”100歳の手術!”  そして”無治療”という選択肢(^O^) | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

享年103歳で旅立った母は、亡くなる直前ベッドから落ちて入院する前までは

  補助具を使ってですが、(見守られながらも)自分でおトイレにも行っていましたし

  当然お食事も自分でしていました(^O^)

 

その母が百歳を迎える年の今日、その年二度目の(コケて)骨折したのです

  でも元記事にも書いていますが

  それまでは補助具なしで歩いていたのが

  もしかしたら補助具は使うかもしれないけれど

  手術すればまた歩けるようになるだろう、ということと

  まだ手術に耐えられる体力もあるとのことでしたので

  ”100歳の手術”をしたのでした

 

この時は、”また歩けるだろう!”という

  積極的な理由があり、その可能性が高かったので

  躊躇なく手術という治療を選択しました

でも母が元気でまだまだ認知も入る前の時に

  単に息をしているだけの延命治療はしない

  ということは話し合っていたのですが

  このことは、わたしも一緒なのですよね!

 

これも以前一度記事にしていますが

  ”わたしの生きがいは考えること!”

  考えられなくなったら、それはもう私ではない

そして輪廻転生があったとしても

  わたしの意識が引き継がれないならば、それはもう私ではない

  今のわたしが前世の記憶を持っていないのだから

  来世の私も今のわたしの記憶を引き継げるとは思わないものネ!

 

ようは病気になるということも含めて

  寿命には抗わらずに、静かにそれを受け入れたいな!と・・・

 

それぞれがパーフェクトに成し遂げられたか、達成したか、というと

  正直若干のモヤモヤがあるのも事実です

でも40数年一つ仕事をし続けるために二回の転職をし

  11回のヴァージョンアップを繰り返し

  自分の想いを注ぎ続けられて

  そのお仕事を天職と思えるようになったのは

  それなりに幸せではありました

そしてアラフィフの時の子供たちが

  社会に出て独り立ちするまでは

  お父さんの働く背中は見せておきたいな、と思ったことも

  上の子はなんとかクリアしたけれど

  下の子は四年生だったから、すこしね・・・(^O^;)

 

それに還暦以降のトランスだったけれど

  ”天職と思える仕事を、想いの性で全うする”ことは

  それもなんとかできたかな!

  最後まで残った男子トイレは、会社のトイレだけでしたが・・・(^O^;)

  トランス後のお客様の処では女子トイレに案内していただきました

 

そんなこんなで

  わたしの想いははほとんど済んでしまったのです

  もちろん、それぞれ未だ突き詰める処があるのは分かっています

  でもね・・・

  燃え尽き症候群ではないですが

  別に寿命を早めようとも思わないですが

  あとは淡々と生きて行けば

  そして病だろうが何だろうが寿命が訪れたなら

  それに抗うことなく

  自然に受け入れたいな

  そのために無治療という選択肢

  いま大きくなっています

  もちろん緩和ケアだけはお願いしたいけれど・・・

 

これは上の子への

  伝言でもあります

    献体の手続きも含めて

    よろしくね(^O^)