ぼっちECで月100万円 ネット通販の一人勝ち法則 [ 杉本 幸雄 ]
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京都・吉田東通りを歩いていると、少し拍子抜けするほど控えめな佇まいの古家が現れます。
看板を見なければ、ただの町家と見過ごしてしまいそうな外観。
扉を開けた瞬間、空気が変わりました。
そこには、まるでフランスの古き良きカフェ。
使い込まれた家具、やわらかな色調、時間がゆっくりと沈殿しているような空間。
外の京都の朝とは、きれいに切り離された世界が広がっています。
モーニングが、静かに心をほどく
モーニングは驚くほどシンプル。
けれど、その一つ一つが「丁寧」の極みです。
パンは、言葉を選ばずに言うなら絶品。
表面は香ばしく、中はしっとり。
添えられたバターが自然に溶けて、余計な説明など要りません。
ゆで卵は、割ると黄身がとろり。
半熟、しかも熱々。
この「ちゃんと熱い」という当たり前が、案外、外では得難い。
ピアノ曲と、余白の時間
店内に流れているのは、静かなピアノ曲。
主張しすぎず、沈黙を壊さない音量で、
自分の内側の呼吸を思い出させてくれます。
スマートフォンを伏せ、
考え事も一度脇へ置き、
ただコーヒーを口に運ぶ。
「何かを得に来た」のではなく、
自分を取り戻しに来た、
そんな朝の使い方が、ここでは自然にできます。
見つけてしまった場所
静かで、落ち着いていて、気取らない。
それでいて確かな美意識がある。
観光のためのカフェではなく、
日常の延長線上に、そっと置かれた逃げ場。
聖護院に、
静かに自分を取り戻せる場所を見つけました。
こういう一軒があるだけで、
街との距離感が、少し優しくなります。
杉本幸雄先生の最新刊『ぼっちECで月100万円』は、一般に想像されがちなノウハウ本とはまったく異なる一冊です。これは売上を上げるためのテクニック集ではなく、むしろ哲学と魂に触れる本だと感じました。
こうした本を二千円弱で手に取り、何度も繰り返し読みながら哲学に触れられるというのは、書籍という伝達ツールの持つ力の大きさを改めて実感させられます。印象的な言葉で本質を示し、読み手の思考を刺激し、その人の人生の方向性にまで作用していく。良書とは、まさにそうした働きをするものだと思います。
「ON-OFFの発想は負け組」という強烈な一文
本書83頁には、非常に印象的な言葉が記されています。
「『ON-OFF』の発想は負け組」
「あなたの人生の目的は何ですか?
その目的がネットショップの運営を通じて成し遂げたい、あなたの野望と合致していると、ネットショップの運営はきっと楽しく前向きで、モチベーションも高位安定しているはずです。」
この一節を読んだとき、私は、まるで杉本先生が私個人に語りかけてくださっているかのように感じました。それほどまでに、この言葉は鋭く、そして本質を突いています。
杉本先生が疑問を投げかける「ONとOFFのメリハリ」
世間では、「ONとOFFのメリハリをつけることが大切だ」と説く労務コンサルタントも少なくありません。しかし本書において杉本先生は、この考え方そのものに疑問を投げかけています。
杉本先生によれば、「ONとOFF」という発想の根底には、「ONさせられている」という意識、すなわち“やらされている仕事”という前提が潜んでいるといいます。嫌々ながら、ある意味で半ば強制的に働かされているからこそ、仕事とは明確に一線を引いたOFFの時間が必要になる。そのような土壌の上に成り立っている発想ではないか、という問題提起です。
人生の目的と仕事が一致している場合、仕事は苦役ではなくなります。そのとき、ONとOFFを切り分ける必要性そのものが薄れていく、というのが杉本先生の示す視点です。
「働いて働いて」という言葉への非難には違和感
この考え方に触れたとき、私はある言葉を思い出しました。
高市総理が総裁就任時に述べられた、
「ワークライフバランスは捨てます。働いて、働いて、働いて、働いて、働いて参ります。」
という発言です。
この言葉に対し、世間からは「ワークライフバランスは大切」といった非難や抗議もありました。しかし私は、その反応にこそ強い違和感を覚えました。
国防、経済、社会構造の課題など、やるべきことが山積している現実を具体的に把握していたからこそ出てきた言葉だったのではないでしょうか。自分たちが選んだ代表者のトップが、「全力で働き、国を良くします」と明確にコミットしたことに対して、感謝こそすれ、非難が向けられるのはどこか本末転倒のように感じられます。
生活そのものが仕事であるという感覚
そもそも、人は仕事と生活を完全に切り分けて生きているのでしょうか。自分の職業が何であれ、人は生きている限り、常に考え、感じ、判断し、選択をし続けています。常にアンテナを張り、世界と関わりながら生きています。
「今はオフだから」と脳を止め、アンテナを切ってしまうことが、本当に人間として与えられた限りある時間を大切にしていると言えるのか。私にはどうしても、もったいないことのように思えてなりません。
ONとOFFを超え、「生きている時間」へ
人生の目的と仕事が一致したとき、そこにあるのは「働かされている時間」ではなく、「生きている時間」そのものです。ONでもOFFでもない、自分の人生をそのまま生きている感覚です。
杉本幸雄先生の言葉は、その事実を強烈に、しかし静かに突きつけてきます。だからこそ『ぼっちECで月100万円』は、EC運営者に限らず、「どう生きるか」を考えるすべての人に読まれるべき一冊だと感じました。
ノウハウを求めて手に取ったはずが、いつの間にか人生について深く考えさせられる。そんな稀有な読書体験を与えてくれる、まさに哲学と魂の良書です。
若い頃に読んだ本を、三十年という時間を隔てて再び開く。
その瞬間の静かなときめきは、初読の衝撃とも、再読の安心感とも少し違う。
ページをめくる指先が覚えているようでいて、物語の細部はほどよく霧がかかったまま——。
村上春樹『羊をめぐる冒険』を久しぶりに読み返した私は、
“忘れてしまうことの豊かさ”という不思議な感覚に包まれた。
いい感じに忘れている、という幸福
本を読み返すとき、「内容がほとんど思い出せない」ということを残念に思う人もいる。
ところが実際には、その“忘却”こそが再読の醍醐味をつくってくれる。
昭和の匂いが残る札幌、蒼い光に包まれたジャズバー、
手を差し伸べれば届きそうで決して触れられない不思議な女性——。
30年前の私は、それをただ「奇妙な冒険」として読んでいたはずだ。
けれど、今の私は、その奇妙さの裏に潜む孤独や喪失に、自然と心が引き寄せられていく。
同じ文章なのに、読者が変わると物語が違う顔を見せる。
そのことを改めて思い知った。
“羊”は物語の中心ではなく、読者の鏡なのかもしれない
村上春樹作品には、抽象的な象徴がしばしば登場する。
この作品の“羊”もその一つだが、30年経った今読むと、どうも羊という存在は「追いかけるべき何か」の象徴というより、
むしろ“読者の人生の段階を映す鏡”のように感じられた。
若い頃に読んだときは、自分が冒険しているような気持ちになった。
今読むと、「失われたものをどう受け止めるか」という大人のテーマが浮かび上がってくる。
物語そのものは変わらなくても、
自分の経験や年齢によって、
“同じ物語が別の物語として立ち上がる”。
これが再読の魔法だ。
■ 匂いまで戻ってくる読書の時間
本の中に登場する、レコード店の埃っぽい匂いや、
北海道の空気を満たす冷たさを読むと、
30年前、同じ箇所を読みながらコーヒーを飲んでいた自分の姿まで一緒に蘇ってくる。
あの頃の自分と、今の自分が、
一冊の本を媒介にして静かに握手しているような感覚がある。
読書とは、ただ物語を読む行為ではなく、
自分の人生の時間と再び出会う行為なのだ。
「忘れたから、また読める」という豊かさ
再読は、記憶を確かめる作業ではなく、
時を経た自分と本の間に、新しい関係を結び直す作業だと思う。
30年ぶりの『羊をめぐる冒険』は、
初めて読むような新鮮さと、
昔の自分にそっと触れる懐かしさが同時に押し寄せる、
とても贅沢な体験だった。
思い出せない部分が多くても構わない。
むしろその曖昧さが、再読のページを輝かせてくれる。
人生の折々で同じ本を読み返すという行為は、
新刊を買うのとはまた違った、深い味わいをもたらしてくれる。
忘れたからこそ、また読める。
忘れたからこそ、驚ける。
そして、忘れたからこそ、再び好きになれる。