1271)冬の山崎(6) 1988年12月ゆうトピア和倉、日本海、マイテ49、なは、あすか、雷鳥 | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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1270) の続きです。

 主目的の「オリエントエクスプレス’88」が行ったあともここ(神足~山崎)に居残っていると 思わぬ収穫が。

 1988.12.10 9:35頃に上った回送 

 EF81の次位はおそらくスハフ14かオハフ15。そのあとに食堂車オシ24が2両+オハ14+オシ24。豪華な編成ですが、廃車前提の回送かも。あるいは、その後登場することになる寝台列車「トワイライトエクスプレス」(瑞風 でない初代)への改造種車だったかもしれません。ちなみに「トワイライトエクスプレス」の最初の運行は1989.7.21だったとのこと。

 

 スハフ14 オシ24 オシ24 オハ14 オシ24 スハフ14 と続いた最後部にはなんとマイテ49 2が!!

 マイテ49 2 は 大阪交通科学館に保存されていたのを1987年3月6日付で車籍復活したもの。偶然 バックに柿の木が写り込み お気に入りになりました。

 

 マイテ49付きの回送が行く3分ほど前の9:32頃、4004レ日本海4号 

 EF81 47+カニ24+25形11両 

 函館16:52発→19:09青森19:33→9:56大阪

 JR発足の翌年、青函トンネル開通で上野~札幌の「北斗星」が誕生しましたが、同時に「日本海」2往復のうちの1・4号が函館に達しました。この4号の基本編成のみが函館始発です。

 

 9:46 4009M雷鳥9号+ゆうトピア和倉 

 大阪09:25→京都09:56→12:22金沢12:29→13:46和倉温泉(金沢~和倉温泉は9007D)、485系は金沢で分割し12:25→13:09富山

 上下とも485系の後部に連結されます。

 

 JR発足時には数々の施策が試行錯誤されましたが、非電化だった七尾線(当時は津幡~輪島)へグリーン車指定席の欧風気動車で 大阪から 雷鳥に牽かれて直通、というのはヒット施策のひとつ。名義上は臨時列車ですが、シーズンごとに毎日運転で更新されていました。

 

 9:48 回9603D但馬カニスキ83号(但馬83号) 

 大阪10:18→姫路11:44→15:24香住→浜坂

 JR化後の新しい施策に、カニの本場の山陰へ松葉ガニを食べに行く需要を掘り起こをものもあり、冬場には盛んに「カニかに」列車が運転されていました。翌年以降 カニを冠する臨時はもっと本数が増えてゆきます。いかにも食いだおれの町 関西らしい。

 これは向日町→大阪への送込み回送。キハ58系4両。

 

  9:50頃 回32レ なは 

 EF65+25形6連+6連+カニ24 

 西鹿児島18:59→22:15熊本22:29→博多00:10→09:26新大阪 

 この後のショットよりも、当時の家並み 沿線風景が入ったこちらがお気に入り。今とは全く雰囲気がちがいますねえ。手前に歩行者用踏切。

 

 回32レ 後追い

  7~12号車は熊本で増結。

 

 サントリー下へ移ってきました。

 この8年ほど前に来たときは1月だったので山は冬枯れでしたが、今回は紅葉がまだ残っていました。

 

  1023 9025M 神戸始発の雷鳥87号 

 クハ481-225 神戸08:56発(延か?)→12:35金沢 

 今ではマンションが林立するこのあたりですが、ごらんのようにバックの山並みがスッキリ見えます。でも島本町 大山崎町で最初と思われる高層マンションが線路わきにできており、後部1.5両に影落ち。

 以前はその先に見えていた関西複々線独特の大型架線柱(巨大な逆L字型)は無くなってしまいました。

 

 

 10:45 4011M雷鳥11号 クハ481-119

 大阪10:25→京都10:55→13:20金沢 

 6M3T 9連の 5号車にビュッフェ付き和風車「だんらん」を挿入した10連です。ちょっと見えていなくて残念。 

 

  10:56  快速745T 野洲10:06→12:17西明石 

 先頭クハ111-2040 には「赤穂義士祭」のマーク付き 

 この日は12月10日、まもなく 赤穂義士祭なのでPRをしています。東海道山陽線の113系は、網干電車区(ホシ)、京都電車区高槻派出所(タツ、1986.11.1から配置は終了)、宮原電車区(ミハ、湖西線向け700・2700番台が多い)に分散配置されていましたが徐々に集中配置になってゆきます。

 国鉄時代、快速(関東圏でいう中距離電車)は 京阪間は高槻・茨木・新大阪のみの停車でしたが、S61.11改正あたりから京都~高槻間は各駅に停車となりました。 

 

 1988.12.10 11:04 団臨運用の「あすか」

 12・14系の改造で、グレーで地味な色使いですが、ドームカーも備え、尾久の14・12系「スーパーEXP.レインボー」に匹敵する設備とサイドのカラフルな 扇のデザインが魅力でした。

 

 

 予想よりも9分早く来た、とメモにあり、そのせいかあるいは 内側線に被られたかで、牽引のEF65は撮っていませんでした。残念。

 

 これで撤収して、姫路で当日あった友人の結婚式に向かいました。折りたたんだスーツを持ち歩いていたはずで、カメラ機材との荷物で苦労していたと思います。

 さらに新大阪で乗り継いだ新快速(117系6連)は超大混雑。さらにさらにWCに行きたい気がしていて、117系は片方のクハのみにWC設置になったのはわかっていたので、それがたしか奇数方(米原方)だったかと思い6号車に乗車したところ、WC付きは1号車クハ116 だったとわかり、大混雑の117系6両分の車内移動が大変だったこと!しかも車内で同じ結婚式に参列する友人にばったり出くわし、バツのわるかったこと。

 さらに、関西都市圏内や関東での結婚式は、帰りの引き出物がコンパクトなことが多かったですが、姫路では引き出物の多いこと!!

 名古屋も(都市圏なのに)多いことが多々ありますが、播州もそれ以上かと思われるくらい多く、帰りはもっと大変でした。当時は宅配便のサービスは今ほど充実してはいませんでした。