楓が次々と・・・ | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

ここんところ読んでいる文庫に立て続けて”楓ちゃん”が現れました

  はじめは、ほしおさなえさんの「活版印刷三日月堂 小さな折り紙」

  シリーズ6冊目です

この中で楓ちゃんが最初に出てきたのは、まだ自分に自信が持てなくて

  それでも大好きなおばあちゃんの庭の万葉集に出てくる草花をスケッチしていた

それが取り持つ縁で若き三日月堂店主の弓子のもとでお手伝いを始めます

  そのために高校を卒業したら大学にはいかずに

  すぐに三日月堂で働いて弓子から指導を受けようとします

  大学に行っても(三日月堂のためになることは)何も学べないと・・・

 

そんな楓も、弓子の小さいころに亡くなった母の歌集を創る集まりを通して

  印刷のことだけでなく何も知らないことを知った

    ~

  「深沢先生のお話、すごくよかった。

  うまく言えないけれど、なんていうかすごく、じんとした。

  カナコさんの歌集をどういう形にしようか、って話になったとき、

  深沢先生もお母さんたちも、みんな意見を持ってた。

  だけど、わたしにはなにも言えないな、って。

  わからないことだらけなんだもん」

   楓は少し困ったように笑った。

  「わたし、まだまだ知らないことばかりなんだな、って思った。

  これじゃ、一生弓子さんに教えてもらうだけになっちゃう。

  教えられたことを覚えて、できるようになる自信はあったんだ。

  けど、きっとそれだけじゃダメなんだ、って思った」

  「そうか」

   わたしも前を見たままうなずく。

  「しらないことがたくさんある。そうだよね。

  わたしが大学で学んだ一番大きなことはそれだったかもしれない。

  世界には自分が知らないことがたくさんある、ってこと」

    ~

そして楓は、大学に行って勉強をすることを決めます

 

 

わたしも、それほど裕福ではない中、大学まで行かせてもらって

  あの4年間はとっても素敵な4年間だったと思っています

  最初の会社に入る時も、自己紹介の時に

  「□大自動車部卒です。余暇に経営学をかじってきました」

  と言って採用してもらった口なのと

  10カ月間にわたる学生バリケードと学校側のロックアウト

  そしてその後の詰め込み授業

  十分な学業をこなしてきたとは到底言えない大学生活でした

  それでもあの社会にも親からも束縛されることのない時間は

  貴重な4年間だったと思っています

 

わたしは子供たちにも、あの4年間を味わってほしかった

  その4年間をどう過ごすのかは、一切問わないし

  大学に入る前までも

  わたしは一度も”勉強しなさい”とは言ったことはないはずです・・・多分??

 

わたしが「勝手にRLE」と称して勝手に家を出て行った時には

  上の子が高校に入ったばかり、下の子はまだ中学でした

  その子らも上の子は今年社会人になります

  下の子も来年には出ていくはずです

子供たちが将来振り返った時に

  ”この4年間は良かっな(^O^)”と思ってもらえると嬉しいです

  ちょうどわたしがトランスしていく姿とダブるので・・・

 

 

そしてもう一人の楓ちゃんが

  竹内誠さんの「図書室のピーナッツ」に出てくる

  新米司書見習いの詩織の勤める高校図書室の常連さん

  詩織の勤務初日にやってきて、慣れない詩織にいろいろ教えてくれて

  何かと仕事を手伝ってくれた

そんな今は資格も持っていない”なんちゃって司書”の詩織の成長を

    サンタクロースは実在するのか?

    伝説の酒飲み小原庄助の正体は?

    オザケンの幻の本「うさぎ!」とは?

    村上春樹とスヌーピーの関係は?等々

  生徒から持ち込まれる難問奇問を解きながら

  司書とは?司書のお仕事とは?を

  恋の気配とともに綴っていきます

 

わたしも本が好きなこともあって

  中学1年の2学期から・・・・私の頃は年3学期制でした

  中学3年の3学期までズット

  そして進学した高校では(クラスの組み換えもなく3年間持ち上がりということもあり)

  3年間ずっと図書委員を自ら立候補してやっていました

特にこの本の舞台である高校図書室では・・・うちの高校は他の校舎とは独立した図書館でした

  入学したころには専門司書の方が二人もいらして

  私たちの学年では全9クラスの内5クラスで

  私のように3年間変わらない図書委員でした

そういうこともあってか

  司書のお二人と私たちの学年の図書委員で

  「図書館報」を創刊したり・・・最初はガリ版、後に印刷

  鎌倉のお寺巡り(文学散歩ですネ)をしたり

  地区の図書委員会連合での交流に

  一年、二年の時の修学旅行先のジオラマつくり等々

  わたしはクラブ活動はしていませんでしたが、十二分に課外活動をしてきました

他のブログ記事でも書きましたが初恋/初失恋のつらさも経験しました

  全面的な灰スクールではなく

  ほろ苦くもそれなりに充実した高校生活を過ごしてきました(^O^)/

 

 

そしてわたしの楓ちゃんは、上の子

  わたしと二人して静岡新聞のLGBT特集での取材を受けた時の仮名です

  そして二人して新聞に載っちゃいました(^O^;)

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私はここに〜性的マイノリティーの今(4) 

  父の決断 全力で支える

(2015/5/22 11:00)
楓さんがかずみさんにプレゼントしたカードケースと鏡を持つ2人=3日、静岡市内
楓さんがかずみさんにプレゼントしたカードケースと鏡を持つ2人=3日、静岡市内

 

 性同一性障害者にとって、心の性に合わせた戸籍の性別変更を認めた特例法(2004年施行)は、その後の人生を自分で決められる大きな転機になった。一方で、施行時すでに結婚していた人は「性別変更か、家族か」という二者択一を迫られた。とりわけ子どもに障害を隠し続け、突然の告白にならざるを得ないケースは多かった。そんな中で、親の決断を受け入れて全力で支える子がいる。
 「女の子の格好でおいで」。浜松市出身の女子大学生楓さん(18)は、連れ立っての買い物や友達に紹介する折には、父かずみさん(65)=同市、いずれも仮名=にそう提案する。女子トイレにも堂々と誘う。父は女性への性別変更を目指す性同一性障害者。昨年性別適合手術の一部を終えた。「ちょっと変わっているけれど、変だと思ったことは一度もない」と楓さんは言う。

 おととしの4月末、会社から帰宅した父は、スーツ姿のまま「女の子になるために今日、家を出る」と宣言した。「『こういうとき泣いた方がいいのかな』と冷静な自分が心の中でつぶやいた。でもそのうち本当に涙が出てきて」。楓さんは泣きながら「もう『お父さん』とは呼ばない。これから何て呼んでほしい?」と尋ねた。
 おっとりと優しい父が好きだった。毎日一緒に夕飯を食べて遊び、深夜から残務に取りかかる姿を尊敬していた。幼いころに家族の絵を描いた時、父は服の色を「ピンクにして」と言った。「そういうことだったんだ」。思い出を手繰りながら、あるじのいなくなった書斎や寝床を写真に撮った。母の物と思っていた洋服が半分ほどなくなったのは、父の物だったからと気付いた

 かずみさんは終戦直後に生まれた。幼少期から女性への憧れがあったが、性的マイノリティーという言葉もない時代。「おちんちんがある女の子」と自覚するしかなかった。
 自分を解放できたのが女装だった。部屋で一人、スカートをはくとほっとした。同時に「変態の女装者」と自ら罵倒した。妻は結婚前から女装を黙認してくれていたが、「子どもには絶対に知られたくない」と常々話し、夫婦だけの秘め事とした。
 50歳を超えた2001年、テレビドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さんが演じた生徒から「性同一性障害」という言葉を知った。特例法で女性になれる選択が現実となった以上、募る思いは止められない。子どもたちは思春期を迎え、妻から女装をやめるよう懇願された。「妻を限界に追い込み、家族の中に私がいることが不自然になった。離婚するしかなかった」

 楓さんは家族の秘密を誰にも明かさずに1年を過ごしたが、つらくなって女友達に告白した。すると「会ってみたい」と言われ、3人で食事に行った。スカートをはいた父ははつらつとして見え、友達は心のままに生きようとする姿を好意的に受け止めた。
 「身近にいると関心を持ってくれる」と実感した時、性的マイノリティーを親に持つ子として、すべきことが見えてきた。楓さんは友達との旅行で父に送迎を頼むなど、事あるごとに友達の輪に引き込んだ。「お父さん」と呼ばない皆の気配りがかずみさんにはくすぐったい。
 紹介した友達の数だけ、理解者は増えていった。「私はこれからも、父の話を友達にし続ける」。楓さんは心に誓っている。

 <メモ>性同一性障害者の戸籍の性別変更は(1)結婚していないこと(2)未成年の子がいないこと―が要件。既婚者が離婚を望まない場合は、身体の性別適合手術までが“上限”となり、その先の戸籍変更はできない。かずみさんは離婚したが(2)の条件を満たさないため、子ども全員が成人するまで戸籍変更できない。

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静岡新聞@S 「こち女」 私はここに〜性的マイノリティーの今(4)

 

記事は私たちが話したニュアンスとはちょっと違うのですが

  ふたりして新聞記事ってこんなものなんだね、と話しています

わたし自身も別件で実際にその場にいて感じた内容と

  記事から感じた違い、ズレを初めて知った時には、そういうものとして

  他者の発信情報は直接触れないといけないんだなぁ、と思ったものでした(^O^;)