お寺を支える「おやじの集まり」壮年会、活動報告
皆さん、いつもお寺の活動にご理解ご協力いただき、ありがとうございます。
お寺の活動を影で支える存在として、私たち壮年会があります。
壮年会と聞いてピンとこない方もいらっしゃるかもしれませんね。ひと言で言えば、お寺を愛する「おやじの集まり」です! 世代も職業も様々ですが、「お寺のために何かしたい」という熱い想いで繋がっています。
活動のモットーは、もちろん「お寺の何でも屋」です!
私たちの活動は、大きく分けて「ご奉公」と「学び・交流」の二本柱です。
【活動その1:お寺を支える大切な「ご奉公」】皆さんが気持ちよくお寺にお参りできるよう、目立たないけれど大切な役割を担っています。
1. 大行事の設営準備(主要な活動!)年3回開催される「御会式」をはじめとする大きな法要では、設営・撤収のご奉公が私たちの最も大きな活動です。皆で力を合わせ、滞りなく法要が行われるよう、縁の下の力持ちとして支えます。


2. 日常の困りごと解決と環境整備掃除、窓拭き: 本堂や境内の隅々まで、心を込めて磨き上げます。
困りごとの解決: 高い場所での作業、重いものの移動、ちょっとした修理もお任せください。つい先日も、滑りの悪くなったドアの調整・修理を行い、スムーズに開閉できるようになりました。
庭の手入れ: 季節の移ろいを感じていただけるよう、境内を整えます。


【活動その2:学びと交流の場】ご奉公を通じてお寺への理解を深めるだけでなく、仲間と親睦を深める機会も大切にしています。
1. ご住職からの教えと勉強会年2回の「オヤジの御講」では、ご住職から仏教や信仰について多くのことを教えていただきます。また、勉強会では「信行」に関する学びや、いざという時に役立つ「救急救命」などの体験的な活動も行っています。次回はオヤジの「裁縫教室」を予定しています。




2. 仲間と親睦を深める懇親会活動後の疲れを癒し、絆を深める「懇親会」という名の飲み会も欠かせません。ご奉公の真面目な顔とは一転、和気あいあいとした雰囲気の中で、年代や職業を超えた仲間と楽しく語り合っています。

現在、壮年会では随時メンバーを募集しています!「お寺が好き」「地域に貢献したい」という気持ちがあれば、経験や技術は一切問いません。活動を通じて、お寺への理解が深まるだけでなく、年代を超えた仲間との交流も大きな魅力です。
興味を持たれた方は、「ブログを見た」と、遠慮なくお寺(寺務所)に声をかけてくださいね!これからも、おやじパワーで頑張りますので、応援よろしくお願いします!
【壮年会ご奉公ダイジェスト動画】
↓↓↓をクリック
https://youtu.be/K2RbWhMamlo?si=G6KInuA-2NBnZhki
動画視聴に関するご注意事項
【通信量にご注意ください!】 ⚠️
動画の視聴には、データ通信量を多く消費する場合があります。
Wi-Fi環境での視聴を強くおすすめします。
モバイルデータ通信で視聴される際は、ご契約プランのデータ残量にご注意ください。
『君に会えた街を偲んで』
『君に会えた街を偲んで』
第二次世界大戦後六年、赤い髪をした私は生れました。
それから3〜4年。
ものごころ付き始めた頃、まだ焼け跡の空き地が残る街を、母親に手を引かれ親戚の家へ立ち寄ったり、買い物に付き合わせられたり、母の友人との立ち話しに付き合わせられたりした記憶があります。
若い母達の馴染みも深く、終戦後、復興の兆しがみなぎる象徴的な商店街でもありました。
母たちと、
回廊の様になったその商店街を一周しては、戻ってきて、また更に一周するという辛さに「もう!」と子ども心に、チョット苦痛になったりしたものでした。
この商店街の近くには海が近くで波止場も有りました。
そして、小さなレコード店も有ったのです。
そこへ、
歌手で女優の「美空ひばり」さんがやってくる?という噂が本当になり「ひばり」さんがやって来たのです。
ボクはその頃から映画が好きで、叔母たちに映画を観に連れて行かれ「美空ひばり」さんが好きになりました。
その頃の「美空ひばり」さんは
『港町十三番地』を歌っていたように思います。
その商店街には様々な店が立ちならび、ヘビを入れた漢方薬局の透明硝子のショーケースや、刀を展示している店のショーケースに、鼻より出っ張ったおデコを硝子にペタっとくっつけて長い時間眺めたりと・・・、そんな店がある商店街が飽きもせず好きだったのでした。
ちょっと変わった子供だったのかも知れません。
古くから賑やかだったその商店街。
後の1995年(平成7年)1月17日午前5時46分「阪神淡路大震災」が発生し、多くの人々が被災しました。
多くの人々が戦時下に焼け出され追われた様に、震災でも多くの人々が亡くなった街でもありました。
今年で戦後80年、阪神淡路大震災から30年が経ちました。
大きな回廊の様になった商店街は戦争、震災と2度も火災・大火に襲われ大打撃をうけ、哀しい想いを抱えた沢山の人々が住む街でした。
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ボクも小学2年生になりました。
その頃になると母親と歩くより、その商店街にある自転車屋さん(今で言うレンタルサイクル)で自転車を借り、その商店街回廊をグルグル乗り回して遊んでいた方が楽しく面白くなったのでした。
ある日、
いつもの様に子供用自転車を借りようと、握りしめた5円玉を、
(ボク)「おじさん自転車貸してェ」と言って渡そうとすると、
(おじさん)「今日は子供用自転車無いヮ大人用の自転車しか無いけど、どうする?」
小学二年生になって少し「おませ」になったボクは、
(ボク)『それでえェわ!』と言いきり
(おじさん)「大丈夫かァこれしか無いけどえェのんかァ⋯?」
(ボク)『かめへん!かめへん!』(OK!OK!という意味)
(おじさん)「気ぃ付けて乗りや」
おじさんは路地にある自転車を乗りやすいように店の前に出してくれたのでした。
ボクは、
その大人用自転車をサドルを跨がず、片側のペダルに足を乗せケンケンで助走して勢いつけ!
もう片方のペダルは自転車のサドルの横桟パイプの間から足をくぐらせて、ペダルを踏む横・斜め乗りし商店街を回廊巡りの様にして乗り回し遊んでいたのです。
自転車を乗り回して満足すると、市場の丸い大きな時計は貸し出し終了の時間をさしていました。
「あッ!アカン!早ょォ 返さなァ!」
店に戻そうとしたその時、同学年くらいの女の子とその母親らしき二人が目の前をゆったりと歩いていたのに気づきました。
不安定な横斜め乗りをしていたボクは、自転車を斜めに倒して路面を小走りしながら飛び降りたその瞬間!目の前にいた女の子にぶつかりそうになったのです。
すると、その子のとなりにいたオバサンがサッ!とその子を抱き寄せて
(おばさん)「危ないやんかッ!ちょっとあんたどこの子や!」と一喝!キツい口調で叱られたのでした。
(ボク)「ゴメンナサイ」(ワァー怖いオバサンやなァ)
(ボク)「でも、あのオバサンと一緒にいた女の子可愛かったなァ。一度だけ、話しがしたいなァ」と思ったのです。
その後、
商店街で何度か見掛けはしたのでしたが、いつも隣にオバサンが一緒にいるので怖くて近づけなかったのです。それでも、その子の顔とオバサンの顔はセットで記憶していました。
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小学校4年生になった頃、
時代はエルビス・プレスリー全盛で叔父のレコードが低音で唄っていました。
『ブルー・ハワイ』です。
丁度その頃にはアメリカ製品の舶来品で街はあふれていました。
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中学2年生になりました。
戦後の第二次ベビーブームの子供が多く、生徒が溢れていました。
ある日、
別のクラスの教室に勝手に入り、グランドが見える2階の窓からパイプ教室(プレハブ校舎)の方をいつも通り何気なく眺めていました。
すると!
向こうから、こちら側の購買部にパンを買いに少し眩しそうに歩いて来る女の子がいました。その子はまさしく、あの市場で自転車をぶつけそうになった女の子でした。
(ボク)「あッ、やっと会えた!一緒のクラスになりたい!」と思いました。
それから1年。
中学三年生になって「現代国語が好きです」と自己紹介した君にやっと会えました。
同じクラスになれたのです。
その年はビートルズが「ヤーヤーヤー」と日本にやって来た年でしたが、ボクのこころも「ヤー!ヤー!ヤー!」と浮かれたのでした。
君と同級生になり、友人にもなり、話も出来るようになりました。
やっと君に会えたのですね。
思い返せば、
君が隣にいてくれたことで、
いまボクは、
戦時下で大火から逃れて亡くなった方々、
各災害で亡くなった方々、
そして、私を見守ってくれた今はもういない両親に、
優しい「こころ」で、手を合わせることができます。
戦後80年をむかえ、
震災から30年がたち、
そして、君に出会って70年たった今、
今はもういない君、あの街を偲んで、ご回向をさせていただきます。
『南無妙法蓮華経』
妙現寺 青年会を紹介します!
ありがとうございます。
妙現寺青年会会長のハマダ(30代・会社員)です。
今回は私が所属している青年会の紹介をさせていただきます。
妙現寺青年会は、高校1年生~30代のメンバーで構成されています。
小さいころから親御さんに連れられてお寺にお参詣していた子、進学や就職を機に
お寺に来てくれるようになった子…きっかけはそれぞれですが、お寺という良き縁で結ばれた同年代(?)の仲間と共に、楽しく活動しています。
主な活動内容としては、
お講、御会式、お助行、口唱会、勉強会、成人式、敬老会、妙現寺まつり、レクリエーション、SNSを利用した広報活動、他寺院青年会との交流など…。一つずつ詳しくご紹介したいところですが、今回はこの中から3つ紹介させてください!
(1)青年会お講…毎月、お席主を立てて、担当教務である濱田現慈師に奉修いただき、みんなでお講の準備をしてお看経をあげ、ご法門を聴聞させていただいています。
正直、私も一人ではお講の準備ができないので(汗)毎回、みんなで勉強しながら準備しています。ご法門のテーマは、青年会世代が学校・職場・お寺・私生活で直面する課題や悩みに即した内容を現慈師が身近な人や物に例えてわかりやすく説いてくださるので、すっと頭に入ってきます。日々の生活を送る中で、疎かにしがちなことに改めて気づかせてくれるご法門聴聞の時間はとても有難く貴重です。
お講が終わった後は、みんなでご供養(食事やお菓子)をいただきながら、会話を楽しんでいます♪明るくて楽しい盛り上げキャラの子が何人かいるので笑いが絶えません(笑)
(2)お助行…受験や就職を控えた青年会員のためにみんなでお看経をあげさせていただきます。誰かのためを思ってあげるお看経は自然と熱がこもります。あの何とも言えない一体感をみなさんにも是非体験していただきたいです。
私も転職活動の際に、青年会のみんなが自宅にきてお助行をしてくれました。
試験前でナーバスになっていたけれど、お看経をあげているうちにだんだんと穏やかな気持ちになっていき、とても心強かったことを今でもはっきりと覚えています。(みんなの御祈願のお陰で無事に合格しました!)
また、病気で苦しんでいる方のためのお助行もさせていただいております。
(3)レクリエーション…青年会の会員同士の交流を促進し、より一層ご信心が深まり、ご奉公が盛んになるためにはお楽しみ要素が必要不可欠!ということで…。
ボウリング、BBQ、カラオケ、卓球、映画鑑賞などなど…みんなで何をしたいかワクワクしながら計画を立てて楽しいレクを実施しています。
お寺と聞くと格式ばったイメージがあるかもしれませんが、妙現寺にはいろいろな側面があるので、まずは一緒に楽しいレクリエーションから始めましょう!
1つ前のブログでも紹介されている妙現寺まつりでは青年会はやきとりと射的を担当していました!
皆様、お越しいただきありがとうございました!
最後に。
私にとっての青年会(妙現寺)は、心の拠り所です。
このことを特に強く感じたのは、体調を崩して仕事を辞めて無職になった時です。
自分に何の肩書きもなくなったことで更に不安が増し、何も手がつかず無気力で自暴自棄に過ごしていたある日、ふと「お寺には行ってみよう。」と思い、お寺に行くと、いつものメンバーが変わらずに優しく話かけてくれて…『ここに居ていいんだな。私は私でいいんだな。』と思えました。この環境と出会いに深く感謝すると共に、青年会(妙現寺)が誰かにとっての心の拠り所になれるように日々、精進していきたいと思います。
長文にお付き合いいただきありがとうございました!
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