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本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】  大和和紀『あさきゆめみし』 講談社漫画文庫

 

二〇二四年の大河ドラマ主人公は紫式部だそうです。

それを知ってふと、この作品を読み返したくなりました。

私は古典の『源氏物語』を一通り読んでからこちらの漫画版に入ったので、初めて読んだときは、自分とは違う解釈のもとで描かれたキャラクターたちが非常に新鮮でした。物語として面白く、学びにもなる素敵な作品だと思います。私の周りにも、この作品で源氏物語の内容を学んだ、という人は多いです。

漫画なので読書と呼べるかは微妙なところなのですが、まあ良いでしょう。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

『第一巻』
最初は「桐壺」の場面です。儚げで透き通るような美貌の桐壺の更衣はもちろん素敵な女性なのですが、私が一番好きなのは何といっても弘徽殿の女御です。年を取ってからは二十顎気味の見るからに意地の悪そうな女として描かれますが、若かりし頃は本当に美しい。桐壺の更衣が入内するまでは彼女が帝の寵を独占していたわけですから、当然といえば当然ですね。
桐壺の更衣に対して、怪しげな薬を寄越したり、男児を産まないよう呪ったりするのはさすがに度を越した振る舞いでしたが、彼女の立場を思えば、桐壺の更衣を憎らしく感じるのは当然でしょう。帝の心無い言葉に涙を流す様子はあまりにも可哀想です。帝や桐壺の更衣が悪いわけではないのですけれど。

主人公の光源氏は、少年時代の見た目が一番好きです。
中性的なその佇まいは華やかさよりも清らかさを感じさせます。元服前は特に、水際立った、透き通るような美少年です。

 

そして、その後次々と登場する彼の恋人たち。
源氏の初恋相手である藤壺の女御も、やはり非常に美しいです。桐壺の更衣とは瓜二つという設定ですが、生き生きとした表情のせいか、より賢そうに見えます。
終盤で男児を出産し、中宮になります。実際には帝の子ではなく源氏との不義の子なわけですが。後の冷泉帝です。
なし崩し的に源氏を受け入れてしまったようにも見えますが、彼のことを男性として深く愛しているのは本当です。源氏を取り巻く女性たちに嫉妬し、密かに涙する姿が印象的でした。
 

次に、四歳年上の正妻・葵の上。
彼女はプライドが高く、源氏に対して素直になることができません。源氏とのコミュニケーション自体を避けているため、二人の夫婦仲は冷め切っています。
源氏にしても、半ば無理矢理のように重ねた夜の後、葵が眠っている間に帰ってしまったり、心無い振る舞いをしています。
 

それから当代随一の貴婦人と評される六条の御息所。
盛りを過ぎた女の冷たい色気、ぞくぞくしますね。気高く、美しく、もはや女王のような風格です。源氏よりも年上であまりにも賢すぎたため、そのうちに源氏の方が彼女の相手をするのに疲れてしまい、だんだんと疎遠になっていきます。近寄りがたいほどに冷たい美貌の持ち主ですが、雅を愛する、女性らしく繊細な性格です。その性格が災いして恋の鬼と化してしまうわけですが、彼女が登場すると物語が大きく動くので面白いです。

 

達観したような、儚げで可憐な女性・夕顔は、いやらしい意味でなしに、娼婦的というか、「男を癒す女」という印象です。どこか古代の聖娼のような。

そしてこの巻の半ばあたりで登場するのがメインヒロインの紫の上。愛らしく利発な少女です。
幼い紫と源氏のやり取りは兄妹のようで、見ていて癒されます。誤解されやすいですが、彼は何もこの時点の紫の上を女として見ているわけではありません。光源氏は決して年端もいかない幼女に欲情するようなロリコンではないのです。将来は藤壺そっくりになるだろうな、という多少の下心はあるかもしれませんが。
 

そしてイロモノ枠、不器量な姫の末摘花。不美人で教養もありませんが、根は善良です。彼女がメインの回は、どちらかというと周りを駆け回っている大輔の命婦の方が印象的でした。面倒見の良い女先輩という感じです。

 

源氏に恋する老女・源の典侍。彼女もイロモノ枠ですね。今は六十近い年齢ですが、かつては宮廷内でも指折りの美姫。中身は未だ少女のように若やいでいます。家柄も良くたしなみ深く、これで色好みでさえなければ、と源氏に言わせるほどの才気溢れる女性。琵琶を弾く姿が美しいです。

 

最後に登場するのは朧月夜。後宮内の駆け引きを「碁ならべ」と表現する自信家です。艶やかな出で立ち、悩まし気な目つき、自身の女としての価値を理解している、計算高い姫君という印象です。気性の激しさは、さすが弘徽殿の大后の妹なだけあります。源氏と関係を持った女性たちの中では、私はこの朧月夜と葵の上がとりわけ好きですね。どちらも目鼻立ちのくっきりとした気の強そうな美人として描かれています。我ながら、分かりやすい趣味だと思います。

 

場面として好きな部分は、源氏と頭の中将、左馬の守らの女性談義でしょうか。
身分は高すぎても低すぎても駄目、優しすぎる女は浮気をしそうだから駄目、しっかり者すぎるのは色気がないから駄目、嫉妬深いのは困るがまったく嫉妬をしてくれないのも嫌だ、などと言いたい放題。とても女性の前ではできない会話です。

まあ、彼らも口ではこんなことを言っていますが、恋をしているうちは相手の欠点など目につかなくなってしまうのでしょう。

やさしくてかわいい女の子がいいなあと言う惟光にはほっこりしました。

次巻に繋がる重要な部分は、終盤の藤壺の出産と父帝の譲位、葵の懐妊あたりでしょう。葵の懐妊を知って六条の御息所が絶望するシーンで次の巻へと続きます。

 

 

『第二巻』

葵祭りでの六条の御息所と葵の上の遭遇。
車同士が押し合う様子が見開きで描かれているのが良いですね。
正妻の葵に仕える下人たちから「愛人ごとき」と呼ばれ、屈辱的な仕打ちを受ける御息所が哀れです。そして葵の方も、別に意図して彼らをけしかけたわけでもないのに、傲慢で冷たい女のように思われてしまったのが気の毒です。家人から主の品格が知れる、ということなのでしょうか。
 

その後葵は男児を出産した際に、御息所に呪い殺されてしまいます。推しが退場して悲しい。源氏とも心が通じ合い、やっとこれから、というところだったのに。

夕顔の時と同様に生霊となって現れた御息所の姿の美しいこと。冷たい、ぞっとするような笑みを浮かべていますが、その凄みのある表情が本当に美しい。まさに女鬼といった様子です。本人の意思にかかわらず無意識に相手を呪ってしまうのですから、救いようがありません。
彼女が伊勢に下る前の、源氏との別れのシーンも印象的です。今宵また、と言って去って行く源氏。切ない終わり方です。
 

そして葵の死後、紫の上を妻に迎えた源氏。初夜が無理矢理、というのは最低でしたが、和解できて良かったですね。兄のように思っていた相手から心の準備もないまま襲われて、紫の上は相当怖かったと思います。下手をしたら、関係が修復不可能なまでに壊れていてもおかしくなかったでしょう。よく許したものです。
紫の上の見た目もだいぶ大人らしくなりましたが、まだ少女のあどけなさが残っています。

 

その傍ら、入内した朧月夜とも関係を続けていた源氏。それが明るみになり問題となったことで、最終的に須磨の浦に自主謹慎することになります。朧月夜は兄帝の寵姫です。このあたりは弘徽殿の大后や政敵の思惑も絡んでいるのですが、源氏にとっては父院の死、藤壺の出家に続く辛い出来事です。だからといって同情する気はあまり起きませんでしたが。
源氏よりも一人で京に残される紫の上が不憫です。実の親とも良い関係とは言えませんし、源氏以外に頼るもののない彼女が一人残されてどれだけ心細い思いをするのか、源氏はもう少し考えてあげた方が良いと思います。
基本的に漫画版の源氏は非常に賢く、器の大きな人物なのですが、それだけにいっそう女性関係での短絡的な思考が目立ちます。なぜ女性を相手にするとこうも視野が狭くなってしまうのか。

 

隠遁中に出会った明石の君もまた、美しい女性です。たおやかで気品に溢れ、教養も豊か。大人っぽい顔立ちですが、実際には紫の上よりも年下なんですよね。紫の上が本気で嫉妬してしまうほど、多くに優れた女性です。

そんな彼女を残し、後ろ髪を引かれる思いで明石を去り、都に帰る源氏。紫の上との再会は喜ばしいですが、今度は明石の君が可哀想です。
2巻で最も重要な部分は、やはりこの源氏と明石の君との出会いでしょう。彼女との子が最終的には国母となるわけですから。

 

この巻で個人的に好きなのは、朧月夜と帝とのやり取りです。源氏を愛しつつも、帝の真っ直ぐな優しさに触れて苦しむ朧月夜。最終的に源氏に別れを告げた場面での、彼女の晴れやかな顔も印象的です。

ちなみに、原作でもこちらの漫画版でも、男性のキャラクターで一番好きなのは誰かと問われたら、私はこの帝を挙げます。派手さや華やかさはないものの、才能豊かで善良な人物。穏やかで愛情深く、兄としても帝としても文句のつけようがないのでは。とてもあの皇太后の息子とは思えません。桐壺帝ともそれほど似ていないような。

 

花散里の君もこの巻で登場します。ふっくらとしていて可愛らしい。控えめで、穏やかで、見ているだけで癒されます。

 

源氏が戻った後、六条の御息所が亡くなり、その一人娘である斎宮の後見人となるところで終わりました。後の秋好中宮です。彼女は髪が緩くウェーブしているので、真っ直ぐな黒髪が多いこの作品の中でも、判別しやすくて助かります。

 

 

『第三巻』

3巻は末摘花がメインの回からスタート。都に戻ってきた源氏を、ぼろぼろのお屋敷で待ち続ける姿が健気です。
そして末摘花に仕える侍従の君が美人でした。ツリ目に困り眉なのが個人的にはとてもツボです。心優しく忠実で、最後まで主の幸せを願っていました。一話で使い切ってしまうには惜しいキャラクターだったと思います。

 

そしてその次は空蝉のお話。源氏の過去の恋ですね。

空蝉はぱっと目を惹くような華やかさはないものの、品のある顔立ちに描かれています。薄幸そうで人妻というよりも未亡人の風情です。

夫の伊予の介に向けた独白が印象的でした。望んだ結婚ではなかったのだとしても、彼に対して抱いている感情はやはり愛と呼べるものだったのでしょう。衣一枚を残して源氏を拒むシーンは、原文で初めて読んだときに強く感銘を受けた場面です。漫画でも非常に美しく描かれています。

現在は仏門に入っており、後に源氏のもとに身を寄せることになります。

 

少し後には、これまでたびたび登場していた、源氏の従姉にあたる槿の姫君についても詳しく語られます。

彼女も自らの意思で源氏を拒んだ女性です。人並み外れて思慮深く、結局一度も源氏の想いに応えることはありませんでした。恋に命をかけるような人間からしたら彼女の生き方はさぞつまらないものに見えるのでしょうが、私は、これはこれで美しい生き方だと思います。

 

現在に戻って、絵合の回。

梅壺方と弘徽殿方の二手にわかれて、衣装調度もそれぞれ赤と紫、青と白と緑で統一しています。想像するだけで華やかです。

実際は源氏と頭の中納言の競い合いでもあったわけですが、最後に出された源氏の須磨の絵に心を打たれてしまうあたり、中納言は野心家である以前に風流人で、政敵である以前に源氏の友人なのだということが分かります。この二人のライバル関係はどこかさっぱりとしていて気持ちが良い。さすが、一時は義兄弟だっただけのことはあります。

袈裟姿で参加した藤壺も相変わらず美しい。

 

そして、藤壺の死。

満開の桜の樹の下で一人泣き崩れる源氏の姿が憐れみを誘います。

彼女の死後に冷泉帝は自身の出生の秘密について知るわけですが、動揺から立ち直るのが意外と早く、年齢に不釣り合いなほどの彼の聡明さが際立っています。藤壺と源氏の良い部分をそれぞれ受け継いだようです。
また、もう一人の息子である夕霧にしても、文武両道で品行方正な、できた息子に成長しています。父親と違って、女性に対しても非常に真面目。雲居の雁との関係は見ていて癒やされます。特に小さい頃の二人はお目々がぱっちりで本当に可愛らしい。成長してからの、夕霧の男の子っぽい話し方も個人的に好きなポイントです。


その他の重要な出来事としては、女君たちの住む六条の院の完成、明石の方の上京、明石の姫君が紫の上に預けられたこと、あたりでしょうか。姫を奪ってしまうことに対して明石の方にすまなく思う紫の上の心優しさ、姫のためを思って悲しみを堪える明石の方の奥ゆかしさ。二人とも、比べようのないほどに美しい心根の持ち主です。


そして最後に登場するのは夕顔の忘れ形見・玉鬘。父親である頭の内大臣に似たのか、母親よりも少し派手めの顔立ちです。市女笠を被った旅装束姿が不思議と艶やかに見えます。
娘として引き取ったもののだんだんと玉鬘に惹かれていく源氏に対し、余裕の表情を崩さない紫の上の姿が印象的でした。このあたりから、紫の上にも正妻の貫禄が出てきますね。
 

 

『第四巻』

源氏が頭の内大臣と和解する場面。男二人が、酒を酌み交わしながら旧交を温め合う様子が良い。そういえば昔、一緒にこの漫画を読んでいた友人たちは女性キャラそっちのけでこの二人の絡みにきゃーきゃー言っていました。頭の中将が須磨を訪れる場面とか。まあ、確かに、その気持ちも分かります。私もブロマンスは嫌いじゃないですし。


ひげ黒に嫁いだ玉鬘は、最終的に自分の意思で夫や子供たちに寄り添うことを選んだ、強い心の持ち主として描かれています。登場したときにはまだ子供のようでしたが、いつの間にこんなにいい女になっていたのでしょうか。その後男児を産み、彼の妻として静かに暮らしています。源氏の女関係に巻き込まれずにすんだのは幸運だったと言えるでしょう。
そして玉鬘が物語の本筋を離れたことで、がさつで騒々しい近江の君と、落書きのような顔の五節の君も退場します。この近江の君、品がないだけで別に悪い子ではないんですよね。顔立ち自体も末摘花ほど悪くはないわけですし、貴族としての生き方を叩き込めば、案外それなりの姫君になっていたのではないでしょうか。


夕霧と雲居の雁もようやく夫婦になりました。
くるくると表情の変わる雲居の雁は、いつまでたっても可愛いままです。ちょっと丸顔なのがまた、子供っぽさを強調しています。夕霧が後ろから几帳ごと彼女を抱きすくめるシーンは素敵でした。小さい頃の結婚の口約束から、やっとここまで来た、という感じです。


そして、ようやく来ましたね、女三の宮。
虚ろな目をした、人形のような少女として描かれています。彼女が嫁いできてから紫の上はどんどん儚げになっていく気がします。やはり心労からでしょうか。
柏木との密通の場面はやけに生々しかったですが、いやらしさは感じませんでした。三の宮の体つきがまだあまり女らしくなかったせいかもしれません。第4巻は彼女の懐妊が発覚したところで終わります。


かなり物語のペースが早いです。いつの間にか明石の姫君が入内し、懐妊したかと思えば出産まで終わっていました。彼女が入内する際に、紫の上と明石の御方も顔を合わせています。お互いの美しさに息を呑む姿が印象的でした。


宮廷で落ち着いた生活を送る明石の御方に対して、紫の上は終盤で物の怪に取り憑かれて生死の境を彷徨います。やはり、女三の宮が来てから紫の上は明らかに不幸になっています。いえ、三の宮が悪いわけではありません。悪いのはどちらかというと欲を出した源氏の方でしょう。
女三の宮自体は結構好きです。源氏に琴の上達を褒められてはにかんだり、可愛いと思います。

 

 

『第五巻』

源氏が女三の宮の不貞を知る場面から。
激怒していながらも表面上は冷静な光源氏。
三の宮や柏木を表立って責めるような真似はしません。二人の許されぬ関係を自分と藤壺の恋に重ね、あのときの罰を受けているのだといち早く理解するあたり、彼の聡明さが窺えます。自分の事を棚に上げて相手を罵るような恥知らずではないのです。ちくちく嫌味は言いますが。


柏木としては罵られた方が楽だったようで、罪悪感から病になり、そのまま死んでしまいました。そして女三の宮の方も仏門に入ります。こう言っては何ですが、女三の宮は華やかな着物よりも黒染めの法衣のほうが似合っています。
柏木の妻・落葉の宮はその寂しげな名に違わぬ、伏し目がちの儚げな佳人ですが、夫の死後は夕霧と結婚します。宮を恋い慕って若干強引にことを進める夕霧、真面目な彼らしからぬ振る舞いでした。宮が傷つくのも仕方がありませんね。
正室である雲居の雁の方は、怒り方がどことなくコミカルなせいかあまり浮気された女の悲壮感というものがありませんでした。この子は本当に表情が豊かです。一本気なところが『はいからさん』の紅緒に少し似ています。


そして、物語終盤。
病床にある紫の上に、とうとう最後のときが訪れます。
数々の思い出に浸りつつ、周囲に別れを告げる彼女。供養会の美しい光景が印象的です。最後まで世を愛し人を愛し、春の中に溶けるように眠りにつきました。美しい死でした。
紫の上を失い、絶望する源氏の様子は痛々しくて見ていられません。やはり、彼女こそが源氏にとって真実の恋人であったのだろうと思います。何かにつけて亡き人を思い出しては、涙で袖を濡らす毎日です。
明石の御方と二人、紫の上を偲ぶ場面では明石の御方の言葉が源氏に突き刺さります。彼女の言う通り、紫の上は本当に源氏しか頼れる者がいなかったのです。身分は低くとも「中宮の母」として宮廷内で確かな地位を確立していった明石と比べ、紫の上の方は親とも縁遠く、子供もおらず、最後まで「源氏の妻」としての地位しかありませんでした。正妻の座すら女三の宮に奪われ、「妻の一人」に格下げされてしまったときはどれほど不安だったことか。今さらそれに思い当たり、激しく自分を責める源氏。辛い場面です。


出家の前に、彼が自身の恋人たちを思い返すシーンを見ると、ああ、本当に終わりなのだなと思ってしまいます。集合絵にしっかりと末摘花や源の典侍までいるのが良いですね。そして女君たちの顔の書き分けがお見事。顔立ちだけで誰が誰だかはっきりと判別できます。
こうして見ると、藤壺と紫の上は意外と似ていません。顔立ちというよりも目つきの違いでしょうか、藤壺の方はやはりどこか弟を見る姉のような目をしていますが、紫の上は晩年の姿ですら子供のような、あどけない目つきをしています。源氏を「おにいさま」と呼んでいた幼い頃からほとんど変わっていません。


多くの恋をして精神的な深みを得た光源氏が最後にひときわ美しく光り輝くさまは、見ていて感動しました。
女性として、読んでいる間はいろいろと彼に思うところもありましたが、やはり彼自身、素晴らしい人物なのだと実感します。まあ、そうでなければあれほど素敵な女性たちから好かれるわけがありませんよね。
少なくとも、この作品で描かれている光源氏は、その名に恥じぬ、内側から光り輝くような類まれな人物であったと思います。
 

源氏のお話はこれで終わりますが、この後は「宇治十帖」を描いた6巻、7巻に続いています。

そちらは、また明日。

読み返すたびに新たな発見のある作品です。

まだ読んだことのない方にはぜひ読んで欲しいものです。

それでは。

 

 

 

 

【初読】  乙一『ZOO 2』 集英社文庫

 

引き続き、『ZOO 2』を読んでいきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

『血液を探せ!』

1の方が『カザリとヨーコ』から始まったので、今度も暗い話から始まるのだろうと思っていたのですが、こちらは予想に反してギャグテイストのお話でした。こういう軽い文章も良いですね。

主人公の「ワシ」は64歳のシニアです。

大きな会社を所有しており、大変裕福な様子。

十年前の交通事故をきっかけに痛覚を失っているため、怪我をしても自分ではそうと気がつきません。そんな主人公が血塗れの状態で目を覚ますところから物語が始まります。

 

痛みを全く感じない、というのは冷静に考えるとだいぶ恐ろしいですね。主人公にしても、どこから出血しているのか自分では分からず、指摘されるまで体に包丁が刺さっていることにすら気がつきませんでした。コメディタッチで描かれていますが、現実に自分の身に起きたら、と考えるとかなりの恐怖です。

 

明らかに致命傷を負っている主人公。それに対する周りの人物の反応があまりにも不謹慎で笑ってしまいます。遺産目当てで嫁いできた妻のツマ子は喜びを隠そうともせず、長男のナガヲも同様。次男のツグヲはおろおろするばかり。さらに主治医のオモジ医師はボケかけのヤブ医者なのでまったく頼りになりません。懐から錆びたメスを取り出す95歳の主治医、怖すぎます。どうしてこんな人を雇ったんでしょう。

登場人物の名前からしてふざけていますが、話の内容はもっとハチャメチャです。

オモジ医師がなくした輸血用の血液パックを探す一同。見つけた者に全財産をやる、と言われた途端にやる気を出すツマ子とナガヲ、現金すぎます。この二人は妻と息子という立場にも関わらず主人公の身を案じる気が一切ありません。ちなみに、ツマ子は二番目の妻なのでナガヲとの血の繋がりはありません。ツマ子が25歳、ナガヲは34歳。かなり年下の継母です。

そしてこの遺産目当てコンビ、その後もくだらない言い争いで時間を浪費し続けます。出血多量で死にかけている父親を横目に、なぜかカモノハシについて熱く語るナガヲ。そんな話をしている場合じゃないでしょうに。

オモジ医師は主人公の体から勝手に包丁を引き抜いたり、パックを探すことをさっさと諦めて新聞を読み始めたりとやりたい放題。患者を見捨てるのが早すぎます。本当に、主人公はどうしてこんな人を雇ったんでしょうか。

 

目もかすみ、もう死ぬのだなと自覚した主人公。

「親父に多額の保険をかけておいてよかったよ」と言うナガヲ。

「あなた、ちゃんと遺言とか残しているのでしょうね」とツマ子。いっそ清々しいほどの情の無さです。こんな二人にもしっかりと遺産を分配してあげる主人公は心が広いと思います。

そして、不思議な笑みを浮かべるツグヲ。

ここで主人公は、出来の悪い息子だと思っていたツグヲが、親殺しを実行するほどの度胸があったことを知るのです。

 

そう、犯人は次男のツグヲでした。

彼はパックの血液を使って就寝中の父親を血塗れにした後、怪我はどこだと慌てる彼に近づき、その体を調べるふりをして堂々と包丁を突き刺したのです。主人公は痛みを感じないため、刺された瞬間にすらそのことに気がつきませんでした。

血塗れで目覚めたとき、実際は無傷だったということですね。そして血液パックが見つからないわけです。

 

息子の成長を感じ、満足げな様子の主人公。こいつがいるならしばらくは会社も安泰だろう、と安心し、微笑みながら瞼を閉じます。

 

何だか良い話のように終わりましたが、ツグヲに会社を運営する能力はあるのでしょうか。人格的な問題はともかく、ナガヲの方がまだ社長に向いていそうです。

そしてツグヲが主人公を殺害するに至った動機ですが、これは、父親をあっと言わせたかったから、ということで良いのでしょうか。

得意の手品の延長で、華麗なトリックで殺人を行い、父親の驚く顔が見たかった、というのが動機のようなのですが、それが本当だとしたら相当な異常者だと思います。そんな理由で実の父親を殺さないでください。

 

登場人物五人が全員ぶっ飛んだ性格で、ツッコミどころも多く、大変面白いお話でした。

 

 

『冷たい森の白い家』

こちらは一転して、不気味なお話です。どことなく童話のような雰囲気もあります。

作中に出てくる馬小屋、寄宿学校、聖書などの単語から察するに、舞台は外国のようですが、時代の方ははっきりしません。狩りに馬を使う、という部分からかなり昔の話なのかとも思いましたが、どうやら電灯も存在しているようです。現代よりも少し昔の、なおかつ文化の遅れた田舎のあたりという感じでしょうか。

 

タイトルの「白い家」というのは、死体で作られた家のことです。比喩ではなく、文字通り人の死体を組み上げて建てられています。

この家の描写ですが、凄まじい。屋根も、壁も、折り重なった裸の人間が複雑に入り組むようにして建てられている、冷たく白い家。もつれ合う無数の腕や足。何ともおぞましい光景です。

 

そしてこの家を建てた人間こそが、この物語の主人公。自我をほとんど持たない、人殺しの怪人です。言葉を話すことはできるようですが、会話文が一切ないため、人間味のない虚ろな男という印象を受けました。

 

彼は幼少期は叔母たちに虐げられ、奴隷というよりも畜生のように扱われていました。唯一優しくしてくれた赤毛の少女も、そのうち遠くに行ってしまいます。馬小屋で寝起きし、馬糞まみれになりながら働かされ、残飯を食べて飢えをしのぐ生活。顔に大怪我を負い、見るに堪えない容貌になった後で馬小屋からも追い出されます。

その後、彼は成長して殺人鬼になるわけですが、人殺し自体を好んでいるわけではなく、あくまで家を建てるという目的のため、その材料として木を切るような感覚で人の命を奪っていきます。そして死体を積み重ねて家を建てていくのです。

感情も見せず、ただ黙々と家を建て、完成した後はその家の中で膝を抱えて眠ります。

 

彼はただ、安らげる居場所を求めていただけなのでしょう。馬小屋を追い出されたから、それに似せた場所を自分で作った。材料に人間を使ったことにせよ、別に悪意があったわけではありません。それはそれとして罪深い行いであることに変わりはありませんが。

まるで子供のようだと思います。善悪の判断のつかない幼い子供、もしくは本能のままに生きる獣のような。家ができてからは、わざわざ人を殺しに行くこともなく一人静かに暮らしています。

 

物語の後半では、そんな彼の前に一人の少女が現れます。

森の中の醜い怪人と少女は、絵になる光景です。

 

弟の死体の代わりに、生きたまま壁の一部になる少女。家が崩れないよう、冷たく重い死体を必死に支え続ける姿が健気でした。白い家の中で彼女の青い服だけが異彩を放っています。

死体の中で、笑い、話し、主人公の境遇に同情する優しい心の持ち主でしたが、最後には飢えと寒さのため立ったまま死んでしまいます。逃げようと思えば逃げられたはずですが、最後まで壁としての役割を果たしました。

 

そしてそんな少女との約束を守るため、弟の死体を家族のもとへと運んでいく主人公。彼女の死体も一緒に戻してあげようとするのが良いですね。少しは心があるようです。

少女を壁から引き抜いたことで家は崩れてしまいますが、惜しむ様子はありません。あの「家」は彼のすべてであったはずですが、少女の存在が少しは彼の精神に影響を与えたのでしょうか。

 

そして、ラスト。

二人の母親が、昔、自分に優しくしてくれた赤毛の少女だということが判明します。再会を喜ぶ彼女。心根の優しさは相変わらずのようです。なるほど、あの少女の優しさもこの母親譲りだったわけですね。

彼女は主人公の持つ木箱に目を留めますが、中身を腐ったフルーツだと思い、捨てておいてくれないかと軽く告げます。違います、中に入っているのはあなたの愛する子供たちです。

主人公が黙って木箱を馬糞の中に埋め、懐かしい馬小屋の中で眠りにつくところで物語は終わりました。

 

後味が悪すぎます。

 

これではあまりにも少女が報われません。

馬糞の匂いをいやなものだと言っていた彼女が、あろうことかその中に埋められるとは。しかもそれ、肥料になるんですよね?

確かに家族のもとには帰ることができましたが、こんな結末は彼女も望んでいなかったと思います。彼女にしろ弟にしろ、お墓にも入れないなんてあんまりです。

 

この先はどうなるのでしょうか。

主人公は懐かしい馬小屋に帰ってくることができたわけですから、もう新しい家を作る必要はありません。

赤毛の母親は突然行方不明になった子供たちのことを嘆きつつも真実を知ることはなく、このままありふれた平穏な日々が続いていくのでしょうか。

まあ、その方が彼女にとっては幸せかもしれません。真実はあまりにも残酷すぎます。

 

 

 

『Closet』

この物語には、四人の人物が登場します。

長兄で画家のイチロウ、その弟で作家のリュウジ、二人の妹であるフユミ、そしてイチロウの妻・ミキ。

物語はミキを中心として進んでいきます。

舞台となるのは、ミキにとっては義実家にあたる三兄弟の実家です。

 

ミキが過去に犯した殺人、世間では事故とされているものについて、リュウジが彼女を問いただす場面から物語が始まります。

物書きの好奇心はすごいですね。人の不幸さえ小説のネタにするつもりです。

機嫌良く話している義弟に対し、秘密を知られたからには生かしておけぬ、といった様子のミキ。静かに重そうな灰皿を手に取ります。

 

少しして。

殴り殺されたリュウジと、血のついた灰皿を取り落とすミキ。大変なことになりました。

慌てて彼の死体を隠そうとします。隠したところで事態が解決するわけではありませんが。

ここで登場するクローゼットは、イチロウの部屋にもまったく同じものがあるようです。鍵のかかる仕様で、両開きの扉に植物の彫刻があります。巨大な黒色の箱みたい、というミキの感想から、棺桶を連想させます。人一人くらい、ゆうに入る大きさです。

これ以降の、リュウジの死を隠したいミキとそんな義姉を怪しむフユミの静かな攻防は読んでいてドキドキしました。この義妹、なかなかに鋭いです。

 

この物語に限りませんが、罪を犯した主人公がばれやしないかとびくびくしている様子は、読んでいるこちらにまでその恐怖と焦りが伝染してくるように感じられますよね。突然ドアがノックされたり、近づいてくる足音が聞こえたりして、思わず一緒に飛び上がりそうになったり。サスペンスの醍醐味です。

 

終盤、クローゼットの前でミキを問い詰めるフユミ。完全に義姉がリュウジを殺してクローゼットの中に隠したのだと確信しています。

「違う、誤解よ!」と言い張るミキ。

いや、もう観念して白状した方が良いのでは、と私も思ったのですが、その後の彼女の発言で、おや?と首を傾げることに。

どうやら、本当にミキはリュウジを殺してはいないようです。

 

乙一さんの叙述的なトリックに見事に引っ掛かってしまいました。

実際は、ミキが少しその場を離れていた隙に、リュウジは何者かによって殺害されていたのです。彼女が死体を前に灰皿を取り落とすシーンは、部屋に戻ってきた彼女が死体を発見し、驚きのあまり凶器とおぼしきものを手に取って呆然としていただけ、というのが正解だったようです。紛らわしい。私も完全にミキが殺したと思い込んでいました。作者の策略に嵌ってしまったようで、少し悔しいです。

ミキも、自分が一番疑われやすい立場だと理解していたからこそ、咄嗟に死体を隠してしまったんですね。凶器の灰皿にも指紋があるわけですし。

彼の死体は実際にはミキのトランクの中です。クローゼットの中に隠そうとした描写すらフェイクだったとは、ここでも作者に騙されました。

 

では、リュウジを殺したのは誰なのか。

ミキへの疑いも晴れたところで、話し合う二人。

そして、その犯人こそが今このクローゼットの中に隠れているのだと判明します。

意を決し、扉を開ける二人。

 

そしてラスト、

【「開けて中を確認しましょう」

フユミがそう言ってそろそろと扉を開けると、汗だくになりながらクローゼットの隙間から目を凝らしていたぼくと目があった。妻と妹の顔は血の気が失せて死んだ人間のような顔色になった。】

 

まさかここで一人称を使うとは。

同作者の『GOTH』を読んだ時にも思いましたが、乙一さんはこういった叙述的なトリックが本当にお上手だと思います。おかげでこちらは終始振り回されっぱなしでした。

 

イチロウが弟を殺した理由は、弟が妻の秘密を知ってしまったから、のようです。妻を愛していたからこそ、彼女の秘密が漏れないように殺したということでしょうか。ですが、それにしてはミキをリュウジ殺しの犯人に仕立て上げようとしていたり、行動に一貫性がありません。

まあ、実の弟に変質的と評されるくらいですから、少し変わった精神構造をお持ちの人物なのでしょう。

この後、三人でリュウジの死を隠蔽したのか、気になるところです。

 

 

『神の言葉』

主人公の少年は不思議な「声」を持っています。

彼が念じながら言った『言葉』は現実になるのです。つまり言霊のようなもの。花に「枯れろ」と言えばその花は枯れ、犬に「服従しろ」と言えばその犬は服従します。もちろん人間相手にも有効で、相手の意思をねじ曲げることも、言葉一つで相手を殺すことさえ可能です。この手の能力によくある「一人につき一度しか使えない」などといった縛りもありません。「『言葉』の力で起きた結果をなかったことにはできない」という制約はあるものの、それ以外の点ではほとんど万能の、まさに神のごとき力です。便利ですね。

 

アニメ『コードギアス』を思い出しましたが、この『言葉』はギアスよりもずっと自由度の高い能力です。

 

ストーリーとしては、主人公が周りの人間に『言葉』を使う様子が何度か描写されたあとの、畳み掛けるような展開が印象的でした。

机に残された謎の傷跡、引き出しの奥から漂う腐臭。そして『言葉』の力が世界に及ぼした影響について。

精神的に不安定な人間が持つには、あまりに強すぎる力でした。

テープの声が告げる現実と虚構、あの机が現実の世界と繋がっているわけですね。自分自身に暗示をかけて何度も同じ日々を繰り返している、という悪夢のような流れは『ZOO』と似ています。

 

ストーリー展開自体もかなり独特なのですが、それよりも個人的には主人公の人物像の方が印象的でした。

 

彼自身は己の本質を、何か非人間的なもの、普通の人間とは異なるもののように捉えているようなのですが、結局のところは、周りの目を異常に気にしているだけの、ただの臆病な人間であったのだと思います。

他人と比べて自分がどう見えるのか、それにばかり気を取られていた彼は、常に模範的な人間であろうとし続けていました。そして、最終的にはそんな生活に疲れてしまったのだと、私はそういう解釈をしています。外でも家でも良い人間を演じ続けていたら疲れるに決まっています。自然体に振る舞う弟のカズヤが憎らしく思えるのも、そういう理由からでしょう。

何が彼をそうさせていたのかは分かりませんが、とにかく、彼が他人の目というものを異様に気にかけていたことは確かです。

 

そして、その苦しみから逃れるために彼は『言葉』の力を使います。

他人の目が気になるなら、他人がいなくなればいい。

そういう結論を出してしまうほどに、もう何もかもが嫌になってしまったのでしょう。

 

最終的に『言葉』の力で世界のほぼすべての人間を殺し、一人きりになったことで、ようやく心からの安らぎを手に入れた主人公。ついでに人間以外の動物も犠牲になっています。

 

主人公の身勝手さによって理不尽に殺された人々はもちろん気の毒なのですが、私には彼ら以上に主人公の身が哀れでなりません。

一人きりで、他人の目を気にせずに生きることはそれは楽でしょう。

けれど、テープの言葉が事実であるなら、彼は赤色の生臭い町の中で、誰もいない改札口に定期を掲げ、誰もいない学校に行き、他人の存在する世界の夢を見ながら、実際にはたった一人で虚しく動き続けているわけです。そんな状態を果たして「生きている」のだと言えるでしょうか。

安楽さがすなわち幸福であるとは、私にはどうしても思えないのです。

あの結末で、本当に主人公は救われたのでしょうか。自分に暗示をかけて記憶を消すあたり、彼自身、己の行いに対する後悔があることは明白です。

彼が人並みの幸せを手に入れる方法が、何か他にもあったのではないか、と考えてしまいます。

 

 

『落ちる飛行機の中で』

主人公は若い女性です。

ハイジャックされた飛行機の中で、同乗していたセールスマンの男から突然、安楽死の薬を買わないかと持ちかけられる主人公。犯人の目的が飛行機の墜落である以上、死ぬのは確実なのだから、その前に安楽死しないか、というわけです。墜落死と安楽死、まあ後者の方が理想的でしょう。

座席の陰でこっそり会話をする二人。

最終的に彼女はその薬を購入するのですが、そこに至るまでの流れが非常に愉快です。緊張感あふれる機内で繰り広げられる、コミカルな会話。全財産と引き換えに薬を売ってやる、という男に対し、一万円にしてくださいと値切る主人公、ちょっと常人とは思えないメンタルです。他の乗客たちが命がけでハイジャック犯を取り押さえようとしている間も、この二人だけ気の抜けたやり取りを続けています。

最終的に、二人の会話に興味を持ったハイジャック犯まで話に参加してきます。

 

彼女らが乗っているのは国内線です。

ハイジャック犯は、五度目の大学受験に失敗した無職の浪人生です。自暴自棄になってT大学の校舎に突っ込もうとしています。巻き込まれた乗客たちにしろ、T大側にしろ、いい迷惑ですね。ちなみに東京大学だそうです。

このハイジャック犯の男の子なのですが、結構良いキャラをしています。見た目は地味でひ弱そうな、ザ・いじめられっ子といった風貌。性格の方も見た目に違わず、気弱で真面目です。偏見かもしれませんが、こういうタイプは自棄になると極端な行動に走りがちというイメージがあります。

趣味で漬物を漬けることに凝ったり、その漬物を販売して結構な収入を得ていたり、なかなか人生楽しそうだと思うのですが、本人はT大に入学することだけを目的に生きていたので、五度目の受験に失敗した時点で何もかもどうでもよくなってしまったようです。話を聞けば、幼い頃からT大に入れと母親に言われ続けていたとのこと。それはまあ、歪んでしまうかもしれませんね。

 

彼の片手には怪しげな中国人から買ったという拳銃が。警備員には札束で頬をぶって見逃してもらったそうです。職務怠慢!

彼を取り押さえようとする乗客たちが、ことごとく空き缶に躓いてすっ転んでしまうのが愉快です。そして彼に撃たれてしまいます。いえ、当人たちにとっては笑い事ではないでしょうが。

 

「この男の子は必ず飛行機を墜落させるだろう」と確信し、安楽死することを決意する主人公。

「あなたの死を無駄にはしません」と、飛行機を落とすことへの意気込みを見せるハイジャック犯。ひどい会話です。

が、結果的に薬は効かず、飛行機の墜落の方も未遂に終わります。

 

主人公やセールスマンの男、他の乗客たちが生き残ったことは良かったのですが、最終的にハイジャック犯の子が死んでしまったのは少し残念です。人を大勢殺してはいますが、私は彼が好きでした。最後の、霜の綺麗な朝の話と、安らかな表情、それから握っていた万年筆が切ない。彼はいったいどこで道を間違えてしまったのか。

 

しかし、結果的に彼の行動は主人公の心に大きな影響を与えました。

物語ラストの、彼女の行動と選択は興味深いものです。ある意味では、彼女は彼によって救われたのかもしれません。

 

 

『むかし夕日の公園で』

非常に短いため、ストーリーの説明が難しい作品です。『1』『2』の全ての収録作品を合わせた中でも、私はこのお話が一番好きかもしれません。

この少ない文字数で、これだけ気味の悪い、ぞっとするような世界を描き出すことができるのは本当にすごいと思います。

非常に完成度の高いホラーでした。

しばらく公園の砂場を直視できないかもしれません。

 

 

以上、6編。『1』と合わせて全11編です。

こちらに収録されているものの方が、よりライトなエンタメ小説というような印象を受けました。

コミカルなもの、グロテスクなもの、感動できるものが入り混じっており、さらに世界観や時代設定もそれぞれに異なっている、まさに「短編集」といった独特な趣のある2冊でした。

どのお話もそれぞれに面白かったです。乙一さん、ありがとうございました。

『GOTH』の方も、文庫本は分冊になっているんですよね。そちらも読み返したいのですが、あいにくと近所の書店には表紙に「TH」と描かれた後半の「僕の章」の方しか置いていません。それを見ると、まあまた今度買えばいいか、と思ってつい先送りにしてしまいます。そろそろ、取り寄せてもらうなり、ネットで購入するなりしようと思います。

それでは、この辺で。

 

 

 

【初読】  乙一『ZOO 1』 集英社文庫

 

こちらも妹から借りました。

昔に書店で見かけたときは単行本だったので、お財布と相談した末購入を諦めたのですが、こちらは文庫版。文庫版は2冊に別れているんですね。

5編収録された短編集。ほとんどが暗めのお話です。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

『カザリとヨーコ』

「ママがわたしを殺すとしたらどのような方法で殺すだろうか」

冒頭の一文からすでに不穏です。

双子の妹・カザリばかり可愛がり、主人公のヨーコを虐待するママ。それも、食事を抜いたり叩いたりなどという生易しいものではありません。虫の居所が悪いと、目が合っただけで包丁を投げつけてきます。とんでもない母親です。

何かと理由をつけては、歯を折ったり、タバコの火を押し付けたり、灰皿で殴ったり。もはや拷問です。なぜヨーコがそこまでママから憎まれているのかは分かりません。

ママは家の中でだけ強気になるタイプで、外でのストレスを全てヨーコにぶつけて発散しています。実の娘をサンドバッグ代わりにするなんて、母親としては最低です。どうしてそんなひどいことができるのでしょう。虐待はこの家に父親がいないことと何か関係があるのか、それともママ自身が幼少期に虐待を受けていたりして、娘に同じことをしているのか、などといろいろ推測してみましたが、まあ、どんな理由があるにせよ、決して許して良い行いではありません。

カザリに対しては良い母親として振る舞っているのがなおさら酷いです。

妹のカザリの方は、性悪で、姉を見下しては悦に浸る嫌な子です。が、これは母親の教育が原因でしょう。ある意味では彼女も被害者です。本来はヨーコと同じくらい素直で優しい性格で、ヨーコの方もまた、真っ当に育てられていればカザリと同じように明るい女の子になっていたのだろうと思っています。一卵性の双子で、じゃんけんで三十回連続であいこになるくらい、本質的な差異はない姉妹なわけですし。

 

台所で寝起きし、妹の食べ残しを食べ、学校でも周りから白い目で見られているヨーコ。そんな自身の生活を淡々と受け止めているあたり、辛さや苦しさを感じる心はだいぶ麻痺してしまっているようです。しかし、これまでに何度もビルの屋上から飛び降りようとしていたり、現状に何も感じないわけではありません。あくまで苦痛に慣れているだけです。

そんなヨーコにとって、スズキさんや犬のアソとの交流は、唯一安らげる時間だったのだろうと思います。一緒に食事をしたり、散歩に行ったり。ヨーコがスズキさんのお手伝いをしている様子は、おばあちゃんと孫そのものでした。

特に印象深いのは、二人が一緒に旅行に行こうと話している場面です。

「旅行に出たままもう戻ってこなくてもいい?」とたずねるヨーコに対し、

「ええ、そのまま世界を旅しましょう。あなたをわたしの孫ということにして」と答えるスズキさん。

もしかすると、スズキさんはヨーコの「優しいママと妹がいる」という話を嘘だと見抜いていたのかもしれません。汚れた服にぼさぼさ頭の彼女の様子は、とても話通りの幸福な女の子には見えませんから。

この場面のヨーコは作中で一番幸せそうです。

このまま本当に、二人でと一匹で世界中を旅して欲しかったところです。

が、そんな幸福な夢はあっけなくやぶれます。大好きなスズキさんは風邪をこじらせて亡くなってしまい、自分を待っているのは性悪な妹と悪魔のような母親だけ。どこにも逃げ場はありません。地獄です。

 

状況を考えると、物語の最後にヨーコがとった行動はそう意外なものでもありませんでしたね。代わりに死んだ片割れは可哀そうかもしれませんが、もうこれしかヨーコが生き残る方法はなかったと思います。

我ながら意地の悪い興味ですが、ママの反応を見てみたいところです。自分が殺した方がカザリであることを知ったら、一体どんな反応をするのでしょう。そもそも、服を交換した程度で取り違えるあたり、彼女の愛情がいかに表面的であったかが窺い知れるというものです。

結局のところ、どちらでも良かったのだろうと思います。子供が二人産まれたから、片方を可愛がって片方は鬱憤晴らしのサンドバッグにした。そしてたまたまサンドバッグ役が姉のヨーコだった、ということなのでしょう。何なら、カザリを異常に可愛がることすらヨーコに対する精神的虐待の一環だったのでは。

 

ラストシーン、アソを連れて夜の闇の中に消えていくヨーコ。行くあてもなくお金もなく、とても希望があるとは思えない逃避行です。できるだけ遠くまで行って、安らげる居場所をどこかに見つけることができれば良いのですが。

どうか、強かに生き延びて欲しいものです。

 

 

『SEVEN ROOMS』

道を歩いていたところを突然何者かに襲われ、見知らぬ部屋に閉じ込められてしまった「ぼく」。怖すぎます。おそらく日中の、ごく普通の遊歩道を歩いていただけなのに。

主人公の「ぼく」は十歳の少年、隣には一緒に誘拐されたもうすぐ高校生になる姉の姿があります。

二人が閉じ込められているのはコンクリート製の小さな四角い部屋で、窓はなく扉は重い鉄製、頭上には裸電球が一つ。それから排水路らしき、怪しげな溝が一本。どう考えてもまともな用途に使われている部屋ではありません。

外に人の気配はあるものの扉が開かれることはなく、毎朝食パンと水だけが扉の下の隙間から差し込まれます。犯人の意図が分からず、神経をすり減らしていく二人。脱出の手掛かりはないものかと、行動を始めます。

汚水に潜って排水路づたいに部屋を移動する、という主人公の決死の努力の甲斐あって、全部で7つの部屋が並んでいること、自分たちの他にも囚われている人がいることが判明します。主人公、勇敢ですね。状況が状況とはいえ、悪臭を放つ濁った水の中に潜るのは、なかなか勇気がいる行為です。しかも溝の用途が判明してからも潜り続けますからね。豪胆にも程があります。

 

一日に一人ずつ部屋の中で殺され、空いた部屋はまた人で補充される。それがこの部屋の真実でした。どの部屋にも、女性が一人。主人公たちの場合は子供なので二人で一部屋にされたようです。

とんでもない異常者に捕まったものです。脱出不可能な部屋の中、ただ死を待つばかりとは。あまりにも理不尽で怒りすら湧いてきます。どうして彼らがこんな目に?

そしてバラバラにされたあと、死体は例の溝に流されます。それを見ながら、自分たちが殺される順番を指折り数えて確認する主人公。むせび泣く姉と比べて、ちょっと冷静すぎやしませんか。

 

部屋の構造と自身の運命を理解してからの、主人公の異様な落ち着きは印象的でした。まだ十歳の男の子が、死を前にして泣きも喚きもせず、痛いんだろうな、などと考えている。

他の犠牲者たちにしろ、これから自分が殺されることを知っているにも関わらず、直前まで主人公と穏やかに話していたり、歌を歌ったり。もう諦めていたのでしょう。助かることはないと。

だからこそ、最後まで諦めなかった姉の姿が際立っていました。

 

運命の日、部屋にやってきた男に対し、囮になって注意を引く姉と、隙をついて部屋を飛び出す主人公。手はず通り、彼は部屋の外から閂をかけます。これで部屋の中には男と姉の二人きり。男を逆に部屋に閉じ込めてやったわけです。一緒に閉じ込められた姉の方はこれから惨たらしく殺されるでしょうが、少なくとも主人公や他の人々は脱出することができました。

姉の献身には、言葉もありません。

このまま主人公たちが無事に脱出を果たして、家族と再会できれば良いのですが。

階段を上った先は明るい外の世界のはずです。まさか、さらなる絶望が待ち構えているとか、そういう展開ではないと思いたいのですが、可能性がないわけではないので若干不安です。

 

犯人の男については、性別以外の情報が一切不明、というのが非常に不気味でした。

最後まで読んでも、ただ機械的に人間を切り刻む謎の男だということしか明かされませんでした。顔の無い、死神のような存在です。やっていることから考えて猟奇殺人鬼のたぐいなのでしょうが、それにしては殺人を楽しんでいる様子などが全く見られません。犠牲者を切り刻むときも棒立ちのまま無感動に電動のこぎりを突き刺すのみで、むしろ仕事でやっているのだと言われた方が納得できるような様子でした。本当に何者だったのでしょう。

勝手にホッケーマスクか麻袋を被っている姿をイメージしていましたが、これはたぶん電動のこぎりを持っていたせいですね。本文中にそんな描写は一切ありませんでした。

 

 

『SO-far そ・ふぁー』

タイトルが掛詞。センスを感じます。

複雑な三人家族の生活のお話です。主人公の「ぼく」が幼稚園児だったころ、突然、お父さんは死んだのよと言い出した母親。そして全く同じタイミングで母さんは死んだんだと言い出した父親。しかし主人公にはどちらの姿も見えています。

主人公からすれば確かに二人とも存在しているのに、父親と母親はお互いの存在を認識していません。母親は二人分しかご飯を作らず、父親はコンビニ弁当を二つ買ってきます。当然ながら戸惑う主人公。不思議なことに、父親には母の作ったカレーライスは見えていないのです。

そのうちに、そんな状況にも慣れてきた主人公は二人の通訳をし始めます。居間のソファーの左手に母が、右手に父が「ぼく」を挟んで座っており、二人はお互いの姿は見えていないものの、「ぼく」を通して会話をすることができます。「お父さんにこう伝えてちょうだい」「母さんにこう言ってくれ」と、伝言ゲームのように。

 

このお話は展開が面白いですね。

主人公はある時を境に父と母の片方ずつしか認識できなくなり、父といるときは母の姿が、母といるときは父の姿が見えなくなってしまいます。

そしてその後、父より母と生きることを選んだため、父の姿を完全に認識できなくなってしまいました。

 

現在、「ぼく」は中学生。

当時の両親が「夫婦喧嘩をした後で、お互いが死んだことにして生活していた。子供にもそう言い聞かせてつき合わせていた」のだということを、今では理解しています。けれど今でも父の姿は見えないままで、父に触れられても何も感じません。一種の自己暗示のようなものでしょうか。現実にもあり得そうなのが面白い点です。

このオチは強烈で、印象に残りました。夫婦喧嘩に巻き込まれた少年の悲劇。ですがまあ、本人が満足そうなので一応はハッピーエンドなのでしょう。歪な形とはいえ、これからも家族三人で暮らしていけるようですし。

 

そもそもこの両親、お互いを無視するだけでは飽き足らず、相手を死んだものとして扱うというあたりなかなかに陰湿です。そして相当な演技派。いくら主人公が幼かったとはいえ、よくもまあ、ぼろを出すことなく彼を騙し続けることができたものです。お互いが見えてないように振舞っている場面は、とても演技とは思えないほど真に迫っています。なんでしょう、非日常を演じるのが楽しくなってきて、つい演技に熱が入っちゃったんでしょうか。

 

 

『陽だまりの詩』

これは心温まるお話でした。

主人公は精巧な機械でできた女性。ロボットやアンドロイドという言葉は使われませんが、それに類する存在です。

舞台は近未来か、遠い未来か、それともパラレルワールドなのか、はっきりしません。この世界の人類は病原体によって死に絶えています。主人公は、おそらく人類最後の一人であろう、「彼」の死を看取り、埋葬することを目的に、「彼」自身の手で作られました。

これは彼が死ぬまでの、二人で過ごす時間を描いた物語です。

 

感情を持たない存在が人間らしい感情を手に入れる、という展開は、ありきたりではありますがやはり良いものです。

また、主人公を取り巻く環境が非常にのどかで、素敵です。丘に広がる緑の草原、植物に覆われた家、麓に見える廃墟。木々を揺らす風の音、庭の芝生の上をゆったりと舞う蝶。人間のいない世界はどこまでも穏やかで、時間がゆっくりと流れているようです。

彼と過ごす時間も、同じように静かでゆったりとしたものです。コーヒーを淹れ、畑の野菜でサラダを作り、レコードをかけては二人で向かい合ってチェスをしたり。良いですね。私もこんな風にのんびり暮らしてみたいものです。

 

美しいものに囲まれて、だんだんと情緒を発達させていく主人公。

窓の飾りが風に揺られて鳴るのを、「風の作り出した音楽」と表現できるようになったことで、自身の心の成長を自覚します。以前は規則性のないただの高い音、という認識しかできませんでした。ひと月でよくここまで成長したものです。

そして、「死」というものを理解してから、彼女はより一層人間味を増していきます。

彼を失うことへの恐れ、自分に心を与えたことに対する恨み。彼の死期が近づくにつれ、沈み込んでいく主人公の姿は見ていて胸が痛くなりました。

 

最後には、彼の正体が実は人間ではなく、彼女と同じ機械であったことが判明します。

心を得てから、一人きりで過ごした二百年は彼にとってどれほど長く感じられたのでしょう。死の直前ではなく、もっと早くに主人公を作っていれば、と、私としてはそう思わずにはいられません。

彼の死後、一人残される彼女の孤独もまた、どれほどのものか。

 

しかし、彼女は彼に感謝を告げるのです。

心などなければ良かったと思いつつ、それでも、心があるからこそ世界の輝きに触れることができたのだと、そう言います。

 

愛すべきものを知り、苦しみや悲しみさえ、生きていくうえでかけがえのないものなのだと理解した主人公。

悲しみの中ですらこう考えることのできる彼女は、やはり普通の人間とは少し違うようです。

おいていかないで欲しい、ひとりにしないで欲しいと縋りついても許される場面でしょう。自分に心を与えた彼のことをもっと恨んだとしても当然だと思います。けれど彼女はそうはせず、悲しみや恨みに押し潰されることなくまっすぐに自身の命と向き合い、今ある生に感謝すらしています。その物分かりの良さが、逆に切なく感じられました。

 

読み終えた今、もう彼女をただの機械だと思うことはできません。

主人公にしろ彼にしろ、根本的に、人間よりもずっと賢く純粋な存在なのだと思います。彼らの性質は一般的に「ロボット」という言葉から連想されるような無機質なものではなく、もっと無垢な、子供の純真さに近いものなのではないでしょうか。少なくとも、主人公が自然の中で情緒を育んでいく様子は「機械の学習」と呼ぶにはあまりにも伸びやかで、生の輝きに満ちていました。

そして、最後の彼女の俯瞰的なものの見方は、もはや人間というよりも仙人や悟りを得た者の考え方に近いものだったと思います。あの場面で彼女が一気に老成したような、そんな印象を受けました。

 

少し、主人公のその後の様子を想像してみます。

彼女自身は、自分が彼と同様孤独に耐え切れずにいつか機械の人間を作ってしまうかもしれない、と考えています。

けれど、そうでしょうか。私は、彼と彼女には大きな違いがあると思います。

彼女は、いつか、一つの生命として命を次に繋げるために、そしてその「子供」が自分と同じように世界に触れ、心を育てていくことを望んで、子を産む母のような気持ちで新たな命を創造するのではないでしょうか。自分の孤独を紛らわすためではなく。彼女の最終的な精神の様子を思えば、そういう可能性も十分にあり得ると思っています。

そして最期はその子供に見守られながら、生き切ったという満足感の中で機能を停止し、あの白い墓に埋葬される。あくまで私の想像ですが、そんな終わりであれば良いものです。

彼と同じならばあと二百年。その長い時間が彼女にとって有意義なものであることを願わずにはいられません。

穏やかで美しいお話でした。

 

 

『ZOO』

表題作です。ひたすら陰鬱な雰囲気で物語が進んでいきます。前の話からすごい落差です。

「ZOO」というのは主人公の「俺」が以前に恋人と観た映画のタイトルです。動物や野菜が腐っていく様子を、映画の主人公が早回しで撮影する、というカップルで観るのはちょっとどうかと思うような内容の映画。そして映画館を出た後に見つけた看板にあった文字も「ZOO」。こちらは動物園の看板ですね。

物語の開始時点でその恋人は死亡しており、主人公の家の郵便受けには毎日彼女の死体の写真が入れられています。つまり、何者かによる他殺。その写真をPCのソフトで連続再生すると、彼女の身体がだんだんと腐っていく様子がはっきりと分かります。彼女を殺した犯人が、わざわざ毎日死体の写真を撮って主人公に送りつけているのです。

「犯人を探し出す……」と呟く主人公。

ええ、ここまでは「主人公が殺人犯を突き止めて彼女の仇を討つのかな」と思っていました。ここまでは。

 

直後に、犯人は主人公自身であることが明らかになります。

殺害の理由は、彼女に振られたことが受け入れられなかったから。意外と単純な理由です。

感情にまかせて殺したものの、自責の念に耐え切れず、彼女を殺した犯人は別にいるのだと思い込むことで現実から逃避している主人公。

彼女は行方不明として扱われており既に警察による捜索も打ち切られているのですが、主人公は彼女の生前の写真を道行く人に見せ、この人の行方を知らないかと毎日聞き込みをしています。が、当然それも演技なわけです。そして、そんな「恋人を失った哀れな男」を警察や周囲の人間が疑うはずもありません。彼女の死を知っているのは主人公ただ一人のみです。

 

特徴的なのは、彼が他人の目を欺くためというより、自分の罪悪感から逃げるために演技しているということです。そのため、一人きりのときでも「犯人を捜す自分」を演じ続けます。周りに聞いている人間は誰もいないのにも関わらず、「そうか、犯人は俺の車を使って彼女を誘拐したんだな」などと一人で呟いてみせます。しかし、本当は自分が殺したことを知っているのです。

自首することができないのも、罰を受けるのが怖いからというわけではなく、「自分が彼女を殺した」という事実が明らかになってしまうのが怖いからです。愛する彼女への罪悪感。彼女の死を悼んでいるわけではないあたり、彼にとっては「自分が手にかけた」という事実しか重要ではないのでしょう。

 

死体の写真も、自分で撮って郵便受けに入れておいたものです。毎朝、この写真を手に取るところから、主人公の矛盾に満ちたむなしい一人芝居が始まります。

セリフを読みあげるようなわざとらしい演技に対し、モノローグでは終始冷静なのが不気味でした。主人公の疲弊しきった精神状況が窺えます。

 

主人公が「俺を振ったあの女が悪いんだ。殺されて当然だ」と開き直れる性格であれば、もしくは、犯した罪の大きさに怯えてすぐに自首するような小心者であったなら、事はもっと単純だったのですが、異常さもまともさも中途半端すぎたせいで、こんなに事態がややこしくなってしまったのでしょう。

 

毎日毎日一人芝居を続け、「自首しよう」「いや、できない」の繰り返し。ぐるぐる、ぐるぐる、本当に悪夢のようです。百日以上もあの一連の一人芝居を続けていたのだと思うとぞっとします。記憶の中の、つぶれる寸前の動物園。檻の中をぐるぐる歩き回る醜い猿と自分を重ねたり、もう正気を失う一歩手前まで来ていました。良かったです、最後に解放されて。

 

腐敗しきって乾燥し、虫すら寄り付かなくなるまで穴の中に放置された彼女は気の毒でしたね。

 

 

以上、5編でした。

ずいぶん長くなってしまいました。

どれもテイストが違い、読んでいて面白かったです。

続けて『ZOO 2』を読んでいきたいと思います。

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

【再読】  草野たき『ハチミツドロップス』 講談社文庫

 

久しぶりに再読。

高校生の話だと思い込んでいたのですが、途中で中学校が舞台だということに気がつきました。記憶違いですね。

主人公は中学三年生でした。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

女子ソフトボール部の部員たちが、更衣室で駄弁っているところから始まります。

このソフトボール部ですが、運動部とは名ばかりで、集まってはお菓子を食べたりお喋りしているだけのだらけきった部活です。練習も真面目にしない、試合にも不参加、というやる気のなさから「ドロップアウト集団のくせに、部活の甘くておいしいとこだけを味わってるやつら」、通称「ハチミツドロップス」と呼ばれています。なかなか気の利いた蔑称だと思います。

主人公のカズはキャプテンですが、当然真剣に部活動をしようなどという気は一切ありません。というか、そもそもソフトボールにそれほど興味がないようです。さすがにルールくらいは把握していると思いますが。

 

お調子者で、やかましくて、彼氏の直斗のことで頭がいっぱいで、ちょっとおバカ、カズはそんな中学三年生の女の子です。常にハイテンションなので、現実で出会ったら少し付き合いづらい相手かもしれません。

ただ、彼女は空気が読めないわけではなく、空気を読んだうえであえて明るく振舞っているタイプの子です。シリアスな雰囲気が苦手なので、相手が暗い顔をしているときほど、意識して「カズらしく」はしゃいでみせます。空気を読むことにはむしろ長けていて、電話越しでもすぐに相手の機嫌が悪いことを察知できるほど。それでもいつも通りに明るく振舞い、電話を切った後でどっと疲れる姿がリアルです。

そして直斗に対しては本当に一途。電話する前には、緊張して話が途切れたりしないように話題をいくつかメモしておいたり、自分はコーヒーが苦手でも彼に合わせて何度もデートでスタバに行ったり。スタバの店内で、コーヒーの匂いを嗅がないよう口呼吸するカズ、健気です。まあその後、振られてしまうわけですが。

 

直斗に別の好きな子ができてしまった以上、もうカズがどれだけ彼のことを好きでも、どうしようもありませんよね。残酷ですが、仕方がない。気持ちが無いまま付き合い続けてもどちらも幸せにはなれませんし、はっきりと別れを告げた直斗はまだ誠実だったと思います。カズといて楽しかったのは本当でしょうが、恋愛感情としては弱すぎたようです。

そして、振られた時ですら明るくおどけてみせるカズ。直斗の罪悪感を減らすため、というよりは自分の心を守るためでしょう。空元気で喋り続ける姿がとにかく見ていて痛々しかったです。手を振って笑顔で別れ、一人になった途端ベンチにへたり込んでしまうカズ。吹きつける冷たい風の中、「よくやった、カズ」と呟く姿が哀れみを誘います。

直斗と別れたことに対して、友達にも家族にも同情されたくない、と思っているあたり、彼女はプライドが高いのかもしれません。

 

失恋の後は、やる気のある一年に部活を乗っ取られ、「ハチミツドロップス」という居場所まで失ってしまうという踏んだり蹴ったりな展開に。その「やる気のある一年」の筆頭は妹のチカちゃんです。チカちゃんは姉のカズに対してもほとんど関心を示さない、クールで真面目なキャラクターとして描かれています。

今さら真面目に練習なんてやってられるか、とさっさと去って行った他メンバーに対して、一人残った矢部さんが好印象を残しました。彼女はソフトボール自体が好きな、素直で良い後輩です。終盤で彼氏持ちであることが判明しました。ちなみにソフトボール自体はそんなに上手くありません。練習頑張れ。

 

そして「ハチミツドロップス」解散後の他三名それぞれの様子。

生意気な後輩・田辺さんはカズを遊びに誘います。ナンパされるのが目的なので当然かもしれませんが、女を前面に出したコーディネートに、メイクもガッツリ、中学生とは思えぬ挑発的な格好で渋谷を闊歩します。あまりの品の無さに言葉を失うカズ。中二ということは、田辺さん、まだ十四歳くらいですよね?確かにダサいかもしれませんが、私はカズのシャツとジーンズの組み合わせくらいが年相応だと思います。

この二人は、楽しそうに喋っていたかと思えば突然不機嫌になったりと情緒不安定な田辺さんに対し、連れ回されているカズの方は終始冷めているのが印象的でした。この時点で、「カズらしく」振る舞うことにだいぶ疲れてきているようです。

 

真樹に関しては、当人よりも、彼女にぞっこんな三田村の方がより強調されて描かれているように感じました。坂本龍馬ファンの真樹に好かれるため、髪を伸ばしたりブーツを履いてみる三田村。そしてそんな彼の努力を嘲笑いつつ、良いように使っている真樹。高身長で顔も悪くない三田村に対し、真樹の方は太っていて美人でもない、というのも面白い点です。

三田村の一途さを自分と重ね、思わず真樹を責めてしまうカズの気持ちはよく分かります。でもカズ、三田村はバカだし、真樹も何だかんだ相手してあげてるし、その二人は意外と上手いことやってるから放っておいて良いと思いますよ。

 

最後の一人、クールで毒舌な高橋は、家庭教師に失恋して不登校に。強がって失恋の痛みを誤魔化そうとする姿が精神的に不安定なカズのカンに障り、言い合いになってしまいます。ここ、作中で一番好きな場面です。高橋の部屋で大泣きする二人、良いですね。それぞれ「カズらしく」「高橋らしく」振る舞うことで本心を隠し続けていたこと、それがお互いの間に壁を作っていたことにカズが気づく、重要な場面です。

 

旧女子ソフトボール部「ハチミツドロップス」は、それぞれが表面的に「自分らしく」振る舞うことで成り立っていた場です。そこでは悩みも全て、くだらないお喋りの中で笑い飛ばすことができました。その場がなくなってしまった以上、これからはそれぞれの悩みはそれぞれで受け止めて解決しなくてはいけません。

居心地の良い「ハチミツドロップス」を返して欲しいとカズに訴える田辺さんの気持ちも理解できます。ですが、人生には真剣さも必要なのです。気楽さだけで生きていけるほど、世の中は甘くはありません。今はそれを受け入れることができない田辺さんも、もう少し大人になれば自然と現実を見ることができるようになるでしょう。

 

最後、直斗に本当は振られて辛かったのだと伝えるカズ。成長しました。

自分の在り方について悩んで、迷って、最終的にはその悩みに答えを出すことができた彼女は立派だと思います。「カズらしさ」を演じることで心を擦り減らしていく彼女の姿は見ていて辛いものがありましたし、ほんの少しでも、カズが自分を偽らずに生きられるようになったのは良かったと思っています。

 

それから、カズの家族について。

娘二人が気を遣う原因となっているのは、父親の無頓着さと母親の不安定さでしょう。物語自体がカズの目線から描かれているから、というのもあるでしょうが、この二人の親らしい部分があまり見られず、カズやチカちゃんが家庭を保つため頑張っている様子が多いためなおさら、両親はもっとしっかりして、と思ってしまいました。まあ、この二人は置いておくとして、印象深いのはやはり妹のチカちゃんでしょうか。魅力的なキャラクターです。

自分の本心を偽ることに器用すぎたカズと、冷静で、傍目には姉よりよほどしっかり者に見えるけれど、実際は不器用でどうしようもなく「妹」なチカちゃんとの対比は非常に面白かったです。母親には通じるカズの演技も、チカちゃんにだけは見抜かれています。

ラストシーン、ソフトボールの試合の場面。ホームベースに走り込んでセーフをコールされた後、カズを見て思わず抱きついてしまうチカちゃん。「怖かった、駄目かと思った……」。このシーンのチカちゃんは完全に「妹」でした。私にも同じように2歳年下の妹がいるせいか、チカちゃん可愛いという感想しか出てきませんでした。普段生意気なくせに、こういうところがあるから憎めないんですよね、妹って。

 

 

かなり久しぶりに読み返した作品でした。

思春期の女の子の移ろいやすい心情が分かりやすく描かれており、すらすらと一息に読むことができます。良い作品でした。

 

ドロップス繋がりでサクマドロップスの広告を入れてみました。私はサクマドロップスと聞いたらこの赤と白の缶を一番に連想します。緑色のや、節子のイラストが描いてあるものではなく。

これの特有の粉っぽさが好きで、よく親にねだって買って貰った記憶があります。妹とハッカ味を取り合いました。そしてもちろん、最後は水を入れて飲みます。懐かしいです。

それでは、今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

【再読】  アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』清水俊二訳 ハヤカワ文庫

 

ドイルの『緋色の研究』と迷った末、本日はこちらの作品を。

ミステリの女王と評されるクリスティーの作品の中でも、とくに有名なものの一つです。何度も映像化や舞台化がされています。

小さな島で、集められた招待客たちが一人、また一人と殺されていく、クローズド・サークルのお手本のような作品です。

 

章ごとに、簡単な流れと感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

第一章では登場人物たちの様子が一人ずつ描かれ、彼らがインディアン島に向かっている理由が説明されます。

何人かは、過去に何らかの、あまり正直でない出来事を経験していると見え、この時点でもう不穏な空気を感じます。

中でも、ブロアに関しては最も含みを持たせるような描かれ方をしています。島に集まる人間の名前を書き留めていたり、自身について、「少佐ということにするかな」と呟いている様子から、ただ者ではない雰囲気が窺えます。怪しさ満点の挙動で、この場面だけ見たら黒幕だと勘違いしてしまいそうです。実際は探偵でしたが。

 

第二章、物語の舞台であるインディアン島に到着します。

登場人物が出揃うことで、緊張感と不穏な空気が一層高まっていくように感じました。

招待客たちもお互いに相手を観察し、どのような人物か探り合っているようです。医師と判事だけはお互いに面識があります。

それぞれの視点を通して他の招待客たちを眺めてみると、どの人物も意地が悪く、心の冷たい人間のように感じられます。全員が後ろ暗い過去を持っているのですから当然と言えば当然なのですが、善良そうな人物が一人も登場しません。遊び好きの美青年・マーストンくんだけがこの中で唯一爽やかさを放っていますが、彼は最初の犠牲者になって早々に退場してしまうんですよね。彼は感覚で生きているスピード狂で、子供を二人轢いたことに関しても特に何とも思っていない異常者ですが、良いキャラクターでしたし、もう少し活躍して欲しかったところです。

また、この章でヴェラが「十人のインディアンの少年」の童謡を発見します。

 

第三章、食事を終え、うちとけた様子の客たち。と、突然、穏やかな空気をぶち壊すようにレコードが彼らの「罪状」を述べ始めます。動揺し、騒然となる一同。さあ楽しくなってきました。

「UN KNOWN」(どこのものともわからぬもの)という訳にセンスを感じます。不気味さを感じさせる、素敵な言い回しです。

 

第四章では先の告発に対してのそれぞれの弁明が行われますが、真実を知っている身からすると非常に白々しく感じられます。特に泣き崩れるヴェラ。シリルの母親の前でもこんな風に泣いてみせたのでしょうか。例え一時の気の迷いだったにせよ、明確な殺意を持ってシリルを死に追いやった彼女は立派な人殺しです。

そして、一切の申し開きをしないミス・ブレント。彼女の罪状は、当人の語るところによれば身持ちの悪い使用人の娘を自殺に追い込んだことのようですが、そのことに対して何ら良心の呵責を覚えることのない、鋼のような厳格さを持った人物です。私は登場人物の中ではこの人が一番好きかもしれません。仲良くなれる気はしませんが。

 

第五章はマーストンの死から始まります。彼のグラスの中には青酸カリが。この手の小説や映画では、調子に乗った若い奴から死んでいくのがおきまりです。私が作者の立場だったとして、物語を進めるうえでまず誰から殺すか、と考えたら、まあ彼を一番最初に退場させると思います。もう少し活躍が見たかった、というのも本心ですけれど。

突然目の前で人が死に、動揺している人々の中、「寝ましょう。もう遅いのですから」と冷静に提案するミス・ブレント。肝が据わっています。

また、マカーサー将軍が、告発された自身の部下の死に対して、確かに殺意があったことが判明します。

 

第六章、ロジャース夫妻の妻の方が、睡眠中に死亡します。

定時を過ぎても来ないボート、二つ減った卓上の人形。ロジャースの怯える気持ちが手に取るように分かります。

 

第七章、告発の内容について話す女性二人と、事件の解明のために意見を交わし合う医師とロンバードの対比が印象的でした。男性陣の方が行動的で頼りになりそうです。オーエン氏の存在を除けば、犯人の筋書きをほぼ完全に読み取っています。

 

そして第八章。オーエン氏を捜索する医師、ロンバード、ブロアの三名でしたが、結局、島には彼ら八人しかいないことが判明しました。積極的に行動する彼らとは異なり、将軍やヴェラは自身の罪の記憶に浸っています。

 

第九章。このあたりから、登場人物たちはお互いに対して疑念を抱き始めます。

集まって昼食をとる場面ですが、メニューがチーズ、ビスケット、缶詰などの保存食ばかりで、何だか味気ないですね。コールド・ハムやコールド・タンにしてもあまり美味しそうには思えません。イギリスの食文化に対する偏見でしょうか。

そして、海岸で撲殺されていたマカーサー将軍。七つになった人形。

「犯人はわれわれの中の一人なのだ!」と発言し、その場の全員に殺人の嫌疑をかけることで相互不信を煽るウォーグレイヴ判事。最後の、頭のおかしい犯人に十分警戒するように、との発言ですが、真実を知っている身からすると、どの面下げて言っているのかと思ってしまいます。

 

第十章、お互いに誰が犯人なのかと予想し合っています。ロンバード、大当たり。彼は鋭く、頭の回転の速い男として描かれています。

 

第十一章、ロジャースが斧で殴り殺されているのが発見されます。

あまりにも冷静なため、犯人なのではとブロアから疑われるミス・ブレント。それに関しては見当違いなわけですが、信仰に凝り固まった異常者だという見方のほうは正しいですね。自分は正しい、だから死なない、決して死なない、彼女は心の底からそう思い込んでいます。が、自殺したビアトリスの夢を見たりするあたり、やはり彼女にも怯える気持ちはあるのかもしれません。

 

そんなミス・ブレントは第十二章で退場します。

童謡では「蜂が一人を刺して、五人になった」ですが、蜂ではなく、それに見立てた青酸カリの皮下注射による殺害です。

残った五人のお互いへの不信感は高まり、身体検査と部屋の捜索が行われましたが、誰からも犯人であるという決定的な証拠は見つかりませんでした。

ロンバードのピストルの行方が分からないのが、不穏です。

 

第十三章、恐怖と疑念でほとんど正気を失っている五人。応接間に集まってじっとお互いを監視し合い、昼には台所で缶詰を立ったまま食べ、また応接間に戻って監視し合う。館の外の悪天候と相まって、重苦しい閉塞感を感じさせる場面です。張りつめた空気の中、描写のない、時計の秒針の音まで聞こえてくるような気がしました。

一人きりになったところで犯人からの嫌がらせを受け、恐慌状態に陥るヴェラ。ブランディの出番です。飲む前に毒を警戒するあたり、やはり彼女は相当に賢く、疑り深い女性であることが分かりますね。

そしてそのどさくさに紛れて、ウォーグレイヴ判事が殺害されます。ピストルによる射殺。ミス・ブレントの毛糸で作ったかつらと浴室の真紅のカーテンを身に纏っている姿で発見されました。初めて読んだときから思っているのですが、この人だけちょっと演出過剰すぎやしませんかね。

 

第十四章、もはやお互いを信用できず、自室に閉じこもる各人。部屋でそれぞれ考えに耽っています。ここで、ヴェラが過去に犯した殺人についての全容が語られます。

アームストロング医師が姿を消し、人形が三つになっているのが分かったところで、次の章へ。

 

第十五章。嵐がおさまり、ヴェラ、ロンバード、ブロアの気持ちも少し落ち着きます。もう残っているのはこの三人だけです。

が、ブロアは一人になった途端、大理石の時計で頭を潰されて死亡。

さらに、海岸では行方不明だった医師の溺死体が発見されます。

とうとうヴェラとロンバードの二人きりです。

 

第十六章。二人とも、相手が犯人だと確信しています。

隙をついてロンバードのピストルを奪うヴェラ、さすがですね。絶対に敵には回したくないタイプの女性です。

全てが終わったと悟り、一人で邸宅に戻るヴェラ。最後の人形を握りしめ、ゆっくりと自分の部屋に向かって行きます。もう完全に正気を失っているようです。そしてラスト、「彼が首をくくり、後には誰もいなくなった……」。彼女はヒューゴーの姿をした自分の良心に殺されたのです。犯した罪にふさわしい報いでした。

 

エピローグではインディアン島で起きた事件のその後の様子が描かれています。島の売買に関わったモリスを含めて十一名もの死者が出ているこの不可解な事件には、ロンドン警視庁もお手上げの様子。副警視総監と警部が、判明している事実を整理しながら、何なんだこの事件は、と頭を抱えています。

最後の一人であるヴェラは首を吊ったはずなのですが、彼女が蹴ったであろう椅子はなぜか元の位置に戻されている。つまり、島にはもう一人、彼女の死を見届けた人間が存在したということです。この部分は、初めて読んだときはぞっとしました。

その謎については、最後のウォーグレイヴ判事による告白書で解明されます。彼が全ての黒幕でした。

殺人をしたい、という強い欲望と、それ以上に強い正義感から、彼はこの計画を企てたのです。古い童謡になぞらえた見立て型殺人でそれぞれの死を演出していったあたり、彼の異常性が窺えます。彼自身、余命が短かったためか、最後に何か人々を驚かすような、前例のない大規模な殺人を実行したいという思いがあったようです。

 

殺害方法の種明かし部分は何度読んでも面白いです。芸術的なまでに鮮やかな手際です。

自身の死を偽装する時のみ、アームストロング医師の手を借りています。そしてその後、彼を殺害しました。

最後の自殺のトリックは難しそうですが、ロンドン警視庁の反応を見るに上手くいったようです。告白書が発見され、警視庁に送られたことも含めて、最初から最後まで判事の計画通りに物事が進んでいます。この結果には彼もさぞかし満足していることでしょう。

 

 

タネが分かっていても、面白いものは面白いものです。

同じクリスティ作品である『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺害事件』にしてもそうですが、初めて読んだ時の驚きをもう一度感じることはできなくとも、読み返すたびに、細かい部分で新たな発見があります。

こちらも同じように、何度読んでも飽きない、クリスティの著作の中でも特に好きな作品です。

そのうち、ポワロの出てくる作品も読み返したいと思います。

それでは、今日はこの辺で。