昨日の『私が私であるために』で
凛やamiからひかるが
「なにもしないで(メソメソと)悲劇のヒロインぶってんじゃないよ!」と言われ
わたしもイライラする場面が何度かありました、と書きました
そして今日、いつものアメブロからのお節介で
リブログした記事をネタに薦められました
それで昨日の続きで
自分のトランスでの思いだったり行動について補足してみます
わたしの場合
”女の子に戻る”ではなく、”女の子になりたい”ではあっても
その想いは小学生の頃から、途切れることもなく半世紀も続き
その間にも縁あって結婚し、子供も生まれたのですが
それでも埼玉医大でのSRSがあり、特例法が施行され
いくつかのメディアでも少しづつであっても情報が流れだしました
そうした周りの環境整備と
わたし自身との間での閾値が超えたことで具体的な動きを始めました
それでも”思ったからすぐに”というのではなく
上の子の高校受験と時期が重なったので
自分の想いの確認ということも踏まえて
一年間の猶予期間を設けました
もちろんだからと言って
何もしないというのではなく、より一層の情報収集は行ったし
具体的にも美容外科での脱毛と
1A/4Wというごく少量ではありますがフライングでのデポ注は始めました
そして一年
上の子も高校入学が決まり
その高校の傍に住まいを借りて「勝手にRLE」と
家族全員にカミングアウトして、家を出ました
でも転居先でも、先ずは男の子として生活を始めました
この一年の間では、7月から月一にGIDしずおかへ新たに参加したくらいで
あとは脱毛とフライングのデポ注の継続をしていました
後半でクリマラの併用をしましたが
この二年間の1A/4Wという少量ホルモン剤での身体の慣らしは
その後にも一切の心身での副作用を感じたことのなさから言うと
結果として二年の準備期間になりますが
よかたっと思っています(^O^)
そして三年目
”自分らしい独自の生き方を創造する中で
ジェンダーを人格の性的側面と捉え
性同一性を自我同一性へと統合していく”
という先生の考え方に触れ
自分で自分を定義することが出来ました
定義さえできれば、元記事でも書いていますが
自分の定義した言葉で、自分の心を納得させられたならば
わたしは、それで十分
それぞれのステップも迷うかもしれませんが
少なくとも悩まずに
踏み出していくことが出来ます
そしてわたしの生き方は、先ず”想いありき”
想いなくして、ただ無闇に動いても、ただウロウロするだけ
しかしながら、想いがあっても動かなければ、何も成し遂げられません
それは想っていないのと同じこと!
想い、走ることで、創られる のだと思っています
想いさえあれば、あとは迷わず進んでいくことが出来ます
いつか到達できると信じて(^O^)
ガイドラインに則ったトランスを開始してから
未成年の子なし要件にかかったこともあり
5年かかって戸籍の改性まで済みましたが
その間は、進みが滞ることはあっても一度もブレることはなく
トランスを進めてきました(^O^)
そしてもちろんのことですが
今もトランスして、戸籍が変ったことに
少しの後悔もしていません(^O^)/
※本文中の青太字部分には元記事のリンクが埋め込まれています
その部分をWクリックしていただければ、元記事を参照できます