中杉弘の人間の探求 -2ページ目

中杉弘の人間の探求

思想・哲学・歴史・宗教の宝庫!読めば読むほど面白い!鋭い切り口で一刀両断。中杉ワールドへようこそ。

145 ※宇宙は、成住壊空です。人間は、生老病死です。これは、何人も、どんな惑星も免れることはできません。

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 5

 

「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」(続き)

人間が精密なロボットをつくっても、それは生命ではありません。エネルギーは電気や電池です。そのようなものを使ってロボットを動かしているのです。

この不思議な目に見えない命は、どこから出てきたのでしょうか? これを「妙法」と名付けたのです。妙は死、法は生、「生死の二法は一心の妙用」(伝教大師)です。

生と死は、不思議なものです。生きている間は法の世界です。死んだ世界のことを妙といいます。死んだ先の世界は、目に見えません。だから、妙というのです。

生命は妙から生まれてくると、法の世界です。妙と法は同じものです。妙があるから、生があります。生は法です。法というものは、死があることによって成り立っているのです。死んだら妙の世界に入るのです。生きている人間は死んだ先は、どこへ逝くのかわかりません。

死んだ人から見ると、「死んだ世界には何もないのか?」と思うと、生が生まれてくるのです。妙と法は一体です。真に不思議なことです。これを縮めて、妙法というしかありません。それを一生懸命、見ようとしているのが法華経の信者です。

「生と死の秘密を知りたい」と思っている人が法華経の信者です。禅宗の修証義には、「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。 生死の中に仏あれば生死なし。」とあります。

「生を明らめ」とは、「あきらめる」という意味ではありません。「明らかにする」という意味です。仏様の弟子になったということは、「仏家一大事の因縁」です。「生死の中に仏あれば生死なし。」と続くのです。

これが、仏道修行です。これは、禅宗の修証義(しゅしょうぎ)ですから、妙のことは言っていません。それをさらに進化させたものが、妙法蓮華経という教えです。これは、世界最高の教えす。

世界最高の教えを教わったからといって、妙法蓮華経がわかるわけではありません。妙法蓮華経は、師匠に教わって修行していかないとわかりません。「妙法とは、どのようなものであるのか? 生命とは妙法なのだ。なぜ、お前は人間に生まれて、犬や猫に生まれた生命があるのか?」ということを、師匠から教わっていくと、だんだんわかるようになってくるのです。

生命が生まれたということには、原因があるのです。これを探求したのが、「因果俱時不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す」(当体義抄)ということです。

因果によって生命は、生まれてくるのです。何回も言いますが、「仏道修行とは何か?」というと、お釈迦様が最初に説かれた法は、四諦の法門です。四諦の法門とは、「生老病死」です。

これは、どの生命にもあてはまります。これが、宇宙の真理です。「宇宙の真理とは、何ですか?」と聞かれたら、それは「生老病死」です。生まれた者は必ず老い、最後は病気になって死ぬのです。全ての生命は、この法則から逃れることはできません。何人も、生老病死から逃れることはできません。

宇宙も同じです。宇宙に置き換えると、「成住壊空」です。星が生まれるときを「成(じょう)」と言い、宇宙が存在しているときを「住(じゅう)」と言い、宇宙が壊れてしまうときを「壊(え)」と言い、宇宙から星が消えてしまうことを「空(くう)」と言います。宇宙は、成住壊空です。人間は、生老病死です。これは、何人も、どんな惑星も免れることはできません。

貴方は永遠に生きられると思っていますが、永遠に生きることはできません。大王のような権力者になると、「俺は永遠に生きるのだ」と錯覚してしまうのです。大王は、何でも自由になるからです。

「ここにお城を造れ!」と臣下に命令すると、お城ができてしまうのです。「万里の長城を造れ!」と臣下に命令すると、万里の長城ができてしまうのです。すると、「俺は大王だから、永遠にこの力を持っているのだ!」と思い込んでしまうのです。

お釈迦様は、「それは違うよ」と言われているのです。「貴方がいくら威張っても、生老病死です。大王でも病気になって死んでしまうのです。(6に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。(続き)

 

 

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466 ※お釈迦様の師匠は、阿私仙人です。皆、師匠がいて、仏になっているのです。仏は仏の師匠に会って、教えを聞いて仏になったのです。お釈迦さまも同じです。お釈迦様は、過去の自分の姿を思い出したときに、500の前世を思いだされたのです。

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 4

 

「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」(続き)

他の諸仏も広長舌を出して光を放ったのです。体の毛穴からも、光を放ったのです。この広長舌が長い歴史を語り、大宇宙の広さがあります。大宇宙の広さは、三千大千世界と表現しています。長いということは、久遠の昔です。久遠元始ともいいます。久遠元始とは、何もなかったときです。 生命がまだ生まれていないのですから、そうとう長い昔です。それから生命が生まれて、人間らしきものが生まれたのです。

最初に悟った仏様は、「わが身は地水火空風である」と五大元素を悟られたのです。これは、何を意味するのでしょうか? 仏法というものは、命そのものについて説いたものです。「世世番番の成道」とは、最初に悟った人です。この人には、師匠がいません。それが、日蓮大聖人様です。

お釈迦様の師匠は、阿私仙人です。皆、師匠がいて、仏になっているのです。仏は仏の師匠に会って、教えを聞いて仏になったのです。お釈迦さまも同じです。お釈迦様は、過去の自分の姿を思い出したときに、500の前世を思いだされたのです。

過去は長いのですから、お釈迦様の500の前世の前にも前世はあります。お釈迦様は、500の前世を思い出されて、「私の前世はこうだったのだ」と話をされたのです。

最初に「わが身は地水火風空だ」と悟られたのが、最初の悟りです。「私というものは、別にあるものではない」ということです。人間は歩いたり、食べたりしているから、宇宙と自分は別物だと思っているのです。

「私とは何か? どうして私はここにいるのだろうか?」と考えてみると、最初の悟りは、「地水火風空の元素が私をつくったのであり、私というものは何もないのだ。死ぬということは、元素が元通りに戻っていくだけだ」ということです。

これは、集合離散の原理です。様々な元素が集って私というものができてきたのです。その「私とは、何か?」ということを知ろうとすることが仏道修行です。

最初の仏様は、師匠がいません。「わが身は地水火風空であり、自然そのものだ」と、自分で悟られたのです。これが、生老病死、成住壊空につながっていくのです。難しいことではありません。これが、自体顕照につながり、自灯明につながってくるのです。

自灯明とは、「自らの明かりを灯して進みなさい」と言うのですから、「自分の正体を明らかにしなさい」という意味です。自分というものは、貴方が思っているようなものではありません。みんな、つながっているのです。

そのことを説いたのが仏様です。ずっと昔、生命があったのです。それは、人間のような姿をしているのかどうかは、わかりません。生命があったのです。生命とは何でしょうか?

宇宙には、隕石や、鉄などの塵が固まっています。「人間をつくっている、すべての原料を集めたら、生命になるのか?」というとなりません。宇宙にある元素である金、鉛、鉄などが集って、この世界を造っています。

その原料を集めて、「はい、人間になれ!」と言っても、人間にはなりません。研究者は原料に電気ショックを与えて、生命をつくりだそうとしているのですが、アメーバー一つ作ることはできません。人間を構成している炭素、水素、酸素を試験管に集めて、電気ショックを与えても、生命はできません。そんなことをやっても、人間は生命をつくることはできません。

生命の力はすごいのです。アヒルの卵を鶏に温めさせて、雛が孵ると、最初は鶏の雛と同じような姿をしているのです。ところが種が違うのですから、成長するとアヒルになり、水の上を泳ぐようになるのです。卵の中にどんなものが入っているのか、人間にはわかりません。

生きている卵と、死んでいる卵は、どう違うのでしょうか? 見た目は同じです。生きている卵は、雛に孵ります。死んでいる卵は、いくら温めても雛は生まれません。その違いは、どこにあるのでしょうか?

生命は遺伝子がつくるから、鶏の子供は鶏とわかるのです。どうやって遺伝子の作用で鶏が生まれてくるのでしょうか? いくら卵を見ても、生命の実体はわかりません。

何もない空間から、いきなり卵を割って雛が出てくるのです。本当に不思議です。その不思議な命を見ようとしたのが、仏教です。未だに人間は、生命をつくることができません。

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。(続き)

 

 

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12 ※我々は、日本国に生まれています。「日本国の秩序とは、何か?」と考えていくと、それは天皇です。天皇の秩序で日本国は守られているのです。

 

 

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 3

 

「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」(続き)

人間の存在とは、一体なんでしょうか? 本当に存在しているものは、因果の理法しかありません。例えば、「大金持ちになりたい」という因を前世で積んできたから、今世で「大金持ちの家に生まれる」という果が現れてくるのです。「大金持ちになる」という因を前世で積んでないのに、今世で「大金持ちの家に生まれる」ということはありません。果が違って生まれることはないのです。

運がよい人は、運がよい因を前世で積んできたので、「運がよい」という果が生まれてくるのです。前世で三悪道の因を積めば、ヤクザの親分の家に生まれてくるのです。自分が選び取って、自分がやった行為を摘み取っているのが人生です。

これは、仏教のものの見方です。だから、「無量義は一法より生じる」と言うのです。どんな悪い人間でも、良い人でも同じです。一法より生じてきているのです。私も、貴方も一法より生じてきているのです。「一法より生じてきている」ということは、兄弟です。

でも、野生動物は悲惨です。野生動物に生まれると、自分が生き延びるために他の動物を殺して食べるのです。食べないで生きている動物などいません。必ず、他の動物を捕まえて食べるのです。それも因果です。そのような因を前世でつくったから、今世もそのような果を受けているのです。

「俺は、殺し合いは嫌だ!」と考えている人は、その因によってそのような世界には生まれません。これは、非常に難しいところです。僕は、いつもそのようなことを考えてきたのです。

国が平和でないと、仏道修行をやる人間はいません。国が平和でないと秩序がありません。平和とは、秩序ということです。秩序がないと、「Let It Be(ほっといてくれ!)」になってしまうのです。

皆が「ほっといてくれ!」と言い出したら、国家が崩壊して、無秩序になってしまいます。統率する人がいないと人間は、すぐに無秩序になってしまうのです。そこで、統率する人がでてきて、「人間の生きる目的は、こうだよ」と教えてくれる人がいたら、それが神の思想です。仏の思想はもっと大きいのです。

我々は、日本国に生まれています。「日本国の秩序とは、何か?」と考えていくと、それは天皇です。天皇の秩序で日本国は守られているのです。秩序とは、平等と区別の思想です。「区別がなければ組織無し」です。組織がなければ無秩序です。無秩序をアノミーといいます。アノミーになれば、殺し合いも自由です。

ロシアのウクライナ侵攻を見ればわかります。国際法を無視して、ウクライナの市民を虐殺しているのです。ロシアは国際法を無視して、ウクライナの市民を虐殺して、知らんぷりをしているのです。「それは、いけないことだ」と教えるのが、菩薩界の人間の組織です。それが国家を生むのです。

国家という組織をもっていないところは悲惨です。誰が殺されても見て見ぬふりです。イスラム国ではそうです。「反対する者は殺せ、女は強姦しろ」という恐ろしい世界です。秩序があるからこそ、人間は守られているのです。

「日本の国の秩序は、いつできたのか?」ということを考えてみると、神武天皇から始まっているのです。神武天皇が無秩序の世界に秩序をつくってくれたのです。2800年経っているのに、まだこの秩序は壊れません。だから、我々は安心して生活ができるのです。

ところが、世界の国々は、安心な生活ができていません。マフィアがでてくると、次のマフィアがでてきて、殺し合うのです。マフィアがでてきてもよいのです。上から抑える国家というものがあればよいのです。それがなくなると、無政府状態です。

仏教は、無政府状態を説いているものではありません。広長舌のような非常に大事な話をしていくためには、国家が安寧でなければいけません。

中国の天台大師は、「小釈迦」と呼ばれた人です。中国の天台大師(538年~597年)は像法時代の仏です。あれだけ立派な摩訶止観を説いた天台大師の隋(581年~618年)の国は、天台大師滅後21年で国が滅んでいます。

天台大師が生きている間は平和な世の中ですが、死んでしまうとすぐに戦乱の世です。秩序が非常に大事です。「生きていく」ということが大事です。貴方は日本に生まれたのでしょう。アフリカに生まれて食べ物がなく、飢えてひもじい状態では仏道修行はできません。

日本国には、秩序があるから生活ができるのです。「生活の目的とは何か?」というと、仏教を極めることです。そのような位置関係に仏教と神道があるということを覚えておいたほうがよいのです。

広長舌という神通力は、そこまで入っているのです。秩序から、世界のあらゆることが入っているのが広長舌という神通力です。(4に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。(続き)

 

 

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465 ※人間は人界が強いのです。人界とは怒るわけでもなく、穏やかな気持ちです。穏やかな気持ちが中心になっているから、人間に生まれたのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 2

 

「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」(続き)

この章では、広長舌がわかればよいのです。仏様の第一神力として、広長舌をもっています。宇宙がどこまででも広いということ、時間がどこまででも長いこと、永遠の未来も瞬間だということを知っているのです。だから、広く長く、どこにでも届く長い舌をもっているのです。これを広長舌といいます。

「貴方は、宇宙について知りたいのですか。時間について知りたいのですか」、それも仏様は知っています。仏様は全てお知りになられているのです。「お知りになっている」と言っても、説くことは難しいのです。生命の正体はありません。それは、妙としか言いようがありません。

例えば、すごい勢いで怒っている人がいます。次の瞬間に喜びの一報が入ると、コロリと変わるのです。「今、貴方は怒っていましたよね」と聞くと、「こんなによい話があったので、気分が変わりました」と言うのです。

では、先ほどまで怒っていた気持ちは、どこへいってしまったのでしょうか? 怒っていた気持ちは確かにあったのです。その気持ちがどこかにいってしまったのです。貴方の怒りの気持ちは、喜びの気持ちに変わりました。喜びの気持ちはどこにあったのでしょうか? 怒りの気持ちはどこに消えてしまったのでしょうか?

とにかく、瞬間、瞬間に生命は変わります。過ぎ去ってしまった怒りの気持ちは、どこへいったのかもわかりません。貴方の心の中の怒りの気持ちを探してみてください。「怒ってごらんなさい」と言われても、何も怒る原因がないと怒ることはできません。

俳優ならば、すぐに怒ることができますが、普通の人ならば「僕は今、怒りたくないのだよ」と言われてしまいます。怒る気持ちも自分の気持ち、和やかな気持ちも自分の気持ちですが、一つしか出てきません。和やかな気持ちと、怒りの気持ちは同時には出てきません。出てくるのは、一つです。

天台大師は、これを十界と表現したのです。十界とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界です。この十の命がどこかにあるのです。怒ったときには、修羅界がでてきて、ガツガツと食べているときは畜生界です。

人間がガツガツ食べている境涯と、犬のお腹が空いてガツガツと食べている命は同じものです。違うと思ったら、違いはありません。犬も十界をグルグルと回っているのですが、人間も十界をグルグルと回っているのです。「何が違うのか?」というと、十界の出方が違うのです。

犬になってしまったら、声聞・縁覚・菩薩は出ません。仏道修行をすることも、悟ることも、人を助ける菩薩界も出てきません。犬も菩薩界の一分はあるから、自分の子供は可愛がるのです。

最近では、犬と猫を一緒に育てると兄弟のようになついて、人間の喜怒哀楽に近くなってくるのです。それでも、犬や猫から声聞界はでてきません。菩薩界も薄いのです。

人間は人界が強いのです。人界とは怒るわけでもなく、穏やかな気持ちです。穏やかな気持ちが中心になっているから、人間に生まれたのです。

他人に向かって「ワンワンワン」と言っているならば、三悪道の畜生道を歩んでいるのです。だから、犬の姿になったのです。「ワンワンワン」という、ふさわしい体になっているのです。

犬になってしまうと、人間のように「南無妙法蓮華経」とは、絶対に言えません。犬は、南無妙法蓮華経がわかりません。これが、宇宙に存在する生命の実存です。どこまでいっても、これしかありません。どこかの星で生命が生まれても、十界の生命しかありません。

その星がまだ若ければ、畜生界の命がたくさん生まれているのです。そのように見ると、「宇宙に存在するものは何か?」というと、十界です。天台大師は、法華経を整理した結果、一念三千論という理論を組み立てられたのです。

一念=一瞬にして出る命です。これは、十界のうちの一つです。それを一念三千といいます。実は、一念三千の理論は、もっと深く、「どのようにして一つの命が生まれて、次の命に変わっていくのか?」ということを見ているのです。

生命は全て一念三千です。ゴキブリも、猫も、犬も、人間も一念三千の現れたものです。「何が現れたのか?」というと、貴方が行ってきた過去世の因が、果となり今世に現れているのです。過去世の因を、今世で刈り取っているから貴方の姿で生まれてきたのです。

犬は過去世の因の結果、今世で犬の姿で生まれてきたのです。もっとよいことを過去世でやっていれば人間に生まれて、今世は秀才になって生まれてくるのです。過去世でよいことをやっていなければ、秀才で生まれることはありません。

「今世、生まれて東大に入り、官僚になって優雅な生活を送った」という因を積んだから、来世はそのようなところに生まれてくるのです。来世も勉強して東大に入るのです。

ところが、因を積んでいなければ、そうはなりません。ヤクザ者の親父の家に生まれたり、親父が常に暴力をふるって、「早く酒を買ってこい!」という家庭に生まれてしまうのです。そんな家に生まれたら、勉強ができる環境ではありません。

「何故、そのようなオヤジの家に生まれたのか?」というと、自分が前世で因をつくったのです。だから、今世でそのような家に生まれてきたのです。

天皇陛下から生まれた子供は、将来、天皇になるのです。それは、国の主になるということです。それだけの器を前世でつくったのです。仏教では、「法華経の修行をした結果、天皇に生まれる」と言われています。そのような修行をして生まれた人は、「日本国の全てが自分のものであり、国民は皆我が子である」という自覚ができているのです。

まさにこれは天皇のご自覚です。法華経の修行をすると、そのような自覚ができてくるのです。(③に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。(続き)

 

 

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31 ※宇宙は、無始無終です。始めも無きが故に終わりもありません。そのように言うと宇宙は、一瞬だともいえるのです。一瞬の中に永遠の未来と、永遠の過去を含んでいるのです。見る味方によって、そのように見れば、そのように見えるのです。

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 1

 

 今日から、『妙法蓮華経如来神力品第二十一』に入ります。これは、非常に大事な講義です。「仏教の持っている神通力とは、どのようなものか?」ということを解き明かしています。

 日蓮大聖人様の『御義口伝』でも、この章は非常に重要です。これを学ぶと少しは神通力というものが、見えてくることになるのです。如来の神通力は、八つあります。

 広長舌という仏様の舌は長いのです。仏様は、広くて長い舌をもっているのです。まず、一つ目に広長舌という神通力をもっています。今日は、広長舌について講義していきます。

「爾の時に、千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者、皆仏前に於いて一心に合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく。」
 爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者、皆仏前に於いて一心に合掌し、尊顔を仰ぎ見て、仏に白して言さく。
 「世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅度の処に於いて、当に広く此の経を説くべし。」
 世尊、私たちは仏様が滅後の後に、この広い世界において、この法華経を説きます。よく見ていてください。
 「所以は何ん。」
 その所以はどうしてでしょうか?
 「我等も亦自ら是の真浄(しんじょう)の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す。」
 我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す。

 「爾の時に世尊、文殊師利等の、無量百千万億の旧住(くじゅう)娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の、一切の衆の前に於いて、大神力を現じたもう。」

爾の時に世尊、文殊師利等の、無量百千万億の旧住(くじゅう)娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の、一切の衆の前に於いて、大神力を現じたのです。

 「広長舌を出して、上梵世(かみぼんせ)に至らしめ、一切の毛孔(もうく)より、無量無数色(むしゅしき)の光を放って皆悉く遍く十方世界を照したもう。」
 「どのような大神力を出したのか?」というと、広長舌を出して、上梵世に至らしめ、一切の毛穴より無量無数色の光を放って、皆悉く遍く十方世界を照したのです。

仏様の広長舌は、広く長いのですから、宇宙の全てを表しています。宇宙の全てに届く長い舌を仏様は持っているのです。これは、仏様のもっている神通力の一つです。
 「衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。」
 衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し、無量の光を放ったのです。
 仏様は、この地上の人間だけに法を説くのではありません。宇宙の隅々まで法を説くのですから、お釈迦様は広長舌をもっているのです。

過去から現在までわたっていく長さがとてつもなく長く、無限の長さをもっているのです。生命は長い長い歴史をもっているのです。「この世で生まれて死んだら、終わり」というような短い生命ではありません。無量の長さがあるのです。

法華経の時間の長さは、人間の常識を超えています。人間の一生の長さではありません。それをはるかに超えているのです。法華経で説かれている時間の長さのほうが真実です。時代も無限の昔から、無限の未来まであるのですから、時間というものもありません。時間は無限です。

宇宙はどれだけ広いのでしょうか? 宇宙は、どこまで行っても終わりはありません。普通の人間は、天体望遠鏡を見て、宇宙の大きさを量っていますが、それはゴミのようなものです。仏様から見たら小さな世界です。本当の宇宙は、終わりがありません。

宇宙は、無始無終です。始めも無きが故に終わりもありません。そのように言うと宇宙は、一瞬だともいえるのです。一瞬の中に永遠の未来と、永遠の過去を含んでいるのです。見る味方によって、そのように見れば、そのように見えるのです。

普通の人は、「人間が生きているのは、今だけなのだ。生きているうちにスキなことをやらなければ損だ」と考えているのです。永遠の生命だなどとは見ていません。

「自分の人生は一度きりだから、やりたいことをやるぞ。俺は野球の選手になって、ホームラン王になるぞ!」と思っても、人生ははかないものです。

法華経の行者は、そのように考えてはいません。宇宙の広さは無限大ですから、終わりはありません。宇宙の時間は、無始無終です。始めも無ければ、終わりもありません。ということは、実は瞬間もないということです。瞬間があると思っているのも錯覚です。瞬間などありません。ただ、過去を感じる時間、未来を感じる時間の中で、「ここが瞬間」と思うだけです。瞬間という時間があるわけではありません。

時間は過去から現在、未来へとつながっています。宇宙大の広がりをもっているのです。そのような中にあるのが生命です。それは、永遠の存在です。宇宙に終わりはありません。

地球が終わったにしても、まだ他の星があります。そこにまた生命が誕生していくのです。命はどこにでも出てくるのです。真に不思議な命です。(2に続く)

 

 

『妙法蓮華経如来神力品第二十一』

爾の時に、千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者、皆仏前に於いて一心に合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく。

世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅度の処に於いて、当に広く此の経を説くべし。

所以は何ん。

我等も亦自ら是の真浄(しんじょう)の大法を得て、受持読誦し、解説書写して、之を供養せんと欲す。

爾の時に世尊、文殊師利等の、無量百千万億の旧住(くじゅう)娑婆世界の菩薩摩訶薩、及び諸の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の、一切の衆の前に於いて、大神力を現じたもう。

広長舌を出して、上梵世(かみぼんせ)に至らしめ、一切の毛孔(もうく)より、無量無数色(むしゅしき)の光を放って皆悉く遍く十方世界を照したもう。

衆の宝樹下の、師子座上の諸仏も、亦復是の如く、広長舌を出し無量の光を放(はな)ちたもう。

 

 

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464 ※生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。 一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 8


 「其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで」
 
其の罪畢(お)え已って、命終の時に臨んで
 「此の経を聞くことを得て 六根清浄なり」
 此の経を聞くことを得て、六根清浄なり
 「神通力の故に 寿命を増益して」
 神通力の故に、寿命を増益して
 「復諸人の為に 広く是の経を説く」
 復諸人の為に、広く是の経を説く
 「諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の」
 諸の著法(じゃくほう)の衆、皆菩薩の
 「教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る」
 教化成就して、仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
 「不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる」
 この不軽菩薩は、命が終わって無数の仏に供養することができたのです。
 「是の経を説くが故に 無量の福を得」

この経を説く人は、無量の福を得たのです。
 「漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず」
 漸(ようや)く功徳を具して、疾く仏道を成ず
 「彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり」
 彼の時の不軽菩薩は、則ち我が身是れなり。

その時の不軽菩薩は、仏様から言うと「それは、私ですよ」ということです。貴方ではありません。それは、私なのです。
 「時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の」
 時の四部の衆の、著法(じゃくほう)の者の
 「不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは」
 不軽菩薩の、汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは
 「是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる」
 是の因縁を以って、無数の仏に値いたてまつる
 「此の会の菩薩 五百の衆」
 此の会の菩薩、五百の衆
 「並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の」
 並及に四部、
清浄な信仰をもつ在家の男女
 「今我が前に於いて 法を聴く者是れなり」
 今我が前に於いて、法を聴く者是れなり
 「我前世に於いて 是の諸人を勧めて」
 我前世に於いて、是の諸人を勧めて
 「斯の経の 第一の法を聴受せしめ」
 斯の経の、第一の法を聴受せしめ
 「開示して人を教え 涅槃に住せしめ」
 開示して人を教え 涅槃に住せしめ
 「世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき」
 世世(せせ)に、是の如き経典を受持しき
 「億億万劫より 不可議に至って」
 億億万劫より、不可議に至って
 「時に乃し 是の法華経を聞くことを得」
 時に乃し、是の法華経を聞くことを得
 「億億万劫より 不可議に至(いた)って」
 億億万劫より、不可議に至(いた)って
 「諸仏世尊 時に是の経を説きたもう」
 諸仏世尊、時に是の経を説きたもう
 「是の故に行者 仏の滅後に於いて」
 是の故に行者、仏の滅後に於いて
 「是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ」
 是の如き経を聞いて、疑惑を生ずること勿(なか)れ
 「応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし」
 応当(まさ)に一心に、広く此の経を説くべし。

不軽菩薩の精神を持って、広く法華経を説いていくのです。
 「世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん」

生まれるたびに仏に値いたてまつりて、何回生まれても速やかに仏道を成就します。

一番大事なことは、不軽菩薩の精神です。これを骨身に染みなさい。折伏も不軽菩薩の精神です。

今、貴方は気が付かないけれども、本当は仏です。「俺が仏だと?」と思うのです。不軽菩薩は、「そうです、貴方は仏です」と言うのです。相手に疑惑が生じても説くのです。

それを説いている不軽菩薩は、お釈迦様と合体して、長い間、法を説くことができるようになるのです。それが終わると次の寿命も、とんでもなく長いのです。長い間、仏として説法ができるのです。

そのようなことをやっている間に、貴方もいつの間にか釈尊になってしまうのです。不軽菩薩が、釈尊になってしまうということは、不思議ではありません。それは、「不軽菩薩」という名において、釈尊がやっていることです。

「無量義は一法より生じる」ですから、その一法とは、釈尊です。そのような話です。生命とは、とんでもないくらい長い単位です。生まれてくるたびに、「世世(せせ)番番に成道を唱えて」(当体義抄)、仏様に会うことができて、供養することができるのです。

そして、貴方も衆生に向かって法を説くことができるのです。どのような法を説くのでしょうか? これが不軽菩薩の精神です。全ての生命は、仏様の子供です。衆生は、それがわからなくなってしまったのです。

豚や、牛や、馬に生まれると言葉が通じません。ライオンや熊のような猛獣に生まれても、言葉は通じません。それらの動物も、生命の現れたものですから、命そのものは仏です。全て同根です。命あるものは、全て同根です。そのようなことです。不軽菩薩の精神を学んでいきましょう。

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の罪畢(お)え已って 命終の時に臨んで

此の経を聞くことを得て 六根清浄なり

神通力の故に 寿命を増益して

復諸人の為に 広く是の経を説く
諸の著法(じゃくほう)の衆 皆菩薩の

教化成就して 仏道に住せしむることを蒙(こうむ)る
不軽命終して 無数の仏に値いたてまつる

是の経を説くが故に 無量の福を得

漸(ようや)く功徳を具して 疾く仏道を成ず

彼の時の不軽は 則ち我が身是れなり

時の四部の衆の 著法(じゃくほう)の者の

不軽の 汝(なんじ)当(まさ)に作仏すべしと言うを聞きしは

是の因縁を以って 無数の仏に値いたてまつる
此の会の菩薩 五百の衆

並及に四部 清信士女(しょうしんじにょ)の

今我が前に於いて 法を聴く者是れなり
我前世に於いて 是の諸人を勧めて
斯の経の 第一の法を聴受せしめ

開示して人を教え 涅槃に住せしめ

世世(せせ)に 是の如き経典を受持しき
億億万劫より 不可議に至って
時に乃し 是の法華経を聞くことを得

億億万劫より 不可議に至(いた)って

諸仏世尊 時に是の経を説きたもう

是の故に行者 仏の滅後に於いて

是の如き経を聞いて 疑惑を生ずること勿(なか)れ
応当(まさ)に一心に 広く此の経を説くべし

世世(せせ)に仏に値いたてまつりて 疾(と)く仏道を成ぜん

 

※次回は、『妙法蓮華経如来神力品第二十一』の講義がはじまります。ご期待ください!

 

 

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462 ※ 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)とは、 入浴せんとして悟りを開いたといわれる菩薩です。

 

 

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 7


得大勢、汝が意に於いて云何いかん。」
 得大勢よ、汝が意に於いて云何いかん。
「爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、豈(あに)異人ならんや。」

 爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、貴方と異なることはありません。

「今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。」
 今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。

 跋陀婆羅菩薩(ばっだばらぼさつ)とは、 入浴せんとして悟りを開いたといわれる菩薩です。
得大勢、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益(にょうやく)して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。」
 得大勢よ、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を豊かにして利益を与えて、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。
「是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。」
 是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。
「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 「過去に仏有(いま)しき 威音王(いおんのう)と号づけたてまつる」
 過去に仏が有(いま)した。威音王(いおんのう)と号づけたてまつる
 「神智無量にして 一切を将導したもう」
 神通力と、智慧を無量にもっていて、一切を将導したもう
 「天人龍神の 共に供養する所なり」
 天人龍神の、共に供養する所なり。この仏様は、天神も、龍神も供養してきたのです。
 「是の仏の滅後 法尽きなんと欲する時」
 是の仏の滅後、法尽きなんと欲する時
 「一りの菩薩有り 常不軽と名づく」
 一りの菩薩有り。常不軽と名づく
 「時に諸の四衆 法に計著(けいじゃく)せり」
 時に諸の四衆、法に計著(けいじゃく)せり
 「不軽菩薩 其の所に往き到(いた)って」
 不軽菩薩、其の所に往き到(いた)って
 「而も之に語って言(い)わく 我汝を軽しめず」
 而も之に語って言(い)わく。我汝を軽しめず。

私は、貴方をバカにしません。
 「汝等道(どう)を行じて 皆当に作仏すべし」
 汝等道(どう)を行じて 皆当に成仏するのです。

貴方方も将来において、道を行じて、必ず仏になるのです。
 「諸人聞き已って 軽毀(きょうき)し罵詈(めり)せしに」
 諸人は聞き已って、不軽菩薩をバカにして、悪口を言ったのです。

「俺は悪人だから、成仏などするわけがないだろう」と思っているのです。
 「不軽菩薩 能く之を忍受(にんじゅ)しき」
 不軽菩薩は、能く之を我慢したのです。何と言われても、「貴方方は、仏ですよ」と言ったのです。すると「俺のことを仏だと言うのか?」と怒ったのです。何と言われても、不軽菩薩はこれをやめなかったのです。(8に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

得大勢、汝が意に於いて云何いかん。
爾の時の四衆の、常に是の菩薩を軽しめし者は、豈(あに)異人ならんや。

今此の会中(えちゅう)の跋陀婆羅(ばつだばら)等の五百の菩薩、師子月(ししがつ)等の五百の比丘、尼思仏(にしぶつ)等の五百の優婆塞の、皆阿耨多羅三藐三菩提に於いて退転せざる者是れなり。

得大勢、当に知るべし。是の法華経は、大いに諸の菩薩摩訶薩を饒益(にょうやく)して、能く阿耨多羅三藐三菩提に至らしむ。

是の故に諸の菩薩摩訶薩、如来の滅後に於いて、常に応(まさ)に是の経を受持し読誦し解説し書写すべし。

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

過去に仏有(いま)しき 威音王(いおんのう)と号づけたてまつる

神智無量にして 一切を将導したもう

天人龍神の 共に供養する所なり
是の仏の滅後 法尽きなんと欲する時

一りの菩薩有り 常不軽と名づく

時に諸の四衆 法に計著(けいじゃく)せり

不軽菩薩 其の所に往き到(いた)って

而も之に語って言(い)わく 我汝を軽しめず

汝等道(どう)を行じて 皆当に作仏すべし

諸人聞き已って 軽毀(きょうき)し罵詈(めり)せしに

不軽菩薩 能く之を忍受(にんじゅ)しき

 

 

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461 ※得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 6


「其の法の中に於いて、是の法華経を説く。」

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

「是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。」

また是の因縁を以って生まれて、復二千億の仏に値いたてまつることができたのです。

「同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。」
 その時の名前を同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

「自在に燈を灯す王」と名付けたのです。
「此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。」
 此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
 不軽菩薩は、畏れるところは何もなかったのです。そのような境涯になるのです。
「得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。」
 得大勢よ、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たのです。
「得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。」

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

「爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。」
 
爾の時に常不軽菩薩は、この人と異なるのか? 則ち我が身是れなり。

仏様は、衆生と同じ活動です。衆生がいるから仏は現れてくるのであり、衆生も仏も同じです。
「若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。」
 若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に法華経を説けば、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができるのです。
「我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。」
 我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。聞いた人も受持した人も阿耨多羅三藐三菩提を得たのです。
「得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。」

得大勢よ、不軽菩薩をバカにしたお坊さん、尼さん、在家の男女は、不軽菩薩に会うことはできません。二百億劫において仏に会うこともできなければ、法を聞くこともなく、僧を見ることもありません。

「千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。」
 千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受けるのです。恐ろしいことです。
「是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。」
 是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)うのです。(7に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

其の法の中に於いて、是の法華経を説く。

是の因縁を以って、復二千億の仏に値いたてまつる。

同じく雲自在燈王(うんじざいとうおう)と号づく。

此の諸仏の法の中に於いて、受持読誦して、諸の四衆の為に此の経典を説くが故に、是の常眼(じょうげん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意の諸根の清浄を得て、四衆の中に於いて法を説くに、心畏(おそ)るる所無かりき。
得大勢、是の常不軽菩薩摩訶薩は、是の如き若干の諸仏を供養し、恭敬、尊重、讃歎して、諸の善根を種え、後に復、千万億の仏に値いたてまつり、亦諸仏の法の中に於いて、是の経典を説いて、功徳成就して、当に作仏することを得たり。

得大勢、意(こころ)に於いて云何(いかん)。

爾の時に常不軽菩薩は豈(あに)異人(ことびと)ならんや、則ち我が身是れなり。

若し我が宿世に於いて、此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得ること能(あた)わじ。

我先仏(せんぶつ)の所(みもと)に於いて、此の経を受持し読誦し、人の為に説きしが故に、疾(と)く阿耨多羅三藐三菩提を得たり。
得大勢、彼の時の四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は、瞋恚の意(こころ)を以って我を軽賎(きょうせん)せしが故に、二百億劫に、常に仏に値(あ)わず、法を聞かず、僧を見ず。

千劫阿鼻地獄に於いて大苦悩を受く。
是の罪を畢(お)え已って、復常不軽菩薩の阿耨多羅三藐三菩提に教化するに遇(あ)いにき。

 

 

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460 ※人をバカにしないで、「どんな人でも成仏するのですよ」と名をしめして、不軽菩薩は大神通力をもったのです。不軽菩薩は、大神通力をもって法を説くと、誰にでも喜びを与えることができたのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 5

 

「此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に罵詈せらるれども、瞋恚(しんに)を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべし。」
 
此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に不軽菩薩はバカにされるけれども、怒りを生じないで、常に是の言を作して、「貴方は、必ず仏になります」と言ったのです。
「是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、」
 是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、
 「我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべしと。」
 我敢(あ)えて汝等をバカにせず。「貴方方は、仏です」と言ったのです。
「其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。」
 其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。

仏道修行をしている坊さん、尼さん、在家の男女は、これを名付けて「常に軽しめず」と名付けたのです。
「是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。」
 是の比丘が命が終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。

命がつきるときに、威音王仏がでてきて、法華経の二十千万億の偈を聞いたのです。法華経は、二十八品です。それが、まだまだあるということです。この法華経だけでは終わりません。全ての偈を聞いて、不軽菩薩はこれをよく受持して、眼根、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄になって、成仏することができたのです。
「是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。」
 是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。

これは、「生まれ変わって」という意味です。寿命を増すこと、二百万億那由他歳(さい)です。すごく長い生命を与えられて、広く衆生のために法華経を説いたのです。
「時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。」
 時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。

人をバカにしないで、「どんな人でも成仏するのですよ」と名をしめて、不軽菩薩は大神通力をもったのです。不軽菩薩は、大神通力をもって法を説くと、誰にでも喜びを与えることができたのです。

寿命が二百万億那由他歳(さい)も与えられているのです。その長い間、大神通力をもって、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆、不軽菩薩に従ったのです。
「是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。」
 是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。
「命終の後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。」
 死んだ後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。
 不軽菩薩は、二千億の仏に会って、供養することができたのですから、大功徳です。二千億の仏は、日月燈明といいます。(6に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

此の如く多年を経歴(きょうりゃく)して、常に罵詈せらるれども、瞋恚(しんに)を生ぜずして、常に是の言を作す、汝当に作仏すべし。

是の語を説く時、衆人(しゅにん)、或は杖木(じょうもく)、瓦石を以って、之を打擲(ちょうちゃく)すれば、避(さ)けて走り遠く住して、猶お高声に唱えて言(い)わく、

我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべしと。

其れ、常に是の語を作(な)すを以っての故に、増上慢の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、之を号して常不軽と為(な)づく。

是の比丘終らんと欲する時に臨んで、虚空の中に於いて、具(つぶ)さに威音王仏の、先に説きたもう所の法華経の二十千万億の偈を聞いて、悉く能く受持して、即ち上の如き眼根(げんこん)清浄、耳(に)、鼻、舌、身、意根(にこん)清浄を得たり。

是の六根清浄を得已って、更に寿命を増すこと二百万億那由他歳(さい)、広く人の為に是の法華経を説く。

時に増上慢の四衆の、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽賎(きょうせん)して、為に不軽の名を作(な)せし者の、其の大神通力、楽説弁力(ぎょうせつべんりき)・大善寂力(だいぜんじゃくりき)を得たるを見て、其の所説を聞いて、皆信伏随従す。」

是の菩薩、復千万億の衆を化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしむ。

命終の後、二千億の仏に値(あ)いたてまつることを得、皆(みな)日月燈明と号づく。

 

 

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459 ※不軽菩薩は誰を見ても礼拝して、人さえいれば、みんなに頭を下げたのです。

 

 

 

人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』について 4


「亦威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。」
 亦、威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。
是の如く次第に二万億の仏います。皆同じく一号(いちごう)なり。」
 是の如く次第に二万億の仏がいます。皆同じく一号(いちごう)なり。

すごい数です。二万億の仏がいます。
「最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。」
 最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力が有りました。
爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。
 爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。
「得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。」
 得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくるのか。
「是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、」
 是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、

仏様のいない世の中に、不軽菩薩がでてくるのです。
「我深く汝等を敬う。敢(あ)て軽慢(きょうまん)せず。」
 我深く汝等を敬う。敢(あ)てバカにしません。
所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。
 「所以は、どうしてか?」と言うと、汝等、皆菩薩の道を行じて、当に成仏を得るのです。

「而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。」
 而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。

教典も読みません。ただ、拝むだけですから、ぶん殴られてしまうのです。
「乃至遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、」
 乃至、遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、
 誰を見ても礼拝して、人さえいれば、みんなに頭を下げたのです。
 「我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。」
 我敢(あ)えて汝等をバカにしません。汝等皆、やがては成仏するのですから、貴方も仏です。
「四衆の中に、瞋恚(しんに)を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、」
 四衆の中に、怒りを生じ、心が悪い者がいます。悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、

「是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。」
 
是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。

お前は何を言っているのだ。俺が仏のわけがないだろう? 「貴方は必ず仏になります」と言うのは、架空で虚妄の授記です。増上慢の四衆は、「こんな糞坊主のことは、気にしなくていいよ。我々は自由で楽しいことをやればよいのだ」と言ったのです。(5に続く)

 

 

『妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十』

亦威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号(な)づけたてまつる。

是の如く次第に二万億の仏います。皆同じく一号(いちごう)なり。

最初の威音王如来、既已(すで)に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。

爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。

得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。

是の比丘、凡(およ)そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、

我深く汝等を敬う。敢(あ)て軽慢(きょうまん)せず。
所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。

而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但(ただ)礼拝を行ず。

乃至遠く四衆を見ても、亦復故(ことさら)に往(ゆ)いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、

我敢(あ)えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。

四衆の中に、瞋恚(しんに)を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈(あっくめり)して言(い)わく、

是の無智の比丘、何(いず)れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与(ため)に当に作仏することを得べしと授記する。我等、是の如き虚妄の授記を用いずと。

 

 

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