昭和99年度スタート | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

今日から新年度が始まります

  NEWSでも各社、各役所の入社式が伝えられています

  四年前には(コロナで少し遅れましたが)

  入社式を捉えたNEWS映像に上の子が捉えられていました(^O^)

と、前振りがいつも通り彷徨っています

  今回のテーマは”新年度”と言うことではなく”昭和99年”

 

少し前のNEWSで「今年は昭和が続いていれば”昭和99年”です」と言っていたのです

  その言葉を聞いて、すぐに思い出したことがあったのです

 

わたしが学校を出て、会社に入ったのが昭和40年代

  そしてその会社でシステムを作る(プログラムを書く)ようになるのですが

  当時はコンピューター上のメモリーにせよ、記憶デバイスにせよ

  まだまだ容量が小さい時だったので

  日付処理する時の年部分は2桁で処理していました

今はこの年部分2桁といっても、和暦表現よりも西暦下2桁の方が多いかと思いますが

  当時は金融機関や官庁以外でも和暦を使っていることが多く

  さらに日数計算を行う時には(特に個人情報を扱う時には)

  昭和だけでなく、大正やさらには明治まで出てくることがありました

そういうわけで

  2桁の年数の前に1桁元号記号として、S/T/Mを付けていました

  それでもあくまでも年部分は2桁、もう明治の年数も超えていきます

  不謹慎なことですが「天皇陛下が長生きして年部分桁オーバーしないよね?!」

  なんてことを話していたことを思い出しました

 

実際にはご存じの通り

  昭和64年明けてすぐにご崩御されたのですが

  わたしはこの時

  京都のエステシャンとそのお客様の女の娘との三人でトマムスキーに行っていたので

  わたしは昭和64年は一日も働いていないのです(^O^;)

昭和での年部分桁数オーバーはなかったのですが

  それから20数年後に避けようもない年部分桁数オーバーが起きることになります

  そうですY2K問題(2000年問題)です

この話も上の和暦元号年数問題と理屈は一緒で

  その時は多くのシステムが西暦になってはいたものの

  年部分が2桁のシステムが多く残っていて

  そのままだと”99”の次が”00”となってしまって

  正しく処理できないのです

もちろん、それはそれで問題部分のプログラムの修正をかければ対応は出来るのですが

  なんたってその部分を”もれなく特定して”直すのはとっても大変

  人は足りるのか、間に合うのか・・・

  と言うのがY2K問題なのです

わたしの関与していたシステムは1990年に入るころからは

  表示や印字上での年部分の取り扱いは2桁でも

  演算や記録という内部的にはすべて西暦4桁で処理していたので

  基本的には問題ないはずでした

そうは言ってもOSやその周辺部分は、わたしの範囲外なので

  大丈夫だろうな、とは思いつつも

  2000年の新年は待機していました

  もちろん、わたしのシステムでは何も問題はありませんでしたが(^O^)/

 

そしてもう一つ

  ”昭和”と聞いて、紐つくのが”(昭和)天皇”

  もちろん大日本帝国陸/海軍の統帥権を有していた大元帥である天皇は知らないのですが

  わたしが直接お目にかかった唯一の天皇陛下だったからだと思います

それは高校二年の時の北九州修学旅行で

  わたし達の乗ったバスが阿蘇カルデラを走っている時に

  豊肥線のとある踏切で停まったのです

  その踏切を通っていくお召列車の窓に立ち、手を振ってくださっていた天皇陛下

  その時線路周辺に村人がたくさん、と言うのではなく

  わたし達のバスが一台のみ!

  すごいなぁ~、ご苦労様です、と

  なんか単純に感激しちゃいました(^O^)/

その時、内のクラスメイトも大分国体に参加しているのがいて

  それで私のクラスともう一クラスの2クラスのみ別行動だったのですが

  天皇陛下も国体に臨席するための行幸だったのだと思います

 

なんのかんのと言っても団塊世代のしんがりとして

  わたしが生まれ、育ち、青春をすごし

  70年安保もバブルもon-timeで経験して

  なおかつ天職と思えるようになったお仕事に辿り着いた昭和

今振り返ると、無茶な仕事の仕方をしていたなぁ~とは思うのですが

  それでも誰も知らない、やったことのないコトを自分一人でやり抜くには

  (わたしとしては)仕方なかったなぁ~と思っています

  それをさせてもらえていた時代に感謝です(^O^;)

  なんといっても

  わたしを形作った時代でした(^O^)

その元号も

  来年は百年になるのですね

  わたしも歳を取るはずです(^O^;)

 

 

そんな4年前、さらにその4年前の今日に

  カウンセリングについての記事を書いています

当時は、デポ注等のHRTは、あくまでもカウンセリングのついでの話で

  基本的にはカウンセリングについての様子だったり

  カウンセリングに伴う不安等のお話が多かったのですが

  (わたしが一通り終わって興味のアンテナがズレてきているせいもあるのか)

  最近はあまりカウンセリングのお話はブログで見かけない気がします

その代わりと言ってはなんですが

  デポ注についてのブログが多くなっているのかな・・・

 

ある先生もおっしゃっているように

  わたしもそう思うのですが

  ”GIDは自称でしかない!”のだと思います

  それがどういう想いであったとしても・・・

その想いが確かなら

  一回の診察で診断書を出してくれる精神科医の門をたたいて

  無駄な時間をかけずに、診断書を取得して

  次の行動につなげていけばよいのです

 

ただその想いを自分では見極めつけられなくて

  他の人に言ってもらって

  自分の心を安心させるためだけならば

  わたしはその診断書は

  場合によっては毒になるのではないかとさえ思っています

もちろん、それをお守りとして

  前に進めるための助けとして使う道もあるのかもしれませんが

  わたしなら時間とお金がかかってしまうかもしれませんが

  それでもカウンセリングを受ける道を選びます

 

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