赤坂プリンスホテルで親友が結婚式、その招待状が来た。
しかし不定期航路の仕事上予定が立たずに保留、友人には電話で「前日にならんとさっぱりわからん」と返事。席は用意しておくとのことだった。 結婚式など一度も行ったことがない。
何をもって親友と言うのか境界はないが、九州の同郷で同じ大学の海洋学部、郷里からの出立も同じで彼は自転車で、野人はバイク、大分県から隣の宮崎の日向港まで走り川崎行のフェリーへ乗った。
それまでの付き合いはなかったが縁があって同行した。
自転車で行く気にはなれずスクラップ屋で壊れた原付バイクを、学割2200円で買って修理、ボストンバックを荷台に固定して走った。
幾つもの山を超えるたびに峠で彼の自転車を待ち続けた。
何で自転車でこんな急な山を越えるのか・・バカバカしいが付き合った。
平塚のアパートも彼が探して1年間同じ場所、2年から清水のアパートも同じで卒業まで一緒だった。そういうことはこまめだが人望があり多くの男達が訪ねて来ていた。
本人は何も言わないが、津久見市の隣の臼杵で生まれ育ち、彼らの話では中学高校は柔道部主将でずっと番長だったらしい。
タイガーズのジュリーに似ているからそう呼ばれていたらしいが、似てないこともないがゲゲゲの鬼太郎のネズミ男に近く、大学ではそう変更されていた。
夏休みで帰郷してからも船で海に出て潜ってよく遊んだ。
前日まで仕事で出席は半ばあきらめていた。
朝凪で瀬渡し出来る代わりの船長がいないからだ。
屋久島空港から鹿児島空港への当日便と羽田への便の乗り継ぎでは婚礼には間に合わない。
当日も早朝から硫黄島へ屋久島の水を運ぶ為に出航したが、途中で閃いた
硫黄島から会社のセスナで鹿児島空港に直行すれば午前の東京便に十分間に合う。
ヤマハの私設飛行場は諏訪之瀬島と硫黄島にあり、聞けば当日鹿児島から硫黄島へ、それから鹿児島空港に戻る便があると言う。 それに乗れば羽田便にも婚礼に間に合う。
「ちょい 待っとれ~~」とセスナを待たせて硫黄島に入港。
待てと言われれば素直に待つのがタクシーと飛行機
一版旅客機と違い手続き待ち時間ゼロ、40分で鹿児島空港到着。
船はまむし頭が片道一時間の屋久島一湊港まで回航する。
硫黄島からセスナで鹿児島空港へ、さらに羽田へ飛び、赤坂プリンスに到着、ギリギリ間に合った。
居住地の屋久島から会社の船で硫黄島へ、会社のセスナで鹿児島へ、職権乱用の極みだがこれで当日間に合わないはずが間に合った。
まあ、勤務中に脱走、硫黄島から東京まで行ったと言うことだが、勤務しなかったら閃きもなく間に合わなかった。
セスナで諏訪之瀬島から隣の中之島まで会社の指示で選挙に行ったことがあるが、島民が少ないから仕方ない。
選挙に続いて今度は結婚式だが、問題が多少あった。
出席はあきらめて何の準備もしていなかったので服装は仕事着、デッキシューズに作業ズボンにポロシャツにサングラス、荷物はタバコ以外になく手ぶら。
当然、祝儀袋もなくポケットから取り出したしわくちゃに近い20万をボソっと差し出したら受付嬢が目をパチクリ。
鹿児島空港で全額引き出した野人の全財産、基本給の2倍で祝儀相場の10倍。 財布は常に持っていない。
残しておいても使い道もなく夜の天文館で消える運命だが、新婚には必要だろう。
参列者は全員正装、野人のみすぼらしい格好はよく目立ったが、さほど羞恥心を持ち合わせていないので気にならなかった。
服装はともかく、赤坂プリンスの結婚式に「裸足でズック」はまずかったかな。
顔も腕も真っ黒でサングラス、玄関通る時にホテルスタッフにジロジロ見られたし・・
司会者に大袈裟に紹介された。
「最も遠方の屋久島から当日参列・・」
「硫黄島経由 船とセスナと旅客機乗り継ぎ・・」
「手ぶらで 仕事着のままハダシ・・」
「札束をそのままポケットから・・ポイ」
「お~~」「ええ~~
」「あははは~
」の歓声に続き大拍手の渦。
色々尋問、いや喋らされたが全く覚えていない。
想像を超えるデリンジャラスなお笑いで飛び入りの余興になっただろう。
やはり一番喜んだのは新郎新婦で新婦は大学当時から知っている。
成田で建築会社を興すと言うが、資金不足になればまた全財産送ってやろう。
余談 その後のジュリー
野人が三重に来てからも毎年仕事で成田から訪ねて来ていた。
マリンビレッジにも関係者大勢連れて食事と船遊びに。
野人会社が資金難の時に大金ポンと出し・・
「返さんでもいいから 全額株式に」と。
今も健在で野人の会社の株主になっている。
む~リー ジュリー
ジャリー
熊本城下 大分臼杵城下 静岡伊豆山中
熊本城下の武家屋敷へ・・意を決して 攻防
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