「光と影」
その本は、図書室の前の「今日の一冊」と書かれたコーナーに飾られていました。タイトルは「影をなくした男」。一週間後には、私の手元に借りられていました。日頃から花や街並みのスナップ写真を撮ることを楽しみにしている私は、「影をなくした・・・」の表題に興味を抱いたのです。
影をモチーフにしたこの書は、人の欲望、苦悩、愚かさを問う示唆に富んだ物語です。普段は影など意識していない私達ですが、歩けば後を追い止まれば止まる。まるで自分の分身のように一心同体です。
1960年代後半に、プロコル・ハルムの洋楽「青い影」が大ヒットしました。ハモンドオルガンの魅力的な音色とバッハの「G線上のアリア」に似た旋律は、「青い影」のネーミングとともに心が惹かれました。この曲が大人の男女の胸の内、心情を歌ったものであることを知ったのは大分、時が経ってのことです。その心情を「青い影」と表したことに当時、大人の仲間入りを間近にした私には新鮮で上手い表現だなと感心しました。
今、私は広報部記録係として写真を撮るご奉公をさせていただいています。最近のカメラやスマホのカメラは優秀で綺麗な写真が撮れます。記録写真としては十分です。・・・とは言うものの御奉公となると少しでも上を目指そうと自然と気持ちが入ります。
日差しが本堂に注ぐお会式。ローソクの光の元での除夜法要。この空間に参詣者の影が見てとれます。一点を見つめる眼差しや手を合わせるその姿から、心の内が伝わってきます。フェルメールやレイブラントが光と影を描き、人の内面を表現したように、私も写真で人の内面を表現できたら素晴らしいことだと思います。
先月、開催された妙現寺まつりでは、カメラ任せでなくマニュアルで撮った数枚の写真があります。振り向く何げない仕草やお目当てのまぐろをゲットしようとする嬉しそうな表情を撮りました。私なりの拘りのトライです。(構図は反省材料です。)
光と影を語る時、私が10代で初めて覚えた御教歌「信心は 何になるぞと 人問はゞ 一寸先は 闇の提灯」の情景が浮かびます。これからも提灯の光に照らされて、自分の影を大切に人生100年を楽しんでいきたいと思います。
令和6年8月7日 記す