哲学と仏教と物理学 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

一見ジャンルの異なる「哲学と仏教と物理学」の目的は同じだ。

野人はそのように思っている。

哲学者でも仏教徒でも物理学者でもないが、人間の目指すところは同じだろう。

 

学問の分類は分かれているが、分けなくともいいのではないかな。 野人はそれらに関係なく探究を進めている。

 

哲学とは、身近な物事を含め、徹底的に疑い、自分の実感を伴いながら考え抜くこと、それを言語化すること。 哲学は物や世界の在り方を追求する学問。

哲学は経験から作られた判断の元になる考え方

 

仏教とは、悟りを開くことを目指す宗教。

目的である「悟りを開く」とは、世の中のすべてを理解することであり、世の中の出来事、世の中の仕組みを完全に理解すること。

理解とは理を解することであり物理、つまり自然界の普遍の法則を見出すこと。

森羅万象の大半は生命に関すること、つまり生命の仕組みを解き明かす物理学

 

物理学とは、自然物や自然現象を観測することにより、それらの仕組み、性質、法則性などを明らかにしようとする学問であり、自然科学の一分野。

 

どの学問も、必要だから探究解明するのであり、暮らしに役立てる為だ。

 

3つの大きな違いは、哲学と物理学の探求は続くが仏教は教えを守ることに徹している。 学問と宗教の違いだな。

 

同じ学問でも哲学と物理学の違いは、物理学が生命意識の探求を放棄したこと。

哲学は探求を続けているが未だ解明出来ない

 

生命とは意識と体で構成されている。

つまり、生命については基盤から何一つわかっていないことになる。 問題が生じ、手に負えないのは当然だな。

 

同じものを追い求めるこの三つの学問の答えは出ていない。

結果が出ないもの、役に立たない知識・説はすべて捨て去り、生命の探求は一からやり直すべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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