藤田麻衣子「環状8号線」と「井の頭線」の謎に迫る!
久しぶりのブログ更新となりますが、大好きな麻衣子ちゃんの2曲の切ないバラードについて
以前から私が思っていたことを書きます。
初めにお断りしておきますが、彼女に聞いたわけではありませんのでここからは私の妄想です。(笑)
この2曲が麻衣子ちゃんの実体験を基に書かれたのかどうかは私には分かりません。
ただ、どうもこの2曲は同じ恋を題材に書かれたように私には思えて仕方ないのです。
聴いていただければわかりますが、「環状8号線」は男性から、「井の頭線」は女性の視点で描かれていいます。
この2作品は発表された時期も2008年(環状8号線)、2013年(井の頭線)で5年の開きがありますが、
曲中で描かれるストーリーも時間の経過が感じられて「環八」の恋は始まったばかりの印象ですが、
「井の頭線」に至ってはすでに恋は終わっています。
それでは、実際にこの2曲の歌詞を聴きながらもう少し深くまで検証を進めてみたいと思います。
まずは、ディテールがより鮮明に描かれている「井の頭線」から観てみましょう。
まず最初の歌詞に注目して下さい。
「明大前を過ぎたら、もうすぐあなたの住んでいた街♪」と言っています。
ここで問題になるのは、電車がどちらに向かって走っているか?ですよね。
吉祥寺方向なら、明大前の次の駅は永福町です。
反対に、渋谷に向かっているのなら東松原です。
この疑問に答えるかのように、最後にこんな歌詞が出てきます。
「各駅停車はもうすぐ思い出の駅に停まるところ♪」
そうです!永福町なら急行が停まります。あえて「各駅停車」と表現したということは・・・
ここで私は、この彼が住んでいた街は「東松原」であると結論づけます。
このカップルは、どう見ても20代前半でしょう。
もしかしたら学生同士かもしれません。
そんな、まだ経済的に余裕のない彼が交通の便が良くて家賃相場の高い明大前や下北沢を避けて、
穴場的な東松原に住んでいたとしても何ら不思議はありません。(笑)
私はこの駅に降りたことがないのですが、こんな駅のようです。

改札を抜けると柱があるのか確認していませんが、この歌のイメージから大きな駅は不似合いなので、
いい感じの駅ではないでしょうか?(笑)
さて、彼が東松原に住んでいたことはわかりましたが、彼女はいったいどこに住んでいたのでしょう?
今度は彼の立場に立って「環状8号線」を聴いてみましょう。
この歌には場所を特定するような歌詞は出てきません。
唯一、二番で「夜の公園」が出てきますが公園なんてどの街にもありますからね。
さて、ここからこの二つのラブソングが一組の恋人をテーマに書かれていることを前提に推理して行きます。
もう一度分かっている事実を整理してみると、
①彼は東松原に住んでいる。
②彼女は井の頭線に乗って、彼の住む東松原に会いに来る。
③そして、彼は環状8号線を走り彼女に会いに行く。
この三つの条件を満たす彼女の住む街は・・・・・・
なんと、分かりました!
まずは、こちらの地図で井の頭線と環八の位置関係をご覧下さい。
右下の東松原から左上の吉祥寺まで伸びているのが井の頭線。
そして中央を縦に走るのが環状8号線です。

ここでもう一度「井の頭線」の歌詞に戻りますが、「路線図を見つめても頭に入らなくて♪」とか
「残りの駅数えた♪」という表現から、彼女は数駅ではなくてある程度長く乗っていたことが考えられます。
一方、彼は環状8号線で彼女に会いに行ったことになっていますが、曲のタイトルになるぐらいですし、
「信号待ちがもどかしかった♪」と言っていることからも、こちらもある程度環八を長い距離走ったはずです。
甲州街道か井の頭通りか、彼がどのルートで環八に出たのかは定かではありませんが、
彼女が井の頭線に乗って東松原に来たことを考えると、彼女の住む街はここしかありません!
ずばり、それは杉並区の「荻窪」です。(画面中央上)
環八から少し入れば住宅街ですから公園もあるでしょう。
つまり、彼女は中央線で吉祥寺に出て、そこから井の頭線に乗り換えて東松原に来たのです!
そして、彼は自宅から車を西に走らせ環八を北上して彼女の住む荻窪に向かったのです!
これですべての謎が解けて、この二つの素敵なラブソングはアンサーソングの関係にあることが証明されました!
今度、二人がいくつも電車を見送った東松原の駅に実際に行ってみたいと思います。(笑)
以前から私が思っていたことを書きます。
初めにお断りしておきますが、彼女に聞いたわけではありませんのでここからは私の妄想です。(笑)
この2曲が麻衣子ちゃんの実体験を基に書かれたのかどうかは私には分かりません。
ただ、どうもこの2曲は同じ恋を題材に書かれたように私には思えて仕方ないのです。
聴いていただければわかりますが、「環状8号線」は男性から、「井の頭線」は女性の視点で描かれていいます。
この2作品は発表された時期も2008年(環状8号線)、2013年(井の頭線)で5年の開きがありますが、
曲中で描かれるストーリーも時間の経過が感じられて「環八」の恋は始まったばかりの印象ですが、
「井の頭線」に至ってはすでに恋は終わっています。
それでは、実際にこの2曲の歌詞を聴きながらもう少し深くまで検証を進めてみたいと思います。
まずは、ディテールがより鮮明に描かれている「井の頭線」から観てみましょう。
まず最初の歌詞に注目して下さい。
「明大前を過ぎたら、もうすぐあなたの住んでいた街♪」と言っています。
ここで問題になるのは、電車がどちらに向かって走っているか?ですよね。
吉祥寺方向なら、明大前の次の駅は永福町です。
反対に、渋谷に向かっているのなら東松原です。
この疑問に答えるかのように、最後にこんな歌詞が出てきます。
「各駅停車はもうすぐ思い出の駅に停まるところ♪」
そうです!永福町なら急行が停まります。あえて「各駅停車」と表現したということは・・・
ここで私は、この彼が住んでいた街は「東松原」であると結論づけます。
このカップルは、どう見ても20代前半でしょう。
もしかしたら学生同士かもしれません。
そんな、まだ経済的に余裕のない彼が交通の便が良くて家賃相場の高い明大前や下北沢を避けて、
穴場的な東松原に住んでいたとしても何ら不思議はありません。(笑)
私はこの駅に降りたことがないのですが、こんな駅のようです。

改札を抜けると柱があるのか確認していませんが、この歌のイメージから大きな駅は不似合いなので、
いい感じの駅ではないでしょうか?(笑)
さて、彼が東松原に住んでいたことはわかりましたが、彼女はいったいどこに住んでいたのでしょう?
今度は彼の立場に立って「環状8号線」を聴いてみましょう。
この歌には場所を特定するような歌詞は出てきません。
唯一、二番で「夜の公園」が出てきますが公園なんてどの街にもありますからね。
さて、ここからこの二つのラブソングが一組の恋人をテーマに書かれていることを前提に推理して行きます。
もう一度分かっている事実を整理してみると、
①彼は東松原に住んでいる。
②彼女は井の頭線に乗って、彼の住む東松原に会いに来る。
③そして、彼は環状8号線を走り彼女に会いに行く。
この三つの条件を満たす彼女の住む街は・・・・・・
なんと、分かりました!
まずは、こちらの地図で井の頭線と環八の位置関係をご覧下さい。
右下の東松原から左上の吉祥寺まで伸びているのが井の頭線。
そして中央を縦に走るのが環状8号線です。

ここでもう一度「井の頭線」の歌詞に戻りますが、「路線図を見つめても頭に入らなくて♪」とか
「残りの駅数えた♪」という表現から、彼女は数駅ではなくてある程度長く乗っていたことが考えられます。
一方、彼は環状8号線で彼女に会いに行ったことになっていますが、曲のタイトルになるぐらいですし、
「信号待ちがもどかしかった♪」と言っていることからも、こちらもある程度環八を長い距離走ったはずです。
甲州街道か井の頭通りか、彼がどのルートで環八に出たのかは定かではありませんが、
彼女が井の頭線に乗って東松原に来たことを考えると、彼女の住む街はここしかありません!
ずばり、それは杉並区の「荻窪」です。(画面中央上)
環八から少し入れば住宅街ですから公園もあるでしょう。
つまり、彼女は中央線で吉祥寺に出て、そこから井の頭線に乗り換えて東松原に来たのです!
そして、彼は自宅から車を西に走らせ環八を北上して彼女の住む荻窪に向かったのです!
これですべての謎が解けて、この二つの素敵なラブソングはアンサーソングの関係にあることが証明されました!
今度、二人がいくつも電車を見送った東松原の駅に実際に行ってみたいと思います。(笑)
後ノリが好き!
私が好きなアーティスト、ボーカリストの多くは「後ノリ」です。
と言っても、この「前ノリ」「後ノリ」って、なかなか難しくて正直よく分からないんです。
リズムに対して明らかに早かったり遅かったりすれば、それはノリと言うべきものじゃなくて単にリズム感が悪い
と言うことになってしまうでしょう。
あくまでも私の素人考えですが、「後ノリ」と言うのは一拍目のアクセントがほんの僅かに遅れる、
あるいは強いアクセントを置かない歌い方だと勝手に思っています。
例えば楽器に例えると、木琴を叩くとその瞬間に音が出ますが、フルートやサックスは吹いて音が出るまで
僅かに遅れる、そんな微妙な感じですかね。
今日は実際に何人かの私が好きなアーティストを例にとって、「後ノリ」について考えてみたいと思います。
まず私が最初に「後ノリ」を意識したのは松田聖子ではなかったかと思います。
ハスキーで後ノリとなれば、私が好きにならないはずはありません。
デビュー当時のポップス路線ではそれほど顕著ではありませんが、TVでこの曲を聴いた時は明らかに遅れてる!
と思ったものです。
ある意味では、彼女がアイドルからシンガーへ進化する過程だったとも言えますが、最近のライブ映像等を見ると、
もはや後ノリと言うレベルを遥かに超えて、演歌歌手のようなタメがどうも好きになれません。(笑)
その意味では私がギリギリ許せる聖子ちゃんは、コンサートに行っていたこの頃、2000年前後のように思います。
そして、次に登場していただくのはZARDの坂井泉水さん。
彼女の後ノリは天才的で、おそらく自分でも意識しない天性の才能だと私は思います。
ZARDの楽曲はどの曲も泉水さんの後ノリのボーカルが大きな魅力になっているのですが、面白い映像がありました。
これは彼女が亡くなった後に開催された「What a beautiful memory」ライブの1曲ですが、サポートミュージシャンが
少しづつ歌っています。
この中で一番泉水さんの後ノリを意識して歌っているのは、大野愛果ちゃんだと思います。
対照的なのが、最初に歌うGARNET CROWの中村由利ちゃんで明らかに前ノリですね。
こんな疾走感のあるナンバーでも泉水さんの後ノリのボーカルがなんて心地よいのでしょう!
残念ながら今現在埋め込みの出来るYouTubeがないので、お手数ですがこちらをご覧下さい。
https://youtu.be/9lEFmuLk7Dk
前にも言ったと思いますが私にとってZARDの魅力は、歪んだギターのロックサウンドと泉水さんのピュアで綺麗な声、
そして疾走感のあるリズムに絡みつく泉水さんの後ノリボーカル、この一見相反する要素のコントラストにあるのです。
もちろんZARDはデビューから聴いていますが、そんなZARD坂井泉水さんの魅力に一気にはまったのはこの曲でした。
さて、今私がライブに通うアーティストで後ノリは誰かと言えば、まあこの二人です。
一人は今月26日のワンマンを控えるまきちゃんぐ。
今日お聴き頂く「鋼の心」なんかは、ライブではサビで相当遅れてきますが、これがクセになるんですね~!(笑)
もう一人は佐藤史果ちゃん。
実際に史果ちゃんに「後ノリだよね?」って言ったら、「そうなんですよ~!」と言っていたので間違いありません。
LAでスティービー・ワンダーの前で歌ったそのハーフトーンヴォイスとともに、彼女もホント心地いい後ノリです。
今日ご紹介したアーティストに共通して言えることは、リズムに対してジャストでなくても決して不快ではないことです。
むしろ、1/fゆらぎではないですが聴いていて心地よい癒し効果のようなものが後ノリにはあるようです。
と言っても、この「前ノリ」「後ノリ」って、なかなか難しくて正直よく分からないんです。
リズムに対して明らかに早かったり遅かったりすれば、それはノリと言うべきものじゃなくて単にリズム感が悪い
と言うことになってしまうでしょう。
あくまでも私の素人考えですが、「後ノリ」と言うのは一拍目のアクセントがほんの僅かに遅れる、
あるいは強いアクセントを置かない歌い方だと勝手に思っています。
例えば楽器に例えると、木琴を叩くとその瞬間に音が出ますが、フルートやサックスは吹いて音が出るまで
僅かに遅れる、そんな微妙な感じですかね。
今日は実際に何人かの私が好きなアーティストを例にとって、「後ノリ」について考えてみたいと思います。
まず私が最初に「後ノリ」を意識したのは松田聖子ではなかったかと思います。
ハスキーで後ノリとなれば、私が好きにならないはずはありません。
デビュー当時のポップス路線ではそれほど顕著ではありませんが、TVでこの曲を聴いた時は明らかに遅れてる!
と思ったものです。
ある意味では、彼女がアイドルからシンガーへ進化する過程だったとも言えますが、最近のライブ映像等を見ると、
もはや後ノリと言うレベルを遥かに超えて、演歌歌手のようなタメがどうも好きになれません。(笑)
その意味では私がギリギリ許せる聖子ちゃんは、コンサートに行っていたこの頃、2000年前後のように思います。
そして、次に登場していただくのはZARDの坂井泉水さん。
彼女の後ノリは天才的で、おそらく自分でも意識しない天性の才能だと私は思います。
ZARDの楽曲はどの曲も泉水さんの後ノリのボーカルが大きな魅力になっているのですが、面白い映像がありました。
これは彼女が亡くなった後に開催された「What a beautiful memory」ライブの1曲ですが、サポートミュージシャンが
少しづつ歌っています。
この中で一番泉水さんの後ノリを意識して歌っているのは、大野愛果ちゃんだと思います。
対照的なのが、最初に歌うGARNET CROWの中村由利ちゃんで明らかに前ノリですね。
こんな疾走感のあるナンバーでも泉水さんの後ノリのボーカルがなんて心地よいのでしょう!
残念ながら今現在埋め込みの出来るYouTubeがないので、お手数ですがこちらをご覧下さい。
https://youtu.be/9lEFmuLk7Dk
前にも言ったと思いますが私にとってZARDの魅力は、歪んだギターのロックサウンドと泉水さんのピュアで綺麗な声、
そして疾走感のあるリズムに絡みつく泉水さんの後ノリボーカル、この一見相反する要素のコントラストにあるのです。
もちろんZARDはデビューから聴いていますが、そんなZARD坂井泉水さんの魅力に一気にはまったのはこの曲でした。
さて、今私がライブに通うアーティストで後ノリは誰かと言えば、まあこの二人です。
一人は今月26日のワンマンを控えるまきちゃんぐ。
今日お聴き頂く「鋼の心」なんかは、ライブではサビで相当遅れてきますが、これがクセになるんですね~!(笑)
もう一人は佐藤史果ちゃん。
実際に史果ちゃんに「後ノリだよね?」って言ったら、「そうなんですよ~!」と言っていたので間違いありません。
LAでスティービー・ワンダーの前で歌ったそのハーフトーンヴォイスとともに、彼女もホント心地いい後ノリです。
今日ご紹介したアーティストに共通して言えることは、リズムに対してジャストでなくても決して不快ではないことです。
むしろ、1/fゆらぎではないですが聴いていて心地よい癒し効果のようなものが後ノリにはあるようです。
おめでとう!結成10周年!
久しぶりのブログ更新。
そして、これまた超久しぶりのSCANDALネタです。
と言うのも、彼女たちはこの8月で結成10周年!
当然、10代だった彼女たちも四捨五入すると皆三十路!(笑)
「光陰矢の如し」とは言いますが、本当に月日の流れるのが早すぎますね。
もっとも、私がSCANDALの4人を初めて観たのは2008年のNAONのYAONですから8年前ですが、
今でもあの時の衝撃は鮮明に私の脳裏に残っています。
まさか、ここまでビッグになるとは当時思いませんでしたが、間違いなくmyのブログでご紹介した注目アーティストの中で
一番の出世頭ですね。
最近の楽曲は熱心に聴いていないので偉そうなことは言えませんが、やはり私は初期の粗削りで怖いもの知らずな
彼女たちが大好きです。
過去の記事を見たら当時のTouTubeはことごとく削除されていますので、あらためてオフィシャルYouTubeから
初期の代表曲を貼っておきたいと思います。
まずは、2008年10月22日リリースの記念すべきメジャーデビューSG「DOLL」
ギター、ベース、ドラムだけの骨太でソリッドなロックサウンドは、彼女たちのその後の音楽的方向性を
決定づけたと思います。
もうこの曲のサビで何度マフラータオルを振り回したことやら。(笑)
続いて、2ndSGは卒業ソングの「SAKURAグッバイ」
この曲で注目すべきは、なんと言ってもTOMOMIちゃんのベースプレイ。
あのP・マッカートニーでさえ最初はベース弾きながら歌えなかったと言っているのに、
彼女はなんとデビュー半年にして、歌いながらこの目まぐるしく動くベースを弾いていたんだから大したものです!
3rdSGの「少女S」は、その年のレコード大賞新人賞受賞曲ですので、この曲でSCANDALを知った方も多いと思います。
人口雨で4人をびしょ濡れにしたのは、監督を務めた品川ヒロシ。
そしてこの曲のレコ発イベントで、池袋のタワレコで初めて憧れのRINAちゃんとお話しした思い出のある曲です。
同じく品川ヒロシがPVを監督した4thSG「夢見るつばさ」
HARUNAちゃんとTOMOMIちゃんが交互にメインボーカルをとる曲が多い中、この曲はHARUNAちゃんと全員で歌っています。
あと、このPVは彼女たちがダンススクール出身を証明するようにステップのカッコよさが抜群です!
特に、間奏の2'45あたりは何度見たか分かりません。
この頃のSCANDALが本当に大好きです。
私の場合、音楽は突き詰めると「聴いてて気持ちよくなる」ことが大事で、それはビートルズを初めて聴いた日から
何も変わっていません。
その意味で、このベストアルバムはいつ聴いても気持ちがいいのです。
BEST★SCANDAL(初回生産限定盤)(DVD付)/SCANDAL

¥3,500
Amazon.co.jp
そして、これまた超久しぶりのSCANDALネタです。
と言うのも、彼女たちはこの8月で結成10周年!
当然、10代だった彼女たちも四捨五入すると皆三十路!(笑)
「光陰矢の如し」とは言いますが、本当に月日の流れるのが早すぎますね。
もっとも、私がSCANDALの4人を初めて観たのは2008年のNAONのYAONですから8年前ですが、
今でもあの時の衝撃は鮮明に私の脳裏に残っています。
まさか、ここまでビッグになるとは当時思いませんでしたが、間違いなくmyのブログでご紹介した注目アーティストの中で
一番の出世頭ですね。
最近の楽曲は熱心に聴いていないので偉そうなことは言えませんが、やはり私は初期の粗削りで怖いもの知らずな
彼女たちが大好きです。
過去の記事を見たら当時のTouTubeはことごとく削除されていますので、あらためてオフィシャルYouTubeから
初期の代表曲を貼っておきたいと思います。
まずは、2008年10月22日リリースの記念すべきメジャーデビューSG「DOLL」
ギター、ベース、ドラムだけの骨太でソリッドなロックサウンドは、彼女たちのその後の音楽的方向性を
決定づけたと思います。
もうこの曲のサビで何度マフラータオルを振り回したことやら。(笑)
続いて、2ndSGは卒業ソングの「SAKURAグッバイ」
この曲で注目すべきは、なんと言ってもTOMOMIちゃんのベースプレイ。
あのP・マッカートニーでさえ最初はベース弾きながら歌えなかったと言っているのに、
彼女はなんとデビュー半年にして、歌いながらこの目まぐるしく動くベースを弾いていたんだから大したものです!
3rdSGの「少女S」は、その年のレコード大賞新人賞受賞曲ですので、この曲でSCANDALを知った方も多いと思います。
人口雨で4人をびしょ濡れにしたのは、監督を務めた品川ヒロシ。
そしてこの曲のレコ発イベントで、池袋のタワレコで初めて憧れのRINAちゃんとお話しした思い出のある曲です。
同じく品川ヒロシがPVを監督した4thSG「夢見るつばさ」
HARUNAちゃんとTOMOMIちゃんが交互にメインボーカルをとる曲が多い中、この曲はHARUNAちゃんと全員で歌っています。
あと、このPVは彼女たちがダンススクール出身を証明するようにステップのカッコよさが抜群です!
特に、間奏の2'45あたりは何度見たか分かりません。
この頃のSCANDALが本当に大好きです。
私の場合、音楽は突き詰めると「聴いてて気持ちよくなる」ことが大事で、それはビートルズを初めて聴いた日から
何も変わっていません。
その意味で、このベストアルバムはいつ聴いても気持ちがいいのです。
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「Michelle」にみるポールのベースプレイ
ポールの74歳の誕生日は過ぎてしまいましたが、今日は遅ればせながら再来日が切望されるポールネタです。
まず、お友達は皆ゲットされたPURE McCARTNEYはまだ買ってないんです。(AWAでは聴いてますけどね。笑)
だって、デラックスエディションは4枚組67曲も収録されているのに、私が好きなFLOWERS IN THE DIRTからは
1曲も選曲されていないなんて!
このALがリリースされた直後にポールの初来日公演を観た私としては、とても思い出のあるALなのです。
まあそれはともかく、今日お話ししたいのはベーシストとしてのポールです。
ポールのベースプレイには、ロックバンドのベーシストの役割を変えた、とか、ギターのようなリフだとか、
裏メロと言われる存在感のあるベースライン・・・等々形容に暇がありません。
たしかに「Something」のベースを初めて聴いたジョージが「ちょっとやりすぎじゃん?」と言ったとか言わないとか。(笑)
でも、私が思うにそもそもギタリストだったポールがベーシストの才能を開花させたのは「Ruber Soul」あたりからだと
思うんです。
それ以前のポールのベースを聴くと、比較的シンプルなR&Rの定番のフレーズだったり、ルート音を拾う目立たない
ベースプレイが多かったように思います。
そんな中でも、私が声を大にしてこの曲がターニングポイントだ!と思うのが今日のタイトルにある「Michelle」の
イントロ部分なのです。
まず、この曲のイントロコードはFmから始まりFmM7-Fm7-Fm6-B♭onF-Cという美しい流れです。
簡単に言うと、ベース音がファ-ミ-ミ♭-レ-レ♭と半音ずつ下がるいわゆるベース下降ラインですね。
普通なら、この哀愁漂うラインを尊重してベースも同じ下降ラインを辿るのではないでしょうか?
ところが、「Michelle」のイントロのベースはなんとドから始まってミ-ファと上がって行き、またドへ降り最後は
ファまでストンと下がるあり得ない動きです。
文字で書くとよくわかりませんが、実際にこのイントロのベースが単なる下降ラインを辿っていたらとてもつまらない
イントロになっていたことでしょう。
これはポールに聞かないとわかりませんが、同じ下降ラインでもRevolverの「For No One」なんかは素直にルート音で
下がっていますから、どうしてこんなフレーズが思いついたのか不思議でなりません。
とにかく、この誰も思いつかないようなベースラインがいかにこの曲のイントロに深みを与えているかをお聴き下さい。
おそらく、AL「Ruber Soul」「Revolver」あたりでポールはベースの楽しさに目覚めたのではないかと私は思います。
私にはベースで遊んでいるようにしか思えません。(笑)
そして、それは同時にビートルズにおけるポールの立場を変えるきっかけにもなったのではないでしょうか?
ちょっと過激な言い方をすれば、「Ruber Soul」以前はビートルズはジョンのバンドだったと思います。
オリジナル楽曲の素晴らしさや音楽的リーダーシップはグループ結成当時から「For Sale」の頃までは明らかにジョンが握っていたと思います。
けれど、「Ruber Soul」後は徐々にポールがビートルズの音楽の中心的存在になったと思います。
よくジョージの曲だと好き勝手なベースを弾く、と言われますがそんなことはありません。
ジョンの曲でも、この曲のポールのベースの存在感は決して「Taxman」や「Something」に引けを取りません。
ソロになってからののポールのベースプレイは、ビートルズ時代ほどの独創性は感じられませんね。
いや、それはベースのみならず楽曲そのものにも言えることで、やはりポールにとってジョンの存在はそれだけ大きかったと言うべきでしょう。
最後にソロ時代から91年の東京ドームでも演奏されたこの曲を!
イントロのウォルマッハⅡの5弦ベースならではの地響きのような重低音が今も忘れられません!
まず、お友達は皆ゲットされたPURE McCARTNEYはまだ買ってないんです。(AWAでは聴いてますけどね。笑)
だって、デラックスエディションは4枚組67曲も収録されているのに、私が好きなFLOWERS IN THE DIRTからは
1曲も選曲されていないなんて!
このALがリリースされた直後にポールの初来日公演を観た私としては、とても思い出のあるALなのです。
まあそれはともかく、今日お話ししたいのはベーシストとしてのポールです。
ポールのベースプレイには、ロックバンドのベーシストの役割を変えた、とか、ギターのようなリフだとか、
裏メロと言われる存在感のあるベースライン・・・等々形容に暇がありません。
たしかに「Something」のベースを初めて聴いたジョージが「ちょっとやりすぎじゃん?」と言ったとか言わないとか。(笑)
でも、私が思うにそもそもギタリストだったポールがベーシストの才能を開花させたのは「Ruber Soul」あたりからだと
思うんです。
それ以前のポールのベースを聴くと、比較的シンプルなR&Rの定番のフレーズだったり、ルート音を拾う目立たない
ベースプレイが多かったように思います。
そんな中でも、私が声を大にしてこの曲がターニングポイントだ!と思うのが今日のタイトルにある「Michelle」の
イントロ部分なのです。
まず、この曲のイントロコードはFmから始まりFmM7-Fm7-Fm6-B♭onF-Cという美しい流れです。
簡単に言うと、ベース音がファ-ミ-ミ♭-レ-レ♭と半音ずつ下がるいわゆるベース下降ラインですね。
普通なら、この哀愁漂うラインを尊重してベースも同じ下降ラインを辿るのではないでしょうか?
ところが、「Michelle」のイントロのベースはなんとドから始まってミ-ファと上がって行き、またドへ降り最後は
ファまでストンと下がるあり得ない動きです。
文字で書くとよくわかりませんが、実際にこのイントロのベースが単なる下降ラインを辿っていたらとてもつまらない
イントロになっていたことでしょう。
これはポールに聞かないとわかりませんが、同じ下降ラインでもRevolverの「For No One」なんかは素直にルート音で
下がっていますから、どうしてこんなフレーズが思いついたのか不思議でなりません。
とにかく、この誰も思いつかないようなベースラインがいかにこの曲のイントロに深みを与えているかをお聴き下さい。
おそらく、AL「Ruber Soul」「Revolver」あたりでポールはベースの楽しさに目覚めたのではないかと私は思います。
私にはベースで遊んでいるようにしか思えません。(笑)
そして、それは同時にビートルズにおけるポールの立場を変えるきっかけにもなったのではないでしょうか?
ちょっと過激な言い方をすれば、「Ruber Soul」以前はビートルズはジョンのバンドだったと思います。
オリジナル楽曲の素晴らしさや音楽的リーダーシップはグループ結成当時から「For Sale」の頃までは明らかにジョンが握っていたと思います。
けれど、「Ruber Soul」後は徐々にポールがビートルズの音楽の中心的存在になったと思います。
よくジョージの曲だと好き勝手なベースを弾く、と言われますがそんなことはありません。
ジョンの曲でも、この曲のポールのベースの存在感は決して「Taxman」や「Something」に引けを取りません。
ソロになってからののポールのベースプレイは、ビートルズ時代ほどの独創性は感じられませんね。
いや、それはベースのみならず楽曲そのものにも言えることで、やはりポールにとってジョンの存在はそれだけ大きかったと言うべきでしょう。
最後にソロ時代から91年の東京ドームでも演奏されたこの曲を!
イントロのウォルマッハⅡの5弦ベースならではの地響きのような重低音が今も忘れられません!
心筋梗塞からの生還 現状と今後
またまた1か月ぶりのブログになってしまいました。
そして、今日で倒れてちょうど2か月が経過しました。
退院後は家で自宅療養と言うことで、のんびり過ごしていました。
とは言っても引きこもりになってはいけないので、毎日30分以上の散歩とたまのライブ参戦はしていました。
散歩と言っても、リハビリのためなのである程度心臓に負荷をかける早歩きですね。
最初のうちは近所のいつも歩く道を散歩コースにしていたのですが、毎日同じ道だと飽きてきますね。
なので、こんな時でもないと行けないところにも行ってみました。
まず、私が生まれ育った練馬区の富士見台。
私は20歳の頃実家を出るまでこの町で暮らしましたが、訪れるのは実に30年ぶりです。

今は実家はないのですが、家の前にあった公園はまだありました。
子供の頃毎日遊んだ公園を大人になって訪れると、やけに小さく見えますね。(笑)

そして、私が通った小学校は当時と同じ場所にあってほとんど当時と変わらない姿で私を迎えてくれました。

お昼過ぎでお腹がすいたので何を食べようか考えながら歩いていると、大好きだった中華料理屋さんがまだありました。
駅前の商店街などはほとんど店が変わってしまいましたが、30年以上商売を続けている店も結構ありました。
特に、私はこの店のマーボー豆腐定食が大好きで、いつかまた食べたいと思っていたので感激の味でした。

この日は懐かしさもあり、私は時間を忘れ2時間以上歩き回っていました。
また別の日ですが初めて高尾山に行きました。
もちろん登山はしませんでしたが、ロープウエイ乗り場前で佐藤史果ちゃんのライブがあったんです。
天気にも恵まれて、自然の中で響く彼女の歌声がとても気持ちよかったです。

そして、今回のことで一番世話になったのは何といってもカミさんでしょう。
「ありがとう」の意味で、夫婦で温泉に一泊旅行に行ってきました。
カミさんの休みを聞いたら15日が都合がいいとのこと・・・ん?花菜ちゃんのインストアと重なりましたね。(笑)

と言うわけで、一部だけカミさんを待たせて参戦し、その足で群馬県のお気に入りの温泉宿へ。




こんな感じで5月は学生時代以来なかったぐらいのんびり過ごしました。
5月25日に受診して、主治医から職場復帰の許可を得たので6月からは徐々に仕事に復帰しています。
正直、まだフルでは働けませんし、疲れやすかったり、動悸がすることもあるのですが、
だいぶ体力も戻って来たので7月からは完全復帰できそうです。
もちろん、今後も定期的な受診や心臓リハビリは続きますし、塩分やコレステロールの過剰摂取には注意が必要です。
それから、これは一部のお友達にはバレているので告白しますが(笑)、禁煙は続きませんでした。
吸えないストレスもあまりよくないのではないか?と言う勝手な理由付けですが本数は半分以下の1日10本程度です。
あらためて、今回の件でご心配頂いた皆さん、ありがとうございました!
病気ネタのブログはこれが最後になるように、今後も健康第一で行きたいと思います。
そして、今日で倒れてちょうど2か月が経過しました。
退院後は家で自宅療養と言うことで、のんびり過ごしていました。
とは言っても引きこもりになってはいけないので、毎日30分以上の散歩とたまのライブ参戦はしていました。
散歩と言っても、リハビリのためなのである程度心臓に負荷をかける早歩きですね。
最初のうちは近所のいつも歩く道を散歩コースにしていたのですが、毎日同じ道だと飽きてきますね。
なので、こんな時でもないと行けないところにも行ってみました。
まず、私が生まれ育った練馬区の富士見台。
私は20歳の頃実家を出るまでこの町で暮らしましたが、訪れるのは実に30年ぶりです。

今は実家はないのですが、家の前にあった公園はまだありました。
子供の頃毎日遊んだ公園を大人になって訪れると、やけに小さく見えますね。(笑)

そして、私が通った小学校は当時と同じ場所にあってほとんど当時と変わらない姿で私を迎えてくれました。

お昼過ぎでお腹がすいたので何を食べようか考えながら歩いていると、大好きだった中華料理屋さんがまだありました。
駅前の商店街などはほとんど店が変わってしまいましたが、30年以上商売を続けている店も結構ありました。
特に、私はこの店のマーボー豆腐定食が大好きで、いつかまた食べたいと思っていたので感激の味でした。

この日は懐かしさもあり、私は時間を忘れ2時間以上歩き回っていました。
また別の日ですが初めて高尾山に行きました。
もちろん登山はしませんでしたが、ロープウエイ乗り場前で佐藤史果ちゃんのライブがあったんです。
天気にも恵まれて、自然の中で響く彼女の歌声がとても気持ちよかったです。

そして、今回のことで一番世話になったのは何といってもカミさんでしょう。
「ありがとう」の意味で、夫婦で温泉に一泊旅行に行ってきました。
カミさんの休みを聞いたら15日が都合がいいとのこと・・・ん?花菜ちゃんのインストアと重なりましたね。(笑)

と言うわけで、一部だけカミさんを待たせて参戦し、その足で群馬県のお気に入りの温泉宿へ。




こんな感じで5月は学生時代以来なかったぐらいのんびり過ごしました。
5月25日に受診して、主治医から職場復帰の許可を得たので6月からは徐々に仕事に復帰しています。
正直、まだフルでは働けませんし、疲れやすかったり、動悸がすることもあるのですが、
だいぶ体力も戻って来たので7月からは完全復帰できそうです。
もちろん、今後も定期的な受診や心臓リハビリは続きますし、塩分やコレステロールの過剰摂取には注意が必要です。
それから、これは一部のお友達にはバレているので告白しますが(笑)、禁煙は続きませんでした。
吸えないストレスもあまりよくないのではないか?と言う勝手な理由付けですが本数は半分以下の1日10本程度です。
あらためて、今回の件でご心配頂いた皆さん、ありがとうございました!
病気ネタのブログはこれが最後になるように、今後も健康第一で行きたいと思います。
心筋梗塞からの生還 Part 3
急性心筋梗塞で倒れて、昨日でちょうど一か月経ちました。
4月18日に一般病棟に移りTVも観られるようになって、やっと熊本の地震がいかに酷い災害なのかを知りました。

まだ体にはいろんなセンサーが付いていますが、窓があって外の様子が見えるのが嬉しかったです。
天気の良い日には遠くにスカイツリーが見えました。


そして、尿管カテーテルも外れ少しづつリハビリが始まりました。
PT(理学療法士)の先生の立会いのもと、まずは病棟内を50m歩くことから始まり、やがて一人で病院内を
散歩できるまでに回復しました。

談話室でスマホを見たり、1Fの売店で新聞や週刊誌を買ったりするのが日課になりましたが、塩分を1日に6g制限を
受けていたため、病院の食事以外は一切口にすることは許されません。
この頃、私が一番食べたかったのは売店のアイスですね。(笑)


コーヒー好きの私は、先生に「ブラックならお茶と同じでは?」と直談判して何とか許可をもらいました!(笑)

カミさんに自宅からノートPCを持って来てもらい、病院内はWi-Fi回線もありネットがやり放題で快適でした。(笑)

体力をつけるために自転車をこぐ有酸素運動や、筋力を回復するための筋トレも毎日行いました。
と同時に、管理栄養士の先生から食事指導も受けました。
私の場合、塩分を極力控えることと、コレストロールの値を下げることが必須なのですがこれが結構大変です。
と言うのも、もともと私は味付けは濃い方だし、脂っこい食事が大好きだからです。
食塩に関しては、先生が持っていた本がとても参考になりそうだったので購入しました。
amazonにあったので、送付先を病院内にしたらちゃんと届きました。(笑)

この本の何が凄いかと言うと、肉、魚などの原材料から調味料はもちろん、市販のインスタント食品や冷凍食品まで
幅広い食品の塩分量が網羅されている点です。
たとえば、緑のたぬきのページを見ると、塩分が6.4gとなっていて、汁まで飲むと私の1日の制限(6g)を
これだけでオーバーしてしまうことが分かります。

脂質に関しては私の好きなものの逆のものを食べていれば間違いなさそうです。(笑)
お刺し身ならトロより赤身、焼き肉ならカルビよりロース、とんかつならロースよりヒレと言った具合ですね。
まあ、塩分も脂質もあまりストイックになると逆にストレスになりそうなので、気をつけるというレベルでいいと勝手に思っています。(笑)
だいぶ体力も回復してきた4月21日、心肺運動負荷検査というものが行われました。
簡単に言うと、心肺機能がどの程度回復しているかを検査するもので、この結果を見て退院の時期を決めましょう、
とのことでした。
心電図、血圧、呼吸中の酸素、二酸化炭素などの濃度を測定しながら、自転車をこぎます。
ペダルの負荷が徐々に重くなって、どこまでこげるかを専門医がチェックします。
結果は、健康な人と比べ約80%まで心臓の機能は回復しているとのことでした。
もちろん激しい運動はNGですが、日常生活には特に問題がないとのことで、退院が4月26日に決まりました。

こうして、私の13日間に及ぶ病院生活は終了し晴れて自宅療養とまりました。(周1回のリハビリ通院あり)
こんなに長く入院したことも人生初めてで、もちろん禁煙期間も過去最高記録更新です!(笑)
お世話になったドクター、ナース、その他スタッフの皆さん、本当にありがとうございました!
心配頂いた友人、知人の皆様にも感謝しています。
突然のことでご迷惑をかけている職場の皆さん、本当にごめんなさい。
さて、次回は最終回として今の私の現状と今後について書いてみます。

4月18日に一般病棟に移りTVも観られるようになって、やっと熊本の地震がいかに酷い災害なのかを知りました。

まだ体にはいろんなセンサーが付いていますが、窓があって外の様子が見えるのが嬉しかったです。
天気の良い日には遠くにスカイツリーが見えました。


そして、尿管カテーテルも外れ少しづつリハビリが始まりました。
PT(理学療法士)の先生の立会いのもと、まずは病棟内を50m歩くことから始まり、やがて一人で病院内を
散歩できるまでに回復しました。

談話室でスマホを見たり、1Fの売店で新聞や週刊誌を買ったりするのが日課になりましたが、塩分を1日に6g制限を
受けていたため、病院の食事以外は一切口にすることは許されません。
この頃、私が一番食べたかったのは売店のアイスですね。(笑)


コーヒー好きの私は、先生に「ブラックならお茶と同じでは?」と直談判して何とか許可をもらいました!(笑)

カミさんに自宅からノートPCを持って来てもらい、病院内はWi-Fi回線もありネットがやり放題で快適でした。(笑)

体力をつけるために自転車をこぐ有酸素運動や、筋力を回復するための筋トレも毎日行いました。
と同時に、管理栄養士の先生から食事指導も受けました。
私の場合、塩分を極力控えることと、コレストロールの値を下げることが必須なのですがこれが結構大変です。
と言うのも、もともと私は味付けは濃い方だし、脂っこい食事が大好きだからです。
食塩に関しては、先生が持っていた本がとても参考になりそうだったので購入しました。
amazonにあったので、送付先を病院内にしたらちゃんと届きました。(笑)

この本の何が凄いかと言うと、肉、魚などの原材料から調味料はもちろん、市販のインスタント食品や冷凍食品まで
幅広い食品の塩分量が網羅されている点です。
たとえば、緑のたぬきのページを見ると、塩分が6.4gとなっていて、汁まで飲むと私の1日の制限(6g)を
これだけでオーバーしてしまうことが分かります。

脂質に関しては私の好きなものの逆のものを食べていれば間違いなさそうです。(笑)
お刺し身ならトロより赤身、焼き肉ならカルビよりロース、とんかつならロースよりヒレと言った具合ですね。
まあ、塩分も脂質もあまりストイックになると逆にストレスになりそうなので、気をつけるというレベルでいいと勝手に思っています。(笑)
だいぶ体力も回復してきた4月21日、心肺運動負荷検査というものが行われました。
簡単に言うと、心肺機能がどの程度回復しているかを検査するもので、この結果を見て退院の時期を決めましょう、
とのことでした。
心電図、血圧、呼吸中の酸素、二酸化炭素などの濃度を測定しながら、自転車をこぎます。
ペダルの負荷が徐々に重くなって、どこまでこげるかを専門医がチェックします。
結果は、健康な人と比べ約80%まで心臓の機能は回復しているとのことでした。
もちろん激しい運動はNGですが、日常生活には特に問題がないとのことで、退院が4月26日に決まりました。

こうして、私の13日間に及ぶ病院生活は終了し晴れて自宅療養とまりました。(周1回のリハビリ通院あり)
こんなに長く入院したことも人生初めてで、もちろん禁煙期間も過去最高記録更新です!(笑)
お世話になったドクター、ナース、その他スタッフの皆さん、本当にありがとうございました!
心配頂いた友人、知人の皆様にも感謝しています。
突然のことでご迷惑をかけている職場の皆さん、本当にごめんなさい。
さて、次回は最終回として今の私の現状と今後について書いてみます。

心筋梗塞からの生還 Part2
間が開いてしまいましたが続きを書きます。
【心臓カテーテル手術】
4月13日の朝、急性心筋梗塞になった私は、そのまま心臓カテーテル手術を受けることになりました。
目的は、詰まった血栓を取り除き細くなった血管を広げ、血流を回復することです。
まず、右手の手首の付近に麻酔の注射のチクッとした痛みがありました。
その後麻酔が効いてしまうと、手首の動脈から心臓の冠動脈までカテーテルを入れられた感覚はまったくありません。
局所麻酔なので意識ははっきりしていますが、心臓の血管を治療されている感覚などもなく、モニターの画面が見れるわけでもなく、ただ横になってドクターの「よし!」とか「あれ?」とかの言葉に
何が起こっているのか想像するしかありませんでした。
しばらくして、「myさん、血栓が取れましたよ」とドクターが言ったような気がしたのですが、この頃から私は胸に強烈な痛みを感じていました。
はっきり言って、発症後今まで感じていた痛みを遥かに超える強い痛みで、私はじっとしていることが出来ませんでした。
ドクターが「myさん、もう少しですからじっとして!」と言っているのが聞こえました。
おそらく数分だったと思いますが、この痛みを堪えるのが一番辛かったです。
数日後、ドクターに「あの痛みは何だったのですか?」と聞くと、詰まっていた血流が一気に流れたために起こるようで、
その時のショックで亡くなる方もいるとのことでした。
私の感覚では手術は1時間もかからなかったように思えました。
ドクターが「myさん、無事に終わりましたよ!」と言われた頃には胸の痛みも嘘のようになくなって、
私はもうこのまま歩いて帰れるんじゃないか?と思えるほど元気だったのですが、やはりそれほど甘いものではありませんでした。
【HCU】
私はそのままHCUという集中治療室に運ばれました。
よく耳にするICUとの違いは、とりあえず生命の危険な状態は脱したものの、引き続き24時間観察が必要な患者さんが
入っているようでした。
完全な個室ですが、ただベッドが置かれているだけのドアもなくナースステーションからは丸見えの状態です。
もちろん窓もなく天井に光を取り入れるためのわずかなガラスがあるだけです。

ここに運び込まれて、4月13日から16日の4日間は39度を超える高熱の中で過ごしました。
ステントと言う心臓の血管を広げるために体内に残っている網のようなものを、身体は異物と認識したために出た熱でしょう。
この頃は看護師さんからも「myさん、今は眠ることが仕事です」と言われ眠っていることが多かったですが、14日からはご飯も出てツイートができるまでになりました。
新聞で熊本の地震を知ったのも16日になってからだったと思います。

21時には消灯なのですがさすがにすぐには眠れなくて、そんな時の私の心の友はしばじゅんでした。
やっぱりまだアッパーな曲を聴く気分にならなくて、病室で聴くしばじゅんの曲調は一番違和感がありませんでした。(笑)

結局、このHCUという集中治療室には4/13~17まで5日間過ごしたのですが、14日の夜勤の看護師さんの対応が素晴らしかったです!
ちょっと、昔の松本佳奈ちゃんのようなボーイッシュな若い看護師さんでしたが、その夜は救急患者が運ばれてきたり、寝てる私でも分かるくらい大変な状況だったのですが、彼女の落ち着いた対応と患者に対する優しい気配りには本当に感心しました。
一般病棟に移る前に、彼女とツーショット写真を撮れなかったことが、今回の入院で最大の後悔です!(笑)
徐々に熱も下がり、食欲もあったのですが、おちんちんの管は入ったままだし、点滴も続いていました。
15日に初めてリハビリの先生が来て、ベッドから立ち上がり足踏みをすることが許されましたが、
依然として私はほとんどの時間をベッド上で過ごすしかありませんでした。
楽しみと言えば、ラジオや音楽を聴いたり、本来禁止されているスマホで看護師さんの目を盗んでツイートすることぐらいしかなかったので、カミさんが毎日仕事の帰りに来てくれたことは、本当に有難かったです。
そして、4月18日やっと一般病棟に移れたのですが、それからさらに8日間も入院生活は続きました。
Part 3へ続く。
【心臓カテーテル手術】
4月13日の朝、急性心筋梗塞になった私は、そのまま心臓カテーテル手術を受けることになりました。
目的は、詰まった血栓を取り除き細くなった血管を広げ、血流を回復することです。
まず、右手の手首の付近に麻酔の注射のチクッとした痛みがありました。
その後麻酔が効いてしまうと、手首の動脈から心臓の冠動脈までカテーテルを入れられた感覚はまったくありません。
局所麻酔なので意識ははっきりしていますが、心臓の血管を治療されている感覚などもなく、モニターの画面が見れるわけでもなく、ただ横になってドクターの「よし!」とか「あれ?」とかの言葉に
何が起こっているのか想像するしかありませんでした。
しばらくして、「myさん、血栓が取れましたよ」とドクターが言ったような気がしたのですが、この頃から私は胸に強烈な痛みを感じていました。
はっきり言って、発症後今まで感じていた痛みを遥かに超える強い痛みで、私はじっとしていることが出来ませんでした。
ドクターが「myさん、もう少しですからじっとして!」と言っているのが聞こえました。
おそらく数分だったと思いますが、この痛みを堪えるのが一番辛かったです。
数日後、ドクターに「あの痛みは何だったのですか?」と聞くと、詰まっていた血流が一気に流れたために起こるようで、
その時のショックで亡くなる方もいるとのことでした。
私の感覚では手術は1時間もかからなかったように思えました。
ドクターが「myさん、無事に終わりましたよ!」と言われた頃には胸の痛みも嘘のようになくなって、
私はもうこのまま歩いて帰れるんじゃないか?と思えるほど元気だったのですが、やはりそれほど甘いものではありませんでした。
【HCU】
私はそのままHCUという集中治療室に運ばれました。
よく耳にするICUとの違いは、とりあえず生命の危険な状態は脱したものの、引き続き24時間観察が必要な患者さんが
入っているようでした。
完全な個室ですが、ただベッドが置かれているだけのドアもなくナースステーションからは丸見えの状態です。
もちろん窓もなく天井に光を取り入れるためのわずかなガラスがあるだけです。

ここに運び込まれて、4月13日から16日の4日間は39度を超える高熱の中で過ごしました。
ステントと言う心臓の血管を広げるために体内に残っている網のようなものを、身体は異物と認識したために出た熱でしょう。
この頃は看護師さんからも「myさん、今は眠ることが仕事です」と言われ眠っていることが多かったですが、14日からはご飯も出てツイートができるまでになりました。
新聞で熊本の地震を知ったのも16日になってからだったと思います。

21時には消灯なのですがさすがにすぐには眠れなくて、そんな時の私の心の友はしばじゅんでした。
やっぱりまだアッパーな曲を聴く気分にならなくて、病室で聴くしばじゅんの曲調は一番違和感がありませんでした。(笑)

結局、このHCUという集中治療室には4/13~17まで5日間過ごしたのですが、14日の夜勤の看護師さんの対応が素晴らしかったです!
ちょっと、昔の松本佳奈ちゃんのようなボーイッシュな若い看護師さんでしたが、その夜は救急患者が運ばれてきたり、寝てる私でも分かるくらい大変な状況だったのですが、彼女の落ち着いた対応と患者に対する優しい気配りには本当に感心しました。
一般病棟に移る前に、彼女とツーショット写真を撮れなかったことが、今回の入院で最大の後悔です!(笑)
徐々に熱も下がり、食欲もあったのですが、おちんちんの管は入ったままだし、点滴も続いていました。
15日に初めてリハビリの先生が来て、ベッドから立ち上がり足踏みをすることが許されましたが、
依然として私はほとんどの時間をベッド上で過ごすしかありませんでした。
楽しみと言えば、ラジオや音楽を聴いたり、本来禁止されているスマホで看護師さんの目を盗んでツイートすることぐらいしかなかったので、カミさんが毎日仕事の帰りに来てくれたことは、本当に有難かったです。
そして、4月18日やっと一般病棟に移れたのですが、それからさらに8日間も入院生活は続きました。
Part 3へ続く。
心筋梗塞からの生還 Part1
久しぶりのブログがこんな内容になるとは、私自身驚いています。
「生還」というタイトルは、いささか大袈裟かとも思いましたが、落ち着いてからネットで調べると
急性心筋梗塞の死亡率は30~40%あるようです。
40%という確率は今更ながらちょっと怖くなりますが、何はともあれしぶとく生き残った以上、
この病気についてブログに残すことは、誰かのお役に立つかもしれないので書いてみることにします。
この記事がどこで完結するのか私自身わかりませんが、とりあえず時系列に今まで起こったことから書き始めます。
その前に、皆さんご存知だとは思いますが今回私が患った「急性心筋梗塞」について簡単にご説明します。
血栓(血の塊)などが心臓の冠動脈で詰まると、その先の組織に酸素や栄養が行かず壊死します。
完全に詰まらずに血流が減るだけなら「狭心症」です。
「梗塞」と言えば「脳梗塞」も同じですが、「どこで詰まったか?」と「いかに早く処置できたか?」が大切です。
ちなみに、私は左回旋枝の13番という場所が詰まったようでした。

【発症】
4月13日(水) この日早番の私は、朝6:30頃に職場に着きました。途中、車の運転中なども特に変わりなく出勤し、事務所で当日の仕事の予定やら前日までの連絡事項などをチェックし、更衣室で仕事着に着替えました。
この時点で、胸に微かな痛みと言うか違和感を感じていました。
時間は6:45。いつものパターンで始業前の一服を済ませ6:50。
この時点で胸の中心部分に痛みが、はっきりと、そして激しくなって来ました。
私は心臓の痛みというものを経験したことがなかったので、どのように表現すればいいのかわかりませんが、
胸やけや胃の痛みとは違う、もっと奥の方から感じる痛みです。
事務所のソファーで少しじっとしていれば良くなるかと思いましたが、一向に痛みが落ち着く気配もなく、
逆にこの頃になると、私は全身に冷や汗をかいていて私はこの時初めて「心筋梗塞」の言葉が頭に浮かんだのです。
痛みからか、呼吸も苦しくなってきて、いよいよ私は夜勤のスタッフに
「申し訳ないけど、今日は仕事ができそうもない。
自分で救急車を呼んで病院に行くから、他のスタッフに連絡して来てもらって」
と言うのが精一杯でした。
救急車が来たのが10分後ぐらいで、最初に胸の痛みを感じてから30分くらい経過していたと思います。
救急車の中でバイタルをとったり、問診を行う救急スタッフも心筋梗塞の疑いを感じてくれたようで
「この辺りで心筋梗塞のオペができるK病院に行きます」
とのことで、10~15分走ったように思いますが、この頃私は痛みのピークであまりはっきり覚えていません。
ちなみに、痛みの強さで言うと、過去二回救急車で運ばれた「尿路結石」の方が強いかもしれません。
ただ尿路結石は痛みに波があるのに対して、心筋梗塞は絶えず締め付けられるような痛みを感じました。
【救急救命室】
ストレッチャーで病院に運び込まれた時間は確認できませんでしたが、おそらく7:30過ぎだったと思います。
ストレッチャーから診察台に移された場所はERと呼ばれる救急救命室でしょう。
血圧、心拍、心電図、採血、酸素、サチュレーション・・・・アッという間に私は真っ裸にされそれらのチューブに繋がれました。
そして、恐れていた「尿道カテーテル」も!
簡単に言うとおしっこを出すための管をおちんちんの先から膀胱まで突っ込むのですが、私、これ、初体験だったのです。
父親が昔されているのを見て、入れる時痛そうだなぁ、と思っていたことが今まさに私の目の前で行われようとしています。
「ちょっと気持ち悪いですよ~!」と、慣れた手つきで看護師さんは5~6mmはありそうな管をスルスルと入れていきます。
正直、私は激痛を覚悟していたのですが、実際にはそれほどではありませんでした。
しかし、私の胸の痛みの方はこの時もまだ続いていて、NSの「一番痛い時を10として今いくつですか?」と聞かれ、
「8か9です」と答えたと思います。
私が確認できただけで二名の医師がデータを見ながら何やら相談していたかと思うと、突然一人のドクターが
「今すぐやりましょう」と言ったのが聞こえました。
すると、すぐさまNSが「一応ここも剃っておきます」と下半身の体毛をバリカンみたいなもので「ジョキッ」ならぬ「ジョリッ」って感じで、かなり手荒く剃って、これ地味に痛かったです!(笑)
この間、NSがカミさんの携帯に何度も連絡を入れていましたが繋がらないようで、ちょうど通勤電車の中だったのでしょう。
しばらくしてカミさんの方から折り返し病院に電話が来て、「すぐに来て下さい!」と言っているNSの声だけが微かに聞こえました。
そして、手術の準備が整ったようでドクターが私にこう告げました。
「myさん、やはり心筋梗塞ですので、ここ(手首)からカテーテルを入れて、血栓を取って、血管を広げる手術をします。」
かれこれ2時間近く痛みにのたうち回っている私は、これでやっと痛みから開放されると思い「はい、よろしくお願いします」と少し安心しました。
でも、それじゃあ下の毛は何のために剃ったの?
などと、私がどうでもいいことを考えていると、ドクターは平然とさらにこんなことを言うではありませんか。
「場所が場所(=心臓)なので、この手術で約20%の方は亡くなります」
ん?20%?五人に一人は死ぬんか?!
今更、考えたって仕方ない・・・でも、私は不思議と死を意識したりせずに、きっと上手く行くと根拠のない自信の中で手術に向かいました。
Part2に続く
おかえり。
それは、昨日の夜突然の出来事でした。
ツイッターの通知が1件入っていたのでクリックしてみると・・・・・
「こずえさんがあなたをフォローしました」
そうです、2年前の5月のワンマンライブを最後に活動を中止していたこずえちゃんが帰って来たのです!
復帰ライブは4月30日(土)に下北沢SEED SHIPだそうです。
どうやらランチライブのようで、私はスージーのウラスジと被ってしまい行けそうもありませんが、
彼女が元気で音楽を嫌いにならないでいてくれたことが、本当に嬉しいです。
必ず、「おかえり」を言うために5月以降のライブを待ちたいと思います。
私はこの2年間、今頃こずえちゃんはどうしているかなぁと思ったり、彼女の歌が聴きたくなってYouTubeを聴いたことが
何度もありました。
でも、それは私だけではなかったようで私がアップした「たんぽぽ」のYouTubeはもうすぐ1000回再生と、
活動休止期間中も聴いていてくれた方が多かったようです。
彼女がどんな素敵な女性に成長しているか、そして、今後どんなメッセージを音楽を通じて伝えてくれるのか?
今から楽しみで仕方ありません。
こずえちゃん、おかえり。そして、帰って来てくれてありがとう!
ツイッターの通知が1件入っていたのでクリックしてみると・・・・・
「こずえさんがあなたをフォローしました」
そうです、2年前の5月のワンマンライブを最後に活動を中止していたこずえちゃんが帰って来たのです!
復帰ライブは4月30日(土)に下北沢SEED SHIPだそうです。
どうやらランチライブのようで、私はスージーのウラスジと被ってしまい行けそうもありませんが、
彼女が元気で音楽を嫌いにならないでいてくれたことが、本当に嬉しいです。
必ず、「おかえり」を言うために5月以降のライブを待ちたいと思います。
私はこの2年間、今頃こずえちゃんはどうしているかなぁと思ったり、彼女の歌が聴きたくなってYouTubeを聴いたことが
何度もありました。
でも、それは私だけではなかったようで私がアップした「たんぽぽ」のYouTubeはもうすぐ1000回再生と、
活動休止期間中も聴いていてくれた方が多かったようです。
彼女がどんな素敵な女性に成長しているか、そして、今後どんなメッセージを音楽を通じて伝えてくれるのか?
今から楽しみで仕方ありません。
こずえちゃん、おかえり。そして、帰って来てくれてありがとう!
風に立つライオン
昨年観たかった映画「風に立つライオン」を、先日たまたまBSの日本映画専門チャンネルで観れました。
もう1年近くも前に公開された映画なので、ご覧になった方も多いかもしれませんね。
そもそも、この映画を語るにはさだまさしの87年に発表された同名の楽曲の話からしなければなりません。
今から30年近く前の楽曲で、30歳の私はこの曲に強い衝撃を受けました。
当時からこの楽曲が実在する医師柴田鉱一郎氏をモデルにして書かれたことは知っていましたが、
情景描写の上手いさだまさしの楽曲の中でも、作り物ではないリアリティに感動した思い出があります。
アフリカの巡回医療に身を捧げた青年医師が、日本に残してきた恋人に綴る手紙の形でこの歌は書かれています。
そんな一つの歌が、25年の歳月を経て小説化され、さらに昨年映画化されたのでした。
結論から先に言うと、この映画は最近観た邦画の中でもとても良い映画でした。
映画の時間軸は現在~数十年前を目まぐるしく移り変わります。
それに合わせて、舞台は東日本大震災後の石巻から始まってアフリカのケニヤ、長崎の五島列島まで
美しい景色を映し出して行きます。
けれど、観ていて混乱することもなく物語に入っていけるのは脚本がしっかりしているからかもしれません。
原作となった小説は読んでいないのですが、87年当時はもちろんあの3.11のような悲劇が起こることなど
予想だにしなかったわけで、この部分はフィクションとして付け加えられたと思われますが、特に違和感なく、
むしろ今だからこそこの映画の存在価値をより高めることに成功していると思われます。
私はこの映画を観ていて自然に涙が溢れました。
しかし、その涙は別れや死を利用した、いわゆる「お涙頂戴」的な悲しい涙ではありません。
もっと、壮大な人間の尊厳や勇気を称える映画だと思います。
何よりも私がさだまさしの楽曲「風に立つライオン」を聴いた時の感動を何一つ裏切ることなく、
より鮮明に映像化されたことが素晴らしいです。
ぜひ、この曲を聴いて何かを感じた方には観て頂きたい映画です。
、風に立つライオン (Blu-ray) 2枚組(本編1枚+特典ディスクDVD1枚)/バップ

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もう1年近くも前に公開された映画なので、ご覧になった方も多いかもしれませんね。
そもそも、この映画を語るにはさだまさしの87年に発表された同名の楽曲の話からしなければなりません。
今から30年近く前の楽曲で、30歳の私はこの曲に強い衝撃を受けました。
当時からこの楽曲が実在する医師柴田鉱一郎氏をモデルにして書かれたことは知っていましたが、
情景描写の上手いさだまさしの楽曲の中でも、作り物ではないリアリティに感動した思い出があります。
アフリカの巡回医療に身を捧げた青年医師が、日本に残してきた恋人に綴る手紙の形でこの歌は書かれています。
そんな一つの歌が、25年の歳月を経て小説化され、さらに昨年映画化されたのでした。
結論から先に言うと、この映画は最近観た邦画の中でもとても良い映画でした。
映画の時間軸は現在~数十年前を目まぐるしく移り変わります。
それに合わせて、舞台は東日本大震災後の石巻から始まってアフリカのケニヤ、長崎の五島列島まで
美しい景色を映し出して行きます。
けれど、観ていて混乱することもなく物語に入っていけるのは脚本がしっかりしているからかもしれません。
原作となった小説は読んでいないのですが、87年当時はもちろんあの3.11のような悲劇が起こることなど
予想だにしなかったわけで、この部分はフィクションとして付け加えられたと思われますが、特に違和感なく、
むしろ今だからこそこの映画の存在価値をより高めることに成功していると思われます。
私はこの映画を観ていて自然に涙が溢れました。
しかし、その涙は別れや死を利用した、いわゆる「お涙頂戴」的な悲しい涙ではありません。
もっと、壮大な人間の尊厳や勇気を称える映画だと思います。
何よりも私がさだまさしの楽曲「風に立つライオン」を聴いた時の感動を何一つ裏切ることなく、
より鮮明に映像化されたことが素晴らしいです。
ぜひ、この曲を聴いて何かを感じた方には観て頂きたい映画です。
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