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の続きです。
北勢線の終点-阿下喜駅で考えあぐねていました。
1年前の2023.1.18 のお昼ごろです。
員弁川の対岸を走る三岐線に移動したいのですが、最も近い伊勢治田(いせはるだ)までなら歩けるだろう。
30分ちょっとかかると思われます。しかし着く12:45~12:50ごろには、伊勢治田で上下の貨物列車の発着(伊勢治田で交換)が済んだあとになります。その後しばらくはありません。
タクシーで東藤原へ急げば、少なくとも下りの貨物列車の到着には間に合いそうです。
ふと見ると、阿下喜駅前には1台のタクシーが私を待つかのごとく止まっているじゃああ~りませんか!では、甘えることにしましょう。
員弁川を渡って少し先までは伊勢治田への道を行きます。その後国道へ出ると右折し、少し走って左折。市道へ入って田園地帯を西へ走るとまもなく東藤原へ到着しました。8~10分くらいだったと思います。2000円弱?
れんが作りの瀟洒な駅舎-東藤原。
藤原岳から東方へ派生する尾根を 線路が超えてゆく地点に位置し、富田方から登ってここに着き、西藤原駅方へは発車するとすぐに下り坂になります。
ここは貨物発着駅です。よくここにこれだけ広い平らな土地を見つけたものと思います。
藤原岳で産出される石灰石を、太平洋セメントの工場を経て 四日市港へ運ぶ使命があり、そのために敷設されたのが三岐鉄道なのです。昭和6年に西藤原まで全通とのこと。当時の国策もあったのでしょう。
三重県下の他の私鉄が三重交通に戦時統合されたり、近鉄に吸収されたりというなかで、一貫して独立を保ってきました。昭和末期 S62年には石灰石輸送量で全国1位だったとのこと。今でも大いに実績を積み上げています。
東藤原駅の北側にある基地に重連が。
ED451+ED455←西藤原方
駅前広場の隅には保存車の ホキ25767。
ホキ5700形ホキ25767。
自重13.9t、荷重40t。実容積34.1立米(㎥)。
換算:積5.5、空1.4。東藤原駅常備 とあります。
小野田セメントのマークがめだちます。
アサノセメントとの藤原岳採掘の利権争いも かつてあったそう。当時三重県知事らの仲裁により、藤原岳南側が浅野に、北側が小野田に採掘権が与えられ、鉄道敷設に関しても両者は対立。仲裁の結果、両者で設立する藤原鉄道(のちの三岐鉄道)が敷設を申請することになりました。当初の免許がでた本線は四日市~関ケ原間だったそうで、実現していたらすごいことになっていましたね。
昭和2年申請、翌3年6月免許、3年7月三岐鉄道株式会社設立、S6年7月富田~東藤原間開業。当時はもちろん蒸機による非電化でした。
係員が多く配置されはじめました。
ED45重連の隣りには、フライアッシュ&炭酸カルシウム輸送車。名古屋の衣浦臨海鉄道との間で往復輸送を実施しています。空車回送の無い、いわば相互互恵関係。
そこへ下りの 3713レが到着。12:38
ED459 +ED457+タキ1900形(コタキ1900形が12車くらい)
進行中の線路は貨物専用で使っているようです。有効長も長いです。カクカクとした形のED45、好感がもてます。
西藤原駅まで行く旅客列車は、上下列車とも左側の線路を使用。
このあと停車して重連を切り離します。係員が20代のようで若くびっくり。
はるか向こうの後部には別の重連が連結され、タキ列をゆっくり押してゆきます。
押して行き着く先は、ゆるく坂を下り、工場の建屋内へ。
タキ列が去ったあと、西藤原行が23レ到着。12:52
23列車: 近鉄富田12:07→12:58西藤原
発車してすぐに、さきほどタキ列が推進されてゆるくくだって行った引込み線が、複線のごとく進行右側に並走します。
これに乗って終点-西藤原へ向かいます。