江戸川乱歩『芋虫』江戸川乱歩ベストセレクション2 | 本の虫凪子の徘徊記録

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【再読】  江戸川乱歩『芋虫』江戸川乱歩ベストセレクション2 角川ホラー文庫

 

紙の表紙がお洒落で気に入っています。

本日は暗めのものが読みたい気分だったので、こちらの一冊を選びました。

江戸川乱歩と夢野久作は、一時期狂ったように読んでいました。長編や推理小説よりも、怪奇色の強い短編の方が好みです。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

まずは収録作品の中でも私の一番のお気に入りの、表題にもなっている『芋虫』について。

 

『芋虫』

タイトルの「芋虫」とは戦争で両手両足を失い廃人となった男、主人公・時子の夫である須永中尉のことを指しています。瀕死の重傷から一命はとりとめたものの、今では耳も聞こえず言葉も話せず、頭も鈍くなってしまった、食と性を貪るだけの芋虫、肉の塊。畳の上をのたうち回る姿から肉独楽とも表現されています。

作品内ではこの「芋虫」の不気味さと惨めさについて、これでもかというほど細かく描写されています。

そして、主人公・時子。傍から見れば廃人の夫に寄り添う献身的な妻ですが、実際は彼の不自由な体を弄び、自身の情欲を満たすための玩具として扱っている、恥知らずな、けだもののような女です。一度欲望に火がつくとそれを抑えることができず、加虐心に身を任せて夫を責め苛んでは己の欲を満たします。乱歩先生の変態性ここに極まれりですね。サディズムの嗜好はともかく「一かたまりの黄色い肉塊」に対してああも激しく欲情するのはさすがにアブノーマルだと思います。いくら自分の夫とはいえ。

 

実は、素の時子は泣き虫で大人しい性格の女性です。欲とは別に夫の境遇を哀れに思う心もあれば、自身の浅ましさを恥じる心もあり、真実を知らない人から貞節な妻と称賛されるたびに罪悪感に苛まれるくらいには、真っ当な感性と善性の持ち主です。おそらく夫が五体満足だったころは絵に描いたような「貞節な妻」だったのでしょう。

そして夫の須永中尉にしろ、怪我の前は立派な軍人で良き夫だったのだろうと思います。廃人となってからも時折その目に浮かぶ「正義の観念」が、彼の元の人格を表しています。

そんな二人も、世間から見捨てられ、他人の厄介になって生きていくうちに心が荒んでいったのでしょう。廃人の夫とその妻、二人きりの家、六畳の部屋。読んでいるだけでその閉塞感がまざまざと感じられ、息が詰まりそうになります。二人が正気を失ってしまうのも無理はないのかもしれません。

物語終盤、感情に任せて夫の両眼を潰してしまう時子。我に返った後で激しく後悔し、彼の身体に「ユルシテ」と書いてみたり、視覚さえも失った彼が体験しているであろう地獄のような暗闇を想像して泣き出したりするあたり、根は優しい、というか、心の弱い人なんですよね。夫に対して悪意があるわけではなさそうです。

そしてラスト、姿を消した夫が書き残した「ユルス」という三文字。一体彼は妻に対してどういった感情を抱いていたのでしょうか。鉛筆を咥えて懸命の努力で書いたのであろう、たどたどしいカタカナ三文字が哀れみを誘います。

最後の「芋虫」が古井戸に向かって這っていく描写は実に丁寧で、落ちた後の、トボン、という水音まで実際に聞こえてくるようでした。

後味の悪いお話ですが、不思議と不快感はなく、物悲しさが残ります。

 

 

ここからは、他の作品の感想を。

 

『指』

非常に短く、たった3ページのお話です。オチは気味が悪いというか、現実にありえそうな絶妙なリアリティを感じて背筋が寒くなりました。

 

『火星の運河』

暗くどんよりとした森と沼の描写が印象的です。物語性は低いですが世界観が美しく、乱歩の短編小説の中でも特に気に入っている作品の一つです。

澱んだ空気、黒い水、黒い岩、裸の女。静まり返った死の世界で、血塗れになって踊り狂う夢。美しく洗練された悪夢のお話です。

 

『白昼夢』

妻を殺して蝋細工にし、店先に飾っているのだと演説している薬屋。聴衆は与太話だと思って笑っていますが、こいつ、確実にやってますよ。主人公が見た人体模型のうぶ毛は絶対に見間違いではないと思います。警官は笑ってないで仕事をするべきですね。

 

『踊る一寸法師』

旅芸人の一座と思われる、軽業師や手品師たちの酒盛りの様子。ガヤガヤとした猥雑な雰囲気です。

キョロリ、クルクル、ザブッとなどの擬音・擬態語に加え、話し言葉の「ネエ」「チョット」「サア」など、カタカナが多用されているせいか、場の俗っぽくいやらしい空気が強く感じられました。

酔った芸人たちが面白半分に一寸法師を虐待する場面は、完全に弱い者いじめです。皆酔って普段より気が大きくなっているというのもあるのでしょうが、おふざけにしても度を越しています。一寸法師がヘラヘラ笑っているのを見るに、彼は普段からああいう扱いを受けているのでしょう。可哀そうに。

そしてそんな一寸法師の華麗な復讐。グッサリ、ザックリ、芸人らしく娯楽性に溢れた演出でした。

それから、燃え盛るテントと、炎の中で狂ったように笑う軽業師たち。夜の闇と赤黒い火焔、こだまする笑い声の組み合わせが芸術的です。

最後にお花の頭を持ち出しているあたりに、一寸法師の彼女への異常な執心を感じました。

さて、彼はこれからどこへ行くのやら。

 

『夢遊病者の死』

探偵の登場しない殺人事件のお話。死体役は主人公の父親です。

実際は殺人ではなく不慮の事故だったのですが、主人公は寝ている間に自分が父親を殺してしまったのだと思い込み、逃亡します。そして無我夢中で走り続けた挙句、疲れ果てて死んでしまいます。走っている間の彼は完全に錯乱状態です。

夢遊病者であるというのは気の毒ですが、彼の場合、人生がうまくいかない原因は夢遊病以外のところにもあったと思います。まず、いじけてしまったのが良くなかった。夢遊病を言い訳にせず、自分にできることを探していれば、もう少し幸せに生きられたのではないかと思います。

少なくとも、こんなに無様な死に方をすることはなかったでしょう。

 

『双生児―ある死刑囚が教誨師にうちあけた話―』

この男、業が深すぎます。金欲しさに双子の兄を殺し、兄に成り代わって財産と兄の妻を手に入れる、そこで止めておけば良かったんです。それだけでも相当な罪ですけれど。

裕福になり、しかも妻である女は自分の元恋人。大抵の人間であれば手に入れた生活に満足できそうなものですが、それができないのがこの男です。しばらくすると妻に飽き、金を湯水のように使って放蕩三昧。そしてお金が足りなくなり、第二の殺人に走る。もう落ちるところまで落ちています。こういうタイプの人間は星新一のショートショートでよく見ました。

計画に死んだ片割れの指紋を利用するあたり、悪知恵が働くというか、なんというか。結局失敗してしまうんですけどね。

彼の最後の望みは妻に真実を知ってもらうことですが、知らないままの方が彼女にとっては幸せだと思います。私が教誨師なら、聞いた話は自分一人の胸の内にしまっておくでしょう。

 

『赤い部屋』

「赤い部屋」というのは会の名前です。退屈をもてあました紳士たちが集まる、怪しげなクラブ。なんともロマンがありますね。

話の中に出てくる、「法律に触れない殺人」は興味深いテーマでした。状況的には事故死でも、その原因を作った人間に殺意があった場合、それは殺人でしょう。転落死させてやろうと綱渡り中の女芸人の気を散らせ、それで彼女が本当に落ちて死んでしまったら、それはどう考えても殺人です。ただ、殺意は証明できないというのが厄介な点です。ふざけただけで、殺すつもりはなかったと主張されてしまえばそれまでですから。考えさせられるテーマでした。

物語としては、ラストで明かされたタネと興ざめした空気まで含めて、非常に完成度の高いものだったと思います。

 

『人でなしの恋』

若い女性目線で書かれた、柔らかい文章が特徴的です。美しい人形に恋をする、これまた美しい男の姿を、嫁入りした女の目線から描いています。

おしとやかに見えて、恋敵の人形を滅茶苦茶に叩き壊す主人公、意外とやりますね。女の嫉妬は恐ろしいです。

人形を愛し、命まで捧げた門野の恋は、一途というよりは病的な恋でした。

歓楽と罪の呵責のはざまで苦しみ、自分が異常であるという自覚があるからこそ、生きた人間を妻に迎えて愛そうとした門野。けれど結局、人形への想いを断ち切ることはできませんでした。

彼の恋は本物です。私が思うに、問題なのは人ならざるものに心を奪われたという事実ではなく、門野自身の心の持ちようだったのではないでしょうか。

彼自身が人形への恋心を背徳的なもの、恥ずべきものとして捉えている以上、その心は罪の意識に苛まれ続け、京子が人形を壊さなかったとしても、いずれは己の身を滅ぼしていたように思います。

要は、門野が「私はこの人形を妻にする」と声を大にして言えるような人物であれば良かったのです。まあそうでなかったからこそ、この物語は美しく悲劇的なものとして成立しているわけですが。

最後の人形の笑みは、京子には悪魔の笑みのように見えたことでしょう。

 

 

以上。

どの作品も良い感じに薄気味悪く、今日の気分にぴったりでした。

『人間椅子』など乱歩の他の短編作品も読み直したくなりますね。

では。