1240)ナローの北勢線(その6) 終点-阿下喜駅隣接の不思議な線形と「軽便鉄道博物館」 | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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の続きです。

 

 2023.1.18の昼過ぎ、北勢線の終点-阿下喜に到着しました。

 営業中の線路のわきに不思議な線形があります。

 実はこれ、この終点駅に隣接する「軽便鉄道博物館」。

 毎月第一、第三日曜日の公開され イベントが行われています。

 なぜ不思議な、と言うかとゆうと、3線並列だった線路がいつのまにか純粋な複線になったり、真ん中からナローの単線が生えてきたりするんです。事前に、公開されるている動画を見て どうなっているのか、実際にしかと見てみようというわけでして。

 

 軽便鉄道博物館の公開Facebook→軽便鉄道博物館(北勢線とまち育みを考える会) | Inabe-shi Mie | Facebook

 ASITA(=北勢線とまち育みを考える会)のHP→北勢線 阿下喜駅前 軽便鉄道博物館へようこそ (asita04.com)

 

 同 博物館の紹介ページに、ナローゲージの北勢線について簡潔にまとめた文がありますので引用させていただきます(赤文字の部分)↓

 (引用はじめ)

北勢線は大正3(1914)年4月5日に走り始めてから、今月で90周年をむかえました(←注 2004年に記載されたものらしい)。
 明治45年に北勢軽便鉄道として設立され、21世紀の今日まで走り続けてきた貴重な生きている産業遺産です。
 大正時代には全国で300路線もつくられた762ミリゲージの軽便鉄道は、夏期限定線や市内線を含めて、わずか3路線を残すのみとなりました。
 軽便鉄道の存在意義は、国や行政に頼らずに、その地方の住民の資本と労力によって設立運営された点にあります。
まさに市民の、市民による、市民のための鉄道。近代日本の地方自治の象徴をこの軽便鉄道に見る事が出来ます。
北勢線はその最後の都市間軽便鉄道なのです。

 (引用終了)

 

 ナローの保存車 デハ二(?)226。

 野外なのに塗色、足回りなどすごくいい状態です。主催・支援する地元のかたがたの努力の現れなのでしょう、見ていて感謝に堪えません。

 

 よく見えませんが 中の仕切りのようすを覗きこむにつけ、もと荷物室または区切りがあるように見えますが詳しいことは不明。三岐鉄道なら、寺田裕一著「日本のローカル私鉄」(Rail Magazine社)に記載があるのですが、当時(発刊は1990年)は ここは近鉄の北勢線なので載っていません。

 ドアごとに「進行中開放厳禁」とありますが、これは手動ドアで 走行中も開けられるから。一畑電鉄のデハニ50形・デハ1形・デハ20形もそうでした。

 

 第二エンド側。連結しての使用のみと思われますが、ヘッドライトが付いています。立ち位置からして正面が取れなかったのが残念。

 

 腕木式信号機も保存。

 車庫をぐるっと回るレールはミニ列車のもので、ゲージはナローの1/2です。762mm÷2で

381mmか

 

 踏面が真ったいらの平レールが分岐部に混在。でもどこも下側が広いので双頭レールではありません。分岐の転換は手動で その都度組むのかも。

 

 

 謎だった線形はこうなっていたのでした。

 226が乗る部分がナローゲージで762mm。そのまま進行すると、ナローゲージの両側にそのままミニ列車用の線路が合流し、ナローゲージの左右の線路を反対側から共有しています。そうゆう手があったのか!と目からウロコ!これならフランジが通る溝を切る必要が無く、転轍することなく分岐の両方とも通過できます。

 頭の中の常識が見事にひっくり返りました。

 

 

 先の方では、手前側と同様な作りで 今度は分岐します。中央の762mmのゲージは小さいターンテーブルに乗ります。でも長さの関係で 226はターンテーブルには収まらないと思われます。

 

 今度は、軽便鉄道博物館の公開日(原則 第一・第三日曜)に合わせて来訪したいものです。

 

 阿下喜から、この北勢線と員弁川をはさんで対岸にほぼ平行に敷設されている 三岐鉄道三岐線に移ろうと考えていましたが、さてどうするか?距離は伊勢治田駅が最も近く1.5Kmちょっとと思われますが・・・。

 

 (以降、続く