判断の過ちは必ず我が身に降りかかる。
常識や学問の妄信も同じだ。
それが正しいと決定ボタンを押したのは自分なのだ。
学問とは自ら考えるものであり、最初から最後まで習おうとする学問は学ぶ姿勢が間違っている。
学問とは一定の理論に基づいて体系化された知識と方法。
生命の基盤を間違えたら、その上に幾ら積み上げてもその学問のすべては砂の城。 結果など出るはずもないのが道理。
生命とは主に植物と動物であり、食べ物も植物と動物。
植物の動力と維持の仕組みがわからなければ動物もわからない。
植物と動物を相手にする農業畜産酪農、動物の不調を修復する健康法、食物栄養学、医学、どれも生命の原理は同じ。
機械よりも仕組みが奥深い生命に関しては理論もなく体系化もされていない。
学問に関する著名人の名言集は数多くあるが、野人の珍言は
学問の字の如く「問う」をもって学ぶのが学問であり「問うて解く」のが学問。
疑問がなければ問うことも解くこともなく、仕組みの解明は不可能。
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