654)S46(1971)年 房総線夏季ダイヤ時刻表 全ページ | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 653)の記事ですが、

 結構反響が大きく、おそらく全ページを見たい・・と思われるかたもいるでしょう。

 今回、S46年房総線夏季ダイヤの全ページを掲載いたします。


 時刻表を「読む」だけで165系や113系やDD51が各線区を走る姿や、千葉駅や両国駅に止っている姿を思い浮かべられる諸兄へ。

 

 なお、弘済出版社のコンパス時刻表1971年7月号、1971.7.17~8.17の夏季ダイヤで、ページ順に9ページあります。大型時刻表では1ページの文字数が多く、画像では数字が小さくなり見にくいのでこちらにしました。


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 朝の館山発1171M・1173MはG車付きですが、安房鴨川発の「うち房1号」「同 2号」(いずれも安房鴨川~館山間普通列車)の前運用です。当時の通勤通学生、先生たちはもっぱらこれを使っており、うらやましく思っていました。


 館山への通学列車(1177M 夏休みなどの休校日運休)は今でも2127Mとして存在しますが、館山着が今より46分も遅いのと、安房勝山始発でした。保田の要望があったのでしょう、次の改正(1周電化のs47.7改正)で保田発となります。


 101M「うち房1号」は全指の別格列車。この全指列車は、朝~昼過ぎにかけて1往復、午後~夜にかけて1往復、計2往復があり、東線のDC「そと房」も同様です。「そと房」は停車駅は通常期とほぼ同じ(かえって鵜原にも臨時停車)でしたが、「うち房」の2往復は夏は2往復とも木更津~館山間がノンストップとされ、別格がきわだっていました。通常期は「うち房1号」は、佐貫町・浜金谷・太海にも停車していました。

 夏季には、全指の急行が2往復登場する反面、他の急行はすべてG車は指定席、普通車は全部自由席となり、輸送力確保としていました。


 千葉4:30発の131M、通常期では館山止まりでクモハユ74付きですが、夏季は変更して、165系となり館山から1173Mに直通していたようです(矢印が付いています)。

 ということは、165系+クモハユ74だったということになります。郵便車の運行時刻は、次の列車に移して1時間以上も変える、というわけにはゆかなかったはず。新聞も積んでいましたから。

 (追記:131Mから165系の1173Mへの直通を意味する矢印は、もしかしたら時刻表編集時の誤植で、本当は直通していなかったかもしれません。その方が確率は高いです)


 東線からは、千葉4:58→7:27安房鴨川着の231Dでキユニ付きの編成が運行され、両者は安房鴨川で接続して郵袋の積み換えを行っていたのですが、館山~安房鴨川間のクモハユは夏はどうやっていたのだろう?安房鴨川でクモハユ74+165系、というのを見た記憶がありません。。

 安房鴨川発7:32の240Dはキユニ付きだったと思います。


 一周電化後の午後(館山15時過ぎ発)には館山→安房鴨川間で、クモハユまたはクモユニの単行の郵便荷物専用列車が片道だけありましたが、S46年の朝にも館山→安房鴨川→館山間で単行が存在したのか?


 館山7:09発→7:54安房鴨川 の1131Dは、204D「そと房2号」の前運用でキハ26・28など6連の急行編成でした。DC急行はほとんどキロが付いていましたが、この列車はモノクラス。安房鴨川6:20発→7:03館山 の9136Dが前運用なので、安房鴨川停泊でした。

 この、朝の東線側から館山まで入る優等編成は、S47.7改正後も続いてゆきます。下り「わかしお8号」→732M→20:11館山、電留線泊→館山7:15発 723M→上り「わかしお2号」です。S50.3改正で165系「外房」となってからも、和田浦停泊の回送となって似た動きをしていました。


 大原6:40の236Dには上総中野5:37発の732Dが、大原7:22の238Dには上総中野6:15発の734Dがそれぞれ併結となっていたのですが、夏季ダイヤ中のみは併結が中断されていま す。

  →(訂正:夏季ダイヤ中も直通はありました。木原線のページ(緑色の36ページ)には 732D上総中野5:37発は千葉 8:21着、734D上総中野 6:15発は 千葉9:08着の記載がありました。房総東線のページには大原での記載がなかったので誤解してしまいました。

 おそらく、房総東線のページが増発で列がきびしくなり、大原での併結の記載を省略されてしまったのだと思われます)


 同様に、大網7:15の1234Dにも成東6:48発の634Dが併結なのですが、夏季ダイヤ中は中断。下りの併結は木原線・東金線ともにありません(この時点で)。東金線の千葉直通は、下りは東線とは別個の列車として単独乗り入れが午後下りに4本ありました。

 上りの併結は夏季ダイヤが終わると復活し、S47.7改正まで続いていたはず。ただし、東金線の大網併結は、S47.5の大網駅移転で物理的にできなくなりました。



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 千葉7:02発の「うち房51号」から始まり、千葉12:12発の「うち房60号」まであたりが行楽へ向かう列車といえそうですが、下りだけでこの時間に急行14本。快速「さざなみ」2本あり壮観です。

 高尾発や青梅発も見えます。


 快速「さざなみ」や中野~木更津間の快速は101系。中野快速はS47.7改正で消えますが、千葉~秋葉原間の停車駅は、津田沼・船橋・市川・新小岩・両国のみ。御茶ノ水以西は水道橋等にも止まる各停となり、千葉~木更津間は五井のみ停車のものと各停になるものがありました。


 上総興津始発の快速8222レ「わかしお1号」はDD51+旧客。上総興津10:00着の8221レ「わかしお1号」の折返しで、3時間38分も上総興津の3番線に留置されていたと思います。当時は上総興津は3番線がありました。

 なぜ中途半端な上総興津発着なのだろう?と思っていましたが、上総興津~安房小湊間7.1Kmは1閉塞。客車なので12分、行川アイランド停車なら14分くらいかかり、臨時列車増発で上下のスジを入れられなかったのではないでしょうか?安房小湊の3番線もDCの留置(安房小湊発18:29の9235D参照)でうまっていますし。 


 安房鴨川~勝浦間も、G車付きの臨時急行編成を使って区間増発されています。9234Dと9233D ですが、両者は別運用です。両者は上総興津で交換ですが、その時間には「わかしお」の旧客も上総興津にいたはずで、3本が並んでいたことになります。


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 成東~千葉間にも海水浴臨の快速が増発されています。全部で2往復あり、

 千葉 8:46 8639レ→ 9:49成東

 成東10:19 8640レ→11:25千葉(→千葉気動車区へ回送)

 千葉13:49 8641レ→14:49成東

 成東16:15 8642レ→17:36千葉 


 千葉駅と旧大網駅、誉田~鎌取間で撮ったことがありますが、DE10牽引の旧客6~7両でした。東金線にしては長いですが、東金駅の有効長いっぱいだったと思われます。もちろん棒駅福俵は通過、成東でも東金線ホームには入れないはずで、3番線(総武本線下り副線)などに発着していたと思われます(実見してはいませんが)

 この客車の臨快はS47.7外房電化後も残り、S48.10の東金線電化で消えました。夏季ダイヤ時だけの運行だったので、S48年の夏が最後。私が撮ったのはこの時刻表のあとのS47夏、S48夏です。誉田や土気にばらばらに停車していますが、これは列車交換のためで、運転停車でも旧客は止まれば停車となってしまう(ドアが開放なので乗り降りできてしまう)のです。


 鳥塚社長の「いすみ鉄道社長ブログ」に勝浦側線に止まっているキハ28編成の写真があったと記憶しますが、この時刻表に載っている 8206Dそと房52号 のように、臨時の勝浦発の「そと房」も夏季に限りありました。掲載の写真はこの列車の2~3年前の姿と思われます。


 149M安房鴨川着17:49は101系8連で、下り方にクモハユ74が付いていました。安房鴨川で接続の17:59発258Dもキユニ付きです。


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 館山19:32発→20:15安房鴨川、の9262Dは、東線下り247D→臨時延長館山行き9247Dの折返しで、急行編成ではなかったと思われます。

 8224レ「わかしお2号」、速いですね。前を行くG車付きの臨急8212D「そと房55号」を千葉までで2分追い詰めています。

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 館山6:51発の1170M安房勝山行きは、鋸南町・富山町などから館山への通学列車1177Mへの送込みです。今でも保田発でありますが、今では上りは回送となっています。

 9136D安房鴨川発6:20の館山行きは、上り「そと房2号」の前運用で、モノクラス急行編成6連でした。 

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 東線下りは、観光客の入りこみ時間(千葉6:58発「そと房51号」から千葉12:28発の「そと房54号」あたり)に下り急行が8本。西線の同時間帯14本と比べて約半分。このあたりが電化された西線の躍進ぶり(輸送力強化)といったところで、東線に感じていた劣等感にもつながります。

 この差を少しでも埋めるべく、旧型客車の臨快が下り2本増発されました。が、蘇我~大網間の駅間距離が長いことによるネックで、急行の運転停車も多かったです。電化後のS48~51年ごろにかけて土気以北の複線化が精力的に進められました。

 土気~永田間はS47.5に大網駅移転とともに複線となりましたが、続いて土気~誉田、誉田~鎌取、鎌取~蘇我、の順に竣工してゆきました。


 8221レ「わかしお1号」が永田に停車していますが、これは202D「そと房1号」の通過待ちです。旧客なので運転上の都合で停車すると、乗り降りできてしまうので停車扱いとなります。同様に、旧客計4往復は土気、誉田、鎌取にもバラバラに停車しています。


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 西線下りと比べて、東線下りのこの時間帯の列車の少ないこと!

 御宿以南は、行アイも含めて全駅停車となってしまう急行も不評でした。


 112M「うち房8号」は新宿~安房鴨川間での最速列車。同区間169.6Kmを2時間44分で表定速度62.0Km/h。ただし、夏季以外はこの列車はもともと安房鴨川~館山間は通学列車で各駅に止まっていました。

 夏季以外は安房鴨川16:33発 1180M~17:13館山17:22 112M~19:30新宿

 112Mが夏季は全車指定席の急行になってしまうので、救済の「うち房」が2本出ています。館山からは4分後に発車の「うち房58号」青梅行き(平日は両国止まり)、安房鴨川からは「うち房59号」高尾行きが出て、こちらは通常期と同じような時間に館山まで各駅に停車し、通勤通学者を救済。



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 8223レ「わかしお2号」は勝浦行き。これらの2往復の旧客快速「わかしお」はこの2年前までは旧客の急行「そと房」でした。速度が遅いのでさすがに急行料金は免除となったものです。

 2駅間だけのG車付きの普通が2本あって目をひきます。千倉22:00発の1184Mは同駅21:52終着の8127M「うち房64号」の折返し(館山電留へ入庫)で、8127M→1184Mは運用変更で165系だったようです。この1184Mは夏季以外も同じような時刻で運転されていましたが、津田沼発千倉行きの普通電車の折返しでした。


 一方、安房小湊18:29発 安房鴨川行きの9235D、こちらは安房鴨川発18:52の8212D「そと房55号」の前運用で、他区から借入れの急行編成だったと思われますが、キロ28も律儀に2駅間だけ営業していた、ということになります。グリーン車の乗客はいなかっただろうなあ。

 この逆の列車は回送だったようで、時刻表にはありません。おおむね、そこそこ人を集めそうな駅へ向かう短区間の臨時は営業、中途半端な駅へ向かう場合は、その先へ向かう客の不満をよばないためにか、回送としていたようです。


 東線最終の臨時急行、新宿19:22発の8213D「そと房55号」は、千葉までがずいぶん遅いですね。千葉が標準的な2分停車とすると、新宿→千葉間に1時間6分もかかっています。同区間の急行の標準的な所要時間は53~59分くらい。66分もかかっているということは、総武線に入ってからは、101系緩行をいっさい追い抜かなかったということのようです。

 秋葉原~千葉間は緩行で47~49分のところを 8213Dは52分くらいかかっています。帰宅時間に挿入された臨時の悲しいところで、退勤者でたいへん混雑する緩行線に迷惑をかけられなかったのでしょう。もちろん総武線は複々線にはなってはいません。


 このうっぷんを晴らすかのごとく、千葉以南は「そと房55号」はずいぶん速いですね。千葉→安房鴨川間2時間1分は、他の定期を含めたどの列車とくらべても最速!蘇我以南全線単線非電化、さらに大網駅のスイッチバックで4分ほど消費の時代とあっては、このスピードは立派かと思います。

 上総一ノ宮で上り「そと房56号」と交換したあとは、夜間で上りの優等列車がいっさい無い時間帯なので、交換待ちが1箇所も無かったのでした。