複雑で少し面倒くさい夫に対処する 〜夏目鏡子夫人の場合
夏目漱石氏の妻である、鏡子夫人は、貴族院書記官中根氏の息女で、年頃になると降るように縁談があり、
「私は、お見合いずれしていた。お見合い写真も数多く見過ぎて、男性の写真を見る目も肥えていました…」と鏡子夫人は、漱石先生との夫婦生活を綴った「漱石の思い出」にて述懐されています。
その鏡子夫人が、漱石氏、本名夏目金之助氏のお見合い写真を見て、一目で気に入ってしまいます。
東京に戻ったら挙式をする、という流れでの婚約後、漱石が赴任先の松山から、さらに熊本に異動になり、
東京育ちのお嬢さんである鏡子さんが、熊本まで来てくれるものか不安になった漱石氏が
気が進まなければ、破談でもいいです
と言ってあげたものの、
父中根氏と鏡子さんは、熊本までやってきて、熊本の自宅の離れの6畳で挙式します。
漱石の親友、正岡子規氏からは、
「しんしんたる桃の若葉や 君娶る」
と寿ぎの句が送られてきました。
その後、漱石氏がロンドンに留学すると、
自分は、勉強で忙しいので手紙を送らないが、お前は、三日おきにこちらに手紙をくれ
などと鏡子夫人に難題を押し付けます。
しかし、ちゃんと漱石氏も
「俺のような不人情の者でも、お前が恋しい」
とお手紙にしたためています。
漱石氏の問題は、そんなことを口にすることは沽券に関わる、という理由か、神経衰弱のためか、愛着障害によるものか、何か複雑な理由から、妻への思いが内面で複雑化してしまっていたことです。
身重の身なのに、夫にいじめられた…と感じた妻は、
「大きな腹を畳へ着けたなり、打つとも蹴るとも勝手にしろという態度をとった。」(「道草」における描写。ぼぼ本人たち)とあります。
続く
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