本門佛立宗 相模原妙現寺 サァクルナイン -5ページ目

あれから9年‥

昨日、11月16日は私の義兄、小原旭くん、本地院信昇日旭信士、10回忌の祥月命日でした。


今年の3月に妻と結婚して、義理の兄となった旭くん。

平成27年11月16日、仏陀釈尊生誕の地、ネパール大地震の支援活動中、不慮の事故によって26才の若きを以て亡くなりました。


妻と出会う前から交流があった旭くん、たくさんの思い出があります。

訃報を聞いたあの日、衝撃でした。

ご家族のことを想うと、言葉になりませんでした‥


大切な人との別れ、仏様は四苦八苦の一つに「愛別離苦」と、その苦しみを説かれております。

言葉では表現しきれない苦しみ…

しかし、学ぶことも多くあります。


あれから、9年…

今でも多くの方が旭くんのことを大切にしてくれています。

長松御住職(横浜 妙深寺)は現地ネパールに赴き、妙深寺ネパール別院、ネパール平和題目塔にて10回忌の法要を盛大にご奉修いただきました。

現地の方も大勢お参りしてくださったようです。


(旭くんのお骨が納められているネパール平和題目塔)

親族親戚一同も日本各地に離れて暮らしておりますが、心はひとつに、御本尊に向かってご回向させていただきました。


旭くんが繋いでくれた、たくさんのご縁、これからも大切にします。


人の一生は、人それぞれ、長い短いだけでは測れない。今生人界の思い出、何をして、何をしてはいけないのか、わかっているようで、わからない、出来ているようで、出来ていない、目先のことに囚われ、自分のことが可愛い。私を含め、現代の人はそんな生き方になっているように思う‥

もっともっと、他人(ひと)のことを思えるならば、自分だけてなく、世界(生きとし生きれるもの、環境全てに)という広い眼を持てるならば、変わることが出来ると思う。

仏さまの教えをいただくなら、そういう視点をもたなければいけないのではないか‥


旭くんは、そんな視点を持っていたカッコいい人でした。

(真ん中の赤いダウンコートを着ているのが旭くん、ネパールの子供たちと)



君に逢えねど




今回の『トシちゃんの独り言』は…


君に逢えねど 思う気持ちは

     永遠に そのままに


今 思い返せば

忘れがたきは 夢の様な思い出



銀河鉄道に乗って

メーテルのような 君に逢えた

そして 楽しく過ごして これたよ


君は みのあることを していましたね

と…、僕は今でも想っています


気持ちが晴れないことが つづいても

御題目をお唱えして 『よし!』と言って

奮起していましたね



『一人でするジェンガはヤだ 面白くない』

『だから一緒にしよ!しなきゃダメよ!』


いたずらっぽく 微笑んでいましたね




学年は同級生 1コ下なのに

お姉さんのような口振り


はにかみながら 僕に見せた笑顔は

まだ忘れられない



君がいなくなって

時は 止まったままのようです


君に逢いたいと思う気持ちは

永遠(とわ)に そのままにして おきましょう





揮毫・文章【トシちゃん】

「光と影」

 その本は、図書室の前の「今日の一冊」と書かれたコーナーに飾られていました。タイトルは「影をなくした男」。一週間後には、私の手元に借りられていました。日頃から花や街並みのスナップ写真を撮ることを楽しみにしている私は、「影をなくした・・・」の表題に興味を抱いたのです。


 影をモチーフにしたこの書は、人の欲望、苦悩、愚かさを問う示唆に富んだ物語です。普段は影など意識していない私達ですが、歩けば後を追い止まれば止まる。まるで自分の分身のように一心同体です。


 1960年代後半に、プロコル・ハルムの洋楽「青い影」が大ヒットしました。ハモンドオルガンの魅力的な音色とバッハの「G線上のアリア」に似た旋律は、「青い影」のネーミングとともに心が惹かれました。この曲が大人の男女の胸の内、心情を歌ったものであることを知ったのは大分、時が経ってのことです。その心情を「青い影」と表したことに当時、大人の仲間入りを間近にした私には新鮮で上手い表現だなと感心しました。


 今、私は広報部記録係として写真を撮るご奉公をさせていただいています。最近のカメラやスマホのカメラは優秀で綺麗な写真が撮れます。記録写真としては十分です。・・・とは言うものの御奉公となると少しでも上を目指そうと自然と気持ちが入ります。


 日差しが本堂に注ぐお会式。ローソクの光の元での除夜法要。この空間に参詣者の影が見てとれます。一点を見つめる眼差しや手を合わせるその姿から、心の内が伝わってきます。フェルメールやレイブラントが光と影を描き、人の内面を表現したように、私も写真で人の内面を表現できたら素晴らしいことだと思います。


 先月、開催された妙現寺まつりでは、カメラ任せでなくマニュアルで撮った数枚の写真があります。振り向く何げない仕草やお目当てのまぐろをゲットしようとする嬉しそうな表情を撮りました。私なりの拘りのトライです。(構図は反省材料です。)


 光と影を語る時、私が10代で初めて覚えた御教歌「信心は 何になるぞと 人問はゞ  一寸先は 闇の提灯」の情景が浮かびます。これからも提灯の光に照らされて、自分の影を大切に人生100年を楽しんでいきたいと思います。

                                     令和6年8月7日 記す