大阪の弁護士•長野智子(智聖法律事務所)
【はじめに】

はじめまして。弁護士の長野智子と申します。
このブログでは、法律や社会の出来事を通して「人が人を信じるとはどういうことか」「安心して生きるとは何か」を、日々の出来事や思索を交えながら綴っています。

弁護士として歩んできた年月の中で感じたことは、法よりも先に“心”があるということ。
誰かの痛みや戸惑いに静かに寄り添うことが、最も確かな解決の糸口になる、そう信じています。

どうぞ、気軽に読んでいただき、時に立ち止まり、何か一つでも心に残るものを見つけていただけたら幸いです。

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「日本永代蔵」文学碑にみる、人とお金の法則―大阪・本町の橋のほとりにて―


大阪の本町橋近く、川沿いの遊歩道に黒光りする石碑が立っています。そこに刻まれているのは、江戸時代の俳諧師・井原西鶴の代表作『日本永代蔵』の一節。

近代都市の喧噪の中に、ひっそりと「人間とお金の本質」を語る言葉が残されています。



■ 石碑に刻まれた一節



碑文の一部を読むと、こうあります。


「人間、長らくこの世に生きると、百年のうちに一夜の夢のようなことがある。

それをどう残すかは人の心次第。金銀財宝を積んでも、死後には持っていけぬ。」


要約すれば、西鶴は「人の生ははかなく、財も名誉もつかの間である」という普遍的な真理を語っています。

当時の商人社会において、金銭をめぐる繁栄と没落を描いた『日本永代蔵』は、今で言えば「ビジネスと倫理の寓話集」のような作品です。



■ 現代社会にも通じる「欲と責任」の問題



弁護士として日々の相談に向き合っていると、金銭や財産をめぐるトラブルがいかに人間関係を揺さぶるかを痛感します。

相続・遺言・契約不履行・投資トラブル──どれも「人とお金」の問題です。


西鶴が生きた17世紀の大阪は、すでに「商いの都」。

当時から、人は「儲けること」だけでなく「いかに正しく使うか」「誰のために残すか」を問われていました。

現代も変わりません。利益を追うこと自体は悪ではありませんが、法や倫理を超えたところに破綻が生じます。



■ 「永代」とは何か



『日本永代蔵』というタイトルの「永代」とは、単に「永遠の繁栄」を意味しません。

むしろ、西鶴は「永代など存在しない」ことを皮肉っているとも読めます。

富も地位も、法的にも世代を超えて完全に保全することはできません。

信託や遺言、法人化といった法制度を駆使しても、結局は「次の世代にどう思いを託すか」という人の意志が要となります。



■ 石碑の前で思うこと



この碑の前に立つと、川面を渡る風と高速道路の下のざわめきが交じり合い、江戸と令和が静かに重なります。

法と経済の狭間で生きる現代の私たちに、西鶴は問いかけているようです。


「あなたの働きとお金は、誰のためにあるのか」


弁護士の仕事もまた、「永代蔵」のように、目の前の案件を超えて未来へとつながるものです。

依頼者の権利を守ると同時に、次の世代に健全なルールと信頼を残す。

それが、法律家としての“永代”への責任だと思うのです。





まとめ



本町橋のそばに立つこの文学碑は、単なる観光モニュメントではありません。

法律家やビジネスパーソンにとっても、「お金と人のあり方」を静かに問い直す場所です。

時間があれば、立ち止まって碑文を読んでみてください。

そこには、江戸時代から変わらぬ人間の欲と理(ことわり)が刻まれています。


台湾有事に日本はどう備えるべきかー高市政権の考え方と弁護士の視点から


大阪城公園の木漏れ日

近年、「台湾有事」という言葉を耳にする機会が増えました。

特に高市政権になってからは、「台湾有事は日本有事でもある」という認識のもと、安全保障政策の強化が進められています。

本稿では、弁護士の立場から、高市政権の考え方を整理しつつ、日本がどのように法的・制度的に備えるべきかを考えてみます。

高市政権の基本姿勢

高市首相は、台湾情勢が緊迫すれば「日本の安全保障に重大な影響を及ぼす」と明言しています。具体的には、中国が台湾に対して武力行使を行い、周辺海域や在日米軍基地が影響を受ける場合、存立危機事態に該当しうるとの見解を示しています。

この立場は、従来の「日本防衛専念」型の考えから一歩踏み込み、集団的自衛権の発動を現実的に視野に入れたものと言えます。

同時に、高市政権は日台関係の実務的連携を強めながら、中国との外交チャンネルも維持するという「抑止と対話の両立」を掲げています。

日本がとるべき手段

1.法制度の明確化と整備

台湾有事が発生した場合に、日本が自衛隊をどこまで動かせるのか。

これを判断する鍵となるのが「存立危機事態」の認定です。

現在の定義は抽象的であり、どの段階で、誰が、どのように判断するかが明確でありません。

有事に備えるためには、国会審議を通じて判断基準や手続きを整理し、国民にも分かる形でルール化しておく必要があります。

また、集団的自衛権の行使については憲法9条との整合性が常に問われます。「どこまでが自衛で、どこからが武力行使か」という線引きをあらかじめ明確にしておくことが不可欠です。

2.外交と同盟の戦略的運用

台湾問題は日米中の三角関係に深く関わります。

日本としては、日米同盟の実効性を高めると同時に、地域の安定を保つための外交努力も続けなければなりません。

  • 米国との情報共有・共同演習の強化
  • インド太平洋諸国との多国間連携
  • 中国との外交対話ラインの維持
  • 台湾との経済・サイバー安全保障の実務協力

この4つを同時に進めることが、現実的なリスク管理につながります。

3.防衛と国民保護の体制強化

南西諸島や沖縄地域は、台湾有事の際に最も影響を受ける可能性が高い地域です。

自衛隊の配備や情報監視の強化はもちろん、住民避難・医療・通信・物流といった「民間防衛」も重要です。

また、近年はミサイル攻撃だけでなく、サイバー攻撃や情報操作といった「見えない戦争」も想定されます。

国全体として、防衛産業やエネルギー、通信インフラの強靭化が急務です。

4.民主的統治と市民の理解

安全保障政策が強化されるほど、国家権限が拡大しやすくなります。

だからこそ、法治と民主主義のバランスを維持することが何より大切です。

  • 防衛関連法制や予算の透明化
  • 国民への情報提供と説明責任
  • 地方自治体を巻き込んだ避難・防災訓練の整備

有事を想定しながらも、平時の自由と安心を守る視点を失ってはなりません。

憲法との関係と今後の課題

高市政権の安全保障政策は、現実的な抑止力を重視する一方で、憲法9条の理念との調和が問われます。

とりわけ、「存立危機事態」の判断が政治的に拡大されると、憲法上の歯止めが機能しなくなるおそれもあります。

弁護士としては、

  • ①法的判断の透明性、
  • ②国会によるチェック機能、
  • ③国民への説明責任
    の3点を重視すべきと考えます。

終わりに

台湾有事をめぐる議論は、単なる防衛問題ではなく、日本という法治国家がいかに自らを律しながら安全を確保するかという問いでもあります。

備えを強めることと、権力を抑制すること。

この二つを両立させることが、これからの日本に求められる成熟した安全保障のあり方でしょう。

高市政権の掲げる「最悪を想定して最善を尽くす」という姿勢を、

法と民主主義の枠内でどう実現していくか――。

それこそが、私たち法律家にとっても問われるテーマだと感じます。

これまで歴代政権が触れずにパンドラの箱として蓋を開けずにきた重大問題について、高市政権になり、ようやく国会の俎上での議論が始まりました。国民としては、蓋をして誤魔化され続けるより余程誠実な政権だと感じます。

家族の「被害者意識」にどう向き合うかー過去の不遇を盾にした言い訳に、どう対応すればよいか―


秋晴れの大阪城公園


弁護士として人間関係の相談を受けていると、「身内の愚痴にどう対応したらいいか」という悩みをよく聞きます。

特に、「自分の不遇」「過去に受けた被害」を繰り返し持ち出しては、やるべきことをしない理由にしたり、他人が褒められるのを許せないという感情をぶつけてくる――こうしたケースは、家庭の中でも少なくありません。



■ 1 「被害者意識」が心を縛る



人は誰しも、過去のつらい経験に影響を受けます。

しかし、それを「今できない理由」として語り続けているうちは、前に進むことが難しくなります。


「自分は不遇だった」「あのとき傷つけられた」という思いは、事実として尊重すべきものです。

けれども、それを理由に周囲を責めたり、努力を放棄してしまうと、かえって孤立が深まっていきます。


弁護士として見ていても、「被害者であり続けようとする人」は、しばしば“自分の成長の主導権”を過去に渡してしまっているように感じます。



■ 2 周囲が巻き込まれないために



家族がそのような態度をとる場合、周囲の人は「かわいそうだから」「また怒るから」と我慢してしまいがちです。

しかし、過度な共感や同調は、相手の「被害者ポジション」を固定化させてしまいます。


大切なのは、冷静に線を引くことです。

「その気持ちは分かるけど、今どうするかは別の話だね」と、感情と行動を切り離して話す。

また、「あなたの努力を信じている」と伝えることで、相手が“できる自分”を思い出すきっかけになります。


相手を変えることはできません。

しかし、こちらが“巻き込まれない”ことはできます。



■ 3 距離の取り方も「関係の守り方」



家族だからといって、常に全面的に受け止める必要はありません。

心身が疲弊するようなら、距離を取ることも立派な選択です。


弁護士として家族間のトラブルに関わる際にも、「過剰な共依存」や「役割の固定化」が原因で問題が長期化するケースは多く見ます。

「聞くけれど、背負わない」

「理解するけれど、代わりに生きない」

そうした姿勢が、関係を壊さずに守る現実的な方法です。



■ 4 まとめ



過去の不遇を理由に今を止めてしまう人に対して、私たちは「何とかして変えよう」と焦る必要はありません。

ただ、巻き込まれず、境界線を保ち、自分の生活を大切にすること。

それが結果的に、相手が自立するきっかけにもなるのです。


家族関係の問題は、感情のもつれと境界線のあいまいさから生じることが多い。

弁護士としては、法律だけでなく「距離の取り方の技術」も、人生を守る重要なスキルのひとつだと感じています。


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