人生の幸福について その1
「みんな金が欲しいのだ。
いや、金しか欲しくないのだ。」
海外留学から戻り大学の教師になっていた健三は、
小説の執筆に取り掛かっていた。
そこに15、6年前に絶縁したはずの養父島田が現れ、しきりに金をせびる。
上記は、夏目漱石晩年の自伝的小説「道草」新潮文庫の裏側に書かれた、本文からの抜粋と本の要約です。
「道草」では、金への執着により人間関係を破壊して、それに気づかぬ人間の滑稽さ、哀しみが、文豪の精緻な筆致で暴かれていきます。
お金は大切なものです。
人間の自尊心、幸福感を保つために、この世界においては、欠くべからざるものです。
そして、もし、あなたがお金のことを軽視したり、お金など汚いと思うと、
お金の方は、たちまちその気持ちを察知して逃げていってしまうシャイな生き物です。
充分なお金が入ってきて、また、それを賢明に社会に循環させる仕組みを作ることは、我々個人個人が真剣に取り組むべき課題であると考えています。
としても、経済的自立は、自尊心、幸福感、連帯感を生むための潤滑油として使われる手段であることを厳に認識しつつ行動すべきであり、
経済活動から得られる資産額のみを目的化すると次第に苦しくなります。
上には上がいるもので、極論すれば、自分の資産額は、イーロン.マスク氏に比べれば、吹けば飛ぶようなものである、などと考え始めると、
その勝負には際限がないと言えるからです。
続く
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複雑で少し手強い夫に対処する〜夏目鏡子夫人の場合 その3
夫が文豪ゆえ、
その複雑な心中を余すところなく天才的筆致で著してくれているからこそ、
日常の夫の自分に対する愛憎渦巻く態度に対処できたのか、
あるいは持ち前のおおらかさから、漱石氏の自分への愛情を信じて疑わなかったのか、鏡子夫人は、動じません。
鏡子夫人は、神経衰弱が高じて離婚したい、と言い出した漱石氏の気持ちを落ち着けるため、一旦子供を連れて実家に帰ります。
薄情な漱石氏は、解放感に溢れて研究の仕事に打ち込みます。
しかし、ある日、鏡子夫人は、単身、自宅の庭に立ち、
「あなた、もとのようになって下さらなくって」
と復縁を提案します。
夫は、妻の履いている下駄が見苦しく履き古されていることに気づいて、憐れになり、紙入れから1円紙幣を出して妻に渡し
妻が帰りたいなら、それを拒絶するのは無情なことだ、
と心中を説明しつつ、夫は、「一も二もなく」承知します。
(「道草」より、ほぼ本人たちの描写)
漱石氏のお孫さんにあたる半藤末利子氏が、漱石氏の長女筆子さん(末利子氏の母上)に聞くと、筆子さんにとっては、漱石氏は怖い人だった、と述べます。
しかし、一番苛烈な目にあったはずの鏡子夫人の口から、漱石氏の死後も、漱石氏の愚痴や悪口は一度たりとも聞いたことがない。
かえって
「いろんな男の人を見てきたけど、あたしゃお父様(漱石氏)が一番いいねえ。」
船が沈んで漱石氏が英国から戻って来なかったとしたら
「あたしも身投げして死んでしまうつもりでいたんだよ」
と言ったとのことです。
胸を打つ夫婦愛です。
漱石先生、鏡子夫人に出会えて、本当に良かったですね。
そして、素晴らしい文学を母国語で読めることに一読者として深い感謝と敬愛を捧げます。
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複雑で少し面倒くさい夫に対処する 〜夏目鏡子夫人の場合
夏目漱石氏の妻である、鏡子夫人は、貴族院書記官中根氏の息女で、年頃になると降るように縁談があり、
「私は、お見合いずれしていた。お見合い写真も数多く見過ぎて、男性の写真を見る目も肥えていました…」と鏡子夫人は、漱石先生との夫婦生活を綴った「漱石の思い出」にて述懐されています。
その鏡子夫人が、漱石氏、本名夏目金之助氏のお見合い写真を見て、一目で気に入ってしまいます。
東京に戻ったら挙式をする、という流れでの婚約後、漱石が赴任先の松山から、さらに熊本に異動になり、
東京育ちのお嬢さんである鏡子さんが、熊本まで来てくれるものか不安になった漱石氏が
気が進まなければ、破談でもいいです
と言ってあげたものの、
父中根氏と鏡子さんは、熊本までやってきて、熊本の自宅の離れの6畳で挙式します。
漱石の親友、正岡子規氏からは、
「しんしんたる桃の若葉や 君娶る」
と寿ぎの句が送られてきました。
その後、漱石氏がロンドンに留学すると、
自分は、勉強で忙しいので手紙を送らないが、お前は、三日おきにこちらに手紙をくれ
などと鏡子夫人に難題を押し付けます。
しかし、ちゃんと漱石氏も
「俺のような不人情の者でも、お前が恋しい」
とお手紙にしたためています。
漱石氏の問題は、そんなことを口にすることは沽券に関わる、という理由か、神経衰弱のためか、愛着障害によるものか、何か複雑な理由から、妻への思いが内面で複雑化してしまっていたことです。
身重の身なのに、夫にいじめられた…と感じた妻は、
「大きな腹を畳へ着けたなり、打つとも蹴るとも勝手にしろという態度をとった。」(「道草」における描写。ぼぼ本人たち)とあります。
続く
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