神呪を以って、法華経を持たん者を擁護せん。」(続き)
 世尊、我亦陀羅尼神呪を以って、法華経を持たん者を擁護します。
『御義口伝』には、陀羅尼品六個の大事があります。
『御義口伝』
妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六
陀羅尼品六箇の大事
第一 陀羅尼の事
御義口伝に云く陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり、其の故は陀羅尼は・諸仏の密語なり題目の五字・三世の諸仏の秘密の密語なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは陀羅尼を弘通するなり捨悪持善の故なり云云。

第二 安爾曼爾(あにまね)の事
御義口伝に云く安爾(あに)とは止なり・曼爾(まに)とは観なり、此の安爾・曼爾より止観の二法を釈し出せり、仍つて此の咒(しゅ)は薬王菩薩の咒なり薬王菩薩は天台の本地なり、安爾は我等が心法なり妙なり曼爾は我等が色法なり法なり 色心妙法と呪する時は即身成仏なり云云。

第三 鬼子母神の事
御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母(かりていも)なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門(げんめつもん)の時は善鬼なり、仍(よ)つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神(けかつじん)・貪欲神(どんよくじん)・障碍神(しょうげじん)なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云。

第四 受時法華名者福不可量の事
御義口伝に云く法華の名と云うは題目なり、者と云うは日本国の一切衆生の中には法華経の行者なり、又云く者の字は男女の中には別して女人を讃めたり女人を指して者と云うなり、十羅刹女は別して女人を本とせり例せば竜女が度脱苦衆生とて女人を苦の衆生と云うが如し薬王品の是経典者の者と同じ事なり云云。

第五 皐諦女(こうたいにょ)の事
御義口伝に云く皐諦女(こうたいにょ)は本地は文殊菩薩なり、山海何かなる処にても法華経の行者を守護す可しと云う経文なり、九悪一善とて皐諦女をば一善と定めたり、十悪の煩悩の時は偸盗に皐諦女は当れり逆次に次第するなり云云。

第六 五番神呪の事
御義口伝に云く五番神呪とは我等が一身なり、妙とは十羅刹女なり法とは持国天王なり蓮とは増長天王なり 華とは広目天王なり経とは毘沙門天王なり、此の妙法の五字は五番神呪なり、五番神呪は我等が一身なり、十羅刹女の呪は妙の一字を十九句に並べたり経文には寧上我頭上(むしろ我が頭の上に上るとも)の文是れなり、持国天は法の一字を九句に並べたり経文には四十二億と云えり、四とは生老病死・十とは十界・二とは迷悟なり、持国は依報の名なり法は十界なり、増長天は蓮の一字を十三句に並べたり経文には「亦皆随喜」と云えり随喜の言は仏界に約せり、広目天は華の一字を四十三句に並べたり経文には「於諸衆生多所饒益(諸の衆生において、饒益するところ多し)」と云えり、毘沙門天は経の一字を六句に並べたり経文には「持是経者(この経を持たん者)」等の文是なり云云。


日蓮大聖人様は、陀羅尼をこのように解釈されています。天台大師の本地は、薬王菩薩です。だから、法華経がわかるのです。(7に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
世尊、我亦陀羅尼神呪を以って、法華経を持たん者を擁護せん。(続き)

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 5

507
※陀羅尼を唱える法師に危害を加えることはできません。仏に守られるのです。反対に法師を害する者は自分に危害を加えることになるのです。陀羅尼は、効果があります。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 5

 「即ち仏前に於いて、呪(じゅ)を説いて曰さく、」
 即ち仏前に於いて呪を説いて曰さく、
陀羅尼は有難いのですから、私は仏様に向かっても陀羅尼を唱えます。
 「痤隷(ざれ)、摩訶痤隷(まかざれ)、郁枳(うつき)、目枳(もつき)、阿隷(あれ)、阿羅婆第(あらはて)、涅隷第(ぬれて)、涅隷多婆第(ねれたはて)、伊緻柅(いちに)、韋緻柅(いちに)、旨緻柅(しちに)、涅隷墀柅(ねれちに)、)。涅梨犁婆底(ねりちはち)。」
 痤隷(ざれ)、摩訶痤隷(まかざれ)、郁枳(うつき)、目枳(もつき)、阿隷(あれ)、阿羅婆第(あらはて)、涅隷第(ぬれて)、涅隷多婆第(ねれたはて)、伊緻柅(いちに)、韋緻柅(いちに)、旨緻柅(しちに)、涅隷墀柅(ねれちに)、)。涅梨犁婆底(ねりちはち)。
 「世尊、是の陀羅尼神呪は、恒河沙等の諸仏の所説なり。亦皆随喜したもう。」
 世尊、是の陀羅尼神呪は、恒河沙等の諸仏の所説です。亦皆、「有難い」と随喜したのです。
 「若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ、是の諸仏を侵毀(しんき)し已(おわ)れるなり。」
 若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ、是の諸仏を侵毀(しんき)し已(おわ)れるなり。
陀羅尼を唱える法師に危害を加えることはできません。仏に守られるのです。反対に法師を害する者は自分に危害を加えることになるのです。陀羅尼は、効果があります。
 「爾の時に毘沙門天王御護者、仏に白して言さく、」
 爾の時に毘沙門天王御護者、仏に白して言さく、
 「世尊、我亦衆生を愍念(みんねん)し、此の法師を擁護せんが為の故に是の陀羅尼を説かん。」
 世尊、我亦衆生を愍念(みんねん)し、此の法師を擁護せんが為の故に是の陀羅尼を説かん。
お釈迦様と衆生をあいみんするが故に、この法師を擁護するために陀羅尼を説いたのです。この法師には、何も力はありません。「南無釈迦牟尼仏」と唱えて拝むことは、よいことですが、それではつまらないでしょう。
貴方が力を得る方法を教えてあげましょう。それは、陀羅尼を唱えることです。そのように言って陀羅尼を教えてあげたのです。すると、複雑になってくるのです。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、安爾(あに)、曼爾(まに)、・・・」ということをやってよいのです。音楽みたいなものです。
 「即ち呪(しゅ)を説いて曰さく、」
 即ち呪(しゅ)を説いて曰さく、
 「阿梨(あり)、那梨(なり)、□那梨(となり)、阿那盧(あなろ)、那履(なび)、拘那履(くなび)」
 阿梨(あり)、那梨(なり)、□那梨(となり)、阿那盧(あなろ)、那履(なび)、拘那履(くなび)
 「世尊、是の神呪(じんしゅ)を以って法師を擁護せん。」
 世尊、是の神呪(じんしゅ)を以って法師を擁護せん。
 「我亦自ら当に、是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患(すいげん)無からしむべし。」
 我亦自ら当に、是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患(すいげん)無からしむべし。
 「爾の時に持国天王、此の会中に在(あ)って、千万億那由他の乾闥婆衆の恭敬し圍遶せると、前(すす)んで仏所に詣(もう)でて合掌し、仏に白して言さく、」
 爾の時に持国天王、此の会中に在って、千万億那由他の乾闥婆衆の恭敬し圍遶せると、前んで仏所に詣で、合掌し仏に白して言さく、
 「世尊、我亦陀羅尼神呪(じんしゅ)を以って、法華経を持(たも)たん者を擁護せん。」
 世尊、我亦陀羅尼神呪を以て、法華経を持たん者を擁護せん。
ここが大事です。法華経が中心であり、陀羅尼が中心ではありません。陀羅尼を解説するために法華経があるのではありません。法華経を守護する者に陀羅尼を教えて、陀羅尼の力で様々な問題を乗り越えていくのです。(6に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
即ち仏前に於いて、呪(じゅ)を説いて曰さく、
痤隷(ざれ)、摩訶痤隷(まかざれ)、郁枳(うつき)、目枳(もつき)、阿隷(あれ)、阿羅婆第(あらはて)、涅隷第(ぬれて)、涅隷多婆第(ねれたはて)、伊緻柅(いちに)、韋緻柅(いちに)、旨緻柅(しちに)、涅隷墀柅(ねれちに)、)。涅梨犁婆底(ねりちはち)。
世尊、是の陀羅尼神呪は、恒河沙等の諸仏の所説なり。亦皆随喜したもう。
若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ、是の諸仏を侵毀(しんき)し已(おわ)れるなり。
爾の時に毘沙門天王御護者、仏に白して言さく、
世尊、我亦衆生を愍念(みんねん)し、此の法師を擁護せんが為の故に是の陀羅尼を説かん。
即ち呪(しゅ)を説いて曰さく、
阿梨(あり)、那梨(なり)、□那梨(となり)、阿那盧(あなろ)、那履(なび)、拘那履(くなび)
世尊、是の神呪(じんしゅ)を以って法師を擁護せん。
我亦自ら当に、是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患(すいげん)無からしむべし。
爾の時に持国天王、此の会中に在(あ)って、千万億那由他の乾闥婆衆の恭敬し圍遶せると、前(すす)んで仏所に詣(もう)でて合掌し、仏に白して言さく、
世尊、我亦陀羅尼神呪(じんしゅ)を以って、法華経を持(たも)たん者を擁護せん。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 4

412
※法華経の行者が陀羅尼を得たら、こ悪鬼は陀羅尼に対して、便りはできません。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 4

 「世尊、是の陀羅尼神呪は、六十二億恒河沙等の諸仏の所説なり。」
 世尊、是の陀羅尼神呪というものは、六十二億恒河沙等の諸仏の所説です。出鱈目ではありません。仏が説いてきたことです。
本当は、意訳して書けばよいのですが、有難がっているので、意訳もできません。このような例は他にもあります。
例えば、イスラム教の聖典であるコーランのフランス語訳などはありません。コーランの意訳は禁じられているのです。言葉そのものが不思議な力を持っています。それをフランス語や英語にしてしまったら、コーランの意味がありません。神が語られたことを否定することにつながってしまうのです。
それと同じことです。この陀羅尼は、仏様が説いたことですから、意味がわからなくても、大事な呪文です。ですから、意味を解説することもありません。意味を解説できないのが、陀羅尼品です。呪(しゅ)とは、「呪(のろい)」ということです。
たまには、法華経を読んで陀羅尼を唱えてもよいのです。一番大きな呪(しゅ)は、南無妙法蓮華経です。
 「若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ、是の諸仏を侵毀し已(おわ)れるなり。」
 若し此の法師に危害を加えることがある者は、則ち為れ、是の諸仏を否定することにんなるのです。
 「時に釈迦牟尼仏、薬王菩薩を讃めて言(のたま)わく、」
 時に釈迦牟尼仏、薬王菩薩を讃めて言わく、
 「善い哉、善い哉、薬王、汝此の法師を愍念(みんねん)擁護(おうご)するが故に、是の陀羅尼を説く。」
 善い哉、善い哉、薬王よ、汝此の法師を憐れんで擁護するが故に是の陀羅尼を説く。
 「諸の衆生に於いて、饒益(にょうやく)する所多からん。」
 諸の衆生に於いて、利益するところが多いのです。
衆生は、陀羅尼を求めているのです。呪文を唱える側はそれでよいのです。呪文そのものに意味はありません。効果があればよいのです。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。(ガティーガティー パーラガティ パラサンガティ ボーディスバーハ-)」と唱えると、何だかわからないけれども、気持ちよくなるのです。「そのようなことは、やってもいいよ」と仏様は言われているのです。
 「爾の時に勇施菩薩(ゆぜぼさつ)、仏に白して言さく、」
 爾の時に勇施菩薩は、仏に白して言さく、
 「世尊、我亦法華経を読誦し、受持せん者を擁護(おうご)せんが為に、陀羅尼を説かん。」
 世尊、我亦法華経を読誦し受持せん者を擁護せんが為に、陀羅尼を説きます。
 「この法華経を読み、保っていきます」という者を、守るために陀羅尼を説くのです。法華経が陀羅尼のためにあるのではありません。陀羅尼とは、法華経の飾りのようなものです。仏様が一番説きたいものは、妙法蓮華経です。「それだけでは、飽きるから、おかずもあげましょう」というのが陀羅尼品です。「念彼観音力」もそうです。そのようにわかっていけばよいのです。
龍神様もそうです。龍神様のために法華経を説くのではありません。龍神様は、おかずのようなものです。主食は南無妙法蓮華経です。主食だけでは、退屈する場合もあります。その場合は、陀羅尼を唱えてもよいのです。そのようなことです。法華経の行者を守るために、この陀羅尼を教えたのです。
「無量義は一法より生じる」と言っても、一法だけではつまらないでしょう。陀羅尼品もあり、観世音菩薩普門品もあります。法華経には、様々なものがあるのです。法華経は二十八品あります。それを見抜いた上で陀羅尼を教えていくのです。
 「若し此の法師、是の陀羅尼を得ば、若しは夜叉、若しは羅刹(らせつ)、若しは富単那(ふたんな)、若しは吉蔗(きっしゃ)、若しは鳩槃荼(くはんだ)、若しは餓鬼(がき)等、其の短(たん)を伺い求むれども、能く便(たよ)りを得ること無けん。」
 若し此の法師、是の陀羅尼を得たら、若しは夜叉、若しは羅刹、若しは富単那、若しは吉蔗、若しは鳩槃荼、若しは餓鬼等、其の短を伺い求むとも能く便を得ることはできません。
法華経の行者が陀羅尼を得たら、このような悪鬼は陀羅尼に対して、便りはできません。その人を不幸に導くことはできません。(5に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
世尊、是の陀羅尼神呪は、六十二億恒河沙等の諸仏の所説なり。
若し此の法師を侵毀(しんき)すること有らん者は、則ち為れ、是の諸仏を侵毀し已(おわ)れるなり。
時に釈迦牟尼仏、薬王菩薩を讃めて言(のたま)わく、
善い哉、善い哉、薬王、汝此の法師を愍念(みんねん)擁護(おうご)するが故に、是の陀羅尼を説く。
諸の衆生に於いて、饒益(にょうやく)する所多からん。
爾の時に勇施菩薩(ゆぜぼさつ)、仏に白して言さく、
世尊、我亦法華経を読誦し、受持せん者を擁護(おうご)せんが為に、陀羅尼を説かん。
若し此の法師、是の陀羅尼を得ば、若しは夜叉、若しは羅刹(らせつ)、若しは富単那(ふたんな)、若しは吉蔗(きっしゃ)、若しは鳩槃荼(くはんだ)、若しは餓鬼(がき)等、其の短(たん)を伺い求むれども、能く便(たよ)りを得ること無けん。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 3

504
※ 消えていく身であると知りつつ、今は存在しているのです。そのように生存の仕方を正しくとらえた時が、空仮中の三諦(三つの悟り)です。仮(け)というもの事実です。空というもの事実です。中というもの事実です。すごい分析の仕方です。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 3

「安爾(あに)、曼爾(まに)、摩禰(まね)、摩摩禰(ままね)、旨隷(しれ)、遮梨第(しゃりて)、賖咩(しゃみや)、賖履多瑋(しゃびたい)、羶帝(せんて)、目帝(もくて)、目多履(もくたび)、沙履(しゃび)、阿瑋沙履(あいしゃび)、桑履(そうび)、沙履(しゃび)、叉裔(しゃえ)、阿叉裔(あしゃえ)、阿耆膩(あぎに)、羶帝(せんて)、賖履(しゃび)、陀羅尼(だらに)、阿盧伽婆娑簸庶眦叉膩(あろぎゃばさいばしゃびしゃに)、禰眦剃(ねびて、 阿便哆邏禰履剃(あべんたらねびて)、阿亶哆波隷輸地(あだんだはれしゅだい)、欧究隷(うくれ)、牟究隷(むくれ)、阿羅隷(あられ)、波羅隷(はられ)、首迦差(しゅぎやし)、阿三磨三履(あさんまさんび)、仏駄眦吉利袟帝(ぼつだびきりじつて)、達磨波利差帝(だるまはりして)、僧伽涅瞿沙禰(そうぎゃねくしゃね)、婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)、曼哆邏(まんたら)、曼哆邏叉夜多(まんたらしゃやた)、郵楼哆(うろた)、郵楼哆憍舎略(うろたきょうしゃりゃ)、悪叉邏(あしゅら)、悪叉冶多冶(あしゃやたや)、阿婆盧(あばろ)、阿摩若那多夜(あまにゃなたや)」(続き)
「安爾(あに)、曼爾(まに)」という呪文は、止観です。生命の大なる不思議を目指して、止めて観るのです。そのように見ていけばよいのです。呪文にはあまり意味はありません。
貴方は生まれる前は何もなかったのです。お母さんのお腹から、貴方は生まれてきたのです。様々なものを吸収して、「自分」というものが、出来上がってきたのです。出来上がってくると、「長生きしたい」と、自分に執着するようになるのです。
「美味しいものを食べたい」「贅沢をしたい」と執着をするようになるのです。子供の頃から比べると、そのような欲望がでてくるのです。創り上げている自分を「自分」と思ってしまうのです。
「これは私の身体よ」と思ってしまうのです。仏様から見ると、「お前は仮(け)であり、空なのだ。そして、中なのだ」と教えているのです。空仮中の三諦としての実存は、あります。「宇宙は全て空だ」というのは、間違っているのです。そんなことは、一面の話です。
 自分の存在というものは、空であり、存在を見ると仮(け)なのです。今ある自分は、年を取るとなくなってしまうのです。自分の細胞は毎日、新しい細胞に入れ替わっているのです。「これが私のものだ」と主張しても、今ある自分を止めておくことはできません。
 明日は、また違う自分になってしまうのです。そのような存在です。そのようなものを生み出しているものが、中諦です。だから、何もないというわけではありません。「我(が)はない」と言っても、我(が)はあるのです。
では、「どのような状態であるのか?」というと、空仮中の三諦としての自分があるのです。それと離れて「私は、私よ」という確固たる我(が)はありません。
 「私は、私よ」と我張ってもいけません。私は、空仮中の三諦です。空仮中の三諦がそろって、初めて「私は無いままにして有る」と言えるのです。「自分」は、やがて消えていく身としてあるのです。「消える者として、実体がある」というとらえ方です。
 「何故、消える身なのか?」というと、一切のものが仮(かり)のものであるからです。「自分」などというものは、何もありません。「自分が死んだら消えてなくなり、それで終わりなのか?」というと、そうではありません。
 消えていく身であると知りつつ、今は存在しているのです。そのように生存の仕方を正しくとらえた時が、空仮中の三諦(三つの悟り)です。仮(け)というもの事実です。空というもの事実です。中というもの事実です。すごい分析の仕方です。
 人間は変化をして、生きていているのです。毎日違う人生を送っているのですが、ずっと一つのものです。そのようなことです。
自分は仮(かり)の存在ですから、姿形は変わっていくのです。来世は、今の自分と考えも変わっていくのです。それを「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(兄弟抄)と言っているのです。
心は、クルクルと変わります。今日の心と、明日の心は違います。それを「私の心だ」と主張しても、心などというものは何もありません。今日の連続性として、明日も「私」という心があるだけです。
「私は、自分の心を大事にする」と、秋篠宮家の眞子ちゃんは言って、小室圭と結婚をしたのです。それは、いかに狂った考え方なのか、わかるでしょう。
 心など、信頼するものではありません。心はクルクルと変わるのです。今、笑っていると思ったら、次の瞬間には泣いているのです。「私の心を大事にして生きています」という人は、バカだとわかるのです。
 大事なことは、自分の心を師匠としてはいけません。自分の欲望に満ちた、曇った心を師匠にして人生を歩んでいたらどうなるのでしょうか?
 これが空仮中の三諦の教えです。このことは、『摩訶止観』に書いてあります。大事なことは、「南無妙法蓮華経」と唱えるならば、仮諦も、空諦も、中諦もすべて入っているのです。
空仮中の三諦は、『摩訶止観』の中にすべて入っているのです。天台大師は、空仮中の三諦を『摩訶止観』という見方をしているのです。「妙法蓮華経」と言うと、わかりにくいから、空仮中の三諦と言っているのです。
 妙法蓮華経という見方がわかるように説かれたのが、『摩訶止観』です。『妙法蓮華経』を習ったからと言って、『摩訶止観』がわかるわけではありません。妙法蓮華経を理解することは、難しいことです。妙法蓮華経を頭で理解しようと思ってもわかりません。それは、信仰で理解していくものです。
「妙法蓮華経を、もっとわかりやすく説いてあげましょう」というのが、『摩訶止観』です。法華経をわかりやすく解説したものが、『摩訶止観』です。(4に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
安爾(あに)、曼爾(まに)、摩禰(まね)、摩摩禰(ままね)、旨隷(しれ)、遮梨第(しゃりて)、賖咩(しゃみや)、賖履多瑋(しゃびたい)、羶帝(せんて)、目帝(もくて)、目多履(もくたび)、沙履(しゃび)、阿瑋沙履(あいしゃび)、桑履(そうび)、沙履(しゃび)、叉裔(しゃえ)、阿叉裔(あしゃえ)、阿耆膩(あぎに)、羶帝(せんて)、賖履(しゃび)、陀羅尼(だらに)、阿盧伽婆娑簸庶眦叉膩(あろぎゃばさいばしゃびしゃに)、禰眦剃(ねびて、 阿便哆邏禰履剃(あべんたらねびて)、阿亶哆波隷輸地(あだんだはれしゅだい)、欧究隷(うくれ)、牟究隷(むくれ)、阿羅隷(あられ)、波羅隷(はられ)、首迦差(しゅぎやし)、阿三磨三履(あさんまさんび)、仏駄眦吉利袟帝(ぼつだびきりじつて)、達磨波利差帝(だるまはりして)、僧伽涅瞿沙禰(そうぎゃねくしゃね)、婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)、曼哆邏(まんたら)、曼哆邏叉夜多(まんたらしゃやた)、郵楼哆(うろた)、郵楼哆憍舎略(うろたきょうしゃりゃ)、悪叉邏(あしゅら)、悪叉冶多冶(あしゃやたや)、阿婆盧(あばろ)、阿摩若那多夜(あまにゃなたや)(続き)

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 2

81w94VikcmL._AC_UF894,1000_QL80_
※『摩訶止観』は天台宗の極意です。『摩訶止観』は、どこからでてきたのかというと、法華経の解釈からでてきたのです。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 2

 「即ち呪(しゅ)を説いて曰さく、」
 どんな陀羅尼を与えるのか、その呪(しゅ)を説明します。
 「安爾(あに)、曼爾(まに)、摩禰(まね)、摩摩禰(ままね)、旨隷(しれ)、遮梨第(しゃりて)、賖咩(しゃみや)、賖履多瑋(しゃびたい)、羶帝(せんて)、目帝(もくて)、目多履(もくたび)、沙履(しゃび)、阿瑋沙履(あいしゃび)、桑履(そうび)、沙履(しゃび)、叉裔(しゃえ)、阿叉裔(あしゃえ)、阿耆膩(あぎに)、羶帝(せんて)、賖履(しゃび)、陀羅尼(だらに)、阿盧伽婆娑簸庶眦叉膩(あろぎゃばさいばしゃびしゃに)、禰眦剃(ねびて、 阿便哆邏禰履剃(あべんたらねびて)、阿亶哆波隷輸地(あだんだはれしゅだい)、欧究隷(うくれ)、牟究隷(むくれ)、阿羅隷(あられ)、波羅隷(はられ)、首迦差(しゅぎやし)、阿三磨三履(あさんまさんび)、仏駄眦吉利袟帝(ぼつだびきりじつて)、達磨波利差帝(だるまはりして)、僧伽涅瞿沙禰(そうぎゃねくしゃね)、婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)、曼哆邏(まんたら)、曼哆邏叉夜多(まんたらしゃやた)、郵楼哆(うろた)、郵楼哆憍舎略(うろたきょうしゃりゃ)、悪叉邏(あしゅら)、悪叉冶多冶(あしゃやたや)、阿婆盧(あばろ)、阿摩若那多夜(あまにゃなたや)」
安爾(あに)、曼爾(まに)、摩禰(まね)、摩摩禰(ままね)、旨隷(しれ)、遮梨第(しゃりて)、賖咩(しゃみや)、賖履多瑋(しゃびたい)、羶帝(せんて)、目帝(もくて)、目多履(もくたび)、沙履(しゃび)、阿瑋沙履(あいしゃび)、桑履(そうび)、沙履(しゃび)、叉裔(しゃえ)、阿叉裔(あしゃえ)、阿耆膩(あぎに)、羶帝(せんて)、賖履(しゃび)、陀羅尼(だらに)、阿盧伽婆娑簸庶眦叉膩(あろぎゃばさいばしゃびしゃに)、禰眦剃(ねびて、 阿便哆邏禰履剃(あべんたらねびて)、阿亶哆波隷輸地(あだんだはれしゅだい)、欧究隷(うくれ)、牟究隷(むくれ)、阿羅隷(あられ)、波羅隷(はられ)、首迦差(しゅぎやし)、阿三磨三履(あさんまさんび)、仏駄眦吉利袟帝(ぼつだびきりじつて)、達磨波利差帝(だるまはりして)、僧伽涅瞿沙禰(そうぎゃねくしゃね)、婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)、曼哆邏(まんたら)、曼哆邏叉夜多(まんたらしゃやた)、郵楼哆(うろた)、郵楼哆憍舎略(うろたきょうしゃりゃ)、悪叉邏(あしゅら)、悪叉冶多冶(あしゃやたや)、阿婆盧(あばろ)、阿摩若那多夜(あまにゃなたや)
この中で大事なことは、「安爾(あに)、曼爾(まに)」です。「安爾(あに)とは、「止める」ことです。「曼爾(まに)」とは、「観る」です。「安爾(あに)、曼爾(まに)」で一つの心になるのです。あとは呪文を続けていくのですが、これは『御義口伝』にも書いてあります。
この呪文は止観を意味します。天台大師の止観は、「安爾(あに)、曼爾(まに)」から取ったのです。「安爾(あに)」は、「止める」という意味です。「曼爾(まに)」は、「観る」という意味です。『摩訶止観』はここから出ているのです。
「安爾(あに)、曼爾(まに)」以下の呪文は、十界の所作をそのまま言っているだけです。一念心を説いているものであり、「安爾(あに)」は、止観です。一つ一つの呪文の意味については、説かれていません。
全ての呪文で一念三千のことを説いているのです。真に不思議な『摩訶止観』です。それは、心を止めて観る、「安爾(あに)、曼爾(まに)」です。
「安爾(あに)、曼爾(まに)」の呪文を唱えると、これから説く宇宙の実相というものは、全てこの中に入ってきます。そのような説き方をしています。
「安爾(あに)、曼爾(まに)」という呪文は、止観です。生命の大なる不思議を目指して、止めて観るのです。そのように見ていけばよいのです。呪文にはあまり意味はありません。
ちょっとここで『摩訶止観』の話をすると、『摩訶止観』は天台宗の極意です。『摩訶止観』は、どこからでてきたのかというと、法華経の解釈からでてきたのです。法華経に書いてあることは、よくわかりません。天台大師が、「法華経をわかるようにしてあげましょう」ということで、つくったのが『摩訶止観』です。そのような関係にあるのです。
それが一念三千の出どころです。一念三千を見ると、三観がでてきます。三観とは、空仮中の三諦です。空仮中の三諦には、一念三千が入っているのです。全ての仏典の中から、空仮中の三諦がでてくるのです。空仮中の三諦とは、何を説いているのでしょうか?
第一番に「宇宙は全て空である」と言われているのです。自分も含めて空です。では、何もないのでしょうか? そうではありません。
貴方は今、自分を感じています。何もなければ自分など感じません。貴方は自分と感じているでしょう。貴方は空です。空の中から、小さな自分を感じているのです。それが空仮中の三諦です。
身体は仮(かり)のものであり、自分のものではありません。では、何もないのでしょうか? 無いわけがありません。中があります。人間の存在とは、中諦の存在です。中諦の中に仮(け)も含まれているのです。
「何も無い」ということは、空も含みます。空という哲学を含み、万物は仮(け)のものであるから、「無い」わけではありません。「有る」のです。空とは、何もないことを言うのです。仮(け)とは、仮(け)に存在するということです。
中としての自分があります。空仮中の三諦とは、自分のことを説いているのです。客観的に宇宙を見て、「空だ」「仮だ」「中だ」と言っているわけではありません。自分のことを言っているのです。(3に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
安爾(あに)、曼爾(まに)、摩禰(まね)、摩摩禰(ままね)、旨隷(しれ)、遮梨第(しゃりて)、賖咩(しゃみや)、賖履多瑋(しゃびたい)、羶帝(せんて)、目帝(もくて)、目多履(もくたび)、沙履(しゃび)、阿瑋沙履(あいしゃび)、桑履(そうび)、沙履(しゃび)、叉裔(しゃえ)、阿叉裔(あしゃえ)、阿耆膩(あぎに)、羶帝(せんて)、賖履(しゃび)、陀羅尼(だらに)、阿盧伽婆娑簸庶眦叉膩(あろぎゃばさいばしゃびしゃに)、禰眦剃(ねびて、 阿便哆邏禰履剃(あべんたらねびて)、阿亶哆波隷輸地(あだんだはれしゅだい)、欧究隷(うくれ)、牟究隷(むくれ)、阿羅隷(あられ)、波羅隷(はられ)、首迦差(しゅぎやし)、阿三磨三履(あさんまさんび)、仏駄眦吉利袟帝(ぼつだびきりじつて)、達磨波利差帝(だるまはりして)、僧伽涅瞿沙禰(そうぎゃねくしゃね)、婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)、曼哆邏(まんたら)、曼哆邏叉夜多(まんたらしゃやた)、郵楼哆(うろた)、郵楼哆憍舎略(うろたきょうしゃりゃ)、悪叉邏(あしゅら)、悪叉冶多冶(あしゃやたや)、阿婆盧(あばろ)、阿摩若那多夜(あまにゃなたや)

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 1

506
※昔、インドの森に入ると、孔雀がいたのです。クジャクが、「クエッ、クエッ」と鳴くと、蛇がいなくなったのです。クジャクの鳴き声の真似をして、人間が森に入っていくと、毒蛇は孔雀が来たのかと思って、出てこなかったのです。だから、「クエッ、クエッ」と孔雀の鳴き声の真似をして森に入ったのです。

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について 1

 まず、『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』について説明します。陀羅尼とは、呪文ということです。経典をサンスクリット語から、漢訳するときに、訳さないものが三つあったのです。
 一つは陀羅尼です。陀羅尼は、呪文ですから、訳しようがありません。今、我々が学んでいるのは、漢訳経典です。その中に五種不翻があります。五種類の言葉は、サンスクリット語の音をとりました。意味をとったものではありません。それを陀羅尼といいます。
 これに似ているのが、般若心経の「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。(ガティーガティー パーラガティ パラサンガティ ボーディスバーハ-)」です。これは、陀羅尼です。現代人では、意味が全くわかりません。これを唱えているお坊さんも、意味はわからないのです。
 最近になってこの言葉が研究されてきたのですが、「羯諦羯諦(ガティーガティー)」は、英語で[Go,go!]と言っていることと同じです。サンスクリット語と英語は同じ語族ですから、意味も近いのです。
 これを日本語で訳するならば、「進め、進め、仏の悟りを目指して頑張りましょう、退転は許されないぞ!」ということです。これが、「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。(ガティーガティー パーラガティ パラサンガティ ボーディスバーハ-)」という意味です。
 この呪(しゅ)というものは、仏教の中にもいろいろと入ってきています。真言宗は、陀羅尼を集大成した宗派です。呪文を唱えると仏にもなれるし、体も元気になるのです。呪文のことを「呪(しゅ)」といいます。憎い相手を呪うことを、呪詛(じゅそ)といいます。
「何かわけのわからない言葉を唱えると、効き目があるのではないか?」と思ったのです。「進め、進め、仏になるために頑張りなさい!」と言われたのでは、何だかよくわかりません。やはり、「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。(ガティーガティー パーラガティ パラサンガティ ボーディスバーハ-)」と言われたほうが、なんとなく有難く感じるのです。
 昔、インドの森に入ると、孔雀がいたのです。クジャクが、「クエッ、クエッ」と鳴くと、蛇がいなくなったのです。クジャクの鳴き声の真似をして、人間が森に入っていくと、毒蛇は孔雀が来たのかと思って、出てこなかったのです。だから、「クエッ、クエッ」と孔雀の鳴き声の真似をして森に入ったのです。
 人間は「そのような呪文がたくさんあるのに違いない」と思ったのです。真言宗は、呪文を研究したのです。法華経でも、陀羅尼を書いておいたのです。
さて、『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』の本文に入ります。
「爾の時に薬王菩薩、即ち座より起って、偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)にし合掌し、仏に向いたてまつりて、仏に白して言さく、」
 爾の時に薬王菩薩、即ち座より起って、偏に右の肩を袒にし合掌し、仏に向いたてまつりて、仏に白して言さく、
これは儀式です。立ち上がって右の肩の袈裟を外して、仏様に合掌したのです。
 「世尊、若し善男子、善女人の、能く法華経を受持すること有らん者、若しは読誦し、通利(つうり)し、若しは経巻を書写せんに、幾所(いくばく)の福をか得ん。」
 薬王菩薩が言いました。世尊、若し善男子、善女人の能く法華経を受持している者が、若しは朝晩読み、どのようなことが書いてあるのかを研究して、もしは経典を書き写して、そのような時にはどのような功徳があるのでしょうか?
 「仏、薬王に告げたまわく、」
 仏、薬王に告げたまわく、
 「若し善男子、善女人有って、八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養せん。」
 若し善男子、善女人あって、八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養します。
 「汝が意に於いて云何。其の所得の福、寧(むし)ろ多しと為(せ)んや不(いな)や。」
 貴方はどう思いますか? その人はどのような功徳を受けるのでしょうか?
薬王菩薩よ、答えてみなさい。
 「甚だ多し、世尊。」
 ものすごく大きな功徳を受けると思います、世尊。
 「仏の言わく、」
 仏の言わく、
「若し善男子、善女人、能く是の経に於いて、乃至(ないし)一四(いっし)句偈(くげ)を受持し、読誦し、解義(げぎ)し、説の如くに修行せん、功徳甚だ多し。」
 若し善男子、善女人、能く是の経に於いて、乃至一四句偈を受持し、読誦し、解義し説の如くに修行する人は、功徳が甚だ多いのです。
 「爾の時に薬王菩薩、仏に白して言さく、」
 爾の時に薬王菩薩は、仏に白して言さく、
 「世尊、我今当に説法者に陀羅尼呪(しゅ)を与えて、以って之を守護すべし。」
 世尊、我今当に説法者に陀羅尼呪を与えて、以って之を守護したのです。
薬王菩薩が言うには、説法をして法華経を修行しいる者には、陀羅尼呪を与えて、この人を守護したのです。(②に続く)


『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』
爾の時に薬王菩薩、即ち座より起って、偏(ひと)えに右の肩を袒(あらわ)にし合掌し、仏に向いたてまつりて、仏に白して言さく、
世尊、若し善男子、善女人の、能く法華経を受持すること有らん者、若しは読誦し、通利(つうり)し、若しは経巻を書写せんに、幾所(いくばく)の福をか得ん。
仏、薬王に告げたまわく、
若し善男子、善女人有って、八百万億那由他恒河沙等の諸仏を供養せん。
汝が意に於いて云何。其の所得の福、寧(むし)ろ多しと為(せ)んや不(いな)や。
甚だ多し、世尊。仏の言わく、
若し善男子、善女人、能く是の経に於いて、乃至(ないし)一四(いっし)句偈(くげ)を受持し、読誦し、解義(げぎ)し、説の如くに修行せん、功徳甚だ多し。
爾の時に薬王菩薩、仏に白して言さく、
世尊、我今当に説法者に陀羅尼呪(しゅ)を与えて、以って之を守護すべし。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』について 18


 「無垢(むく)清浄の光あって 慧日(えにち)諸の闇を破し」
 汚れていない清浄の光があって、太陽が闇を照らすように
 「能く災の風火(ふうか)を伏(ふ)して 普(あまね)く明かに世間を照す」
 
能く不幸な風火(ふうか)を消して、普(あまね)く明かに世間を照す

雨風がやみ、太陽がでてきて世間を照らせば、全て見えます。
  「悲体(ひたい)の戒(かい)は雷震(らいしん)のごとく 慈意(じい)の妙は大雲(だいうん)のごとく」
 「絶対に人を救います」という戒を観世音菩薩は身に付けていて、雷が鳴り響くように確実に効くのです。「可哀そうだな」と思っている観世音菩薩の慈悲の声は、大きな雲のようです。
  「甘露(かんろ)の法雨を澍(そそ)ぎ 煩悩の焔(ほのお)を滅除(めつじょ)す」
 甘露の法雨を注ぐと、悩み苦しんでいる貴方の煩悩の炎を消してくれるのです。

 生長の家の教義である「甘露の法雨」は、法華経から出ているのです。谷口雅春は、「甘露の法雨」という経典をつくったのです。その経典を戦争にもっていった信者は、「弾が経典に当たって死ななかった」というのです。

生長の家は、そのような話をたくさんしています。「甘露の法雨が貴方を守るのだ。甘露の法雨の原点は、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』に書いてあるだろう。この甘露の法雨が貴方に働いてくるのですから、谷口雅春が書いた経典を大事に持ちなさい」と言ってきたのです。

ただし、甘露の法雨を注いで、煩悩の炎を消してくれるのは、法華経を正しく信じている人です。「成長の家の信者になったから、甘露の法雨で守られる」というわけではありません。

 「諍訟(じょうしょう)して官処(かんじょ)を経(へ) 軍陣(ぐんじん)の中に怖畏(ふい)せんに」
 訴訟して、官処(かんじょ)を経(へ)て、軍陣(ぐんじん)の中において、戦に恐怖して、
 「彼の観音の力を念ぜば 衆の怨(あだ)悉(ことごと)く退散せん」
 彼の観音の力を念ぜば、衆の怨(あだ)悉(ことごと)く退散したのです。
 「妙音観世音 梵音(ぼんのん)海潮音(かいちょうおん)」
 妙音観世音、梵天王の声、、海の波の音、
 「勝彼世間音(しょうひせけんのん)あり 是の故に須(すべから)く常に念ずべし」

彼の世間つまり「過去の世界よりも、今日の方が良いのだ」という声あり。是の故に須(すべから)く常に念ずべし。
 「念念に疑を生ずること勿(なか)れ 観世音浄聖(じょうしょう)は」
 念念に疑を生ずること勿(なか)れ。観世音浄聖(じょうしょう)は
 「苦悩死厄(しやく)に於いて 能く為に依怙(えこ)と作(な)れり」
 苦悩や、死ゆく病を払って、能く為に貴方にとって頼りになるのです。
 「一切の功徳を具して 慈眼(じげん)をもって衆生を視(み)る」
 一切の功徳を具して、慈悲の眼(じげん)をもって衆生を視(み)る。
 「福聚(ふくじゅ)の海無量なり 是の故に応に頂礼(ちょうらい)すべし」
 福聚(ふくじゅ)の海無量なり、是の故に応に頂礼(ちょうらい)すべし。

このような功徳があるので、一心に観世音菩薩を信じるべし。
 「爾の時に持地菩薩(じちぼさつ)、即ち座より起(た)って、前(すす)んで仏に白して言さく」
 爾の時に持地菩薩(じちぼさつ)、即ち座より起(た)って、前(すす)んで仏に白して言さく

持地菩薩(じちぼさつ)とは、密教で、胎蔵界曼荼羅の地蔵院九尊のうち、東方から第七位におかれる菩薩です。功徳、智慧にすぐれて、大慈大悲をもって、一切衆生の救済をすること、大地のすべてをその上に持するが如くであるというところからの名称です。

弥勒菩薩 (みろくぼさつ)の異名ともいい、観音とも地蔵ともいう。
「世尊、若し衆生有って、是の観世音菩薩品の自在の業(ごう)、普門示現(ふもんじげん)の神通力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし。」

世尊、若し衆生有って、是の観世音菩薩品の自在の業(ごう)、普門示現(ふもんじげん)の神通力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし。

「是の人の功徳少(すくな)からじ。」
 是の人の功徳は少(すくな)くありません。
 「仏、是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等(みなむとうとう)の阿耨多羅三藐三菩提の心を発(おこ)しき。」

仏、是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等(みなむとうとう)の阿耨多羅三藐三菩提の心を発(おこ)したのです。

観世音菩薩様の智慧を教えてもらい、次に何を思うのかというと、あらゆるものを恐れない仏様の智慧にふれるのです。

そして、「これ以上の法はありません。私も阿耨多羅三藐三菩提を得て、観世音菩薩と同じような神通力を賜りたい」と言いました。

 

 

『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』

無垢(むく)清浄の光あって 慧日(えにち)諸の闇を破し

能く災の風火(ふうか)を伏(ふ)して 普(あまね)く明かに世間を照す

悲体(ひたい)の戒(かい)は雷震(らいしん)のごとく 慈意(じい)の妙は大雲(だいうん)のごとく
甘露(かんろ)の法雨を澍(そそ)ぎ 煩悩の焔(ほのお)を滅除(めつじょ)す

諍訟(じょうしょう)して官処(かんじょ)を経(へ) 軍陣(ぐんじん)の中に怖畏(ふい)せんに

彼の観音の力を念ぜば 衆の怨(あだ)悉(ことごと)く退散せん

妙音観世音 梵音(ぼんのん)海潮音(かいちょうおん)
勝彼世間音(しょうひせけんのん)あり 是の故に須(すべから)く常に念ずべし

念念に疑を生ずること勿(なか)れ 観世音浄聖(じょうしょう)は

苦悩死厄(しやく)に於いて 能く為に依怙(えこ)と作(な)れり
一切の功徳を具して 慈眼(じげん)をもって衆生を視(み)る
福聚(ふくじゅ)の海無量なり 是の故に応に頂礼(ちょうらい)すべし

爾の時に持地菩薩(じちぼさつ)、即ち座より起(た)って、前(すす)んで仏に白して言さく

世尊、若し衆生有って、是の観世音菩薩品の自在の業(ごう)、普門示現(ふもんじげん)の神通力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし。

是の人の功徳少(すくな)からじ。
仏、是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等(みなむとうとう)の阿耨多羅三藐三菩提の心を発(おこ)しき。

 

※これで『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』は、終わりです。

 次回は『妙法蓮華経観陀羅尼品第二十六』です。ご期待ください!

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
     ↓
https://ameblo.jp/saeko7878