中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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『虚構の憲法』(A5版P232) 定価1,100円(税込)

 
 虚構の憲法
 
 
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 C国は日本をなめきって「日本に原爆を叩きこむ」と言っています。この問題は、日本国憲法に原因があります。

 

 また、秋死ノ宮家の魔子ちゃんが、無職の乞食男と結婚しました。これは、元はと言えば、憲法問題にあります。日本の憲法学者は、どういうわけだか「平和憲法を守れ」といいます。

 

 どうしてこんなバカなことを言うのでしょうか? 「平和憲法を守れ」ということを言うために営々と学説を述べてくだらないことをやっているのです。だから、憲法学者など意味がありません。

 

 竹田恒泰さんが言う通り、憲法学者はクズです。大所高所から見ると、憲法は日本人の命です。それを上から見ないで、下から見ているのです。勝手な解釈をして喜んでいるのです。

 

 日本国憲法を守っていると国が滅びるのです。国も滅びて、皇室も滅びるのです。その目的のために、マッカーサーがつくらせた憲法です。その憲法を戦後70年も経っているのに「憲法を守れ」「自衛隊は発砲できない」というバカ左翼がふざけたことを言っているのです。

 

 この問題を易しく説いたのが、『虚構の憲法』です。僕はあえて、日本国憲法を、『虚構の憲法』と呼びます。こんなものは、日本国憲法ではありません。世界のクズ『虚構の憲法』です。皆さんもそのように認識したらよいと思います。学者に騙されて、日本人は「日本国憲法は価値がある憲法だ」と思っているから、手足ももぎ取られて何もできないのです。是非、この本を一読してください。

 

 


狛江強盗殺人事件…記者が解説「なぜ、きょう実行役を逮捕」「“ルフィ”にどう迫る」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

 

無顧(むこ)の悪人も猶(なお)妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり。

 

 日蓮大聖人様の御書に、「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり」(観心本尊抄)という一文があります。「これは、どのような意味なのでしょうか?」という質問を受けました。

 これは、簡単なことです。十界互具(じゅっかいごぐ)のことを言っているのです。「この人は悪人、あの人は善人」と言っても、「その違いはありませんよ」と言っているのです。

 悪縁に遭えば、悪縁に誑(たぶら)かされて、悪の道を行じるようになるのです。これが、闇バイトに募集した、実行犯の連中です。ルフィに指示されて、強盗殺人をやったのです。

反対に善縁に会えば、良い縁に巡り合い、仏道修行ができるのです。

狛江市では、お婆さんが強盗殺人犯に殴り殺されました。どうして、そのような大悪人ができてしまったのでしょうか? それは、この世でできたものではありません。

人を殺して捕まると、豚箱から出られなくなってしまうのです。強盗殺人の場合は、終身刑です。無顧の悪人とは、どうしようもならない悪人、良いところが一つもない悪人です。

それでも、自分に奥さんと子供がいるならば、目を細めて自分の子供は可愛がるのです。奥さんも可愛いのです。今、人殺しをしてきた口で、「お前、可愛いな。俺の子供は、俺に似て可愛いな」と言うのです。そのように思うのです。

強盗殺人犯は、どうしようもならない悪人ですが、それも十界互具の一つの現れです。やがては、仏になって成仏するのです。

そのように考えると、大悪人にも仏性は、あるのです。「今、ホカホカの人殺しをしてきました」という人間でも、やられた人間にとっては悪魔ですが、やっている人間には、まだ仏性があるのです。

これを、「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す。」と言うのです。どんな悪人でも、妻子に会うときは、菩薩界が出てくるのです。強盗殺人をした足で、「今、帰ったぞ」と家に帰ってくると、菩薩界になるのです。

「全て悪人で一分のスキもなく三悪道(地獄、餓鬼、畜生)の地獄界だ」というわけにはいきません。三悪道が強い人でも、どこかにスキがあり、菩薩界が出たり、優しい顔が出たりするのです。何かの縁で経典でも読もうとするならば、声聞界の一分です。

十界互具ですから、人間は何でも出てくるのです。十界とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界です。普通の人は、九界がでてくるのです。仏界計り現じ難し」(観心本尊抄)ですから、仏界は出ません。

「仏界とは、このようなものだ」とは、簡単には言えません。「地獄界とは、こうだ」とは、言えるのです。「三悪道(地獄、餓鬼、畜生)、四悪道(地獄、餓鬼、畜生、修羅)とは、このようなものだ」とは、言えるのです。

「人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界」までは、言えるのです。人界は、親子でのんびり日向ぼっこをするような気持ちです。天界は、宝くじに当たって喜ぶ気持ちです。或いは、権力の最上階に登って、「俺が最高の権力者だ」と有頂天になる心です。

声聞界は、「仏様の説法を聞こう」とする心です。縁覚界は、仏様の説法を聞いて、一分の悟りを得ることです。人を助けようと思うのは、菩薩界です。

仏界計り現じ難し」(観心本尊抄)です。「仏界とは、どのようなものであるのか?」ということは、言えません。

天台大師も言っていません。『摩訶止観』では、十の修行をしていきます。最初に修行するのは、名字即(みょうじそく)です。名字即という位から始めるのです。そこから、どんどん位を上っていくのです。

ところが、『摩訶止観』は、十の境涯について説いているのですが、六段階以上は、書いてありません。「この修行をすると、こうなります」と、六段階までは書いてあります。

声聞、縁覚、菩薩までは、わかります。仏界だけは、現じ難しです。仏界だけは、説くわけにはいきません。それは、書いてありません。これは、自分で体得するのです。

「妙法とは、このようなものですよ」ということをいくら聞いても、わかりません。自分で妙法というものを体得しないとわかりません。

それが『摩訶止観』の一番大きな眼目です。等覚一転名字妙覚(とうかくいってんみょうじみょうかく)です。

仏道修行を始めると、名字即という位があります。それは、「仏界がある」という名前だけで、何もありません。ところが、仏界に登ると、全てわかってしまうのです。それが仏法です。仏様は、「仏界がわかるまでやれ」と言っているのです。

何がわかってくるのでしょうか? 僕は道理を教えているのです。だから、正理会(しょうりかい)というのです。正理会は、本当によい名前だと思います。金看板です。誰も文句は言えません。

幸福の科学は、幸福になることだけを教えているのです。その教祖の故・大川隆法は、脳梗塞で死んでしまったのです。「幸福の科学」と言うのですから、幸福になることだけを教えているのです。それが人生の目的ではありません。

創価学会は、どうでしょうか? 「創価」とは、価値をつくるということです。価値をつくるとは、どのようなことなのか?」ということが、創価学会の幹部もわかっていません。

オカマが創価学会に入信したら、何がオカマの価値になるのでしょうか? そうでしょう。何もわかっていないのです。

名は体を表すのです。この正理会は、本当に体を表しているのです。我々が学ぶものは、正理(しょうり)です。正理(しょうり)とは、道理です。国にも正理はあります。

もっと大きく言うと、「人間とは、このように生きるべきだ」という正理があるのです。それを皆、外れているのです。

外れているから、闇バイトで人殺しをしたり、強盗をしているのです。或いは、プーチンのように、自国民をウクライナの戦争に連れて行き、武器も持たせないで突進させているのです。このような連中は、人間にもなっていないのです。

人間は、そんなことをしないのです。そのようなことを勉強していかないとわからないのです。強盗株式会社の連中も、プーチンも、お互いに地獄界を歩んでいるのです。

名は体を表すのです。正理会は、正理研究会から初めて、正理会になったのです。もう研究は終わったのです。これで、すごくスッキリします。これを金看板にするのは、正理会の皆さんの役割です。そのように考えて金看板の旗を立てて進んでいくのです。本当は、「正理会は、いい名前だな」と、みんな羨ましがっているのだと思います。

 

 

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一次元・二次元・三次元・四次元・五次元の違い - 社会人の教科書 (business-textbooks.com)

 

妙とは蘇生の義なり

 

 我々が生活している目に見える世界の奥に、目に見えない世界があります。これが、不思議です。目に見える世界のことを、四次元と表現しています。「縦、横、長さ、時」が入って4次元と言っているのです。

 その他、次元は、11次元まであると言われています。「2次元とは何か?」というと、紙です。紙の上に人間を書きます。すると動きません。平面の世界のことを2次元と言います。2次元の人は、高さがありません。顔の面積がありますから、本当は立体です。2次元では、立体は描けません。

 本当は、どのような人間だか、2次元の人はわかりません。1次元の人は、2次元がわかりません。1次元とは、直線です。直線の上だけを世界にしている人がいて、その人に「紙を想像してみろ」と言っても、想像できません。1次元しかわからないのです。

 それと同じで2次元世界の人は、3次元世界がわかりません。3次元世界は、高さが入ってきます。縦、横、高さがあります。「それは、どのようなものなのか?」ということは、2次元の人は説明できません。

 3次元になると、我々が見ている世界です。高さがあり、横があり、長さがあります。この世界にいる人は、時が入ってきます。これが4次元世界です。4次元にいる人間は、5次元の世界はわかりません。

 まだ次があります。6次元の世界があります。7次元、8次元、9次元、10次元、11次元まであるという話です。数学的に言うと、11次元まであるというのです。それと同じで我々の世界は、縦、横、高さ、時間が入って4次元世界です。それ以上の次元は、わからないのです。

 わからないだけで、間違いなくこの空間にあるのです。ここにあるのですが、4次元以上の世界は、どのような世界なのか、まったく想像はできません。

 このように考えると、妙法の存在がわかってくるのです。妙法は、間違いなく存在するのです。では、生命はどこにあるのでしょうか? 角がはえたり、しっぽがあったり、様々な生命がいます。

 「こんな生命は、見たことがないよ」という生命もいます。恐竜のような大きな生命が、どうやってできたのでしょうか? 自分の力とは違う力が働いているのです。なぜかというと、「恐竜のしっぽを長くしろ」と言っても長くはなりません。

 「俺は尻尾を長くしたいのだよ」と言っても、尻尾は長くなりません。誰が恐竜のしっぽを創ったのでしょうか? 牙もうまくはえています。オオカミがガブッと動物の首に食いつくと、頸動脈にはいるのです。オオカミは牙が長いのです。ライオンも牙が長いのです。首にかみつくのです。誰がその牙を創ったのでしょうか? ライオンが牙を創ったのでしょうか? ライオンは知らないけれども、牙をもっているのです。

 熊の爪も鋭いのです。熊の爪でひっかかれたら、人間の顔は半分になってしまいます。そのくらい強い力を持っているのです。誰がそんな強い力をつくったのでしょうか? 

 熊は生まれながらにして鋭い爪をもっているのです。誰が爪を与えてくれたのでしょうか? うまくできているのです。生命は個々に武器を持っているのです。角がある動物、牙をもっている動物、鋭い爪をもっている動物がいるのです。みんな武器を持っています。

武器をもっていないのは、人間だけです。人間が武器にしているのは、頭脳です。人間は、頭脳の働きによって武器を造り出しているのです。これは不思議なことです。よく考えてごらんなさい。

どう考えても不思議です。大きな恐竜が動いている根本の原理は一体何でしょうか? 人間が動いている根本の原理は何でしょうか? そこなのです。それが妙法に一歩近づくのです。

「あれ、俺は俺が創ったのではないな。だけど俺の体だ。どうして俺のものなのか?」と考えていくと、自分が思ったりしている力とは、違う力が働いているのです。

その力を見ようと思っても、見ることはできません。生命は見えません。生命そのものを見ようと思っても見えません。

今まで生きていた人が、ころりと死んでしまいました。故・大川隆法も脳梗塞で突然死です。死んだ人の体は、そのままソックリと残っています。何が抜けてしまったのでしょうか? 生命が抜けてしまったのです。では、生命はどこへ行ってしまったのでしょうか?

いくら考えてみても、いなくなった生命は、見ることはできません。では、「無かったのか?」というと、あったのです。だから、大川隆法も歩いて、ご飯を食べて、動いていたのですが、ある日突然に動かなくなってしまったのです。

「真に不思議なものがある」と昔の人は知っていたのです。それをもって「妙法」と言ったのです。人間がもっている法則は知っています。筋肉を鍛えていけば、マッチョになるのです。

早く走れば筋肉が発達します。これは、目に見える法ですが、妙は目に見えません。絶対に見えません。これを「一寸の虫にも五分の魂」と言ったのです。どんな小さな虫でも命があります。

命があるとは、不思議なことで動いているのです。どんな小さな命でも大事にするのです。小さな虫でも踏みつぶしてはいけません。天台宗には、そのような教えがあります。虫も吸い込んではいけないのです。

生命は、まことに不思議です。仏教は、生命を説いたものです。この不思議な生命は、何でしょうか? そんなものは教わってもわかりません。自分で修行してつかみ取るしかありません。だから、妙法というのです。

頭で考えて、「1+1=2」と分かれば、妙法ではありません。「1+1」がわかることを、鹿法(そほう)と言うのです。鹿法とは、荒っぽい法です。

アインシュタインの相対性理論も妙法から見たら、荒っぽい法です。まるっきり、荒っぽい法です。タイムマシンにしても荒っぽい法です。それらを、鹿法というのです。

妙法を学ぶ人は、その違いをはっきりとわからなければいけません。正理会で学んでいる人は、妙法を学んでいるのです。鹿法を学んでいるのではありません。数学や建築などみんな鹿法です。その一番わからないところをわかりたいのです。

それをどうやってわかるのでしょうか? 妙法は、だんだとにじみ出てくるのです。泉から水がジワジワと湧き出てきます。それと同じです。頭で「わかった」というのではありません。だんだんと妙法がにじみ出てくるのです。

湧き出てくるように、ジワジワと妙法がにじみ出てくるのです。自分でわかるのです。「これが妙法というのだ」、とわかるのです。泉のように、妙法がコンコンと湧き出てくるのです。すると、妙法がわかってくるのです。

人間は、妙法として生きなければなりません。本当は、妙法から創られているのです。人間は、法だけで創られているわけではありません。自分の存在を妙法と知って、妙法に生きて、まともな人間になるのです。

妙を知らないで、法だけで生きているプーチンが、「野郎、ぶっ殺してやる」と、ウクライナを侵略しているのです。これは、法でも荒っぽい法もいいところです。自分が妙法とも知らないで、他人をぶっ殺して生きているのです。

そうではなくて、みんなが妙法に見えてきて、「妙法が集っているのだな」と見えてくるようになるのです。「無量義は一法より生じる」という次元に立った人と、法だけで生きている人との違いです。

妙に触れるのです。法に触れるのではありません。「どのようにして妙に触れるのか?」というと、それは感じ取っていくのです。それを感じ取ったとき「妙とは蘇生の義だ」とわかってくるのです。

「自分の命も妙法であり、法ではないのだ」とわかってくると、どんどん若返ってくるのです。妙とは、蘇生の義です。

 

 

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宇宙を彩る「星雲」の謎が明らかに。新理論に基づくシュミレーションが証明 - ナゾロジー (nazology.net)

※南無妙法蓮華経のリズムは、宇宙にはありません。南無妙法蓮華経は、知る法です。

 

 

創価学会問題「南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムではない!」

 

 「創価学会は、「南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムだ」と言います。本当に宇宙のリズムなのでしょうか?」という質問をいただきました。これも厳密に言うと、間違えではありません。「南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムである」と言ってよいのです。

 この「リズムとは何か?」という、捉え方が問題です。「リズム」という、捉え方を変えれば、間違いではない面もあります。

 創価学会の教学では、「南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムである」と教えています。これは、考えてみると間違っているわけではありませんが、本当のことを言っているわけでもありません。

 創価学会は、「リズム」をどのように、捉えているのでしょうか? 例えば、音楽のリズムがあります。何拍子というリズムとして、捉えているのでしょうか?

 創価学会は、「南無妙法蓮華経のリズムに乗って、宇宙は展開している」というのです。すると、人間もそのリズムに乗っていれば、他人とぶつかることはありません。物事は、スムーズにいくのです。

 地球が自転しているのに、逆回転を加えたら回りません。そうではなくて、「回っている宇宙に人間が合わせていくのだ」ととらえれば、間違ってはいません。

 でも、そんなことを言うと、「南無阿弥陀仏」も宇宙のリズムになってしまうのです。南無阿弥陀仏がどうやって宇宙のリズムになるのでしょうか?

 一切の衆生は、阿弥陀仏を求めている。これが、南無阿弥陀仏です。そうなると、「人間は、昔から阿弥陀仏を求めて動いているのだ。これは、一つの宇宙のリズムだ」、ともいえるのです。

 「リズム」と言うと、ロックのリズムもあります。ブルースのリズムもあります。演歌のリズムもあります。そのようなリズムの延長線上に仏教のリズムがあると思ったら、大間違いです。

 創価学会員は、1日12時間お題目を唱えたからと言って、南無妙法蓮華経のリズムに乗れるのでしょうか? そんなことは、絶対にありません。

「南無妙法蓮華経は、生住異滅と一緒だ」と言っている以上は、同じものです。すると、「生住異滅は、リズムなのでしょうか?」ということになります。

 「宇宙のリズムは、生住異滅である」と言えるのでしょうか? これは、リズムではありません。単に宇宙の実相を言っているのです。「生住異滅というリズムに乗れ」と言っているのではありません。

 宇宙にある太陽や月、あらゆるものは、生住異滅です。人間や生命は、生老病死です。このような言い方があるだけで、それはリズムではありません。

 いくら、「生老病死、生老病死」と唱えても、宇宙のリズムには乗れません。「なぜ、乗れないのか?」というと、宇宙には、そんなリズムはありません。

 生住異滅は、宇宙のリズムではありません。それがわかれば、南無妙法蓮華経も宇宙のリズムではありません。

 それを宇宙のリズムだと言っている池田大作は、頭がおかしいのです。「なんみょうほうれんげっきょう~」ダダンダダンダン、「なむみょうほうれんげっきょう」ダダンダダンダン、と太鼓を叩いて、お題目を唱えることが、宇宙のリズムなのでしょうか? 答え、それは違います。

 もっと静かなものです。南無妙法蓮華経は、リズムではありません。教えです。教えとリズムは違います。

 ロックンロールのリズムが、何事かを教えるのでしょうか? 答えは、教えるものは何もありません。

 仏教には、そのようなリズムがあるわけではありません。そのまま即教えです。リズムなどどこにもありません。あえて、言うならば、「人々が信じて実行していくときに、そのようなリズムがあるのだな」とそのくらいに考えて、それを「宇宙のリズムだ」と言う分には、言っても悪くはないと思います。

 深く考えて、「南無妙法蓮華経は、宇宙のリズムだ」などと言ったら、間違えです。仏教は、知る法です。有る法ではありません。

 仏法という法は、一般的に言うとありません。「そんなことを言っても、お釈迦様は、実在したじゃないか」と言う人がいます。

 お釈迦様は有る法ですが、有る法を我々に与えられたのではありません。お釈迦様は、ある法として悟られて、自分がもっている法を『妙法蓮華経』として、私たちに示されたのです。

 示されても、リズムではないから、そのままでは動きません。信じた人が南無妙法蓮華経を飲んでいただいて、「南無妙法蓮華経は、知る法ですね」と考えたときに功徳が出てくるのです。

 創価学会では、「お前に宇宙のリズムを授ける。それは、南無妙法蓮華経というのだ。そうすれば、宇宙のリズムが輝いてきて、何でもうまくいくようになるのだぞ」と教えるのです。

太鼓を叩いて、ダンダダダン、「なむみょうほうれんげっきょう~」ダンダダダンダン、「なむみょうほれんげっきょう~」、デンデケデンデン、というのがリズムです。

 そんなことをいくらやっても何も生まれません。なぜならば、南無妙法蓮華経は知る法だからです。有る法ではありません。宇宙のどこを見ても、南無妙法蓮華経など、あるはずがありません。これは、宇宙にゼロがないことと同じことです。

 南無妙法蓮華経は、知る法です。知る法と、ある法があります。南無妙法蓮華経と知る法です。知った人のみから、出てくる法です。リズムではありません。学会員が、何万人そろって、「なんぎょうほうれんげっきょう~」とお題目を唱えても、嵐がやんだり、台風がおさまったりすることは、ありません。そのことをよく思索してください。

 

 

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※シェルターの佐々木千夏議員です。

シェルターの設置は急務です!

北朝鮮 “ICBM級”弾道ミサイル1発発射 EEZ外に落下か【詳細】 | NHK | 北朝鮮 ミサイル

まもなく統一地方選挙です!

 

 杉並区議会の佐々木千夏議員が、2期目に挑戦するはずです。今までの実績を見させてもらいました。なかなか優れた手法をもっています。

 区議会議員の仕事は、公園の緑地化や、道路が壊れた、商店街の活性化などの問題ばかりです。

 佐々木千夏議員が一貫して言っていることがあります。それは、「杉並区にシェルターを造りましょう」ということです。

これは、7回も質問しています。なぜ、7回も質問しているのかというと、佐々木議員が、「シェルターを造りましょう」と言うと、担当課長が、「そんなことは、前例にありません」と言って逃げるのです。

 政治家の根性の見せどころは、ここです。これで、担当課長を逃がしてしまったら終わりです。これに食いついて離れないことです。

 また、質問するのです。「この間、私は質問したら、「前例がない」という回答で逃げられました。前例がないから、区議会議員がいるんでしょう」と、佐々木議員が言ったのです。まさに、これは正論です。

 この問題は、「前例がない」では、すまないでしょう。新しい仕事というものは、前例がありません。役人は、前例がないことは、やりたがりません。前例がないことは、未知数です。未知数なことは、成功するか、失敗するかもわかりません。非常に危険があります。だから、「そのような質問には、触れないでおこう」と考えるのです。

 このような考えでは、政治がよくなるはずがありません。前例にないことをやっていくのが政治家の仕事です。

 佐々木議員は、シェルターの問題を、杉並区議会で7回も質問したのです。杉並区の役人は、やる気がないのでしょうか? 「前例がない」と言って役人は逃げているけれども、前例がないことをやるのが議員の仕事です。

 役人は、もう逃げ場はありません。政治家の仕事は、役人をどんどん追い込んでいく仕事です。役人は、「前例がありません」「予算がありません」「これは、区議会の仕事ではなく、国の仕事です」と言って、逃げるのです。

 役人は、議員に質問されると、やらない理由をあげてくるのです。それを見て議員は、役人が答えられないように、次から次へと質問を出していくのです。

 遂には答えられなくなるのです。すると役人は、「う~ん、参った」となったら議員の勝ちです。

 しかし、シェルターの問題は、まだまだ区民の皆さんの意志も固まっていないように思います。「地方議会において、シェルターをつくる」などということは、確かに前例がありません。でも、これは絶対に必要です。

例えば、杉並区がシェルターを造るために、国から300億円の借金をしたとします。借金はしてもかまわないのです。シェルターは、杉並区民の財産です。現金で300億円もっていても、資産は増えません。シェルターにすれば立派な財産となり、我々に安全を提供することになるのです。どんどんやらなければいけません。物事には、やる順番があります。

 まず、最初に発案します。アイデアが出てきます。それを皆さんに向かって説明すると理解されません。「今は、シェルターが必要だ」と言っても、区民のほうは目覚めていないから、のんべんだらりと「福祉が必要だ」「ジェンダーフリーのトイレは、1つでいいのか?」などと、くだらない話をしているのです。そんな問題ではありません。

 佐々木議員が、「シェルターが必要だ」と気が付いても、民衆はまだ気が付いていません。これに気が付かせることを「仕事」というのです。

 みんなが「これをやってくれ」というのは、仕事ではありません。皆が、気が付かないこと、非常に大事なことをやっていくのが議員の仕事です。それには、まず議会で質問するのです。

 議員は、区政に対して質問権をもっているのです。「シェルターをなぜ造らないのですか?」と質問すると、役人は「前例がないからです」と答えます。

 「過去にやったことがないから、できないのです」と言うのです。次に「政府からの指示がないからできません」と言うのです。

 「ああそうですか。では、区長を出しなさい」と区長を呼んで、「私は、杉並区民の命を守るために、シェルターを造るように提案をしています。やらないという回答を3回も出しています。どうしてでしょうか? 本当に杉並区は大丈夫なんですか?」とダメ押しをするのです。

 政府の指示があろうがなかろうが、杉並区議として責任のある仕事をしなければなりません。そのためには、シェルターの調査団をつくらなければいけません。調査団をつくって、韓国やスイスなどに調査に行くのです。これが、第一番にやることです。

 調査団は、超党派でつくればよいと思います。そのようにして、どんどん詰めていくのです。調査団をつくり、調査した結果、いろんな情報がわかりました。そのようにして、仕事は詰めていかなければいけません。

 アイデアだけを言ってもダメです。役人が逃げられないように、どんどん詰めていくのです。それをやるのが政治家です。佐々木議員も、この仕事をやり遂げれば大したものです。

 この仕事をやり遂げれば、「シェルターの佐々木」と言われるようになるのです。「杉並区のシェルターは、佐々木議員が造った」と言われて、杉並区民から感謝されるようになるのです。実際は、土建屋がシェルターを造るのです。

 その手始めに調査団をつくるのです。相手が反抗できないように抑えて、物事はできてくるのです。これは、シェルターだけではありません。なんでもそうです。新しいことは、やったことがありません。

 「シェルターを造りましょう」と言っても、シェルターなど造ったことがありません。それは、「前例がありません」となるのです。前例がないことをやるのが議員でしょう。そのようにどんどん積み重ねていくのです。「シェルターの調査団をつくりましょう」というのです。

 すると、具体的にシェルターを造らなくても、見取り図ができてくるのです。そのようにして、詰めていくのです。どんな問題でも同じです。

 日本人はバカになってしまい、物事の筋道もわかりません。そのようにして、新しいことをどんどんやっていけば、日本の政治はよくなるのです。

 その点では、佐々木議員に大いに期待します! 皆さん、応援してあげてください。もし、これで杉並区にシェルターができないならば、日本全国にシェルターはできません。前例をつくってあげればよいのです。

 今は大変な状況です。原爆を使うかどうか、プーチンは習近平との打ち合わせを始めたのです。

 防衛省は、北朝鮮から16日朝、ICBM=大陸間弾道ミサイル級のミサイル1発が発射され、日本のEEZ=排他的経済水域の外側の日本海に落下したとみられると発表しました。

 このような国防上の大問題が起きているのですから、日本にシェルターを設置することは急務です。佐々木議員は、シェルターの設置を粘り強く主張していかなければいけません。国がやらないから、区政でシェルターを設置するのです。早くしないと間に合いません。

 その点で佐々木議員は、ここまでよく頑張ってきました。次期にもつながると思います。「佐々木議員はいらないよ」と言うならば、杉並区民は、「シェルターはいらない」ということですから、それは仕方ありません。こちらは正論を言っているのに、「シェルターはいらない」と言うならば、落選します。

「杉並区にシェルターは、必要だ。シェルターを造ってください!」という意見が杉並区民全体の意見になれば、佐々木議員は当選します。杉並区民の意識レベルは高いと思っていますから、前向きな仕事は理解してくれると思います。佐々木議員、頑張ってください!

 

 

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大川隆法先生の自宅の教祖殿と教団施設多数で変容する白金4丁目の豪邸街

宗教とお金の問題

 

 宗教にはお金がかかります。これは、当たり前です。伊勢神宮にしても、広大な領地と神域をもっています。これは、お金によって守られているのです。誰もお金をくれなかったら、ぺんぺん草が生えてしまいます。

京都にある大寺院、天台宗総本山 比叡山延暦寺、高野山真言宗 総本山金剛峯寺にしても莫大なお金が使われているのです。信者のお布施だけで運営できればよいのですが、大部分のお寺は、莫大なお金が使われているのです。

 宗教とお金の関係は、神の力が無いことを表しているのです。人間以上の神様が、自分たちのお社を造るならば、人間からお金をもらう必要はありません。神様は人間より偉いのです。

 「これから、私が大寺院を建てる」と言って、天からお金が降ってくるならば、「神さま、仏様は、人間より偉い」ということになるのです。神様、仏様は何もやってくれません。

 人間がお金を作って差し上げて、そのお金で寺院を建立するのです。この形式は変わりません。宗教にお金はつきものです。

 では、日本の場合、奈良の南都六宗(三論宗・成実宗・法相宗・俱舎宗・華厳宗・律宗)の寺院、京都にある寺院は誰が建てたのでしょうか?

 まだまだ有名な寺院があります。それらは、みんな天皇が造ったのです。当時は、天皇と国家は一体です。天皇が、「奈良に大仏を造れ」と言うと、大仏が建立されてしまうのです。

 日本国のすべてが天皇のものです。そこからあがってくる租庸調の実権は、天皇がもっていたのです。すべて天皇のものです。お金の発行権も天皇がもっているのです。天皇が「お寺を造れ」と言わなければ、お寺はできません。

 続いてできたのが、日光東照宮です。これは、徳川家が造ったのです。日光東照宮は、徳川家が莫大なお金を投入して造ったのです。徳川の権威に基づいて造られたのです。みんなそうです。宗教というものは、お金がなければ成立しません。

 これは、キリスト教、イスラム教も、みな同じです。キリスト教は、どこまででも天に伸びるゴシック建築の教会があります。ノートルダム寺院も、政府がお金を出して造っているからできるのです。

 そのように考えると政治権力と宗教権力は、一つだとわかるのです。分離などしていません。お寺を造っても誰もいかなければ、すぐにすたれてしまいます。やはり、いろんなお金をつぎ込んで大きくしていかないと、信者も増えません。

 一つの神様、仏様に信者が集まれば、巨大な権力ができるでしょう。宗教とお金は、切っても切れないものなのです。

 最近では、統一教会が問題になりましたが、創価学会も問題になってくるでしょう。それだけではありません。立正佼成会にしても、生長の家にしても、天理教にしても巨大な寺院があります。天理教は、「天理市」という市までもっているのです。

 故・大川隆法は、白金台に巨大な施設をもっています。よいところはみんな、宗教団体の丸抱えです。創価学会も信濃町に本部があり、「信濃町は、信心の濃い町だ」と言っていたのです。

 それで「信濃町の土地は買い占める」と言って、どんどん買い占めたのです。信濃町は、ほとんど創価学会のものになっています。そのお金は、どこから出てきたのでしょうか?

 それは、信者が出しているのです。宗教にお金がかかるということは、常識です。信者の宗教活動は、お金を集めるということも常識です。信者にした瞬間にお金を要求されるのです。

 統一教会の信者になるということは、「貴方の財産をささげなさい」と言われるのです。「どれだけの財産をささげるのですか?」と聞くと、「すべてささげなさい」と言うのです。

 天理教は、市があるのです。行ってみるとわかります。町全体が、天理教の施設です。「財産をもっているから、人間は不幸になるのだ。財産をすべて本部に供養しなさい。そうすればあなたは裸になるのです。裸になると楽になるのです。人間は、わずかなお金にこだわって、不幸になっているのです。有り金はすべて教団に寄付しなさい」と、言われるのです。

 天理教の信者は、財産をすべて寄付して、本部に住み込むのです。それを「陽気暮らし」と言います。何もないから、もっこを担いで労働をして、ニヤニヤと笑っているのです。

 そんな教団はたくさんあります。統一教会は、「貴方の自転車も、車も、家も、全てのものが神のものである。それをすべて統一教会に返しなさい」と言うのです。統一教会は、財産まるごと盗ってしまうのです。

創価学会は、「隣の奥さんは、1千万円寄付をしたのよ。貴方はお金がないの? サラキンで100万円借りてきて寄付をしなさい」などと言われるのです。創価学会のムリな寄付集めも、これから問題になってくるでしょう。

 幸福の科学も同じです。大川隆法は、死にましたが、何をやっていたのでしょうか? 西荻のビルの2階を借りて、幸福の科学の教団が発足したのです。僕は、注目してみていたのです。

 すると、いきなり皇居前の紀尾井町の家賃5千万円の事務所に引っ越したのです。西荻のボロアパートの2階でやっていた宗教団体が、5千万円の家賃のビルに引っ越ししたのです。僕も信じられませんでした。

 少しずつ大きくなっていくのならばわかりますが、幸福の科学はいきなり大きくなったのです。「この原因は、一体なんだろう?」と思ったのです。一つのウワサがあったのです。それは、「幸福の科学には、ヤクザが入っている」という、ウワサです。

 西荻のボロアパートの2階でやっていたら、お金も集まりません。「寄付をください」と言っても、「このボロ教団に2千万円も寄付をするのか?」と思ってしまいます。

 ところが家賃5千万円の事務所に引っ越すと、信者もびっくりしてしまいます。「寄付は、10万円でよいのでしょうか? 数百万円の寄付をしたほうがよいのでしょうか?」ということになるのです。本当にその通りです。

 家賃5千万円の事務所に引っ越したから、供養金も跳ね上がったのです。寄付の金額も、1億円以上です。白金の一等地に幸福の科学の本部を造ったのです。その他には、地方の施設を造ったのです。

 宗教とお金の関係は、そのようになっているのです。霊友会もそうです。「あんたの先祖は呪われている。教団に寄付をして、先祖を供養しなさい」と言うのです。誰が先祖を供養するのでしょうか? それは、言いません。「とにかく、お金を出して供養しなさい」と言うので、教団はどんどん大きくなったのです。霊友会も大きな施設をもっています。

 宗教とお金はついて回るのです。「宗教活動とは何か?」というと、わかりやすく言うとお金をもってくることです。道場を造ると職員もおかなければいけません。お金がなければ宗教は意味がありません。

正理会はお金を集めていません。僕の言っている宗教は、学校のようなものです。人生を正して、国家を正していく教えです。言ってみれば、大学みたいなものです。

「正理会でお金を取られた」という人がいたら、出てきてください。そんな人は絶対にいません。僕のブログのリブログ欄で、誹謗中傷しているY子がいます。僕は、Y子の手など握ったことはありません。Y子に「お金を払え」と強制したこともありません。何を恨んでいるのでしょうか? 何もしていないのに、人を恨むおかしな人間がいるのです。

普通は、「あれだけY子が怒っているのだから、変なことをしたのだろう」と思うのですが、何もしていません。Y子からお金を借りたこともなければ、お布施を強制したこともありません。手を握ったこともありません。

正理会は、お金を集める宗教団体ではありません。正理会で学んだ人が、立派な人材になり、自分の人生を正し、国家を正していくことを目的としています。

このようなことが基本です。お金と宗教と国家は、関連している問題です。まだまだ、いかがわしい宗教が出てきます。まともにやっている宗教団体は、みんなおかしいのです。

皆さん、正理会と他の宗教の違いを、よくよくご覧ください。

 

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《わたしの花柄はだいたいドルガバさん》三浦瑠麗氏、夫・三浦清志容疑者が逮捕で注目される「セレブ生活のカネの出所」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース

つっころばし

 

 三浦瑠麗氏の夫の報道がされています。三浦清志氏が、4億2000万円を横領したとして、東京地検特捜部に逮捕されたのは3月7日のことですが、いまだ釈然としないことがあります。

三浦清志氏は、10億円のお金を集めて、「私は何も悪いことはしていない」と言っています。本人にしてみれば、「悪いことをした」という意識はありません。

 何故かというと、10億円集めた段階では、架空の話です。ソーラー発電の事業を立ち上げる場合、許可が下りないと架空の話になってしまうのです。架空の話で10億円集めて、そのうちの4億2千万円を使ってしまったという話です。

 本人にしてみれば言い分があります。「私たちは政府関係の事業として、この問題を考えていたのだ。正式に政府に融資を申し込んで助成金として、100億円、或いは150億円引っ張りだす予定だったのだ」ということです。

 これは、まだ誰も言っていません。これは、僕のオリジナルの考えです。そのお金をもって、最初に集めた10億円は、返してしまおうと思ったのです。これは言っていないのです。

 お金を返してしまえば、それで終わりです。詐欺にもなりません。ソーラーパネルで発電する事業で、お金を集めました。しかし、情勢がうまくいきませんから、政府関係の助成金を100億円引っ張り出せばよいのです。

 そうすれば、10億円は返せます。返してしまえば、詐欺にもなりませんから、何も問題はありません。だから、三浦氏は、「私は何も悪いことはしていない」と、突っ張っているのです。

 問題は、その先です。そのオンボロ会社が、どうやって100億円も引っ張りだせるのでしょうか? これが、犯罪になるのです。

 役人がつるんで、いろんな助成金があり、それを引っ張り出させるのです。そのために、政治家が必要だったのです。この橋渡しをした政治家が、元公明党議員の遠山ではないのでしょうか? 僕はそのように思います。

 だから、遠山は毎晩、銀座で接待を受けて、女を抱かされて、融資のO・Kを取っていたのです。役人同士です。三浦氏は、元外務省の役人です。相手も役人ですから、「シャンシャンシャン」と手を打って、「では、100億円だしましょう」と言えば、何の犯罪でもありません。そのような自覚です。

 ところが、検察庁の狙いは、「この事件の奥に誰がいるのか?」ということです。役人の担当者同士で、100億円という金額は出せないでしょう。そこに、大物の政治家が関与しているのに違いありません。

 鶴の一声で、100億円、150億円の融資が決まってしまうのです。これは、誰でしょうか? それは、N議員です。この大物議員を討ち取ることが、検察の狙いでしょう。遠山は下っ端です。もっと上がいるのです。太陽光発電をやっている会社は、三浦氏だけではありません。

 そのような企業に、150億円融資して、10社あったところで、1500億円です。代議士の頭で考えると、チョロイお金です。

 簡単な話です。このように考えているのです。役人同士が手を結んで、ワイロが成立していれば、「これが事件だ」と検察は踏んでいるのに違いありません。今、現在進行中の事件です。

 皆さんに教えておかなければならないことがあります。それは、“つっころばし”です。「“つっころばし”とは、何ですか?」と聞かれると、お巡りさんがよい例です。

 お巡りさんは、泥棒を見つけると、「おい、待て!」と追いかけます。泥棒は逃げます。お巡りさんは、泥棒の首をつかんで引き寄せて「逮捕する!」と思っていますが、反対です。

 お巡りさんがやる行動は、逃げていく相手を後ろからバンと押すのです。こんなこと知っていましたか?

 逃げている奴を「待て」と引き戻したら、刺されてしまうのです。泥棒がナイフを持っていて、「なんだ、この野郎!」と言って、警察官は刺されてしまうのです。だから、絶対に引き戻しません。

 後ろから、ダーンと突き飛ばすのです。すると逃げている力と警察官に押される力で泥棒は、転んでしまうのです。それで「御用!」と言って、逮捕するのです。

 皆さんも、“つっころばし”を覚えておいたほうがよいのです。これは、よく覚えておく必要があります。凶器を持って向かってくる奴をまともに相手にしてはいけません。必ず後ろに回って、背中を前にバンと押すのです。

 「この野郎!」と向かってきたら、後ろに回って、バーンと押せば、ベシャッと転んでしまいます。これは、“つっころばし”と言って、絶対に覚えておく必要があります。

 逃げている奴を「待て」と後ろから捕まえようとするから、振り返ってナイフで刺されてしまうのです。喧嘩は必ず相手の後ろに回らなければいけません。

 戦闘機のドッグファイトも同じです。敵の後ろに回らないと、ロックオンされてしまうのです。前からは攻撃できません。必ず後ろに回った人が勝つのです。

 道場で教わる空手も後ろに回るのです。小さい人でも、大きい敵を倒せるのです。僕も関東軍の鬼軍曹から教わった護身術があるのです。

 「いいか、お前。喧嘩になったら、「ごめんなさい、勘弁してください」と頭を下げるのだよ。土下座して、地面に頭をつけるのだよ。勝ち誇った奴は、「いい加減にしろ、この野郎」と言って、顔面を蹴ってくるのだ。

 その時に「蹴る」ということは、片足になるということだ。蹴っていない片足を手前に引くのだ。すると、野郎は、ダーンと頭を打ってアウトになるのだ」と、鬼軍曹から教わったのです。

実際の戦闘は、卑怯も何もありません。ドッグファイトです。後ろに回って、後ろに回って、どのように敵を攻撃するかによって、勝負が決まってしまうのです。

 もう一つは“高みに登らせろ”と言うのです。鬼子のように調子に乗って威張り散らしている人に対しては、どうすればよいのでしょうか? その場合、もっと高みに登らせてやるのです。

 もっと高みに登らせて、狂うように「鬼子さま」とおだてるのです。おだてられるたびに「私くらい偉いものはないのよ。私は皇后陛下よ」と思うのです。どんどん登らせてやればよいのです。

 「わっせ、わっせ」と、高みに登らせて、頂点まで登れば、ひっくり返ってしまうのです。それを、“高みに登らせろ”というのです。このような戦略があるのです。

 外敵が来たら、後ろに回るのです。暴漢に襲われたら、後ろに回るのです。逃げたら追いかけてくるのですから、とにかく後ろに回るのです。後ろから、傘でももっていれば、傘で突くのです。本当の喧嘩は、後ろに回るのです。

 生意気な奴は、“高みに登らせろ”です。威張っている奴は、滅びが近いのです。みんなやられてしまうのです。もっともっと高みに登らせるのです。高みに登らせれば、ひっくり返って終わりになってしまうのです。

 威張る奴は、必ず追い落とされてしまうのです。腰を低くしていなければいけません。「おい、お前!」などと威張っていると、「あの野郎、必ず追い落としてやる!」と思われてしまうのです。泥棒は、つっころばしです。敵は後ろから追い回すのです。

 これが喧嘩師の実践の考え方です。これは、戦争にも応用できるのです。背後に回った人が勝つのです。正面から戦争をしているフリをして、後ろに回って後ろから攻撃すると勝つのです。

 実際の戦争は、卑怯はありません。戦争は何が何でも勝たなければいけません。特に強盗株式会社の連中がウロウロしているので、庶民も危なくて仕方ありません。どこにいても安心できるところはありません。

 戦争の要諦は、戰捷(せんしょう)の要は有形無形の各種戰鬪要素を綜合して敵に優る威力を要點に集中發揮せしむるに在り」(作戦要務令)

敵に優る威力を要點に集中發揮せしむる」ことにより、戦争は勝つのです。まず、隠し武器を常に持っていることです。おにぎりくらいの石を2つ持っているのです。

 それに紐をつけて袋に入れておくのです。夜道で襲われそうになったら、それを顔面めがけて投げつければイチコロです。顔面でもよいのですが、後ろに回って石をぶつけるのです。そのような気の強さを持たないと生きてはいられません。

 逃げたら終わりです。“つっころばし”という戦法をよく覚えて、敵に対しての対処方法に習熟しておきましょう。それと“高みに登らせろ”ということを、よく覚えておきましょう。鬼子も、瑠麗も、もっと高みに登らせてやるのです!

 

 

 

 

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形而上学をゆるーく考える】存在を存在たらしめる根拠って⁉︎

 

 

形而上学(けいじじょうがく)について

 

形而上学(けいじじょうがく)とは、形より上の学問のことです。「形をなしているものの上」というのですから、何もありません。人間が頭の中で作り上げたものを形而上学といいます。

 形而下とは、この世にあるものです。人間が問題を考えている場合、「形而上学的にものを考えているのか、形而下的にものを考えているのか?」ということです。形而下は、どちらかというと唯物論に近いのです。

 形而上学は、現実的にありません。例えば、西方極楽浄土などというものは、現実に見た人はいません。だから、形而上学です。キリスト教の天国も形而上学です。

 人間は自分が創り上げた形而上学に振り回されてしまうのです。形而上学であるがゆえに、「絶対にある世界だ」と思い込んでしまうのです。そのように思うのは、そんな世界はないからです。

 何かあればわかるのですが、そんなものは無いのです。有るものは、絶対になってしまうのです。無いものが絶対になってしまう立場をとって人間は間違えてきたのです。また、形而上学は、魅力があるのです。

 イスラム教徒は、世界に19億人います。世界の4分の1を占めています。その人たちが、アラーの神を信じているのです。では、アラーの神は見えるのでしょうか? アラーの神は目に見えません。想像するだけです。その想像に引きずり回されてしまうのです。

 人間は形而上学の奴隷になってしまうのです。本来、人間が考えた学問が形而上学です。反対に形而上学に人間が引っ張られてしまうのです。

 形而上学に引っ張られた人間は、形而上学が人生そのものになってしまうのです。バカげた話です。念仏も同じです。念仏宗のお坊さんは、「南無阿弥陀仏と唱えるならば、極楽浄土に逝ける」と言うのです。

 では、お坊さんは、極楽浄土へ逝ってきたのでしょうか? 答え、誰も極楽浄土へ逝ったことはありません。「極楽浄土へ逝ける」というのは、話だけです。

 形がない話ですから、「何百万遍もお題目を唱えると、極楽浄土へ逝ける」というように変わるのです。

 宗教を専門にやっている連中、キリスト教のミサもそうですが、信者に何回も懺悔をさせるのです。「天にまします我等の父よ、父の行いに対して私は至っておりません。真に申し訳ない。お父様、私をおしかりください」と言わせるのです。

 自分に鞭を打つのです。形而上学という、この世に無いのに鞭を打たれてしまうのです。

アラーの神もそうです。1日5回もお祈りして、ありもしない天国を考えているのです。これは、形而上学です。「アラーの神のために死ぬのならば、その人を天国へ連れていってくれるのだ。天国は美人がいて、酒はうまいのだ。肉もうまいぞ。たらふく美味しいものを食べられるのだ」と言うのです。だから、神さまは、「この世では、やってはいけない」と言うのです。

 それは、天国でやるものです。この世でそれをやってしまうと、天国へは行けないのです。「どうしたら天国へ逝けるのですか?」と聞くと、それは殉教することです。殉教とは、自分が神様のために死ぬことです。ジハードをやっている連中は、天国へ逝けるつもりでいるのです。

 「お前、自爆テロをやってこい」と言われると、喜んで自爆テロにいくのです。「お前、やっと順番が回ってきたな。待っててよかったな。神様のためにすぐに行ってこい」と言われて、「はい」と返事をしてニコニコと笑って自爆テロへ出かけるのです。

 死ねば「これで天国へ逝ける」と思うのです。そうなってしまうのです。これは、本当です。だから、イスラム教徒は恐れを知らないのです。死ねば天国へ逝けるのです。生きていれば地獄です。では、天国へ逝ったほうがよいでしょう。しかも、少しでも早く天国へ逝ったほうがよいのです。

 キリスト教も同じです。神の言葉を信じる者は、天国へ逝き、信じないものは地獄へ逝くのです。だから、神のお言葉を実行していない自分に鞭を打つのです。それが懺悔です。懺悔というものは、神父がいて、神のかわりをするのです。

 そこで懺悔をするのです。「私はこんなことを考えました。隣の奥さんと肉体関係を持とうとしました。すみませんでした」と懺悔をするのです。

 そこには神父がいて、神父が懺悔を聞くのです。神様に懺悔をしているのではありません。神父は人間です。「おまえ、そんなことをやろうとしたのか? では、隣の奥さんを呼んで来い」と言うのです。

 すると、隣の奥さんを呼んでくるのです。神父「お前、浮気しているのだろう?」、隣の奥さん「私はそんなことはしていません」、神父「ウソをつくな。神にウソをつくと、ためにならんぞ」と脅かすと、隣の奥さん「私はウソをつきました。本当はやっていました」と言うのです。

 すると神父は「どんなふうにやったのだ?」と聞いて、その奥さんを神父が犯してしまうのです。「なぜ、こんなことがわかるのか?」というと、『カサノバ回想録』に書いてあるのです。

 その本に詳しく書いてあるのです。カサノバは、教会を回って旅をしたのです。女たらしとして有名な男です。女はみんな神父にやられてしまったのです。どこの教会へ行っても、同じ話です。『カサノバ回想録』には、そのような話が出てきます。教会はみんなそうです。

念仏も同じです。念仏は、どうでしょうか? 「悪人ほど救われる」と言ったのです。なぜ、悪人が救われるのでしょうか? 善人は良いことしかしません。悪人は悪いことばかりやるのです。人殺し、かっぱらい、姦淫をやるのです。

そのようなことをやっている奴は、成仏はできません。だから、阿弥陀仏がいるのです。「阿弥陀仏像と自分の手を糸で結ぶのだよ」と坊主は言うのです。信者の手と阿弥陀仏像の手を結んで「これで大丈夫だよ。お前が死んでも阿弥陀様が極楽浄土へ連れて逝ってくれるのだよ。お前の悪はすべて消えるのだよ」と言うのです。

「そうですか。では、もっと悪いことをしておけばよかったですね。悪人ほど救われるのでしょう」と言うと、坊主は「そうだよ。もっと悪いことをしなければいけないのだよ。そうすれば阿弥陀仏はかわいそうに思って救ってくれるのだよ。善男善女は勝手に救われるのだよ。ウソつきで、どうしようもならない詐欺師、泥棒、人殺し、女と見ればかたっぱしから手を付けてしまう悪人ほど救われるのだ」というのです。

「和尚、俺は救われるか?」、「もちろん、救われるべ」と和尚が言うのです、念仏の集会になると、悪人自慢になってしまうのです。お坊さんが来て、ポクポクポクと木魚を叩くと、信者は肉を焼いて食べているのです。「俺はな、悪人だからよ、肉を食べるんだよ」というのです。

或いは「おいみんな、博打をやるべ」と言うのです。和尚さんが説教をしているのに、「丁だ」「半だ」と博打を始めてしまうのです。「かあちゃん、今からやるべや」と隣の奥さんとつがってしまうのです。

これは、本当にあった話です。念仏の会合での悪人自慢がひどくなってしまったのです。鳥は殺して、酒を飲み、博打をやって、強姦もやるのです。ひどい会合になり、念仏宗のお寺は御触れを出したのです。親鸞は、「悪人ほど成仏するというのは、そのような意味ではないのだ」と言っても、時すでに遅しです。

念仏の集会といったら、乱交、肉食、酒を飲むことになってしまったのです。念仏のお坊さんは今でも髪の毛を剃りません。毛坊主というのです。それは、悪人を気取っているのです。

このように形而上学は、人間社会にとって大きな災いをなすのです。形而上学に騙されてはいけません。よく自分の目で見て、正しい教えを求めていかないといけません。以上!

 

 

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日蓮大聖人(世界の比較思想)
開目抄(上・下)講義
正理会 総帥・名誉会長 中杉 弘

定価12,000円

日蓮大聖人様による思想の研鑽。
世界の宗教を比較した世界初の比較思想です。
世界の思想を比較して正法に目を開く開眼の書。

 

 

 

天もすて給え、諸難にもあえ ②

 

 民衆に対して、「お釈迦様の教えを学びなさい」と言っても、「私は自分のことしか信じていないわよ」と言うのですから、仏教は入りません。

 あるいは、「お釈迦様の教えが何よ。私のほうが偉いのよ。私はね、大学まで行って、物理も数学も習っているのよ。ハーバード大学の博士号をもっているのよ。お釈迦様は何も知らないでしょう。だから、私のほうが偉いのよ」、と思っているのです。

 「仏教とは、2500年前の教えです。そんなものを信じるよりも、現代化学のほうがはるかに進んでいるのですよ」という考えになるのです。民衆は、お釈迦様の教えを素直に信じようとしません。

顕正会新聞には、出鱈目なことが書いてあります。行列だけ整えて、中身が何もありません。そんなものに広宣流布などできるわけがありません。

一番大変なことは、布教です。だから、末法には地涌の菩薩が出てくるのです。普通の人には、耐えられません。法を説いても誰も注目してくれません。その民衆に対して、法を説いていくのです。

「あんた、何言ってるのよ。自分のことでも考えなさいよ。私はお釈迦様よりも偉いのよ」と思っているのですから、何を言っても入りません。説法している人間は、参ってしまうのです。

そこで初めて、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(開目抄下) という、この御書が読めてくるのです。この経典の意味は、そのような意味だったのです。そこで、初めてこの経典を読んだことになるのです。

仏教はみなそうです。わからないことに挑戦していくのです。すると、難しいことがすらすらとわかってくるのです。

「ああ、わかったぞ」と思って説いてみると、民衆は、チンプンカンプンです。お釈迦様の初成道の後の布教がそうだったのです。最初に説かれたのは、華厳経です。

それまでのお釈迦様は、断食したり、滝に打たれたり、苦行をしていたのです。それは、間違っていたのです。

お釈迦様は、「私のお腹はペコペコになり、栄養が足りないから、骨と皮だけになってきたのです。8年間も苦行をやったのですが、悟りは得られません。この道は、ちょっと違うのではないのか? よし、菩提樹の木の下で静かに座って、静かに自分の心を見てみよう。苦行は止めた」と思って、発心したのです。

そこで、菩提樹の木の下に座って、座禅を組んだのです。すると、一緒に苦行をしてきた仲間は、「瞿曇(くどん)よ、お前は修行を止めたのか? 瞿曇が来たら口を利くのをやめよう。あいつは、退転したのだ」と言ったのです。

お釈迦様は、7日7晩、座禅を組まれたのです。そして、「このような苦行のやり方は、間違っている。苦行では悟りを得られない」とわかり、華厳の教えを悟ったのです。菩提樹の木の下で、「天上天下唯我独尊」ということを悟られたのです。

「私は天上の中で一番尊いものである」、ということを悟られたのです。これは、「お釈迦様が、尊い」と言っているのではありません。

「自分が」という意味です。これもわかっていません。「お釈迦様が尊くて、自分は尊くない」という意味ではありません。

「天上天下唯我独尊」とは、「自分がここに存在して、仏道修行をしようと思う。私が世界最尊である」という意味です。

「仏教を求めて、座禅を組んで、仏道修行をしていこうとする私、これは天上天下唯我独尊である。ここからはじめなさい」ということです。

「お釈迦様だけが、天上天下唯我独尊で、私は凡夫ですから違う」というのではありません。それを悟ったのです。「ああ、一番大事なものは、この自分なのだ。仏教というものは、自分の正体を明らかにするものだな」ということを悟ったのです。

お釈迦様は、一緒に苦行をしてきた仲間たちに「私は悟ったのだよ。」というと、苦行仲間は、「瞿曇が来たら、口を利くのは止めよう。仲間外れにしようぜ」と言ったのです。

僕は、学生時代の友人に「あいつは上目線だから、同窓会の仲間に入れないようにしようぜ」と言われたのです。それと同じです。それが仏教の最初です。

この中にすべて含まれているのです。天上天下唯我独尊とは、貴方のことなのです。貴方以外に尊いものはありません。それを仏様と言われているのです。自分の中のもの、天上天下唯我独尊であるところの本体は私であるのだから、私の道を目指していくのです。

それは、自灯明(じとうみょう)の道でもあるのです。涅槃行に書かれている自灯明とは、「自ら明かりを灯して進んでいくのです」と言われているのです。

ここまで到達するのに、お釈迦様は40年間かかったのです。始めて法を説かれてから、次の教え、次の教えを説いていき、法華経を説かれたのです。民衆は、そう簡単にはわかりません。

上手くいかない時は、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(開目抄下)という境涯です。ここでも、身命」が出てきます。

それは、「私の身命を信じなさい」ということです。命があるのですから、私は仏道を求めているのです。仏道があることを信じていくのです。

なかなか大変です。だから、勇猛精進というのです。「勇んで為すを勇と言い、智を竭すを猛と言う」のです。勇猛精進、天上天下唯我独尊、自灯明が生きてくるのです。

布教者は、民衆から相手にされません。だから、地涌の菩薩でないと末法の布教は務まらないのです。功徳を求めて、ご利益だけ求めている人は、自分のことしか考えていませんから、仏道など求められません。必ず退転するのです。仏教は、ご利益を求めるものではありません。

全ての人を幸せにしていく真実の道を説いていくことが、仏道修行者の目的です。なかなかそうはいきません。「勇猛精進して頑張っていく!」ということが、仏道修行の正しい道です。以上!

 

 

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【寮歌・歌詞付き】「嗚呼玉杯に」第一高等学校

 

 

天もすて給え、諸難にもあえ ①

 

 この道を目指して、「船出せしより十二年」という歌が「嗚呼玉杯に」第一高等学校寮歌にありました。

僕は道を極めて12年くらいやってきましたが、道ははるかに遠いのです。

 有名なところでは、藤村操の「巌頭之感」という遺書があります。

巖頭之感

悠々たる哉天壤(てんじょう)、遼々(りょうりょう)たる哉(かな)古今、五尺の小軀(しょうく)を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價(あたい)するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉(つく)す、曰く、「不可解」。我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」

 藤村 操(明治36年5月22日)は、北海道出身の旧制一高の学生でした。華厳の滝で、投身自殺をして、自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって、当時の学生・マスコミ・知識人に波紋を広げたのです。

藤村操は、崖の上に立って、無常を感じたのです。「初めて知るのです。私はこの滝に飛び込んで死ぬのです。その時に、私の心は非常に正常である。そして、崖から飛び降りるのを待っているのだ。飛び降りた時に、私はすべてを知るであろう。価値を認めることはない」、このような内容です。

道を求めて進むもの、それには必ず困難が付きまとうのです。その最高の困難とは何でしょうか? 

私もこの道を目指して50年、一生懸命やってきたけれども、なかなかご理解を受けることはありません。ご理解してくれる方は、少ないのです。そこで初めて、日蓮大聖人様の『開目抄』のお言葉に触れます。

 「詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ身命を期とせん」(開目抄下)

 僕の場合は、50年以上の仏道修行をしてきているので、「初めてこの言葉の意味を読みきった」ということを、最近、自覚しています。

 御書というものは、自分が体験して読み切らなければ、その経典を理解したことにはなりません。

 僕は、「この御書を読みきった」という自覚があるのです。50年くらい戦ってきているのです。衆生をリードするということは、大変なことです。

 方便には、いろいろとあります。「この御本尊を拝めば、成仏するのだ」というと、簡単に見えますが、その通りやっても、成仏できません。

 成仏させるということは、非常に大変なことです。人々を成仏させて、自分も成仏していくことは、大変に珍しいことです。

 「すべての人々を救い、この地上を平和にしたい、仏国土にしたい」と思っても、民衆は法など求めていません。正しい教えなど求めていません。すると、「民衆は、法を求めていないのだ」とわかってくるのです。

 「仏教を説きなさい。するとどうなるのか?」というと、民衆は「はい、わかりました。有難いお釈迦様の教えですね」などと言って、信じてはくれません。僕は、「この御書を初めて読んでいるのだな」と思うのです。

 僕は、50年以上やっているのです。始めて「天もすて給え、諸難にもあえ」という境涯がわかるのです。誰も助けてくれません。その時にどうするのでしょうか?

 懸けるものは、自分の身命だけです。これは、信じられるものですから、信じて間違いはありません。経典には、「地涌の菩薩が現れて、末法には法を広めてくれる」と書いてあるけれども、現実はちょっと違います。

 まじめに人々を救済していくということは、大事業中の大事業です。簡単に「南無妙法蓮華経とは、こうですよ」と言われて、「わかりました。有難うございます」というものではありません。

 「信じる」ということから教えなければいけません。阿弥陀仏像や大日如来像などを信じることが信仰ではありません。奈良の東大寺に連れていかれて、「素晴らしい毘盧遮那仏でしょう。この仏像を信じることが信仰なんですよ」と言われるのですが、そうではありません。

 古来の人は、そのように考えたのですが、そうではありません。その前には、信仰を求めても、ガンジス川のような大きな川で隔てられているのです。「川を渡って、こちらの岸に来なさい」と言われて、民衆は「助けてください」と言って、泳いでくると、川に流されてしまうのです。岸にはたどり着けません。

 そのように信仰の本筋は、大変難しいものです。助けるものは、自分しかいません。それを「天もすて給え、諸難にもあえ」と言うのです。誰も助けてくれません。

 「身命を期とせん」です。まだ、貴方の命があります。その命の尽くすかぎり、法を説いていくのです。「そうですか、わかりました」と言って、やればやるほど、民衆と乖離していくのです。

 民衆は、簡単には認めません。なぜでしょうか? 答え、人間は「自分が一番偉い」と思っているのです。人間は簡単に優れた人を認めません。なにしろ、「私が一番偉いのだ」と思っているのです。

 「悟った」という立場にいる人間、そんなものは信じません。「信じなさい」と言っても信じません。人間は、なかなか人を信じないので、御本尊を造り、「これを信じることが信仰です」と言ったほうがわかりやすいのです。何故ならば、御本尊は自分だからです。

「信じなさい」とは、何を信じるのでしょうか? それは、「お釈迦様の教えを信じなさい」ということです。「御本尊を信じなさい」ということではありません。

 「この御本尊を信じなさい」という信仰は、簡単です。信者「わかりました、これを信じるのですね」、仏教指導者から「お釈迦様の教えを信じなさい」と言われても、お釈迦様の教えは、8万4千巻もあります。何を信じてよいのかわかりません。

 それを考えて、打ちこんでいくことが仏道修行の原点です。なかなか民衆は信じません。「仏教を信じなさい」と言われると「私は自分のことを信じているのよ。自分以外のものは、信じないのよ!」と思っているのですから、仏教が入るわけがありません。末法の衆生は、自分を信じて、「自分が一番偉い」と思っているのです。

だから、池田大作のような邪師を魅力的に思い、創価学会が流行ってしまうのです。池田大作は、「お釈迦様の仏教を学べ」とは言いません。「我をパンパンに張って、自分の祈りをかなえるのだ!」と学会員に言うのですから、大衆は喜んで受け入れるのです。それは、「自分が一番偉い」と思っているから、そのような言葉を受け入れるのです。(②に続く)

 

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グラディエーター』コロッセウム戦闘シーン 日本語字幕 1/2

※人に殺されて流した血は、大海の水よりも多いのです。

 

 

 

一念に億劫の辛労を尽せば、本来無作の三身念念に起るなり。所謂、南無妙法蓮華経は精進行なり。

 

 創価学会では、この文章の解釈は、「お題目を唱えて一心に祈るならば、祈りは叶う」と教えているのです。

 だから、創価学会員はお題目を唱えまくるのです。そこから出てくるのが、「12時間お題目行」です。1日に12時間もお題目を唱えるのです。これも、ひどい話です。実際に12時間のお題目行をやってごらんなさい。足が腐ってしまいます。

 最近は、足の下にいれる座椅子があり、正座をしても、足に体重がかからないようになっているのです。すると、「12時間もお題目を唱えても疲れない」と言うのですが、それでもそれは、相当な苦行です。12時間もお題目を唱えていたら、足も変形してしまいます。オバサンならば、足が変形してしまいます。これは、ダメです。

「一念に億劫の辛労を尽せば、本来(ほんらい)無作(むさ)の三身(さんじん)念念に起るなり。所謂、南無妙法蓮華経は精進行なり。」(御義口伝巻下)

この御書の意味は、創価学会の解釈している意味ではありませんが、一般的には、そのように教わります。創価学会では、「こうなりたい、ああなりたいという願望を、「一念に億劫の辛労を尽せば」、祈りは叶う」と教えているのです。その祈りが叶うと「こうなりたい」「ああなりたい」というものになっているのです。

 創価学会の幹部は、「祈りが叶うかどうかは、お題目の数により決まる」と言っているのです。そうではありません。「本来無作の三身念念に起るなり。」、ここが大事です。主語は、「無作(むさ)の三身(さんじん)」です。「無作の三身が、どのように出てくるのか?」ということが大事です。

 無作の三身とは、「はたらかさず、つくろわず、もとの侭(まま)と云う義なり、無作の三身なれば、初めて成ぜず、是れ働かざるなり」(御義口伝巻下)というのです。

「それは、どのような意味なのか?」というと、我々の永遠の生命の中で最初にあった生命のことです。生命とも言えません。無作の三身という境智があったのです。

 それから、時代が下るにつれて、人間は生まれ変わり、生まれ変わり、様々なことを経験して、生まれ変わってきたのです。悔しくて泣いた涙、うれしくて泣いた涙は、太平洋の水よりも多いのです。

 また、人に殺されて流した血は、大海の水よりも多いのです。それは、そうです。永遠に生きているのです。人間は、いつか死ぬのです。それで、悔しい思いをして涙を流すのです。涙は、どれくらいの量の涙を流したのでしょうか? それは、太平洋の海の水よりも多い涙を流しているのです。

 この話を聞いた人は、「え~、本当ですか?」と思うのです。そうなのです。永遠の生命がわからない人は、そのようなことは信じられません。我々は永遠の昔から存在して、今もいるのです。それが、永遠の未来に続いていくのです。

 その間、悔しい思いをしたり、殺されて血を流しているのです。そのものが人生です。人間は、苦しいこと、悲しいこと、うれしいこと、いろんなことを経験してくるのです。「そんなことを経験しない、最初の状態に帰りたい」と思うのです。その状態の命は、キレイです。人殺しもしていません。そのキレイな命のことを「無作の三身」というのです。

 仏道修行は、精進行です。そうなのです。一生懸命、仏道修行をしていると、念念に昔に戻り、本来の自分に帰っていくのです。祈りがすべて叶うことなどありません。創価学会では、「祈りがすべて叶うのだ」と会員に教えているのです。

 人間は有作(うさ)の三身です。人間は、つくられた、間違った人生を歩んでいるのです。それに気が付かないから悪因を積んで泣いたり、苦しんだりしているのです。本当の幸せは、無作の三身にしかありません。

 生まれる前のもとのままです。もとのままの人間の姿は、「はたらかさず、つくろわず、もとの侭(まま)」です。誰かが強引につくったものではありません。生のもとの人間の姿に帰ると、そこは豊かなところです。

これを日常の具体的なことで考えるとわかるのです。人を恨んでヤクザになってしまったら、ヤクザ道を歩んでいるのです。経験することは、怨み辛みで「あの野郎、ぶっ殺してやる!」という、修羅界の人生です。ヤクザになったら最後、「あの野郎、憎らしい。殺してやる!」となるのです。そこには、どう考えても幸せはありません。

 スポーツ選手もそうです。「私は、優勝した。うれしい!」と言っても、それまでの人生は、ものすごく苦しいのです。人が休んでいる時間も練習を続けて、ずっと耐え続けてきたのです。

苦しい思いの結果は、「優勝した」という事実があるのですが、それは一瞬で消えてしまうのです。あとは、「優勝した」という思い出になってしまうのです。「優勝した」という気持ちがずっと続くわけではありません。

 人間は、そのように錯覚をしているのです。人間の目的は、原子爆弾を造ったり、ロケットを造って月へ行くことではありません。そんなことをいくらやっても、幸せにはなれません。

 もう無作の三身から、飛び出しているのです。もともと、「はたらかさず、つくろわず、もとの侭(まま)」でいたら、何も困ることはありません。悪因縁に出会うこともありません。

 そこから飛び出してしまったら、何になるのかわかりません。ロシアがそうです。ロシア兵は「殺されるために戦争に行くのです。ひどい話です。今もロシア兵は、武器も持たないでウクライナに攻めていくのです。

 最初の一陣だけは武器をもって「ワー!」とウクライナに攻めていくのです。すると、ダダダダーーーとやられて3分間で全滅してしまうのです。

 すると、第二陣が行くのです。第二陣は、武器を持ちません。何も持たせないで「突撃―――!」と上官が命令するのです。

 第二陣が出てくると、またダダダダダーーーーとウクライナ兵に銃撃されて死んでしまうのです。

 すると、第三陣まであるのです。「武器がありません」と言うと、「死んだ兵士から武器を奪えばいいいのだ」と言われるのです。

 ワグネルに入って兵隊になるということは、「必ず死ぬ」ということです。みんな死んでしまうのです。ロシア兵は、突撃の前には、親に電話をかけるのです。「後、何分で死にます」と言うのです。本当に悲惨な状態です。

 よく考えると、人間はみんなそうです。仏道修行者は、普通の人の人生観と変わらなければいけません。普通の人は、妙などということは、考えていません。生があるというのはわかるのです。

 「生がどこから出てきたのか?」ということは、わかりません。生は妙から出てきたのです。妙の世界のことは、わかりません。生まれてきた生の世界しか、わかりません。その世界の半分しかわからないで、人生を生きていくのです。

 だから、間違った人生になるのです。悪い男に引っ掛かった女性は、ストリッパーになったり、売春婦になったり、暴力団の女になったり、錯覚の人生を歩んでいるのです。

 それは、アンタッチャブルで触れてはいけない世界です。妙の世界から見ている人は、そのように思います。

我々は、そのようになるために生まれてきたのではありません。そんなことのために戦争をしたり、人を殺す剣闘士(Gladiator)になったりするために、我々は生まれてきたのではありません。

 我々は、奴隷になるために生まれてきたのではありません。誰にも拘束されずに、自由を謳歌して、人を傷つけることはありません。そのために生きてきたのです。しかも、それは楽しいのです。

 それを達成するのが、人生の目的です。そのような大目的から見ると、皆さんがもっている目的は、ウソなのです。

 「有名人になりたい」「プロ野球の選手になりたい」「サッカーの選手になりたい」というのは、間違った目的です。そんなもののために生きているから、幸せになれないのです。

 よい例がアベベというマラソン選手です。オリンピックで金メダルを取ったのです。その後、足が動かなくなり、車いすの生活です。すると気がなえてしまうのです。世界一を達成したというのは、過去の話です。アッと今に車いすの生活です。そのような例はいくらでもあります。それは、人生の目的を間違えているのです。スポーツをやるために人間は、生まれたのではありません。

 朝から12時間も勉強して、「東大合格!」などという人生は、意味がありません。東大に進学したあとは、どうするのでしょうか? 東大の出世コースへ行くと、「俺のほうが偉いのだ」「俺のほうが偉いのだ」という連中がうじゃうじゃといるのです。仲間同士で一生それを続けるのです。その間に人生が終わってしまうのです。哀れな人生です。

 そのように考えると、「人間が心がけるものは何か?」というと、成仏の境涯です。成仏するために、人間は生まれてきたのです。成仏するとは、どのようなことなのでしょうか?

 それは、無作の三身を体得することです。それを成仏というのです。無作の三身とは、生まれたままで、「はたらかさず、つくろわず、もとの侭(まま)」です。もとのままの生命を、そのまま体得することを、「無作の三身念念に起るなり。所謂、南無妙法蓮華経は精進行なり。」というのです。

 そのような目で見ると、「功徳が欲しい」とか、「あれが欲しい」などという気持ちはなくなってしまうのです。

 ものがなければ「車が欲しい」「家が欲しい」と思いますが、そんなものはあろうがなかろうが同じです。ホームレスでいても、生活保護を受けていても同じです。

 生活保護を受けていても、成仏することはできるのです。そうなのです。学会が教えている「すべての祈りが叶う」という解釈は、目的の意味を間違えているのです。

 そのようなことを頭において、無作の三身から外れないように、それを目指して、日々努力していくことを仏道修行というのです。終わり。

 

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