772) の続きです。
2015.10.21(水)撮影
512D 大多喜9:55→10:27大原
せかっく来たのだからと、国吉駅売店でなにか食べれるものを物色。
「い鉄揚げ」にしようかと迷ったのですが、大袋ではなく小分けされているほうが湿気なくて良いのでと、「もなか」を購入。
封入されていたビラのデザインや解説がなかなか凝っているので、思わずここに載せます。
絵↓のデザインは鳥塚社長によるものです。車両の解説文もたぶんそうなのでしょう。
↑このシークレットというのが、キハ20 1303 になったわけですね。
キハ26形の解説にある列車。上総中野を朝方に出発し、大原経由で千葉まで直通する列車は、時刻表では知っていましたが大原等で見た記憶がはっきりせず、キハ17かキハ35系の2連だっただろうな・・と漠然と思っていました。この列車にキハ26 が使われていたというのはこのミニパンフで知りました。
なお、末期のDC急行「外房」にはなぜかこのキハ26が多めに含まれていました。S49年後半ごろの末期のDC急行「犬吠」のG車付き編成にも、キロ28の下り方隣りに一般色のキハ45が3両、そのとなりにキハ26が付いていることが多かったです。
時刻表をひもといてみると・・
↑S45.10.1改正 木原線 (S46年7月号)
朝の上りのみに2本の千葉直通があります。下りにはありません。
同時刻表(S46年7月号)の房総東線部分。
S46.7.1改正で千倉~安房鴨川間が電化されましたので、表示はS46.7.1改正となっていますが、房総東線部分はあまり変わらず、木原線からの千葉直通はかろうじて残っています。ただし、S46年の夏季ダイヤ期間中のみは千葉直通は分断されていました。
→654) の記事に掲載のS46年夏季時刻表 を参照ください。
この次の改正(S47.7改正)で房総東線は電化され、外房線と名称を変えました。その改正で上総中野~千葉直通は廃止されました。一方、東金線からの千葉直通はS47.7以降も 気動車のまま残り、現在まで209系による直通として健在ですね。
202D「そと房1号」は今の「わかしお6号」、その前の238D は今の246M(安房鴨川7:14→9:03千葉)にあたると思いますが、この2列車の関係、特急が前の246Mを追い詰めつつも追い越さずに、千葉へはタッチの差で各停を先着させる、という同じ関係です。県都へ直行(通勤)する乗客への配慮もなかなか素敵。