昨日の「骨髄バンク」に続いての「献血」です
わたしの献血歴は過去記事でも書いていますが
最初の献血は献血可能最低年齢である16歳の誕生日直後の土曜日に
地元の血液センターに出かけて行って行いました
当時はまだまだ売血制度が残っていた時期で
売血のしすぎによる”黄色い血”問題になっていたりしました
当時は献血制度が充実していなかったからか??
輸血が必要な時には
その輸血に必要な血液量に相当する血液を
被輸血者もしくはその関係者が集めなくてはならなくて
よく新聞記事等にも、その集められた人々の列の写真が載っていたりしましたが
献血回数の記録されている献血手帳を持っていると
この献血した血液量は確保血液量に充当されるという運用があり
実質的に預血としての機能がありました
そんなこともあって
献血開始時にはこの預血のことも意識はしていましたが
後に献血制度が確立して来て
預血機能が完全になくなってからも
16歳の時に思った”誰かの助けになるのなら”という
わたしの献血に対する向き合い方は変わることなく続いていました
そうは言っても
ず~っと同じ熱量で献血していたわけではないのですが
それでも年一ではその時々に暮らしていた地の血液センターで献血していました
そのうちいつしか年も取り
高血圧とかいろいろな身体の不調により
初めて献血不可として拒否された時には非常に落ち込みましたし
それに対策して再び献血が出来るようになった時には
とっても嬉しかったりしました(^O^)
そうやって途切れることもなくずっと献血はして来ていたのですが
わたしがトランスに伴ってHRT(ホルモン補充)を行うにあたって
ホルモン接取が問題ないかが気になりました
当時ググった記事の中には
「ホルモンを接取しての献血なんて毒をばらまいているようなもんだ」
などと言う人もいたりしましたが
(今もですが)献血は血液型のマッチングはしても
男女混合輸血なのに”ホルモン剤が問題になる”という意見には納得できなかったのです
それで自身で日本赤十字社の血液事業本部に問合せして
デポ注射している場合は30日空ければ・・・注射での感染症なら3日も明ければ(^O^;)
そしてわたしの使っているパッチ剤なら
卵胞系のホルモン剤という前提で、献血は問題なく出来ます
ということで
わたしはトランスを始めてからも献血は継続していましたし
HRTが「エストラーナテープ」というパッチ剤onlyとなってからは
献血を成分献血で行っていることと併せて
基本は二週間に一度のサイクルで行っていました
そして献血可能年齢は69歳まで
厳密にいうと”70歳の誕生日の前日”まで
この日に献血できれば
今の基準では「最高齢献血者の一人」になれます
それがどうした!
単なる自己満足でしかないのは分かっているのですが
こういう処に引っ掛かるのがわたし(^O^;)
それを目指して準備して行ったのですが
献血予定日の前日に日曜大工で指にけがを負ってしまって
結果、献血できませんでした(-_-;)
その顛末を書いたのがリブログした記事です
繰り返しますが
骨髄も血液も他の臓器と違って再生されます
自分の大切な人が骨髄や血液が必要となった時を想像してください
あなたはその時何も求めないですか?