「つまり誰が?」

 

黒髪にくせ毛の目立つ男が、眉毛をハの字にしながら聞き返した。

その鼻っ面には、細く小さな人差し指が真っ直ぐ突きつけられていて、

その先に伸びる右腕の持ち主は、灰色の双眸を確実に目の前の男へ向けていた。

長く豊かな黒髪は、彼女の腰までゆったりと伸び、毛先に近い場所で一括りにされている。

伸ばしていない方の左腕は、拳を作って腰へ当てられ、

両足は肩幅よりもやや広げてしっかりと立っていた。

そうして彼女よりも頭2か3つ分ほども高いその男へと指を指したまま、

ふたたび、言い放つ。

 

「あたしには、あんたしかいないでしょーが」

 

 

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その日友人は、1冊の本を私に紹介していた。

一定のルールと、サイコロの目に則って、シナリオを卓上で冒険する、

そんな遊びのお誘いだった。

 

「TRPGって知ってる?」

「小学生の時に、リプレイを読んだ事があるよ。…君は、絶対好きだと思った」

 

7年も昔に読んだ小説の話を、彼の言葉ですんなり思い出し、

私はメールでそう返信する。

 

「俺もそう思った。あとお前なら絶対乗って来るって」

「もちろん、私もああいう設定を考えて楽しむようなゲームは大好き」

「だよな。俺も始めたばっかだから色々おぼつかないんだけど、一緒にやろーぜ!」

「やるやる、どんなルール?」

 

その時、特定のリプレイしか読んだ事が無かった私は

割と沢山のルールブックが世に出回っていること、

それが「ルルブ」という某旅行雑誌の名前そっくりの愛称で呼ばれていること、

設定によって使うサイコロが異なること、

動画投稿サイトの普及によって、ひそかにTRPGブームがきている事を知った。

 

ついでにこれから遊ぼうとしている世界観が

「剣と魔法の世界」という、かつて読んだリプレイの世界観と似ていることに

少しだけ安堵していたのを覚えている。

 

そうやって、必要なものを相談したり

TRPG自体のhow to、PCの簡単な初期設定や

いたら楽しいNPCの話などを

やたら長文のメールでやりとりしだした頃、

 

ネットショッピングで購入した、「ソードワールド2.0」

彼と同じルールブックが、私の手元にも届いた。

 

 

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剣の作りし世界、ラクシア。

3本の始まりの剣に秘められた膨大な魔力によって、

あらゆる生命と魂が作られたとされる世界。

 

神話では、3本のうち、2本の剣のそれぞれの所有者が神となり、

“始祖神”ライフォスが人間や亜人種を束ね、調和によって人々を発展へと導き、

“戦神”ダルクレムが自らの力を得るために、魂の穢れた生命を作り上げた。

3本目の剣は、争いを始めた2本の剣の所有者たちのどちらにも利用されないため、

自ら砕け散り、魔力の結晶となって世界へ散らばった。

 

神々は争いの末永い眠りにつき、2本の剣は行方不明になる。

築いた文明は戦いの中で失われ、

その後も“調和”によって導かれた「人族」と

“力の解放”によって魂の穢れた「蛮族」との戦いが続いていた。

 

舞台は、そんなラクシアの中でも有数の巨大な大陸、

テラスティアのザルツ地方、南から北へのびるオッド山脈から始まった。

切り立った崖のような山は、足場も悪ければ、そこを根城にする蛮族も多く、

冒険者を生業とする人族でも、経験を積んだものでなければ踏破は難しいとされている。

 

そこを、白髪を無造作に降ろした青年が1人、おぼつかない足取りで彷徨っていた。

青い切れ長の目を鋭く前方へ向け、ゆっくりと着実に進んでいるようにも見えるが、

時折ゴツゴツとした岩に足を取られ、

それに短く悪態をつきながら、乾いた唇から短い呼吸を繰り返している。

目指す場所はまだ遠く、しかし何も考えずにその辺に腰を下ろしてしまえば、

「ぎゃあああ!」

物陰から蛮族が飛び出して来る。

「ーーーっ!」

岩陰に潜み、冒険者が背中を向けたタイミングで飛びかかってきた蛮族を、

彼はすかさず右腕を振り上げ殴り飛ばし、

小柄な蛮族はバウンドしながら転がって少し離れた場所で止まった。

そのままだらんと右腕を下げながら、

振り向くことも億劫そうにまた進もうとする。

ダメージを負いながらもむくりと起き上がる蛮族を、

周りの岩陰からぞろぞろと出て来た同種族が支えながら、

ふらつく白髪の人間を少し遠巻きに取り囲んだ。

心底面倒くさそうに、彼はまた悪態をつく。

 

圧倒的な数と、体力不足によって、彼は追い詰められていく。

鋭い眼光だけがまだ彼が諦めを捨てていないという最後の抵抗ではあったが、

残念ながら蛮族にとってその眼光は痛くも痒くもない。

応戦虚しく、青年はとうとう膝をつく。

 

その時、

どるるるるるるるるるるるるるるるるる

という、まったく場違いでけたたましく聞き覚えの無い音が、

猛スピードで突進、彼を囲む蛮族を蹴散らし、彼と残りの蛮族との間に入った。

どるるるん

どるるるん

どるるるん

不思議な爆音をそこら中に撒き散らし、

威嚇のように吠えている。

見上げると、鉄で出来た大きな胴体だけの馬に、

足の代わりにゴムでできた円形のホイールをつけた、

彼にはなんだかよく分からないものが、

彼の3分の2ほどの身長しかなさそうな少女によって操られていた。

長い黒髪を毛先の方で一括りにした少女は、

横目で尻餅をついた青年の様子を確認すると、

腰に下げた短い剣をスラリと抜き放ち、蛮族に向かって不敵に。

そして、かなり凶悪な笑みをつくった。

 

 

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「悲劇の似合う感じの拳闘士がいいなー、最近の妄想に使っている主人公なの!」

そんなことを楽しそうに話す友達は、駅に面したガラス張りのカフェで、

クランベリーのムースをフォークでつつきながら、

そして少しだけ周りの目を気にしながら私にそんな話をしてくれた。

「悲劇の拳闘士?」

「そうそ、彼はね、双子の姉がいたんだけど、

彼女はある日呪われた剣を手に入れてしまって、殺人を繰り返すようになるの。

最初はまったく気付かなかったんだけど、彼女の言動を怪しんだ主人公が彼女の正体を暴き、事件解決!

…かと思いきや、その呪われた剣で襲いかかってくる姉を返り討ちにして殺しちゃうの。

姉の変わり果てた姿を見て、髪の毛は真っ白、おまけに殺人鬼の双子の弟ってことで、

その街に住めなくなっちゃうっていう。」

「武器は…トラウマでか」

「そう、拳で戦うのを選んでいるというか、剣ぽいものが持てないの」

アイスティーにガムシロップの最後の一滴を入れるのに苦戦する私をある程度無視しながら

友達は続けざまに説明していく。

「目は青くて切れ長で、綺麗で、あんまり筋肉質すぎなくて、綺麗で、背はあまり高くなくても良くて…

あ、それこそ女の人と間違うくらい綺麗でもいいな」

「名前は?」

 

「カロル」

 

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激しい衰弱によってそのまま気絶したカロルは、簡素なログハウスのような場所で目を覚ます。

見知らぬ天井から視線を移すと、ベッドの傍では手当をしてくれていたであろう先ほどの少女の姿がある。

よく見れば、背が低いだけで、年はカロルと同じくらいだろうか。

目が合うと、快活そうな雰囲気をまとった彼女が、カロルの目が覚めたことに少しだけ安堵し、

 

「あんたね、弱いくせに1人であんな場所で何してんのよ」

 

そして容赦なく、説教を始めた。

 

小一時間続いた説教を聞きながら得た情報によると、

まず、彼女の名前はリリア、というらしい。

このログハウスはオッド山脈の東の麓にあって、彼女が冒険の拠点に使っているそうだ。

同じくらいかと思われた年の差は驚くべきことに約10年。

リリアはかなりのベテラン冒険者だった。

彼女の乗っていたあの鉄の首無し馬は、「魔導バイク」といって、今は失われた技術の産物らしい。

どうやって手に入れるものなのかは教えてもらえなかった。

 

「ここら辺の子じゃないわね」

「どうして分かる?」

「私のこと知らないんだもん、この辺の冒険者なら誰でも知ってるわよ」

 

本人曰く、ベテランの上にかなりの有名人らしいが、

さして興味はなかったので、深くは追求しない。

そんなことより、と前置きをした彼女が今度はカロルに質問をしはじめた。

 

「カロリンは何であんな物騒な場所をうろうろしてたわけ?冒険者じゃないんでしょう?」

「カロ…リン!?おい助けて貰って何だが、変な呼び方やめろ」

「いいから理由を言いなさい。場合によっちゃ力になってあげるから」

「………悪いが、あんたにそこまでする理由が無いだろう」

「馬鹿ね、治安維持も立派な冒険者の仕事よ。それにこういう横の繋がりが案外生きてくんの」

 

ベテランらしい至極全うな意見のようだが、

カロルは黙ったまま視線を逸らした。

少しの間、思案する。

 

「事情があって、ルキスラまで行きたいんだ。蛮族の研究が盛んらしいからな」

「…ここを下って、歩くとなるとまだ5日以上かかるわよ。その装備で生きて辿り着けるの?」

 

カロルが黙る。

行きずりの冒険者にですら隠さなくてはならない事情のようだと、

リリアにも察することができるが、彼女はあえて追求してきた。

リリアが胸元から汚れた封筒のようなものを取り出すと、

カロルから一瞬で表情が消える。

すぐに焦りと怒りのそれに変わると、本気でリリアに掴み掛かった。

 

「おまっ、返せ!!」

 

ベッドの上から必死に手を伸ばすが、

リリアに慣れた手つきで受け流された。

歴戦の冒険者は力任せに暴れるカロルに反撃もせず、

ただ冷静に拳だけを弾き、かつカロルにダメージを与えず避け続ける。

実力では適わないことを悟ると、短く舌打ちをしたカロルが

頭を垂れて拳を握りしめた。

 

リリアはその封筒から1枚の紙を取り出し、冷静に続ける。

 

「どう見ても、蛮族からのお手紙なのよね。どういう関係?」

「知らん、そもそもそれは俺宛のもんじゃねえし、俺には読めねえ」

「返答によっちゃここで始末させてもらうんだけど、他に言いたいことは?」

「なっ…」

 

カロルは一瞬狼狽えるが、リリアは至極真面目な顔で言い切った。

 

「言ったでしょ。治安維持も立派な冒険者の仕事よ。

もしあんたが蛮族の内通者か何かだった場合、情報を聞き出した上で殺すわ」

「………」

 

一瞬前で散々実力差を見せつけられたカロルが、唇を噛み締める。

やがて、ぽつぽつと身の上話を始めた。

 

仲の良かった双子の姉と、遠くの街で暮らしていたこと。

ある日、街で連続殺人という恐ろしい事件が流行り始めたこと。

どうやら全員が大きな剣で殺されたらしいが、しばらく犯人が見つからなかったこと。

その頃から姉の様子が少しずつおかしくなり、様子を探っていたらそれが姉にバレたこと。

すると、普段の姉なら絶対に持つ事も不可能な大きな剣で、自分を殺そうとしたこと。

なんとか生き延びることが出来たが、そのはずみで姉が死んでしまったこと。

凶器と死体によって姉が犯人だったことが周囲にバレ、自分が街にいられなくなったこと。

 

「その手紙のようなものは、姉の部屋で見付けたんだ。

蛮族のものだってことまでは分かったんだが、それ以上は俺じゃ無理だった」

「だから、ルキスラか…」

「姉さんは、あんな人じゃなかった。どちからといえば力も気も弱い、大人しい人だった。

その紙がきっと真実に辿り着ける、唯一の手掛かりなんだ…」

「そのお姉さんが仮に手紙の差出人の手引きによって変わってしまったとして、

あんたは一体どうするの?」

 

カロルはその言葉にしばらく押し黙った後、

腹の底から怨むような声を絞り出し、

 

「必ず、この手で殺す」

 

鋭い目を更に鋭利にしながらそう答えた。

リリアは神妙な面持ちでそれを傾聴したあと、

カロルの背中をそっと撫でた。

 

「成る程、辛かったわね…」

「……疑いは晴れたかよ…」

「最初からこれっぽちも疑ってなかったけどね」

 

あっけらかんと言い放つリリアに

ビックリした様子でカロルが目を見開く。

 

「もし本気で疑ってたら手当なんてしないし、

そのまま拷問しやすいように岩にでも縛り付けておくわよ。ついでに屋外の方が遺棄しやすいし」

 

至極当然といった顔でため息をつかれた。

信じられないといった様子のカロルが口を鯉のようにぱくぱくさせている。

 

「でも、無理矢理聞き出せたお陰であんたの役には立てそうよ」

「は?」

「この手紙が読めそうな知り合いがいるの。

これ、かなりデカい話みたいだから是非こちらで解読したいんだけど、

その知り合いがちょっと遠くて危険な場所に住んでるのよね。ねえ、良ければこれ借りててもいい?」

 

そういって手紙を封筒の中にしまい、再び彼女の胸元へ引っ込める。

 

「あ、おい、ちょっと!勘弁してくれよ、俺はどうなるんだ!」

 

そういって手紙に手を伸ばそうとするが、

 

「やめてよエッチ」

「はぁああああああ!?」

 

そう言って背を向け、カロルにとってはかなり不本意な避けられ方をしてしまった。

背中を向けたままのリリアがそのまま言葉を続ける。

 

「もし仇討ちが目的なら、あんたはもっと強くなんなさい。多分、かなりヤバい相手になると思うわ」

「強くったって…」

「手紙の代わりに、あんたに良い相手見繕ってあげるから、そいつと冒険者としての実力を付けるの!

どう?渡りに船、繋がりも増えて一石二鳥!しかもあいつを引っぱり出す絶好のチャンスじゃない!」

「なんの話だ?」

「あらやだ、最後のはこっちの話ね」

 

リリアは軽く手を口に当てると、悪びれもせずにカロルに笑顔を向けた。

もはや色々諦めたようなカロルの疑問が、ふと口をついて出る。

 

「どうして、そこまで親切にしてくれんだ?たまたま通りかかったて助けただけの相手に」

「…あんたが、私の弟と同い年だったからよ!」

 

今年18になるカロルよりも10ほど年の離れた女性が、

少女のような姿をしながら、少女のような仕草でウィンクしてみせた。

正直、かなりうさんくさかった。

 

「そんなわけで、今日はさっさと身体を休めて回復に努めなさい。明日は早いわよ!」

 

リリアはそれだけ言うと、大きめの毛布に身体をくるんで壁際にもたれかかった。

ベッドを明け渡したかったが、身体は怪我によるダメージでまだ上手く動きそうにない。

言われるがまま、カロルはありがたくベッドを借り、そのまま静かに寝息を立て始めた。