一度きりの人生。
二度と来ない今日という日だから・・・
皆さんとの出会いを大切にしたい。
ザ・ビートルズ Get Back
いよいよ4ヶ月後に公開予定の映画「ザ・ビートルズ Get Back」
コロナの影響で本当にこの夏観ることができるのでしょうかね?
思えば70年に公開された映画「レット・イット・ビー」は、解散に向かう彼らの不仲を意図的に印象付けた内容でした。
実際多くのビートルズファンに強く印象に残っているシーンは、ポールがジョージのギタープレイに注文を付けて、ジョージがふてくされ気味に「いいよ、お前の言う通り弾くから・・・」と言ったあの場面ではないでしょうか?
あの1場面をを観て、
「あぁ、やっぱりビートルズはもうバラバラなんだ」
「解散しても仕方ない状態なんだ」
と思ったファンも多かったと思います。
けれど、私は当時からあの映画にはかなり違和感を感じていました。
本当に彼らはそんなに険悪な状態だったのだろうか?
なぜそう思ったかと言うと、そのゲットバックセッションのわすか数カ月後に、あの「アビイ・ロード」をレコーディングしているからです。
アビイ・ロードの完成度の高さからは、とてもそんないがみ合ったり険悪な雰囲気など微塵も感じられません。
たかだか数ヶ月で一度亀裂の入った彼らの関係が修復したとも考えられません。
私はどうしてもあのレット・イット・ビーの映画は、ビートルズという偉大なバンドの解散を世界中に納得させるために、意図的にネガティブなシーンを散りばめられたのではないか?と勘ぐってしまうのです。
そして、この映像を観て「あぁ、やっぱり」という思いを強くしました。
彼らはあのゲットバックセッションにおいても、変わらず音楽を楽しんで力を合わせて良いものを作ろうとしていたんだと。
最近、ツイッターでつぶやくことにも飽きてきました。(笑)
140文字では伝えられないことは、またブログに書こうかと思います。
とりあえず、次回は「ビートルズの解けない謎」について記事にしてみたいと思います。
DJI Mavic Mini
予想通りかなり売れているようですね。
私も注文から納品まで3週間待たされました。
やはりこの機体の魅力は、上位機種に劣らないポテンシャルを持ちながら、
199gという航空法に引っかからないギリギリの重量でリリースしてきたことでしょう。
もちろんいくら手軽に飛ばせるからと言って、どこで飛ばしてもいいという訳ではありません。
安全面や周囲への配慮は絶対に必要です。
空を飛んでいるものは、墜落するリスクを常に頭に入れておかなければなりません。
モーターの故障でプロペラが止まるかもしれないし、鳥が突っ込んで来る可能性もあります。
なので、私が飛ばすのはもとんど川の上や畑の上など万一落ちても人に危害を与えない場所を選んでいます。
これだけ高性能な機体が5万円ほどで手に入るなると、ルールやマナーを守らない自分勝手な輩が現れるのではないかと、ちょっと心配になりますね。
199gの折りたたみ式で持ち運びが便利な反面、どうしても風には弱く5m以上の風速になるとかなり流されて怖いです。
あとこれは私の視力の問題もありますが、ドローンが100m以上離れるともう肉眼では見えなくなります。
ドローンカメラの映像はスマホの画面で確認できますが、やはりドローンが今どこを飛んでいるのか目視できないのは、すごく不安になりますね。
でもやはりドローンは楽しいので、もっと練習していつか沖縄の海あたりで空撮したいと思っています。
今日は先日近場で飛ばした時の映像をYouTubeに3分ほどにまとめましたのでご覧下さい。
あとで映像を見たら、橋の下を通った時思ったよりギリギリで焦りました。(笑)
ドローン
慣れないので書きにくいですが、なんとか平成最後になる可能性が高いブログを書いてみます。
さて、本日のお題はドローン。
皆さんも一度ぐらいは鳥のように自由に空を飛べたら?なんてことを考えたことがあるのではないでしょうか?
私は高い建物やタワーから見る地球の丸さが分かるような地平線や、飛行機から見える地形や地上の様子を眺めるのが昔から好きでした。
そんな欲求を手軽に叶えてくれるのがドローンです。
ここ数年、TVや映画をはじめあらゆる映像表現にドローンは不可欠な状況ですね。
昔はヘリや飛行機、あるいはクレーンカメラがないと撮影できなかったアングルも、いまやドローンがあれば誰でも簡単に手に入れることができます。
私はドローンを飛ばすようになって気が付きましたが、「あっ、これはドローンで撮ったな」と思う映像がいかに多いか!
たまに盗撮目的など迷惑な輩がいるようですが、ドローンは報道の現場はもちろん、芸術の分野でもなくてはならないプロカメラマンのツールになっていますし、私のように趣味としてドローンを飛ばす人も最近増えてきているように思います。
そんなドローンも大きく分けて二つに分類できます。
・200gを超える機体
・199g以下の機体です。
法律の話を始めると長くなりますのでざっくり言うと、200g以上の機体は、航空法の規制対象となり飛ばせる場所も限られますし各種の申請が必要になったりします。
機体が大きければ飛行は安定しますし、カメラの性能も良いので業務用ドローンはもちろんこの部類です。
価格も数十万~百万円をこえるものもあるようですが、どちらかと言うと空撮がメインの目的のように思います。
アマチュアに人気の機体はファントムとかマビックでしょうか。
一方、200gに満たない機体はいわゆるトイドローンと言われトイ(おもちゃ)の扱いになり、比較的自由に飛ばすことができます。
もちろん、人混みや周りの状況に配慮する必要はありますし、万一の落下も頭に入れておく必要はありますが、室内でも飛行可能です。
軽いので風の影響をもろに受けますし、小さなバッテリーしか積めないので、飛行時間もだいたい10分以下です。
またこのクラスのカメラはジンバルが付いていない機体に固定されたタイプなので、機体が揺れれば映像も揺れます。
ただ、様々な規制の対象外で近所でも気軽に飛ばせるのは大きなメリットですね。
私も過去に3機のドローンを所有してきましたが、いずれも200g未満のトイドローンです。
綺麗な空撮は魅力的ですが、申請をしたり遠くの山奥まで撮影に出かけるのはやはり億劫ですし、私のようにちょこっと飛ばすぐらいならトイドローンでも充分楽しめます。
数年前最初に買ったドローンは、本当におもちゃで6000円ぐらいだったと思います。
おもに室内で飛ばして遊んでいたのですが、全然安定しなくて壁にぶつけまくっては飽きてしまいました。(笑)
ところが、去年の秋ごろある場所でドローンを飛ばしている人がいて、これがめちゃ安定したホバリング(空中で静止すること)をしていて、私のドローンに対するイメージが一新されました。
「最近のドローンの進化は凄い!」とその時思ったのですが、今思うとその機体は私の知っているおもちゃドローンとは比べものにならない相当ハイグレードな機種だったと思います。
そんなことがあり再びドローン熱がくすぶり始めた私は、ネットで色々と調べていくうちに、あの安定したホバリングはGPSのなせる技であることに気が付きました。
GPS付きの機体はたえず自分のいる場所をGPSで把握して、そこに留まることができます。
さらに、万一操作不能になっても「GO HOME」という機能で飛び立った場所に自動的に帰還することができます。
そこで昨年私が初めて買ったGPS付きの機体が、HubsanのH216Aという機種です。
ドローンはほとんど中国のメーカーが多いですが、その中でもHubsanは比較的安価なトイドローンを作っているようで、この216Aもamazonで1万ちょいで購入しました。

カメラはこのクラスではめずらしい1080PのFHDカメラ搭載です。

この機体で今年初めに狭山湖で撮った映像です。
比較的風のない日を選んで飛ばしに行くのですが、上空100m以上ではやはり機体がかなり揺れていますね。
これが、ジンバル付きの高級機ではピタッと静止したような動画が撮れるんですが、私は逆にこの揺れで上空の雰囲気が実感できて好きだったりもします。(笑)
そんなわけで、しばらくは仕事が休みの風のない日で、しかも人のいない平日はこのHubsanで遊んでいました。
で、3機目となるのはポケットドローンであるZEROTECH社のDOBBYです。
DOBBYは199gと言う絶妙な重量で、YouTubeでこのプロモーション動画を見て知っていました。
いわゆるセルフィードローン(自撮り用)で、サイズはスマホほどしかありませんが、4Kカメラ搭載と手振れ補正機能が付いているのがいいと思っていましたが、実売で5万以上していたので買おうとは思っていませんでした。
ところが、3月に偶然渋谷のビックカメラで買い物をしていた時、なんと2万4千円で売っているじゃありませんか!半額以下の値段に輸入品かと思って店員さんに聞いたら、ちゃんと国内正規品で在庫処分で2台しかないんです。とのことで即購入しました。
Hubsanと比べると、高度は50mほどしか上がりませんし飛ばす楽しみでは劣りますが、実際は揺れ揺れの画像を手振れ補正して録画することができます。
近所の川沿いの桜を撮影した映像です。

こんな感じでケースに収納できるので、これからも色々なところへ連れて行こうと思っています。
ドローンは誰でも簡単に飛ばすことができますので、ぜひ皆さんも「空の散歩」を楽しんでみてはいかがですか?
(ちゃんと記事書けてるかな?笑)
Gibson J-15
Gibson J-15 Antique Natural 2016 (新品)
マテリアルは
トップ:シトカ・スプルース
サイド&バック:アメリカン・ウォルナット
ネック:メイプル&ウォルナット
ブリッジ:ウォルナット
フィンガーボード:ウォルナット
ペグ:グローバー製ミニロトマチック
ピックアップ:L.R.BAGGS
ブレーシング:スキャロップドXブレーシング
ロゼッタ:アバロン
ボディタイプ:ラウンドショルダー(オール単板)
2016年米モンタナ工場製
さて、今回このギター購入に至った経緯を少しお話します。
ギブソンのアコギと言えば、多くのミュージシャンが愛用するJ-45をはじめ、ビートルズでおなじみのJ-160Eやハミングバード(コレサワのハミングバードが一番好き)等々、私が10代の頃から憧れのブランドでした。
なので、1本は持っていたいと思い楽器店に行くと必ずこれらの名器を試奏してきました。
でも正直「まさにギブソンサウンド!」というギターにはなかなか巡り合えませんでした。
中には「えっ、これホントにGibson?」と思うギターも少なくなくて、30~40万円あたりでは本当にギブソンらしい音のアコースティックギターを手にするのは無理なんじゃないか、と半ば諦めていました。
そんな中、2年ほど前から気になっていたギブソンのアコギが2014年に発売されたJ-15です。
私が20万で買えるこのギターに興味を持った一番の理由は、冒頭書いたマテリアルにあります。
私が持っているギターの材(サイド&バック)は、ローズウッド、マホガニー、メイプルでウォルナットのギターは弾いたこともありませんでした。
しかもメイプルネックとの組み合わせで、いったいどんな音がするんだろう?と思っていました。
で、馴染みの楽器店で何本か弾いてはみましたがやはりコレといったギターには出逢えずにいました。
ちなみにアコギに関しては、GibsonはMartinに比べ個体差が大きいと思います。
ところが先日たまたまエレキギターの弦を買いに行った埼玉の楽器店にJ-15があって弾いてみたら、かなり満足できる音でした。
特に指弾きした時の低音ベース弦の響きと、高音のバランスが気持ちよくてかなり長時間弾いてしまいました。
音の特徴はこの動画に近かったと思いますのでお聴きください。
そして、何よりこのギターはトップの木目が抜群に美しかったのです。
よく、「木目が詰まった」という言い方をしますが、まさにそのきめ細かい木目は、例えが適切かどうかわかりませんが、色白で北国の女性の柔肌のような美しさでした。(笑)
ここまで書くとその美しいビジュアルに魅かれて購入したのだと思われるでしょうが、実はそのギターは買っていません。
私が買ったのは、まさに真逆のルックスを持つギターでした。
ギターの顔であるトップにちょっと難ありのギターで、はっきり言うと売れ残ったギターです。
このギターは2016年製ですので、店頭で2年間展示され値引きされたにもかかわらず、誰にも見向きもされないようなギターでした。
私もかなり前に一度このギターを店頭で目にしているのですが、弾いてみようという気にもなりませんでした。
雪国美人のJ-15を買う前に、なぜか私はあのブサイクなJ-15が気になって池袋の某楽器店に足を運びました。
「やっぱりまだ売れていないんだ」と思いながらそのJ-15を見ているうちに、何だか不憫な気持ちが湧いてきました。
この子は何のために生まれ、2年間もこの場所に飾られて、誰にも弾かれず、この先どうなってしまうのか?
私は思い切って店員さんに聞いてみたところ、
「同じ時期にJ-15が3本入ってきたんですが、これだけ売れ残ってしまって・・・」
「Martinはトップの木目には厳しいのですが、Gibsonはたまにこういうモデルがあるんです」
「やっぱりこのトップを敬遠されるお客様が多いみたいで・・・・・」
ちょっと弾かせてもらって驚きました。
その時、J-15は他に2本あったのですが、このギターが一番よく鳴るのです。
さらに、ほぼ購入を決めていた美しいトップのJ-15よりも音圧を感じて、まさに「私を買って!」と訴えているように私には聞こえました。(笑)
普通だったら避けるべきギターでしょうが、やっぱりギターは鳴ってなんぼです。
私は何の躊躇もなくこのギターを購入することにしました。
綺麗なトップを持ったギターは、確かに見ているだけで楽しくて幸せな気分になりますが、探せばたくさん世の中に出回っています。
けれど、このギターは本当に世界で1本と言ってもいいほど個性的なギターだと言うことができます。
それでは公開します。
トップに縦に二本の線が入ってしまっているのが敬遠された理由ですね。
今こうして見ていても、よくこんな部分を使ったものだと思います。


バックはまあまあ綺麗です。

メイプルネックの中央にウォルナットがライン状にサンドされています。


弦高は私には少し高めなので、サドルを削ろうかと思います。

そして、2016年モデルであることも何か不思議な縁を感じます。
心筋梗塞で倒れ命拾いした、私にとっては忘れられない年ですからね。(笑)

またの機会にこのギターのサウンドもご紹介できたらと思います。
こずえロス
18日にライブでこずえちゃんに会ったばかりなのに、この寂しさはなんだろう?
多分、それだけ今回のこずえちゃんのライブが素晴らしかったということです。
皆さんのお好きなアーティストは、大体次のライブの予定が決まっているはずです。
それを楽しみに頑張ろう!という方も多いと思いますが、今の私にはそれがありません。
こずえちゃんがまたライブをやってくれる日を、私はあのライブが終わった瞬間から待ちわびているのです。
そんな精神状態で書くグダグダブログですから、興味のない方はどうかスルーして下さい。
今日のブログは誰かに読んでいただくと言うより、ただ単に私の今の気持ちを吐露するだけのものですから。
私が初めてこずえちゃんのライブを観たのは、2012年の夏だったと思います。
彼女が音楽活動を始めて数ヶ月が経っていました。
そして、こずえちゃんが東京での音楽活動に区切りをつけて三重に帰って行ったのが2014年の5月。
つまり、私がこずえちゃんのライブに足繁く通っていたのはわずか2年間だったのです。
その2年の活動期間に私が彼女に出逢えたことは、本当に私にとっては宝物のような出来事でした。
そして、時は流れて2016年私が心筋梗塞で倒れた直後の4月より、不定期ですが東京でのライブ活動を再開してくれました。
2016年は8月にも来てくれたのですが、その後今回のライブまで約1年ぶりとなってしまいました。
正直に先日のライブの感想を言うと、この1年で彼女はすごく変わっていました。
もちろん良い意味ですが、まず歌が上手くなっていて伸びやかな声に驚きました。
いや、それはテクニックや技術的なことと言うよりも彼女自身から発せられる人間的な優しさ、包容力、そして歌うことに対する喜び、みたいなものがストレートにこちらに伝わってくるのです。
さっそく彼女がYouTubeにアップしてくれたライブ音源。
生の空気感がどこまで伝わるかわかりませんが、この3曲にそのすべてが凝縮されていますので、順に振り返ってみたいと思います。
「myself」
この曲は最後の東京ワンマンでも歌われました。
当時より明らかに表現力の進化が見られます。
とくに「人間だから・・・」の時の声の張りは素晴らしくて鳥肌モノです。
あと、私が歌詞ですごいと思う一節は
「生まれた時は傷ひとつない だからあとは傷つくだけ」です。
二十歳そこそこで、こんな歌詞を書けるアーティストはそうはいません。
「ツムギウタ」
この曲を聴いて、本当に驚きました。
MCで新曲だと言っていましたが、まさに今の24歳になったこずえちゃんだから書けた、壮大なテーマのバラードです。
普遍的な歌詞、美しいメロディ、ゆったりとしたボーカルとも文句のつけようのないすごいパワーを持った曲だと思います。
いわゆる、スタンダードナンバーとして、音楽の教科書に載ってもおかしくない名曲だと言ったら言い過ぎでしょうか。
この曲はぜひ音源化して世に出してほしいと切に願います。
「たんぽぽ」
私が大好きなこの曲を歌ってくれるとは思っていなかったので、思わず涙が溢れました。
ライブで何度も聴いている曲なので、違いが明らかにわかりました。
スタッカートで歌っていた「ほら!」だけではなく、全体的に伸び伸びと歌っているのが印象的です。
この曲はこずえちゃんが精神的に辛い時に書いた曲だと記憶していますが、この日のたんぽぽを聴いて、きっと今こずえちゃんは三重で幸せな生活を送っているんだろう、とちょっと安心しました。
それほど、この日のこずえちゃんのステージは優しくて、温かくて、心に響きました。
でも、それだけにもっと聴きたい!と思ってしまうのがファン心理です。
いつも通り「ハロー」という曲で「ほな、またね!」とライブを締めくくったこずえちゃん。
次はどんな想いを届けてくれるのか、その日を楽しみに待っています。

代官山 文化湯
それも、ほとんどが私が10代後半から20代前半の、いわゆる青春時代の夢です。
森田公一とトップギャランは「青春時代が夢なんてあとからほのぼの想うもの♪」と歌っていますが、
私もそんな年齢になったということでしょうかね。
今日お話しするのも、私が20歳前半の今から40年近く前のお話です。
代官山と言えば、渋谷に次いで私がライブで多く訪れる街です。
晴れ豆、NOMAD、LOOP、音倉、等思い出に残るライブがたくさんあります。
そんな、今ではすっかりおしゃれな街になった代官山に昔同潤会アパートがありました。
西口の今は代官山アドレスという高層マンションが建っているあたりです。
その同潤会アパートの一角に文化湯という銭湯がありました。
その文化湯の娘さんと私は知り合いだったのです。
彼女は「もんちゃん」といい、私の職場の1年後輩でした。
なぜ「もんちゃん」だったのか、彼女の名字の頭文字が「も」だったからか、当時流行っていた「もんちっち」に
似ていたからか、記憶が定かではありません。(笑)
これは今まで誰にも言っていませんが、そんな「もんちゃん」を私は密かに好きだったのです。
ただ、当時私にはお付き合いしていた女性がいたので、彼女に告白することもなく、私には珍しくプラトニックで
清い関係だったのです。(笑)
そんなある日の仕事帰り、たまたまもんちゃんと一緒になった私はこう切り出してみました。
my 「一度もんちゃんの家(銭湯に)に行ってみたいな」
もんちゃん 「うん、いいよ。今から入りに来る?」
と言うわけで、私はその日初めて代官山の駅に降り立ったのです。
当時の代官山は渋谷から1駅とは思えない、とても寂れた印象だったと思います。
緑の生い茂る小高い丘を少し歩くと「文化湯」という銭湯はありました。
いたって普通の銭湯でしたが、番台に座っていたのはお父さんだったかもしれません。
私は決して賑わっているとは思えない銭湯にしばし浸かって帰りました。
その後、いろいろあって私はその職場を退職し、もんちゃんと会うこともなくなりました。
40年経った今も、彼女の笑顔や声、着ていたブラウスの柄もはっきりと覚えています。
そんな思い出があって、今でも代官山へ行くとライブまでの時間を使って文化湯があったあたりを散策します。
今は小さな公園になっているその跡地に、ひっそりと文化湯のタイルの一部が残っています。
もし代官山を訪れることがあったら、ぜひこのタイルを探してみて下さい。

その横にはこのタイルの説明が記されています。

今でももんちゃんがこの代官山アドレスに住んでいるのか?あるいはどこかに嫁いだのか?知る術はありません。
でもこの公園にいると、もんちゃんがあの笑顔で「myさん、お久しぶり!」と現れそうな気がしてくるのです。
もんちゃん、もしこのブログを読んだらコメントしてね!(って、読んでるはずないか。笑)
さて、今日の1曲は何にしましょうかね。
銭湯と言えば・・・・・やはり私の年代ではまず思い出すのがTBSテレビの「時間ですよ」
そして、「時間ですよ」でデビューした浅田美代子とはちょっとした思い出があります。
私が高校生の頃つるんでいた友達のA君のお姉さんが、浅田美代子の親友という繋がりで一度会わせてもらって
サインをもらいました。
デビュー直後の彼女はTVで見る以上に可愛くて、この繋がりを利用して何とかならないものか?と思っていた矢先、
拓郎に持って行かれましたね。(笑)
この「赤い風船」の映像を見ても、やっぱり若いってことはいいことです。(笑)
マタンゴ
皆さんにご紹介したい素敵な音楽やライブがないわけではないのですが、正直に言うとブログで言葉巧みに絶賛したところで、やはり音楽の素晴らしさは聴いてもらうことが一番で、ツイッターにYouTubeを張り付ければそれで済んでしまうことが多いんですよね。
と言うわけで、今日は音楽ではなくて夏の夜にふさわしいホラー映画のご紹介したいと思います。
それも、今から54年前、1963年公開の東宝映画ですからご存知の方はかなりの年配の方だと思われます。
とは言え同時上映が加山雄三の「ハワイの若大将」ですから、この「マタンゴ」という恐怖映画を観るつもりは全くなく観てしまったという方が多いと思います。
かく言う私も6歳の頃親に連れられて池袋の映画館で観て「しまった」のです。
なぜ「しまった」かと言えば、私はこの映画がトラウマになりその後30歳ぐらいになるまでキノコが全く食べられなくなってしまったのです。
ネットで見たら私と同じような体験をした人は結構いるようでした。
当時は今ほど食卓にキノコ類が並ぶことはなかったと思いますが、今だったら絶対にキノコ業界からクレームがついたと思います。(笑)
簡単にストーリーを説明すると、ヨットで無人島に漂着した7人の男女が、ついに食料が底をつき食べてはいけないと分かっていながら一人また一人と禁断の毒キノコ「マタンゴ」を食べてしまいます。
キノコを食べた人間はなんと生きたままキノコになってしまうのです。
今考えれば、かなり笑える話です。
しかも特撮技術やモンスターの作りも今のリアリティからするとまるで子供だましです。
でも、6歳だった私には十分すぎるぐらい怖かったのです。
特に私の記憶に強烈に刻み込まれているのはラストシーンです。
唯一、マタンゴを食べずに人間として生還した主人公が実は・・・・・。
で、その「マタンゴ」が先日BSのチャンネルネコで深夜に放送されていたので録画して観てみました。
結論から言うと、ネット上でも絶賛されているこの古い日本のB級映画はやはり面白かったです。
何よりも脚本が良く出来ていて、決して東宝の怪獣対決もののように子供をターゲットにした作品ではありません。
その後、この手のサバイバルや極限状態の人間の心理や欲望を描いた映画は数多く制作されましたが、この映画がお手本になった部分が多いように思います。
昔から変身ものではハエ男や狼男などありますが、やはりキノコになってしまうのがユニークですね。(笑)
amzonnで見たらDVDが1963円とお求めやすい価格となっていますので、ホラー好きの方はぜひ観て下さい。
CG技術の向上で、現在では実際には決して見ることの出来なかった映像があたかも目の前で起こっているかのように映画の中で見れるようになりました。
よりリアルに、ショッキングなキャラクターが登場する映画も多いですね。
そう言う意味では、この映画はモンスターが登場するシーンは決して多くはありませんしそれ自体で怖がらせる映画ではありません。
でもだからこそ怖いと言うか、瞬間的な映像を観ると言うよりストーリーに入っていける怖さがあります。
ラストシーンで主人公が発するセリフも、この歳になって観ると考えさせられるものがありました。
ちょっと例えは悪いかもしれませんが、現代のネットでいくらでも見れる無修正エロ画像よりも、見えそうで見えなかったりシチュエーションで興奮してしまう御仁にはお薦めの恐怖映画です!(笑)
原案:星新一、福島正実(ウイリアム・ホープ・ホジスン『闇の声』より)
特技監督:円谷英二
監督:本多猪四郎
村井研二(城東大学心理学研究室の助教授):久保明
関口麻美(歌手。笠井の愛人):水野久美
作田直之(笠井産業の社員):小泉博
小山仙造(臨時雇いの漁師):佐原健二
吉田悦郎(新進の推理作家):太刀川寛
笠井雅文(青年実業家。笠井産業の社長):土屋嘉男
相馬明子(村井の教え子で婚約者):八代美紀
マタンゴ [東宝DVD名作セレクション]/東宝

¥2,700
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鉄腕アトム
の購入を始めました。
完成予定は2018年9月、総額20万近い出費になりますが、途中で止めたら意味がないのできっと完成まで
作り続けると思います。

手塚治虫と鉄腕アトムが子供や漫画界のみならず、世界中のクリエーターに多大な影響を与えたことは
今更私が言うまでもありません。
さらに、まだ戦争の傷跡が残る日本の子供たちにいかに夢を与えたか?
私も含めて、当時の子供たちは鉄腕アトムに登場する明るい未来に胸を躍らせ、アトムの平和主義的キャラクターは
どこか心の中に残っているのではないでしょうか?
でも、私が今回アトムを作ろうと思ったのは、単にアトムが好きだからと言うだけではありません。
それを説明するには、50年以上時代を遡らなければなりません。
時は1965年、私は8歳のワンパクな小学生でした。
当時私が住んでいた練馬区の富士見台に手塚治虫も住んでいました。(ちなみに、ちばてつやも近所でした)
当時私にはK君という友達がいて、彼とよく手塚治虫氏の自宅に遊びに行っていました。
なぜ、私たちが手塚氏の自宅に自由に出入り出来て、まるで我が家のように遊んでいたのか?
なにぶん50年以上前の話で記憶が定かではありません。
手塚治虫の長男眞氏は、私より4つ年下なのでまだ幼い彼とは遊んだ記憶がありません。
今でも鮮明に覚えていることは、彼の自宅が鉄筋2階建ての白っぽい外壁の当時としては相当な豪邸だったこと。
広い芝生の庭があったこと。
向かって左側に同じく白く小さな建物があって、それが虫プロだったこと。
その狭い虫プロの中にはたくさんの人が仕事をしていて、不要になったセル画をたくさんもらったこと。
そして、手塚治虫本人には一度も会ったことがなかったこと。(いや、忘れているだけかもしれません)
当時の虫プロはTVアニメ「ジャングル大帝」の放送が始まり、それこそ火の車だったのでしょう。
そんなことは子供だった私とK君はお構いなしで、手塚邸で遊びまわり、セル画をもらっては大喜びしていました。
いまだに、なぜ手塚治虫氏が私たちをまるで自分の子供のように可愛がってくれたのか?
大人になった私は、いつかそれを彼に聞いてみたいと思っていました。
そして、「ありがとう!」を言いたかったのですが、それはついに叶いませんでした。
手塚治虫生誕90周年のこの機会に、私はアトムにそれを言うことにしたのです。

還暦
ブログやツイッターなどでたくさんのおめでとうメッセージを頂きありがとうございました!
還暦を迎えたからと言って、実は特に思うことはありません。
と言うか、人間は自分で歳を意識した時から老化が始まると思っているので、自分ではまだまだヒヨッコのつもりです。
もともと、還暦を祝う習慣は寿命が50年位の頃「よくぞ60歳まで生きました!」という意味合いだったと思います。
今の時代、現役バリバリの60歳で赤いチャンチャンコを着て還暦を祝う人はどれほどいるのでしょうか?
まあ、私に子供や孫がいたら違っていたのかもしれませんが、夫婦で外食をした以外特に何もしませんでした。
あと、これは自分でも呆れるのですが60歳になっても考えていることは10代の頃とあまり変わりません。
10代の頃の私の頭の中と言えば、音楽のこと、女の子のこと、車やバイクや楽しいことしかありませんでした。
自分ではもう少し思慮深い60歳になっていると思っていましたが、正直に告白すると何も変わっていません。
私の場合、人間の本質は死ぬまで変わらないのかもしれませんね。(笑)
それから、13日は心筋梗塞で倒れてちょうど1年でした。
その節はご心配頂いた方々、今でも「その後体調はいかがですか?」と気遣ってくれる人たち・・・
本当に感謝しています。
今でも定期的に受診はしていますが、お陰様ですっかり元気になりました。
まあ、あの時死んでいても不思議ではない状況でしたし、あと何年生きるのかは誰にも分かりませんが
還暦には「第二の人生のスタート」と言う意味もあるようです。
そんなことを考えていたら、いいくぼさおりちゃんのこの曲が頭を過りました。
このブログで出会ってくれた皆様、これからもどうぞよろしくお願いします!
