わたしは団塊の世代最終年!
安保闘争の最後「70年安保闘争」をリアルに当事者として参加?遭遇した世代で
前回の東京オリンピックも学校で横浜の三ツ沢球戯場にサッカーを見に行きました
そんな私が今日誕生日を迎え古希となりました
(厳密にというか、元々は数えでの年齢なので昨年の正月に来ているのですが・・・)
ただ私たちは第一次ベビーブーマー
私たちは数で渡ってきた世代、その時々で世の中の流れを創ってきました
戦後の新しい価値観のみで育ち、新しい生き方をその都度創りながら成長してきた世代
私たちがバスや電車等人前で漫画を平気で読みだした世代
コンピュータは私たちのちょっと前に生まれていたけれど、PCの生まれた時に立ち会い
パソコン通信に触れ、インターネットが一般に開放された時から付き合ってきました
わたしは最初の会社で、SW専門職として採用された第一期生
わたしがこの地に移ってきてお客様と一緒になって
生産管理システムを作り出したのが1977年
それから会社を二度変わり、現在第11世代のシステムを構築中で
一昨年に40年経過しました
タイミングは中小の工場にもコンピュータが導入され始め
生産管理にもコンピュータが使われ始めた時
今では当たり前のBOM、MRP、EDI等々すべて自前で創り上げてきました
それしかなくて、それが許された時代!
とっても素敵な時代に立ち会えたと思っています
少なくとも今のお仕事をやるにあたってはジャストタイミング
少し早くても遅くても今のわたしはなかった、と思っています
でもGIDのわたしとしては
ブルーボーイ事件やカルーセルさんがモロッコでSRSを行ったことも
リアルタイムで知っているし
当然その後の埼玉医大でのSRS再開や特例法制定も、横目で見てきました
でもでも、その時には、わたしは人より二回りは遅かったけれど
縁あって結婚をし、二人の子供にも恵まれていました
二十年、子育ては楽しんでやってきました(^O^)
上の子は出かけるときにはいつ抱っこ紐で私の胸にいたし
背負子に乗って金毘羅山詣でもしてきました
そして学齢前の二人の子と私の三人でDランドにも行ってきました
その積み重ねかな
子供たちもそれぞれとお泊り旅行もしているし
今でもそれなりに付き合ってくれています(^O^)/
その意味で、結婚したことも、親になったことも感謝しこそすれ、後悔はしていません
それでも、もし今わたしの歳が三回り若かったら・・・
結婚もせず、もっと早くからGID治療?にかかっていたと思うし
それ以上により女性らしくなっていたのだろうと思うと
やっぱり残念だし、悲しいというのが本音ではあります
※わたしがカウンセリングの先生に提出していた自分史の省略版
もう一つ右側の列に[GID絡みの想い]として
あまり公の場には晒したくないことも書いています
それら初回カウンセリング時のことは、5回目の13/06/22の記事に書いています
わたしは大雑把に20年刻みで大きな変化があるようです
そんな私が61の時にフライイングでデポ注と脱毛を始め
62の時に「勝手にRLE」を開始して、家を飛び出し
63の時にGIDに則ってカウンセリングと、HRTを始め
64の誕生日に戸籍の改名をして、会社にカムアウトをしました・・・・(心のSRS)
65の誕生日には除睾をして・・・・(本当のSRS)
66の時にやっと国内で造膣なしSRSを行い・・・・(見かけのSRS)
68の時に最後の制約”未成年の子なし要件”がクリアされて
晴れて日本国に女性として認められました・・・・(社会性のSRS)
見ての通り、わたしのGIDへの取り組みは、完全に60代の10年間の中で動いてきました
そしてありがたいことに、お仕事もまだまだフルタイムで勤めさせてもらっています
正直言って、まだまだ完全に女性性でお仕事させてもらっているとは言い難いのですが
それでもなんとか”天職と思っているお仕事を、想いの性で携わる”ことが出来つつあります
何とかギリギリ間に合ったのかな?!
出来たら後8年!
わたしのシステムが始まってから丸50年経ちます
それまで続けられたら最高に幸せなんですが、どうなりますことやら・・・
そして今日は、家族の隣に戻ってはじめての誕生日
わたしのためのケーキを用意してくれていました(^O^)/
ありがとうございました<m(__)m>