南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

ようこそお越し下さいました。

当ブログの管理者、Naikiと申します。



私の愛する南三陸町 は、宮城県北部に位置する
海・山・川の恵みに満ち溢れた風光明媚な町です。

※黄色が南三陸町
$南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

2011年3月11日に発生した東日本大震災により
町は壊滅的な被害を受けました。

しかしそこに生きる人々は強く、町は今も尚美しいのです。


“2016年2月1日”
私は南三陸町民になりました。
これからも町を歩き続けます。

about 10 years ago.
At Matsubara Park.

 

 

 

more than ten years have passed

 

 

 

 

he is still sleeping.

 

 

 

 

To be continued

昨年オープンした「自家製餃子まるぎょう」さん。

我が家からほど近い場所にあり、たまに(頻繁かも)

利用させていただいています。

 

こちらは定番の餃子定食。

餃子14個でお値段何と770円…!コスパ最強すぎ。

いや、逆に経営を心配するレベルのお安さ。。

いつも熱々の餃子を提供してくれる嬉しいお店です。

肉や野菜にもこだわりがあり、お財布だけでなく身体

にも優しいという…。店員さんも親切です。

 

ただ餃子オンリーでは少々厳しいのでは…と懸念して

いたのですが、風のウワサでつけ麺を始めるらしいと

いう情報が。そしてお店に伺うと、このノボリが…!

 

餃子しか無かった券売機がこんなに盛り沢山な内容に!

ちなみにこの写真は販売開始前に撮影したものなので、

麺の料金に変動があるかもしれないのでご参考まで。

この日は魚介豚骨とにんにく醤油のみの販売でした。

これから徐々に充実していくものと思われます。

 

私が注文したのは魚介豚骨です。麺は確か太麺と極太

から選べた記憶が。中太かな?違ったらごめんなさい。

ライス小あるいは麵大盛りの選択制です。

つけ麺業界には明るくないのですが、しっかりと感じる

魚介の旨味が深いです。麺の硬さは私好み。

スープと麺の比率も丁度良く、あっという間に完食!

シンプルながらとても美味しいつけ麺でした。

この日は餃子7個もサービスで付いてきたのでお腹

いっぱいです(笑)。

 

日曜日ということもあり、家族連れが続々と入店されて

いました。沢山の方に味わっていただきたいです。

 

自家製餃子まるぎょう

宮城県本吉郡南三陸町志津川大畑57−4

※月曜定休

 

誉め言葉ですが、お店の不慣れな感じも微笑ましい。

頑張って下さい~!

 

 

 

宮城県志津川高等学校、通称「志高」。

全国募集型に切り替わる為、この4月から校名が

宮城県南三陸高等学校に変更されます。

久々に高校入口に赴くと、大きな変化がありました。

 

向かって右側の校名板は「志津川高校」。

 

向かって左側の校名板は「南三陸高校」です。

既に新しい校名のものが完成していたのですね。

4月になったら「志高」の校名板は取り外されてしまう

のか、あるいは今後も2種の校名板を使用するのか。

 

母校の名前が変わるってどんな感じなのでしょう。

私は東京都港区の芝高校出身ですが、例えばこれが

「港高校」になるようなものなのでしょうか。

だとしたら単純に嫌かもしれません。。

聞き慣れた校名が歴史の中に埋没してしまうようで…。

 

高校坂に桜の花が咲く頃には、新しい校名への違和感も

少しは薄らいでいるでしょうか。

 

 

この看板も書き換えられるのでしょうね。

 

「志」の字は無いので校章はこのまま?

 

 

思い出や校舎そのものが変わる訳ではありませんが、

何とも言えないもの悲しさがあります。

卒業生や在校生であれば尚更でしょう。

でもこの英断は町の発展を考えてのこと。

すぐにとはいかないでしょうが、いずれは沢山の

学生さんが全国から集ってくれることを祈っています。

2031年3月10日。

防災対策庁舎の県有期間が終了します。

この日までに町民が、庁舎を保存するか、あるいは

解体撤去するかを決定する必要があります。

県有期間20年の内12年が経過したことになります

が、少なくとも現時点で大きな動きは見えません。

 

2013年の時点で、防災対策庁舎は解体撤去が決定

していました。当時の町のコメントは以下の通り。

 

今後復興事業が具体化していく中で、この場所に

おいても土地の嵩上げが必要となってまいります。

また保存費用もこの小さな町にとっては大変大きな

財政負担となってしまいます。

震災遺構の在り方については、何度となく国に問いかけて

まいりました。

しかしながら最終的には町の判断によるという方針、

見解は残念ながら変わることはありませんでした。

本当にこの問題については非常に荷の重すぎる課題であり、

小さな町が頑張るという限界を超える難題でありました。

最終的には苦渋の決断ではありましたが、解体せざるを

得ないとの判断を致したところであります。

 

当時保存上のネックとなっていた、土地の嵩上げに

ついては結果的にクリアしました。

では、最大の壁と思われる保存費用の件は…?

 

震災遺構の保存に対する支援について、復興庁は

平成25年に以下を明文化しています。

・保存のために必要な初期費用を対象とする

維持管理費については、対象としない

 

この町の震災遺構の場合、町民個人にどの程度の負担が

掛かる可能性があるのかが見えてこない限り、活発な

議論は進まないような気が…。

例えば「保存する」という意見が多数を占めても、

そもそも財政的にNGなのであれば成立しない為です。

 

20年という年月の間に、人は老い・育ちます。

震災当時の中心世代が現役を退き、0歳含む子供世代が

新たに町を牽引する大人世代に成長します。

一体どの世代が「保存 or 解体」の旗振り役となる

のが正解なのでしょうか。

 

町長が現役の内に決着を…という報道も目にしますが、

この施設に関しては、一般の町民には見えないものが

あまりにも多すぎます。

これ以上触れたくない、という意見が大多数なのかも

しれません。私が「移住者だから意見する資格は無い」

と目を背けるのも、ある意味“逃げ”なのでしょう。

 

それでも8年という年月は、恐らくあっという間に

流れ過ぎていきます。その日を迎えても慌てることの

ないように、少しずつ考え進めていきたいものです。

2023年3月11日。

13回忌に当たるこの日、道の駅さんさん南三陸は、

祈りを捧げる目的で訪れた人々、そして報道関係者で

溢れ返っていました。

 

サイレンが吹鳴される1時間前の復興祈念公園。

祈りの丘の頂上には、既に人が集まりつつあります。

そして防災対策庁舎に向けられる数多のカメラ。

この建物は震災の象徴のような存在になっている。

そう確信せざるを得ないような景色が、目の前に

広がっていました。

8年後、庁舎に対しどのような判断が下されるのか。

その答えはまだ、誰も知りません。

 

14時46分直前。

整備された祈りの場に、人々が集いました。

遠い喧騒の中、静かな時間が流れていきます。

 

一方、整備されないかつての祈りの場は、静けさに

包まれています。ここは南三陸消防署跡地。

当時、多くの職員が殉職された場所です。

私はその建物を見ているはずなのですが、記憶は時間の

砂に埋もれ、正確な姿を思い描くことが出来ません。

 

震災後長きに渡り、ここには花や供え物がありました。

その後の復興工事の進捗に伴い、恐らく祈りの場と

しての“立場”が奪われてしまったのでしょう。

それでもここに祈りを捧げに来る人がいるのであれば、

何かしら「存在の証明」を後世に残すことは出来ない

ものか。私はこう考えてしまうのです。

ごく小さな看板でもいい。杭1本でも祈念樹でもいい。

“忘れない”為の何かがあれば、今は荒れた土地にも

記憶と思い出が再び蘇ることでしょう。

 

私の願望はさておき、今日は祈りの一日です。

思い思いの場所で、大切な“誰か”あるいは“何か”に

祈りを捧げられたことでしょう。

 

間もなく、13年目の春が始まろうとしています。

数週間前から、うみべの広場の整備工事が進み始め

ました。うみべの広場とは、さんさん商店街から見ると

国道を挟んで海側にあるエリアのことです。

 

この盛土されていく工程、懐かしいですね…。

土色が目立ちますが、ここからの変化を追うのが楽しく

心がワクワクしてきます。

 

奥に見えるのはさんさん商店街です。

 

こちらは海の方向を撮影したものです。

 

 

“松食”方面へ移動します。

 

 

右手側に“松食”があるという位置関係です。

 

上の写真から、八幡川沿いに移動しました。

ここを、当面の間の定点ポイントとして設定します。

 

この写真は、5年前に公開された海辺の広場の完成

予想図です。“松食”側をイメージしたものですね。

 

私がこのポイントに拘るのは、ここに将来2体の

モアイ像が並んで設置される可能性が高いからです。

約10年前に南三陸町にやってきたモアイ像。

そして頭部と胴体が分離保管されている旧モアイ像。

その2体が並ぶ、この画のような未来が本当に訪れたら

嬉しいなぁ…。

 

商店街からうみべの広場に行く為には、国道の信号を

渡る必要があります。この信号が、地味にネックに

なりそうで少し不安です…。歩道橋が欲しい…。

願わくば、海沿いをのんびり歩いて寛げるような、

そんな広場になってくれることを期待しています。

 

本人が情報解禁したのでちょっとだけ。

私の可愛い“息子さん”が東京に旅立ちます。

いつかは別の町で働いてみたい、という話は聞いていた

ので驚きという感覚は少ないのですが、やはり長年

一緒に仕事をした仲間が町を去るのは寂しいです。

※タイトルのペンタは彼のペンネーム

 

私のカメラが初めて悠斗を捉えたのは2017年1月の

成人式のこと。司会者を撮ったというごく普通の1枚が

こんなに思い入れのあるものになるとは…。

若干ピンボケなので、この写真は初出です。

 

その後彼はめざましい成長をしました。

※主にメンタル面が強くなった証拠写真

 

彼の両親が私と同い年という理由から“息子さん”と

して仲良くしてきましたが、心の中では長い年月を

共に過ごした戦友の意識が強いです。

 

自他認めるほどにふっくらとしましたが、東京生活で

痩せてしまうのではないか、満員電車に嫌気がささない

だろうか、皆無と言える都会のご近所付き合いを寂しく

思わないだろうか、慣れない仕事に心折れないだろう

か、ちゃんとご飯を食べて行けるのだろうか、悪い人に

騙されないだろうか、意地を張って身体に無理をしない

だろうか、笑顔は減らないだろうか、、、、

ぐるぐるぐるぐる心配ばかりが頭の中を巡ります。

きっとこれが、知る権利の無かった親心のカケラ。

こんな気持ちを教えてくれてありがとう。

実際の親心はこの比じゃないとは思いますが。。

※脳内ではさだ先生の“案山子”がエンドレス再生

 

普段は誰が退職しようがこんなことは書かないのです

が、思い入れが強かったということで許して下さい。

まぁ、頑張れ!

いつでも帰っておいで。

マイナスな意味じゃなく、帰省だよ(笑)。

春を感じさせるような暖かい日。

整備が完了した旧志津川駅に向かいました。

ここがかつて駅であったことを示す、「しづがわ」の

駅名標が新設されました。

 

流されてしまった駅名標を忠実に再現しています。

 

線路部分に行く為の階段があります。

 

ホームから地上の通路へ続く階段です。

 

私のような人(笑)が立ち入らないよう、通路への

入口はフェンスで閉ざされています。

この先には壁画があるので個人的には沢山の人に見て

いただきたいのですが、駅自体が老朽化しているので

難しいのでしょう。

 

ホームより、志津川中学校方面を望みます。

この先には、山を貫くトンネルが保存されています。

 

震災直後から変わらない、破壊された跡。

変わらないはずなのに、年月が経ち過ぎてしまった為か

まるで“別物”のようにも感じられます。

 

 

駅名標の裏側です。

志津川駅は私より年下であることが判明…。

 

駅の周辺には、沢山の小さな春がありました。

このまま暖かい日が続きますように。

 

 

 

 

約10年、そのままの状態で残されていた志津川駅。

そう遠くない日に解体されるのだろうと思い続けて

いましたが、整備が進むことでようやく保存される

ことが確信出来ました。

南三陸町では貴重な震災遺物です。

多くの方々に訪れていただきたい場所になりました。

 

元々写真は趣味ではない&復興工事がほぼ終了したと

いう理由から、すっかり休眠状態だった当ブログ。

それでも私の写真に期待して下さる声を耳にすると、

このままウデが落ちる一方なのは何だがなぁ…という

訳で、すこーしずつ文章を書いていこうと思います。

 

とはいえ最新の写真は特にないので、ちょっと前に

撮影した「さとうみファーム」の羊から再始動します。

折しも本日(3月5日)、こちらの施設が某番組で

紹介されたので、便乗と言えば便乗です!

 

我が家から徒歩圏内(普通の人は歩いては行かない)の

さとうみファーム。TVにも映りましたが、寄木の海は

とても綺麗です。港のサイズ感も丁度いい!

 

わかめ羊のジンギスカンをご馳走になったことがあり

ます。コレ、誇張ではなく、本気で美味しいです。

 

文章を書きながら、

「過去にも同じような記事を書いたような…」

と不安に陥っています(笑)。気にしない!

 

柔らかくて臭みの全く無い国産の羊肉。

当然少々お高いですが、試してみる価値あり!です。

 

 

そして極めて私事ですが、この3月から部署異動です。

私はココにおりますので、運が良?ければ私が司会する

プログラムを受講いただけるかもしれません。

 

6周年を迎えた本設さんさん商店街の周辺では、モアイ

がキーワードとなる新たな工事がスタートしました。

さぁ、カメラ片手に歩きましょうかね…!

 

11年前の3月。

とある場所で、何人の方が亡くなったか。

“事実”としては知っていても、どこか自分とは縁遠い

ことと感じていたのかもしれません。

 

かつて誰かが撮った写真には、そこで働いていた方々の

姿がありました。震災の2ヶ月前の記録写真です。

切り取られた日常の一コマ。

そこに写る人々は、2ヶ月後の未来を知り得ない。

こういう日常が、数えきれないほどあったはず。

 

この所有者すら定かではない写真を、手に入れるべき

人たちがいる。多分、恐らく。

 

比較的早い段階で解体されたその建物。

2012年、その建物の面する道路は何度も通った

けれど、当時私は自分の目で見ていたのだろうか。

 

記憶を思い起こせない私が頼ったのは、結局自分自身が

撮影した過去の写真でした。

 

あぁ、確かに写っている。

もっとしっかりと目に焼き付けておくべきだった。

 

まだ時間はある。

成果はここには書きませんが、少しだけ行動しよう。

 

あと、写真の撮影も少しずつ再開…かな。