超無名だが…やたらチャンピオンになる子達と縁あるトレーナーのブログ -10ページ目

超無名だが…やたらチャンピオンになる子達と縁あるトレーナーのブログ

これからボクシングを始めたい!
既にやっているけどもっと上手く強くなりたい!
そんな人達に今までの経験をもとに皆様に何かの気づきがあればとブログを立ち上げました。
よろしくお願い致します。

皆さんこんにちはニコニコ

 

 

寒いっアセアセ

 

昨年の今頃はこの辺りは桜が満開だったそうですが…

今年は桜が咲いている気配を感じないですねぇあせる

 

 

てことでブログいってみましょ~

 

 

 

さて…【一度の後悔…】で書かせて頂いたが、光ジムからの給与がなかった為に深夜の仕事から昼間の仕事を見つけて働き始めていた…

 

昼間の仕事…フィットネスジムだが、結構本格的なボクシングクラスがあった。

 

キックボクサー、総合格闘家、レスラーなど…

今では引退している選手達だが、当時は名前を聞けば知っているような選手も通う、フィットネスジムでのボクシング(パンチ)指導…

 

 

今では当たり前になって来ているだろうが…(キックや総合の選手がボクシングのパンチテクニックを覚える事)

 

今から20年も前の話だ!

 

当時の彼らにプロのボクシングジムの現役のトレーナーが、いきなりスタッフで入ってきて、パンチテクニックを指導している事は新鮮だったのかもしれない。

 

 

私がミットを持つ時は、人気ラーメン店の行列のように、リングサイドはミット待ちの行列が出来ていてた!

一度ミットを持ち始めたら1時間以上はリングから降りられない無気力(しんどかったなぁ)

 

そんな事もあり、私もフィットネスジムでの仕事にやりがいを感じていた。

 

横浜、東京、湘南と各店舗でボクシングを担当していた…

 

 

そして、「横須賀にも入ってほしい!」と上司から言われたが、しばらくは断り続けていた…

 

 

実は当時の私は横須賀という土地に生まれてから一度も行ったことがなかったあせる

 

勝手なイメージで鶴見から「すっごく遠そう~アセアセ」「絶対に行きたくない~」と思っていた汗

 

 

しかし…永遠に断り続けられる訳もなく…

 

しぶしぶ、京急鶴見駅から神奈川新町で特急に乗り換えるか、横浜で快特に乗り換えてから横須賀中央という駅に通い始めた…

 

 

初めて横須賀中央に来てみての第一印象が…

 

 

横須賀って…

 

「田舎のヤンキーみたいのが結構いるな~~」だった!

「なにか昭和な雰囲気がまだ残っている…」

 

自分の中学、高校時代にタイムスリップしたような感覚だった…

 

そのまま何店舗かを掛け持ちしていたが、段々と昭和な雰囲気が残る町と、お客さん達の人柄がよくて横須賀という町が好きになってきていた…

 

お客さん達の中には、ベース(横須賀米軍基地)のジムが改装中だった為に、当時の空母「キティーホーク(2009年1月退役)」の乗組員やその家族達が多く通っていた。

 

※横須賀基地に入港するキティーホーク

 

 

※横須賀米軍基地ゲート

 

日本人がアメリカ人にボクシングを教えているという不思議な現象が起きていたw

 

彼らはとても気さくで私とも打ち解けていた!

ボクシングを教えながら英語を教わったりもしていた照れ

 

 

 

この横須賀…という町を歩いている三分の一は外国人か!というくらいw

ある飲食店に入って食事をしていたりすると、日本人は私一人だけ…なんてこともよくあった汗

 

 

そんな横須賀の町を、最近テレビで紹介している番組をよく見るが…

 

もし知人などに「横須賀のおすすめとか案内してよ」て言われたら…

どこを案内するかなぁ~… 

 

 

思いつきません…

 

 

 

終わり

 

 

 

 

皆さんこんにちはニコニコ

 

 

 

昨日、今日と暖かくて晴れトレーニング日和ですね~ニヤリ

 

 

てことでブログいってみましょ~

 

【一度の後悔…➁】の続き…でっす!

 

 

その後、彼は対戦相手の王者が在籍していたジムに移籍。

良き伴侶とも出会い、結婚式では私も招待された。

 

スピーチをお願いされたので、思い切り盛り上がるスピーチをさせて頂いたのを憶えている。

 

移籍後に彼は何試合かするのだが…

勝ったり負けたり…自分でも納得のいく試合内容が出来ていなかったか…

 

ある時、彼が私が勤務する横須賀中央のフィットネスジムを訪ねてきた。

 

 

早速リングに上がらせミットを受けた…

 

 

数年振りに彼のミットを持っただろうか…

 

「やっぱ打ちやすいな~!!」と彼が言う。

 

彼の奥さんも一緒に来ていた…

と言うより、実は事前に彼の奥さんから相談されていたのだ…

「昔の彼のボクシングじゃなくなっている…」

「岡さんに見てもらいたいんです…」

といった内容だったか…

 

それなら、と「私がいる横須賀に来てみたら?」と声を掛けたのが始まりだった。

 

 

 

リング上の我々を見て奥さんが言う…

「岡さんの方が合うんじゃない?」

 

彼からも…

「そりゃそうだよ!ずっとコンビ組んで来たんだから!」

 

距離、タイミング、コンビネーション…口を出さなくても二人の息はピッタリだった!

 

彼とのミットは次に何のパンチを打つのかを殆ど口に出して伝える必要がなかった。

私のミットの構えと手振りで何のコンビネーションを打つのか彼には理解出来ていた!

 

 

「やっぱり岡さんにみてもらったら?」

 

……

 

「もう遅いよ…」

 

彼がボソッと言った…

(ああ…彼には申し訳ないことをしてしまったな…リングの上で想った…)

 

 

それからも彼は何度と横須賀まで足を運び、私との練習をしてから在籍しているジムへと帰って行った…

 

 

 

その後、彼は2009年に引退をした…「元日本フェザー級1位」という実績を残して…

 

 

 

 

 

トレーナーは選手を育てるのが仕事だが、選手達からも多くの事を学び成長させて貰うのもトレーナーだと私は思う…

 

 

 

もし、以前のようにプロの世界で選手を育てる機会を与えて貰う事が出来たなら、私は全力でその子達の為に努力を惜しまないだろう…

(※この時期私は、新井田が引退した後、光ジムから2年ほど離れている)

 

 

 

 

 

(今回のブログは過去の原稿より抜粋)

 

 

 

皆さんこんにちはニコニコ

 

 

本日も快晴晴れ

そして、鼻水もズルズル…スライム

 

 

てことでブログいってみましょ~

 

 

【一度の後悔…①】の続き…でっす!

 

 

 

「日本フェザー級タイトルマッチ」

自分の選手は2004年のフェザー級全日本新人王!

2004年…横浜光ジムから東日本新人王が4人出た時のうちの1人だ!(もう20年も前の事になるのか…)

 

王者は角海老宝石ジム所属で彼の友人の一人でもあった…

実力的には五分…

四回戦の頃から何年もコンビを組んできた…彼の実力を発揮出来れば必ずチャンピオンになる事が出来るだろう!

 

 

だが…

 

私は始めたばかりの仕事があった為に、今までのように週6日、彼の練習に付き合うことが出来なかった…

 

自分の選手がタイトルマッチともなれば朝のロードワークに付き合い、毎日のようにミットを持って戦略を立てながら選手との信頼を深めて行く…そんな当たり前の事を私はしてあげる事が出来なかった…

 

フィットネスジムの仕事は22時、23時まで…

光ジムに顔を出せるのは仕事が休みの日、週2回程しか行けなかった。

彼との関係も何となくギクシャクしていった…

 

不安だったに違いない…

そんな状態のまま2006年5月20日(土)タイトルマッチ当日を迎えてしまった。

 

控室でもいつもの強気な彼の雰囲気はない…「やることはやって来た!」という気持ちにはなれなかったのだろう…

そりゃそうだ、一番の力になってあげなければならない担当トレーナーが、ほとんど練習をみてあげなかったのだから…

 

控室で不安そうにしている彼の表情を見て…「取り返しの付かないことをしてしまった…」と自分が情けなくて、その場で涙が出そうになったのを覚えている…

 

 

 

挑戦者の私達から先にリングに上がり、王者のド派手な入場をただ見ていた…

セコンドとして何度もリングに上がって来たが、初めて気持ちで負けていた気がした…

 

彼の見せ場は2ラウンド目だったか、得意の右アッパーで王者の腰を落とした!

しかし…その後は王者の巧みなクリンチワークやトリッキーな動きに翻弄され13戦全勝で挑んだタイトルは3‐0での判定負けとなった。

 

明らかに練習、戦術不足…

勝てない相手ではなかっただけに悔やまれる内容だった…

 

 

 

控室に戻り、彼は…「自分の気持ちの弱さです…」と言うようなことを口にしただろうか…

「そんなことは無い…全部俺の責任なんだ…」「そうさせてしまったのは俺なんだよ…」そう心の中で思うだけで、実際にどう声を掛けてよいのか…

 

静まり返った控室で、ただ時間だけが流れていった…

 

 

 

本来であれば彼は「日本フェザー級王者」という肩書を背負う事が出来た人物だった…

 

私は彼から、その肩書を奪ってしまったのかもしれない…

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

皆さんこんにちはニコニコ

 

 

最近地震が増えていますが、皆さんは何か防災対策はされていますか?

私も水、食料などしっかりと防災グッズを揃えておこうと思いますあせる

 

 

てことでブログいってみましょ~

 

 

もう20年近く前の話である…

 

 

 

当時、私は光ジムのトレーナーとして昼の12時から20時頃まで練習生やプロ選手の指導をしていたのだが…

(ジムの鍵も預かっていたので会長の代わりにジムオープンをする事もあった)

 

ジムからの給与は一円も貰っていなかった。

(当時の光ジムは複雑な環境で、私は会長に可愛がって頂いていたので給与を出してくれるオーナーからは貰えていなかった…)

 

その為、私は夜中の12時から朝の7時までビルメンテナンスのような仕事をしていた。(この時期に10tトラックに突っ込まれる大事故にあっているが無傷だった!車は全損だったけど…奇跡w)

 

一日の睡眠を半分に分けて光ジムから帰って1時間半ほど、深夜の仕事から帰って2時間ほど…トータルで4時間も寝ていなかったんじゃないかな…

 

そんな生活を5年やってきた結果…体調は崩し、ノイローゼ気味になっていた…

 

なんで5年もそんな生活をしていたのか…

光ジムから給与が出ていれば何も問題はなかったが、前述したように複雑な環境であった為にそれは期待出来なかった…

 

 

理由の一つは、自分が見ている選手達の練習が見られなくなってしまう…というのが一番の理由だった。

 

12時から20時の間にジムにいたので、見ている選手や練習生も昼に来る子もいれば、夕方になってから来る子もいた。

 

当時はトレーナーの中では自分が一番若かったし、見ている人数も練習生含め一番多かったのではないかと思う(20人ほど見ていた)

彼らを見捨てる訳にはいかない…

 

他のトレーナーに見てもらえば…と行きたいところだが、これまた複雑な環境で会長派とオーナー派でトレーナーも分断していた。

私がお願い出来るのは先輩トレーナーのOさんのみ…

しかしOさんも仕事が終わった後の夕方からジムに来るのでトップ選手の練習だけで手一杯だった…

 

 

すっごく悩んだ…

 

 

でも、このままだと…

10tトラックに突っ込まれても生きていたけど、違う意味で〇ぬ!と思ったんだ…

 

 

私は昼間の仕事を見つけた…

フィットネスジムでの…ボクシング指導…

 

どんだけボクシングが好きやねん!

プロ選手を見ている経験を生かせると思ったし、一般の方にもボクシングの奥深さを伝えたいと考えたからだ。

(このフィットネスジムでの経験が、現在の私に繋がっていくことになる)

 

 

 

フィットネスジムの仕事に着いた私だが夜の10時、11時までの勤務だった為に、当然光ジムからは足が遠のいていった…

 

ある程度は会長がカバーしてくれていたが限界はある。

辞めていく練習生も出てきた。

 

 

もう一人、私の助けをしてくれる人物がいた!

 

日本ライト級、スーパーライト級王者「木村登勇(キムラノリオ)だった!(オーナー派の選手だが彼にはそんなことは関係なかった…)

日本スーパーライト級を13度も防衛した名王者だ!

【44戦35勝(19KO)7敗2分】

 

 

彼とはとても仲が良く毎日のようにビリヤードに行ったり試合後は飲みにいったものだ生ビール(今だったら試合後のアルコールはダメね…昔もだけど汗

 

現役の王者にも関わらず自分の練習が終わると選手たちのミット持ってくれたり「木村術」を授けていたw

※木村術…彼独特のボクシング理論、無駄がなくとても理に適っている

 

 

週6日顔を出していジムは週2回までに減っていたが皆の助けがあって何とかやっていた…

 

 

 

そんな時だった…


日本フェザー級タイトル挑戦の話が入ってきたのは…

 

 

 

続く

 

 

 

 

皆さんこんにちはニコニコ

 

 

最近は風がめちゃくちゃ強くないですか?アセアセ

もう春が近づいて来てる証拠なんでしょうかクローバー

 

 

てことでブログいってみましょ~

 

 

皆さんは後楽園ホールでボクシング観戦をしたことがあるでしょうかウインク

 

後楽園ホールに足を運びボクシング観戦をしていると、様々な声が飛び交っています。

 

選手達の家族、友人達の応援する声…そして、セコンド陣の声などである。セコンドは観客とは違い常に冷静に試合の状況、選手の状態を把握しながら、その都度的確な指示を出さなければならない。

だが、あの盛り上がった観客たちの大声に負けないように選手に声を届かせるのは、なかなか大変な事でもある。

 

人気ある選手同士の試合や、タイトルマッチになったらお互いの応援団も多いので、セコンドの声もかき消されてしまう。

 

こちらも声援に負けないように大きい声を出すので、試合が終われば声が枯れているなんてよくある事だ。

 

 

私がまだ新米のトレーナーだった頃、インターバルで帰ってきた選手に「俺の声が聞こえているか?」と聞いたことがあった。

 

選手は「聞こえてないです…」と返してきた…

私の中では大きな声で指示をだしていたつもりだったが、試合に集中していて声が聞こえなかったのもあるかもしれないが、このままではいけない…(元々、私の声質もそんなに通る方ではないが)

 

どうにか、あの大声援の中でも声が通るようにしなければ…と考えていた…

 

そんな時、自宅でテレビを見ていると「どうして電車の車掌さんは鼻声なの?」みたいな企画をやっていた!

理由は電車に乗っている乗客に声を聞き取りやすくする為だというではないか!

 

私はピン!ときた!「なるほど、確かにあれだけ廻りの雑音があるのに車掌さんの声は聞こえるわ!」(昔の車両は音がうるさかった~)

 

そう思うと、八百屋さん、築地の競り、アメ横の「安いよ安いよ~」のお兄ちゃんの声も鼻声か?

確かにすっごい通っているな!これは使えるかも!

 

 

早速、セコンドに付いた時の声を鼻声にしてみた。

「ラスト1分~」「ラスト30~」他の指示もすべて鼻声!

 

鼻声はしっかりと選手に届いていたニヤリ

 

ある試合で「〇〇!」と名前だけ呼んでその後にすぐ声を掛けないことがあった…

選手は「はい!」と試合中にこっちに振り返ったアセアセ

 

「あほかアセアセこっち見るな!」

 

試合中に鼻声で名前だけを呼ぶのは危険だな汗と思う出来事もあった…

 

 

こんな事もあった…

 

ある選手の引退するきっかけとなった試合のセコンドに入った時だ。お互いに一歩も譲らず激しい打ち合いの内容だった。

 

常に接近戦…打って打たれて、打たれて打っての繰り返し…

後半はほぼノーガード!「ガード上げろ!」の私の声に選手も反応する。

この時、私の手にはタオルが握られていた…

一緒にセコンドに付いてくれていた関会長は「もう投げろ!」と言っていた…

 

 

セコンドの役目は沢山あるが、一番大事なことは…選手を無事にリングから降ろし…

愛する家族の元に歩いて返させること!

 

 

しかし、選手の眼はまだ生きている!

レフェリーも止めるか止めないか…タイミングを計っている…

結局、最終ラウンドまで縺れ、結果は判定負けだった。

 

試合終了後は選手たちを称えるように両応援団から拍手が鳴りやまなかった。その試合を最後に私の選手は引退した…

 

 

後日…彼の知人から聞かされた言葉があった。

「岡さんの声…すごくよく聞こえて励まされ力が出た、最後まで頑張ることが出来たんだ!」と…いった内容であった。

 

私は嬉しかった!私の声がしっかりと届き、いつ倒されてもおかしくない内容の試合を最後まで戦い抜く事が出来たのだから…

 

 

しかし、実際は複雑な心境でもあった…

あれだけの乱打戦で倒れず、我慢に我慢してずっと立ち続けるという事は、パンチのダメージの蓄積は相当な物になってしまう。

 

ボクサーは選手時代よりも引退後の生活の方がはるかに長い…

選手の将来も心配であるが…彼が最後まで倒されずリングに立ち続け、悔いなく引退出来たのもまた事実である。

 

 

そして…

彼に力を与えた私の声は「電車の車掌さん」のおかげだった照れ

 

 

 

終わり

 

 

(今回のブログは過去の原稿より抜粋)