本日の朝日新聞電子版につぎのような記事がありました。
.「九州大学が、2012年度の入試から理学部数学科の定員に「女性枠」を導入する計画について、「男性への差別だ」などと批判の声が寄せられ、見直しを迫られていることが18日、分かった。」
「入試に女性枠導入「男性への差別」 九大へ批判集まる」2011年5月18日
http://www.asahi.com/national/update/0518/SEB201105180004.html
これは憲法のいわゆるアファーマティブ・アクション(ポジティブ・アクション、積極的格差是正措置とも呼ばれる。)の問題ですね。
これはどちら側の考え方もよくわかるので悩ましいですね。
復習してみました。
憲法は法の下の平等を定めていますが、この「平等」の意味が問題となります。
この点、憲法の代表的なテキストのひとつである、野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法Ⅰ 第4版』は、”平等にはふたつの側面があり、ひとつは形式的平等であり、これは人の現実のさまざまな差異を一切捨象して原則的に一律平等に取り扱うこと、すなわち機会均等を意味するという側面と、もうひとつは実質的平等であり、人の現実の差異に着目して、その格差是正を行うこと、すなわち配分ないし結果の均等を意味する側面である”としています。
そして、”日本国憲法にはこれら両面の要請が含まれると解されるが、しかし憲法14条の規定は、なによりも近代的意味の平等原則すなわち形式的平等を保障したものと解するのが妥当である”とされています(同273頁 )。
さらに同書は、具体例として、「たとえば国立大学への入試につき、一定の社会的弱者に優先枠を設けることは、仮に実質的平等の要請にかなうものであるとしても、受験機会の平等という形式的平等の要請に明らかに反する。」としています。なぜなら、「国立大学の入学試験については能力差を前提とした機会の均等が要求され、能力差の是正は要求されていないから形式的平等が働いており、実質的平等の出番はない」からであるとしています。
このような憲法の通説的な理解からすると、この新聞記事にあるような、国立大学が入試において「女性枠」を導入することは、法の下の平等の原則に反することになるように思われます。
なお同書は、実質的平等の実現は、「なにが実質的平等と呼ばれるにふさわしいかを含めて、第一義的には社会権条項に託された課題であり、結局は立法により実現されるべきものであろう」としており、近年の男女雇用機会均等法や、男女共同参画社会基本法などを紹介し、ポジティブ・アクション(アファーマティブ・アクション)の採用に関しては、「それぞれ個別的な憲法論議が必要になるであろう」としています(同288頁)。
うーん、悩ましい。
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