中杉弘の人間の探求

中杉弘の人間の探求

思想・哲学・歴史・宗教の宝庫!読めば読むほど面白い!鋭い切り口で一刀両断。中杉ワールドへようこそ。

278 ※アショーカ(梵: अशोकः、IAST:Aśokaḥ、巴: Asoka、訳:無憂〈むう〉、在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)は、マウリヤ朝の第3代の王である。 徳勝は釈迦に細沙(砂の餅)を作って供養し、無勝は合掌した。釈迦はアーナンダーに「この童子は私が滅度して100年後に華氏城(パータリプトラ)で転輪聖王になるであろう。姓は孔雀、名を阿育といい、仏の法をもって国を治め、8万4千の仏塔を建立して供養し衆生を安楽にするであろう」と言った。この予言の通り、頻頭沙羅王の子として、徳勝は無憂、無勝は離憂という名前で生まれたとされている。 これがアショーカ大王の前世です。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 11

 

 「此の仏法の中に於いて 仏道の因縁を種えん」
 此の仏法の中に於いて、仏道の因縁を種えたのです。様々な譬え話は大事です。「どうして貴方は縁があり、仏を目指したのですか?」「どのような修行をして仏になったのでしょうか?」、という因縁話が大事です。何故、貴方はここに生まれたのでしょうか? 様々な国土があるのに、貴方はここに生まれたのです。その因縁を仏は教えているのです。

「何故、貴方はここに生まれたのか?」「何故、貴方はそのような顔をして生まれたのか?」「何故、貴方は人間なのか?」、というのは、因縁話です。「このようなことをしたから、お前は豚なのだ」「このようなことをしたから、お前は犬なのだ」というのが因縁話です。

法華経の修行をしていくと因縁がわかってくるのです。それが人々を救うのです。一般の衆生は、自分の因縁などわからないで生まれて、何だかわからないで死んでしまうのです。法華経で見ると、「貴方は前世でこのようなことをしてきたから、ここに生まれたのです」、とわかるのです。貴方の前世、現世、来世の三世がわかるようになるのです。

そのようなことがわかるために仏道修行をしているのです。法華経は命の教えです。皆が知りたいところは、それなのです。「私はなぜここに生まれたのでしょうか?」それを説いてあげれば、「法華経は有難い」とわかるのです。

仏様はいろんな角度から、繰り返し、繰り返し譬え話を教えているのです。目的は何でしょうか? 衆生には、それぞれ因縁があります。因縁とは、蓮華の法です。どうして貴方は今の親の下に生まれたのでしょうか? それは、因縁があるのです。因縁がないものは、一つもありません。

親を選んだ因縁があるから、今世の親の下に生まれたのです。「くだらない自分がどうして天皇陛下の近くに生まれたのか?」というと、それもちゃんと因縁があるのです。それも、ケタ違いの因縁を法華経は説いているのです。

王様に生まれる因縁があります。王様は、前世でどのようなことをやったのでしょうか? 仏様は、「前世でお前は仏様が通った時にお花を差し上げたのです。私は貧乏で仏様に差し上げるものは何もありません。せめてこの花一輪を供養しますと言った因縁により、お前は大王に生まれたのだ」と言ったのです。

お花を一輪供養した、たったそれだけのことで、来世は大王に生まれてしまうのです。そのような因縁を聞かせてあげるのです。皆、自分の因縁が聞きたいのです。それがわかってくると、「この人は前世では因縁があり、今世はこのような果を受けて生まれてきたのだな」と、見えてくるのです。それをちゃんと教えてあげるのです。

その因縁を教えてあげることにより、その人は解脱することができるのです。そのようなことがわからないで、法華経の文字だけを読んでいたら、なにもわかりません。法華経を学び信じて行じて、人々に説いてきた人は、来世は大大王になって生まれるのです。

宇宙全体から見たら、地球は塵のように小さいものです。仏に供養したという因縁を持つと、来世は地球の何百倍も大きい星の大王に生まれることができるのです。花一輪を仏様に供養しただけでも大王に生まれることができるのです。

「法華経を信じて供養して、人々に説く功徳が如何に大きいのか」、ということがわかります。法華経の勉強をして、書写し、人々には懇切丁寧に教えていくのです。これが、法華経の信者の大事な修行です。

皆さんもわかったら、教えていくのです。「法華経を学ぶ」ということは、因縁を教えていくことです。「何故、貴方はこのような因縁を持って生まれたのか?」「何故、貴方はこのような事故にあったのか?」、全て因縁によって起きてくるのです。「その因縁は、こうだよ」と説いてあげると、衆生は喜ぶのです。

「因縁を説くことが出来るのか?」というと、それは法華経を勉強しないと因縁は説けません。自分の因縁もわかってきて、人の因縁もわかってくるのです。仏になるとは、そのようなことです。
 「爾の時に会中(えちゅう)の新発意(しんぽつち)の菩薩八千人、咸く是の念を作さく、」
 爾の時に会中(えちゅう)の新しい菩薩八千人、咸く是の念を作さく、
 「我等尚、諸の大菩薩の、是の如き記を得ることを聞かず。」
 我等尚、諸の大菩薩が、是の如き記別を受けたのかということを、聞いたことがありません。この諸々の新しい菩薩達はまだ記別を受けていません。
 「何の因縁あってか、諸の声聞、是の如き決(けつ)を得る。」
 私達は、何の因縁あって、ここにいるのでしょうか? 諸の声聞は、どうしたら、仏になることができるのか教えてください。声聞になるのにも因縁がありますが、仏になる因縁があるわけではありません。

仏様がお通りになった時に供養するものが何もなかったので、頭を下げて合掌しました。その因縁により、今世で声聞衆に生まれたのです。花一輪を供養したならば、大王に生まれるのです。因縁が全然違います。

声聞で満足しているのは、「仏様は有難い」と拝んだだけで、貴方が仏になろうとしたわけではありません。

それもよいことです。貴方はその因縁により、声聞衆に生まれたのです。今、貴方が僕の講義を聞いているのは、そのような因縁です。凄いでしょう。全て、因縁があるのです。(12に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

此の仏法の中に於いて 仏道の因縁を種えん
爾の時に会中(えちゅう)の新発意(しんぽつち)の菩薩八千人、咸く是の念を作さく、

我等尚、諸の大菩薩の、是の如き記を得ることを聞かず。

何の因縁あってか、諸の声聞、是の如き決(けつ)を得る。
 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

277 ※人間は、肉眼で見た宇宙を見るのではなく、人間の心を見れば、宇宙大に達していくのです。宇宙の中には、一念三千しかありません。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 10

 

 「恒河沙等の如き 無数の諸の衆生」(続き)

この世界には、数限りない無数の衆生がいます。その衆生は、「私は70年生きた。私の人生はくだらなかった」「私の人生は最高の人生だった」、などと勝手にそれぞれが思い込んでいるのです。それは全て夢なのです。真実は何もありません。夢を見ているだけですから、終わってしまうのです。死ぬ時は、夢が覚める時です。

「お爺ちゃんが死んでしまいました」というと、夢が終わってしまったのです。死んでしまうと体の業から解放されて、カルマからも解放されて、死んでしまうのですから、一旦そこで業が切れたように思うのですが、業は切れていません。

引き続いていくことをカルマというのです。カルマは切ることはできません。自分のやった行いが因になり、因がまた果になるのです。因果、因果と続いていくのですから、カルマはなくなりません。生命とは、そのようなものです。地球上に70億人の人間がいても、それぞれ勝手な夢を見ているように思えますが、勝手な夢ではありません。自分にとっては決まった夢を見ているのです。

自分が一番見たかった夢を見ているのです。人生の成功者になれば、何でもできると思っていますが、成功者というのも夢、ホームレスも夢なのです。「自分は、そのような夢を見たかった」という業因をつくったから、業が相続されていくのです。

人間は生まれると、肉体が変化をしていきます。赤ちゃんは子供になり、成長して大人になります。大人になると老人になるのです。老人になると病気になって死ぬのです。肉体は、どんどん変化をしていきますが、業は変わりません。

一旦、業をつくると消えません。貧乏という業をつくったら、ずっと貧乏な夢を見続けるのです。そのようなことがわかったならば、良い夢を見なければいけないとわかるのです。良い夢を見るためには2つの条件があります。真実を明らかにしていくということと、悪い因果には入らないということです。

今の皇室問題を見ると、眞子はKKの因果に入ってしまったのです。「結婚する」ということは、KKの因果に入ってしまうということです。本人はそのようなことを知りません。皇族の因果を捨てて、乞食男の因果に入ってしまうのです。

いざ、乞食男と結婚して一緒に住むと、「現実は違う」と思ってしまい、乞食男と一緒にいる時間は長く感じます。どんなに長い時間を感じても、永遠即瞬間です。「宇宙の果は、どうなっているのか?」などと考えても、そんなことは意味がありません。全て心の中の問題です。どこまでいっても、貴方自身です。月に行っても、火星に行っても何もありません。貴方の中の火星に行くだけです。

月に行くのも同じです。月は、そこにあるかのように考えているのですが、そこには何もありません。名声もそうです。名声を求めて、有名な演歌歌手になっても、何もつかめません。有名になったら、年を取った自分がいるだけです。後は、「こんなことをやってきたな」という思い出は残ります。それは自分が生きている間だけです。

「何を見ていくのか?」というと、それは業の相続を見ていくのです。生命は瞬間であり、永遠です。法華経で、無量劫の時間だと言っているのは、本当だとわかります。仏教では、「時はない」と言います。

例えば、「宇宙はどれくらい大きいのか?」と言っても、何を対象にして「宇宙は大きい」と言っているのでしょうか? 一人の人間から見たら、宇宙は広大無辺です。しかし、ものさしは人間だけのものさしではありません。

無限大のものさしで見たら、無限はゼロだから、時間はありません。「恐竜は大きい」ということと同じことです。「恐竜は大きい」というのは、「人間から見たら、恐竜は大きい」ということです。

宇宙を見た場合、人間を離れて見ないと宇宙のことはわかりません。宇宙を見ているのは、貴方が見ている宇宙です。それならば、宇宙の広さなどわかるはずがありません。

もし、宇宙大の人間が無限の宇宙を見たならば、ゼロ=ゼロです。ゼロなのですから、大きさなどありません。人間は、「宇宙はどれだけ大きいのか?」と錯覚しているのです。「何万光年先には星が無数にあるのではないか?」と思っているのですが、何処まで行っても同じです。人間は人間だけにしか見えない世界があるのです。だから、人間が宇宙の広さを論じるのは、無意味だとわかるのです。

人間は、肉眼で見た宇宙を見るのではなく、人間の心を見れば、宇宙大に達していくのです。宇宙の中には、一念三千しかありません。

「宇宙は一念三千で表せるのだな」と思ったら、成仏です。人間の常識を取っ払わなければ、本当のことはわかりません。「無量義は一法より生じる」も同じです。無量義は、果てしない数です。

「無量義は一法より生じる」というのです。一法とは、一つです。一つ対全体です。無量義は、全体のことを言うのです。全体が一法だと言っているのです。一をもって無量義を見るのです。一=無限大です。だから、同じことなのです。

人間は宇宙を見る時に、自分の心を通さないと、宇宙はとらえられません。自分の心が仏教の心になるならば、宇宙の果まで見えてくるのです。(11に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

恒河沙等の如き 無数の諸の衆生(続き)

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

12 ※嘉手納飛行場(かでなひこうじょう、英語: Kadena airfield)は、沖縄県中頭郡嘉手納町・沖縄市・中頭郡北谷町の広大な面積に拡がる極東最大のアメリカ空軍基地。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 9

 

 「其の国土清浄にして 常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけん」(続き)

阿難が仏になった時の国は、常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)です。どんな敵でも打ち負かす無敵の仏の国なのです。

最近では、中国が日本を狙っています。習近平が「あと5年くらいで台湾をとれなければ、中国は恥さらしになるのだ。台湾くらい簡単に盗って来い!」という命令を出したのです。これは、現代の元寇です。当然、中国は日本に攻めてくるのです。

中国は、尖閣列島と沖縄を狙っているのです。沖縄をなぜ狙うのかというと、最大の米軍基地の嘉手納基地があるからです。米軍は沖縄を守るためには、台湾を守らなければいけません。米軍は台湾を守ります。

中国が計算した結果、ビックリ仰天したのです。日本は攻められません。来るなら来てみなさい! それが国防です。日本には、原爆もあるのです。調子に乗っているとやられてしまうのです。それを教えてあげなければいけません。日本は原爆だけではなく、レールガンも、レーザー砲も持っているのです。

中国の潜水艦は500メートルしか潜れません。日本の潜水艦は1千メートル潜ることができるのです。「くるなら来い、みんな沈めてやるぞ!」と言えば、敵はビビッてしまうのです。「こんなに日本が強いことを言うとは思わなかった」としっぽを巻いて逃げるのです。

そのように、国防がしっかりとしていると国は守られるのです。国は国防が一番大事です。武力の備えと共に仏法の力が大事です。どちらが欠けてもいけません。仏教の法の教えがあり、そこに武器がそろい、やる気がそろい、「何処からでも来い!」という気迫があれば、敵は攻めてくることはできません。

 「諸の菩薩を教化すること 其の数恒沙の如くならん」
 諸の菩薩を教化すること、其の数恒沙の如くならん。
 「仏大威徳(だいいとく)有(ましま)して 名聞十方に満ち」
 仏大威徳(だいいとく)有(ましま)して、名聞十方に満ちたのです。この山海慧自在通王仏という名前は、宇宙全体に広がったのです。
 「寿命量(はかり)有ることなけん 衆生を愍(あわ)れむを以っての故に」
 寿命は永遠の生命ですから終わりはありません。そして、量ることもできません。衆生に愍(あわ)れみを以っての故に、
 「正法寿命に倍し 像法復是れに倍せん」
 正法寿命に倍し 像法復是れに倍せん。仏の寿命は永遠です。永遠の寿命に倍するのです。妙な表現です。仏の寿命は、千年や、二千年ではありません。仏は長い間、説法をしてきたのです。仏の寿命の倍です。これが正法時代です。

像法は、またこれに倍するのです。長い間、仏の神通力が続いた正法の倍が像法です。
 「恒河沙等の如き 無数の諸の衆生」
 恒河沙等の如き、無数の諸の衆生。ここで注釈が必要です。「恒河沙等」とは、「数えきれないほど多い」ということです。

例えば、「宇宙に果はあるのか?」というと、ありません。これが不思議なところです。「宇宙は、どのくらい広いのか?」というと、計り知れません。あえて言うならば、不可思議劫です。人間の頭では宇宙の広さはわかりません。時は長さを現しています。「これはどのようなことを意味しているのか?」というと、本当は、時はありません。宇宙もありません。永遠即瞬間です。

永遠とは終わりがないことを言います。「永遠の時」とは、どのくらい長い時間なのでしょうか? 仏法の見方は、永遠即瞬間です。瞬間しか世界はありません。我々が見たり、聞いたりしていることは、実は錯覚であり、現実ではありません。

仏様は何を見ているのかというと、業の相続を見ているのです。過去世から自分がやってきたことの結果を相続して、貴方は今の人生の夢を見ているのです。その人生は、あっという間に終わってしまうのです。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、もういません。わずか、60年くらいの夢を見ていたのです。

何故、夢を見ているのでしょか? それは自分の因縁によってです。貴方のやってきた因縁により、今世で偉くなったり、乞食になったりしているのです。その夢を貴方が見ているのです。

次はどんな夢を見るのでしょうか? それは、今の続きです。それを業の相続というのです。そして、また業が相続されていくのです。何処までいっても業(カルマ)は終わりません。カルマ=行為は終わりません。行為は連続していくのです。

「連続していく主体はあるのか?」というと、それはありません。業が相続しているということは、「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」というものが付随して、そこに人生があるかのように錯覚してしまうのです。(10に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

其の国土清浄にして 常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけん(続き)

諸の菩薩を教化すること 其の数恒沙の如くならん

仏大威徳(だいいとく)有(ましま)して 名聞十方に満ち

寿命量(はかり)有ることなけん 衆生を愍(あわ)れむを以っての故に

正法寿命に倍し 像法復是れに倍せん

恒河沙等の如き 無数の諸の衆生

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

 

 

 

258 ※蒙古襲来ー文永の役では、約900艘の蒙古の軍船があったのですから、一夜にして全ての船が沈むなど、そんなことは考えられません。日蓮大聖人様は、そのような大奇跡を起こされて、二回ともに日本国を救ったのです。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 8

 

「正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。」(続き)
一旦、この法華経を信じさせると、「行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなん」(教行証御書)というのです。一旦、口の中に入れてしまうと絶対に消えることはありません。「嫌だ!」と言っても、取り除くことはできません。

創価学会の大久保直彦さんがそうです。学生の頃、折伏されて、大久保直彦さんは、池袋の常在寺まで来たのです。ところが、仏像を見た瞬間にギョッとして「嫌だ!」と柱にしがみついたのです。

その手を学会幹部がはがして「ここまで来て嫌はないだろう」と言って、お坊さんの前に座らせたのです。それでご授戒を受かったのです。お坊さんが御本尊を丸めたものを頭の上において、「今身より仏身に至るまで、爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師の正義を持ち奉るや否や」と言うのです。それで大久保直彦さんは、「持ち奉るべし」と言ったのです。

末法は下種の時代です。種をまかなければ、仏教は広まりません。我々が今やっていることはそのようなことです。皆が喜ぶことをやっているわけではありません。
 「阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為(え)ん。」
 阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し褒め称えたのです。
 「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 「我今僧中(われいまそうちゅう)にして説く 阿難持法者(じほうしゃ)」
 我今、僧中(そうちゅう)にして説く。阿難持法者(じほうしゃ)、
 「当に諸仏を供養し 然して後に正覚を成ずべし」
 当に諸仏を供養し、然して後に正覚を成ずべし。
 「号を山海慧(せんがいえ) 自在通王仏と曰わん」
 号を山海慧(せんがいえ) 自在通王仏と曰わん。
 「其の国土清浄にして 常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけん」
 其の国土清浄にして、常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけたのです。「何をやっても絶対に負けない!」という王国ができるのです。仏が天下を取って、差配するならば、その王国は絶対に負けることはありません。法華経は、それだけの法力を持っているのです。

これを読むと思い付くことがあります。それは、鎌倉時代の元寇です。文永の役、弘安の役の二回、蒙古軍が日本を攻めてきたのです。日蓮大聖人様は、「日本国の人々が法華経を信じていないならば、必ず外敵に攻められる」と予言されたのです。

一回目は3万9千人の蒙古軍が攻めてきて、全滅したのです。二回目は55万人の蒙古軍が日本に攻めてきたのです。日蓮大聖人様のご在世の当時です。日蓮大聖人様は、「日本国が外国に攻められたら、気の毒である」と祈祷を始められたのです。すると、蒙古船が全て沈んでしまったのです。文永の役では、約900艘の蒙古の軍船があったのですから、一夜にして全ての船が沈むなど、そんなことは考えられません。日蓮大聖人様は、そのような大奇跡を起こされて、二回ともに日本国を救ったのです。

第5代のフビライの時代に55万人の兵隊が攻めてきたのです。しかも、見たこともない“てつはう”を持っていたのです。“てつはう”は炸裂弾ですから、投げると爆発したのです。日本人はそんな武器は見たことがありません。“てつはう”が炸裂すると、馬が恐れたのです。

日蓮大聖人様が祈ると、博多湾に押し寄せてきた蒙古船の大軍勢が一夜で壊滅したのです。鎌倉武士団もビックリしたのです。法華経で祈ると、そのような奇跡を起こすことができるのです。

法華経で創られた国は、壊れません。ただし、「その国の人々が、法華経を信受していたならば」の話です。すると、どんな野蛮人が攻めてきても、壊すことはできません。(9に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。(続き)
阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為(え)ん。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

我今僧中(われいまそうちゅう)にして説く 阿難持法者(じほうしゃ)

当に諸仏を供養し 然して後に正覚を成ずべし

号を山海慧(せんがいえ) 自在通王仏と曰わん

其の国土清浄にして 常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけん

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

 

 

147 ※奈良の大仏も観光客を集めているだけで、「仏教の教えを聞きたい」という人は来ません。そこにいるのは、坊主ではなくて魔物が住んでいるのです。仏教の話は聞けません。それを末法というのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 7


 「劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。」(続き)

仏の寿命は、「無量千万億阿僧祇劫」です。それを専門に説いたのが『妙法蓮華経如来寿量品第十六』です。『妙法蓮華経授学無学人記品第九』では、布石を打っているのです。

何故、そのように言うのかというと、仏様になると、生死の上にいるのです。生死の上にいるのですから、生死はありません。生死がなければ、寿命は永遠です。そのように考えると、すぐにわかるのです。

普通は、生まれた者には、必ず死があります。仏様は生死を超越しているのですから、仏の寿命は永遠です。しかし、仏様は釈迦牟尼仏として生まれたから、説法ができるのです。これは、方便です。仏は方便を持って衆生に示さなければいけません。

「私も生まれて死にますよ」というのは、方便です。それを「方便現涅槃」と言いますが、本当は死にません。仏様は生死の上にいるのですから、死ぬわけがありません。だから、寿命が、「無量千万億阿僧祇劫」だと言っているのです。衆生には信じられませんが、法華経に書かれていることは、全て真実です。生死の上にいるのだから、無量の時間が経っても、仏は死にません。
 「若し人、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、算数校計(さんじゅきょうけい)すとも、知ること得ること能(あた)わじ。」
 若し人々が、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、頭がよい人が計算して仏の寿命を考えても、知ることはできません。頭の構造が違うのです。貴方がいくらコンピューターで、仏の寿命をはじき出そうとしても、そんなことはできるわけがありません。

仏の寿命は、無量劫ですから、貴方の頭で考えることはできません。これは、体験した人でないと、わからないのです。仏様も生まれて死ぬのですから、生死があるのです。仏様は生まれて、死ぬけれども、永遠の生命です。本当は死なないのです。衆生と同じ姿を示すために「方便現涅槃」をするのです。貴方が計算しても、仏の寿命はわかりません。
 「正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。」
 正法が世に住すること、寿命に倍し、像法が世に住すること、復正法に倍するのです。面白いことを言っています。仏様の寿命は無量であるのに、正法は寿命の倍です。無量の時間の倍なのですから、計算などできません。

像法は、正法の時間の倍です。正法は仏の教えが残っている時代です。それもなくなった時代を像法といいます。像法とは、形だけが残るのです。具体的に言うと神社仏閣です。東大寺に行くと、大仏があります。でも、そこに仏はいません。

京都の名所である清水寺へ行っても、お寺や仏像など、造られたものはありますが、教えはありません。東大寺で仏教の話が聞けるのでしょうか? 「仏教の話をしてください」と言っても、それはできません。仏教は、もうありません。それを像法といい、形だげが残っている時代です。

奈良の東大寺は、大仏という仏像が残っているだけです。或は、五重塔という形だけが残っているのです。形だけしかなくて、仏教を説いてくれる仏様はもういません。だから、像法というのです。形だけの時代です。

その形もなくなってしまうと末法です。お釈迦様の法が残っている時代を正法、形だけが残っている時代を像法といい、末法は形もなくなってしまうのです。今は末法ですから、仏教寺院が観光名所になってしまっているのです。

奈良の大仏も観光客を集めているだけで、「仏教の教えを聞きたい」という人は来ません。そこにいるのは、坊主ではなくて魔物が住んでいるのです。仏教の話は聞けません。それを末法というのです。

そのような末法の世には、本当の仏様が現れるのです。「末法の衆生は、どうしたらよいのでしょうか?」と思うのですが、心配はいりません。末法になると、もの凄い仏様が現れるのです。末法の衆生は仏法など求めていません。求めていない衆生に「こっちを向きなさい」と言って、口の中に仏教を投げ込むのです。

今、僕がやっていることは、そのようなことです。衆生が聞きたいのは、祈りが叶うご利益の話です。そのような話はしません。「貴方は仏教の話が聞きたくないのか? 口を開けなさい」と口を開けさせて、教えを投げ込んでいくのです。そのくらい無理強いをしないと、末法に衆生は仏教を聞くことはできません。

末法の衆生は、最悪の悪人ぞろいですから、仏縁は全くありません。仏縁がないから、仏縁をつくってあげるのです。これが折伏です。「法華経を信じると成仏することができるのですから、貴方も信じなさい!」これが、折伏です。すると、こちらをチラッと向くのです。その瞬間に口の中に光を投げ込んであげるのです。折伏は、そのようにやっていくのです。(8に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。(続き)

若し人、千万億無量阿僧祇劫の中に於いて、算数校計(さんじゅきょうけい)すとも、知ること得ること能(あた)わじ。
正法世に住すること、寿命に倍し、像法世に住すること、復正法に倍せん。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

275 ※どうしたら衆生は、仏様が見えるようになるのでしょうか? それは、仏道修行しかありません。貴方が一仏乗の修行をすると、「仏様はずっといたのですね」ということがわかってきます。貴方には仏様が見えないから、寂しいでしょう。だから、修行していくのです。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 6


 「劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。」(続き)

阿難は来世仏になり、山海慧自在通王如来(せんがいえじざいつうおうにょらい)となり、国の名前は常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)です。劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫です。仏の寿命は、無量です。人間では想像もできません。

自分でお金を貯めたことを考えてみてください。「老後のためにお金を貯めました。私はお金を使いません」と言っていても、病気になったり、お金を使い、そろそろ死ぬ時期が来るのです。

故・志村けんの人気は、前世でつくったものです。今世で芸を磨いて、絶頂期になった芸能人などいません。皆、前世の因縁です。

アインシュタインが今世で頭が良かったのは、今世でつくったものではありません。前世から頭がよかったのです。今世で、相対性理論を解くために生まれてきたのです。悪人も前世から悪人をやってきたのです。「来世はヤクザになるのだ」という因があり、それが今世の果になって現れてくるのです。それで、ヤクザの人生を歩むことになるのです。

大枠の人生は、前世で決まっているのです。これが、蓮華の法です。蓮華の法により、因果が決まり、妙法の世界に華が咲いてくるのです。妙法蓮華経と言うと、一つのものに見えますが、そうではありません。蓮華が原因です。妙法とは、生命の華のことを言うのです。「生きている」ということは、妙法の華が開いているのです。どのような華かというと、法は生、妙は死、「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)です。

生命の華が妙法です。この世でつくっていくのが法です。前世で決まった因により、今世の華が開くのです。新しい生命がこの世に誕生して、「どうして私は生きているのか?」ということが分かった時に、「蓮華の法で見るのだな」ということがわかるのです。

そのことを修行して磨いていくと、一仏乗が出てくるのです。生死を越えてしまうと、生死はありません。「生死の二法がなくなった仏様は、生死がなくなったのか?」というと、厳然と生死はあります。仏様も生死の二法を現じているのです。

そうしないと、仏様は見えません。衆生に仏様が見えるように我々の前に出てきてくださるのです。仏様が生まれてきて、死ぬことを現じるのは、「方便現涅槃」です。仏様から言うと、それは方便です。仏様には、生死があります。生まれて涅槃を示すのです。これが生死即涅槃です。

衆生は、永遠の生命が見えません。だから、仏様が涅槃を示さなければ、救えません。仏様は人間とおなじ姿を現じるのです。いつまでも、仏様が生きていると衆生がなまけてしまうのです。「お父さんがいるから、小遣いでももらおうかな」となってしまうのです。

「お父さんも死んでしまうのだよ」と言われて、お父さんはパッと死んでしまうのです。涅槃を現ずると、「お父さんがいなくなってしまった、まだ聞きたいことがたくさんあったのです」と衆生は思うのです。

これが仏様の「方便現涅槃」です。仏様が死ぬのは方便です。本当は死んでなどいません。貴方の目の前にいるのです。

どうしたら衆生は、仏様が見えるようになるのでしょうか? それは、仏道修行しかありません。貴方が一仏乗の修行をすると、「仏様はずっといたのですね」ということがわかってきます。貴方には仏様が見えないから、寂しいでしょう。だから、修行していくのです。

これが、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』の骨子です。如来の寿命は永遠です。方便して涅槃を示すのです。これは、『妙法蓮華経如来寿量品第十六』でしっかりと学んでいきましょう。(7に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。(続き)

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

 

 

 

271 ※牛は、肉になって食べられるために生まれてきたのでしょうか? 餌だけを与えられて大きくなると、屠殺場に連れていかれるのです。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 5


 「山海慧自在通王如来(せんがいえじざいつうおうにょらい)、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけん。」
 阿難は来世において、山海慧自在通王如来(せんがいえじざいつうおうにょらい)、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけん。
 「当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」
 当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。最後に阿耨多羅三藐三菩提という仏陀の悟りをお前達に与えましょう。
 「二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化し、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。」
 二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化し、阿耨多羅三藐三菩提を与えたのです。
 「国を常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけ、其の土清浄にして、瑠璃を地と為(せ)ん。」
 国を常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけ、其の土清浄にして、瑠璃を地と為(せ)ん。
 「劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。」
 劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。素晴らしい国になったのです。どのくらいの寿命があったのかというと、100年、200年ではありません。気も遠くなるような、何億万光年という長い間、仏国土であったのです。

これは、「本当だ」と思わなければいけません。永遠の生命を得たということは、何億万光年も生きているのです。仏様の生命は永遠で、死ぬのは方便です。仏様は、永遠の生命であり、衆生は生死を生きている人達です。

仏は衆生の上にいて、生死を脱している人です。だから仏様なのです。仏様には、変化はありません。ところが衆生から見ると、仏さまも生死をしているように見えるのです。仏様は永遠の生命です。永遠の生命とは、生まれたり、死んだりすることが無い世界です。

人間は生まれたら、必ず死にます。死んだら、また生まれてくるのです。「どんなものに生まれてくるのか?」ということは、因果の理法により決まってくるのです。自分がやってきたことが、自分に返るのです。

因果の理法で豚になった生命は、豚になってしまったのですから、仏様の説法は聞けません。また来世も豚になるのです。どんなによい説法を聞いても、豚は豚です。「生まれて死んで、生まれて死んで」という生死の枠から出ることはできません。永遠の豚をやることになるのです。

牛もそうです。殺されて肉になるのです。牛は、肉になって食べられるために生まれてきたのでしょうか? 餌だけを与えられて大きくなると、屠殺場に連れていかれるのです。屠殺場に連れていかれると、後ろのドアが閉まります。ハンマーのようなもので、牛の眉間をめがけてハンマーが落ちてくるのです。一発で意識不明です。すると、足に鎖がつけられているので、足を引っ張り上げられるのです。

お腹を鉈のような大きな包丁で切るのです。すると、臓物がバサッと落ちてくるのです。牛が屠殺場に連れていかれたら、もう死んでいるのです。臓物は抜き取られて、肉として切り刻まれて出荷するのです。

死んだ牛は何処へ逝ってしまったのでしょうか? 死んだ牛はまた生まれてくるのです。生まれてくると、草を食べて成長すると、「はい、次はお前だよ」と言われて、また屠殺場に連れていかれるのです。

眉間をハンマーで殴られ、気絶すると足を吊り上げられて、腹を裂かれて臓物が落ちてきます。肉に切り分けられて出荷されるのです。それを何回でも繰り返すのです。我々も牛肉を食べています。何回でも殺された牛肉を食べているのです。

鶏はもっと短い間で出荷されるのです。鶏は首を切られて終わりです。人間も同じです。「何のために生きているのでしょうか?」と聞くと、「なんだかわからないけれども、面白いことをやって生きているのだよ。まず俺がやりたいことは、ゴルフ、海外旅行だろ、女の子とも遊びたいのだ」と言うのです。「そのために、貴方は生きているのでしょうか?」と聞くと、「そうだよ。海外旅行をして、美味しいご飯を食べるために生きているのだよ」と答えるのです。

それは楽しいでしょう。そのうち、「体に異常が見えますよ。脳溢血でしょうか」と医者に言われると、「えっ、俺が、脳溢血? 冗談じゃないよ」と思っていると、パタンと死んでしまうのです。

どんなよい生活をしていても、裁判官になろうと、官僚になろうと、同じことです。自分の最高の境地は、長続きできないのです。

裁判官であるという素晴らしい身分は、裁判官として生きることにより、使いきってしまうのです。前世の因縁により今世は、裁判官という素晴らしい地位に就いたのです。それは、前世の果報です。前世のやったことが認められて今世で裁判官になることが出来たのです。定年になって退職すると、それは「裁判官の果報を全て使い切ってしまった」ということです。(6に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

山海慧自在通王如来(せんがいえじざいつうおうにょらい)、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけん。

当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。

二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化し、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。

国を常立勝幡(じょうりゅうしょうばん)と名づけ、其の土清浄にして、瑠璃を地と為(せ)ん。

劫を妙音遍満(みょうおんへんまん)と名づけ、其の仏の寿命、無量千万億阿僧祇劫ならん。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

43 ※爾の時に、学無学の声聞の弟子二千人、皆、座より起ちて、偏(ひと)えに、右の肩を袒(あらわ)にし、(右の肩をあらわにするのは袈裟を着ているからです)

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 4

 

「羅睺羅は是れ仏の子なり。」(続き)

自分が「何故、自分になったのか?」という原因と結果を探り、「未来はこうなりたい」と思えば、自在になってくるのです。「貴方は妙法蓮華経なのですよ」と教えられてわかったならば、未来はどのようにでも変えることができるのです。

 「来世はお金持ちの家に生まれたい」「頭がよく生まれたい」「美人に生まれたい」、何でもよいけれども、ちゃんと思い通りになるのです。これが最大の救いになるのです。

豚の場合は、今は豚になってしまったのですから、説法も聞けません。どうすることもできません。それだけ、豚は業が深いのです。

 豚に生まれると「ブーブーブー」としか鳴けません。仏様に出会っても、尊敬することもできません。豚は、何が何だかわかりません。夢中にいるようなものです。そうなってはいけません。

人間は、人間に生まれたのですから、仏様の説法を聞くことができるのです。だから、本当の自分の姿を知ることができるのです。

 知ってどうするのでしょうか? 自分の正体を知ることが出来ると、これから先の人生を自由自在に操っていくことができるようになるのです。自分の成りたいものになることが出来るのです。

それには2つの方法があります。今まで、自分が無意識にやってきた罪を消すことです。それを罪業消滅といいます。罪をたくさん犯してきたから、このような姿になったのです。

 それを反省するのです。「私は未熟者でした。真に申し訳ありません、南無妙法蓮華経」と言うと、過去の罪は消滅するのです。

 未来はまだ来ません。自分の正体がわかり、「南無妙法蓮華経」と唱えると、未来は思い通りになるのです。貴方は何になりたいのでしょうか? 過去に行ってきた罪は消えて、未来は自分が成りたいものになれるのです。そのようになれば、何回生まれても、何処に生まれても楽しいです。

 生まれるたびに、ちゃぶ台返しの家に生まれたら、たまりません。生まれる度に、親父が「ふざけるな、コノヤロウ!」とちゃぶ台返しをして、子供をぶん殴るのです。そのような親を選んで生まれてきたのは、自分の宿命です。朝鮮人は奥さんに「おい、ババア、お金を出せ」と言うのです。

 奥さんが「お金はありません」と言うと、「バカヤロウ、お前が働いて来い」と言って、ぶん殴るのです。最後は、ちゃぶ台返しです。たけしの朝鮮人が主人公の映画でも、そのような話がありました。

 貴方は、その家がよく見えて、生まれてきたのです。「そのような家に生まれたいな」と思って、生まれてきたのです。

 元皇族の眞子は、KKと結婚する前には、「極道の妻でもいい。Kさんと一緒になりたい」と言っていたのです。そのように言っていると、本当に極道の妻になるのです。極道の妻に生まれたら、三悪道です。人間に生まれても極道の妻になったならば、来世は地獄、餓鬼、畜生に落ちてしまうのです。そのようなことを仏様は教えてくださったのです。
 「若し仏、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既(すで)に満じて、衆の望み亦足(た)りなん。」
 若し仏が阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたならば、我が願い既に満じて、衆生の望みが成就するのです。
 「爾の時に、学無学の声聞の弟子二千人、皆、座より起ちて、偏(ひと)えに、右の肩を袒(あらわ)にし、」
 爾の時に、学無学の声聞の弟子二千人、皆、座より起ちて、偏(ひと)えに、右の肩を袒(あらわ)にし、(右の肩をあらわにするのは袈裟を着ているからです)
 「仏の前(みまえ)に到り、一心に合掌し、世尊を瞻仰(せんごう)して、阿難、羅睺羅の所願の如くにして、一面に住立(じゅうりゅう)せり。」
 仏の前(みまえ)に到り、一心に合掌して、世尊を瞻仰(せんごう)して、阿難、羅睺羅の所願の如くにして、一面に住立(じゅうりゅう)せり。
 「爾の時に仏、阿難に告げたまわく、」
 爾の時に仏、阿難に告げたまわく、
 「汝来世に於いて、当に作仏することを得べし。」
 汝、来世に於いて、当に作仏することを得るべし。お前は仏になりたいのだが、今世はまだ修行が足らないから成仏はしません。来世において、成仏させてあげましょう。この世では仏にはなれません。

また生まれ変わった時に再び私が説法をしましょう。その功徳によって成仏させてあげましょう。阿難は、来世において仏になることができるのです。(5に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

羅睺羅は是れ仏の子なり。(続き)

若し仏、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既(すで)に満じて、衆の望み亦足(た)りなん。
爾の時に、学無学の声聞の弟子二千人、皆、座より起ちて、偏(ひと)えに、右の肩を袒(あらわ)にし、

仏の前(みまえ)に到り、一心に合掌し、世尊を瞻仰(せんごう)して、阿難、羅睺羅の所願の如くにして、一面に住立(じゅうりゅう)せり。

爾の時に仏、阿難に告げたまわく、

汝来世に於いて、当に作仏することを得べし。

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

 

269 ※ガンダーラ美術の釈迦像

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 3

 

「羅睺羅は是れ仏の子なり。」(続き)

羅睺羅は、お釈迦様の実子です。お釈迦様は、19歳で出家したという説と、29歳で出家したという2つの説がありますが、実際のところはわかりません。

「何故、わからないのか?」というと、「これが仏教です」とお釈迦様が書かれたものは、一つもありません。お釈迦様の書かれた経典は、一枚もありません。それは、釈迦滅後、500年経ってから経典がつくられたからです。お釈迦様は2500年前の人ですが、自身で書かれたものは一つもありません。

イギリスはインドを植民地にして、統治しました。イギリス人がインドにおける仏教を研究すると、「昔、釈迦という人物がいた」という伝承はありますが、「本当に実在したのか?」と調べていくと、経典は出てきますが、釈迦の書いたものは一つもありません。「これは、架空の人物だな」とイギリス人達は考えたのです。

釈迦滅後、第一次結集は500年経ってから行われたのです。お釈迦様がご入滅してから500年も経っています。「ここらでお釈迦様の教えを整理しましょう」と、弟子たちが集まったのが第一次結集です。

それから、第二次結集、第三次結集が行われ、経典の原型がつくられたのです。それが事実です。お釈迦様が書かれた経典は一つもありません。「お釈迦様は字が書けなかったのか?」というと、そんなことはありません。

お釈迦様は王様の子供です。当然、教育を受けていたので字も書けます。文武両道に渡って優れていたのです。「どうして字を書かなかったのか?」というと、お釈迦様の教えは、難しい文字を用いて説いたようなものではありません。

例えば、涅槃経にある教えですが、お釈迦様が「私は明日、入滅します」と言うと、弟子たちは「私達はどのように生きたらよいのでしょうか?」とお釈迦様に質問したのです。それは、「自灯明だ」と言われたのです。

難しい字を並べて、「これはこのような解釈だ」と言うようなものではありません。理論の教えではありません。「自灯明」とは何でしょうか? 自らを照らして、正しい方向に進んでいくことを「自灯明」と言うのです。そのように言えばわかるでしょう。

「なるほど、自分を照らすのですね。それは、鏡を見ているようなものですね」とわかるのです。鏡を見ないと人間は、自分がどのような姿をしているのかわかりません。鏡を見ると「私はこんな顔をしているのか。これが私なのか。もっと反省して、よい顔にしていかなければいけませんね」とわかるのです。

「自分は美人だ」と思っていても、鏡に自分の姿を映すとブスだったりするのです。「私ってブスだったのね、これは、変えていかなければいけませんね」とわかるのです。自分の本当の姿がわかれば、人間は変わっていくのです。自分とは違う姿だと思い込んでいるのです。それでは、変われるわけがありません。お釈迦様の教えは、「自灯明」です。

自ら明かりを灯して、自分の姿を見て反省していくのです。「私は、どのような顔をしているのか? 言っていることは正しいのか?」と鏡で照らすようにして、自分の正体を明らかにして進んでいくのです。

人生とは、そのようなものです。これを「自灯明」と言います。自ら明かりを灯して進むのです。では、「自灯明とは何ですか?」というと、その答えは、「妙法蓮華経」です。これは、ちょっとわかりません。

自灯明の結論は、妙法蓮華経です。お釈迦様は、インドの言葉で「薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりきゃそたらん)」と言われたのです。それが無量義一法です。それは何でしょうか? 自分を極めていけば、自分の本当の正体がわかってくるのです。それが「自分がわかった」ということです。そのわかった理由は、妙法蓮華経です。

「私とは、何でしょうか?」と聞かれたら、「鏡を見なさいよ」と言われてしまうのです。「貴方はなぜ、このような運命を歩んでいるのでしょうか? 鏡をよく見て御覧なさい。自分の正体を明らかにするために、妙法蓮華経と修行していくと、貴方の正体がわかってきますよ」と仏様に言われるのです。

自分の正体が本当にわかれば、未来はどのようにでも変えることができるのです。日蓮正宗では、そのことを「本因妙の仏法」と言ったのです。「南無妙法蓮華経とは、何ですか?」と聞くと、日蓮正宗では、「本因妙ですよ」と答えたのです。本因として立てていくのです。本因とは、仏が成仏した根本の因のことです。本因は、思議することができない境涯であるので妙というのです。

「何故、貴方はそのようになったのか?」という原因があります。その原因について論じているのが、妙法蓮華経です。

「豚も、馬も、鏡を見て御覧なさい。目が小さくて、細長い顔が鏡に映っています。それがお前の姿です。どうしてお前は、このような姿になったのか? どうして人間に生まれなかったのか? それを教えてあげましょう。」というのが仏様です。

「何故、私は豚なのか?」「何故、私は馬なのか?」「何故、私は牛なのか?」ということがわかって、「来世は、このようになりたい」と歩んでいけば、来世はそのようになることができるのです。これを本因妙の仏法といいます。南無妙法蓮華経は本因妙の仏法です。(4に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

羅睺羅は是れ仏の子なり。(続き)

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi

 

 

200px-Ananda ※阿難(あなん、梵/巴:Ānanda आनन्द アーナンダ 阿難陀)は、釈迦の十大弟子の一人であり、釈迦の侍者として常に説法を聴いていたことから多聞第一(たもんだいいち)と称せられた。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経授学無学人記品第九』について 2

 

 仏法を学ぶと無分別の智慧がその人を飾っていくのです。そうなるのです。頭がよくても、人は頭を下げません。頭を下げるのは、オーラがにじみ出ているからです。「あの人は東大卒で頭がいいらしいですね」と言っても、人格が劣っている人間は大勢います。そんな人には頭など下げません。「貴方は東大に行ったのですか? でも、人格は大したことがありませんね」と言われてしまいます。

 オーラがにじみ出ている人は、そのようなことは言われません。学歴で勝負をつけて「俺は東大だ」と言っても、それは本当のオーラではありません。何も言わなくても、財産があっても、財産がなくても、オーラのある人は人々を巻き込んでいくのです。

 正理会の主任教授のさえこ先生は、皆から尊敬されています。もうオーラが出てきているのです。自分では、わからなくても、「あの人には敵わない」と皆が思うのです。

 今は、仏教を学んで受ける功徳についてお話をしているのです。仏教を学ぶということは、無分別の法を学んでいるのだけれども、それがわかってくるとオーラに変わってくるのです。

 オーラが身についてくると、何でも言うことを聞かせられるようになるのです。それは、命令して言うことを聞かせるのではありません。「ああ、お聖人様ですか、私に何かやることはないでしょうか?」と言われるようになるのです。

 「お前はこれをやっておけ!」と命令するのは、オーラではありません。向こうから「何かお手伝いさせてください」と言ってくるようになるのです。そのような人間にならなければいけません。

 オーラがにじみ出ていないと、人は言うことを聞きません。坂東忠信さんが言っていましたが、まだ警察官の在職当時、皇后の美智子さんがお忍びで買い物に来たのです。それでも、オーラがにじみ出ているのです。お忍びでも、「皇后陛下がいらっしゃった」とわかるのです。そのオーラは隠せません。

 仏教を学んで身についてくるオーラは、そんなものではありません。仏教を学んだ人には、東大卒の人でも叶いません。

 そのような人が選挙に出れば当選します。反対に貧乏神のような人が立っていて、「私に一票入れてください」と言っても誰もいれません。

 法華経の修行をしていくと、凄いオーラがにじみ出てくるのです。これを、『妙法蓮華経授学無学人記品第九』で勉強していきましょう。

「爾の時に阿難、羅睺羅、而も是の念を作さく、」
 爾の時に阿難、羅睺羅、而も是の念を作さく、

阿難と羅睺羅はお釈迦様の十大弟子です。羅睺羅は、お釈迦様の子供だと言われています。
 「我等毎(つね)に自ら思惟(しゆい)すらく、設し授記を得ば、亦快(こころよ)からずや。」

私たちはいつもこのように考えています。もし記別を受けたならば、快く嬉しいのですが、
 「即ち座より起ちて、仏前に到り、頭面に足(みあし)を礼し、倶(とも)に仏に白(もう)して言さく、」
 即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、倶に仏に白して言さく、

仏様がいると、仏様は座禅を組んでいるので、その足を頂き、礼をするのです。
 「世尊、我等此に於いて、亦応(まさ)に分有るべし。」
 世尊、我等は此に於いて、亦分別があります。
 「唯如来のみ有(ましま)して、我等が帰する所なり。」
 様々な先生がいますが、私達は仏陀のみに帰依します。他の教えは聞きたくありません。他の教えは分別法です。仏様がお説きになっている無分別法だけが聞きたいのです。それが我等の目的です。
 「又我等は、為(これ)一切世間の天、人、阿修羅に知識せらる。」
 又、我等はこれ一切世間の天、人、阿修羅に知識せらる。
 「阿難は常に侍者(じしゃ)と為(な)って、法蔵を護持す。」
 阿難は常に侍者となって法蔵を護持す。
 「羅睺羅は是れ仏の子なり。」
 羅睺羅は是れ仏の子なり。羅睺羅は、お釈迦様の子供です。仏門に入る前に生まれた子供で、ともに仏道修行をしたのです。

仏道修行をすると、どのような力が身につくのか? そのようなことを皆、言いません。わからないから言えないのです。「この歴史の勉強をすると、このような力が身につくよ」ということを教えないから、歴史の勉強が進みません。

要するに「先生がいない」ということです。細かい年号を覚えても、何も面白くありません。鎌倉幕府の成立の年号を覚えても、何も面白くありません。「歴史を勉強したら、このような力が身についてくるのですよ」ということを教えないと、人格も向上しません。仏教もそうです。分別、無分別もわからないままで、ただ法華経の文字だけを追っていくようになってしまうのです。それではいけません。

法華経を学ぶと無分別がわかり、立派な人間になってくるのです。仏道修行をすると、立派な人間が出来てくるのです。中身は天皇よりも偉いのです。日蓮大聖人様は「わずかの小島の主」だと言われているのです。

日蓮大聖人様は、「わずかの小島の主になって、威張っているものではない。私は仏ですよ」と鎌倉幕府に対して言ったのです。仏様は時の権力者とは、格が何千倍も違います。そのような気持ちでやるのです。それだけ偉大な力が身についてくるのです。(3に続く)

 

 

『妙法蓮華経授学無学人記品第九』

爾の時に阿難、羅睺羅、而も是の念を作さく、
我等毎(つね)に自ら思惟(しゆい)すらく、設し授記を得ば、亦快(こころよ)からずや。
即ち座より起ちて、仏前に到り、頭面に足(みあし)を礼し、倶(とも)に仏に白(もう)して言さく、

世尊、我等此に於いて、亦応(まさ)に分有るべし。

唯如来のみ有(ましま)して、我等が帰する所なり。

又我等は、為(これ)一切世間の天、人、阿修羅に知識せらる。

阿難は常に侍者(じしゃ)と為(な)って、法蔵を護持す。

羅睺羅は是れ仏の子なり。

 

 

よろしければクリックしてくださいね!

        ↓↓↓ 

人気ブログランキングへ

 


人気ブログランキング

 

 

『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。

      ↓↓↓

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi