774)木曽のD51(その4 須原・田立・落合川) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

.                                                                                       

 またまたすっかり間があいてしまいましたが、699) の続きを再開します。

 

 昭和47年早春、電化前の中央西線。

 

 1972(S47)年4月1日、贄川~木曽平沢~奈良井や 奈良井~薮原~宮ノ越間で撮影したあと、上松の駅前旅館に投宿。

 

 明けて4月2日、上松から田立へ朝の旧型客車列車824レ(松本5:56→11:16名古屋)で移動。824レはDD51牽引で、前日に塩尻から贄川まで乗った列車です。

 

 田立までの途中、須原で869レと交換。720402 0814 須原にて 869レには

 8:18発の須原では、中津川へ向かっての進行左側に副本線があるらしく、下りの869レが交換待ちしていました。それにはヨ6070 の後ろに後部補機が付いていました。
 乗車中の824レの開放式ドアに片手でつかまって片手で撮った気がします。客車の手すりが写りこんでしまいました。


720402 0815-1 須原の煙は869レ 後補機付

 発車したあとに振り返ると、869レが須原を発車してゆくようで、2本の煙が立ち上がっています。

720402 0919 11D「しなの1号」長野行  

 田立に着いたあと、単線の駅で交換の下り貨物(3893レ D51 201牽引)を撮り、ダムの堰堤を渡り対岸に出てきました。
 9:19頃通過のキハ181系10連の11Dしなの1号 名古屋8:00発→11:58 長野

 
720402 0931-3  6851レ   (2)
 9:31頃、6851レ

 坂下~田立~南木曽間はS48年の電化時に新線に移る予定で、この山体の中に複線型の新トンネルが建設中。電化が成ればこの旧単線は廃線となります。よって電化による架線柱が建植されておらず、スッキリとした写真が撮れる貴重な区間でした。

 

 トンネルの出口付近に斜面をすべり降りる沢があり、豪雨時には不安な地形。実際、このような地勢の区間(その時は南木曽以北?)でおととし(2013年)だったかに大雨災害で不通になりました。

 

 南木曽から落合川へ移動してきました。

 落合川に着く前に下りの貨物(落合川14:22発の879レ)が塩尻方へ向かって行ったのですがそれは見送り、坂下方へ線路脇を歩いていったところ・・・


720402 1430 879レ(落合川142230秒発)が勾配

 先ほどの879レが上り坂を登りきれずにゆっくりとバックしてきました。→向きにゆっくりと進行中。

 

720402 1431 879レが坂下方から戻ってきて
 落合川駅に戻って下り本線に停車。D51 245が推進。

720402 1431  879レ D51 245の次位には廃車され

 2両目にはナンバープレートをはずされたD51 646 が連結されていました。中津川から長野工場へ廃車回送中と思われました。

 無動力のD51を増結したせいで879レは重量が重くなり、坂を登れなかったものと思われます。

720402 1433 879レ後部切離しの為  

 しばらくして14:30すぎ、879レの後部を切り離す入れ替え作業が始まります。

 中間に挟まっているD51 646 を切り離せば流通に影響は出ないのでしょうが、それは作業が煩雑になるので、さて・・・

 いったん渡り線を渡って上り本線の坂下方へ出たあと、ゆっくりとバックして後部の貨物数両を側線へ押し込みます。

720402 1435 D51 245がD51 646とその後の貨  

 そのあと、上り本線から渡り線経由でバックし下り本線へ転線。 


720402 1445頃 879レD51 245 25分位延で発  

 そして定時よりも25分ほど遅れて14:45ごろ879レは発車。

 むこうに置いてきぼりになった後部の貨物数両が見えています。上り側線に押し込められました。

 

 当時は、主な貨物取り扱い駅に停車しながら解結を繰り返してゆく普通貨物列車がありましたので、こんな入れ替え作業もお手の物だったのでしょう。


 

 このあと、坂下~落合川間の木曽川橋梁へ向かいます。

 以下

 

 

はのちほど。