ふたりが小屋を出て数分程歩いていると、

月の光を浴びながらうずくまって作業をしている女性を発見する。

トレイズが手に持ったたいまつを掲げると、それに気付いた女性が驚いた様子でこちらに気付いた。

 

「っ」

 

顔に焦りの色を見せながら、手に持っていたものをその場に捨て、

スキの無い身のこなしで後ずさりした。地に足をしっかり据えると、

背中に背負っていた弓を矢をつがえた状態で構える。

 

月と松明に照らされた彼女は、カロルよりも少し暗い銀髪をショートボブで切りそろえた、

褐色の肌と金色の目を持つ美しい女性だった。

ただし、その鋭い瞳孔は縦に開き、さながら猫を彷彿とさせる。

パック老人の瞳とは、まったく違った印象があった。

 

「誰」

 

警戒からか、たいまつの灯火が届くか届かないかの距離まで下がった女性は、

ふたりに向かって鋭く問いかける。

 

「こんばんは。パックさんの娘さん…ですよね?」

 

距離にして約10mほど。

トレイズは松明を持っていない方の掌を前に向けて、

敵意の無い事をアピールしながらつとめて明るく返した。

ぎりぎりと限界まで振り絞られた弓の弦が、少しだけ緩む。

 

「そうだけど」

「俺はトレイズ。パックさんに荷物を届けるついでに、あなたの帰りが遅いので探して来るように言われて来ました」

「…いけない、遅くなってしまった」

 

抑揚のない交易共通語で、彼女が空の方を向く。

夜も更けて来た森の中で、太陽の位置を確認しようとしているのなら、

よほど作業に集中していたのだろう。

ただ、焦った様子は分かるものの、声色も表情もひどく平坦なものだった。

 

「ほら、カロルも名乗りなよ」

 

余所見をする彼女の様子を見て安全と判断し、

カロルに前に出るように促す。

 

「カロルだ」

「どうも、私はエドナ」

 

両者真顔でそう挨拶をかわす。

 

「よろしく、エドナ。パックさんが心配してましたよ、一緒に帰りましょう」

「だめ、もう少しかかる」

 

エドナと名乗った女性は笑顔を向けるトレイズをきっぱり振ると、

ふたりに背を向けながら、先程彼女が取り落とした薬草の束を拾い始めた。

集め終わっても、まだ作業を続けるつもりのようだ。

 

「…あっさり振られてやんの」

「うるさい」

 

さわやかなフリをしたスマイルが張り付いたままのトレイズが

カロルのジト目にそう悪態をついた。

そのまま背中を向けて作業をするエドナにゆっくり近づくと、

彼女の手元をたいまつで照らす。

 

「薬草…ですか?」

「そう、この辺りの薬草はいい薬になるから、貴重」

「この森、あんまり遅くなると狼が出るらしいじゃねーか。危ねえんじゃねえの?」

「心配してくれてありがとう、でも今日は取れた数が少ない。もう少しかかる」

 

指先を緑色に染めながら、かたくなに作業を続ける彼女を見て、

冒険者たちは顔を見合わせた。

カロルが無言のまま首を振っている。

 

「お邪魔でなければ、お手伝いしましょうか」

 

エドナの手元を照らしていたトレイズが、

彼女に目線を会わせてにっこりと言った。

 

「…何故?」

「皆でやった方が早く片付くかと思って」

 

心底怪訝そうな顔をされるが、負けずに食い下がる。

冒険者よりも慣れている場所だろうとはいえ、そんな場所に1人だけ残して手ぶらでは戻れない。

というのが本音だが、あえて言わなかった。

エドナは少しだけ考えるような素振りを見せると、やがてこくんと頷く。

 

「わかった、よろしく」

 

言いながら、彼女の手に握られている薬草を、ふたりに見やすいように掲げてみせた。

 

「こんな感じの、あかちゃんの掌みたいな形の葉っぱ。すぐ分かると思う。葉っぱを傷つけないように摘んで」

 

短く間接な説明のあと、彼女はまた作業に没頭し始めた。

 

 

―――――――――――――――――――

 

2Dの合計値により獲得出来る薬草の枚数が変化

 

トレイズ@(3・6)9

カロル@(6・6)12

 

ダイスロールのアプリには、初めて見る6ゾロが液晶画面に表示されていた。

 

「ソードワールドでは、数字が大きい程基本的に有利なんだ。ほとんどの判定が2D6、つまり6面ダイスを2つ分振った数字で行う」

「ということは、12は最大値なんだね」

「そう、それ以上が無いって言う程、良い結果が出てるってこと。こういう良い判定を“クリティカル”って呼ぶ」

「おおお、じゃあこの薬草摘みのイベントでは、かなり良い結果が期待出来るわけだね」

「うん、GMとしては悔しいタイミングだけど。逆にサイコロの出目が1と1だった場合」

「最低値だね」

「1ゾロだった場合は逆に“ファンブル”って呼ばれてる。ほとんどの判定では“自動失敗”という扱いになったり、場合によってはペナルティみたいなのが発生する」

「この上ない悲惨な結果が出てる、ってことなんだね」

「そういうこと。でもこの1ゾロは、出すと経験値が貰える」

「経験値?」

「1ゾロ1回につき50点の経験点」

「失敗が糧になっている…だと…」

「まあそういうことだな。だからファンブルが出て何か致命的な判定失敗をやらかしても、悪い事ばっかりじゃないよっていう話」

「へぇえ、まあ今回はこの上なく良い結果が出ているわけですが」

「ちい」

「こらこら」

 

―――――――――――――――――――

 

 

「こんなもんだろ」

 

そう言いながら立ち上がったカロルの両手には、誰よりも多くの薬草が握られていた。

間違いなくエドナの指定通りの薬草であり、丁寧に摘み取ったのか、傷ひとつついていない。

 

「凄いなカロル…」

 

目を丸くするトレイズに、カロルは「はんっ」とわざとらしいドヤ顔で返事をした。

 

 

―――――――――――――――――――

 

トレイズは3枚

カロルは10枚の薬草を発見しました

 

―――――――――――――――――――

 

 

「エドナ、こんな感じでどうかな」

「これなら充分。これでお爺さんの薬が沢山つくれる」

 

無表情で嬉しそうにする器用な彼女を横目に、

「これほぼ俺の手柄だろ、な」と本当に器用なところを見せつけてくれたカロルが

誉め称えるといいよという主張を繰り返していた。

 

野伏としての意外な才能を素直に褒めたい気持ちと、

このあからさまなドヤ顔で挑発を繰り返す態度との間で

複雑な気持ちを抱えながら、結局「すごいすごい」と褒める方を選んでしまうトレイズは、

密かに自分の大人の部分を自分で賞賛してあげることにする。

 

「さて、今度こそ、みんなで仲良く帰りますか」

 

トレイズは手についた土を払いながら立ち上がった。

が、声をかけたはずの二人からの返事はない。

一瞬不思議に思い、彼らと視線を合わせようとするが、

カロルはトレイズよりも遠くの方に鋭い視線を送りながら、

手に入れたばかりの薬草を急いでしまいこんでいた。

 

「待て、…なんかいる」

 

気づけば、エドナも松明の光の届かない茂みの向こう側を睨みつけながら、

弓に矢をつがえていた。

気づいていないのは技能と経験の無いトレイズだけである。

 

「あそこと、…あっちの茂みに狼がいる。気が立ってる。たいまつは地面に置いて、警戒して」

 

トレイズは彼女の言葉に素直に頷くと、松明をその場に置き、バックラーをしっかりと握った。

最後にレイピアを抜きはなち、視線と切っ先を教えてもらった方向に向け、相手の気配を探る。

 

3人が息を殺すように待ち構えていると、

ぐるるるるる…

という唸り声がはっきりと聞こえ始めた。

程なくして、茂みの向こう側から涎を垂らしながら犬歯をむき出しにして威嚇する狼が、

4匹、冒険者たちの前に姿を現した。

 

「ふたりとも、戦える?」

「大丈夫だよ」

「任せろ」

 

エドナの問いかけに、二人は同時に返事をしながら彼女の前に出た。

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

魔物知識判定(知名度5弱点10)

 

トレイズ@9+セージ1+知力B3=13

カロル@8

 

トレイズが相手の正体と弱点を見抜いた

 

【ウルフ】

いわゆる“狼”である。

森や草原に生息し、2~5頭で群れていることが多い。

 

弱点:物理ダメージ+2

 

―――――――――――――――――――

 

 

「はっ、お手並み拝見だな」

「せいぜい足引っ張んないように頑張るよ」

「俺が引きつけながら戦う、お前は…」

「何かあったら回復優先だね」

 

二人は視線を狼に向けたまま言った。

戦えるという返事をしたものの、初めての相手と初めての戦闘だ。

獣のわかりやすい殺意と、緊張で、自然と顔が引き締まる。

 

 

―――――――――――――――――――

 

先制判定(目標11)

 

トレイズ@4

エドナ@9

カロル@6+スカウト1+敏捷2=9

 

先制を奪われた

 

【陣営確認】

 

前衛エリア

トレイズ・カロル・ウルフ(A~D)

 

味方後衛エリア

エドナ

 

―――――――――――――――――――

 

唸り声をあげながらウルフたちが一斉に飛びかかってくる。

その勢いと迫力に一瞬気圧される冒険者たちだが、

エドナを後ろへ隠す形で、すぐに回避と防御の姿勢をとった。

 

―――――――――――――――――――

 

●ウルフA@カロルに噛みつき(命中9)

 

カロル@回避判定

出目8+グラップラー2+敏捷B2+ポイントガード1=13(成功)

 

●ウルフB@エドナに噛みつき(命中9)

 

エドナ@回避判定

出目9(成功)

 

●ウルフC@トレイズに噛みつき(命中9)

 

トレイズ@回避判定

出目6+フェンサー1+敏捷B3+バックラー1=11(成功)

 

●ウルフD@エドナに噛みつき(命中9)

 

エドナ@回避判定

出目8(失敗)

 

ダメージ3-防護点3=ダメージ0

 

(全員初のセッションだったので、ルールの見落としがあり、

本来後衛まで抜けられないはずのウルフが味方後衛にいるエドナに襲いかかっていますが、

記録上ここではそのまま記載します。ルールに慣れるまではしばしばそういった部分がでてきます。

弱点である物理ダメージ+2も忘れられている描写が目立ちますが

やはりそのまま記載します)

 

―――――――――――――――――――

 

群で行動する狼たちは、

牙や爪を大きく振りかぶる形で冒険者たちに肉薄した。

カロルはわずかに体を逸らし、なんなく攻撃を避け、

トレイズはバックラーで受け流すように身を守る。

 

2匹の狼に狙われ、攻撃を捌ききれなかったエドナだが、

掠めた牙は彼女の装備していたソフトレザーに阻まれ、

体には届かなかったようだ。

 

「反撃するぞ!」

「応!」

 

乱戦状態の中、素早く体制を立て直す冒険者たちが、

一瞬だけ視線を交わした。

 

―――――――――――――――――――

 

○トレイズ@レイピアでウルフCを攻撃(目標9)

 

命中判定

出目7+フェンサー1+器用B2=10(成功)

 

ダメージ(クリティカル9)

(出目10)5+(出目9)4+(出目5)2+フェンサー1+筋力B3+弱点2=17

 

ウルフC(防護点1)

HP12→-4

@ウルフCは気絶した!

 

○カロル@セスタスでウルフAを攻撃

 

命中判定(目標9)

出目2(1ゾロ) 自動失敗

 

○エドナ@ウルフAにノーマルボウで攻撃(目標9)

 

命中判定

出目6+シューター3+器用B3=12

 

ダメージ(クリティカル10)

(出目10)7+(出目6)4+シューター3+筋力B2+弱点2=18

 

ウルフA(防護点1)

HP12→-5

 

―――――――――――――――――――

 

 

狼の攻撃を受け流したトレイズは、

爪よりも素早くその懐に潜り込み、

流れるような動きで何度も切りつける。

 

田舎の教会で引きこもり、

隠居生活と思われてもおかしくは無い過ごし方をしていた青年の動きでは無かった。

瞬く間に無数の傷をつけられた狼は、自身が飛びかかった時の勢いのまま

頭から地面に倒れこむ。

その迷いの無い動きと普段の彼とのギャップに、

思わずカロルの拳が固まった。

 

「おまっ、うぇえっ…!?」

 

その隙をついて、カロルに差し迫っていた狼が

再び口を大きくあけて飛びつこうとしていたが、

ドスッという鈍い音と共に、こちらも横っ面を地面に打ち付ける形で崩れ落ちる。

その喉笛には、深々と矢が刺さっていた。

 

「カロル、大丈夫?」

「しっかりしろよカロル!」

 

獰猛な狼を一撃でノックアウトさせた二人が、

呆然とするカロルを励ますように心配をしている。

「うるせえ!」と悪態をつきながら、負けじと拳を握り直した。

 

 

―――――――――――――――――――

 

ラウンド2

 

●ウルフB@エドナに噛みつき(命中9)

 

エドナ@回避判定

出目7(失敗)

 

ダメージ10-防護点3=7

エドナHP21→14

 

●ウルフD@エドナに噛みつき(命中9)

 

エドナ@回避判定

出目12(6ゾロ)自動成功

 

 

―――――――――――――――――――

 

味方後衛に侵入した2匹は、前衛で崩れた仲間に一瞥もくれずエドナに襲いかかっていた。

彼らとて、食べるのに必死である。

1匹目の牙がエドナの左腕に突き刺さり、鮮血がわずかに舞う。

 

「…っ!」

 

苦痛で顔を歪め、少しだけたじろぐ彼女だが、迫り来るもう1匹を前に上手く体をよじり、

2匹目との爪の間に1匹目の体を割り込ませ、追撃を免れた。

そのまま力任せに1匹目を振り払う。

 

「エドナ!」

「ごめんなさい、助けて」

 

防御の姿勢をとりつつトレイズの声に冷静に応えるも、

その顔は明らかに焦りの色が出ていた。

両手持ちの弓を構えながら狼の攻撃をかわすのは難しい。

狼たちは間合いを計りながら、エドナという獲物を仕留めようと体制を立て直す。

 

「カロルは挑発攻撃!回復は俺がやる!」

「やってやらぁ!」

 

返事と同時にカロルが2匹の狼に向かって素早く接敵するのを見送りながら、

トレイズは左手の聖印をまっすぐエドナに向かって突き出した。

魔法の発動と同時に質量を持ったマナがトレイズの足元から上空へ抜けて、

わずかに彼の髪を撫ぜていく。

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

○カロル@10m後退、ウルフBにセスタスで攻撃

【挑発攻撃】

 

命中判定(目標9)

出目7+2+2+1=12(成功)

 

ダメージ

(出目8)3+2+2+弱点2-2=7

 

追加攻撃命中判定(目標9)

出目8+2+2+1=13(成功)

 

ダメージ

(出目7)2+2+2+弱点2-2=6

 

ウルフB

HP12→1

 

 

○トレイズ@キュアウーンズ(対象エドナ)

MP27→24

※行使判定省略

 

回復量

(出目8)4+2+3=9

 

エドナ

HP14→21(全快)

 

 

○エドナ@ウルフDにノーマルボウで攻撃

 

命中判定(目標9)

出目5+3+3=11(成功)

 

ダメージ

(出目4)2+3+2+弱点2=9

 

ウルフD

HP12→4

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

「痛いの痛いの、飛んでいけー!」

 

トレイズがエドナの方へ腕を伸ばし、大きな声で唱えると、

エドナの周りの空気がわずかにマナを帯びながら傷口を癒していった。

流れ出る血液を止め、痛みを取り除いていく優しい風。

 

おおよそ神官などのセリフではあり得ない、

主に民間療法などに用いられるおまじないを唱えていた気がするが、

効果が侮れないので誰も何も言わない。

 

「こっち見やがれぇええ!」

 

一方で、弾かれたような速さで味方後衛まで移動したカロルが、

エドナに傷を負わせた方の狼に思い切り拳を叩き込んでいた。

狼は体重の乗ったパンチをもろに喰らい、意識を保っているのが精一杯といった風に

足元をふらつかせている。

 

傷の消えたエドナは、素早く弓を構えると、

もう1匹に向かって矢を放った。

致命傷にはならないものの、痛みのなくなった彼女の攻撃は正確で、

確実に狼の体力を削る。

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

ラウンド3

 

●ウルフB@カロルに噛みつき(命中9)

 

カロル@回避判定

出目8+2+2+1=13(成功)

 

●ウルフD@カロルに噛みつき(命中9)

 

カロル@回避判定

出目6+2+2+1=11(成功)

 

 

―――――――――――――――――――

 

挑発の効果か、声をあげながら派手に殴りかかるカロルに攻撃が集中する。

左右から挟まれる形で狼と対峙しているが、彼は鋭い眼差しを一層ぎらつかせながら、

低い姿勢で軽やかに攻撃をかわしていった。

 

―――――――――――――――――――

 

○カロル@ウルフDにセスタスで攻撃

 

命中判定(目標9)

出目5+2+2+1=10(成功)

 

ダメージ

(出目9)3+2+2+1-2=6

 

ウルフ

HP4→-1

 

○トレイズ@ウルフBにレイピアで攻撃

【魔力撃】

 

命中判定(目標9)

出目10+1+2=13(成功)

 

ダメージ

(出目6)2+1+3+魔力5=11

 

ウルフ

HP1→-10

 

 

―――――――――――――――――――

 

トレイズは、エドナを回復するために溜め込んだマナを、

再び左手に集中させた。

髪を撫ぜていた風が止み、レイピアの細い刀身が左手から伝わるマナで淡く光る。

カロルに並ぶように素早く踏み込むと、

次の瞬間には食べることを諦めていない狼にあっさりとトドメをさしていた。

 

―――――――――――――――――――

 

#戦闘に勝利した

 

―――――――――――――――――――

 

最後の狼も倒れ伏し、

あたりは再び森の静寂に包まれている。

 

トレイズは一度だけレイピアを誰もいない方向へ大きく振ると、

刀身についた狼の血液が弧を描くように地面へ散った。

静かに鞘に戻すと、わずかに金属のぶつかるような音がした。

 

剣を持っていた左手を軽く握ったり開いたりしてみる。

戦うためにマナを纏う感覚を確かめるように2、3度ほど繰り返した。

 

ふと仲間の方を見ると、同じようにカロルとエドナも自分の武器を軽く手入れし、

戦闘の緊張が解けたようにお互いに駆け寄る。

エドナが無表情を貫きつつも、少しだけこわばったような声色でふたりを見比べた。

 

「ふたりとも、怪我ない?」

「ったりめーだ」

「平気だよ。エドナは大丈夫なの?」

「おかげさまで」

 

言いながら、狼に攻撃された箇所をトレイズの方に向けてくる。

そこには痛々しく、服の破れや、牙が肌まで到達した際のエドナの血などの跡が

はっきりと残ってはいたものの、その奥にある肝心のエドナの体には

傷跡ひとつ残ってはいなかった。

 

「おかげで助かった、ありがとう」

 

ぺこり、とエドナが二人に頭を下げた。

初対面では光の届かない場所から警戒の目を向けていた彼女が、

こうして一緒に無事を喜んでいることに思わず顔がほころぶ。

 

カロルとトレイズは一瞬お互いに視線を交わすと、

両方がそんな表情になっていたのを見てしまい、

すぐに気恥ずかしくなって二人ともわざと顔を引き締めた。

 

「いやいや、こちらこそエドナがいてくれて良かった。良い腕だね」

「よくこんな暗くて矢なんか当てられんな」

 

彼らなりの賛辞を送ると、エドナは一瞬物思いにふけるような表情になった。

くちの中だけで、「おじいさんが」と言いかけたように見えたが、

やはり短くありがとう、と返事をするだけにとどまる。

 

そして、我に返ったように一度顔をあげ、

 

「いけない、すっかり遅くなってしまった」

 

今度ははっきり、焦った表情になった。

 

いそいで帰り支度を済ませると、

3人はようやく家路につく。

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

「なんかキャラ付けが欲しいよな」

 

くたくたになった仕事の帰り、電車のドア横の手すりによりかかりながら、

私はその文章を見ていた。

 

まだほとんどの情報が作りかけの状態の物語は、

雑談によってその形を作り、大きくなったり小さくなったり

時には削られ、色々な方向に転がされながら、色付いて行くのだった。

それはまるで粘土のように。

けど、アートのために用いられる特殊なやつなんかじゃなく、

もっと安くて、触っていると自分たちの手にもこびり付き、

そこいらじゅうのゴミや埃やらがすぐくっつく上に、

鼻の奥にツンとくるにおいがする、昔図工なんかで触った事があるやつだ。

頭と文字だけの世界ではあるけど、手で触ってこねくりまわして、

形が出来てくるにしたがって、徐々に自分の体温が粘土に移って行く、

そういうもので遊んでいる感覚がした。

ちぎって繋げて皆で手をべたべたにしながら。

 

「“ロールプレイ”自体は、文章だからかなりやりやすいよ。喋るより鍵括弧をつけて喋らせた方が恥ずかしくはないし、まだ始まったばかりなんだからそんなに喋っている感覚はないし…。うん、そのうちこんな奴だーってできてくるんじゃないかな」

「いやなんかさ、せっかく作ったし、こいつら普段どんな事してたんだろーって。朝起きたら最初に歯を磨くのか、さっさと着替えるのかとか、習慣くらいはあるでしょ。進めらんない時間に…仕事中に考えたりとかしてるわけさ」

「“進められない時間”でボカしておくべきだったよ今の台詞」

「愛着が涌いて来るとさー!気になっちゃってさー!」

「生活習慣か…」

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

「今日もハッピーラッキー絶好調ー」

 

起きてすぐ、自分の寝ていた冒険者宿のベッドに腰掛けた状態で、

両の手を指を絡ませる形で合わせ、聖印の痣を左手に宿し、

至極真面目で神妙な顔のまま、トレイズは言い放つ。

聖職者である彼のそれはまごうことなき“神への祈り”であり、

神の庇護下にある信徒にとって祈りとは、

その信仰心を大いなる存在に捧げるための大切な儀式…のようなものであることは、

宗教観の薄いカロルでも分かる事だ。

 

だが、トレイズがその信仰心を啓示するに用いる台詞は

 

「……朝から、何ふざけてんだ?」

 

カロルにそう言わせざるを得ない。

 

「しっ、ちょっと待っといて。今大事なとこなんだから」

 

―――――――――――――――――――

 

トレイズ@ラック

MP27→24

 

【ラック】

幸運の祈りを捧げ、自らの失敗を少なくする加護を受ける。

発動から1日の間、判定で振った2Dを一度だけ振り直すことができる。

ただし、振り直した後の出目を判定に使わなければならない。

1日1回のみ使用可能

 

―――――――――――――――――――

 

 

「敬虔なるル=ロウド信徒は、祈りによってその幸運を身に宿し、抗えざる運命にすら愛される…はず」

「はず?…なんだそら?」

「まあ、博打の前の願掛けみたいなもんだよ」

 

祈りのポーズを解き、ケロリとした顔で着替えを始めるトレイズは、どうみても“敬虔”とはほど遠い。

いくらカロルに分かりやすいからといって、ギャンブルに例えるのは聖職者の発言としてどうなんだろうか。

という考えが、カロルの顔面に遠慮なく現れる。

 

「いいのか、それで」

「さてね」

 

トレイズはそれだけ言うと、ベッドの脇に置いたブーツに足を入れ、紐をきゅっと結わいた。

そのまま立ち上がると、薄ぼんやりとした光が差し込む、カーテンとその奥のガラス窓を明ける。

窓から見える景色は、やはりうっすらとまだ暗い。

 

時刻は午前4時。

まだ夢心地だった、そしてなかなか起きないからと

トレイズに文字通り叩き起こされたカロルも眠たげな目を擦りながらゆっくり伸びをした。

 

トレイズは朝日が昇る直前の冷たいそよ風を浴びながら、シャツに腕を通し、

硬い革製のベストを脇腹の辺りで合わせ、留め金をかけた後、

昨日と同じ緑色のジャケットを羽織る。

 

「神様っていっても、ル=ロウドの場合は姿形さえ定かじゃないし、これといった禁忌もない。全てが自由で基本は自己責任だ。俺は今まで運命に抗うような生き方なんてしたこと無かったし、魔法で抗った運命が自分の望む結果になる保証も無い。魔法を使った結果、俺にとって“良い運命”になっても“悪い運命”になっても神様のお陰かどうかなんてのは確かめようがない。悪い結果になったとして神のせいにできる事でもない。全てが自己責任だからな。だから、これはただの願掛けなんだ」

 

長々と喋りながら最後に彼の片腕より少し長いくらいの、鞘にきちんと収まったレイピアと、

直径が20~30cmほどの小さな盾を腰から下げた。

小さく「よし」と呟くのがカロルだけに聞こえる。

 

「まるでファッションだな」

「そうかな、それでも願掛けはしちゃうんだから俺ってまだ信仰深い方だと思うんだけど」

 

遅れて支度を始めたはずのカロルだが、トレイズよりも軽装備なので着替えはほぼ同時に終わる。

すっぽりとしたポンチョのようにも見えるフード付きの羽織の下にポイントガードを覗かせ、

手袋をはめ終わった指でトレイズの手を指差した。

 

「形が決まってねぇ割には、その手についてる痣はなんなんだよ」

 

相棒の視線と指の先には、

左手の甲に刻まれている奇妙な模様…トレイズ曰く“聖印”が、

うっすらと彼が聖職者であるという主張を、そして魔法に対してはその発動の補佐をしていた。

 

「ああ…、うーん…実はこれ、まったく身に覚えが無いんだ」

「は?」

 

カロルが聞き返す。

唐突な不思議現象に思わず刺のある聞き返し方になってしまった気がするが、

トレイズはさして気にする様子もなく続ける。

 

「“他の神の印ではない”から、ル=ロウドってことになってる。いつからこれがあったかも、どうやってこんな跡を作ったのかも、さっぱりだよ」

 

カロルは思わずトレイズの左手を取って、聖印をしげしげと眺めた。

そこに印があるという事を知らず一見すると、ただの変な日焼けに見えなくもない

本当にうっすらとした模様だが、そうしてじっと見つめていると

明らかに何かの形を模しているのが分かる。

 

「…鳥…なのか?」

 

頭の無い大きな翼を持つ何かが、

後光を背に両翼を広げているように見える。

 

「“翼”はル=ロウドにとって自由の象徴なんだそうだ」

 

眉間にシワを寄せながら呟くカロルから、ゆっくり手を引っ込めるトレイズだが、

カロルはまだその“ル=ロウドの聖印(?)”に視線を移したままになっていた。

 

「その…両親とかに心配はされなかったのか?」

 

暗に、周りの反応と自分の感想を比較するための材料が欲しかったのだろうが、

 

「…せっかく授かったんなら、祈りなさいって」

 

肩をすくめるトレイズの台詞は、残念ながらカロルにとって欲しい言葉ではない。

 

「うちの両親は信仰心の厚い、本物の聖職者だからね」

「…その本物と偽物の理論には、若干納得しかけてるけどよ。それじゃ、お前はなんなんだよ」

 

視線を左手の甲からようやくトレイズの顔に移したカロルは、

相棒の目をまっすぐに見て、まるでいたずらっ子のような顔でにやりと笑う彼と目が合った。

そして、はっきりと言う。

 

「冒険者さ」

 

 

 

身支度を整えたふたりは、早朝にも関わらずいそいそと働くドリーに、

“ルーサーから”のお弁当を持たせてもらい、街を出た。

オッド山脈の岩肌よりはずっと歩きやすい平原を、一抱えもある壷を交代で持ちながらひたすらに歩き、

地平線にうっすらと森の影を見付けると、そこへ向かってまっすぐ東へ歩みを進める。

日が傾き始め、空が暗くなり始めた頃、ふたりははぐれ森に到着した。

 

太く、大きな木々が好き勝手な場所から空へ向かって高く伸びており、

森の中は外に比べて更に暗い。

大きな木に比例して地面を這うその根もかなりの太さであり。

それによって地面が隆起し、見た目からも歩き辛さを物語っている。

 

「あった」

 

森の入り口と呼べる場所に、ぽつんと白い岩があった。

恐らくこれが、広場で出会った先輩冒険者、テスの言っていた目印であることが推測できる。

カロルが松明をつけ、岩の位置から奥を照らす。

そこからは、広めの獣道が伸びており、現在ふたりのいる白い岩の位置から、

次の白い岩が見えることが確認できた。

 

「行くか」

 

カロルの言葉にトレイズが首を縦に振ると、ふたりは慎重に歩き出した。

 

岩から岩へ伝って歩いて行く。

やがて、少し開けた場所に木で作られた小屋が見えて来た。

窓からは灯りが漏れていて、人の気配がするのが分かる。

玄関と思わしき場所は質素な作りだが、丈夫な作りをしていることが伺えた。

 

思っていた以上にすっかり暗くなった森の中の探索に、

若干の緊張を覚えながら、ふたりは顔を見合わせた。

念のため、そこが依頼にあったパックなる人物の家であるかどうかを判断するのに、

カロルが足跡を調べてみる。

いくつかの足跡があったが、そこに獣らしいものも、亜人などの人外のものもなかった。

 

「とりあえず、訪ねてみるか…?」

「そうだね、…ごめんください!」

 

トレイズが遠慮がちにノックすると、

簡単な返事とともに程なくして中から老人が出て来る。

 

「おや、お客さんかな、どちらから来られたんだね?」

「夜分にすいません、パックさんのお宅でお間違いないでしょうか?」

「いかにも、ワシがパックじゃよ」

 

チューリップハットを被った背の低い老人は、深く皺の刻まれた顔をほころばせながら、

人の良さそうな顔を冒険者たちに向けた。

トレイズが(そしてその後ろに隠れるように立つカロルが)安堵からか

つられて緊張を解いたような顔になる。

 

「“蒼き雷の剣亭”のルーサーさんより、荷物を届けに来ました。代わりに“いつもの”を受け取るように託かってます」

「おお、ルーサーの小僧のところからか、待っていたよ。さあ、ふたりとも中へお入り」

「お邪魔します」

 

招かれた小屋の中はあたたかな灯りで満ちており、

最低限の家具が置いてある。

しかしながら、簡素な小屋に似つかわしくない、頑丈そうな鉄製の大きな棚、

更に奥には、これまた不自然な程大きなキッチンが目についた。

そこからは、甘い匂いが強烈に漂っており、冒険者ふたりの鼻腔を刺激する。

 

トレイズの後ろで成り行きを見守る姿勢だったカロルが、

甘い匂いに誘導されるように前に出る。

 

「わあ、良い匂いですね、何を作っていらっしゃるんです?」

 

カロルでなくても、自然と深呼吸したくなるような空間に、

思わずトレイズの感想が漏れる。

 

「ほっほっほ、これはジャムを作っておるんじゃよ」

 

若人の素直な感想に嬉しそうに笑うパック老人。

その「ジャム」という一言にいち早く反応を示したのは

幸せそうな深呼吸を繰り返すトレイズ…ではなく、

キッチンの奥へ今にも飛んで行きそうなカロルだった。

 

「ジャム!…これはもしかして、木いちごか?」

「ほう、よう分かったね」

 

目が、輝いている。

 

「この強い香りにのった独特の酸味、ひとくちに木いちごといっても種類は様々だが、これはラズベリーか?そのままだと酸っぱいが、普通の苺よりも香り高いから、ジャムやフルーツタルトなんかのスイーツにはもってこいなんだ。ここへ来る途中でも生ってたの見たぜ!」

 

そして別人のように饒舌だ。

誰だお前。

 

「お連れさんはジャムの博士かね?」

「初耳ですが…その認識でいいです」

 

楽しそうに冗談を言うパック老人よりも、トレイズの方がびっくりしていた。

 

 

「お砂糖はどこへ置いておきましょうか?」

「おお、ではこちらへ頼む」

 

キッチンの裏手には、ぐつぐつと煮込まれている大量の木いちごと、

なくなりかけの砂糖の壷が置いてあった。

古い壷の横へ、トレイズは新しい砂糖の壷を置く。

 

ゆったりとした足取りのパック老人は、その様子を見届けてから

 

「よし、じゃあ“いつもの”を用意しなくちゃな」

 

と腕をまくってみせる。

その様子を「よろしくお願いします」という短い返事で返すトレイズは

パック老人の腕に古い無数の傷跡を見付けていた。

それは、明らかに一度についたものではなく、長い時間をかけて幾度となく繰り返されて来た

幾多の戦いによるものだということが想像できる。

既に、ルーサーや、カロル・トレイズのように強く健康的な筋肉はついておらずとも

その歴戦の誇りは決して彼を裏切らず、ここまで生かして来たのだろう。

ルーサーを“小僧”と呼んでいたあたりから薄々は想像していたものの、

砂糖と木いちごに囲まれ、新しい冒険者に孫のような視線を向ける老人に

強い冒険者の面影をみたトレイズは、思わず閉口する。

 

自分は、こんな風に生き残れるのだろうか。

 

「ところでお前さん…」

 

突然トレイズの方を振り返ったパック老人が

少し困ったような、照れたような顔で呼ぶ。

遠い世界からすぐさま引き戻されたトレイズは、首を傾げながら次の言葉を促した。

ところが、老人は何かが奥歯に詰まったように言葉を詰まらせている。

そこで、ようやく自分が名乗っていないとこに気付いたトレイズが、

「あ、失礼しました」と前置きをしてから、自己紹介をした。

 

「俺はトレイズといいます。そっちの甘党はカロルです」

「お、おう、よろしく」

 

まるで初恋の人を遠くから観察する奥手の少女のような位置取りで

キッチンで煮詰まっているジャムを見つめていたカロルが少しだけいつもに調子を戻して挨拶をした。

一度頷いたパック老人がふたりに

 

「そうか、カロル君にトレイズ君か」

 

と繰り返し返事をしたあと、「よう似ておる」と口の中だけで呟いたが、誰にも聞こえなかった。

 

「ふたりとも、ルーサーの小僧に届けてもらう荷物だがね、用意するのに少し時間が掛かるんじゃよ。もし良ければその間に娘を探して来てくれんか?森の中をここから少し北へ進んだところで薬草を取りに行っているはずでの、今日はいささか帰りが遅い」

「それは心配ですね、すぐに探して来ます」

 

即答するトレイズにカロルが少しだけ抗議の目を向ける。

恐らくは愛しのジャム…の味見でも狙っているのだろう…そこから離れたくないと、

はっきりとその意思を読み取ることができた。

 

「行こう、カロル」

 

そしてその抗議を丁寧に全力で無視する。

 

(もしお前が、万が一おこぼれにあずかろうとしているのなら尚更、

この老人の頼みを聞いておいた方が、今後のお前のためになるんじゃないのか?)

 

相手が視線だけの会話を試みて来るので、試しにテレパシーを送ってみた。

伝わっているかどうかは定かではないが、カロルは何か考え込んでいる。

 

「カロル君、夜の森を娘を捜しに行ってもらえたら、明日の朝にでもとびきりのお礼をしよう。きっと気に入って貰えると…」

「もちろんだ、行こうトレイズ」

 

どうやらトレイズのテレパシーを受け取っていたのは相棒ではなく

孫の扱いの上手い老人の方だったらしい。

そんな事を思っているうちにカロルは既に出口の扉に手をかけてトレイズを待っている。

トレイズは少しだけ赤面をしてから、カロルの後を追いかけた。

 

 

店内に入ると、まだまだ昼にも関わらず、沢山の客で賑わっていた。

広い店内には、いくつもの大きな木製の円卓、それを囲む無骨でおもむきのある椅子には、

種族、性別、身の丈、すべてがバラバラに見える冒険者らしい人族たちが、

みんなそれぞれ酒を飲んだり、話し込んだり、陽気に過ごしている。

 

壁一面には天井まで届くような大きな木枠がずらりと並んで掛かっており、

枠の中には、あまり上等ではない紙が束になって、

それもところ狭しといった風にびっしりと貼付けてある。

恐らく、冒険者への依頼。所謂「クエスト」の類いなのであろう、

紙はところどころ引っ張ったり折れ曲がったり、

店内にいる冒険者たちが時折掲示板の前で相談している様子が目立つ。

今まさに、小さな少女のようにみえる冒険者に重厚な鎧を着た大柄な冒険者が椅子を引き、

少女の方が不敵な表情のまま円卓の向かい側に座る人間に商談を吹っかけているのが見えた。

鎧の大男は、傅くように少女の後ろに控えている。

小さく見えて、彼の雇い主か、よほどの実力者なのだろうか。

 

中央奥のカウンターには、金髪を短く借り上げた大柄な中年男性が

くすんだピンク色のエプロンを身につけて、忙しそうに作業をしている。

 

「街の中以上に騒がしいところだな、どれがルーサーだ?」

「カウンターの人に聞いてみよう」

 

ふたりは店の入り口から、

冒険へ旅立とうとする長いローブを纏ったエルフと、大剣を携えた剣士の人間、

大きな垂れ耳と尻尾の生えた背の高い男とすれ違い、

まっすぐにカウンターに歩み寄り、

奥で急がしそうに働いていた男に声をかける。

彼らに気付いたカウンターの男が、一瞬トレイズを見て片方の眉だけあげたが、

すぐに表情を戻して、人懐っこく、くしゃりと笑った。

 

「いらっしゃい、見ない顔だな」

「こんにちは、ルーサーという方を探しているんですが」

「ルーサーは俺だ」

 

近づいた事で分かる。

身の丈2m以上ある大男は、ゴツゴツと隆起した筋肉を鎧のように纏っていた。

短く整えられた、白髪まじりの金髪と髭から、力強い貫禄を感じられる。

トレイズの問いに短く答えると、

ルーサーは分厚く大きな掌を差し出し、ふたりに握手を求めて来た。

 

「お、おう、よろしく…」

「はじめましてルーサーさん、俺はトレイズっていいます。俺たち、冒険者になったばかりで、しばらくここを拠点にさせていただきたいのですが…」

 

順番に握手を返す。

握り返されると、自分の手がすっぽりと隠れてしまう大きさだ。

カロルが萎縮している。

 

「おう、ウチを選んでくれて光栄だ!まあまずがなんか食ってけよ、今の季節だと秋魚のムニエルと、エールがお勧めだ」

「じゃあ、それを」

「ああ、そういえば腹減ったな…」

 

ルーサーは奥の厨房へ注文を通すと、ふたりに目の前のカウンターの席を促した。

 

「そいつぁ良かった。で、どうしてウチに?誰かの紹介か?」

「…はい、以前俺の姉がお世話になったとかで。その節はどうもありがとうございました。これ、姉からの紹介状です」

 

一瞬、少し躊躇いながらも、リリアからの紹介状をルーサーに手渡す。

懐にしまっていたそれは、一瞬前まで迷子だったトレイズの体温で暖まり、

最初に手にしていた時よりもいくらかしんなりしていた。

が、特に気にした様子も無く軽く手をぬぐったルーサーは

大きな手で素早く中身を取り出すと、短い文面に目を走らせる。

 

そしてすぐ、署名の欄で目を止め、思わず表情を引きつらせた。

 

「り、リリア=シュルツ…だと!?」

 

思わず叫んだその声に、店内の音が一斉に消える。

カロルは、一瞬何が起きたか分からない様子だったが、トレイズは何か想定はしていたみたいだ。

所在無さげにルーサーから視線を外している。

 

「“災厄”リリア…」

「ワイバーンを素手で倒したとか聞いたぞ…」

「あいつリリアの何だ…彼女がここへ来るのか…?」

「ドラゴンを飼い馴らしているとか…」

「おっかねえ…」

「はぁぁ…リリア様最高…」

 

ただでさえよく通るルーサーの声は店内の隅々にまで届いていたようだ。

一瞬の静寂の後、明らかにどよめいているのが、ふたりの耳まで届く。

逆に、先程までは一切聞こえて来なかった窓から入って来る街の喧噪が

痛い程、五月蝿く感じるのだった。

 

「…やはり、随分有名なんですね」

「この様子じゃ、どっちかってーと悪名っぽいけどな」

 

リリアの名を知らなかったカロルがトレイズの様子を横目に茶々を入れる。

 

「うるせぇぞテメェら!黙って酒飲んでろ!」

 

ルーサーがカウンターをドンと叩いて一喝すると、

客席のざわめきはあっという間に収まり、すぐに元の店内に戻る。

 

「すまんな、あんまりに懐かしい名前を聞いたもんだから、驚いちまった。しかしまあ、お前さんがあのリリアの弟か。確かにどっか面影がある」

「ははは、態度と背丈が違い過ぎて、あまり似ているといわれたことはありませんが…」

「そうかな、意志の強そうな目がよく似てやがる」

 

先程までの態度とはどこか違う、

まるで警戒しつつも、値踏みするかの用な。

斜に構えた考え方から来るトレイズの悪い癖だが、あまり姉との比較をさせないように、

早めに会話を切り替える。

 

「とにかく、俺たちは姉とは違ってまだ新米も良いところです。これから何かとご迷惑をおかけしますが、どうか、よろしくお願いします」

「…よろしく」

「こりゃあ面白い。性格は真逆なんだな、わかった。このルーサーが責任持ってしごいてやる」

 

話し込んでいると、厨房の奥から人間の子供くらいの大きさで、

直立した犬に似ている、蛮族である“コボルト”が料理を運んで来た。

ルーサーとお揃いのくすんだピンク色のエプロンを着用し、

両手を使って大きなプレートを持っている。

プレートの上には先程ふたりが注文した料理が乗っていた。

小麦粉をまぶした秋魚はきつね色にこんがりと焼き上がり、

豊かに香るバターの香りが食欲を掻き立てる。

よく冷えたエールも一緒に、新米冒険者たちの前に静かに置いていく。

 

「来たな、ホレ、冷めないうちに」

「蛮族じゃねーか!」

 

カロルは弾かれたように立ち上がり、コボルトから離れた。

正確には相手の間合いから、一歩引いたところまで退く。

そのままファイティングポーズを取ろうとして、

周りの反応を見てそれを途中で止める。

その代わり、あからさまに戸惑っていた。

 

「ああ、珍しいか?あいつはドリーっていってな。料理の腕を買ってここで雇ってる。気は弱いがいいやつだ」

「ば…蛮族なのに、か…?」

「種族によっては、な。コボルトなら、ここじゃ珍しくはない」

「共存、できるもんなのか…危険は?」

「無いね。元々こいつらは他の蛮族に使役される立場の種族さ。酷いコキ使われようでな、嫌気がさしてるんだ。ウチみたいに雇ってるところも少なくねーぞ。こいつの事は安心していい」

「そ、そうか……すまん……」

 

いいながら、カロルがトレイズの隣に戻って来る。

やりとりを黙って聞いていた“コボルト”ドリーが、立ったままのカロルの前に改めてエールを置き、

「お待ち」と一言いうと、足早に厨房へ戻って行った。

冷や汗がだらりと額から垂れるカロルに、カウンターに立つルーサーがおしぼりを手渡した。

 

「ま、お前の反応を頭ごなしに否定するつもりはないが、あっちもビビる、仲良くしてやってくれ。といっても、個体によっちゃ狡いやつもいるから、見極めは必要だが」

「ああ、わかった…。ついでに聞いて良いか?」

 

もらったおしぼりを握りしめながら、袖で乱暴に額を拭ったカロルが、

険しい表情のままルーサーを、そして、人族の生活県内にいるドリーを、

同じ視界に入れながらいった。

 

「人を、操るような蛮族を知っているか?」

「んん…聞いたことがあるような、無いような…すまんな、分からん」

「そうか…ありがとう」

 

カロルは、情報が出て来なかったことにどこか安堵するように。

トレイズが引く椅子に座りなおした。

 

「…何かワケアリみてぇなだ。まあ調べといてやるが、期待はしないでくれ」

「ああ……」

 

ようやく手ぬぐいの使い方を思い出した相棒が、

長い息を吐いて落ち着こうとするのをゆったりと待ちながら、

トレイズが会話を主導を移動させる。

 

「お騒がせしました」

「構わねぇさ。…じゃ本題に戻るが、お前さん達は冒険者の宿は初めてか?」

「はい」

「ウチに出入りしている冒険者には、ウチに来たっていう証としてこのエンブレムを渡しているんだが」

 

ルーサーは、カウンター奥に並ぶ棚から、掌大の鉄板を1枚だけ、取り出して来た。

それは、表面に雷を大剣をあしらった、鈍く光る、無骨なエンブレムだ。

料理と同じように、ふたりの新米冒険者たちの手元に差し出す。

 

「エンブレム…いただいていいんですか?」

「いや、まだだ」

「んあ?」

 

安心した瞬間から、早速食事に手を付け始めていたカロルが

エンブレムを手にしようと伸ばした手を引っ込めた。

 

「最近、冒険者のマナーが悪くなってきてな。前金だけ持ち脱げする奴らや、ウチの名を使って悪巧みをする輩が増えて来てるんだ。リリアの紹介状を持って来たお前さんたちを疑うわけじゃないんだが、簡単なテストを受けてもらいたい。もちろん、報酬はきちんと支払う。やる気があるなら話してやるが…」

 

「やります!」「きかせろ」

 

前のめりな新米たちの様子に、満足そうに顔をほころばせながら

「やる気のある奴らは、嫌いじゃないぜ」と一拍を置き

カウンターに置いたエンブレムを引っ込めて、ここルキスラ近辺の地図を広げる。

 

「さて、では肝心のテスト内容だが、ある場所まで届け物を持って行って貰いたいんだ。そしてそこで、今度は荷物を受け取ってウチまで届けてほしい。」

「その場所はどこですか?」

 

地図を冒険者側に読みやすく回転させたルーサーは

現在地であるルキスラに右手の人差し指を置く。

それをまっすぐ、東へ少しだけずらした。

その指先は、ルキスラと書かれた都市と、大きな森との間にちょこんと位置する

森のような、林のような記述の上だった。

 

「ルキスラから、東へ半日程歩いたところに小さな森がある。巷じゃ、“はぐれ森”って言われてる森だ。その森をちょっと入ったところに、“パック”っつーじいさんが住んでるんだが、そこまでこの届け物を持って行くんだ」

 

地図での説明の途中からカウンターの下あたりを、何かを探すようにルーサーが身を屈めた。

膝を曲げても、その大きく頑丈そうな背中はカウンターの上まではみ出していたが。

カロル、トレイズが顔を見合わせ、カウンターの下をのぞき込もうとするよりも先に、

ルーサーの上半身は“荷物”と一緒に戻って来る。

ドカッという音を立てながら、彼の頭くらいの大きさのある大きな壷を冒険者たちの前に置いてみせる。

 

「中身は、壊れやすいものですか?」

「いいや、これは砂糖だ」

「砂糖…?」

 

中身を確かめようと、閉じられた蓋に手をかけるカロルを、

トレイズはぴしゃりと、手を払うことで止めた。

 

「あにすんだよ」

「了承も無しに勝手にあけるな。…食べ物なら尚更。それでルーサーさん、持ち帰るものというのは?」

「ああ、それはパックじいさんに“いつものやつ”っていえば伝わるから大丈夫だ」

「分かりました」

「わざわざ冒険者に行かせる理由はなんだ?危険な場所なのか?」

「くはは、そんな大層なヤツなんて出やしねえよ!」

「そりゃ安心だ」

 

はたかれた手を引っ込めて食事に戻るカロルがさっくりとした秋魚にかぶりつく。

 

「遅くなるつもりはありませんが、期日などはありますか?」

「何事もなけりゃあ行って帰って来るのに2日もかからんはずだ。期日は、そうだな。特に設けちゃいないが、3日後の夜12時ってことにするか。報酬は500G用意しよう。どうだ?」

 

今から移動すると、夜中に森をうろつくことになりかねない。

トレイズの意図を察してか日にちはかなり余裕をもってくれたようだ。

 

「やろうトレイズ」

「うん、もちろんだ」

 

初心者冒険者たちは、元気よくうなずく。

 

「そうこなくっちゃな。道中の飯はウチで面倒を見てやる。簡単な弁当を持たせてやろう。さっきのお題も結構だ」

 

その様子に気をよくしてか、

冒険者への面倒見が良いだけか、ルーサーはウィンクしながらそう言った。

 

「ありがとうございます!」

「助かる!」

「で、お前さんたちはどうする?今すぐ出発するのか?明日の朝にするなら上の部屋を貸してやるぞ。ただし、それは有料だがな。普段は30Gだが、今回は20Gにまけてやる」

「おおおお…」

 

思わず感嘆の声を漏らすカロルに、

食事を終えたトレイズがエールを飲み干したグラスを置きながらひとつ頷く。

 

「今日のところはここでお世話になってから出発しよう。夜に森をうろつくのは危ないから、明日の朝になってから出発したい。カロルはそれでいい?」

「そうだな、今日は歩き通しで疲れた」

 

―――――――――――――――――――

 

所持金

 

カロル@520G

トレイズ@470

 

 

―――――――――――――――――――

 

「まいどあり。ああ、生憎部屋がひとつしか空いて無いから相部屋になるぞ」

「……俺、いびきかかないから平気だと思う」

「…んなもん、ベッドがあったら充分だ」

 

顔を見合わせてから少しだけ考えたが

なんてことないように返事した。

 

「そうだな、冒険を始めたら野宿も多くなる。どんな状況でも休めるようになっておけよ」

「はい!」

「ああ!」

「じゃあ、ここいらで俺はそろそろ他の客を世話しに行く。俺はいつだって店にいるから、なんかあったら遠慮せず言いに来い」

「ありがとうございました」

 

ルーサーはそう言い残してカウンターの奥へと消えた。

そうして、冒険者宿のカギを手に入れたふたりだが。

手の内のカギと、棚に戻ったエンブレム。

これからの事に色々目処が立った事で、田舎の若者が気力と体力を回復させて。

まだ日が高いうちから仲良く身体を休める、という選択には至らなかった。

 

「で、どうする?」

 

最後のエールを煽って、カロルが隣を見やった。

 

「はぐれ森についての聞き込みを行いたい、かな。できたら先輩冒険者に。正確にいえば、森でまでここに着いた直後のようなことを避けたい。迷子はしんどい」

「お前は財布の紐しっかり結んどけよ」

「うっさい、これでも聖職者なんだから、ある程度の施しは当然の立場なんだよ。たとえ自分に余裕なんか無くてもな」

「これでも、て」

「丁度、ここには多くの先輩冒険者たちが集まってるんだ、どうせなら何か良い情報を…」

「だったら、ここはやめとこうぜ」

「ん?なんでさ」

 

今までのほとんどを「トレイズ、マカセタ」で済まして来たカロルが、

急にそんなことをいった。

いつになく真剣そうな顔でトレイズをまっすぐ見つめている。

何か秘策…もとい、アイデアでもあるのかもしれないとトレイズは期待する。

 

「昼間っから酒飲んでる奴にロクなのがいるはずがねぇ」

 

きっぱりと断言して来た。

先程まで自分たちが飲んでいた、

そして空になったグラスを視界の端に捉えながら、

 

「な、なるほど」

 

トレイズは色んなことをひとまず置いておくことにする。

 

「それに、新人潰しとかに引っ掛かっても面倒だろ」

「んー、だったら、せっかくだしもう一度街を探索してみようか。拠点の周辺は、なんとか把握しておかないと。それで、良い感じの冒険者っぽい人がいたら、声をかけてみよう」

 

腹を満たしたら多少元気が出た、単純な新米のふたりである。

先程までの剣吞としていた雰囲気と違い、ある程度の余裕をもって散策を開始した。

やはり人でごった返していたが、先程よりも広い道であるためか、ふたりの慣れの問題か、

特に気にするでもなくふたりは並んで歩いていた。

 

特に、斥候技能を持つカロルは、商業区間に入ると

時折特定の場所を気にする素振りを見せながら楽しそうに歩いている。

何か気になる店でも見付けたのかを尋ねるが、

「まぁな」と答えるだけだった。

 

「誰か、話が聞けそうな人はいないかな」

「生意気じゃなさそうな奴でな」

「カロリンは、ああいう少年は苦手そうだね」

「子供はそれだけで苦手だ。あとそのあだ名やめろ」

「そんなに怒るなって…お、あの人とかどうかな」

 

トレイズが指差す先には、

通りがいくつか集中する、中央に大きな噴水のある広場で1人佇む、

大剣を背負った美青年が、どこか憂いを帯びた瞳で空を見上げていた。

 

「……風が…、哭いている…」

 

大袈裟に追い風に乱れる髪を後ろへぐいっとかきあげながら、

赤みがかった茶髪の美青年はそんな事をつぶやいている。

ちなみに周りの人間は彼を徳に気にする様子もなく、

忙しなく移動する最中だったり、噴水の周りで子供たちが平和そうに遊んでいたりしていた。

台詞とは裏腹に、緊張感が彼と共に置き去りになっている。

 

「やめようトレイズ」

「そうだな、そういえば俺が知りたい事はあらかたルーサーさんに聞いたし」

「待ちたまえ君たち」

 

しかし回り込まれてしまった。

 

「俺に、何か用じゃなかったのかな」

 

新米冒険者の行く手を阻みながら、

そして白い歯を見せびらかしながら、

無駄なイケメンスマイルを振り撒く男が何かを言っている。

新米二名はその様子に、

 

((うわぁ…))

 

自然と一歩引いていた。

ばっ、と両手を広げながら、同じだけの距離を剣士が詰めて来る。

まるで歓迎の意を示すかのように、その表情はどこまでもさわやかだ。

望まれているかどうかは別にしても。

 

「いやー、今日は実に良い天気だね!」

「そ、そうですね」

 

斥候技能の成せる技か、

早々にトレイズの後ろに身を隠し、

その上、剣士に見えない位置から

トレイズの背中を押し出し生け贄にしていくスタイルで防御姿勢を取るカロルの変わりに、

やや不自然な姿勢になっているトレイズが答えた。

 

「見たところ、君たちは冒険者…なのかな?」

「はい、なりたてなんです、ここへは今日の昼に到着しました」

「ほう…」

「明日、はぐれ森に出発する予定です」

「はぐれ森?ああ、あの東の森か!夜は狼が出るからな、行くなら気を付けた方がいい。冒険者たるもの、常に警戒を怠らないことだね」

「あ、ありがとうございます…」

 

“なんだ、案外良い人なんじゃないか”という顔になってきているトレイズを

上から下まで眺めた美青年は、後ろのカロルにも似たような視線を送ろうとして、

そこから逃れるように再びトレイズを盾にされる。

後ろから無理矢理操作されたトレイズの首が、一瞬嫌な向きを向いて、

彼は首をさすりながら会話を続けた。

 

「そういえば、そこに住んでいるという、パックという人物についてはご存知ですか?」

「パック…森に住んでる普通のじいさんだが…彼になにか用なのかな?」

「荷物を届けに行くんです、もしご存知なら、どんな人なのかなって」

 

そこで、視線の怪しい美青年は、「ああ」と合点がいったような顔になり、

 

「なるほど、そういうことか。君たち、もしかしてルーサーの親方のところから来たのかい?」

 

不自然な美貌を携えたまま、にやっとしながらそう言った。

その言葉に、思わず表情を明るくしたトレイズがすぐに答える。

 

「はい、そうです。そういう貴方は、もしかして“先輩”ですか?」

「ふっ…ご名答」

 

男は、軽く両の目を閉じ、さして乱れてもいない髪をもう一度右手でかきあげた。

無駄な爽やかさを振り撒きながら、薄く微笑み、

そのままの流れで上から右手を降ろして来て、トレイズの前に差し出して来る。

どうやら握手を求められているらしい。

 

「テムペランス=クロフォードだ、テスと呼んでくれたまえ」

「トレイズ……です、先輩。こっちは相棒のカロル」

「よろしく頼む、カロル君」

「…おう、よろしく」

 

シュルツの名を飲み込んだトレイズがそのままカロルが横に出られるように身体をずらす。

そして、なんとか手を握らせることに成功した。

 

「すいません、こいつこの年になっても真性の照れ屋ぅぐっふ!」

 

鳩尾の裏側にめり込む相棒の拳を感じながら咳き込むトレイズを無視するように、

カロルがそれを遮った。

 

「あんた、その森に慣れているなら道を教えてくれないか。森の中を目印も無しに進むのは、夜の狼に遭遇する危険性が高くなる」

「ふーむ、確かに。…試験だし、本当は教えちゃダメなんだけど」

 

先輩冒険者の男は、胸の前で腕を組み、右手の人差し指と親指で自身の顎に触れる。

少し大袈裟に考え込むポーズをとった。

チラリとトレイズを見やる。

一瞬意味をとらえ損ねるところだったが、すぐに思い直したトレイズが

顔の前でぱしんっと手を合わせた。

 

「お願いします先輩、人助けだと思って!俺たち、ここへ辿り着くまでにも散々迷ってて…先輩だけが頼りなんです!」

 

そのまま拝む。

男はトレイズよりも長身なので、自然と見下ろすことになるのだが、

トレイズはそれよりも更に背中を丸めて自分を小さく見せた。

 

「こんなところで偶然頼れる先輩にお会い出来て良かった…俺たちは幸運です、神に感謝致します」

 

拝み倒す。

 

「ふっ、そこまで言われちゃヒントくらいあげないと可哀想だ。やれやれしょうがない。特別だよ?」

「ありがとうございます、先輩!」

「…どうもな」

 

声を弾ませた様子のトレイズを眺めながら、

カロルとは一生無縁だろうと思っていた「したたか」という言葉を、彼は今まさに思い出していた。

テスが気分良さそうに続ける。

 

曰く、森に入ったらすぐに子供くらいの大きさの大きめの石が見える。

その石まで移動すると、すぐ次の石が見えて来る。

そうやって次の石、また次の石という風に辿って行くと、

パックという老人の家はすぐに見つかるらしい。

 

「目印、か。知らなかったら迷っていたかもな」

「そうだね、やっぱり運良く先輩に会えて良かった」

「親方には内緒にしててくれよ?」

 

テスによる、音が聞こえて来るかのような勢いのウィンクは、

ルーサーとは違う意味で、冒険者の心に深く刻み込まれた。

主に、不快感の方向で。

有益な情報とイケメンの無駄遣いのアンバランスな男は、再びにっこり微笑むと、

新米たちにまっすぐ向き直る。

 

「いつか、君たちと冒険する日が来るかもしれないな。その時は、是非よろしく頼むよ」

「ええ、是非」

「ああ」

 

短く挨拶をかわしたあと、

冒険者たちは“蒼き雷の剣亭”へと帰る。

 

カウンターで忙しなく働くルーサーに、

「ただいま」と声をかけてから、ふたりは早めに就寝した。

 

シナリオ1

 

太陽が真上にくる12時頃、乗り合い馬車に揺られ、

カロルとトレイズはカロルの当初の目的地であるルキスラに辿り着いた。

帝都ルキスラは非常に活気のある街であり、石畳で舗装された道が縦横無尽に走り、

大小様々な建物がところ狭しと並んでいる様は、ふたりのそれぞれの故郷とは似ても似つかないものだ。

 

“ザルツの要塞”帝都ルキスラ

齢28の若い皇帝が治めるザルツ地方最大の勢力を誇る帝国だ。

首都には約8万もの人族が住んでおり、大陸北部に位置する地方の温暖な気候や

四季のはっきりしている過ごしやすい気候によって、地方各所からも多くの人が集まって来る。

人材や資源も豊富で、蛮族襲撃に備えた戦力強化も積極的に行われており、

独自の自警団も存在している、基本的には治安の良い国である。

 

ただし、海を挟んだ北側には蛮族の勢力圏である“北の大陸レーゼルドーン”が存在し、

帝都の西側にもいくつか蛮族が栄えた地域があるため、

他の地域同様、「平和である」とは言えない状況である。

 

そんなルキスラの首都を、半ば彷徨うように移動するふたりは

歩いているうちにちょっとした広場にでた。

まだ街に着いただけなのだが、若干疲れた様子である。

何よりも、どこにいても人が沢山歩いていて、止む事のない川の流れのようで。

常にどこかで人々の喧噪や、鉄や木のぶつかるような、音が耳からは慣れず。

道を訊ねようにも、どうも皆忙しなく、話しかけにくい雰囲気を放っている。

…ように見えた。

少なくとも、田舎出身の、所謂“御上りさん”にとっては。

 

「これは…馬車でダウンするカロルじゃなくても…」

 

トレイズは少しだけ辟易した様子で、

広場のベンチにどっかり座り込むカロルをちらと見た。

馬車の中で既に蒼い顔に涙目になっていたカロルは、

外の空気と休憩場所を見付けた安心感で、今は少しだけ回復していた。

 

「はぁ…」

 

聞いていたのと似たような建物も多く、

首都初心者にとって、尋常じゃなく複雑な道を想い、

トレイズは思わず天井を仰いだ。

建物と言うしがらみに囚われない、

悠々と流れる雲が、急に恨めしく見える。

 

「トレイズ」

 

ふと、カロルの呼ぶ声で振り返る。

切れ長の鋭い目が、自分たちから少し離れた方向、

トレイズからみた背後の方向を見るように促していた。

素直に促されるまま、今度は反対の方向へ顔を向ける。

 

いくつかあるベンチ、ではなく、直接地べたに座り込んだ

ボロボロのマントを羽織る少年がカロルに負けず劣らない鋭い目で

ふたりを見つめているのに気付いた。

 

「ん?もしかして、さっきから見られてた?」

「そうみたいだな。…トレイズ、頼んだ。」

 

一目で何かを察したカロルが、

色んな事をすべてトレイズに放り投げつつも、その隣に並ぶ。

準備万端、という顔をしているが、

もしかしてこれから馬車移動の度にこうやってチャージする時間が必要なのか、

と一瞬だけ考えつつも、トレイズは口には出さなかった。

その代わりに、バッチリ目の合った少年に向かってにこやかに歩み寄る。

 

「こんにちは、この辺に住んでいる子かな?」

「…」

「えっと、少し道を尋ねたいんだけど、いいかな」

 

少年は三白眼でトレイズとカロルをまじまじと見つめ、

値踏みするようにしばらく無言でいたあと、

 

「ハッ…、人にモノを尋ねる時は、言い方ってモンがあるんじゃないのカ?」

 

語尾に少し訛りのある交易共通語でそう言った。

やれやれと言った風に肩をすくめながら立ち上がる。

ふたりの胸の高さに届くか届かないかくらいの少年は、

ニヤと意地悪そうに微笑んでいる。

 

「…おい、答えねえと泣かすぞ」

「やってみよヨ白髪。泣きを見んのはテメェのほうダぞ」

「んだと?ガキの癖に…」

 

カロルが一歩前に出て少年を威嚇している。

顔を近づけながらそうやっていると、

背が高い分まるでこちらがチンピラみたいなのだが(それも田舎の)

少年が立ち上がった瞬間、ボロボロのマントの内側に

小さく鋭い短剣が、抜き身のまま少年の腰にぶら下がっているのが見えた。

 

「まあまあカロル。ごめんね、こいつ目つき悪くて。俺たち、さっき首都に着いたばかりなんだけど、うーんと、………この辺に“蒼き雷の剣亭”という場所、知りませんカー?」

 

語尾を真似てみる。

 

「おいおい、尋ね方ってそういう事じゃ…」

「ハン、そっちのサルよりこっちの兄ちゃんの方がまだ物分かりが良さそうだな」

「はぁ!?」

「やった、通じた!」

 

思わず気の抜けた様子のカロルが小さくガッツポーズを

決めようとしているトレイズの拳を捉えていた。

 

「教えてやってもいいんだがナ…」

 

少年はトレイズに向き直り、

指を2本びっと立てると、Vサインの要領で突きつける。

 

「ピース」

 

腰を軽く曲げて、目線を少年に近づけつつ同じポーズを返すトレイズを

2人分のあきれ顔が返事の変わりに帰って来る。

 

「ボケにしちゃ面白くネーぞ。情報料ダよ、よこしな」

「やっぱそうかよ、話になんねぇ!行こうぜトレイズ」

「待ってよカロル、きっとお小遣いが足りなくて困っている子なんだよ」

「んな可愛い感じの流れじゃなかったろ!」

「情報料20G(ガメル)。払うのか払わねえノか、どっちダ?」

 

既にカロルが背中を向けて歩き始めようとしていた。

その向こうに見えるのは、果てしなく続いてる(ように見える)首都の迷路。

そちらへ向かおうと足を進める相棒と一緒にトレイズは歩く…ことはせず

おもむろに自分の財布の中身を調べた。

 

残り510G。

 

冗談抜きに、彼の全財産である。

トレイズは諦めたようなため息をひとつつくと、

 

「カロル」

 

彼の相棒を呼び止めた。

足を止めたカロルの方を見ず、自分の財布から20G分を取り出す。

 

「俺が出すよ」

「おいおい…いいのかよ」

「(まあ、俺たちが言えることじゃないけど、この子あんまり裕福そうに見えないし)」

「(…お前って、いいカモだよな)」

 

後半は戻って来たカロルだけに聞こえるようにささやいた。

各方面に多少格好つけようとしたことは否めないが、

株を上げるどころか、やっぱり呆れられてしまうのだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

トレイズ@残金 490G

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「まいどアり」

「あいよ。じゃあ、“蒼き雷の剣亭”の場所、よろしくネ」

「…ついてキな」

 

それからふたりは少年の後を追うように広場を後にした。

いくつかの曲がり角を抜け、少し広い通りまで出ると、

石造りで2階建ての、立派な佇まいの大きな店が見えて来る。

 

「ここが、冒険者の宿“蒼き雷の剣亭”ダ」

 

両開きの大きな扉の前で、少年は止まった。

広場からここまで、驚く程、近かった。

あくどい商売だな、とカロルは目で訴えているが、

少年は済ました顔で無視している。

 

「どうもありがとう、気を付けてかえってね」

 

トレイズだけは、対価に見合わない仕事に満足しているようだが。

そんな様子に嫌そうな顔で舌打ちをしながら、

少年がその三白眼をさらに鋭くした。

 

「ひとつ忠告しといてヤる。…あんまりお人好しが過ぎると、後で後悔することになルぜ」

「おいっ、それどういう…」

 

少年に向かって噛み付こうとするカロルが一歩踏み出すのを、

首根っこを掴んでトレイズが止める。

ぐえ、といううめき声に被せるように、

 

「はいはい、ご忠告どうも」

「…フン」

 

カロルを掴んだままのトレイズに、

最後に捨て台詞を吐いたかと思うと、

少年がするすると、それもあっという間に人混みの中に消えた。

 

 

売られたショックから立ち直れないトレイズを無視して、

リリアは冷めつつあるミルクをぐいっと飲み干し、

どっかりと深く椅子に座りなおした。

 

「あら、悪い話だけじゃないはずよ。だって、自分では気付いてないかも知れないけど、あんたは磨けば私よりずっと強くなる。腕が磨かれたあんたは、将来的に必ずこの件に必要になってくるって断言できるわ。それに、いざって時にしたい事をするための選択肢は多い方がいいのよ」

「むうう…」

「ま、最後のはセロンの受け売りだけどね」

 

ただし当時、幼いながらも化け物じみた力をもつ彼女に対する「慰め」に使われた言葉だが、

リリアはあえて言わなかった。

 

「セロン兄ちゃんか…どんな人なんだろう。ナイトメアだったんだよね」

「ええ、角は帽子で隠してたけど。あたしたちと同じ黒髪で、身長はあんたと同じか少し高いくらいかな。色白でガリガリだし、非力でもやしよ。10歳のあたしに腕力で負けてたから間違いないわ」

「…ちなみに10歳の姉ちゃんと今の俺が腕相撲したらどっちが勝つと思う?」

「どうだろう、どっこいどっこいじゃない?」

 

(腕力は普通くらい…と)

トレイズは声に出さずに記憶した。

 

「あ、あと、右の掌にアステリアの聖印が書いてあったわ」

「俺のル=ロウドみたいな感じ?」

 

トレイズは自身の左手の甲を机の上に置きながら言った。

そこには、風来神ル=ロウドを象る聖印の痣が薄く刻み込まれている。

両親との信仰と違うそれは、同じ神を崇める姉や、自由を求める冒険者への憧れであり、

しかしそうやって密かな願望を満足させる為の手段であったりもした。

普段両親の手伝いをしている間は、手袋をして隠している。

 

「右掌のアステリアと、手の甲のル=ロウドじゃ、まるで印象が違うかもしれないけどね」

「そうだね、…ますます、人殺しとはかけ離れてる印象の人だよな…」

 

トレイズをル=ロウド信仰へと導いた元凶がミルクのお代わりを要求しながら言った。

最後の方はもはや独り言のように呟きながら、トレイズは注文されるがまま要求に応じる。

 

「分かってるとは思うけど、今の話はカロルには内緒よ」

「当たり前だよ、万が一にでも身内が加害者の立場ならどうするの。俺担保として破綻しちゃうよ?」

「………時々思うけど、あんたの順応さにはほとほと感心するわ…。うん、さすが私の弟ね!」

「そりゃどうも…」

 

話がまとまりかけた頃、

部屋のドアが軽くノックされる音がした。

リリアは短く「どうぞ」と返事をすると、

先程よりも顔色が良くなったカロルがややバツが悪そうに部屋へ入って来る。

 

「悪い、世話かけた」

「気にしないで、これからたっぷり2人で支え合ってく仲じゃない」

 

そういって、カロルにトレイズの隣に座るように促した。

切れ長の目が、ちら、とトレイズの顔を確認すると、

ハの字眉毛だった男とばっちり目が合った。

彼は視線に気付くとやんわり微笑みながら、「お茶入れて来る」と言いつつカロルと入れ違いに席を立つ。

トレイズが立ち上がったことで空いたスペースへ一度椅子を引き、

リリアのナナメ向かいへ、すぐにカロルの分のお茶を入れて戻って来たトレイズが

慣れた手つきでリリアの正面、カロルの隣へ腰を下ろす。

 

「それで、話はまとまったのか?」

「ええ、そりゃもうバッチリね!さっき調度言いくるめに成功したところよ!褒めて良いのよ!むしろ褒めろ!」

 

胸を張ってふんぞり返る姉を無視しながら、トレイズが隣へ手のひらを差し出した。

 

「そんなわけで、今日から相棒させてもらうトレイズです。宜しくカロル」

「ああ、こちらこそ。よろしく頼む、トレイズ」

「カロリン、トレイズはね、こう見えてプリーストの心得があるの。回復手段の無いあんたにはもってこいなのよ」

「リンはいらない…」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

トレイズ=シュルツ

 

種族:人間

性別:男

生まれ:冒険者

冒険者レベル:2

 

【技能】

フェンサー:Lv1

プリースト(ル=ロウド):Lv2

セージ:Lv1

 

HP:24

MP:27

生命抵抗:5

精神抵抗:5

 

器用度:16

敏捷度:18

筋力:19

生命力:18

知力:22

精神力:21

 

【戦闘特技】

魔力撃

 

【言語】

交易共通語 会話/読文

汎用蛮族語 会話

 

【装飾品】

武器:レイピア

鎧:ハードレザー

盾:バックラー

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「カロル、当面は実力をつけることになりそうだけど、武器は?」

 

カロルと握手しながら、トレイズは、ほぼ手ぶらの状態のカロルを不思議そうに眺めた。

その視線に「ああ」と一言漏らしてから

 

「剣は使わない。俺の武器は拳だ」

 

顔の前に右手を掲げ、ぐっと握ってみせる。

よく見ると、両手に拳を補強する丈夫そうな指ぬきグローブのようなものを着けていた。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

カロル

 

種族:人間

性別:男

生まれ:冒険者

冒険者レベル:2

 

【技能】

グラップラー:Lv2

スカウト:Lv1

 

HP:25

MP:16

生命抵抗:5

精神抵抗:4

 

器用度:16

敏捷度:17

筋力:14

生命力:19

知力:10

精神力:16

 

【戦闘特技】

追加攻撃

投げ攻撃

挑発攻撃

 

【言語】

交易共通語 会話/読文

 

【装飾品】

武器:セスタス

鎧:ポイントガード

盾:なし

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「さあできた、紹介状よ!」

 

いつのまにかしばらく静かだったリリアが握っていたのは、

カロルが持っていたものよりも大分綺麗な便せんだった。

少しだけ煌びやかな装飾がついている。

 

「ルキスラについたら、『蒼き雷の剣亭』のルーサーに渡して。そこを拠点にできるように取りはからってあげる」

 

冒険者たちは基本、拠点となる冒険者の宿に席を置き、

仕事の斡旋をしてもらうものらしい。

件のルーサーについては、昔リリアが初心者冒険者だったころ、

主に住や食といった部分で大変世話になったとか、世話してやったとか。

(8割自慢話が入ってなかなか進まないが、時々連絡を取る知り合いであることは分かった)

 

ルキスラはここディザから1日北上した場所にあり、

商人や冒険者が行き交う街道を徒歩で、比較的安全に移動できる距離にある。

お膳立ては済んだから、あとはふたり仲良く冒険しなさいな、とリリアは楽しそうに笑った。

ルーサーという名に、懐かしそうに目を細めている、ようにも見える。

ふたりは何気なく、その紹介状に目を落とした。

 

【紹介状】

「この子たち、私の弟分だからよろしく!

追伸:いつぞやのツケはこの子らが返済するから心配しないでね(ハート)」

 

「じゃあ、あたしそろそろ行くから!」

 

カロルとトレイズが仲良く紙面を確認し終えた頃には、

リリアは小屋を飛び出し、ここまでの道中で散々乗り回していた魔道バイク

“ブラックホーク”に再び飛び乗っていた。

光る車体に、「ぶるるるん」をいななく音が耳に障る。

 

「ね、姉ちゃん、この“ツケ”って何!いくらツケたの!」

 

室内からいななきに負けないように大きな声を出すトレイズをよそに、

リリアは余裕かつ不敵に返すのだった。

 

「ちょっと言えない程度よ」

 

そして容赦なくバイクを発車させる。

ぶるるるるるると鼓膜を刺激する音を撒き散らし、

瞬く間にブラックホークは見えなくなった。

 

「あっ、こら!」

 

咎める暇もなく、

聞く耳を持たず、

理不尽に輪をかけて自由奔放な姉が再び見えなくなる。

 

「…」

 

トレイズは、カロルの横であからさまに肩を落とした。

 

「じゃあ、行こうか、…借金返しに」

「借金の方にまで俺を巻き込むな」

 

かくして、ふたりの冒険は始まったのだった。