※我々は、九界の中に生きているのです。、もっというと、九界の正体を明らかにしたところに仏界があるのです。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 15
「名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと」(続き)
名字の位、及び言辞に於いて、楽説(ぎょうせつ)を極め尽くすことができません。
人間は、自分が諸法を歩んでいると思っているのです。それがある日突然にして、諸法即実相に変わるのです。全てわかってしまうのです。その変わり方は、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)と言うのです。
「ハッ、わかっぞ!」ということです。それが本当の悟りです。悟ったからといって、九界がなくなるわけではありません。我々は、九界の中に生きているのです。もっというと、九界の正体を明らかにしたところに仏界があるのです。
「風の空中に於いて 一切障碍(しょうげ)無きが如くならん」
風の空中に於いて、一切のさまたげは無いようなものです。
「如来の滅後に於いて 仏の所説の経の」
如来の滅後に於いて、仏の所説の経の
「因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん」
因縁及び次第を知って、義に随って実の如く説くのです。
「日月の光明の 能く諸の幽冥(ゆみょう)を除くが如く」
太陽の光でもよく見えるのですが、月の光でも見えてくるようになるのです。
日月の光とは、仏の智慧を表しているのです。暗がりとは、凡夫のことを表しています。凡夫は、真っ暗闇の中で蠢いているのです。そこに月の光がちょっとでも差すと、「この世界は、このような世界だったのか」とわかってくるのです。
もちろん、太陽の日差しで照らされると、「今まで真っ暗闇の世界だと思ったら、このような世界だったのか、わかったぞ!」と思うのです。凡夫の我々が欲望を追い求めて蠢いているのは、暗闇の中で蠢いているようなものなのです。
「何のためにこのようなことをやっているのか、次に何が起きてくるのか、全くわかりません。仏様から見ると、「この次は、こうなるな」と、全てわかってしまうのです。
「斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」
斯(こ)の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅し
「無量の菩薩をして 畢竟(ひつきょう)して一乗に住せしめん」
無量の菩薩が、結局、一乗の法に変わるのです。
「是の故に智有らん者 此の功徳の利を聞いて」
是の故に智有らん者は、此の功徳の利を聞いて
「我が滅度の後に於いて 応に斯(こ)の経を受持すべし」
我が滅度の後に於いて、応に斯(こ)の経を受持したのです。
「是の人仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん」
是の人仏道に於いて、信心が決定しているので、疑いが有ることは無いのです。
私の言うことを信じて、法華経を最高の法と信じて、わからなければ勉強していくのです。「わかったぞ」と貴方が言うのは、信仰ではありません。仏様の説いている智慧は、量ることができないくらい大きいのです。凡夫が自分の頭で考えても理解はできません。だから、信仰していくのです。すると、等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)になってしまうのです。
『妙法蓮華経如来神力品第二十一』
名字及び言辞に於いて 楽説(ぎょうせつ)窮尽(ぐんじん)無きこと(続き)
風の空中に於いて 一切障碍(しょうげ)無きが如くならん
如来の滅後に於いて 仏の所説の経の
因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん
日月の光明の 能く諸の幽冥(ゆみょう)を除くが如く
斯(こ)の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
無量の菩薩をして 畢竟(ひつきょう)して一乗に住せしめん
是の故に智有らん者 此の功徳の利を聞いて
我が滅度の後に於いて 応に斯(こ)の経を受持すべし
是の人仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん
※次回の講義は、『妙法蓮華経嘱累品第二十二』です。ご期待ください!
よろしければクリックしてくださいね!
↓↓↓
『中杉弘の徒然日記』も、お読みください。
↓↓↓
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi
■『正理会ちゃんねる』が出来ました!
是非、ご覧ください!
↓
https://ameblo.jp/saeko7878