店内に入ると、まだまだ昼にも関わらず、沢山の客で賑わっていた。

広い店内には、いくつもの大きな木製の円卓、それを囲む無骨でおもむきのある椅子には、

種族、性別、身の丈、すべてがバラバラに見える冒険者らしい人族たちが、

みんなそれぞれ酒を飲んだり、話し込んだり、陽気に過ごしている。

 

壁一面には天井まで届くような大きな木枠がずらりと並んで掛かっており、

枠の中には、あまり上等ではない紙が束になって、

それもところ狭しといった風にびっしりと貼付けてある。

恐らく、冒険者への依頼。所謂「クエスト」の類いなのであろう、

紙はところどころ引っ張ったり折れ曲がったり、

店内にいる冒険者たちが時折掲示板の前で相談している様子が目立つ。

今まさに、小さな少女のようにみえる冒険者に重厚な鎧を着た大柄な冒険者が椅子を引き、

少女の方が不敵な表情のまま円卓の向かい側に座る人間に商談を吹っかけているのが見えた。

鎧の大男は、傅くように少女の後ろに控えている。

小さく見えて、彼の雇い主か、よほどの実力者なのだろうか。

 

中央奥のカウンターには、金髪を短く借り上げた大柄な中年男性が

くすんだピンク色のエプロンを身につけて、忙しそうに作業をしている。

 

「街の中以上に騒がしいところだな、どれがルーサーだ?」

「カウンターの人に聞いてみよう」

 

ふたりは店の入り口から、

冒険へ旅立とうとする長いローブを纏ったエルフと、大剣を携えた剣士の人間、

大きな垂れ耳と尻尾の生えた背の高い男とすれ違い、

まっすぐにカウンターに歩み寄り、

奥で急がしそうに働いていた男に声をかける。

彼らに気付いたカウンターの男が、一瞬トレイズを見て片方の眉だけあげたが、

すぐに表情を戻して、人懐っこく、くしゃりと笑った。

 

「いらっしゃい、見ない顔だな」

「こんにちは、ルーサーという方を探しているんですが」

「ルーサーは俺だ」

 

近づいた事で分かる。

身の丈2m以上ある大男は、ゴツゴツと隆起した筋肉を鎧のように纏っていた。

短く整えられた、白髪まじりの金髪と髭から、力強い貫禄を感じられる。

トレイズの問いに短く答えると、

ルーサーは分厚く大きな掌を差し出し、ふたりに握手を求めて来た。

 

「お、おう、よろしく…」

「はじめましてルーサーさん、俺はトレイズっていいます。俺たち、冒険者になったばかりで、しばらくここを拠点にさせていただきたいのですが…」

 

順番に握手を返す。

握り返されると、自分の手がすっぽりと隠れてしまう大きさだ。

カロルが萎縮している。

 

「おう、ウチを選んでくれて光栄だ!まあまずがなんか食ってけよ、今の季節だと秋魚のムニエルと、エールがお勧めだ」

「じゃあ、それを」

「ああ、そういえば腹減ったな…」

 

ルーサーは奥の厨房へ注文を通すと、ふたりに目の前のカウンターの席を促した。

 

「そいつぁ良かった。で、どうしてウチに?誰かの紹介か?」

「…はい、以前俺の姉がお世話になったとかで。その節はどうもありがとうございました。これ、姉からの紹介状です」

 

一瞬、少し躊躇いながらも、リリアからの紹介状をルーサーに手渡す。

懐にしまっていたそれは、一瞬前まで迷子だったトレイズの体温で暖まり、

最初に手にしていた時よりもいくらかしんなりしていた。

が、特に気にした様子も無く軽く手をぬぐったルーサーは

大きな手で素早く中身を取り出すと、短い文面に目を走らせる。

 

そしてすぐ、署名の欄で目を止め、思わず表情を引きつらせた。

 

「り、リリア=シュルツ…だと!?」

 

思わず叫んだその声に、店内の音が一斉に消える。

カロルは、一瞬何が起きたか分からない様子だったが、トレイズは何か想定はしていたみたいだ。

所在無さげにルーサーから視線を外している。

 

「“災厄”リリア…」

「ワイバーンを素手で倒したとか聞いたぞ…」

「あいつリリアの何だ…彼女がここへ来るのか…?」

「ドラゴンを飼い馴らしているとか…」

「おっかねえ…」

「はぁぁ…リリア様最高…」

 

ただでさえよく通るルーサーの声は店内の隅々にまで届いていたようだ。

一瞬の静寂の後、明らかにどよめいているのが、ふたりの耳まで届く。

逆に、先程までは一切聞こえて来なかった窓から入って来る街の喧噪が

痛い程、五月蝿く感じるのだった。

 

「…やはり、随分有名なんですね」

「この様子じゃ、どっちかってーと悪名っぽいけどな」

 

リリアの名を知らなかったカロルがトレイズの様子を横目に茶々を入れる。

 

「うるせぇぞテメェら!黙って酒飲んでろ!」

 

ルーサーがカウンターをドンと叩いて一喝すると、

客席のざわめきはあっという間に収まり、すぐに元の店内に戻る。

 

「すまんな、あんまりに懐かしい名前を聞いたもんだから、驚いちまった。しかしまあ、お前さんがあのリリアの弟か。確かにどっか面影がある」

「ははは、態度と背丈が違い過ぎて、あまり似ているといわれたことはありませんが…」

「そうかな、意志の強そうな目がよく似てやがる」

 

先程までの態度とはどこか違う、

まるで警戒しつつも、値踏みするかの用な。

斜に構えた考え方から来るトレイズの悪い癖だが、あまり姉との比較をさせないように、

早めに会話を切り替える。

 

「とにかく、俺たちは姉とは違ってまだ新米も良いところです。これから何かとご迷惑をおかけしますが、どうか、よろしくお願いします」

「…よろしく」

「こりゃあ面白い。性格は真逆なんだな、わかった。このルーサーが責任持ってしごいてやる」

 

話し込んでいると、厨房の奥から人間の子供くらいの大きさで、

直立した犬に似ている、蛮族である“コボルト”が料理を運んで来た。

ルーサーとお揃いのくすんだピンク色のエプロンを着用し、

両手を使って大きなプレートを持っている。

プレートの上には先程ふたりが注文した料理が乗っていた。

小麦粉をまぶした秋魚はきつね色にこんがりと焼き上がり、

豊かに香るバターの香りが食欲を掻き立てる。

よく冷えたエールも一緒に、新米冒険者たちの前に静かに置いていく。

 

「来たな、ホレ、冷めないうちに」

「蛮族じゃねーか!」

 

カロルは弾かれたように立ち上がり、コボルトから離れた。

正確には相手の間合いから、一歩引いたところまで退く。

そのままファイティングポーズを取ろうとして、

周りの反応を見てそれを途中で止める。

その代わり、あからさまに戸惑っていた。

 

「ああ、珍しいか?あいつはドリーっていってな。料理の腕を買ってここで雇ってる。気は弱いがいいやつだ」

「ば…蛮族なのに、か…?」

「種族によっては、な。コボルトなら、ここじゃ珍しくはない」

「共存、できるもんなのか…危険は?」

「無いね。元々こいつらは他の蛮族に使役される立場の種族さ。酷いコキ使われようでな、嫌気がさしてるんだ。ウチみたいに雇ってるところも少なくねーぞ。こいつの事は安心していい」

「そ、そうか……すまん……」

 

いいながら、カロルがトレイズの隣に戻って来る。

やりとりを黙って聞いていた“コボルト”ドリーが、立ったままのカロルの前に改めてエールを置き、

「お待ち」と一言いうと、足早に厨房へ戻って行った。

冷や汗がだらりと額から垂れるカロルに、カウンターに立つルーサーがおしぼりを手渡した。

 

「ま、お前の反応を頭ごなしに否定するつもりはないが、あっちもビビる、仲良くしてやってくれ。といっても、個体によっちゃ狡いやつもいるから、見極めは必要だが」

「ああ、わかった…。ついでに聞いて良いか?」

 

もらったおしぼりを握りしめながら、袖で乱暴に額を拭ったカロルが、

険しい表情のままルーサーを、そして、人族の生活県内にいるドリーを、

同じ視界に入れながらいった。

 

「人を、操るような蛮族を知っているか?」

「んん…聞いたことがあるような、無いような…すまんな、分からん」

「そうか…ありがとう」

 

カロルは、情報が出て来なかったことにどこか安堵するように。

トレイズが引く椅子に座りなおした。

 

「…何かワケアリみてぇなだ。まあ調べといてやるが、期待はしないでくれ」

「ああ……」

 

ようやく手ぬぐいの使い方を思い出した相棒が、

長い息を吐いて落ち着こうとするのをゆったりと待ちながら、

トレイズが会話を主導を移動させる。

 

「お騒がせしました」

「構わねぇさ。…じゃ本題に戻るが、お前さん達は冒険者の宿は初めてか?」

「はい」

「ウチに出入りしている冒険者には、ウチに来たっていう証としてこのエンブレムを渡しているんだが」

 

ルーサーは、カウンター奥に並ぶ棚から、掌大の鉄板を1枚だけ、取り出して来た。

それは、表面に雷を大剣をあしらった、鈍く光る、無骨なエンブレムだ。

料理と同じように、ふたりの新米冒険者たちの手元に差し出す。

 

「エンブレム…いただいていいんですか?」

「いや、まだだ」

「んあ?」

 

安心した瞬間から、早速食事に手を付け始めていたカロルが

エンブレムを手にしようと伸ばした手を引っ込めた。

 

「最近、冒険者のマナーが悪くなってきてな。前金だけ持ち脱げする奴らや、ウチの名を使って悪巧みをする輩が増えて来てるんだ。リリアの紹介状を持って来たお前さんたちを疑うわけじゃないんだが、簡単なテストを受けてもらいたい。もちろん、報酬はきちんと支払う。やる気があるなら話してやるが…」

 

「やります!」「きかせろ」

 

前のめりな新米たちの様子に、満足そうに顔をほころばせながら

「やる気のある奴らは、嫌いじゃないぜ」と一拍を置き

カウンターに置いたエンブレムを引っ込めて、ここルキスラ近辺の地図を広げる。

 

「さて、では肝心のテスト内容だが、ある場所まで届け物を持って行って貰いたいんだ。そしてそこで、今度は荷物を受け取ってウチまで届けてほしい。」

「その場所はどこですか?」

 

地図を冒険者側に読みやすく回転させたルーサーは

現在地であるルキスラに右手の人差し指を置く。

それをまっすぐ、東へ少しだけずらした。

その指先は、ルキスラと書かれた都市と、大きな森との間にちょこんと位置する

森のような、林のような記述の上だった。

 

「ルキスラから、東へ半日程歩いたところに小さな森がある。巷じゃ、“はぐれ森”って言われてる森だ。その森をちょっと入ったところに、“パック”っつーじいさんが住んでるんだが、そこまでこの届け物を持って行くんだ」

 

地図での説明の途中からカウンターの下あたりを、何かを探すようにルーサーが身を屈めた。

膝を曲げても、その大きく頑丈そうな背中はカウンターの上まではみ出していたが。

カロル、トレイズが顔を見合わせ、カウンターの下をのぞき込もうとするよりも先に、

ルーサーの上半身は“荷物”と一緒に戻って来る。

ドカッという音を立てながら、彼の頭くらいの大きさのある大きな壷を冒険者たちの前に置いてみせる。

 

「中身は、壊れやすいものですか?」

「いいや、これは砂糖だ」

「砂糖…?」

 

中身を確かめようと、閉じられた蓋に手をかけるカロルを、

トレイズはぴしゃりと、手を払うことで止めた。

 

「あにすんだよ」

「了承も無しに勝手にあけるな。…食べ物なら尚更。それでルーサーさん、持ち帰るものというのは?」

「ああ、それはパックじいさんに“いつものやつ”っていえば伝わるから大丈夫だ」

「分かりました」

「わざわざ冒険者に行かせる理由はなんだ?危険な場所なのか?」

「くはは、そんな大層なヤツなんて出やしねえよ!」

「そりゃ安心だ」

 

はたかれた手を引っ込めて食事に戻るカロルがさっくりとした秋魚にかぶりつく。

 

「遅くなるつもりはありませんが、期日などはありますか?」

「何事もなけりゃあ行って帰って来るのに2日もかからんはずだ。期日は、そうだな。特に設けちゃいないが、3日後の夜12時ってことにするか。報酬は500G用意しよう。どうだ?」

 

今から移動すると、夜中に森をうろつくことになりかねない。

トレイズの意図を察してか日にちはかなり余裕をもってくれたようだ。

 

「やろうトレイズ」

「うん、もちろんだ」

 

初心者冒険者たちは、元気よくうなずく。

 

「そうこなくっちゃな。道中の飯はウチで面倒を見てやる。簡単な弁当を持たせてやろう。さっきのお題も結構だ」

 

その様子に気をよくしてか、

冒険者への面倒見が良いだけか、ルーサーはウィンクしながらそう言った。

 

「ありがとうございます!」

「助かる!」

「で、お前さんたちはどうする?今すぐ出発するのか?明日の朝にするなら上の部屋を貸してやるぞ。ただし、それは有料だがな。普段は30Gだが、今回は20Gにまけてやる」

「おおおお…」

 

思わず感嘆の声を漏らすカロルに、

食事を終えたトレイズがエールを飲み干したグラスを置きながらひとつ頷く。

 

「今日のところはここでお世話になってから出発しよう。夜に森をうろつくのは危ないから、明日の朝になってから出発したい。カロルはそれでいい?」

「そうだな、今日は歩き通しで疲れた」

 

―――――――――――――――――――

 

所持金

 

カロル@520G

トレイズ@470

 

 

―――――――――――――――――――

 

「まいどあり。ああ、生憎部屋がひとつしか空いて無いから相部屋になるぞ」

「……俺、いびきかかないから平気だと思う」

「…んなもん、ベッドがあったら充分だ」

 

顔を見合わせてから少しだけ考えたが

なんてことないように返事した。

 

「そうだな、冒険を始めたら野宿も多くなる。どんな状況でも休めるようになっておけよ」

「はい!」

「ああ!」

「じゃあ、ここいらで俺はそろそろ他の客を世話しに行く。俺はいつだって店にいるから、なんかあったら遠慮せず言いに来い」

「ありがとうございました」

 

ルーサーはそう言い残してカウンターの奥へと消えた。

そうして、冒険者宿のカギを手に入れたふたりだが。

手の内のカギと、棚に戻ったエンブレム。

これからの事に色々目処が立った事で、田舎の若者が気力と体力を回復させて。

まだ日が高いうちから仲良く身体を休める、という選択には至らなかった。

 

「で、どうする?」

 

最後のエールを煽って、カロルが隣を見やった。

 

「はぐれ森についての聞き込みを行いたい、かな。できたら先輩冒険者に。正確にいえば、森でまでここに着いた直後のようなことを避けたい。迷子はしんどい」

「お前は財布の紐しっかり結んどけよ」

「うっさい、これでも聖職者なんだから、ある程度の施しは当然の立場なんだよ。たとえ自分に余裕なんか無くてもな」

「これでも、て」

「丁度、ここには多くの先輩冒険者たちが集まってるんだ、どうせなら何か良い情報を…」

「だったら、ここはやめとこうぜ」

「ん?なんでさ」

 

今までのほとんどを「トレイズ、マカセタ」で済まして来たカロルが、

急にそんなことをいった。

いつになく真剣そうな顔でトレイズをまっすぐ見つめている。

何か秘策…もとい、アイデアでもあるのかもしれないとトレイズは期待する。

 

「昼間っから酒飲んでる奴にロクなのがいるはずがねぇ」

 

きっぱりと断言して来た。

先程まで自分たちが飲んでいた、

そして空になったグラスを視界の端に捉えながら、

 

「な、なるほど」

 

トレイズは色んなことをひとまず置いておくことにする。

 

「それに、新人潰しとかに引っ掛かっても面倒だろ」

「んー、だったら、せっかくだしもう一度街を探索してみようか。拠点の周辺は、なんとか把握しておかないと。それで、良い感じの冒険者っぽい人がいたら、声をかけてみよう」

 

腹を満たしたら多少元気が出た、単純な新米のふたりである。

先程までの剣吞としていた雰囲気と違い、ある程度の余裕をもって散策を開始した。

やはり人でごった返していたが、先程よりも広い道であるためか、ふたりの慣れの問題か、

特に気にするでもなくふたりは並んで歩いていた。

 

特に、斥候技能を持つカロルは、商業区間に入ると

時折特定の場所を気にする素振りを見せながら楽しそうに歩いている。

何か気になる店でも見付けたのかを尋ねるが、

「まぁな」と答えるだけだった。

 

「誰か、話が聞けそうな人はいないかな」

「生意気じゃなさそうな奴でな」

「カロリンは、ああいう少年は苦手そうだね」

「子供はそれだけで苦手だ。あとそのあだ名やめろ」

「そんなに怒るなって…お、あの人とかどうかな」

 

トレイズが指差す先には、

通りがいくつか集中する、中央に大きな噴水のある広場で1人佇む、

大剣を背負った美青年が、どこか憂いを帯びた瞳で空を見上げていた。

 

「……風が…、哭いている…」

 

大袈裟に追い風に乱れる髪を後ろへぐいっとかきあげながら、

赤みがかった茶髪の美青年はそんな事をつぶやいている。

ちなみに周りの人間は彼を徳に気にする様子もなく、

忙しなく移動する最中だったり、噴水の周りで子供たちが平和そうに遊んでいたりしていた。

台詞とは裏腹に、緊張感が彼と共に置き去りになっている。

 

「やめようトレイズ」

「そうだな、そういえば俺が知りたい事はあらかたルーサーさんに聞いたし」

「待ちたまえ君たち」

 

しかし回り込まれてしまった。

 

「俺に、何か用じゃなかったのかな」

 

新米冒険者の行く手を阻みながら、

そして白い歯を見せびらかしながら、

無駄なイケメンスマイルを振り撒く男が何かを言っている。

新米二名はその様子に、

 

((うわぁ…))

 

自然と一歩引いていた。

ばっ、と両手を広げながら、同じだけの距離を剣士が詰めて来る。

まるで歓迎の意を示すかのように、その表情はどこまでもさわやかだ。

望まれているかどうかは別にしても。

 

「いやー、今日は実に良い天気だね!」

「そ、そうですね」

 

斥候技能の成せる技か、

早々にトレイズの後ろに身を隠し、

その上、剣士に見えない位置から

トレイズの背中を押し出し生け贄にしていくスタイルで防御姿勢を取るカロルの変わりに、

やや不自然な姿勢になっているトレイズが答えた。

 

「見たところ、君たちは冒険者…なのかな?」

「はい、なりたてなんです、ここへは今日の昼に到着しました」

「ほう…」

「明日、はぐれ森に出発する予定です」

「はぐれ森?ああ、あの東の森か!夜は狼が出るからな、行くなら気を付けた方がいい。冒険者たるもの、常に警戒を怠らないことだね」

「あ、ありがとうございます…」

 

“なんだ、案外良い人なんじゃないか”という顔になってきているトレイズを

上から下まで眺めた美青年は、後ろのカロルにも似たような視線を送ろうとして、

そこから逃れるように再びトレイズを盾にされる。

後ろから無理矢理操作されたトレイズの首が、一瞬嫌な向きを向いて、

彼は首をさすりながら会話を続けた。

 

「そういえば、そこに住んでいるという、パックという人物についてはご存知ですか?」

「パック…森に住んでる普通のじいさんだが…彼になにか用なのかな?」

「荷物を届けに行くんです、もしご存知なら、どんな人なのかなって」

 

そこで、視線の怪しい美青年は、「ああ」と合点がいったような顔になり、

 

「なるほど、そういうことか。君たち、もしかしてルーサーの親方のところから来たのかい?」

 

不自然な美貌を携えたまま、にやっとしながらそう言った。

その言葉に、思わず表情を明るくしたトレイズがすぐに答える。

 

「はい、そうです。そういう貴方は、もしかして“先輩”ですか?」

「ふっ…ご名答」

 

男は、軽く両の目を閉じ、さして乱れてもいない髪をもう一度右手でかきあげた。

無駄な爽やかさを振り撒きながら、薄く微笑み、

そのままの流れで上から右手を降ろして来て、トレイズの前に差し出して来る。

どうやら握手を求められているらしい。

 

「テムペランス=クロフォードだ、テスと呼んでくれたまえ」

「トレイズ……です、先輩。こっちは相棒のカロル」

「よろしく頼む、カロル君」

「…おう、よろしく」

 

シュルツの名を飲み込んだトレイズがそのままカロルが横に出られるように身体をずらす。

そして、なんとか手を握らせることに成功した。

 

「すいません、こいつこの年になっても真性の照れ屋ぅぐっふ!」

 

鳩尾の裏側にめり込む相棒の拳を感じながら咳き込むトレイズを無視するように、

カロルがそれを遮った。

 

「あんた、その森に慣れているなら道を教えてくれないか。森の中を目印も無しに進むのは、夜の狼に遭遇する危険性が高くなる」

「ふーむ、確かに。…試験だし、本当は教えちゃダメなんだけど」

 

先輩冒険者の男は、胸の前で腕を組み、右手の人差し指と親指で自身の顎に触れる。

少し大袈裟に考え込むポーズをとった。

チラリとトレイズを見やる。

一瞬意味をとらえ損ねるところだったが、すぐに思い直したトレイズが

顔の前でぱしんっと手を合わせた。

 

「お願いします先輩、人助けだと思って!俺たち、ここへ辿り着くまでにも散々迷ってて…先輩だけが頼りなんです!」

 

そのまま拝む。

男はトレイズよりも長身なので、自然と見下ろすことになるのだが、

トレイズはそれよりも更に背中を丸めて自分を小さく見せた。

 

「こんなところで偶然頼れる先輩にお会い出来て良かった…俺たちは幸運です、神に感謝致します」

 

拝み倒す。

 

「ふっ、そこまで言われちゃヒントくらいあげないと可哀想だ。やれやれしょうがない。特別だよ?」

「ありがとうございます、先輩!」

「…どうもな」

 

声を弾ませた様子のトレイズを眺めながら、

カロルとは一生無縁だろうと思っていた「したたか」という言葉を、彼は今まさに思い出していた。

テスが気分良さそうに続ける。

 

曰く、森に入ったらすぐに子供くらいの大きさの大きめの石が見える。

その石まで移動すると、すぐ次の石が見えて来る。

そうやって次の石、また次の石という風に辿って行くと、

パックという老人の家はすぐに見つかるらしい。

 

「目印、か。知らなかったら迷っていたかもな」

「そうだね、やっぱり運良く先輩に会えて良かった」

「親方には内緒にしててくれよ?」

 

テスによる、音が聞こえて来るかのような勢いのウィンクは、

ルーサーとは違う意味で、冒険者の心に深く刻み込まれた。

主に、不快感の方向で。

有益な情報とイケメンの無駄遣いのアンバランスな男は、再びにっこり微笑むと、

新米たちにまっすぐ向き直る。

 

「いつか、君たちと冒険する日が来るかもしれないな。その時は、是非よろしく頼むよ」

「ええ、是非」

「ああ」

 

短く挨拶をかわしたあと、

冒険者たちは“蒼き雷の剣亭”へと帰る。

 

カウンターで忙しなく働くルーサーに、

「ただいま」と声をかけてから、ふたりは早めに就寝した。