1270)冬の山崎(5) 白鳥 ゆのくに(s55)と オリエント急行 はまかぜなど(s63) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 1268)

 

 

の続きです。

 時系列にそって進めてまいります。

 

 1980.1.18 10:40 4001M白鳥 青森行き 485系12連 (後追い)

 クハ481-346(こちら側12号車)他8M4T

 新潟で方転するので 新潟からはこちらが先頭になります。

 大阪10:18→17:24新潟17:30→23:50青森

 青森で青函連絡船の夜行便に接続します。2本の船便があります。

 11便 青森0:10➡4:00函館着と 

 1便 青森0:35➡4:25函館着

 それぞれが道内特急に接続し、

 1D おおぞら1号 函館4:45➡8:54 札幌 9:00➡15:02 釧路

 11D北海(倶知安経由)函館4:50➡9:15札幌 9:20➡11:05旭川

 

 なぜか このコマ↑だけが変色著しく、申し訳ないです。ネガカラーの末端部に位置するコマかもしれません。湿度の具合か、36コマのうちの S、1、36、Eコマまで使い切ろうとした 貧乏学生時代の報いかもしれません。

 

 11:03 1502M「ゆのくに」と 761M米原9:42発西明石行快速 113系グリーン車付き12連。 

 京都発は「ゆのくに」が1分後で、徐々に追いつき ほぼ並走してきました。前からでは113系がじゃまして撮れませんでした。大阪着は113系が11:27で3分早い。当時の快速は、京都 高槻 茨木 新大阪 大阪と停車。

 1502M 「ゆのくに」金沢7:15→10:53京都→11:30大阪

 

 11:18 阪急6300系特急梅田行 と763M草津発姫路行

 ここには複々線を渡る、地元のかたが通るような徒歩用の踏切がありました。そこを渡って小さな畑の脇をすぎると阪急京都線を超える道があり、両線のクロス部を見下ろせます。

 京都線特急6300系と 763M 113系グリーン車付き8連 草津10:43→13:23姫路

 

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 ここからは1988(S63)年に一年近く来日していた「オリエント急行'88」を追ってここに来たときのもの↓

 

 1988(S63).12.10 神足(のちの長岡京)~山崎 

 EF81 71(長岡運転所) が牽引担当の「オリエントエクスプレス ’88」

 私は、東京からの大垣行き夜行(165系の347M)を6:10着の名古屋で乗り捨て、初発の6:40発「こだま383号」広島行きで米原7:13着。上野(前日午後?)発~北陸~ とやって来た N.I.O.E.団臨の米原7:20着を撮ったあと、次の7:46発「こだま」で京都へ。急いで103系各停に乗り継ぎ山崎へ来ました。201系にかぶられるギリギリ!

 N.I.O.E.の次位のみはもと国鉄車ですが、そのあとはみなヨーロッパから台車を履き替えながらロシア、中国経由でやってきたもの。全車の車番を米原で控えましたが難解。

 

 中心になって音頭をとったフジテレビ、そして海外を含めた関係各位に感謝です。

 <編成>

 EF81 71(長岡)  ↑大阪・(上野)方

 オニ23 1 (東シナ所属)ハイビジョンシアター車(国鉄車の改造)

 3909A (スタッフ車)

 1286M (荷物車 LUGGAGE、外側に吊りドアが3枚)

 3354D (食堂と厨房 屋根から排煙あり)

 4158DE (上部が白のツートンカラー食堂車)

 4164E (バー サロン、食堂車兼 座席はロングの中央向き)

 3551A (以下寝台車 表記:ワゴンリーなど)

 3542A (寝台車 表記:GAMES)

 3480A (寝台車 表記:Sleeping Car)

 3537A (寝台車)

 3472A (寝台車)

 3487A (寝台車)

 マニ50 2236 (国鉄車の改造、これも国内で増結)

以上、米原駅で見たままをメモしたものからです。

 このほか、「ソ連国内では、前に2両、後ろにも2両 濃い緑色の車両が増結されて進行していた画像をTVで放送中」とのメモが残っています。中国国内では前(広州・香港寄り)の1両のみに、とも記載があります。はずした台車や備品を輸送か?

 

 N.I.O.E.=「ノスタルジー イスタンブール オリエントエクスプレス」

 もう一種 別のオリエント急行が 欧州にはありましたが何だったかな?ベニスシンプロン O.E.?

 当時 ちょっとしたオリエント急行ブームになり、たまたま新婚旅行でヨーロッパに行った管理人の家族(非鉄の一般人)が、現地で旅程に組み入れるほどとはビックリ!

 

 

 回5D はまかぜ1号 への送込み回送 向日町→新大阪

 キハ181系、G車込みの6両です。

 姫路方から、キハ181-20、キハ180-78、キロ180-5、・・・(向日町で目撃していました)

 5Dはまかぜ1号 新大阪9:32→10:45姫路10:51→11:56和田山11:57→12:37城崎→13:54鳥取→14:37倉吉

 

 この以前、5D・7D(上りは6D・8D)が「まつかぜ 1~4号」に付番されていましたが、1D・3D(上りは2D・4D) が空番になっているのが不思議でなりませんでした。

 その後、S61.11のダイ改で福知山線と山陰線城崎電化が成ると「まつかぜ」は「北近畿」に統合されるかたちで廃止。それでも 5D・7D・9D(上りでは6D・8D・10D)は「はまかぜ 1~6号」に移行し、やはり1D・3D(上りは2D・4D) は空番のまま。

 これはもしかしたら、S50(1975).3改正で消えた 食堂車付きキハ80系「なは」+「日向」、「かもめ」という関西〜九州間の名特急に敬意をはらって、野球でいう永久欠番なのかも、と思っていました。

 

 9:08 謎の「臨時」表示の2両編成。

 キハ58 1023+キハ28 2349←京都方

 遠くに見れるは 2015M「しなの15号」の381系。9連だったものが、長野寄りにクロ381を連結した 6連になっていました。ただし、長野方6号車がパノラマ型グリーン車なのは5・7・17・27・4・14・22・26号の4往復のみで、「大阪しなの」は除かれていました。

 

 9:10 京都行きの各停(後追い) こちら側はクハ103-224。

 201系、205系が来る前は、このぶた鼻前面顔の103系の時代がかなり長かった・・・。この1988年12月の時点では 201・205系も東海道山陽緩行線に参入していて、103系は少数派に。

 

 

 (枚数が多くなったので、以降は続きとします