※石田 梅岩(いしだ ばいがん、貞享2年9月15日(1685年10月12日) - 延享元年9月24日(1744年10月29日))は江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。
人類を救う 100万人の法華経入門 『妙法蓮華経如来神力品第二十一』について 12
「所以は何。」
所以はどうしてでしょうか?
「当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。」
当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。
山河、荒野、僧坊のあるところ、あらゆるところは道場です。みんな道場ですから、貴方のいる周りは、全て道場です。貴方が仕事をしているのも、法華経の修行をしていることと同じことです。
これが石田梅岩の説です。坊さんが、お経を読むことだけが、修行ではありません。法華経を見てごらんなさい。貴方方の全ての仕事、朝起きて寝るまでの動作は、仏事をなしているのです。坊さんにならなくても、仏道修行はできるのです。これが石田梅岩の思想です。
「石田梅岩の説法が聞きたい」と言って、門前市を成して、番屋に大勢の人が集まったのです。
「諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般(はつ)涅槃したもう。」
諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般涅槃したもう。
全ての仕事は仏道修行です。皆がいる所とは、娑婆世界です。娑婆世界の全てが道場ですから、ここにおいて諸仏が涅槃するのです。「仏は娑婆世界にいつもいる」ということです。
「爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、」
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
「諸仏救世者(くせしゃ) 大神通に住して」
諸仏、世の中を救う者、大神通に住して
「衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう」
衆生を悦ばしめんが為の故に、無量の神力を現じたもう
「舌相梵天に至り 身より無数の光を放って」
舌相梵天に至り、身より無数の光を放って
「仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう」
仏道を求むる者の為に、此の希有の事を現じたもう
「諸仏謦欬(きょうがい)の声(みこえ) 及び弾指の声(みこえ)」
諸仏の「謦欬(きょうがい)の声」とは、「折伏の声」ということです。折伏の声を聞くと、相手は衝撃を受けるのです。「お前、間違っているぞ」という「弾指の声」を衆生は聞くのです。
「周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず」
周く十方の国に聞えて、大地は皆六種に動ず
貴方が本当に折伏を現じていると、大地は六種に振動しているのです。
現実に大地が六種に振動しているわけではありません。仏眼をもって見ると、大地が振動しているのです。
仏眼をもって見ないとわかりません。それもだんだんと修行していくと、わかってくるのです。そのようなことを言っているのです。
僕が創価学会に入会した頃、小岩支部で体験したのです。ある信者が生活に困っていることを質問すると、副支部長が「貴方の悩みを解決するためには、折伏をしなさい」と言ったのです。
副支部長には真心があったのです。すると、副支部長の眉間から、光が出たのです。僕には、光が見えたのです。「これが眉間白毫の光だ」と思ったのです。それは、皆に見えたわけではありません。僕には見えたのです。僕には、「これが仏様の働きだ」と見えたのです。(13に続く)
『妙法蓮華経如来神力品第二十一』
所以は何ん、
当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。
諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
諸仏救世者 大神通に住して
衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう
舌相梵天に至り 身より無数の光を放って
仏道を求むる者の為に 此の希有の事を現じたもう
諸仏謦・の声 及び弾指の声
周く十方の国に聞えて 地皆六種に動ず
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