みやざきのコト

みやざきのコト

宮崎県で生活していた頃の記憶や帰省した時のコトなど宮崎に関するコトの備忘録。宮崎観光の参考に、昔の宮崎を懐かしむきっかけにでもなれば幸いです。

こちらのブログの画像はだいたい「宮崎県観光協会」さんが提供されている画像を使わせていただいているため、ブログで紹介している料理や場所とは異なります。あくまでイメージ画像です。

日南市に住んでいる子供が、子供だけで海水浴に行くとすればたぶん大半は大堂津海水浴場へ行くのではないでしょうか。

 

親同伴だったらうちは富士海水浴場や幸島なんかも連れて行ってもらいましたが、子供だけで自転車で行ったのは大堂津海水浴場くらいでした。

 

私は中学生の頃の夏休みに2回ほどは子供だけで自転車で大堂津海水浴場へ行った記憶があります。

 

明確に覚えているには溺れかけた2回だけ。

 

1度目は沖に泳いで行き、ふと気が付くと自分が一番沖にいたので慌てて軽く泳いで戻ったけど、全然砂浜に近づかなかったので、引き潮かもしれないと思って必死になって全力で泳ぎ、もう駄目だと思って立ってみたら、ギリギリつま先が付くくらいまで戻れていたので、そこから小刻みにジャンプしながら歩いて砂浜まで戻れましたが、あの時、全力で必死に泳いでもう駄目だという感覚で立ったらつま先が付いたけど、あの時に海底に足が付かなかったら多分溺れていたでしょうね。

 

2度目は台風が日本の近くまで来ていたけど、その日は晴れだったので泳ぎに行って、前回の経験で沖には行かず浅いところで遊んでいて、台風の影響で砂浜付近でも海面が波でかなり高くなるのが面白かったので波に身を任せていたら、砂浜付近で運ばれてそのまま波の勢いに巻き込まれて、方向感覚も分からなくなるくらいの波の勢いでグルグルと回転させられて、体は動かせないし息も出来なかったからこのまま溺れるのかと思いました。

 

海水浴場でも気を抜くと簡単に溺れるのが海の怖さだし、川も泳げるような深さになると、川底の方は流れが違ったり水温の冷たさが原因で簡単に事故につながりますので注意が必要ですよ。
 
私は運が良くて助かったと思ってます。
 
沖から砂浜の方へ全力で泳いで、あの時に泳ぎが下手だったり、泳ぎ切った時に足が付かなかったらたぶん溺れていたでしょう。
 
私は中学生当時プールでクイックターンで100m泳げたし、潜水で25mもギリギリ泳げたし、息継ぎも普通に出来ましたからね。
 
今日日は気温が全然依然と違うから海でも川でもライフジャケットを付けておく方が安全だと思います。
 
ライフジャケットを付けておけば、とりあえず浮きはしますからね。

 

私は昭和の頃に子供だった世代ですが、親の世代やその上の大人たちに酒谷川や広瀬川は川上の方から家畜の糞尿とか何流されているか分からないし、流れが速いところがあるから絶対に泳ぐなとか言われましたし、ホテルシーズン日南から油津中学校にかけての砂浜は波が複雑だし、曰くがある場所だから、あの付近の砂浜では遊ぶなと言われていたし、酒谷川の河口から風田川の河口までも汚水などが流れているし、波が荒いから海に入るなと言われていました。

 

10年くらい前に気が付きましたが、酒谷川の河口から油津中学校の方や風田川の河口辺りまでもサーフィンのスポットになっているようですね。

 

酒谷川の河口の橋の所にある交通安全のだるまのところからだったか、220号線の素泊まり宿の付近だったかもう覚えていませんが、あの付近から海の方へ行ったら、海の色がその一帯だけバスクリンの水が流れ込んでいるようになっているところがあって、どこかの工業廃水が海に流れ込んでいると思った記憶があります。

 

ただ、なぜそんなところに誰と遊びに行ったのか記憶が定かではないので、不思議な記憶ではあるんですけどね。

 

お盆の時期には海や川はあの世への門が開いているから泳ぎに行くなとも教えられていた世代です。

 

私は子供の頃にやっぱりお盆休みの時期は泳ぐ人が少ないなぁなんて思っていましたが、10年くらい前(もう少し前かな?)のお盆休みにダイヤモンド伊比井と言う看板が出ている所の砂浜に結構海水浴の家族がいて、もう世代が変わってそんなことも親やその上の世代から言われないようになっているのかなぁなんて、車内で両親と話したように記憶しています。

 

お盆の頃(8月中旬)になると海は台風の影響で荒れている場合もあるし、その頃になるとクラゲが発生して刺されるから泳ぎに行くな、川は台風などで流れや水量が変わったり雨水が川に流れ込んで水温が変わるという、おばあちゃんの知恵袋的な言い伝えでもあったんだなということは、大人になってから何となく気が付きました。

 

意外と年配者が言う経験や注意ってよくよく考えると大事なこともあるなって思う今日この頃です。

 

 

 

 

フジテレビ系列で現在は深夜に放送されている「私のバカせまい史」。

 

こちらの番組で宮崎県の民放テレビ局は2局しかないことやテレビ番組欄を見ると、日曜日のテレビ宮崎(UMK)の欄にフジテレビ系列の「ちびまる子ちゃん(フジテレビ系列)」、「サザエさん(フジテレビ系列)」の後に日本テレビ系列の「鉄腕ダッシュ(日本テレビ系列)」、「世界の果てまでイッテQ」があるという特殊なテレビ欄でチャンネルを変えなくても人気番組をそのまま観られるなど、宮崎県の特殊なテレビ事情を紹介していました。

 

2023年3月に侍ジャパンは宮崎で事前キャンプを行い、WBCで世界一に輝きましたが、日本で唯一宮崎県だけは地上波で放送されませんでしたとかね。

 

県に放送局が2局しかないのは宮崎だけでなく山梨も福井もテレビ局は2局で、佐賀と徳島に至っては1局なのですが、周囲のテレビ局の放送が映るんですよね。

 

よくある月9が土4とか、ドラえもんやアンパンマン、名探偵コナンなど子供にも人気のアニメは早朝や深夜に放送されているとか、徹子の部屋やミュージックステーションも放送されていないといった内容のクレームを県民の方が言われたりしていました。

 

さらば青春の光の森田さんがプレゼンされていたのですが、情報収集には元テレビ宮崎のアナウンサーだった高橋巨典さんが協力されたようで、「宮崎は高い山で遮断されているから隣県のテレビ局の放送が映らない」と巨典さんが説明されたということ宣材写真が使われていました。

 

巨典さんは宣材写真でしたが、久しぶりに拝見できて嬉しかったです。

 

私が高校生だったか大学生の頃には、司会の大塚さんが夏休みの時期とかにフジテレビの「めざましテレビ」の司会進行を務められたりしていて、当時はUMKのアナウンサーがキー局の司会進行をするなんて凄いなぁと嬉しかったのを思い出しました。

 

番組の最後にSPECIAL THANKSとして高橋巨典さんとMr.バニーさんと二人の名前が表記されていてあまりの懐かしさに感動して泣きそうになりました。

 

Mr.バニーさんお懐かしい。

 

明石家さんまさんがバニーガールの衣装で「お待ちぃ」というキャラをやっていらした頃に、同じような衣装でよくテレビ宮崎の番組によく出演されていらっしゃいましたよね。

 

「私のバカせまい史」はゴールデンタイムの頃には宮崎でも放送されていたそうですが、深夜枠に移動になってからは放送されていないとのことで、放送されるパターンを予想したうえで、宮崎向けの番組挨拶、こんにちわとかこんばんわとか、番組の途中に差し替えられた場合の挨拶など、数パターン撮影するところも放送してました。

 

そのうち放送されるかもしれないですね。

 
 
 

2024年7月10日(水)放送回の「有吉の壁 都道府県対抗SP」に宮崎代表で蛙亭のイワクラさんとおかずクラブのオカリナさんが出演されていました。

 

イワクラさんが宮崎の方言で一方的に話していてそれをオカリナさんが聞いている感じだったから、他の都道府県出身の芸人さんがオカリナさんに「何言っているかよく分からないけど同じ宮崎だからオカリナさんは理解できてるの?」というような内容の確認をすると、オカリナさんが「同じ宮崎でも出身地が違うから方言が違い過ぎて私もよく分からない」と答えるボケというかネタで、有吉さんからは合格を貰えてました。

 

イワクラさんの使っていた宮崎の方言は、私もほとんど何言っているか理解できませんでした。

 

イワクラさんの話す時のイントネーションは宮崎の人そのものなんですけどね。

 

気になったので調べたら蛙亭のイワクラさんは宮崎県小林市のご出身とのこと。

 

小林は位置的に熊本と鹿児島の影響受けてそうだと思ったら、西諸弁とのこと。

 

宮崎弁ではなく、わざわざ西諸弁と分けられるあたり、やはり宮﨑でもちょっと異なる方言なんですね。

 

 

 

 

宮崎のアンテナショップ「KONNNE(こんね)」。

 

「こんね」は宮崎の方言で「いらっしゃい」という意味との説明書きがありました。

 

私の感覚だと「こんね」は「いらっしゃい」というより「来ない?」というニュアンスかなぁ。

 

てっきり、「宮崎へ来んね?」というニュアンスでアンテナショップに「こんね」と付けたとばかりに思ってました。

 

宮崎弁で言う「宮崎に来んね」を私の感覚で標準語に直すと「宮崎に来ない?」または「宮崎へおいで」です。

 

「宮崎に来んね」は「宮崎へいらっしゃい」と直せなくもないですが、こう直してしまうと「いらっしゃい」を感覚的に「宮崎へようこそいらっしゃいませ」というようなおもてなしの時のニュアンスに受け取る人っていません?

 

「宮崎へ来んね」を「宮崎へいらっしゃい」と訳すると言葉の持つ意味としては「宮崎へ来なさい」という命令形になる訳で、こっちが正解なんですよ。

 

例文なしに「こんね」は「いらっしゃい」と説明されると、人を迎える際の敬語表現「ようこそいらっしゃいました」の簡略語としての「いらっしゃい」に感じてしまいます。

 

「こんね」の意味の「いらっしゃい」は「おいで」とか「来なさい」という命令形の方ですよという注意書きが欲しいとすら思ってしまいました。

 

私は宮崎でも日南ですから、これが正解とは言い切れないのですが、宮崎市とか他の市町村だと「こんね」と言う方言を標準後に直すなら「いらっしゃい」というニュアンスなのでしょうか?。

 

「こんね」ってどんな時に言ったり言われたりしたかなと考えると、人を誘ったり誘われる時のイメージです。

 

親戚とか親の友人知人なんかに「今度遊びに来んね?」と言われるパターンが多かった言葉の気がします。

 

この場合のニュアンスなら「今度遊びにいらっしゃい」と直せなくはありませんね。

 

強く誘われる場合は「今度遊びに来んか」でしたね。

 

たぶん年上の女性は「こんね」でしたが、年上の男性は「こんね」、強く誘う場合は「こんか」と言っていた気がします。

 

「こんね」は立場的に対等か自分より下の人に対して使う言葉ですよね。

 

少なくとも私は「こんね」は一度も使ったことなくて、友達を家に誘う場合は「くっ?(来る?)」だったような記憶です。

 

使い方としては「今度遊びにくっ?(今度遊びに来る?)」。

 

あぁ、誘われる時には「こん?」もありましたね。

 

使い方としては「今度遊びにこん?(今度遊びに来ない?)」ですね。

 

少々脱線しましたが、昭和の頃に日南で育った私の感覚だとこんな感じです。

 

この「こんね」という言葉や誘ったり誘われたりする時の方言は、日南だからとか世代とかで違いもあるのかな。

 

だから私が「宮崎の方言、こんねってどんな意味?」と県外の人に確認されたら、「来ない?」とか「おいで」、「来なさい」という意味だと説明するかなぁ。

 

たぶん、「こんねの意味はいらっしゃい」とだけ説明すると、多くの方はおもてなしの方の「いらっしゃいませ」という意味の「いらっしゃい」だと受け取りませんか?。

 

ただ、「宮崎へこんね」という使い方だと「宮崎へいらっしゃい」と説明できるのがやっぱり「いらっしゃい」という言葉の難しいところ。

 

小説や映画、ドラマの台詞で年上の方や立場が上の人が家に誘ったりする際に、「今度遊びにいらっしゃい」と言うような表現は多々ありますから、普段使わなくてもよく見聞きする言葉ではあるんですよね。

 

「いらっしゃい」だけだと、「今度遊びにでもいらっしゃい」のように、人を誘う場合に使う「いらっしゃい」なのか、お店の人が来客者におもてなしや挨拶で使う「いらっしゃい」なのか分かりません。

 

まぁ「いらっしゃい」が例文にある「いらっしゃい」だとすんなりその意味も受け取れるけど、「いらっしゃい」単体だとどっちの意味なのか分からないのが一番の原因かもしれない。

 

 

 

 

私が子供の頃から、たまに母親が「うわっ!桜島が噴火したっちゃろうか?」ということが何度かあったように記憶しています。

 

地震とかの縦揺れとか横揺れじゃなくて、何か大きな力で家全体を横からバンッと叩いたような衝撃で、一瞬だけ家が横揺れするような感覚とその音が聴こえる感覚。

 

ただ、桜島の噴火とは当時思わなかったんですよ。

 

子供の頃から鹿児島や桜島には何度か連れて行ってもらったことがあったのですが、子供の頃の感覚だと、日南から鹿児島市内まで宮崎自動車道を使っても2~3時間くらい、串間、志布志ルートで国道を走っていくと3~4時間くらいはかかるように思っていました。

 

さらに、鹿児島と日南の間には山もそれなりにあるように思いますから、桜島が噴火しても日南で分かる訳ないと思い込んでいたんですね。

 

大人になってからもたまに母が電話中に「うわっ!家が揺れたが。桜島が噴火したっちゃろうかい?」と言うことがって、その時も「そんな訳ない。桜島遠いんだから分かる訳ない」と言ってたんですよ。

 

コロナ過の前に帰省した際に実家の1階でくつろいでいると、バンッという音と同時に家の2階だけが衝撃波を受けたように揺れたんですね。

 

両親も「うわっ」と反応し、私も一瞬、地震が来るのかと思い身構えたのですが、数秒経過しても何も起きず。

 

そこでふと、これ子供の頃に何度か体験している、母親が桜島の噴火と表現するアレだと気が付いたんですね。

 

「お母さんが桜島の噴火って表現するの、これだよね?」と母に確認すると「そうよ。たまにあるがね」と言うじゃありませんか。

 

子供の頃と違って、この時にはもうスマホがありましたから、Twitterで「桜島 噴火」とツイートを確認すると、「今、桜島噴火した!」とか鹿児島在住の方と思われるツイートがいくつも表示されました。

 

「お母さん、今までゴメン。これ桜島の噴火だわ。鹿児島で噴火したってツイートが今いっぱい表示されてるわ」と言うと「じゃーろ、だから前からゆってたがね」と言われましたね。

 

この時には家の1階は揺れず、2階だけがバンッと空気の衝撃波が当たった音がして、一瞬だけ揺れたのですが、改めて体感して、その音と揺れにビックリしました。

 

噴火の状態によって揺れや音も違うんでしょうけどね。

 

調べてみたら桜島の火口から日南市役所まで直線距離だと約68キロ。

 

日南から桜島って、道路や交通状況で数時間かかかるからそれなりに遠いイメージでしたが、直線距離だと意外と近い。

 

ふと思い出したけど、小学生の頃に同じクラスだったか違うクラスだったか忘れましたが、あの子が一人で家にいる時に家が揺れる時は幽霊の仕業だと言ってると話題にされた子がいたんですよね。

 

幽霊は家全体を揺らすほど力はないだろうと笑い話にされていたし、家が揺れるのは急に強い風が吹いたりしたんだろうとか言われていたけど、あれも今思えば桜島の噴火だった可能性大な気がします。