1239)わか・さざ50年史(36)183系の団臨等で県外からの乗入れ車(YEAR-30~31) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 新年あけましておめでとうございます。

 元旦から能登半島地震が起きたり、翌2日には羽田空港での衝突炎上事故。衝撃的な1年の始まり方でした。軽々に「お悔やみ申し上げます」というのもそらぞらしく聞こえたりしますし、自社では3日から支援募金活動が始まりましたので、自分でもできることを少しずつおこなってゆけるかな、とは思っています。

 では、平常運転で始めます。平常運転の大切さもひしひしと感じるこの頃ではあります。

 今年もよろしくお願いいたします。

 

 1232)

 

 

の続きです。

 

 中央東線の「あずさ」「かいじ」定期運用から183系が全面引退したのが 2002年12月1日改正でした。E257系0番台に置き替えられて運用を失った183・189系のうち、グレードアップ車のうちの中間車(MM'ユニット)は、幕張の定期運用用183系の中間車を置換えてゆきましたが、その他の車両は各地に分散され転出してゆきました。

 その行き先と 転出先での編成名は、

田町車両センター=H101・H102(各10両)、H81・H82(各8両)、H61・H62(各6両)、H41(4両)

高崎車両センター(元新前橋 高シマ)=S1、S2、S3(各6両)、のちに大宮へ移動でOM101〜103に。

のちに豊田車両センターへ移動=M50~M52(各6両)

幕張車両センター=マリ31,32(各6両 あずさ色のまま)、C1~C4(各 189系 グリーン車込みの国鉄色9両)主に中央線ホームライナー用。

 H41編成はきわめて短命だったし、高シマのS1~S3編成は大宮へ移ってOM101~OM103 になったりと いろいろ変遷はありますが、その辺は省略します(わか・さざ とは大きくはずれるので)

 

 後期のナンバーを記録しておきます(出典:JRR編 JR電車編成表2009冬)

H101:クハ183-1023 MM'9-25 MM'9-26 MM'9-30 MM'9-34 クハ189-513(→東海道で下り方)

H102:クハ189-509 MM'9-19 MM'9-21 MM'9-38 MM'9-41 クハ189-11(→同)

H61:クハ189-504 MM'-1044 MM'-1047 クハ189-8(→同)

 (MM'9 は189系、MM'は183系のMM'ユニット)

H81・H82・マリ32・マリ32 は以下の記事に、画像とともに記載します。

OM101:クハ183-1529 MM'-1042 MM'-1049 クハ182-101(6号車)→大宮在線で下り方

OM102:クハ183-1505 MM'-1028 MM'-1045 クハ183-1012(同)

OM103:クハ183-1027 MM'-1054 MM’-1032 クハ182-102(同)

 OMのMM'はすべて183系。クハ183-1529、1505,1527,クハ182-102の4両には特急のシンボルマークがあり、私たちを熱狂させました。もと「あずさ」色からの車両にとっては復活です。

 

 今回は、「わかしお」「さざなみ」の183系時代の末期から E257-500時代の幕開けのころに「わかしお」「さざなみ」とわだちを競った それらの乗り入れ列車を取り上げます。

 

 2003(H15)年5月4日 木更津への潮干狩り臨(団臨)です。マリ32編成。

 10~11時ごろに木更津に着き、幕張へ回送される前に君津(または列車によっては青堀)まで一時下ってゆきます。復路までを幕張で過ごし、また回送されてきたものです。

 幕張に戸籍を置いたことで注目されたあずさ色のマリ31・32編成ですが、団臨・多客臨・操配に運用しやすくするため 通常は大宮車セ(東大宮)に常駐していました。

 マリ32は、

 (上野方)クハ183-1021 M-1034 M'-1034 M-1004 M'-1004 クハ183-1022(1号車 黒磯方)

 ちなみに マリ31は

 (上野方)クハ183-1017 M-1025 M'-1025 M-1015 M'-1015 クハ183-1018(1号車 黒磯方)

 大宮・上野時点では逆向きとなっています。全車が183系非グレードアップ車でした。

 ↑奥に止まっている113系は、木更津駅の南側にある中線で留置のうえ折り返す編成。

 

 同日、君津から折り返して木更津に据え付け、復路に就きます。君津~木更津(貝渕)で。

 回送のマリ32 後追い

 

 

 2003.5.4 14:39 (復路)幕張→回9133M→青堀 回→木更津→復路で高崎線方面へ 

 このシマ区の165系モントレー色がこの日のメインイベント。廃車が近づいているらしいので。

 実際この6両は、この翌月6月に廃車となってしまいました。

 クハ165-96 モハ164-94 クモハ165-94(以上 S2編成)+クハ165-94 モハ164-92 クモハ165-92(以上 S8編成)→君津方 

 

 2003.5.4 15:46 回9121M  チタH82編成(8連)

 都内発か神奈川県内発の団臨には、主に田町車が使用されていました。

  クハ189-508 MM′-? MM’-1010 MM’-1018 クハ189-10(1号車)→君津方 (H82) 

 ↑このナンバーは当日目視してメモったものですが、JRR編「JR電車編成表」2009年冬号に

よると、H81とH82はのちに統合され、新H81 になったようで、そのH81が掲載されています↓。

 6年後、2009年のH81

クハ189-508 MM'-1013 MM'-1020 MM'-1018 クハ189-10(1号車)→田町区在線で静岡方(H81)

 

  田町の8連、6連の中間車には、「とき」由来の183系1000番台で S50年代に幕張に転入していた非G.U.車が、G.U車に玉突きされるかたちで転出し 組成されたものが多いです。つまり もと「わかさざ」車。

 このH82も両方のクハが189系、中間車がもと幕張の183系です。さらに、クハ189の横軽での山麓側(偶数側)500番台のみがG.U.車となっています。

 

 2003.5.4 チタH82編成 

 

 2003.5.4 16:47 チタH82  君津~木更津で。

 Tc189-10 MM'1018 MM'1010 MM'? Tc189-508→蘇我方 

 君津16:43発 回9122M~16:50木更津16:53 9128M~。   

 先頭のクハ189-508のみが太帯のグレードアップ車です。

 

 2003.9.14 15:03 団臨 浜912 9114M 

 東チタH61編成 新宿17:38着 

 潮干狩りでも臨海学校でもなく、何の団臨だったか不明。 

 

 2002.7.27 13:52 西703 9124M~9537M 岩井発羽村行

 こちらはまだ松本在籍で 定期「あずさ」等に運用中の時期のM編成。こうして臨海学校臨で岩井へ来ることもありました。

 中央線在線時で画像手前側が1号車なのですが、ごらんのように、1~3号車が細帯、4~9号車(奥の方)の6両がG.U車で太帯なのがわかります。 

 モトM9編成 クハ189-1(館山方1号車)  ほか

 

 以下は、GWに多く運転されていた 木更津への潮干狩り臨です↓↓

 

 2009.5.9 9:54 巖根~木更津

 春うららかな潮干狩り日和り。

 

 2009.5.9 9:44  長野の189系(あさま色)も 長躯 潮干狩り臨に動員されました。ただし東京西部~神奈川北部あたりからの団臨で、決して長野からの団体ではありません。青梅線内発だったような?

 

 2010.5.15 10:42 9131M宇都宮7:10発

 チタH-101 クハ183-1023他

 MM'ユニットは4組で、パンタは4台とも上昇。

 

 チタH101 は先頭10号車クハ183-1023のみが太帯のグレードアップ車

 クハ183-1023 MM'189-25 MM'189-26 MM'189-30 MM'189-34 クハ189-513←新宿方

 長野・松本時代に比べて、首都圏乗り入れ用に方転され、さらにクハが逆に付け替えされたかと思います。

 

 2009.5.9 10:43 

 チタ H101 8M2Tの10両なのでMM'ユニットは4組。なのに最後部のパンタは降下しています。変電所への負担を軽減するため?

 

 183・189系が団臨に多く運用されていたころは、外房線鵜原や内房線岩井への臨海学校臨、もっと北部が目的地の林間学校臨、木更津への潮干狩り臨へ走り回っていましたが、いまでは本数も激減。車両も185系までは撮っていましたが、それ以降はすっかり音沙汰しています・・・。

 

 次回は、いよいよE257系が房総にも登場し、500番台で「わか・さざ」用として配置されてゆきます。まずは千葉駅でのお披露目公開(2004年8月ーYear-32)を掲載する予定。