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「トレイズってどういう子?」
「名前は好きな小説の主人公からとってるんだけど、その主人公がもうこれが凄く凄くかっこよくて…」
「そういうのいいから」
「むう、…えっと、トレイズもリリアも、というか、ここの家族は皆その小説から名前を借りてるんだけど、このリリアは、“理不尽”とか“でたらめ”がテーマなんだ」
「どういうこと?」
「ほら、よくオンラインゲームとかで初期の方に行ける場所なのにいきなり現れる高レベルモンスターいるじゃん、知らないで近づくと絶対勝てないやつ。ああいう感じ」
「…人間なんだよな?」
この卓において、私の相棒であり、自分であり、私にとっての主人公である彼の、
最も苦手とするものは、実は自己紹介である。
それは、自分を語るのが嫌いなわけでも、話すことが苦手なわけでもなく、
有り体でいって、単純にその中身が無い事を意味するのだった。
故に、彼の自己紹介は1行で終わってしまう。
たった一言、3秒もかからない。
初対面の人間に3分間スピーチを求められれば、
自己紹介がテーマの場合、2分と57秒余らせる。
自分という生き物は単純で明快、中身のまるでない、シンプルが服来て歩いているようなものだと。
だから彼を語る際は、まず最初に彼の姉についての話をすることを許して欲しい。
彼女の話題であれば、トレイズの話が尽きることはないのだから。
リリア=シュルツはこの物語の起点である。
3分スピーチでは語り尽くせない彼女を無理矢理短く語るなら、
「理不尽」という言葉がふさわしい。
理不尽
出鱈目
絶対的であり、圧倒的
これらを混ぜ合わせて人の形の型に流し込んだ挙げ句28年くらい自由奔放に育て上げても、
きっと彼女と同じものを作り上げることは不可能だと思う。
彼女はまずじっとしている事が無い。
ありとあらゆる場所に出没し、必ず嵐を起こしてから去る。
付いたあだ名は「台風の目」「災厄」「疾風の告死天使」
冒険者の宿に行けば必ず噂になっている。
畏怖の名だ。
理不尽のルールの基に定められたその名前の由来はもちろん彼女の強さに起因する。
リリアに敵と判断され、認識されたものが生きて帰った試しがない。
それは、相手が彼女を敵と判断する場合も例外ではなく、
さらには、相手が「敵」を認識する間もなく死んでいるケースもあるという。
「何に」「どうやって」殺されているのかが分からない場合、大抵はリリアの名が挙がる。
ではこの畏怖はどこの誰が広めたものなのか。
それは考えるまでもなく、
彼女に「味方」と判断された者たちだった。
こわい、怖い、恐い、強い。
その全てをどう表現すればいいのかが分からず、
かといって自分たちがそこにまざまざとした恐怖を感じていることを彼女に悟られれば、
彼女にとってはガラス細工よりも脆い命を、
まるで誕生日ケーキの蝋燭を吹き消すかのように簡単に、
「ふっ」と消されてしまいそうな気がするのだ。
そのくらい、リリア=シュルツという人物は最強で
最恐で
最凶で
最驚で
最狂なのである。
実に理不尽だ。
そういう設定付けをされている時点で彼女にも、世界にとっても、
そして彼にとっても「理不尽」なのである。
だが、そんな彼女にも弱点が2つある。
1つは容姿だ。
145。
何の数字だと首をひねるものも多いそうだが、
ちなみに単位は「センチメートル」である。
そう、「シュルツ家」の姉にして、「人類最恐の女性冒険者」は背が小さかった。
彼女が強さと同時に手に入れたかった身長は、どんなに頑張ってもついぞ小さいままなのである。
背伸びをしても牛乳を飲んでも大きくなるのは身長ではなく何故か胸。
所謂、「大人の女性」としての魅力は皆無だった。
それでも強いので更に不気味と専ら噂が絶えないのだが。
145センチの大砲は、そんな運命に対して呪いの言葉のように呟くことがあるそうだ。
即ち、「理不尽だ」と。
そして、話はもう1つの弱点へと戻って来る。
話題は一周し、主観へとバトンがまわる。
彼は、理不尽にも特出して書くほどのものが無い。
自己紹介は一言で終わる。
トレイズ=シュルツ
「シュルツ家の残念な方」である。
私にとっての主人公だ。
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オッド山脈からかなり東、ルキスラの帝都から少し南にあるディザの街の、
その郊外にある田舎の古い木造の教会の隣に、よく言えばおもむきのある、
悪くいえば古ぼけた上でくたびれた小さな小屋がある。
教会とその隣の小屋で老いた両親と共に暮らしているトレイズは、
いつものように日課である花壇の水やりをしていた。
癖の強い黒髪に、少しだけ高い背をややかがめて、
フードのついた緑色のジャケットの上から薄黄色のエプロンを着けている。
エプロンのポケットには花柄のアップリケがついていた。
じょうろを持つ左手には、ル=ロウドの聖印の痣がある。
草花と一緒に太陽の光を浴びながら、
柔らかく頬を撫でる風邪の匂いに自然と顔をほころばせた。
ぶるるるるる…
しかしすぐ、そんな平和でのどかな田園風景とはかけ離れた、
巨大な蜂か甲虫が急いで羽ばたいているような音が聞こえて来る。
何事かと彼が周囲を見回すと、音はやがて耳をつんざくような爆音へと変わり、
教会へ続く道の上をまっすぐこちらへ、太陽の光を浴びて黒光りする生き物が
盛大に土ぼこりを巻き上げながら猛スピードで近づいて来るのが見えた。
「な、なんだ…?」
思わず身構えるトレイズの目の前、黒光りする生き物は土手っ腹をこちらに向けて滑りながら、
金属を引っ掻いたような不愉快な音を撒き散らし、即座に急停止した。
生き物は人間を2人乗せているが、急停車と同時にそのうちの1人が転げ落ち、
「うおぇえええええ…」
その場でえずいた。
目の前で繰り広げられるとんでもない光景をよそに、
生き物にまたがっているもう1人の人物は、軽く片手をあげてトレイズを見る。
見覚えのある人物が、えずく同乗者をよそに嬉しそうに言った。
「や、弟よ。元気にしてたかね?」
見間違うはずも、他に思い当たる人物もいない。
リリア=シュルツ、彼の姉だ。
黒々とした長い髪を毛先に近い場所で束ね、一見幼い少女のような外見をしているが
トレイズとは年が10も離れている。
リリアは彼女が15になった途端、冒険者として家を飛び出して以来、本当に色々な場所を渡り歩いていて、
その噂は遠く、ディザ郊外の田舎にいたとしても嫌という程耳に入る。
そして時折こうして不定期に実家に帰って来るのだ。
もちろん事前に連絡はない。
「なにボケッとしてるのよ、久々に会った姉に歓迎の言葉とか、涙ちょちょぎれでハグしちゃうとかないの?」
「一度もそんなことをした覚えはないし、勝手に人で嫌な想像するのやめて?」
「なによー、可愛くないわねー」
「そんなことより、彼大丈夫?」
「この愛車?あたしの自慢のブラックホークよ!」
鉄の首無し馬を片手で撫でるリリアを「じゃなくて」と軽く流し
土下座する格好で苦しそうに嘔吐き続ける白髪の青年へ、
トレイズは視線を移した。
「どちらさま?」
「この子?カロルっていうの」
「大丈夫?」
カロルは不快感と涙目を露にしながらもふらふらと立ち上がり、
真っ赤になっている目と青い顔でトレイズをじっと見つめる。
「お前が…リリアの弟なのか…」
「トレイズです、ええっと…こんにちはブラックホークさん」
「カロルだ…」
「ついでに、おかえり姉ちゃん」
「ついでって何よ。…でも、どうよカロリン、私にそっくりで可愛いでしょ?」
「カロルだ…」
黒髪のくせ毛以外あまり似ていない姉が、
弟自慢に鼻を鳴らしている。
見るからにそれどころではないカロルが精一杯の抵抗をするが、
「トー君って呼んであげてね」
「やめて」
吐き気に虚しさが追加された。
「立ち話もなんだし、中で休んで貰いなよ」
「………」
「トレイズ、お茶だして、お茶」
「はいはい」
そしてようやく招き入れられた小屋に入る頃には、
カロルはすっかり大人しくなっていた。
見かねたトレイズが教会にあるベッドを使うように促し、
「悪い」と短く返事をするカロルがそれに従う。
カロルが休んでいる間、トレイズはリリアのためにお茶…ではなく
温めた牛乳を差し出しながら、これまでの経緯を聞いた。
「彼氏ではなさそうだけど…ひょっとして迷子なの?」
「まあひとりぼっちでオッド山脈を越えようとしていたあたり、否定できないわね。でも違うわ。
あの子は“とある目的”のために旅をしてたんだけど、襲われて動けなくなってたところを保護したの」
「とある目的?」
「詳しくは本人に聞きなさい、これから相棒になんのよ」
温かい牛乳で白い髭を作りながらコップを傾けるリリアが何て事無いように言い放った。
「…話が飛躍しててよく分からないんだけど、どうして急に帰って来たの?」
「元々帰る気なんか無かったんだけどね、あの子拾っちゃったから仕方無く。またすぐ出るわ」
「今度はどこへ?」
聞かなかった事にしようとしたトレイズは、
半ば無理矢理話題を逸らしながら自分の分のお茶を注いだ。
軽く湯気がたつ。
「ちょっと言えないとこ」
冗談のような台詞をかなり真剣な顔で言い放つ様は、
彼女がごく稀に、トレイズだけに見せる顔のひとつだった。
暗に「とても危険なので絶対追求してくるな」という、
彼女なりの気遣いのはずだったのだが、今回は少し様子が違うようだ。
目を泳がせながら、眉間にシワを寄せている。
「どうしたの」
普段それ以上の追求をしないトレイズが、
リリアの表情を見て口にする。
すると、リリアは意を決したように立ち上がり、
カロルが寝ている部屋まで距離があることと、
その部屋のドアがきっちり閉められていて、
小声であれば音が漏れないことをきっちり確かめたあと、
トレイズの向かい側に乗り出すように浅く座りなおした。
背が足りないので、椅子の上で正座する格好になる。
「これ見て」
そうして、胸元から薄汚れた封筒を取り出した。
トレイズが受け取り、中の紙に軽く目を通す。
「…汎用蛮族語?いや、ところどころ違うな、違う言語同士の組み合わせか…、あるいは造語?」
「相変わらずこの手の文章は得意みたいね、話が早くて助かるわ。私でも全ての解読はできそうになかったの。でも、単語くらいは拾えたわ。分かったのは《穢れ》《人族を支配下に》それから、《セロン=シュルツ》」
「はい?」
怪訝そうな顔のまま、トレイズは手紙の中から言われた単語を探してみるが、
彼にはリリア以上の知識はなく、また、そこに件の単語を見付けることは出来なかった。
申し訳ないけど、という前置きをしてから
「なにかの間違いとかじゃないの?」
手紙を封筒に戻し、リリアに返す。
「だったら良かったんだけど…そうだったらこんなものあんたに見せつけたりしてないわよ」
「だって、セロン兄ちゃんといえば…」
トレイズが思わず口ごもる。
セロン=シュルツというのは、トレイズよりも、リリアよりも年上の、「一番上の」兄だった。
彼らは本来3人兄弟なのである。
結婚して間もない頃の両親は、早い段階で第一子を授かり、惜しみない愛情を注いで育てていた。
身体はあまり丈夫では無かったものの、好奇心が強く、聡明であり、
両親から受けた愛情を第三者へと還元出来る、優しい子に成長する。
セロンと名付けられたその子は、成長の過程で
自らが世間では忌み子であるナイトメアであることを知るが、
両親の愛情を両手いっぱいに受けて育てられた彼は、特にその事を悲観することもなく、
歳の離れたリリアの事もかなり溺愛していた。
肩車して歩く姿はご近所さんの間でもかなり有名であったとかなかったとか。
セロンが15歳になる頃、彼らの両親は僅かな稼ぎの中から捻出した貯金で
ようやく小さな教会を建てた。
妖精神アステリアの熱心な信者である彼らの両親は、
念願であった教会を大切にし、神や家族に感謝した。
だがある日、大切な教会は突然炎上した。
今と変わらない木造建築だったので、炎は早々に広がり、瞬く間に全焼。
幸いなことに家族は誰1人欠ける事は無かったが、
全焼から現在の状態まで復旧させるのに、かなり苦労をしたらしい。
セロンは、出稼ぎのため、そして、彼自身の何らかの目的のため、
現在はどこかで冒険者をやっている……らしい。
ちなみにすべてトレイズが生まれる前の話なので、彼はセロンとの面識が無い。
出稼ぎのはずが、冒険者になってからのセロンから教会や同じ冒険者のリリアへ連絡が来た事はなく、
半分行方不明といっても過言ではない。
リリア曰く、「あの人は基本的になんでもできる」人であり、
両親すらも「便りがないのは良い便り」というとんでもないのんびり思考ではあるので、
特に心配をしたことがなかったのだが
「初めての便りが…これなんだね」
「なんて世話の焼ける兄なのかしら!」
眉間で感情を語る姉の拳が顔面に飛んで来ることを警戒しながらトレイズは慎重に言葉を選ぶ。
「同性同名なんじゃないのかな、姉ちゃんよく“兄ちゃんは優しかった”って言ってたじゃない」
「あたしだってセロンが蛮族と関わっているなんて信じたくは無いわよ。というより、詳しい内容が分からない以上、あいつがカロルにとって加害者の立場なのか、蛮族の被害者の立場なのかも分かんないの」
「カロル?…ああ、彼の」
持ち物なんだね、と続けようとした瞬間、
トレイズの中で色々なことに合点がいってしまい、思わず動きを止めた。
「姉ちゃんは、手紙の内容を頼りにしてセロンの情報を探りに行く為に、カロルをどこかへ預ける必要があった。手紙はカロルの持ち物であり、それを預かるのに何かを交渉したはずだ、例えば、“あんたの目的を果たしたければ、力をつけておきなさい。私は情報を集めておくから”とか。そして持ち逃げしないことを証明するために担保を用意しなくちゃいけなくなった」
「そう、それで交換することにしたのよ。手紙とあんたを」
あっさりと肯定される。
すっかり冷めたお茶を急速に乾いていく喉へ流し込むことも忘れて、
トレイズは一歩身を引いた。
「つまり誰が?」
黒髪にくせ毛の目立つトレイズが、眉毛をハの字にしながら聞き返した。
その鼻っ面には、細く小さな人差し指が真っ直ぐ突きつけられていて、
その先に伸びる右腕の持ち主は、灰色の双眸を確実に目の前の男へ向けていた。
長く豊かな黒髪は、彼女の腰までゆったりと伸び、毛先に近い場所で一括りにされている。
伸ばしていない方の左腕は、拳を作って腰へ当てられ、
両足は肩幅よりもやや広げて椅子の上にしっかりと立っていた。
そうして彼女よりも頭2か3つ分ほども高いその男へと指を指したまま、
ふたたび、言い放つ。
「あたしには、あんたしかいないでしょーが」