サクラ・咲く頃に | 南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

南三陸町と、『名前負け』するブロガーの日常

宮城県南三陸町。

大震災からの復旧・復興期を迎えている今、
町はかつての面影を失いつつあります。

そして人々の記憶も失われていくもの。

将来、思い出の補完の一助となれば…。

その願いをもって、私は町を訪れています。

( ;谷)。oO(הללויה)

宮城県志津川高等学校、通称「志高」。

全国募集型に切り替わる為、この4月から校名が

宮城県南三陸高等学校に変更されます。

久々に高校入口に赴くと、大きな変化がありました。

 

向かって右側の校名板は「志津川高校」。

 

向かって左側の校名板は「南三陸高校」です。

既に新しい校名のものが完成していたのですね。

4月になったら「志高」の校名板は取り外されてしまう

のか、あるいは今後も2種の校名板を使用するのか。

 

母校の名前が変わるってどんな感じなのでしょう。

私は東京都港区の芝高校出身ですが、例えばこれが

「港高校」になるようなものなのでしょうか。

だとしたら単純に嫌かもしれません。。

聞き慣れた校名が歴史の中に埋没してしまうようで…。

 

高校坂に桜の花が咲く頃には、新しい校名への違和感も

少しは薄らいでいるでしょうか。

 

 

この看板も書き換えられるのでしょうね。

 

「志」の字は無いので校章はこのまま?

 

 

思い出や校舎そのものが変わる訳ではありませんが、

何とも言えないもの悲しさがあります。

卒業生や在校生であれば尚更でしょう。

でもこの英断は町の発展を考えてのこと。

すぐにとはいかないでしょうが、いずれは沢山の

学生さんが全国から集ってくれることを祈っています。