生物学と南方熊楠  | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

 

 

 

南方熊楠(みなかたくまぐす)は著名な生物学者であり、学問の範囲はさらに、植物学、生態学、人類学、博物学、民俗学、宗教学、考古学と多彩だ。

英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ラテン語を使いこなし、ネイチャー誌に掲載された論文51本は、単著での掲載本数の歴代最高記録になっている。

熊楠は粘菌から生命の原理を調べようとし、没頭、新種を発見、粘菌学の世界的権威となった。

 

勉強も努力もせず漢字が書けず覚えられず日本語しか喋れない野人にとっては雲の上のような存在であり、記憶頭脳は足元にも及ばず、同じ生物学でも熊楠のようにはなれない。

 

生物学に対する野人の思いは・・

現生物学では、調べた内容や構造は観察した通りで間違っていないが、生物学の進む方向が間違っていると思っている。

 

海山の自然界に幼少から同じように好奇心を持ち、探求を続けた野人は熊楠とは異なる道を歩き続けた。

食べられるか食べられないか、美味しいか不味いか、毒や武器があるかないか、動く仕組みはどうなっているか、動植物の動力、意識、指揮系統はどうなっているかなど、わからないことの探求に費やし、動植物名や分類、新種にまったく関心がなかった。

 

これらのことから野人の学びの目的は、「狩る」「食べる」「危険を避ける」「使いこなす」ことだった。

まあ、言ってみれば、動物の本能そのもので、人間らしい部分はやや知性を感じる「使いこなす」くらいだな。

 

しかし、大勢が終生これらを使いこなしながら生きているのでは? 毎日の「食」を中心に、衣食住すべてに欠かせない。

野人は、これらを暮らしに取り入れ使いこなす為にやって来た。

 

その為には・・知識を求め続けるか自然界の仕組み・道理を求め考え続けるか、好奇心と目的のベクトルがまったく異なる。 

 

図鑑による植物名や食用薬用などの活用法、毒性などの基本的な知識は必要だったが、生物として活動する仕組みはもっと重要であり必要。 しかし植物、動物の物理的な仕組みを示す書籍は何処にもなかった。

生物学は物理学とは無縁の対極にあるのだから仕方ないだろう。

 

学ぶ文献があるか、ないか、野人にこれ以上の文献は必要ない、学ぶべき書籍は世界に存在しないのだから自分で探求して構築するしかない。 そしてあれほど読み続けた本を読まなくなったのは30年ほど前のこと。

 

現状の生物学と野人の生物学、どちらが世の役に立ち、多くの人達、多くの動植物を救えるのか、はっきりさせて見せる。

表には出たくないが、やってみせなければ生物学は変わらない。

 

自然保護が崇高な志のように思われるが、必ずしもそうではない。

自然界の森は森羅万象の理に沿って生まれたものだが、理想的な森と言えるだろうか。

そこに住む動物達にとっても、進入が困難な人間にとっても。

 

食料を求めて移動を続ける猪鹿タヌキなどの動物も、人間も、花や木の実を求める昆虫や鳥達も、生きる為に毎日食べ物を探し続けて来た。

常識的な言葉に惑わされず自らの頭で考えてみればよい。

 

動物から見れば、森は自分たちが暮らし、食べて生きる為にあり、木々も動物達を呼ぶ為に体を進化させ、共に力を合わせて繁栄、生態系を築き上げた。

出来るだけ双方の希望が叶う森にしてあげたほうがよいのでは?

森や山林は人間の学問や感性の為、建材植林の為にあるのではないのだから。

放置して保護するより花も実もある桃源郷、そのほうが多くの生き物は喜ぶ。

地球上の動物でそれが出来るのは人間しかいない。

 

人間と自然界の動植物は相まみえることは困難。

境界を作れば必ず人間の道理が優先する。

国境なき国境同様に、山を境界なき境界にすればよい。

 

人間も彼ら同様に地球の一部であり、彼ら無くして生きられないのだから、それが可能な協生の森の基盤を築けば共に生きられる。

言うは易し、実現も易し、難しいものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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