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笑顔なしの残留

第2ステージ第17節 ホーム 広島戦


アルビレックス新潟 0-1 サンフレッチェ広島


 ちょっと旅に出ていて、試合当日、テレビはおろか、ネットにもアクセスできなかった。


 夜になって情報にありついた。負けたけど残っていた。


 勝ち点30の残留。これまでで最もみっともない残留だった。


 名古屋の自滅でかろうじて15位に踏みとどまった。


 2012年の「奇跡の残留」の時にはリーグ終盤、ガンバとヴィッセルに高レベルでの予期せぬ出来事がおきた。その2チームの降ってわいたようなゴタゴタで彼らが必然的に降格し、ウチが幸運にも残留した。


 今季は名古屋が監督交代後盛り返してきた。しかし時すでに遅く、名古屋からみて必然的に降格した。ウチは2012年以上に偶然に残留した。


 より客観的に見れば、不運な名古屋、幸運な新潟。


 それだけのことだ。


 すでに来季の選手の動きがうわさされ出した。


 社長は社長でなにごとかつぶやいている。


 でも、今回の結果を現場の責任にしていいのか?現場の人(選手、監督)を代えればすむのか?


 本当に責任をとるべき者は誰なの?


 来季、私はレディースの後援会とドリームクラブは継続するつもりだ。


 生意気とは思うが、クラブ本体の後援会は人事を含む姿勢をみてから継続するかどうかを決めたい。


 残留と降格は大きな差だが、起こったことは名古屋も新潟も似たようなものだ。名古屋がむしろ一歩早く手を打っていた。来季の人事に向けて既に動き出した。


 ただ、多分、あくまでも多分だが、名古屋と大きく違うのは上層部内部でのゴタゴタがないことかな。その点では希望が持てる。


 たったひとりのサポーターがグダグダ言ったってどうにもならないだろう。しかし、今年の新潟についていえば、「残留してよかった、よかった。」とは言いたくない。


相互リンク⇒アクティブなごやん(HSV、今季未勝利行進でこのままなら降格危機)


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なごやんのBCL史(49)世界制覇の果てに

 今回はヨーロッパの番で、ヨーロッパ大陸、というか、ユーラシア大陸再西端(アイルランド、アイスランド、グリーンランド等の島を除く)のポルトガルです。


【背景】

 ポルトガルはヨーロッパの中では私の関心が比較体低い国です。


 15世紀のいわゆる「大航海時代」に世界に君臨したポルトガルですが、第二次世界大戦後は世界各地で民族解放の動きが進み、ポルトガルは植民地を次々に手放しました。


 一方、国内では政権抗争が絶えず、西ヨーロッパの中では不安定な状況が続いていました。1980年代になってようやく落ち着いてきたと言ってもよいでしょう。


【ラジオ・ポルトガル】

 私がポルトガルの放送を聴いたのは私のBCL 歴からみれば比較的最近のことで、1980年代になってからです。国営放送(Radiodifusão Portuguesa,RDP)の国際放送です。


 この頃になると、私はそう熱心に聴いていたわけではありませんし、きちんとしたログは残っていません。

 

 ヨーロッパの中ではマイナーな放送局で、国際放送にはそれほど力を入れていなかったようです。最大出力も100KWとそれほど大きくはありませんでした。


 ビームはヨーロッパ、南北アメリカ、南・西アジア、アフリカへ向いていてて英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語で放送していました。東アジアやオセアニアへ向けての放送はありませんでした。


 ポルトガル語の放送もありましたが、これを「国際放送」には位置づけていなかったようです。その中には短時間ですがマカオ向けの放送もありました。これが唯一の東アジア向けと言える放送だったかもしれません。

ラジオ・ポルトガル国際放送のスケジュール表


 受信報告に対してはちゃんと(笑)受信証(ベリカード)が送られてきました。

RDPの受信証(リスボン動物園)

 ヴァスコ・ダ・ガマ水族館などというのもあります。

RDPの受信証(ヴァスコ・ダ・ガマ水族館)


 この局の英語放送プログラム表は質素なものでした。「ラテン」を想起させる華々しさはありません。

RDPの英語プログラム


 乏しい記録によれば、英語放送開始時には「This is Radio Portugal broadcasting from Lisbon through the International Service.」とアナウンスされていたと思います。放送終了後にはポルトガル国歌が奏でられました。


 RDPはその後テレビ局と一体化し、Rádio e Televisão de Portugal (RTP)となり、国際放送はラジオ部門の「Radio Portugal International」として放送しています。ただし、以前同様、アジア向け放送はありません。


 次回はアフリカの予定です。


BCL、SWL、DXingの過去記事はここをご覧ください。


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最終節まで落ち着かない

第2ステージ第16節 アウェー G大阪戦


ガンバ大阪 3-1 アルビレックス新潟


 今日は午前中、一宮で職員の結婚式があり、キックオフ時刻くらいにお開きとなった。


 JRに乗る少し前、一緒に出席した職員が、「前半5分に先制されてるよ。」なんて、親切に教えてくれた。


 JRの中で、「あっ、追い着いてる。」なども。親切だなぁ(笑)。私は恐くて帰宅まで我慢してるのに。


 帰宅した時には後半に入っていた。そして1点リードされていた。


 PKかぁ。またPKかぁ。マリノスとかガンバとか、プレースキックの職人がいるもんなぁ。


 で、なんやら、ラファエル・シルバが退場になっていた。


 終盤、両チームの攻防が激しくなるが、得点に至らない。なんとか同点に追い着きたいアルビだ。


 アディショナルタイムは6分。 よし、挽回だ! と思いきや・・・


 レオ・シルバまで退場。9人での戦いだ。そして逆に追加失点してしまう。


 緊張が途切れたか?


 磐田も甲府も名古屋も負けて、結局今節と同じ勝ち点差の争いだ。


 最終節には何としてでも勝利し、自力で残留してほしい。それにしてもレオラファが出場停止だ・・・


 応援の皆さん、お疲れさまでした。


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なごやんのBCL史(48)エビータの国

 今回は順番でいけばヨーロッパなのですが、都合により南米へ飛びました。


【背景】

 アルゼンチンは南米でブラジルに次いで面積の大きな国で、そのルーツはアジアにあると言われています。

アルゼンチン


 しかし、大航海時代にはスペインによって植民地化されました。中南米の他の国々と同様です。


 現在のアルゼンチンはメッシを始め優秀なサッカー選手を生み出している国ですが、アンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカル「エビータ」( Don't cry for me,Argentina~.)でも知られる国です。


  マドンナが主演する映画「エビータ」のDVD


 長い間スペインの支配下にあったアルゼンチンですが、19世紀になると独立運動が活発になり、1916年7月9日、アルゼンチンはスペインからの独立を宣言しました。


 南米のスペインからの独立闘争に貢献したアルゼンチン出身のホセ・デ・サン・マルティンは「南アメリカの解放者」として南米各国で讃えられています。

ホセ・デ・サン・マルティン


 スペインからは独立していますが、南方の離島、マルビナス諸島は英国の占領下にあり、英国ではフォークランド諸島と呼ばれています。この地の領有に関してはまだ決着をみているわけではありません。

マルビナス(英名フォークランド)諸島の切手


【アルゼンチン国営放送(RAE)】

 私がBCLer(DXer)だった頃、そのアルゼンチンからRAE(Radiodifusión Argentina al Exterior)という国営放送が日本語放送を行っていました。


 ビームは東アジアへも向けられていましたが、日本ではいつも良好な受信状態が得られるわけでなく、受信にはとても苦労しました。

RAE日本語放送受信ログ


 内容はニュースやアルゼンチンの生活など豊富でしたが、何しろ受信状態の悪さには閉口しました。


 受信証は簡単で不完全なもので、受信証と言ってよいかどうかわかりませんが、一応アップします。

アルゼンチン国営放送"受信証"


 紙製のペナントのようなものも送られてきました。

       ペナント?


 この放送は日本語でしたので、なんとか聴くことができましたが、何しろ、日本から見れば地球の裏側から電離層で反射しながら届けられる弱い電波でしたので、受信報告を出したことは数回しかありません。


 日本語放送は今でも続いているようです。私は最近聴いたことがありません。


 当時のDXers は、ブラジルの放送などもよく聴いていたようですが、私が南米の放送で聴くことができたのは、前に書いた「アンデスの声」と「RAE」、それに「チリの声」ぐらいです。


 受信報告に対して返事をもらったのはアンデスの声とRAEだけですので、2局のカードしか持っていません。


 次回はまたヨーロッパの予定です。


BCL、SWL、DXカテの過去記事はこちらをご覧ください。


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なごやんの続・鉄道日記(98)初めての小浜線

 なんとなく北陸づいている私は今月上旬、福井、石川へ出張してきました。1泊2日の旅です。旅程は下に書いた通りですが、今回の記事はその第1回、福井県若狭町への旅です。関連鉄道日記は(48)小浜線等でしょう。


 今回の日記は1日目、出発から敦賀経由若狭(十村駅)までです。(青文字が今回分)


【1日目】

名古屋(0750)==[しらさぎ1]==(0925)敦賀《食事等》(1044)==[小浜線]==(1121)十村《仕事》(1321)==[小浜線]==(1358)敦賀(1426)==[しらさぎ55]==(1458)福井(1525)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(1619)勝山《仕事》(1919)==<えちぜん鉄道勝山永平寺線>==(2012)福井(2038)==[サンダーバード41]==(2122)金沢(泊)


【2日目】

金沢(0910)--<北陸鉄道バススーパー特急>--(1105)輪島駅前《仕事→穴水へ》穴水(1433)==[のと鉄道]==(1513)和倉温泉(1520)==[能登かがり火8]==(1629)金沢(1648)==[しらさぎ14]==(1844-遅延→1854)米原(1858)==[ひかり532]==(1925)名古屋


 名古屋から特急しらさぎに乗り、まずは敦賀へ行きます。岐阜県から滋賀県へ入るあたりでは伊吹山が見送ってくれました。

伊吹山に見送られ敦賀駅へ


 以前福井駅に生息していた恐竜君が、この日は敦賀駅にいました。ここから小浜線、私にとっては初めて乗る路線です。

敦賀駅プラットフォームと125系電車+乗車券


 敦賀駅を出てほどなく、舞鶴若狭道に掛かる「敦賀衣掛大橋」が見えてきます。そしてすぐに黒河川を通過します。広葉樹の多いこのあたりは秋になるとまた色を変えるのでしょう。

敦賀衣掛大橋と黒河川


 佐田隧道を抜け、左カーブを切るとまっすぐ東美浜駅へ入ります。

佐田トンネルを抜け東美浜駅へ


 そろそろ線路は海側へ寄り、耳川を越すところで若狭湾が見渡せます。

耳川と若狭湾


 そして若狭町の中心とも言える美浜駅です。

美浜駅


 ここから三方五胡に沿って電車が進みます。美浜駅を離れ、気山駅に近づくとまずは久々子湖が現れます。

久々子湖


 気山駅を出ると山に囲まれた線路が続きますが、それが途切れると右手に三方湖が見えてきます。

三方湖


 ようやく十村駅に着きました。もちろん(と言ってもよいでしょう)、無人駅です。
十村駅


 若狭町には若狭鯖街道の熊川宿があったようで、その案内板が建っていました。観光地になっているようですが、出張中の私にそこへ行く余裕はありませんでした。

熊川宿案内板


 ここでの仕事を約2時間で終えると、次の出張地である勝山市へ向かうため、小浜線で敦賀へ戻りました。


 この続きは続・鉄道日記(99)で。


鉄道日記、続・鉄道日記の過去記事はこちらをご覧ください。


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