現在、日本が国家としてのまとまりがなく妙な動きをしているのは、この参議院制度に問題があると僕はみています。
布には縦糸と横糸があります。政治もそうです。縦糸は日本の歴史とつながっています。横糸はその時に生きた人々の考え方と意見です。所謂、国民(ピープル)と称する人々です。多数決によって決めていこうとすることが議会政治です。
衆議院は横糸です。その時の時代の利益によってどちらへ行くかわからないのです。人々が人気投票で決めた人を政治に出すのです。その当時の人々がよいと思えば、どんどん変わってしまいます。
ピープルはポピュリズムであり、ポピュリズムということは衆愚政治です。「産休が取りたい」と言ったり、不倫して女をおっかけたり、わけのわからない政治家が出ているということは、まさに衆愚政治そのものです。
大衆は愚かなのです。愚か者の意見をずっと集めていけば、そこに出来上がってくるものは愚かなことになってしまうのです。それを防止するのが良識の府の参議院でありますが、参議院の前に日本にあったのは貴族院です。
貴族院は選挙によって選ばれないのです。永久に参議院です。これは天皇から選ばれた公侯伯子男、学士院の会員である者から構成されていて、それぞれが何名ずつ集めるのです。子爵・男爵は結構数が多いので、お互いに話し合って「お前がやれ」「次はお前だ」ということで決まってきたのです。
貴族院の役割は天皇を中心にした縦型社会の存続です。それに対して衆議院はその当時の民衆の意見です。声が大きい、人気がある者が当選していたのです。衆議院が暴走すると国家がなくなってしまいます。それではダメですから、二院制の意味をもつのです。
「2800年の歴史を持った国家というものは、衆議院の言っていることは取り上げられない」という重しを置くのが貴族院です。この貴族院が昭和22年に参議院に変わったのです。衆議院と参議院が政党を中心とした考えならば、参議院はいらないということになります。
衆議院は政党をつくってよいのです。同じような意見の人々が集まって協力して意見を言ってもよいのです。参議院はそうではないのです。「これは我が国の国体から言って、間違っている」というのが参議院です。学識のある者、良識のある者、伝統を引き継ぐ者達の集団でなければいけないのです。そうでないと二院制は意味がなくなってしまいます。
かつてフランスも二院制になったり、一院制になったりしたのです。一院政党の場合、反対政党の者を豚箱に入れてギロチンにかけて抹殺してしまったことがあるのです。これはよくありません。
やはり2つつくる必要があります。日本独自の歴史の目を持たなければいけません。共産党が政権を取ったり、民進党が政権を取ったりしてのさばらしてはいけないのです。舛添のように韓国の奴隷になるように外遊したり、鳩山由紀夫は韓国に行って従軍慰安婦の銅像の前で土下座をしています。
「このようなことは間違っているのだ」ということを、参議院はキチンと言えなければいけません。
数の論理で同じことを多数決の論理で決めていくならば、参議院の意味はありません。参議院は本来、多数決で決めるようなものではありません。良識で決めるのです。「衆議院の連中の言っていることは違う。こんな方向へ行ったら大変なことになるぞ」というのが、参議院の役割です。
参議院や貴族院にはそのような役割があるのです。民衆は横暴で利益を求めて「あつちだ」「こっちだ」と動きます。「それはダメだ」と言う役割が参議院でなければいけません。
戦前は枢密院というものがありました。重石を二重に引かれていたのです。枢密院という議会があり、その下に衆議院と参議院があるのです。枢密院には議決権はないのですが、貴族院の上に天皇直属の枢密院というものがあり、伊藤博文や明治の元勲と言われた人々がいたのです。
衆議院は「大衆の意見はこうだ」と言い、参議院は「違う」と言い、さらに天皇のお立場から「これをどのように判断するのか」という役割を枢密院がやっていたのです。これも昭和22年に廃止になってしまいました。
明治の元勲と言われる人々は昭和になるとほとんど死んでいなくなり、その後の空席に枢密院という肩書を持った人はいても、実力はなかったのです。伊藤博文や桂小五郎などは実力がありました。江戸時代を駆け抜けて「俺たちが造った国家だ」という自覚があったのです。「それに反することをやるな」という睨みをきかせていたのです。
ところが明治の元勲が皆死んで、何でもない奴らが入ってくると形骸化してしまったのです。そうなると、陸軍大臣が「天皇直結だ。口出しはするな。俺たちの予算をゲスどもが考えて絞ったりするんじゃない!」と言い出したのです。
海軍も独立しています。海軍は「予算をよこせ」と言います。枢密院がいたから、天皇を通して伝わっっていたのですが、昭和になると実態はないから、いきなり天皇に行ってしまうのです。「海軍です。予算ください」「陸軍です。予算ください」と言い、抑えがなくなってしまったのです。
戦前は内閣総理大臣と言っても、絶対の権力者ではないのです。総理大臣は普通の大臣と同じです。大臣の内の代表者が内閣総理大臣です。内閣総理大臣がバンバン物事を決めて何でもやれる政治体制ではなかったのです。
そのようにして日本の政治がおかしなことになっていったのです。仕舞には統帥権を持ち出したのです。統帥権とは「我々軍部は天皇から直接の権限を与えられている」ということです。「誰人も陸軍にケチをつけるわけにはいかんぞ。天皇の軍隊である」となってしまったのです。
「お前ら、大臣であろうと俺たちに口出しするんじゃない。我々は天皇の軍隊だ」と言い出したのです。議会の制約を受けないので、それがどんどん横暴に走ったのです。
大臣の形はあるのですが、軍人は「我々がなぜ平民の考えを聞く必要があるのか。我々は自由にやるぞ。それが天皇の軍隊であるという証明なのだ。平民が軍の上に乗っかり、口出しするのはとんでもない。何故ならば平民は軍事を知らん。何も軍事のことを知らない奴が指図することは許さん」ということです。
大臣は文民という立場です。シビリアンコントロールです。防衛大臣は文民です。「軍人を知らない大臣が何を言っているのか。俺たちは専門家だ。知らない奴がなぜ大臣をやっているのか、ひっこめ!」と言われてしまいます。
「文民が軍人の上にのっかっていないと軍部は暴走するから、文民がコントロールする」ということです。シビリアンコントロールは軍人の邪魔になるのです。
だから、大臣はいても実際は言うことを聞かないのです。大臣は軍事の素人です。軍人はプロ集団です。田母神さんもそうです。軍事のことは実に詳しいのです。田母神さんの上に防衛大臣が乗っかって何を言うのでしょう。何も知らないのです。
「俺たちは防大を出て幹部教育を受けて長年実践を積んできているのだから、軍事の専門家だよ。お前は何も知らないだろう。知らない奴がなんで予算を組むのか」こうなってしまうのです。
それはともかくとして、参議院が衆議院のコピーになってしまったら意味がないのです。数の論理ではないから参議院の意味があるのです。昔は選挙区も全国区と地方に別れていて、議員の選出の仕方も違ったのです。有識者が当選するようなことになっていたのですが、今は衆議院と同じです。全く意味がありません。衆議院で通った法案は、参議院も通ってしまいます。
意見もほとんど変わりません。「この法案はおかしい」という意見を議会で出すのが参議院です。それもないのです。今は参議院が政党政治の上に乗っているのです。だから、政党で決めたことは、衆議院も参議院も賛成です。党議拘束をかけられるから、勝手な意見が言えないのです。それでは参議院の意味がありません。
日本の政治はどんどん帰化人に占領されて悪くなってしまったのです。衆議院が朝鮮人ばかりになったとしても、参議院がしっかりしていれば言えるのです。「盛んに帰化系の議院が日本のことを勘違いしているけれども、我が国はそんな国ではないのだ」と、参議院の有識者がバンと言えば収まるのです。
参議院が機能していないから、馬鹿議員が泣いたりわめいたり、浮気したり、妊娠させたりしているのです。こんなことは、お話になりません。日本の政治は参議院から始まるのです。
僕の近所の創価学会員がこんなことを言ってきたのです。「今度の参議院に出る●●さんは、大変真面目な人で有能な人で、お父さんが早く死んで小学校6年生から新聞配達をして、お母さんを助けて、通信教育で東洋大学を卒業した苦労人です。その人が目の悪い人のための黄色の線をつくったのだ。こんな素晴らしい人はいない」と言うのです。
ちょっと待ってください。参議院が黄色いラインをつくった人がなるのでしょうか。参議院はもっとやることがあります。国会議員が考えることは、国防が第一番です。「国をどう守るのか、国民の命・安全を保障するためにはどうしたらよいのか」という時点から物を考えていかないとダメです。
「目の悪い人のために黄色いラインをつくった」、そんなことを参議院で考えてもらわなくてよいのです。
ご愛読ありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。
応援よろしくお願いします!
↓↓↓
『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!
↓↓↓