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本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【初読】  金沢伸明『トモグイ』 双葉文庫

 

 

妹から借りました。

『王様ゲーム』と同じ作者さんの作品なんですね。

物語に直接関係するわけではありませんが、テレビから、若い男女の変死体が海から引き上げられたとの報道が流れてくる場面があります。その二人は呉広高校に通う高校生とのことで、まず間違いなく『王様ゲーム』のあの二人でしょう。どうやら時系列的には「終極」の直後のようです。

一人の生徒の死から始まり、クラスメート同士をそそのかして殺人をさせる黒幕と、それに対抗しようとするグループを描いたお話です。ファンタジー要素や現実離れした設定はなく、『王様ゲーム』ほど死人は出ませんでした。

さっそく、読んだ感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

七海先生、恐ろしいですね。

彼女の場合、真っ当だった精神が四年前の教え子の自殺をきっかけに歪んだ、というよりは、生まれつき歪んでいたのがその事件をきっかけに自分の歪みを自覚した、という方がしっくりくるような気がします。

良識的な教師のように振舞ってはいますが、終盤で明かされた彼女の本性は真っ黒。悪意と憎悪の塊です。黒幕その一の和義や、乱暴者でシンプルにクソ野郎な隼人が可愛く見えるレベルです。

独善的な理想を掲げ、「愚か者は愚か者しか産めないのだから、子供を産む前に殺してしまえ」という過激な思想で行動していますが、私にはその理想すらなんだか薄っぺらいものに感じました。個人的に、七海は未来ある若い人間を殺すことそれ自体に快感を覚えるタイプのサイコパスだと解釈しています。ままならない世の中や、自分を子供の産めない体にした「高校生たち」への復讐、というのももちろんあるとは思いますが。

 

時折出てくる情報から、七海が四年前に生徒を自殺に追いやったらしい、ということは分かっていましたが、それを抜きにしても彼女の怪しさはちょくちょく描写されていたように思います。

例えば、差出人不明の赤い封筒や紙粘土の頭を見ても、驚いたり訝しげな顔をするくらいで、ほとんど怯えた様子を見せませんでした。読んでいて、普通はもっと気味悪がったり怖がったりするのでは、と不思議に思った場面です。今になって思えば、ああいう小さな違和感を感じさせるような描写も、彼女の常人とはかけはなれた精神を示す伏線だったのかもしれません。

 

 

物語の展開についても思ったことを。

この作品の特徴としては、主人公らしい主人公がいないという点が大きいのではないかと思います。

主人公と言えそうなのは、章題にもなっている美樹、蓮、和義の三人あたりでしょうか。七海と宮田は重要人物でこそあれ、主人公という感じではありませんし、愛里はどちらかというとヒロインです。

複数の人物の視点が入れ替わるつくりになっているため、誰が消えて誰が生き残るのか、展開を予想することが非常に難しかったです。

 

物語の前半部分は男女関係の描写が多く目につきました。

宮田と美樹、隼人と楓と真紀子。手も繋いだことのない宮田と美樹はともかく、隼人と楓と真紀子の三角関係はひどいことになっています。主に真紀子の嫉妬による暴走が原因です。また、会話の中で普通に「体を使って」だの「ピルを飲んでいる」だのという言葉が使われているのですが、今日びの高校生はこれくらい普通なんでしょうか。ちょっと早熟すぎませんか。

 

楓の退場が早かったのは意外でした。もっとしぶとく終盤まで活躍するキャラクターだと思っていましたが、序盤であっさりと美樹に殺されて美樹と真紀子によって神社の敷地内に埋められてしまいました。

 

また、その後の、地面から腕が突き出ているのは怖い場面でした。自分が殺して埋めたはずの人間が出てこようとしている、私だったらその光景を目にした瞬間に気絶していると思います。自分のしてしまったことを後悔しつつ、結局、ゴミトングを土中の胴体に突き刺して完全に息の根を止め、腕を埋め直してその場を立ち去ってしまう美樹。まあ、もうそうするしかありませんよね。鋭い刃物ではなくステンレス製のゴミトングの先で力任せに刺殺、というのがなかなかにえぐいです。

実は、その時に美樹が刺し殺したのは楓ではなく、何者かによって生きたまま埋められていた真紀子だったのですが、彼女はそのことには気がつきません。

楓の後釜の悪女キャラとして活躍するか、と思われた真紀子ですが、大した見せ場もなく退場してしまいました。

 

物語の中盤あたりから、いかにも主人公っぽい、正義感のある男子・蓮とミステリアスな少女・愛里が活躍し始めます。

この二人の関係は年相応という感じがして良いですね。蓮が愛里の部屋にお邪魔するくだりはなかなか微笑ましかったです。この二人、お似合いなのではと思いましたが、終盤で溺れた蓮に人工呼吸をしたのは美樹の方でした。そこは愛里にさせてあげてくださいよ。

また、この辺りから事態を陰で操っているのがクラスメートの一人、和義であるということが明らかになります。

 

江刺和義、彼は物語の黒幕その一です。いじめられっ子の冴えない男の子ですが、自己愛傾向が強く、心の中では他人を見下しているような人物。キレさせると一番まずいタイプの人間です。まあ、これだけであれば別に珍しいタイプでもありませんが、問題は彼が歪んだ正義感の持ち主で、さらに人の心を操る天才だったという点です。

昨日読んだ短編の一寸法師にしろ、普段は何をされてもヘラヘラと笑っているような人間が、突然むき出しにする悪意というものは凄まじいですね。この和義にしても、やり方に容赦がありません。

特に、宮田を自殺に追い込む場面の手際は鮮やかでした。

あの場面、宮田はもう少し自分の彼女を信じてあげるべきだったと思います。美樹の方もたいがい思い込みの激しいタイプなのでお互い様ですが、美樹の愛の深さに対して、彼女を信じることができなかった宮田の弱さはただただ哀れでした。もちろん、一番悪いのは彼の心の弱さにつけ込んだ和義なのですが。

和義は、やっていることから考えるととんでもない外道ですが、善人である蓮に惹かれたりと、善悪の判断基準は一般的なあたりが独特です。また、人に対する情も普通に持ち合わせています。

 

個人的に、和義まわりの話で一番可哀そうな目に遭ったのは千夏ちゃんだと思います。彼の初恋の相手ということで引きずり出された挙句、巻き込まれて犠牲になってしまう。本人もある程度の事情は知っていて蓮たちに手を貸してくれたのだと思いますし、和義を助けたいと思う気持ちも本心からのものだったのでしょうが、その好意の結果があの最期だと思うと、やりきれません。

 

和義は、自分の障害になると判断した相手は、容赦なく排除できるタイプの人間です。それこそ、情など関係なく。

彼のモノローグにもあったように、「僕は、自分が正しいと思ったら絶対に譲らない」というのが、彼の本質なのでしょう。

そして、そんな狡猾で冷徹な彼の最大の失敗は、学校の作文でそういった自分の内面について書いてしまったことです。

 

【自分は正義で、自分の行いは正しい。何も間違ってはいない。僕は、自分が掲げる理想の世の中を目指している。僕は神になりたい。】

この作文のせいで彼は七海に目をつけられ、利用されてしまう結果になりました。惜しかったですね。『DEATH NOTE』の月くんくらい本心を隠すことができれば、もう少し高みにいけたかもしれないのに。

結局のところ、彼は子供だったのだと思います。正義感があったのは事実でも、彼の言う「理想の世の中」は「自分に都合の良い世の中」でしかなく、社会についても人間についても、全てを知っていたような気でいただけで、実際は思春期の子供の狭い見識の中でしか物事を捉えることができなかった。そのため七海のような本物の怪物には敵いませんでした。

 

最終的に、自分は罰を受けるべきだと認識し、隼人を道連れにして焼身自殺します。最後に流した涙が印象的でした。

 

一緒に死んでいった隼人に関しては、彼のこれまでの横暴な振る舞い、下品で卑怯な言動、特に「童貞喪失同盟」のくだりが最低すぎたので、死んでしまって悲しいとは特に思いませんでしたが、ただ、可哀そうだとは思いました。裕福で見た目も良く、スポーツ万能で女子にもモテる、多くの人が羨むようなものを持ち合わせていながら、なぜそこまで性根が捻じ曲がってしまったのでしょう。なぜ、弱者の気持ちを考える、ということが微塵もできなかったのでしょうか。

彼からは、わがままな子供がそのまま大きくなってしまったという印象を受けました。来世では、優しさや思いやりの心を見つけられると良いですね。

 

作品の最後では、エピローグのように5年後の様子が語られます。

美樹は心神喪失状態、家族からの問いかけにも反応しない、ほぼ廃人状態です。

愛里は進学したのち新聞社に就職。真っ当な人生を歩んでいるようで、何よりです。

蓮は教師になって母校に赴任します。明るくて爽やかな良い先生のように見えますが、これ、おそらく闇落ちしていますね。七海を「恩師」と呼んでいること、使い込まれた赤い手帳、最後に呟いた意味深なセリフが不穏すぎます。

七海の現在については語られませんが、どこかで教師をしているのではないでしょうか。たぶん元気にやってます。

 

残酷な描写が多く、終わり方もハッピーエンドとは言い難いですが、面白かったです。

文章もライトなので、娯楽作品として楽しんで読むことができました。

調べてみたら、コミカライズもされているようです。絵にして大丈夫なんでしょうか。昔読んだ『王様ゲーム』の漫画版はかなりグロかった記憶がありますが、それと同じくらいなのかな。

そのうち『王様ゲーム』の方も読み返したいと思います。

では。

 

 

 

 

【再読】  江戸川乱歩『芋虫』江戸川乱歩ベストセレクション2 角川ホラー文庫

 

紙の表紙がお洒落で気に入っています。

本日は暗めのものが読みたい気分だったので、こちらの一冊を選びました。

江戸川乱歩と夢野久作は、一時期狂ったように読んでいました。長編や推理小説よりも、怪奇色の強い短編の方が好みです。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

まずは収録作品の中でも私の一番のお気に入りの、表題にもなっている『芋虫』について。

 

『芋虫』

タイトルの「芋虫」とは戦争で両手両足を失い廃人となった男、主人公・時子の夫である須永中尉のことを指しています。瀕死の重傷から一命はとりとめたものの、今では耳も聞こえず言葉も話せず、頭も鈍くなってしまった、食と性を貪るだけの芋虫、肉の塊。畳の上をのたうち回る姿から肉独楽とも表現されています。

作品内ではこの「芋虫」の不気味さと惨めさについて、これでもかというほど細かく描写されています。

そして、主人公・時子。傍から見れば廃人の夫に寄り添う献身的な妻ですが、実際は彼の不自由な体を弄び、自身の情欲を満たすための玩具として扱っている、恥知らずな、けだもののような女です。一度欲望に火がつくとそれを抑えることができず、加虐心に身を任せて夫を責め苛んでは己の欲を満たします。乱歩先生の変態性ここに極まれりですね。サディズムの嗜好はともかく「一かたまりの黄色い肉塊」に対してああも激しく欲情するのはさすがにアブノーマルだと思います。いくら自分の夫とはいえ。

 

実は、素の時子は泣き虫で大人しい性格の女性です。欲とは別に夫の境遇を哀れに思う心もあれば、自身の浅ましさを恥じる心もあり、真実を知らない人から貞節な妻と称賛されるたびに罪悪感に苛まれるくらいには、真っ当な感性と善性の持ち主です。おそらく夫が五体満足だったころは絵に描いたような「貞節な妻」だったのでしょう。

そして夫の須永中尉にしろ、怪我の前は立派な軍人で良き夫だったのだろうと思います。廃人となってからも時折その目に浮かぶ「正義の観念」が、彼の元の人格を表しています。

そんな二人も、世間から見捨てられ、他人の厄介になって生きていくうちに心が荒んでいったのでしょう。廃人の夫とその妻、二人きりの家、六畳の部屋。読んでいるだけでその閉塞感がまざまざと感じられ、息が詰まりそうになります。二人が正気を失ってしまうのも無理はないのかもしれません。

物語終盤、感情に任せて夫の両眼を潰してしまう時子。我に返った後で激しく後悔し、彼の身体に「ユルシテ」と書いてみたり、視覚さえも失った彼が体験しているであろう地獄のような暗闇を想像して泣き出したりするあたり、根は優しい、というか、心の弱い人なんですよね。夫に対して悪意があるわけではなさそうです。

そしてラスト、姿を消した夫が書き残した「ユルス」という三文字。一体彼は妻に対してどういった感情を抱いていたのでしょうか。鉛筆を咥えて懸命の努力で書いたのであろう、たどたどしいカタカナ三文字が哀れみを誘います。

最後の「芋虫」が古井戸に向かって這っていく描写は実に丁寧で、落ちた後の、トボン、という水音まで実際に聞こえてくるようでした。

後味の悪いお話ですが、不思議と不快感はなく、物悲しさが残ります。

 

 

ここからは、他の作品の感想を。

 

『指』

非常に短く、たった3ページのお話です。オチは気味が悪いというか、現実にありえそうな絶妙なリアリティを感じて背筋が寒くなりました。

 

『火星の運河』

暗くどんよりとした森と沼の描写が印象的です。物語性は低いですが世界観が美しく、乱歩の短編小説の中でも特に気に入っている作品の一つです。

澱んだ空気、黒い水、黒い岩、裸の女。静まり返った死の世界で、血塗れになって踊り狂う夢。美しく洗練された悪夢のお話です。

 

『白昼夢』

妻を殺して蝋細工にし、店先に飾っているのだと演説している薬屋。聴衆は与太話だと思って笑っていますが、こいつ、確実にやってますよ。主人公が見た人体模型のうぶ毛は絶対に見間違いではないと思います。警官は笑ってないで仕事をするべきですね。

 

『踊る一寸法師』

旅芸人の一座と思われる、軽業師や手品師たちの酒盛りの様子。ガヤガヤとした猥雑な雰囲気です。

キョロリ、クルクル、ザブッとなどの擬音・擬態語に加え、話し言葉の「ネエ」「チョット」「サア」など、カタカナが多用されているせいか、場の俗っぽくいやらしい空気が強く感じられました。

酔った芸人たちが面白半分に一寸法師を虐待する場面は、完全に弱い者いじめです。皆酔って普段より気が大きくなっているというのもあるのでしょうが、おふざけにしても度を越しています。一寸法師がヘラヘラ笑っているのを見るに、彼は普段からああいう扱いを受けているのでしょう。可哀そうに。

そしてそんな一寸法師の華麗な復讐。グッサリ、ザックリ、芸人らしく娯楽性に溢れた演出でした。

それから、燃え盛るテントと、炎の中で狂ったように笑う軽業師たち。夜の闇と赤黒い火焔、こだまする笑い声の組み合わせが芸術的です。

最後にお花の頭を持ち出しているあたりに、一寸法師の彼女への異常な執心を感じました。

さて、彼はこれからどこへ行くのやら。

 

『夢遊病者の死』

探偵の登場しない殺人事件のお話。死体役は主人公の父親です。

実際は殺人ではなく不慮の事故だったのですが、主人公は寝ている間に自分が父親を殺してしまったのだと思い込み、逃亡します。そして無我夢中で走り続けた挙句、疲れ果てて死んでしまいます。走っている間の彼は完全に錯乱状態です。

夢遊病者であるというのは気の毒ですが、彼の場合、人生がうまくいかない原因は夢遊病以外のところにもあったと思います。まず、いじけてしまったのが良くなかった。夢遊病を言い訳にせず、自分にできることを探していれば、もう少し幸せに生きられたのではないかと思います。

少なくとも、こんなに無様な死に方をすることはなかったでしょう。

 

『双生児―ある死刑囚が教誨師にうちあけた話―』

この男、業が深すぎます。金欲しさに双子の兄を殺し、兄に成り代わって財産と兄の妻を手に入れる、そこで止めておけば良かったんです。それだけでも相当な罪ですけれど。

裕福になり、しかも妻である女は自分の元恋人。大抵の人間であれば手に入れた生活に満足できそうなものですが、それができないのがこの男です。しばらくすると妻に飽き、金を湯水のように使って放蕩三昧。そしてお金が足りなくなり、第二の殺人に走る。もう落ちるところまで落ちています。こういうタイプの人間は星新一のショートショートでよく見ました。

計画に死んだ片割れの指紋を利用するあたり、悪知恵が働くというか、なんというか。結局失敗してしまうんですけどね。

彼の最後の望みは妻に真実を知ってもらうことですが、知らないままの方が彼女にとっては幸せだと思います。私が教誨師なら、聞いた話は自分一人の胸の内にしまっておくでしょう。

 

『赤い部屋』

「赤い部屋」というのは会の名前です。退屈をもてあました紳士たちが集まる、怪しげなクラブ。なんともロマンがありますね。

話の中に出てくる、「法律に触れない殺人」は興味深いテーマでした。状況的には事故死でも、その原因を作った人間に殺意があった場合、それは殺人でしょう。転落死させてやろうと綱渡り中の女芸人の気を散らせ、それで彼女が本当に落ちて死んでしまったら、それはどう考えても殺人です。ただ、殺意は証明できないというのが厄介な点です。ふざけただけで、殺すつもりはなかったと主張されてしまえばそれまでですから。考えさせられるテーマでした。

物語としては、ラストで明かされたタネと興ざめした空気まで含めて、非常に完成度の高いものだったと思います。

 

『人でなしの恋』

若い女性目線で書かれた、柔らかい文章が特徴的です。美しい人形に恋をする、これまた美しい男の姿を、嫁入りした女の目線から描いています。

おしとやかに見えて、恋敵の人形を滅茶苦茶に叩き壊す主人公、意外とやりますね。女の嫉妬は恐ろしいです。

人形を愛し、命まで捧げた門野の恋は、一途というよりは病的な恋でした。

歓楽と罪の呵責のはざまで苦しみ、自分が異常であるという自覚があるからこそ、生きた人間を妻に迎えて愛そうとした門野。けれど結局、人形への想いを断ち切ることはできませんでした。

彼の恋は本物です。私が思うに、問題なのは人ならざるものに心を奪われたという事実ではなく、門野自身の心の持ちようだったのではないでしょうか。

彼自身が人形への恋心を背徳的なもの、恥ずべきものとして捉えている以上、その心は罪の意識に苛まれ続け、京子が人形を壊さなかったとしても、いずれは己の身を滅ぼしていたように思います。

要は、門野が「私はこの人形を妻にする」と声を大にして言えるような人物であれば良かったのです。まあそうでなかったからこそ、この物語は美しく悲劇的なものとして成立しているわけですが。

最後の人形の笑みは、京子には悪魔の笑みのように見えたことでしょう。

 

 

以上。

どの作品も良い感じに薄気味悪く、今日の気分にぴったりでした。

『人間椅子』など乱歩の他の短編作品も読み直したくなりますね。

では。

 

 

 

 

【初読】  フランシス・ホジソン・バーネット『小公女』畔柳和代訳 新潮文庫

 

小さい頃、子供向けの本で読んだ作品です。文庫版を発見したので購入してみました。

表紙のイラストが素敵ですね。どこかで見た画風だと思ったら、絵本『ビロードのうさぎ』(ブロンズ新社)と同じ方が描いていらっしゃるようです。あと『きかんぼのちいちゃいいもうと』のイラストも。どちらも好きな絵本です。翻訳作品にはこの方の独特な画風がぴったり合っているように思います。線の粗さと塗り色の鮮やかさが特徴的です。

 

『小公女』自体は小さい頃に何度も読んでいましたが、最後に読んでから時間も経っていますので細かい部分は忘れていました。

久しぶりに読み返してみて、またいろいろと新しい発見がありました。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

子供の頃は終盤の「魔法」の場面が何よりも好きで、そこばかり繰り返して読んでいました。今読んでもやはり良い。部屋の中の素敵な家具調度や美味しそうな食べ物の描写がずらずらと書き連ねられているのは、読んでいてわくわくする部分です。

 

逆に、セーラがひどい扱いを受けている場面は読んでいて胸が痛みました。一番辛かったのはセーラが苦しみのあまり人形に八つ当たりしてしまうシーンです。肉体的な苦痛、ひもじさ、ずたずたになった自尊心、孤独。行き場のない怒りを大切なエミリーにぶつけてしまうセーラの姿はあまりに痛々しく、思わず駆け寄って抱きしめてあげたくなりました。後で「魔法」が起きるのだと知っていても、最後にはセーラが報われるのだと分かっていても、やはり辛いものは辛いですよね。

 

次に、キャラクターについて感じたことを。

小さい頃はセーラとベッキー以外は脇役だと思って読んでいました。もちろん、今でもセーラとベッキーが一番好きですが、その他の登場人物もそれぞれに魅力があります。

特にミス・ミンチンとラヴィニア。身近にいてほしくはありませんが、悪役キャラクターとしては実に魅力的です。底意地の悪い女性の悪役キャラって、私、結構好きなんです。『源氏物語』の弘徽殿の女御(光源氏パパの奥方のほう)とか。

明確にヒロインの敵として描かれているミス・ミンチンは、嫉妬深くて権力欲が強く、打算的で抜け目のない「嫌な女」のお手本のような人物です。一体どんな少女時代を過ごしたらこんな性格になってしまうのでしょう。彼女は本当に、温かい心を一欠片も持っていないのでしょうか。

ミス・ミンチンの少女時代は想像の余地があって興味深いと思います。実はアーメンガードのような劣等生のいじめられっ子だったり、逆に明るくて素直な普通の女の子だったりしたら面白いですね。

 

それから、日和見主義のミス・アメリアとジェシー。なかなかいい味出していると思います。

特にジェシーは意外と素直で良い子です。わりとセーラに好意的で、ラヴィニアの機嫌を損ねるようなことばかり言っていますけど、本当にラヴィニアの親友なんですよね?昔はラヴィニアとまとめて「セーラの敵の一人」という認識でしたが、今読み返してみるとラヴィニアとひそひそ話をしているくらいで、あまり意地が悪いという印象は受けませんでした。

ラヴィニアとジェシーはセーラとは不仲ですが、セーラのお話や人形には夢中になってしまうあたり、子供らしくて可愛いです。ラヴィニアにしても、やたらとセーラに突っかかってきますが、裏を返せばそれだけ彼女のことをよく見ているわけで、お互いもう少し大人になって落ち着いたら、意外と良い友人関係を築けるのではないでしょうか。そうであればいいと思います。

 

主人公のセーラは心優しい少女ですが、気性自体はかなり激しく、好き嫌いがはっきりしているため、同じように気の強いラヴィニアのような相手とはそりが合わないんですよね。

そういえば、私が初めて『小公女』を読んだとき、確か小学三年生くらいだったと思いますが、同じタイミングで同作品を読んでいた友人も、セーラのことを嫌っていました。いわく「偉そうで嫌い」とのこと。当時は理解できませんでしたが、今ならあのときの彼女の気持ちも少し分かるような気がします。セーラがあまりにも気高いため、驕り高ぶっているように見えたのでしょう。弱者への優しさも、上から目線の施しのように感じられたのかもしれません。

 

この作品ではセーラ・クルーという少女の「プリンセスのような気高さ」が特に強調されていますが、それ以上に、彼女の心の優しさについても丁寧に描かれています。

特に印象的なのは、彼女が落ちぶれた後、男の子から六ペンスを恵まれる場面です。自尊心から一度は断るものの、相手の善意を無下にはできない、と結局受け取るセーラ。屈辱に青ざめ、涙で目を濡らしながらも微笑んでお礼を言う彼女の姿は、あまりにも尊いものです。彼女は確かに気位が高いけれど、それ以上に優しい少女なのだということが分かる場面です。

 

そして彼女の「プリンセスらしさ」が最も強調されているのは、やはり第13章「民の一人」の部分でしょう。初めて読んだとき、子供心にもいたく感銘を受けたのを覚えています。

乞食の少女にパンを一つ分けてあげるくらいなら私にもできます。けれど、自分が空腹で倒れそうなときに、六つのパンのうち五つを他人に与えることができるか、と言われるとおそらくできないでしょう。それができてしまうのがセーラなんですよね。やはり彼女は生まれついてのプリンセスです。施し、と表現するのは気が引けますが、例え自身がどんなに貧しくみすぼらしくとも、セーラは常に人に「与える」側の、施しをする側の人間なのです。

 

裕福な生活から一転、落ちぶれて奴隷のような扱いを受け、最終的にはまた裕福になる。物語の劇的な展開にも関わらず、セーラの在り方は常に変わりません。逆境にあっても変わらず気高く、心優しく、想像力を失わない、それがどれだけ非常なことなのか、今なら分かります。どんな時も「プリンセスのふり」を続けるセーラの心の強さ、それこそが、どんな血筋や権力よりも尊い、プリンセスと呼ばれるのにふさわしい人物であることを証明しています。

 

私はプリンセスになるつもりはありませんが、セーラの自意識の強さ、自己に対しても他者に対しても誠実なその在り方は見習いたいと思っています。子供の頃も、今も、セーラ・クルーは私の憧れのヒロインの一人です。

 

初めて読んだ小学三年生の頃を思い出しつつ、懐かしい気持ちで読み返すことができました。

ハッピーエンドで読後感も良く、休日の読書にぴったりの作品でした。

では。

 

 

 

 

【再読】  橋本紡『彩乃ちゃんのお告げ』 講談社文庫

 

新興宗教の「教主さま」である彩乃ちゃんは、不思議な力を持った女の子。

こちらの作品は、年齢も住んでいる場所も異なる三人の主人公が、彼女との出会いを通して未来への一歩を踏み出していくお話です。

彩乃ちゃんは彼らの日常の中に突然現れては去っていく、不思議な女の子として登場します。

 

久しぶりに再読。忘れている部分が多かったので、新鮮な気持ちで読むことができました。

感想を簡単に書いていきます。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

第一話『夜散歩』。知人の頼みで突然彩乃ちゃんを預かることになった女性、智佳子の物語です。

大人しい性格の彩乃ちゃんが、一緒に生活していくにつれ少しずつわがままを言えるようになるのが良いですね。智佳子は面倒見の良いお姉さんなので甘えやすいのでしょう。まだ小学五年生なんですから、もっとわがままや生意気を言ったりしても良いのに、とも思いますが。

お話のタイトルにもなっている夜のお散歩は素敵な場面でした。お別れの前の思い出づくりですね。帰ってきてから二人がお風呂でふざけたり歌ったりするシーンも印象的です。友達のような、年の離れた姉妹のような、当初のぎこちない関係から一変し、二人が無邪気に笑い合っている姿にほっこりしました。

お別れの日、彩乃ちゃんが最後にかけた言葉

「その道はぴかりと光ってるよ」

には、ただの確信以上の、智佳子の幸せを願う彩乃ちゃんの思いが込められているように感じました。

個人的に、最も彩乃ちゃんを「一人の女の子」として身近に感じることのできたお話です。

 

第二話『石階段』。

将来や恋、悩みと焦りを抱えつつ、がむしゃらに石階段を土中から掘り出す主人公・辻村。多感な男子高校生です。

悩んでいるときは体を動かすにかぎります。それで何が解決するわけでもありませんが、とにかく気分は晴れますし、目的を持って働いている場合はなおさら、間に余計なことを考えている暇なんてありませんから。

石階段を掘るうちに、少しずつ山と、木々や風と一体になっていく辻村くん。自然の力は偉大です。

それから、澤口さん、彼女は本当にいい女です。見る目があります。主人公とはお似合いのカップルになるでしょう。

彩乃ちゃんはおにぎりの差し入れ係として登場し、終わり近くでようやく活躍を見せてくれます。彼女との関係は他の話ほど深くは描かれないものの、辻村くんはその後もあの「不思議な女の子」のことを時々思い出すのではないでしょうか。

爽やかに終わったお話でした。

 

第三話『夏花火』。主人公の佳奈は彩乃ちゃんと同い年の女の子です。

印象深いのは、宝物のマニキュアを佳奈に勝手に触られて、彩乃ちゃんが激怒するシーン。私の特に好きな場面です。礼儀正しく万事に対して控えめな彼女が、感情をあらわにして怒ってくれたことが何だかとても嬉しく感じました。あのマニキュアは智佳子から貰った、大切なものですからね。

最初のうち、佳奈は少し見栄っ張りで自分本位な性格に感じられましたが、よく考えてみれば小学五年生の女の子なんてこれくらいが普通ですね。小五の時の私はもっと嫌な奴だった記憶があります。それに比べたら佳奈のほうがよほど素直で思いやりの心があります。慣れない環境、ぴりぴりした両親、そこに突然知らない女の子と一緒に生活することになるなんて、結構なストレスのはずです。居心地の悪い思いをしているのは彩乃ちゃんも同じでしょうけれど。

夏祭りの後の、お別れの日の会話。少し切ないけれど良いシーンでした。不思議な力で、いろんな人が少しだけ幸せになるのを手助けする彩乃ちゃん。彼女の幸せはどこにあるんだろう、と考える佳奈。同い年だからこそ、普通の女の子とは違う彩乃ちゃんの生き方に疑問を持つ佳奈の姿が印象的でした。

「もう十分貰ったから」と笑う彩乃ちゃん、その言葉は本心からのものだったと思います。マニキュア、ペンダント、ビーズの指輪。三人との出会いを通じて、彼女自身も、自分の生き方を確信することができたのでしょう。佳奈が納得できない気持ちも分かりますが、誰かの背中を押すために生きることがきっと彩乃ちゃん自身の幸せなのだと思います。

 

彩乃ちゃんを一人の女の子として捉えると、最後の佳奈との会話は少し切ないものに感じられます。

日常の中にふっと現れては転機の前で背中を押してくれる、不思議な優しい女の子。どことなく妖精や、天使のような存在。

気づかないうちに私も彼女と出会い、何らかのお告げをもらっていたのかも、とそんな気がしてきます。

ぬくもりを感じさせる、優しいお話でした。

では。

 

 

 

 

【初読】  瀬尾まいこ『おしまいのデート』 集英社文庫

 

今日は瀬尾まいこさんの作品の中から、読んだことのないものを。

「デート」にまつわる五つの物語を収めた短編集とのことです。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

読了後の感想を、お話ごとに書いていきます。

 

『おしまいのデート』

適当なことばかり言っている祖父と、それを受け流すクールな孫、二人の会話のテンポが独特です。おじいちゃん、いいキャラしてます。主人公の淡々とした態度が、逆に「おしまい」の寂しさを感じさせるような作品でした。最後ではないと分かっていても、なんだか名残惜しくなる別れってありますよね。そういう別れを思い出しました。

 

『ランクアップ丼』

毎月決まった日に恩師と玉子丼を食べに行くのは良いとして、クリスマスイブですら彼女よりも上じいを優先する主人公、人にもよるとは思いますが、私は誠実な人物だという印象を受けました。まあ、彼女さんが納得できない気持ちも分かりますけれど。

約束のために病院を抜け出す上じいも、最後に登場した上じいそっくりのマイペースな娘さんも、温かみのある素敵な人ですね。最後まで、優しいお話でした。

読んだ後は玉子丼が食べたくなります。甘辛いつゆとしんなりしたねぎ、とろっと半熟の卵、だしの染み込んだご飯。いいなあ。

 

『ファーストラブ』

体育会系主人公の真面目さが印象的でした。男同士でデートなんて嫌だと言いつつ何を着ていこうか悩んだり、当日にも遅れずに待ち合わせ場所についてしまうような、律儀な一面が目立ちます。一方、デートに誘ってきた宝田のほうは自分が見たいといった映画で開始早々爆睡する自由な性格。結局主人公は最後まで彼に翻弄されっぱなしでしたね。物語最後の会話では、ふざけたような態度を崩さない宝田に対して、どこまでも真剣な主人公の様子が見ていて切なかったです。

友達の多い宝田が、わざわざ接点のなかった主人公に声をかけた理由は何だったのでしょうか。感謝のためだと言ってはいましたが、それにしては主人公についてよく知っていたりと、本当はもっと真剣な、何か秘めた思いがあったのかもしれません。

 

『ドッグシェア』

変わった女性と変わった男子学生と捨て犬の不思議な交流。ずれた会話がテンポよく進んでいくのが実に瀬尾さんらしいです。犬の命名のくだり、「久村ポチリン」に至るまでのぐだぐだな流れなんて特に。

夜の公園でビスコを食べるポチリンと、その横で中華を食べる人間二人の図がシュールでした。ポチリンがいなくなったらこの関係はどうなってしまうのだろうと思いましたが、最後が「また明日」で終わったので何だかほっとしました。その後、どんな関係を築いていくのか、気になります。

それから、久しぶりにビスコが食べたくなりました。懐かしいですね。私はいちご味が好きでした。

 

『デートまでの道のり』

マイペースな前話主人公から一変、真面目な保育士の女性が主人公です。園児を使ってその父親との距離を詰めようとする小悪魔的なずるさも持っていますが、基本的に子供好きの優しい女性です。

小さい子供、特に保育園の年長さんくらいの年頃の子って難しいですよね。好き勝手やっているように見えて、意外と周りを見ていたり、大人の考えていることを敏感に読み取ったり。どう接したらいいのかと悩む主人公の気持ちがよく分かります。

一見いたずらっ子のカンちゃんも、本当は見た目よりもずっと聡く、思いやりのある子でした。主人公がそれに気がつくことができて良かったです。これから少しずつ一緒に歩んでいって、いつか本当の家族になってくれたらなと思います。3人がデートできる日が待ち遠しいですね。

 

 

切ないものもありましたが、どれも温かく愛にあふれたお話です。

一つ一つが短めで、無駄な部分がないのでサクサクと読み進めることができました。

瀬尾さんらしさの詰まった、読みやすく、面白い作品だったと思います。瀬尾さん、ありがとうございました。

では。