中杉 弘の徒然日記 -2ページ目

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

【奈良時代】32 南都六宗ってどんな仏教?【日本史】

 

 

 

バチカンと創価学会の関係 ①

 

 バチカンと創価学会の関係について、前回、書いてみましたが、コメントがなさすぎで、びっくりしました。僕は「もうちょっと反響があってもいいのではないか」と思っています。

 創価学会は、日蓮大聖人様の仏教を学ぶ団体であるならば、第一番に学ばなければいけないことは、五重相対です。五重相対とは、五つのものを比較して、「どちらが正しいのか?」という相対論を勉強していくのです。

 東大教授の故・中村元教授がいました。中村元教授は、「比較思想学」を勉強された教授です。比較思想学では、他宗教の違いを言いません。中身については論じません。

 例えば、キリスト教に「愛」という言葉があります。仏教には、「慈悲」という言葉があります。中村元教授の「比較思想論」によると、慈悲と愛は同じではないでしょうか?

 「比較思想論」では、違いを述べません。愛と慈悲の違いを述べれば、「比較思想学」ができてしまうのです。中村元教授は、「比較はいらないのだ。愛と慈悲という言葉は似ているだろう。同じような言葉だから、同じとみなせばよい」というのです。

 正確に言うと、慈悲と愛は違います。仏教では慈悲を説き、キリスト教では愛を説きます。そのような見方は一切しません。中村元教授の「比較思想論」は、易しいのです。僕は両方勉強しているから、違いがわかります。

 日蓮大聖人様の仏教は、学問的に言うと「比較宗教論」です。様々な宗教を比べてみて、「どの宗教が優れているのか?」ということを、研究されたのです。日蓮大聖人様は、各宗派のお寺を訪ねて歩いて、日本にある経典の全てを読んだのです。

 全ての教典を読んだから、その違いがわかるのです。そうでないと、「仏教」という枠に入ってしまうと、念仏宗も、禅宗も、真言宗も、律宗も、華厳宗も、同じです。これらは、全て仏教です。

 同じ仏教の中で「この経典がよいのだ」と主張したら、キリがありません。全ての仏教を認めることが、仏教界の一般的な考え方です。

 奈良時代には、南都六宗があり、様々な宗派がありました。宗派というけれども、中身は全て違います。日蓮大聖人様は、全ての教典を読むために、全国のお寺を訪ねられたのです。

 各お寺には、経典が所蔵してある経蔵があります。それを五重塔といいます。お釈迦様の教典は、8万4千巻ありますので、一つのお寺では収まりきれません。全国のお寺を訪ねて、日蓮大聖人様は経典を読ませてもらったのです。

 経典は持って帰ることはできません。その寺で読むだけです。大事な点は、書き写したのです。そのようにして、研鑽を進めていったのです。日蓮大聖人様の仏教は、「比較宗教論」でもあります。

 日蓮大聖人様の原点がわからないと、「どうして他の宗派の悪口を言うのだ。私が何を信じようが、勝手でしょう」となってしまうのです。それは、違います。経典の中身は、全て違います。日蓮大聖人様は、「どの経典が、この経典と、どのように違うのか?」ということを、研鑽されてきたのです。青年時代、10年以上かかって、経典の研鑽をされたのです。『観心本尊抄』などが、それです。

 日蓮大聖人の仏法の根本とは、何でしょうか?まず、仏教の教典は、8万4千巻ありますが、仏教と違う教えを比較してみましょう。

 仏教以外の違う教えというと、中国には道教、儒教があります。これらは、仏教に似ているけれども、仏教ではありません。

 インドには、バラモン教があります。お釈迦様が対決されたのは、バラモン教です。バラモン教は、拝火教ともいいます。火を拝む宗教です。法華経の中には、「阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)」がでてきます。「阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)」とは、バラモン教の僧侶です。

 バラモン教には、六師の外道がいたのです。六師は、仏教ではないけれども、仏教に似たものを説いていたのです。それで、お釈迦様の仏教を批判した連中です。

 阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ)は、バラモン教の僧侶の名前です。それを知らないと、法華経は読めません。六人の外道がいたのです。

 ところが、「インドに本当の仏教があるのではないか?」と思って、インドに行く人がいるのです。そのような人は、バカなのです。お釈迦様は、六師外道を破折されて決着がついているのです。

 「バラモン教とは、このようなものだ」ともうわかっているのです。バラモン教は、仏教ではありません。インドへ行ってお釈迦様以前の教えを習ってくる人は、バカだとわかるでしょう。

 使い果たされた、賞味期限切れの外道の教えを学んでいるのです。それで「インドへ行って、新しい教えを発見した」と思っているのです。インドには、新しい教えなどありません。お釈迦様は全て破折されたのです。

 結論を言うと、仏教とは法華経のことです。法華経以外に仏教はありません。「念仏が仏教だ」「禅宗が仏教だ」「真言宗が仏教だ」と言っているのは、ウソなのです。

 例えば、真言密教で曼荼羅をつくります。胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅などがありますが、それらは全てウソなのです。空海は、仏教以前のバラモンの教えを「仏教だ」と言って、日本で広めたのです。

 禅宗の教えも仏教ではありません。座禅は、中国の少林寺のやり方ですから、仏教ではありません。

 そのように一つ一つ整理されたものが、日蓮大聖人様です。若い頃、お寺を訪ねられて、全ての教典を読んだのです。それで、「仏教の神髄とは、南無妙法蓮華経なのだ」と言われたのです。これは、大事なことです。

 これは、とても大事なことです。「仏教とは、南無妙法蓮華経しかないのだ」ということです。インドの言葉で言えば、「南無薩達磨芬陀梨伽蘇多覧(なむさだるまふんだりきゃそたらん)」です。これが仏教で一番大事な点です。このように見ていけば、「仏教とは何を説いたものなのか?」ということが、わかってくるのです。

 この世の中のものは、何からできているのでしょうか?それは、妙と法からできているのです。「人間はなぜ生きているのか?」というと、魂があります。それは、妙というものです。万物の根源をなしているものは、妙です。妙のことを妙法といいます。妙法を説かない法を麁法(そほう)といいます。

 麁法(そほう)とは、「物はどのようにしてできているのか?」ということです。「物質は何からできているのか?」というのは、麁法(そほう)です。

 妙とは目に見えないことを言っているのです。目に見えないことを妙といいます。目に見えることを法といいます。この2つのものを明らかにすることが、仏教の目的です。どうしてかというと、人間は死ねば妙になってしまうのです。生きている時は、法則性に従って生きているのですから、法です。

 人間の目に見えない部分が妙で、目に見える部分が法です。「人間は何からできているのか?」というと、妙法からできているのです。

 今の創価学会員は、教学を学んでいないので、そんなこともわからなくなっているのです。正理会の教学を学び、勉強をやり直しなさい!(②に続く)

 

 

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師匠池田先生の意志を体現した歴史的な日

 

 

 

新宿の有名なホームレス、アイコちゃん ②

 

 創価学会の原田会長は、バチカンへ行って、ローマ法王に拝謁したのです。こんな大ニュースを見ても、学会員は無反応です。臭いものを長年見てきていると、臭いものがわからなくなっているのです。

 まるで、トイレの中にいるようなものです。汚いものの中にいると、汚いものを見ても「汚い」と思わなくなってしまうのです。すると、きれいなものがわからなくなってしまうのです。それが、人間の恐ろしいところです。

 学会員は長年、汚いものの中にいるので、汚いものがわかりせん。汚いものとは、お金です。お金の匂がするものには、敏感になるのです。クンクンクンとお金の匂を嗅ぎ分けているのです。

お金があるところをクンクンクンと探しているうちに、自分がどんどんと汚れているのです。終いには、自分が臭いこともわからなくなってしまい、覚醒剤中毒の精神病患者になってしまうのです。

 その姿は、宗教団体の信者と全く同じ姿です。創価学会を50年くらい信仰した人は、大勢います。僕は重大なことを言ってあげているのです。創価学会の原田会長は、ローマ法王に会いにいったのです。

 それは、ローマ法王のご機嫌伺いに行ったのです。ローマ法王に拝謁したということは、ローマ法王の臣下になるということです。「私は創価学会という宗教団体をやっていますが、よろしくごひいきにしてください」と言って、お金を持っていったのです。

 お金を持っていくのですから、「良い子だ、バチカンのお墨付きをあげましょう」となるのです。創価学会は、バチカンの御用達宗教になってしまったのです。立正佼成会もバチカンへ行っています。みんなバチカンの総本山に行って、拝謁しているのです。

 皇族のA宮夫妻は、2016年にローマ法王に謁見しています。キリスト教徒になったのです。そんなことをしたら、日本の皇族の威厳はもうありません。

 創価学会は、ローマ法王の家来になってしまったのです。日蓮大聖人様の仏教は、どこに行ってしまったのでしょうか? バチカンのローマ法王にひれ伏さなければ、生き残れなくなったような創価学会。腐れ外道の臣下になってしまったのです。

 日蓮正宗は、謗法厳禁です。人間が注意していかなければいけないことは、法を曲げることです。創価学会の皆さん、昔を思い出してください。貴方方は「五重相対」を教わったでしょう。

 五重相対で最初に教わることは、内外相対です。仏教は内道です。外道とは、外のものを拝むことです。太陽を拝むのも、異星人を拝むのも、イエス・キリストを拝むのも外道です。自分以外のものを拝むことを外道といいます。

 日蓮大聖人様は、外道を嫌ったのです。内道と外道を比べると、内道が優れています。仏教は、自分の命を対象にしたものです。外に神様がいて、「神様に助けてもらおう」というものが外道です。仏教はそんなものではありません。

 お釈迦様の涅槃経では、弟子たちが「お釈迦様が亡くなられた後、私たちはどのようにして生きていけばよいのでしょうか?」と尋ねたのです。お釈迦様は「私はもうじき涅槃します。貴方達は自ら明かりを灯して進みなさい」と言われたのです。これが、涅槃経の「自灯明」の教えです。

 自らに明かりを灯して進むのです。それを自灯明というのです。「超能力者や、神様などの外部のものに助けてもらおう」などということは、絶対にありません。自分で屈歩虫(くっぷちゅう)の虫のように人生を歩んでいくから、人生が開かれてくるのです。

頂上には、仏界という最高の境地が待っているのです。「自らに明かりを灯して進みなさい」これが、お釈迦様の教えです。

創価学会員は、仏教の道から外れて、外道の道を歩んでいるのです。自灯明の教えから言うと、お曼荼羅をつくり「これを拝めばよいのだ」という仏教はありません。それは、お釈迦様の教えとは違います。自らに明かりを灯して進むのです。それを内道というのです。

キリスト教は、外道です。天と地は神が創ったものです。神も悪魔も自分の外にいるのです。外に向かって拝むということは、外道です。仏教といわれるものの中にも外道があります。真言密教は、何をやっているのでしょうか?

真言密教は、大日如来を拝んでいるのです。それが空海のやったことです。真言密教は。仏教ではありません。外道です。そのように、日蓮大聖人様の五重相対で見てみると、明確です。

五重相対が、仏教の基本です。五重相対の中に内外相対があり、内道と外道を比較すると、内道が優れています。内道の仏教の中にも大小相対があります。大乗教と、小乗教を比べると、大乗教が優れています。

スリランカに広まったのは、小乗教です。大乗教は、一切衆生を救っていく経典です。仏教とは、少数の人のために説いた教えではありません。小乗教と大乗教を比べると、大乗教が優れているのです。

大乗教の中にも本迹相対があります。本門と迹門を比べると本門が優れています。そのように、五つの優れたものがあるのですが、学会員は、それも忘れてしまったのでしょうか?

創価学会は、折伏の宗旨だったのではないでしょうか? 創価学会の会長が外道のキリスト教の総本山に行って、「入門させてください」ということと同じことです。これは一体、どういうことでしょうか?

ローマ法王に謁見している原田会長を見て学会員は、怒らないのでしょうか? 学会員は、どこまで落ちぶれてしまったのでしょうか?

最初は、過保護で甘やかされてきた少女が、気が付くと新宿のホームレスになっているのです。それと学会員は同じです。毎日、池田大作の指導を聞いて、やっているうちに、金しか信用しなくなり、「信心の目的は、金持ちになることだ」と考えていたら、池田大作と同じです。

学会員は池田大作の弟子になったのですから、池田大作と同じ考えになってしまうのです。宗教とは、そのようなものです。教祖が悪人ならば、信者も悪人になってしまうのです。必ずそうなってしまうのです。

それと同じことを僕は感じました。学会員は、原田会長に対してもっと怒りなさい! バチカンに行ってローマ法王に頭を下げてきた原田会長は、もう日蓮大聖人様の弟子ではありません。仏教の信者でもなければ、外道の信者になったのです。もう創価学会員ではありません。

創価学会は、日蓮大聖人様の仏教を信じる団体です。そのような気持ちもないのでしょう。

正理会は、正法を求める団体です。正法とは、法華経です。法華経を求めて修行していく人が、本物の仏教徒です。

それがわからないから、原田会長はキリスト教徒のローマ法王の権威が欲しいのです。「池田大作亡き後、創価学会をどのように引っ張っていけばよいのか?」、原田会長もわかっていないのです。「何を信じたらよいのか?」ということを、僕が教えてあげているのですから、それをわかればよいのです。

学会員よ、原田会長がローマ法王に拝謁して、お金をもっていったことが、おかしいと思わないのでしょうか? それもわからなくなっているのでしたら、もう廃人です。地獄界に逝っているのに、気が付かないのです。

新宿のホームレス、アイコちゃんと同じホームレスになっていることが、学会員にはわからないのでしょうか? 

 

 

 

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家出・貧困・ホス狂いのトー横キッズが集まる歌舞伎町トー横界隈に密着。ハウル死亡後の実態とは【№9】

 

 

 

 

新宿の有名なホームレス、アイコちゃん ①

 

 新宿にアイコちゃんという有名なホームレスがいます。年齢は、40歳くらいだと思います。ホームレスですが、いい顔をしています。この子の育ちはよかったのです。小さい頃から、「あんたは容姿がいいね」と言われて、可愛がられて育ったのです。

 アイコちゃんのお婆ちゃんが、何でもやってくれたのです。結構、よい家に生まれたのです。その子が、高校も中退して数々の男と付き合い、新宿に流れてきたのです。関係をもった男は、3千人と言っていました。自分でそのように言っています。

 妊娠したのは7回で、子供は2人いるというのです。「何故、そうなったのか?」というと、過保護だったのです。何をやっても親に許されたのです。だから、高校も辞めてしまい、結婚も、就職できるような状況ではありません。自分のやりたい放題です。

 家があるのですから、ホームレスではなかったのです。それが、新宿のホームレスになって、いきあたりばったりの男と毎日関係していたのです。それでお小遣いを稼いだのです。

 贅沢もしていません。昔はお嬢ちゃんだったから、自分で使う分だけのお金があればよいのです。お金を貯めた時期もあるのですが、そのお金はホストにつぎ込んでしまったのです。

 ホスト通いをしている女は、お金持ちのオバサンではありません。水商売の女が、男をだまして稼いだお金で、ホストクラブへ行くのです。アイコちゃんは、水商売で稼いだお金は、全てホストに使ってしまったのです。

 「お金持ちの有閑マダムがいて、ホストを買っているのかな?」と思ったら、そんな例は、まずありません。水商売の女がホストを買っているのです。そのようなことをやっている間にホストと結婚したり、子供を産んだりしているのです。

 アイコちゃんの生活は、滅茶苦茶で、今は完全に新宿のホームレスです。生活保護を受けていて、妊娠するたびに産婦人科へ行くのです。すると生活保護の費用で医療費も出してくれるのです。

 それで、男とも毎晩、寝ているのです。ひどい話です。1日で3人以上の男と寝るのです。それでお金を稼いでいる、というわけでもありません。家はありません。毎晩男とホテルに入り、ホテルで寝るのです。本当のホームレスです。

 そのような話ですが、アイコちゃんは顔を見ても育ちが悪いわけではありません。育ちがよいので、ウソをつかないのです。ウソをつかないので、これまでやってきたことを、みんなしゃべってしまうのです。

 普通は、「3千人の男とやった」などという話はしません。「私に取材したかったら、10分だけ話てあげるから、3千円ちょうだい」と言うのです。「10万円ちょうだい」と言うのではありません。「3千円ちょうだい」と言うのです。3千円くらいもらって、それを生活の足しにしているのです。

 さて、なぜ僕は、このような話をしているのでしょうか? この子は、皆さんと同じで、両親も家もちゃんとあったのです。良い家に生まれても、甘やかされて育つとダメになってしまうのです。子供の頃から、何をやっても親は怒らないで、甘やかしてきたのです。

 これは、札幌のすすきのホテル殺人事件の容疑者と同じです。容疑者の女性の両親は、子供が何を言っても、怒らないで聞いてきたのです。それで、子供の奴隷になってしまったのです。子供が「これをやれ」と命令すると、親は「はい、わかりました」と言って、何でもやってあげたのです。

 最後は、「私と寝た男が気に入らないから殺す!」となったのです。親は「それはいけないことだよ」とは、言いません。「私はあの男を殺したいのよ。ノコギリとナタを買ってきてよ」と言うと、「はい、わかりました」と言って、父親がノコギリとナタを持ってきたのです。その時点では、本当に娘が殺すとは思っていなかったのでしょう。

 「私と寝た男を殺す」と思った容疑者は、サイコパスです。そのように診断されているのです。サイコパスは、一切人に同情しません。人が苦しんでいるところを見ると喜ぶのです。

 サイコパスの容疑者は、ホテルに入り、男性の手に手錠をかけて首を斬って殺したのです。その首を家に持ち帰ってきて、目玉をくりぬいたのです。サイコパスだから、やりたいことは、何でもやるのです。

 容疑者の父親は、精神科医です。「サイコパスには逆らえない」とわかっているのです。だから、どんどん事件に巻き込まれてしまったのです。

 人間は甘やかしてはいけません。「何でも子供の言うことを聞いてあげる」という親は、ダメな親です。悪いことをしたら、「これは、やってはいけないこと」と言って、怒らなければいけません。

 悪いことをやっても怒らないから、子供の行動がエスカレートしていくのです。「何をしても親は怒らないな。いっそ、家に帰らないようにしよう」となってしまうのです。すると、家に帰らなくなり、そのうち覚醒剤を覚えて、キメセクをやりだしたら、一晩中SEXをやってしまうのです。

 キメセクをやりだしたら、他のことは一切できなくなってしまいます。必ず、覚醒剤に手を出してしまうのです。

 「今、目の前に覚醒剤があったら、やる?」と聞かれると、「もちろんやるわよ。今はやっていないけれども、目の前にあったら、やってしまう」と言っていたのです。

 そうなると、もうサイコパスです。一切、人のことは考えません。そのようになってしまい、気が付くともう廃人です。アイラちゃんは、まだ廃人にはなっていません。

 アイコちゃんに「子供は可愛くないの?」と聞くと、「可愛くなんかないわよ」と言うのです。2人産んでいて、子供は施設にあずけているのです。自分の子供も人任せです。「大きくなって、成長したら会いにいってあげてもいい」という考えです。「自分が育てる」ということはできません。

 それで、自分のことは「いい女」だと思っているのです。「いい女」だと思ってくれる人しか選んでいないのです。

 これは、誰かさんに似ているのです。宗教団体にだまされた信者は、アイコちゃんと同じです「始めチョロチョロ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋とるな」という諺があります。

 最初はみんな普通の子です。いい気持にさせられて夢ばかり広がるのです。「大金持ちになれるのだ、この宗教をやれば何でも祈りが叶うのだ」と思うのです。

 そこで、創価学会の幹部に「池田先生を見てごらんなさい。何十兆円もお金を持っているのですよ」と言われると、「自分も金持ちになれる」と思うのです。「池田先生の言うことを聞いていれば、お金持ちになれるのよ」と考えるようになり、夫のことは全く無視です。

 池田大作は、「天に向かって矢を討つのだ。俺が矢を討つと全て的に当たるのだ。宇宙銀行にお金をためるのだから、どんどんお金が入るようになるのだ」というのです。

 「創価学会員になると、お金が入ってきて、政治家になることができて、何でも願いは叶う」と思うようになるのです。気が付くと、創価学会の信仰をやっている間に、他人の意見は聞きません。どんどんサイコパスになっているのです。

 気が付くともう、後戻りはできません。僕は、アイラちゃんを見ていて、「創価学会員と同じだ」と思いました。

 僕は創価学会の大テーマを書いています。何が大テーマでしょうか? 創価学会の原田会長は、ローマ法王に会いに行ったのです。これを学会の諸君は、どう思っているのでしょうか?

 昔から創価学会の信者で、長年学会員をやっている諸君は、「まさか、こんなことはないだろう」と思ったでしょうか? ところが、原田会長は、やってしまったのです。このニュースを聞いて、ショックにも思わないのです。まったくの無反応です。

 創価学会の原田会長が、バチカンに行ってローマ法王に拝謁してきたのです。それは、多額の献金をしてきたのに違いありません。学会員の諸君は、「これはおかしい」と思わないのでしょうか?

 学会員は、自分たちに都合の悪いことは、「臭いものに蓋」をしてきたので、こんな大ニュースを見ても、わからなくなってしまっているのです。

 アイコちゃんは、ホームレスですが、近寄ってしまうとわからなくなってしまうのです。臭いものに近づいていくと、だんだん臭いものだとわからなくなってしまうのです。それが今の創価学会員の姿です。(②に続く)

 

 

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03正木正明 谷川佳樹への逆襲の野望と策略 創価学会の教義変更・会則改正の裏事情

 

 

 

創価学会内に内紛が起きている! ②

 

 池田大作は、「仏教とは何を説いたものなのか?」ということが、全くわかっていません。仏教とは何を説いたものでしょうか?

 仏教では、「あらゆる現象は仮である」と説きます。肉体を持っている者は、肉体が滅びれば死んでしまうのです。自分もやがて死んでしまうのです。これが秀吉の辞世の句「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」です。

 天下を取ってみたけれども、何も実体はありません。そのような話です。仏法というものは、中(ちゅう)を極めていくのです。最初は、自分の存在を「仮の姿である」ということを認識します。それを仮在(けざい)といいます。

 「私は仮の存在である」ということを認識できたら、次に「一切の存在は、空(くう)である」と知ることです。空(くう)の悟りを空諦(くうたい)といいます。これで終わりでしょうか? 生きている全ての生命は、仮の存在です。やがては死んでいく存在です。200年も経てば、みんな消えてしまう存在です。

 「貴方は空(くう)なのです」ということを知ることによって、仮の自分を深く知ることができるのです。貴方の姿は仮諦(けたい)です。一切の現象は仮諦です。鏡に映る自分の姿も、勉強している自分の姿も、お化粧している姿も仮諦です。仮諦は、消えて無くなってしまうのです。

 人間の50年は、あっという間です。もともと仮の存在です。仮の存在は、死んで消えてしまうのです。「自分の存在は仮のものだ」と悟ることを仮諦(けたい)といいます。

 自分の存在は仮諦だと知りながら、空(くう)に進むのです。自分の人生とは、仮のものであり、よく突き詰めてみると実体はありません。空(くう)なのです。そのようなことがわかってきます。

 その段階では、仏教を学んだとは言えません。仮諦の奥に空諦があり、「空諦の奥に何があるのか?」ということが、仏教です。中(ちゅう)を学ばなければ、「仏教がわかった」とは言えません。

 般若心経を学ぶと、「一切の万物は、空(くう)である」とわかるのです。それがわかると、「人生は空(くう)なのだ」という人がいます。それを空病といいます。仏教は、空(くう)を説いたものではありません。自然現象を見れば、空(くう)ということは、当たり前のことです。

 生命は仮の存在だから、空(くう)なのです。仮の世で、仮の身体を持っているのです。人生50年か、60年歩んできて、「なんらかの仕事をした」と思っているのだけれども、それも意味がありません。それも、死んだら消えてなくなってしまうのです。

 自分という存在は、やがて死んで消えてしまうのですから、人生は意味がありません。そう思うでしょう。そうなのです。空(くう)の奥には、中(ちゅう)があるのです。中(ちゅう)に意識が向かないと、空(くう)で止まってしまうのです。

 私たちは仮の存在です。仮の存在であると知り、やがて消えていく存在です。自分という存在は空(くう)であると知り、「空(くう)であるけれども、消えないものがあるのではないか?」と考えていくのです。それが中諦(ちゅうたい)の悟りです。

 中諦に目覚めて、初めて永遠の生命がでてくるのです。不思議でしょう。私という存在は、仮の存在です。この世には、一つも自分のものなどありません。50年~60年生きると、自分も死んでしまうのです。死ぬと「もう終わりだな」と思うでしょう。

 それは、違います。中(ちゅう)が残っているのです。中(ちゅう)は消えることはありません。仮の自分が戦争で死んでしまい、「空(くう)になった」と思ったら、消えていません。中(ちゅう)は、消えません。「その消えない中(ちゅう)とは、何か?」ということを学んでいくことが、「仏教を学ぶ」ということです。

 衆生は、顛倒虚妄(てんとうこもう)をしているので、このような簡単なことが、わからないのです。貴方の存在は仮の存在であり、空(くう)なのです。空(くう)だから、中(ちゅう)なのです。中(ちゅう)は、死んでも残るのです。中(ちゅう)のことを霊魂ともいいます。霊魂は、中(ちゅう)のことを説いているのです。

 人間が生きて、死んだように見えるのですが、死んだ先は中(ちゅう)なのです。中(ちゅう)は、残ります。「非有非無」と否定すると、中(ちゅう)がでてくるのです。中(ちゅう)がでてくると、「ないものであって、あるものでもある」と変わるのです、それを「亦有亦無(やくむやくう)」といいます。

 「俺が昔あったではないか。俺は存在していたんだよ」と、中(ちゅう)から見ると、そのように見えるのです。空(くう)にどっぷりとつかっている人には、中(ちゅう)は見えません。

 「自分は死んで消えていくもの」と思い込んでいるのです。本当は中(ちゅう)なるものがあって、仮の自分を生んでいるのです。仏道修行が進んでくると、中(ちゅう)なるものが見えてくるのです。

 普通の人の見方と、僕の見方は違います。僕は、中(ちゅう)を見ているのです。貴方は死なない存在です。貴方の肉体は死んでしまいます。脳は間違いなく肉体です。死ぬということは、脳も間違いなく消えてしまうのです。何が残るのでしょうか? 中(ちゅう)が残るのです。

 「中(ちゅう)とは何か?」というと、現代の言葉で言うと素粒子です。これがわからないのです。昔は、素粒子などわかりません。微細身(びさいしん)などの言葉を使って、中(ちゅう)なるものを説明しようとしたのですが、上手く説明できていません。

 素粒子で説明すると、中(ちゅう)がわかってくるのです。素粒子が世界を創っているのです。それが中(ちゅう)なのです。素粒子は、なくなりません。素粒子が人体の設計図を創っているのです。素粒子は消えません。それがわかると、だんだんと仏教がわかってきます。

 そのようなことを教えていくことが、仏教です。故・池田大作は、お金を数えることが仏教だったのです。この世で人々を支配しようと思うから、そうなってしまうのです。お金をつくり、金の力で権力を握ろうとするので、いくらお金があっても足りません。

 池田大作が死んだ後の後継者問題で、原田会長と池田家がもめているというのです。それはもめます。池田大作の個人資産の1兆円をどうしてくれるのでしょうか?「これは、創価学会でいただいておきます。そうしないと、まずいことになりますよ」と言われてしまうのです。

 そのように言われると、池田家は参ってしまうのです。「お金がある」と思ったら、突然、お金がなくなってしまうのです。そうなると、お金の取り合いです。どこにも仏教はありません。今の創価学会は、そのようになってしまったのです。

 原田会長と池田家で、そのようなバトルになってしまうのです。まだあります。統一教会派がいるのです。オウム真理教にも、統一教会の早川紀代秀が入っていたのです。宗教団体の中には、必ず統一教会の信者が入り込んでいるのです。

 創価学会では、正木派と谷川派でも、もめています。谷川派が統一教会です。統一教会の信者が入り込んで、しらばっくれた行動をしているのです。学会幹部は、金の亡者です。そのような宗教団体に入っていたら、成仏などしないどころか、地獄界に堕ちてしまうのです。

 創価学会の抗争事件は、ますます大きくなってきます。よく見ていきましょうね。原田会長、さようなら、谷川さようなら、両方ともに去れ!

 

 

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創価学会 池田大作氏の総資産は1兆円?

 

 

 

 

 

創価学会内に内紛が起きている! ①

 

 僕は、『THEMIS(テーミス)』という雑誌を購読しています。非常に良い雑誌で、書店で売っている雑誌ではありません。非常に面白いことが書いてありました。それは、「創価学会の中に内紛が起きている」ということです。

 「どのような内紛か?」というと、原田会長と、池田家に分かれての内紛です。池田一族は、明日にも困るような状態らしいのです。そのようにテーミスには書いてあります。

 まず、この問題を考える場合は、スイス銀行が怪しいお金を預かることができなくなったのです。それで、1兆円のお金が、創価学会本部に帰ってきたのです。しかもそれは、池田大作名義のお金です。スイス銀行は、そのお金を返してきたのです。

 「このお金をどうしたらよいのか?」と思って、公明党の諸君が財務省に働きかけたのです。池田大作個人の名義にしているから、大問題になってしまうのです。創価学会は、宗教法人です。宗教法人でお金を持っていれば、無税です。

 池田大作は、欲にかられて「宗教法人のお金を自分のものにしたい」と思ったのです。創価学会で集めたお金を自分の財産にしていたのです。それは、税務署から見ると、税務署に払わなければいけないお金です。

 1兆円の個人資産は、いくらの税金になるのでしょうか? とてもでないけれども、個人で払える金額ではありません。だから、公明党の議員が財務省との調整を行ったのです。その頃はもう、池田大作は死んでいたのかもしれません。すると、相続税で半分は税務署にもっていかれるのです。

 何しろ、金持ちは、自分の財産に執着して、「全て個人の財産にしたい」と思うのです。人間は必ず死ぬのです。死ぬ人間が財産をしこたまもっていて、どうするのでしょうか?

 池田大作は、「財産が欲しい、財産が欲しい!」と考えて、全て自分の名義のお金にしておかないと、満足できなかったのです。自分の財産にしておかないと、不安で仕方ないのです。池田大作が死んだら、財産は相続税で全て取られてしまうのです。だから、死んでも財産は持っていくことはできません。

 人間が死ぬと相続税が取られてしまいます。死んで財産をあの世へ持っていくことはできません。それなにに反対に考えて、財産に執着するのです。

 人間は必ず死にます。財産は墓場まで持っていけません。財産がなければ、死ぬ時に何の心配もいりません。財産にしがみつく人間は、バカなのです。

Y組は、50メートルのプールに満タンになるくらいのお金を持っています。50メートルのプールに1万円札が入るだけのお金を持っています。そんなにお金を持っていても、使い道はありません。どのような名義でお金を持っているのでしょうか?

 まさか、ヤクザの組の名義でお金を持っているはずがありません。それは、所在不明のお金です。誰かの名義でお金を持っているのです。そんなことをやるものではありません。

 もちろん、一銭もなければ困ります。死ぬ時には、家族葬くらいできればよいのです。「30万円で家族葬ができます」というくらいの葬式でよいのです。

 面白いことをやっている人がいます。それは、竹田恒泰さんです。全国に墓苑を造っているのです。その墓苑は、古墳です。奈良にあるような、古墳を全国五カ所に造っているのです。

 一基の古墳に3千名のお骨をいれられるのです。しかも、古墳と全く同じ造りです。古墳は神式なので、鳥居があり、鳥居をくぐると骨壺が置いてあるのでしょう。「古墳に入りたい」と申込が殺到しているらしいのです。

 わけのわからない創価学会のお墓に入るよりも、古墳に入ったほうがよいでしょう。スカパーのYouTube動画で「あんまり災害が多くなると、怖いから早くお墓に入りたい」と言う女性もいました。

 人間にはお金が必要だけれども、生活できる金額があればよいのです。人間ができていないのに、お金があると、ロクなことにはなりません。「死んだ先にもお金を持っていきたい」というのは、間違っています。自分の年齢を考えながら、生活をしていけばよいのです。

 実際はお金が儲かると、いくらでも儲けることができるのです。それにより、自分はいつまでも生きられるような錯覚に陥るのです。人間死んだら、あの世にお金を持っていくことはできません。

 仏道修行をしている人は、そのようなことがわかっているから、お金に執着することはありません。

お金に執着をするから、どこまででもお金が欲しくなってしまうのです。死にぞこないのジジイは、「お金が欲しい」と思うと死に欲で「お金、お金、お金」となり、汚い人間になってしまうのです。

 自民党の大幹部の連中は、何十億円のお金をもらっているのです。Nさんの一年間の歳費が、10億円以上です。バカなことをやっているのです。

 古墳ビジネスは面白いと思います。竹田恒泰さんは、もうやっているそうです。古墳のビデオをつくり、約3千名の骨壺を入れることができるのです。その申し込みが殺到しているのです。

 千葉県、群馬、九州など、5カ所造ったのです。面白い古墳ビジネスです。日本人ならば、古墳に入りたいと思うでしょう。都営住宅で最期を迎えて、創価学会の墓地に入るのでは落ち着きません。やはり、古墳のほうがよいと思います。それは、どうでもよいことです。

 池田大作は欲をかきすぎて、学会員が苦労して貯めたお金をだまして盗ったのです。何兆円も儲けて、池田大作個人の名義のお金にしたのです。それは、狂っている証拠です。仏教指導者がやってはならない行為です。

 天井にいる大蛇という話があります。昔の人は銀行がないので、お金を天井裏に隠したのです。天井裏に千両箱を置くと、その回りに大蛇がとぐろを巻いていたのです。大蛇は、「これは俺のお金だ!」と思っているのです。財産を取りにくる奴は、カアッと歯を出して威嚇するので、大蛇が怖くて財産を盗ることはできません。

 あまりお金に執着すると、来世は天井裏の大蛇に生まれてしまうのです。自分のお金が心配ですから、大蛇になってでも、自分のお金を守りたいのです。そのような人は、死んでもお金から離れることができません。まさにお金の亡者です。(②に続く)

 

 

 

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創価学会 原田会長がカトリック教会のバチカンでフランシスコ教皇と会見

 

 

 

バチカン訪問と創価学会

 

 創価学会の原田会長が、バチカンを訪問したらしいのです。こんなことは、信じられません。

原田会長が2024年5月10日午前(現地時間)、バチカン市国のアポストリコ宮殿でローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇と会見した。(創価学会HPより)

原田会長がフランシスコ教皇と会見|創価学会公式サイト (sokagakkai.jp)

 A宮夫妻も、2016年5月12日にバチカンを訪問しました。「バチカンを訪問するということは、ローマ法王の家来になった」ということです。一国の王様が、バチカンに行って跪き、ローマ法王を拝謁するということは、家来になったということです。日本の皇族は、そんなことをしてはいけません。

昔の権力者は、自分の力で権力をつくってきたのです。すると、裏付けするものは、何もありません。「誰か俺を認めてくれないかな」と思ったのです。

 中国の場合は、天帝という、天の神様がいます。天帝が認めてくれて「お前を君主にする」と言われれば、有難い話です。天帝など実際にはいません。天帝から命令が下ると、「俺は天帝の命令を受けた王様なのだから、前の王様は、徹底的に滅ぼさなければいけない」と思うのです。これが中国人の考え方です。

 西洋では、王様に権力を与える人はいません。ローマ時代、王様は、キリスト教徒を弾圧していたのです。ところが、キリスト教徒は、殺しても、殺しても、増える一方です。そこで、智慧者が考えて、「キリストが神ならば、この神を受け入れることによって、王様になるのだ」と考えたのです。

 神の命令によって王になる場合と、自分が勝手に王になる場合は、「神に命令されて王になった」と言ったほうが、人々は従います。王様といえども、王様になった裏付けが欲しいのです。

 日本の場合は、神道があり、神様がこの国を創られたのです。神の子孫が天皇です。それが、日本の神話です。それだけでは、ちょっと弱いのです。もっと強力なものを日本人は欲しがったのです。永遠の天皇を求めて、「万世一系の天皇」という概念を創り上げたのです。

西洋の王様は、永遠の存在ではありません。神様が認めてくれている間は、王様をやっているのです。中国の王様もそうですが、天帝が認めてくれている間は、中国の皇帝になることができるのです。

 皇帝の運が尽きて、天帝が見放した場合は、普通の人間に戻ってしまうのです。権力というものは、天帝、或いはキリスト教の神が与えてくれるものでなければいけません。キリスト教の場合は、王権神授説といいます。

 王様の権力は誰が与えてくれたものでしょうか? それは、神様が与えてくれたものです。これが、ローマの王様であることの裏付けです。ローマ法王が式を行い、ローマの王様を任命するのです。

 ローマ法王が神になるわけがありません。西洋人は目に見える神の形として、ローマ法王がキリストの代理人として、ローマの王様を決めたのです。

 バチカンは、選挙で次の法王を選びます。選挙で選ばれたのが、現在の法王です。すると、神の力は王様がもっているのです。王様は武力で王様の地位を得たのです。バチカンは選挙で次の法王を選んだのです。

 君主であるローマの王様が、キリストを拝むというのは、おかしな話です。それをやったのが、A宮夫妻です。A宮夫妻は、2016年にバチカンを訪問して、ローマ法王に謁見しているのです。

 「謁見する」ということは、ローマ法王に跪くということです。跪くということは、「キリスト教の信者になった」ということです。バチカンの法王は、選挙で選ばれるのです。日本の天皇は、生まれながら天皇です。天皇のほうが偉いのですから、そんなことをしてはいけません。

 日本の皇族が、「ローマ法王様」などとは言ってはいけません。ところが、目に見える形で自分の権力を欲しがるのです。だから、A宮はバチカンを訪問したのです。

 バチカンは、国です。ローマ教皇庁の中に国を造ったのです。バチカン王国は、治外法権です。ただ、王様に王冠を渡すことがバチカンの存在する理由です。

 まして、日本の天皇は、「Emperor」です。「King」と「Emperor」は、違います。世界中で日本の天皇だけが「Emperor」と言われるのです。世界の君主の中で、最高位にいるのが、日本の天皇です。

 天皇は「Emperor」で、西洋の王様は「King」です。この違いを日本人は、よくわからなければいけません。

 「Emperor」の称号を持つ者が、バチカンに行って平民の法王に拝謁するなど、あってはならないことです。A宮はなんと愚かなことをやってきたのでしょうか? とんでもないことをやってきたのです。

 愚かなことをやったのが、A宮夫妻です。天皇家はそんなことをしてはいけません。天皇は、「Emperor」です。

 それをやったのが、創価学会です。原田会長が、バチカンに行って、ローマ法王に拝謁したのです。かつて、立正佼成会もそうだったのです。立正佼成会は、日蓮宗の系列であり、仏教徒です。キリスト教徒ではありません。

 庭野日敬は、幹部をバチカンに行かせたのです。「バチカンのローマ法王は、世界平和を望んでいる人だから、私たちもそれに協力しましょう」と言って、立正佼成会の旗を立てて、ローマ法王に謁見したのです。デカデカと新聞に掲載していたのです。

 創価学会は、立正佼成会と同じことをやろうとしているのです。故・池田大作は、さすがにそれはやらなかったのです。やったら、自分の権威はなくなり、終わりです。今は池田大作が死んだので、上から与えられる権威が欲しいのです。

 数ある宗教の中の一つが創価学会です。だからこそ、「最高の権威あるローマ法王に跪いて、ローマ法王の権威を、創価学会の裏付けにしたほうがいいのではないか」と考えたのです。そのほうが学会員も納得すると思ったのです。

 それは、「創価学会がキリスト教になった」ということです。キリスト教徒は、ローマ法王を「キリストの生まれ変わりだ」と思うのです。それを信じるならば、日蓮宗の意味が全くありません。

 創価学会は、日蓮大聖人様の法華経を信じるお心に反しています。創価学会は、教学がわからなくなっている連中です。だから、バチカンへ行ったのです。バチカンへ行くと、「ローマ法王様に認められました。創価学会は世界宗教です」と言いたいのです。バカではないでしょうか?

 そのような教養のない連中、無能な連中が、現代の創価学会をつくっているのです。だから、金だけの創価学会になってしまうのです。巨額のお金で政治権力をつかみ、自分たちの活動はバチカンのローマ法王から認められたいのです。僕から見ると、下心が透けて見えて「なんじゃこりゃ?」ということです。呆れてものも言えません。

 創価学会は、日蓮大聖人様の仏教を信じる団体ではありません。物事の真実を追求する心もなければ、正理を追求する心もありません。バカが集って創価学会をつくってきたのです。それで、金集めだけをやったのです。

 金集めは、バカでもできます。利口な人はやらないだけです。バカだからこそ、金集めができるのです。池田大作は、バカなので、寝たきりの子供の布団まではがして金集めをしたのです。

 池田大作は「宇宙に向かって我をパンパンに張って、祈りを叶えるのだ、創価学会に入れたご供養金は、宇宙預金となって倍になってかえってくるのだ」と言ってきたのです。くだらないことを言ってきたのです。まともな人は、そんな恥ずかしいことは言えません。

 そのようなバカなことが言えるから、お金集めができるのです。お金集めの創価学会は、正義のない創価学会になってしまったのです。それが、人間性のない学会員を生んできたのです。創価学会にあるものは、金と欲とだけです。池田大作の死んだあとは、バチカンの大王様の権威を利用しようとしているのです。創価学会は、このような外道の団体になってしまったのです。

 

 

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公明党・山口氏、任期満了で代表退任か 続投を求める声も 来月党大会開催へ【知っておきたい!】【グッド!モーニング】(2024年8月23日)

 

 

 

 

サザンの盆ギリ恋歌、面白いね!

 

 サザンの「盆ギリ恋歌」は、面白いですね。「何故、面白いのか?」というと、江の島に向かって、江ノ電が空から走ってくるのです。その中にサザンのメンバーが乗っているのです。状況設定で言うと、あの世から、お盆の時に特別列車がでているのです。

 その列車が江の島にやってくるのです。その列車の中には、死んだ連中が乗っているのです。その中にサザンのメンバーも入っているのです。面白い構成になっています。見れば見るほど、面白いミュージックビデオです。

 エッチな踊りをしているのですが、それが男です。全員女ではなく、桑田さん後ろで踊っている傘をかぶった女性も男性なのかもしれません。身体が桑田さんよりも大きいのです。

 「このビデオはヒワイすぎる」という批判があったときのために考えられているのです。「これは、男ですよ」と言うのです。男だと、ヒワイも何もありません。そのために、男を入れたのです。よく考えられています。

 お盆の日に、死んだ人が江の島に帰ってくるのです。帰ってきた連中と、オカマがでてきて、酒を飲んで、どんちゃん騒ぎをするという話です。こんな面白いビデオは、見たことがありません。

 その他は、サザンのライブのバージョンと、カラオケのバージョンがあります。桑田さんは、多彩でおどけの名人です。歌手は、おどけるのが得意です。えいちゃんも、足をジタバタして、おどけのポーズをとります。それが、えいちゃんの得意なポーズです。そのおどけが上手いと、「歌が上手い」ということになるのです。それだけの話です。

それは、余談ですが、YouTube動画を見ていると、「公明党の山口那津男が辞める」というニュースが入ってきました。

【バンコク共同】公明党の山口那津男代表は13日、訪問先のタイ・バンコク近郊で同行記者団と懇談し、9月末の開催を見込む党大会での代表引退を示唆した。衆院解散・総選挙を念頭に「事態が急変するようなことがない限り、任期を終えることを基本に考えたい」と述べた。後進育成に努力してきたとして「党の世代交代を確実に進めるという点もしっかり踏まえて判断したい」と語った。7/13(土) 

公明山口代表、9月引退を示唆 「任期終了を基本に考えたい」(共同通信) - Yahoo!ニュース

 

山口那津男が公明党の党首を辞めるということは、なかなかよいことです。そこで、このニュースは本当かどうかネットで調べてみました。すると、変なのです。山口那津男は、72歳くらいです。僕と10歳くらい違います。

 山口那津男は、水戸一校卒になっていますが、高校時代の写真はでてきません。水戸一校の生徒らしい姿もありますが、服装と周りにいる人間も中国風です。台湾にいた機関がそうとう長かったのです。

 それから、一浪を経て、東京大学文科一類に入学しました。弁護士を目指して司法試験の勉強を始めたのです。1978年に東京大学法学部を卒業しています。

  1979年、26歳で司法試験に合格、1982年、司法修習34期を修了し、東京弁護士会に弁護士登録したのです。

国籍条項が撤廃されて、外国人でも弁護士になれるようになったのは2009年からです。鳩山由紀夫が総理大臣の時に、国籍条項が撤廃されたのです。

今、気を付けないといけないのは、外国人が日本の弁護士になる場合は、一次試験がありません。一次試験は教養試験であり、大卒のレベルがあればよいのです。

 一次試験が免除になると、専門の勉強だけで弁護士になってしまうのです。日本人の国籍もない者が弁護士なってよいのでしょうか?

 大学にも外国人の推薦枠があり、推薦されれば誰でも入ることができるのです。帰国子女だということにすれば、東大でもラクに入ることができるのです。すると、授業料も免除です。

 最近では、東大に入る中国人が増えています。これも、そのような特権で入っているのではないでしょうか?

 山口那津男が弁護士になって活躍したところも見たことはありませんが、憲法第9条を掲げて、「いい憲法だな~」と言っていたのです。そんな弁護士はいません。僕は、違和感を感じているのです。

 初めて弁護士になって、日本国憲法を見ているような感じで、「いい憲法だな~」と言っていたのです。GHQに押し付けられた占領基本法を見て、「いい憲法だな~」などと言っているのですから、少し頭がトロイのではないでしょうか?

 ヤギのヒゲを生やしたら似合いそうです。山口那津男の国籍については、疑問に思っています。

 しかし、山口那津男君が党首を辞めるというならば、それは大変よいことです。これで引退する」と言っているのですから、それは大変よいことです。早く引退してもらいたいものです。

 中国系の人間だったら、どうするのでしょうか? 公明党の党首に帰化人がなっていたら、どうするのでしょうか? 日本がよくなるはずがありません。山口那津男には、愛国心などはありません。

 あんな憲法を見て「この憲法は、いい憲法だな~」などというバカはいません.。本当に日本国憲法が素晴らしい憲法だというならば、全世界の憲法を変えなさい。世界中の国が「陸海空軍は持ちません。交戦権を持ちません」という憲法に変えればよいのです。

 そのようにすれば、本当によい憲法です。日本人の手足を縛り付ける憲法を見て「いい憲法だな~」という山口那津男は、バカなのです。山口那津男は、弁護士でもあり、東大法学部を出ているのです。

 こんな考え方をしている人間が、日本の総理大臣だったら、どうなるのでしょうか? 山口那津男は、どちらの国を向いているのでしょうか? 中国を向いているのでしょうか? 或いは、台湾か、韓国を向いているのでしょうか? 方向不明です。

 こんな出鱈目な男を公明党の党首にしておくなど、おかしいのです。故・池田大作の差し金でしょう。辞めるのは、大いに結構なことです。早く辞任して、日本を解放してください。

 

 

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【佐賀藩①】幕末最強の科学力?『佐賀藩』が本気がイかれてる

 

 

 

軍隊と国家、何度でも言います!

 

 日本人は国家の成り立ちをわかっていません。国家が自然にできたと思っています。世界の国を見渡してみても、そんなことを思っている国民はいません。

 日本人は、「国家は自然にできた」と思っているのです。日本国は天皇陛下がいらして、神武天皇により建国された国だと思っているのです。それは武力によって建国した国ですが、日本人はこのことをあまり深く考えていません。

 ここに日本人のメンタリティーの弱さがでているのです。原爆を落とされた広島は、「過ちは二度とおかしません」と言っているのです。バカではないでしょうか。原爆はアメリカが落としたのに日本人は、そのようなことを言っているのです。

 なにしろ、「国家とは、何であるのか?」ということが、日本人はわかっていません。だから、何回でも僕が言っているのです。国家というものは、軍隊がいなければ成立しません。それを忘れてはいけません。

 今の日本人は、「軍隊と国家は別物だ」と思っているのです。神武天皇は、軍隊を持って、倭王朝を建国したのです。武力で国を統一したのです。国を統一するということは、必ず武力の裏付けがないと維持はできません。

 例えば、共産主義者が共産革命を起こして天下を取ります。まず、やることは、軍備の増強です。軍がなければ、革命は起こせません。その革命軍が中心になり、「俺達に逆らうと、俺の軍隊が黙っていないぞ!」と言って、睨みを利かせるのです。だから、庶民は黙るのです。

 「私たちは軍隊を持たずに革命を起こしました」と言ったら、「ああそうか、では、やっつけてやるぞ」と言われて、ひねりつぶされてしまうのです。そうなると、国家はできません。

 軍の裏付けにより、国家は担保されているのです。軍がなければ、それは国家とは言えません。国家という以上は、国家を守る軍隊が必要です。

 国家と言いながら、軍隊を持たない国があります。それは、バチカン、リヒテンシュタイン、コスタリカなどです。それは、本当の独立国とは言えません。国家の背後に軍がいて、国を守る軍隊がいなければ、すぐに滅ぼされてしまいます。

 平和ボケをしている日本人には、このことをよく覚えてもらいたいと思います。「平和を守れ」と言葉で言えば、平和が続くと錯覚しているのです。軍隊は軍隊、国家は国家で別物だと思っているのです。

 軍隊と国家は、一体のものです。僕は、本当にこのことをわかってもらいたいから、何度でも、この話をしています。

 国家と軍隊の関係が本当にわかると、我々の個人生活も同じだとわかるのです。個人も武力によって守らなければ成立しません。敵が攻めてきて、「ここをどけ、ここは俺たちの土地だから、出ていけ」と言われたら、家から追い出されてしまいます。それは、国家がない場合です。国家がなければ、家を持つこともできません。浮浪者になってしまうのです。

 国家にも軍隊は必要ですが、個人にも自衛は必要です。その原理にのっとり、アメリカは国民に対して銃の規制はしません。合理的な考え方です。武器をもっていて、国民です。一家を守るためには、武器が必要です。

 素手や素足では、自分の家族を守ることはできません。アメリカは個人でも武装をしていますが、国も武装をしています。そこで、個人の安全が成立してくるのです。個人で成立したものが、国家になっていくのです。実にうまい仕組みです。

 絶対に忘れてはいけないことは、国家というものは軍隊がなければできません。共産主義国家といえども、軍隊により担保されているのです。中国は、国家の軍隊がありません。共産党の軍隊です。中国軍の大将、中将、少将だと言っていますが、それは共産党軍の位です。

 中国は、国家の軍隊はありません。共産党を人民解放軍が守っているのです。中国では、共産党が独立しているのです。「共産党さえあれば、中国国家はいらない」ということです。そのくらい軍隊は、大事です。

 個人も武装が大事です。今の日本人はそれをすっかりと忘れてしまっているのです。PTAのオバサンは、「武装なんて危険なことを言わないでよ」と喚き散らすのです。そのようなオバサンは、「軍隊などつくるから、戦争に巻き込まれるのよ」と言うのです。全て逆です。軍隊がないから、敵は攻めてくるのです。軍隊がなければ、PTAのオバサンの幸せもありません。

 何回でも言います。国家というものは、軍隊がなければ成立しません。そのくらい軍隊は大事です。それなのに、日本は非武装中立を押し付けられたのです。日本人は「平和、平和、平和」と言っていればよいのです。

 敵が攻めてきたら、「戦争反対、平和でいきましょう」と言うのでしょうか? そんなことをわめいても、殺されてしまうだけです。

 このようなことは、何度言ってもいいすぎることはありません。それもわからないで、バカになってしまったのです。

 江戸時代の武士は、そのことを実によくわかっていたのです。江戸時代は戦う必要はないのに、武士は常に刀を持っていたのです。江戸時代には、各藩があり、藩を武士が守っていたのです。

 藩では大砲までもっていたのです。鍋島藩は、軍艦までもっていたのです。藩を守るということが、最大の重要事項です。日本人は、骨身に染みて、このことが本当にわからなければいけません。

 軍隊なき国家は成立しません。PTAのオバサンの話は通用しません。敵が攻めてきたら、皆殺し(genocide)にされてしまうのです。軍隊がなければ、女性は強姦されてしまうのです。

 軍隊がいて、警察がいて、女性は一人で歩いても強姦されないでいるのです。軍隊と警察がなくなったら、女性が夜道を歩いていたら、引きずり込まれて強姦されてしまいます。人間は野獣です。軍隊や警察があるから、野獣は大人しくしているのです。

 日本から見たら世界中の国は、野獣の国です。自分の国家の利益のために動いているのです。

 そこで面白い話があります。賠償法の話です。ドイツは、第二次世界大戦で連合軍に負けました。莫大な賠償金をつい最近まで払っていたのです。戦争に負けると賠償金を払わなければいけません。

 日本もそうです。アメリカの国債を買わされているのは、賠償金です。戦争に負けると、勝った国の戦費を全て支払わせられるのです。日本は未だにアメリカの占領下にいるのは、当然のことなのです。

 アメリカは、莫大なお金を使って日本を倒したのです。そのお金を日本に支払わせるのです。それは、戦争に負けたら、当たり前の話です。

 古来から、戦争に負けるとそうなるのです。古代の戦争では、戦争に負けると男は皆殺し(genocide)です。女、子供は奴隷として売り飛ばされてしまうのです。戦争に負けるとそうなってしまうのです。

 昭和天皇が言われた通り、100年間は我慢しなければいけません。戦争に負けると、100年間は頸木がはめられてしまうのです。日本人が右に行くのも、左に行くのも、占領軍の言いなりです。

 今はまさにそのような時代です。財務省は国民から、たくさんの税金を取っています。どうして税金を取るのでしょうか? それは、お金がないからです。どうしてお金がないのでしょうか? それは、賠償金としてアメリカに支払っているからです。

 アメリカは美味い方法を考えたのです。「賠償金」と言うと、さすがに抵抗があるから、国債を買わせたのです。アメリカの紙切れを日本に買わせて、しらばっくれているのです。

 それが日本にたまりすぎて、すごい金額の国債を持っているのです。財務省は、アメリカの命令が第一命令だから、絶対に逆らえません。アメリカの命令以外にお金は絶対に動かせません。

 そのお金を動かそうとした人は、●されてしまうのです。「あれ、ここにお金があるじゃないの? アメリカさんの国債が大量にあるから、これを売っちゃおうかな」と言っただけで●されてしまうのです。「アメリカの国債を売ったら、ただではすまないぞ」と言われてしまうのです。すぐに●されてしまうのです。

 日本人にはめられた頸木を外して、次の世界に入っていかなければいけません。そんなことができるのは、神業です。アメリカは、自然にひっくり返すのです。そのような自覚を持つことが大事です。国家というものは、軍隊がなければ成立しません。そのことを肝に銘じておきましょう。

 

 

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日本を裏で操る秘密結社『八咫烏』の正体とは?裏天皇は存在するのか?

 

 

 

日本の八咫烏(ヤタガラス)

 

 日本には、八咫烏(ヤタガラス)がいます。八咫烏(やたがらす)は、日本の神話に登場する鳥です。神武天皇の東征の時に長髄彦との戦いで苦戦していた時に八咫烏(ヤタガラス)がでてきて、熊野国から大和国への道案内をしたとされています。神武天皇に味方をして、倭王朝の建国に大いに貢献した鳥です。

 その後、八咫烏(ヤタガラス)という組織をつくり、天皇をお守りしてきたのです。天皇家を守る組織が、八咫烏(ヤタガラス)です。

八咫烏は、賀茂氏の祖とされる吉備真備(きび の まきび)が天平十六年十一月(西暦744年)に藤原氏の朝堂独占に対抗するために、聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まりといいます。

 八咫烏(やたがらす)とは古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる組織であり、正式名称は八咫烏陰陽道といいます。

昔から、八咫烏(ヤタガラス)がいたのですが、今でもいるのです。「八咫烏(ヤタガラス)は、どこにいるのか?」というと、それが陸軍中野学校です。陸軍中野学校は、八咫烏(ヤタガラス)の思想に基づいて創られたのです。八咫烏(ヤタガラス)の組織に入ると、国籍も抜かれてしまうのです。身分もなければ、軍人でもなくなり、八咫烏(ヤタガラス)の修行が始まるのです。

陸軍中野学校に入ると、それまでの軍籍を消されてしまうのです。だから、いくら調べても出てきません。戦死しても、もともといないのですから、誰が死んだのかもわかりません。

 それと同じことをやっているのが、自衛隊の別班と呼ばれている組織です。今でもある組織で、別班に入ると自衛官だったことも、階級も何もかも消されてしまうのです。自衛隊に入隊したことも消されてしまうのです。それがテレビドラマで別班という存在があることをほのめかしていたのです。陸軍中野学校は、今では小平学校といいます。

 警視庁にも別班のような組織があります。それが公安です。公安が絡んでいるような殺人事件があると、犯人は絶対に捕まりません。それは、公安だからです。安田種雄さんを殺しても、犯人は捕まりません。この事件は、もう終わっています。

 明らかに殺人事件だとわかっても、公安のからんだ殺人事件は捕まりません。本人も知っているのです。「俺は殺人事件を犯しても、捕まらないのだ。俺が公安だと知っているのか!」と思っているのです。それは、公安だからです。

 別班は、ものすごくお金を持っているのです。そのお金を使っても、領収証はいりません。使いたい放題です。何にお金を使ったのか、金額もわかりません。いちいち「このお金は何に使ったのですか?」ということは、聞かれません。

 だから、殺人も許されるのです。陸軍中野学校は殺人から教わるのです。別班でもやるのでしょう。殺人の技を知っているのです。自殺にみせかけて、暗殺する方法も教わるのです。

YouTube動画で、元公安のKさんがでてきましたが、「何人殺したのですか?」と聞かれて、「へっへっへっ、そんなことは言えないでしょう」と言っていたのです。

 安田種雄さんを殺した犯人は、公安だから捕まりません。それで、事件は終わってしまったのです。そのようなことです。

 日本が戦争に負けても、組織は残っていたのです。陸軍中野学校か続いていたのです。陸軍中野学校では、「お前たちは八咫烏(ヤタガラス)の精神を持って、国を守るのだ。お前たちの事績は、誰からも評価されないぞ」と教わったのです。

 小野田寛郎さんは、陸軍中野学校二俣分校の出身です。小野田寛郎さんは、お金をたっぷりともっていたのです。当時のお金の価値で、5千万円を持っていたのです。軍資金を持って、フィリピンのジャングルの中で、工作活動を行ってきたのです。

 日本の危機になると、八咫烏(ヤタガラス)がでてくるのです。日本の国がおかしくなったときには、行動をするのです。それを許されているのが、八咫烏(ヤタガラス)です。

 陸軍中野学校の正体は、八咫烏(ヤタガラス)でした。今、それは、小平学校に引き継がれているのです。それが国を守っているのです。保江邦夫先生の伯家神道は、八咫烏(ヤタガラス)の教えです。

 別班では、日本の歴史が一番古いと教わります。世界は日本列島からできたのです。これが別班の教えです。世界から日本列島に集まったという教えは間違っているのです。日本から世界に出ていったのです。

 『古事記』によれば、伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二柱の神は、別天津神(ことあまつかみ)たちに漂っていた大地を完成させることを命じられ、天沼矛を与えられたのです。

伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが、積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となったのです。伊邪那岐・伊邪那美は淤能碁呂島で結婚して、大八島と神々を生んだのです。

 日本神道は、すごい教えです。人間はどこから出てきたのでしょうか? 我々は「何となく生きてきた」と思っていますが、人間は神の世界から、降りてきたのです。これは、別版の教えです。

 人間というものが存在するならば、神の世界も存在します。人間はどこから生まれてきたのでしょうか? まさか、木のまたから生まれてきたわけではありません。何だから知らないけれども生きているのです。

 誰が生命を与えてくれたのでしょうか? それは、神様です。その前に神様は人間が生活できるように高天原から神様が降りてきて、矛で泥をかき混ぜて、淤能碁呂島(おのごろじま)をつくったのです。これが日本列島です。神様が先で、日本列島ができたのは、後です。

 そこに人間ができてきたのです。世界はどこからできてきたのでしょうか? それは、日本からできてきたのです。そのような別班の論理があります。

 世界が何もない時は、泥の海だったのです。「人間をつくってあげよう」と思い、橋をつくり、橋の上から泥の海をかき混ぜると、そこに日本列島ができてきたのです。世界で一番にできた国は、日本列島です。すごい話でしょう。誰もこの神話に太刀打ちできません。

 地球をズームインして見ていくと、日本列島がだんだんと大きくなってきます。日本列島は、世界の中心だとわかります。日本列島は世界の中心だから、ここに人間が生まれるための条件をつくり、そこに人間が生まれたのです。

 そして、日本列島に住み着いた住民が、日本列島から世界に出ていっいたのです。今は考古学がそれを証明しています。「どうも、それは本当らしい」とわかってきたのです。「アフリカに生まれた女性の子孫が全世界に広まった」と教わりますが、事実は全然違います。

 神様が世界をつくったのです。何のために創ったのでしょうか? それは、人間が生活できるためにです。順番でいくとそうなります。まず、自然ができてきます。人間が生活できる環境でなければ、人間は生まれてきません。

 人間が生活するのにふさわしい環境ができたのが、日本列島だったのです。そこに人類は誕生したのです。誕生した人類が世界に散らばっていったのです。

 今、教わっている歴史は、反対です。「日本列島は、世界中から人間が集まったのだ」と教わるのですが、そんなわけがありません。その国の中心にいるのが、天皇です。その天皇の前にも、統治していた天皇がいたのです。『竹内文書』の話は、全て本当の話です。『竹内文書』は、五色人がでてきます。五色人は、赤、青、黄、白、黒です。言葉もそうです。最初にできた言葉は、日本語です。日本語が世界でできた最初の原語です。

 日本は神の国であるから、神が守らなければいけません。神の国を守るのが、八咫烏(ヤタガラス)です。八咫烏(ヤタガラス)は、30万人くらいいるそうです。「誰が八咫烏(ヤタガラス)なのか?」ということは、わかりません。

八咫烏(ヤタガラス)は特別組織です。別版、公安、神社、中野学校の残置諜者などが、天皇の守護神になっているのです。それが、必ずでてくるのです。

 日本が戦争に負けるということがわかると、中野学校の軍人が北朝鮮に渡ったのです。そのような話を総合していくと、日本は八咫烏(ヤタガラス)の国です。北朝鮮は、「絶対に日本に原爆を落としません」と言っているのです。

 畑中理さんを中心に北朝鮮に国を造ったのです。陸軍中野学校の理論によると、「日本は戦争に負ける。北朝鮮に第二王朝をつくろう」として造ったのが、北朝鮮です。北朝鮮は、日本の悪口を言っているけれども、本当は日本人を尊敬しているのです。

 横田めぐみさんは、皇室の血を引き継いでいるから、どうしても北朝鮮に連れていきたかったのです。日本を守るために別班がつくったのが、北朝鮮です。それは、まだでてきません。これからです。「これからどう出てくるのか?」、ということです。

 日本を守るために北朝鮮の別班の残置諜者がでてくるのです。北朝鮮は、中国にも属さない、ロシアにも属していません。それは、日本を守るために造られた国家であるから、本当はどこにも属しません。

 「日本が戦争に負けたのは、原爆であるから、必ず原爆を造る」と思って、畑中理さんが、必死で原爆を造ったのです。これが別版の北朝鮮の論理です。今でもそうですが、天皇家を守るものが、八咫烏(ヤタガラス)です。わけのわからない無頼漢が天皇を守っているのではありません。昔から八咫烏(ヤタガラス)が国を守っているのです。

 日本がどんなに危機的な状況になっても、天皇家だけは滅びることはありません。八咫烏(ヤタガラス)は、北朝鮮、自衛隊の別班、公安、神社にも入っているのです。

 それでいて、八咫烏(ヤタガラス)は誰だかわかりません。でも、天皇をお守りしているのです。これが日本と北朝鮮の秘密でした。

 

 

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豊穣の海 本人の説明 【三島由紀夫】

 

 

 

三島由紀夫と文学 ②

 

ここで文学のテーマである、「人間のテーマ」を出すならば、「愛」もあれば、「死」もあります。それから、「挫折」もあれば、「絶望」もあります。人間のテーマは、大きくわけると、これくらいに分けられるのです。

愛の中には、親の愛、子弟の愛、恋愛も含まれます。人間は結婚をすれば家庭を持ち、子供も生まれます。すると、旦那さんの悩みもあれば、子供の悩みもあります。悩みを抱いて、煩悶することもあるでしょう。「テーマについて、作家はどう挑むのか?」というのが、文学です。

「俺はこのようなテーマを解決するのだ。俺の文学は面白いだろう」と作家は、文学作品を世の中に出してきます。作家は、様々なテーマにぶち当たり、「最高の満足感を得たい」と思って文学作品を書いているのです。

「俺の文学がわかるのか? みんな、ここまではこれないだろう。参っただろう」ということです。「すみません、三島先生のおっしゃっていることは難しくてわかりません」と言われると、「そうだろう。俺の文学作品がそんなに簡単にわかってたまるか」と思っているのです。

それでも、「教えてください」と食い下がってくるのが、文学少年、文学少女です。作家というものは、その上にいて、最高のテーマを取り上げて、文学作品として見せてくれるのです。

何故ならば、人間の死は人間の自由になりません。恋愛も、家庭も、憎しみも普通の人にとっては、自由になりません。それらは、人生のテーマにはなりません。作家は、「テーマにはならない」というものを、丹念に拾って、文学作品として大衆に示して、「ほら、どうだい。このテーマはこんなに面白いだろう」と、見せてくれるのです。文学作品と民衆は、そのような関係です。

作家は最高のものを求めていくのですが、残念なことに最高のものは得られません。小説では、最高の境地を求めることはできません。「最高の境地を得られるものは何か?」というと、キリスト教、唯神論、仏教、神道などの宗教です。

それ以外のものが、共産主義です。「全てのものは、物である」と思っているのが、共産主義者です。共産主義者たちは、「人間の心などない」と思っているのです。共産主義者は、人間を物だと思っているので、文学も芸術も生まれません。

様々な文学作品を読んだ人は、人間味があるのです。作家の文学作品に共感すると、だんだんと自分の中に世界が出てくるのです。オスカー・ワイルドの小説があります。我々は、世界を見て「美しい」などとは感じていません。

「湖があり、男女がいて、恋愛の感情が芽生えて、そこに夕日が沈んでいく」という風景を小説の場面で読むと、「これは、美しい風景だな」と思うのです。

すると、「自分もそれをやってみたい」と思って、湖のほとりに行き、夕日を彼女と二人で眺めているのです。すると、「何を思い出すのか?」というと、オスカー・ワイルドの言葉を思い出すのです。

自分だけで湖のほとりにいても、何も生まれません。そこでオスカー・ワイルドの小説を思い出して、夕日につつまれた湖を彼女と見るから「美しい夕日だな」と思うのです。「そうだ、これはオスカー・ワイルドの小説で見た風景だった」と思い出して、「美しい風景だな」と思うのです。芸術家の役割は、そのようなことです。

三島由紀夫先生の文学作品には、「生まれて、死ぬ」という最大のテーマが入っているのです。

普通の人には、三島文学はわかりません。わかるわけがありません。三島由紀夫先生のテーマは、「人間が死んだらどうなるのか?」ということです。他のテーマはわかっても、「人間が死んだらどうなるのか?」ということは、誰にもわかりません。

それは、哲学や仏教を知っている人でもわかりません。大手の某銀行の元ニューヨーク支店長だった人でも、「人間が死んだら何もないのだよ」と言っていたのです。「人間は死んだらお終い」だと思っているのです。その程度の認識です。死というテーマを真剣に考えていません。

三島由紀夫先生は、「人間が死んだらどうなるのか?」というテーマに真剣に取り組んで、実行したのです。文学者と言っても、そこまでいきません。

そこまでいかない文学者は「人生は深淵だな。俺にはこれ以上はわからない。いっそ死んでしまおう。死んでしまえばわかるだろう」と思うのです。それで文学者の自殺が多いのです。文学者が自殺するのは、そのような理由です。これ以上、生きていると苦悩がでてくるのです。「自分では解決できない」とわかっているのです。小説を書いても、解決はできません。

文学や芸術では、解決できない問題があります。それを解決できるのは、宗教です。文学者は、そこまで到達できません。三島由紀夫先生は、「死」という最大のテーマを追求して、実行したのです。三島由紀夫先生の『豊饒の海』四部作では、主人公が4回、生まれ変わるのです。

でも、同じ人間だというのです。それは生まれ変わりです。三島由紀夫先生は、そのような難しいテーマにぶつかって、「生と死の問題の本質を明らかにしよう」としたのです。三島由紀夫先生は、本物の作家です。

本物の作家とは、そのようなものです。川端康成のように、「伊豆の踊子がどうした」という恋愛小説を書いているのではありません。三島由紀夫先生は、生と死を明らかにしようとして、割腹自殺をしたのです。

人間のテーマを追求していくと、必然的にそうなるのです。この場合は、宗教でなければ解決できません。人間が文学的なテーマを追求して、生死のテーマを解決しようと思っても、できる問題ではありません。

そのようなことを僕はわかっていたから、法華経だと言っているのです。法華経を修行しないと、人生最大の問題である生死の問題は解決できません。

芸術家は、芸術を通して、解決しようと思ったけれども、「死」の問題だけは芸術的手法では解決できません。それに真っ向から挑む人が、偉大な文学者です。そのような偉大な文学者は、もういません。

『太陽の季節』という石原慎太郎の小説もそうです。当時、そのような人間はいなかったのです。そのような行動をする人間はいなかったのですが、自分の弟を見たら、そのような行動をやっていたのです。

石原慎太郎は、小説家として「面白いな」と思ったから、取り上げたのです。あんな人間は初めて出てきたのです。新しい人間の悩みから、石原裕次郎を生み出したのです。石原慎太郎は、立派な作家でしたが、根本のところが、わかっていません。三島由紀夫先生の境地までいかないと、生死の問題に到達できません。

このようなことを考えている人は、人間が違います。僕は「お金が儲かる」とか、「儲からない」とか、頭の隅にもありません。大事なことは、人間の生き方です。僕は文学者ではありませんが、最近考えていることは、立派な人間をつくることです。これが、正理会の目的です。

偉い人間をつくるのではありません。社会的に成功して、笹川良一のようになることではありません。そんな人間になろうとは思っていません。或いは、池田大作のような人間をつくろうとも思っていません。

目的は立派な人間を創ることです。これが正理会の目的です。そうでないと、人生は完結しません。「あいつは誰よりも立派な人間であったな」と言われれば、よいのです。そのようなところに焦点を置いて励むのです。

立派な人間には、なかなかなれません。「立派な人間になる」ということは、大変なことです。たまには、このようなことをじっくりと考えるのもよいでしょう。文学の真夏の夜の夢でした。

 

 

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